2017/01/31 - 2017/01/31
171位(同エリア596件中)
愛吉さん
日本を代表する女流作家、樋口一葉を追って都内を彷徨います。
あれだけの才能を持ちながら、生前は経済的に恵まれず不遇の人生をおくり、僅か24歳でこの世を去った薄幸の作家に哀感を持ちます。
機会ある毎にその生活の跡を訪ね往時を偲んでいますが、前回投稿した樋口一葉偲び旅から5年が経過し、その跡も時間と共に変化して来たので、ここに改めてその足跡を訪ねます。
最初は一葉が暮らし、生涯を終えた本郷からです。
写真はすべて新しく取材しました。
表紙の絵は鏑木清方画『一葉』で昭和15年の作品です。
清方も熱烈な一葉フアンでした。
この作品は、一葉日記に記されている、"小切れ入れたる畳紙とり出し、何とはなしに針をも取られぬ"の情景を画いたものです。
私の好きな画の1枚で切手にもなりました。
樋口一葉 偲び旅
https://ssl.4travel.jp/tcs/t/editalbum/edit/10691996/
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 私鉄
PR
-
今回もスタートは東大赤門から。
-
横断歩道を渡ると、法真寺が在ります。
都会の中、ビルに囲まれたお寺です。
一葉が4歳から9歳迄暮らした家は、この石柱を入った参道脇にありました。
今は普通のビルが建ち面影は全くありません。 -
石柱の横には文京区の建てた案内板があります。
一葉にとってここで過ごした5年間が最も幸せな時で、桜木の宿として懐かしんでいます。 -
寺の石柱に嵌め込まれた木板には、一葉「ゆく雲」の草稿が書かれています。
下の部分には瀬戸内寂聴のこの寺訪問時の文章が。 -
寺の境内は整備され、新しいビルが建ち、かって在った一葉会館は取り壊され、仏たちの配置も変わりました。
大正時代の女学生像(一葉ファン?)も新設されています。
2012年8月の樋口一葉偲び旅と比較して下さい。 -
一葉が”ゆく雲”で書いた濡れ仏の観音様も、屋根付きの厨子に収まりました。
-
観音様と並んで小さな一葉像も新設されています。
-
8~9歳頃の一葉をうつしたものでしょう。
賢そうな顔をしています。
でも私にとっては、一葉が書いたまま、濡れ仏腰衣の観音様のお肩のあたりお膝のあたりにはらはらと花散りこぼれる様を愛でたい気持ちです。 -
法真寺を出て、次は文京ふるさと歴史館を目指します。
地図を見ると裏道が近そうなので、バイパスのつもりで路地伝いに歩きますが、二度ほど人に訪ねてやっと到着、急がば回れでした。
今日もちびっこ達が大勢が来ています。
この歴史館の良い点は、申請すれば写真撮影が許される事です。
-
訪問の狙いはここ樋口一葉コーナーです。
一葉は24年の生涯の内、15回引越をしましたが、その内約10年を文京区内で過ごしています。
居住地として有名な処は
桜木の宿 4~9才
本郷菊坂 18~21才
下谷竜泉 22才
水上の家 23~24才 終焉の地、奇跡の14ヶ月
その他、上野黒門町、芝高輪、神田神保町、神田淡路町等です。
父親の事業の失敗が影響しているのでしょう。
-
文京区内の一葉ゆかりの地、死後発行された一葉全集他を展示。
-
一葉の半井桃水宛手紙。
その達筆なのに驚かされます。 -
こんな展示物も有りました。
明治時代の団子坂菊人形イベント。
個別に店を構え、テーマを決めて展示。
呼び込みが居ます、入場料が必要な様です。 -
建物の前には、菊坂界隈の文人マップが。
でも今日は樋口一葉に絞って回ります。 -
歴史館を出て左に進むと炭団坂、一葉が住んだ菊坂の谷に向かって下ります。
-
炭団坂の説明。
-
こんな乙な喫茶店があります、名前からして一葉旧居は近い筈です。
-
本郷4丁目32、案内図に書かれた一葉旧居の地番です。
-
露地の中を恐る恐る覗くと、玄関前に植木鉢を出して、明治の下町風情を残す佇まいです。
奥に井戸も見えます、間違いないでしょう。 -
階段の上から路地を見下ろします。
-
階段を下り振り返ると、こんな感じ。
-
一葉が使ったであろう共同井戸です。
当時は当然釣瓶式です。
一葉は当初、階段に向かって左の路地を入った一番奥でしたが、途中から右側の通りに面した家に越します。
この地に住んだのは、明治23年9月~26年7月(18才~21才)
家は貧しく、母と妹は針仕事と洗い張り、一葉は歌塾萩の舎の助教を務めました。
一葉がこの地で詠んだ歌一首
寝覚めせし よはの枕に音たてて 涙もよほす 初時雨かな 樋口夏子 -
ここら辺りは下町風情が残りますが、戦災で焼けた為、一葉当時の物は何も有りません。
周りには住民が居ます、音をたてない様に通り過ぎます。 -
並行して一段高い道があります、階段を登りると、こちらは自動車も通れる少し広い道です。
5分程歩くと、右側に質屋が有ります。
一葉が通った伊勢屋質店で、昭和57年まで営業していました。
現在は跡見学園の所有です。
尚一葉は下谷竜泉に転居後もここに通い、一日に2往復したこともあります。
蔵の内に 春かくれ行く ころもがえ 一葉 -
伊勢屋の前に立つ看板。
-
いよいよ一葉終焉の地に向かわねばなりません。
一葉は下谷竜泉より、ここ本郷丸山に明治27年5月に越して来ます。
今は白山大通りに面していますが、これは通りが拡張された為で、当初は白山通りより一本奥まった通りで、守喜といううなぎ屋の離れ、6畳2間と4畳半、庭に小さな池が在りました。、
そして亡くなる明治29年11月迄の2年6ヶ月間をここで過ごし、次々に名作を世に送り出します。
特に明治27年12月~明治29年1月迄の14ヶ月の間に「大つごもり」「たけくらべ」「にごりえ」「十三夜」等の代表作を次々に書き上げます。
しかし小説家として活躍しようとした矢先、明治29年11月23日肺結核で亡くなります、24才という若さでした。
終焉の地を示す石碑と説明板が寂しく建ちます。 -
解説板
-
一葉 樋口夏子碑。 この文字は平塚らいちょう記す
下の文は、一葉の明治27年4月28日と5月1日の日記を写したもの。
引越しの状況が書かれています。 -
碑の解説板。
-
一葉の眠る墓所に来ました。
築地本願寺和田堀廟所です。 -
大きな廟所で有名人も多く眠りますが、案内の在るのは樋口一葉墓所のみです。
-
ここが一葉のお墓。
樋口家先祖代々の墓に合葬されています。
法名は、智相院釈妙葉信女。
静かに手を合わせます。 -
写真の絵は鏑木清方画、「一葉女史の墓」です。
明治35年 清方24歳の作品です。
この絵を描くにあたり清方は、この墓に詣でて厳密なスケッチを行い、又モデルに友人の小説家、山岸荷業の新妻りゅう女を頼み作成しました。
清方の思い入れが判る作品です。
これで一葉が暮らした街、本郷は終了です。
次は一葉の代表作「たけくらべ」の世界、下谷竜泉を巡ります。
終
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
33