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■SLON(ソロベツキー特殊収容所)<br /><br /> 山の中腹には非常に目立つ赤い十字架が立っていた。ソロベツキー島の十字架はすべて特殊な形をしていて、「拝み十字架」と呼ばれている。この赤い十字架の回りには古い井戸のほか、大きな説明看板が数点建てられていた。<br /><br /> 今まで元気はつらつだったガイドのユーリーさんはここでいきなり小声になり、暗い表情でこの場所の歴史を語り始めた。それを聞いた私は自分の耳を疑った。とてもすぐに受け入れられる話ではなかったのだ。<br /><br /> ソロベツキー諸島は1920?1939年の間、SLON(ソロベツキー特殊収容所)と呼ばれていた。ソ連政府はここに政敵である政治家、宗教者、異端思想の持ち主などの活動家を大量に収容し「再教育」を実施していた。

ソロヴェツキー諸島 人を変えてしまう島(4)

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2016/07/16 - 2016/07/22

137位(同エリア342件中)

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JIC旅行センター

JIC旅行センターさん

■SLON(ソロベツキー特殊収容所)

 山の中腹には非常に目立つ赤い十字架が立っていた。ソロベツキー島の十字架はすべて特殊な形をしていて、「拝み十字架」と呼ばれている。この赤い十字架の回りには古い井戸のほか、大きな説明看板が数点建てられていた。

 今まで元気はつらつだったガイドのユーリーさんはここでいきなり小声になり、暗い表情でこの場所の歴史を語り始めた。それを聞いた私は自分の耳を疑った。とてもすぐに受け入れられる話ではなかったのだ。

 ソロベツキー諸島は1920?1939年の間、SLON(ソロベツキー特殊収容所)と呼ばれていた。ソ連政府はここに政敵である政治家、宗教者、異端思想の持ち主などの活動家を大量に収容し「再教育」を実施していた。

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  •  ガイドの説明によると、2005年、セキルナヤ山の頂上に立っているボズネセンスキー教会を訪れた歴史研究チームは、教会の1階部分の床や最上階に設置してある灯台装置の周辺をくまなく調べた結果、多数の小さなメモ紙を見つけた。これらのメモは囚人たちによって隠されたもので、その内容はぞっとするものばかりだった。集団銃殺についてのメモ、遺体が集められた場所を記録したメモ、集めた遺体がどこかの穴に放り込まれたことを示すメモ、遺体の上に石や土をかけ、さらにその上に新たな遺体が捨てられた経緯を記したメモなど、目を覆いたくなるものばかりだった。しかしいくら探しても肝心の遺体が捨てられた場所が見つからない。<br /><br /> 2006年に第2次研究チームが編成され、再び調査作業を開始。その際、ボズネセンスキー教会の壁に墨か煙草の灰で書かれた小さな絵が発見された。実はこの絵は前年の研究チームも見たのだが子供の落書きだと思い、見過ごしたらしい。その絵には大きな家(教会)が描かれ、そこから下に伸びている1本の太い道があり、そしてその末端から無数の点に伸びている細い線があった。この絵と囚人たちのメモをもう一度照らし合わせ、セキルナヤ山の山麓を重点的に発掘した結果、多数の穴が発見された。<br /><br /> 私たちが立っていた赤い「拝み十字架」の場所は、囚人たちが銃殺された後、遺体の収集広場として使われていたようだ。そこから下に伸びる1本の道があり、その先には集団墓地があった。ガイドのユーリーさんは、「行きたい人だけ行ってください」と言った。彼は、以前一度だけ行ったようだが、「もう二度と行きたくない」と話した。グループの半数は行かずに留まった。結局「死の階段」を降りて行ったのは、日本組の2名とリュドミーラ社長、もう一人の女性客の計4名だけだった。

     ガイドの説明によると、2005年、セキルナヤ山の頂上に立っているボズネセンスキー教会を訪れた歴史研究チームは、教会の1階部分の床や最上階に設置してある灯台装置の周辺をくまなく調べた結果、多数の小さなメモ紙を見つけた。これらのメモは囚人たちによって隠されたもので、その内容はぞっとするものばかりだった。集団銃殺についてのメモ、遺体が集められた場所を記録したメモ、集めた遺体がどこかの穴に放り込まれたことを示すメモ、遺体の上に石や土をかけ、さらにその上に新たな遺体が捨てられた経緯を記したメモなど、目を覆いたくなるものばかりだった。しかしいくら探しても肝心の遺体が捨てられた場所が見つからない。

     2006年に第2次研究チームが編成され、再び調査作業を開始。その際、ボズネセンスキー教会の壁に墨か煙草の灰で書かれた小さな絵が発見された。実はこの絵は前年の研究チームも見たのだが子供の落書きだと思い、見過ごしたらしい。その絵には大きな家(教会)が描かれ、そこから下に伸びている1本の太い道があり、そしてその末端から無数の点に伸びている細い線があった。この絵と囚人たちのメモをもう一度照らし合わせ、セキルナヤ山の山麓を重点的に発掘した結果、多数の穴が発見された。

     私たちが立っていた赤い「拝み十字架」の場所は、囚人たちが銃殺された後、遺体の収集広場として使われていたようだ。そこから下に伸びる1本の道があり、その先には集団墓地があった。ガイドのユーリーさんは、「行きたい人だけ行ってください」と言った。彼は、以前一度だけ行ったようだが、「もう二度と行きたくない」と話した。グループの半数は行かずに留まった。結局「死の階段」を降りて行ったのは、日本組の2名とリュドミーラ社長、もう一人の女性客の計4名だけだった。

  •  階段を下りるにつれ、今までに感じたことのない、言いあらわせない空しい感覚に襲われた。一段下りる毎に心臓が腹部に徐々に沈んでいく。ドキドキするというより、震えがだんだん強くなっていく。周りの空気なのか、何かがそうさせていくのだ。階段の先には少し開けた場所があり、木々の間に今にも切れそうなロープに囲まれた四角い穴が点在していた。穴の隣には墓標の十字架が立てられており、その下部には9、6、12、26などといった数字が記されていた。数字の下には小さく「人」と書かれていた。それは、それぞれの墓標の近くの穴から発見された遺体の数であった。<br /><br /> 私たちが立っていた場所では、長年にわたり人がごみのように捨てられて、忘れ去られていた。ここにいると決して「怖い」とか「恐ろしい」とか、そういう感情ではなく、ただただ悲しく、そして悲しさを通り越して空しくなる。自然に手を合わせたくなる。そしてなぜか分からないが、許しを請いたくなる。同じ人間が、このような酷いことをやっていた。ひんやりとした空気は、このような伝えきれない空しさや哀しさに溢れていて、触ろうと思えば指先は物理的にその感情にタッチできるほどだ。とんでもない空間であった。

     階段を下りるにつれ、今までに感じたことのない、言いあらわせない空しい感覚に襲われた。一段下りる毎に心臓が腹部に徐々に沈んでいく。ドキドキするというより、震えがだんだん強くなっていく。周りの空気なのか、何かがそうさせていくのだ。階段の先には少し開けた場所があり、木々の間に今にも切れそうなロープに囲まれた四角い穴が点在していた。穴の隣には墓標の十字架が立てられており、その下部には9、6、12、26などといった数字が記されていた。数字の下には小さく「人」と書かれていた。それは、それぞれの墓標の近くの穴から発見された遺体の数であった。

     私たちが立っていた場所では、長年にわたり人がごみのように捨てられて、忘れ去られていた。ここにいると決して「怖い」とか「恐ろしい」とか、そういう感情ではなく、ただただ悲しく、そして悲しさを通り越して空しくなる。自然に手を合わせたくなる。そしてなぜか分からないが、許しを請いたくなる。同じ人間が、このような酷いことをやっていた。ひんやりとした空気は、このような伝えきれない空しさや哀しさに溢れていて、触ろうと思えば指先は物理的にその感情にタッチできるほどだ。とんでもない空間であった。

  • ■「ボズネセンスキー教会」<br /><br /> グループと合流して、私たちは重い足取りでセキルナヤ山の山頂に立つ「ボズネセンスキー教会」へと向かった。この教会は普通の教会ではなく、灯台としての機能も備えていた。19世紀に建てられて以来、およそ100年にわたって8月15日~11月15日の間、漁師や商業船のために暗い海を照らし続けてきた。言い伝えによると、その光は100キロも先に届いていたらしい。<br /><br /> しかし、特殊収容所の時代には、ここは最も恐ろしい「懲罰房」として使われていた。逃亡を図ったり、労働を拒否したり、密かに宗教的な儀式を行ったりした囚人たちはこの教会に送られ、非人間的な扱いを受けた。真冬に衣服のほとんどをもぎ取られ、凍死しないために「人間の積み木」を作らざるを得なかった。「人間の積み木」とは、まず床に数人の囚人が列をなして寝そべる。その上に今度は横に列を作った囚人が覆いかぶさる。こうして何層にもなって寝ると、真ん中にいる人間は周りの体温に温められる。時間がたつと順番を組み替えて、今まで外にいた人が中に入る。<br /><br />しかし、それでも一夜にして数名の凍死者が出る事は日常茶飯事だったようだ。このような悪夢の夜を生き延びたとしても翌日は何人かがピックアップされ、教会の外の広場に連れ出されていく。そしてソ連の象徴である五芒星の形になぞって立たされた囚人は集団銃殺される。残りの人たちは教会の窓際に立たされ、その一部始終を強制的に見せられていた。<br /><br /> 教会のすぐ横に山を下る長くて急な数百段の階段がある。史実かどうかわからないが、この階段も囚人を死に至らしめる虐待の道具として利用されていたという。人を丸太に縛り付けてここから突き落としていたらしい。麓に辿り着くまでに、人は肉の塊に化してしまっただろう。<br /><br /> この恐ろしい階段の近くには展望台が設けられていて、目下には北国特有の森林や白海の美しい景色が広がっていた。しかし、それを眺めるグループ・メンバーの表情は石のように固かった。誰しもがつい先ほど聞いたばかりの話と周りの景色を照らし合わせ、理解できるはずのない人間の残酷な行為を何とか脳内処理しようとしていた。セキルナヤ山に足を踏み入れた体験は誰の心にも響き、大きな痕跡を残したに違いない。少なくとも私はそうであった。

    ■「ボズネセンスキー教会」

     グループと合流して、私たちは重い足取りでセキルナヤ山の山頂に立つ「ボズネセンスキー教会」へと向かった。この教会は普通の教会ではなく、灯台としての機能も備えていた。19世紀に建てられて以来、およそ100年にわたって8月15日~11月15日の間、漁師や商業船のために暗い海を照らし続けてきた。言い伝えによると、その光は100キロも先に届いていたらしい。

     しかし、特殊収容所の時代には、ここは最も恐ろしい「懲罰房」として使われていた。逃亡を図ったり、労働を拒否したり、密かに宗教的な儀式を行ったりした囚人たちはこの教会に送られ、非人間的な扱いを受けた。真冬に衣服のほとんどをもぎ取られ、凍死しないために「人間の積み木」を作らざるを得なかった。「人間の積み木」とは、まず床に数人の囚人が列をなして寝そべる。その上に今度は横に列を作った囚人が覆いかぶさる。こうして何層にもなって寝ると、真ん中にいる人間は周りの体温に温められる。時間がたつと順番を組み替えて、今まで外にいた人が中に入る。

    しかし、それでも一夜にして数名の凍死者が出る事は日常茶飯事だったようだ。このような悪夢の夜を生き延びたとしても翌日は何人かがピックアップされ、教会の外の広場に連れ出されていく。そしてソ連の象徴である五芒星の形になぞって立たされた囚人は集団銃殺される。残りの人たちは教会の窓際に立たされ、その一部始終を強制的に見せられていた。

     教会のすぐ横に山を下る長くて急な数百段の階段がある。史実かどうかわからないが、この階段も囚人を死に至らしめる虐待の道具として利用されていたという。人を丸太に縛り付けてここから突き落としていたらしい。麓に辿り着くまでに、人は肉の塊に化してしまっただろう。

     この恐ろしい階段の近くには展望台が設けられていて、目下には北国特有の森林や白海の美しい景色が広がっていた。しかし、それを眺めるグループ・メンバーの表情は石のように固かった。誰しもがつい先ほど聞いたばかりの話と周りの景色を照らし合わせ、理解できるはずのない人間の残酷な行為を何とか脳内処理しようとしていた。セキルナヤ山に足を踏み入れた体験は誰の心にも響き、大きな痕跡を残したに違いない。少なくとも私はそうであった。

  • ■ソロベツキー植物園<br /><br /> その後はソロベツキー植物園を見学した。北極圏に最も近い植物園として知られているとガイドが誇らしげに話す。いうまでもなく、ここも囚人の手によって作られたのだ。素敵な並木や珍しい花は来客を楽しませてくれるが、私の目にはあのセキルナヤ山の風景がこびりついて離れない。たったの30~40分では気持ちを切り替えられるものではなかったようだ。<br /><br /> 散策後、一同は村の中心部に戻り、次の観光プログラムの集合場所でしばし時を過ごした。コーヒーを飲んで待つ人がいれば、ウォッカを飲む人もしかり。

    ■ソロベツキー植物園

     その後はソロベツキー植物園を見学した。北極圏に最も近い植物園として知られているとガイドが誇らしげに話す。いうまでもなく、ここも囚人の手によって作られたのだ。素敵な並木や珍しい花は来客を楽しませてくれるが、私の目にはあのセキルナヤ山の風景がこびりついて離れない。たったの30~40分では気持ちを切り替えられるものではなかったようだ。

     散策後、一同は村の中心部に戻り、次の観光プログラムの集合場所でしばし時を過ごした。コーヒーを飲んで待つ人がいれば、ウォッカを飲む人もしかり。

  • ■スーパーガイド登場<br /><br /> 時間となり、新しいガイドのオレグさんが現れた。私もガイドとして働く機会があるのでガイドの善し悪しはよく分かるが、彼はまさにスーパーガイドだった。<br /><br /> ソロベツキー諸島の不可思議な気候や植物・動物の生態から話が始まり、徐々に白海の海辺へとグループを誘導しつつ、古代民族や彼らが大量に残した謎のストーン・サークルに物語をつなげていく。その後はロシアの6世紀(15~20世紀)にわたる歴史とソロベツキー諸島で起こった出来事を並べて、この「聖なる島」がいかにすごい場所であるか、ロシアの歴史の中でどれほど多くの影響を与えたかを披露する。<br /><br /> 神話や伝説、そして最近かなり幅を利かせるようになった教会の立場や見解に左右されることもなく、彼は客観的かつ冷静に様々な事件や出来事を分かりやすく解説していった。3時間のエクスカーションはあっという間に終わり、オレグさんの見事なガイディングに私は素直に脱帽した。<br /><br /> * * * <br /><br /> ホテルに戻った後、私たちは夕食を摂り、早々に眠りについた。外は秋の気配をたっぷり含んだ時雨がしとしと降っていた。<br /><br />(3日目に続く)

    ■スーパーガイド登場

     時間となり、新しいガイドのオレグさんが現れた。私もガイドとして働く機会があるのでガイドの善し悪しはよく分かるが、彼はまさにスーパーガイドだった。

     ソロベツキー諸島の不可思議な気候や植物・動物の生態から話が始まり、徐々に白海の海辺へとグループを誘導しつつ、古代民族や彼らが大量に残した謎のストーン・サークルに物語をつなげていく。その後はロシアの6世紀(15~20世紀)にわたる歴史とソロベツキー諸島で起こった出来事を並べて、この「聖なる島」がいかにすごい場所であるか、ロシアの歴史の中でどれほど多くの影響を与えたかを披露する。

     神話や伝説、そして最近かなり幅を利かせるようになった教会の立場や見解に左右されることもなく、彼は客観的かつ冷静に様々な事件や出来事を分かりやすく解説していった。3時間のエクスカーションはあっという間に終わり、オレグさんの見事なガイディングに私は素直に脱帽した。

     * * * 

     ホテルに戻った後、私たちは夕食を摂り、早々に眠りについた。外は秋の気配をたっぷり含んだ時雨がしとしと降っていた。

    (3日目に続く)

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