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今年の七福神巡りは千住です。4年目になります。<br /><br />2014年は深川七福神巡り<br />前半 http://4travel.jp/travelogue/10849167<br />後半 http://4travel.jp/travelogue/10849210<br /><br />2015年は日本橋七福神巡り<br />http://4travel.jp/travelogue/10968967<br /><br />2016年は山手七福神巡り<br />前半http://4travel.jp/travelogue/11091848<br />後半http://4travel.jp/travelogue/11092422

千寿七福神巡り☆千寿竹やぶ☆2017/01/07

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2017/01/07 - 2017/01/07

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杏仁豆腐

杏仁豆腐さん

今年の七福神巡りは千住です。4年目になります。

2014年は深川七福神巡り
前半 http://4travel.jp/travelogue/10849167
後半 http://4travel.jp/travelogue/10849210

2015年は日本橋七福神巡り
http://4travel.jp/travelogue/10968967

2016年は山手七福神巡り
前半http://4travel.jp/travelogue/11091848
後半http://4travel.jp/travelogue/11092422

同行者
一人旅
交通手段
私鉄 徒歩

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  • 北千住駅前。<br />ここからスタートです。

    北千住駅前。
    ここからスタートです。

  • 最初のお参りは、千住本氷川神社。<br />徳治2年(1307年)創建。

    最初のお参りは、千住本氷川神社。
    徳治2年(1307年)創建。

  • 大黒天

    大黒天

  • 三精稲荷神社

    三精稲荷神社

  • 茅の輪。<br />茅の輪くぐりをしました。

    茅の輪。
    茅の輪くぐりをしました。

  • 茅の輪の説明。

    茅の輪の説明。

  • 有名な銭湯、大黒湯を通過。

    有名な銭湯、大黒湯を通過。

  • 千住寿幼稚園を通過。<br />松の木がいいですね。

    千住寿幼稚園を通過。
    松の木がいいですね。

  • 氷川神社に到着。<br />千住大川町にある氷川神社です。

    氷川神社に到着。
    千住大川町にある氷川神社です。

  • 鎌倉時代の永仁年間(1293年-1299年)の創建。

    鎌倉時代の永仁年間(1293年-1299年)の創建。

  • 紙すき碑<br /><br />足立区は、江戸時代から、紙すき業が盛んであり、新編武蔵風土記稿にも、各村の項でそのことが述べられている。<br />この歌碑は、天保14年(1843)6月晦日、幕府の命により、地すき紙を献上した時の喜びの記念碑である。<br /> 碑文の上部に、永(永続連、同業組合の印)の題字があり、「水無月のつこもりの日公より岳のすき立仰付られる時」という前書きが続く。歌は「すきかえしせさするわさは田をつくるひなの賎らにあにしかめやも」「天保十あまり四とせ癸卯四角斉丸勇」と刻まれている。<br /> 紙すきが、稲作にも劣らない仕事であるという自讃の歌である。台座石に二十一軒の問屋石が記されている。<br /> 荒川放水路開削のため、この碑は、大正6年に移転し、再建された。<br /> 足立の紙すきを物語る貴重な資料である。(足立区教育委員会)

    紙すき碑

    足立区は、江戸時代から、紙すき業が盛んであり、新編武蔵風土記稿にも、各村の項でそのことが述べられている。
    この歌碑は、天保14年(1843)6月晦日、幕府の命により、地すき紙を献上した時の喜びの記念碑である。
    碑文の上部に、永(永続連、同業組合の印)の題字があり、「水無月のつこもりの日公より岳のすき立仰付られる時」という前書きが続く。歌は「すきかえしせさするわさは田をつくるひなの賎らにあにしかめやも」「天保十あまり四とせ癸卯四角斉丸勇」と刻まれている。
    紙すきが、稲作にも劣らない仕事であるという自讃の歌である。台座石に二十一軒の問屋石が記されている。
    荒川放水路開削のため、この碑は、大正6年に移転し、再建された。
    足立の紙すきを物語る貴重な資料である。(足立区教育委員会)

  • 布袋尊

    布袋尊

  • 富士塚<br /><br />富士塚は文政7年(1824)築造。最近木花開耶姫命。現在地に移築される以前は、町の西北(元宿)川田耕地に、氷川社、稲荷社、浅間社が同じ境内に鎮座していた。 明治44年荒川放水路開削工事開始に伴い、大正5年5月、現在地よりやや西側に移築された。その後、東京都の水道幹線工事のため、昭和43年6月現在地に移築復元され、今日に至っている。<br /> 塚は、富士山の溶岩を積み上げ、固めて築造され、高さ3mである。<br /> 山頂に、天保2年(1831)銘の石祠が安置されている。塔碑が多く、最古の碑は、文政7年(1824)のもので丸藤惣同行富士33度大願成就とある。<br />この講社は、高田(早稲田)の身禄同行の枝講で、講名を、丸藤千住13夜同行と呼ぶ。講中は、千住5丁目と、千住大川町全域に及び、かつては、対岸の埼玉県を含む広範囲な地域の農民中心の講社であった。<br /> 毎年7月1日祭礼が行われる。

    富士塚

    富士塚は文政7年(1824)築造。最近木花開耶姫命。現在地に移築される以前は、町の西北(元宿)川田耕地に、氷川社、稲荷社、浅間社が同じ境内に鎮座していた。 明治44年荒川放水路開削工事開始に伴い、大正5年5月、現在地よりやや西側に移築された。その後、東京都の水道幹線工事のため、昭和43年6月現在地に移築復元され、今日に至っている。
    塚は、富士山の溶岩を積み上げ、固めて築造され、高さ3mである。
    山頂に、天保2年(1831)銘の石祠が安置されている。塔碑が多く、最古の碑は、文政7年(1824)のもので丸藤惣同行富士33度大願成就とある。
    この講社は、高田(早稲田)の身禄同行の枝講で、講名を、丸藤千住13夜同行と呼ぶ。講中は、千住5丁目と、千住大川町全域に及び、かつては、対岸の埼玉県を含む広範囲な地域の農民中心の講社であった。
    毎年7月1日祭礼が行われる。

  • 富士登山します。

    富士登山します。

  • 富士山頂上からの景色です。

    富士山頂上からの景色です。

  • 元宿神社に向かう途中の公園では、七福神巡りの団体の人たちが休憩していました。ここはトイレもあるので、休憩にはいい場所です。

    元宿神社に向かう途中の公園では、七福神巡りの団体の人たちが休憩していました。ここはトイレもあるので、休憩にはいい場所です。

  • タカラ湯を通過。<br />千住界隈は銭湯が多いです。<br />銭湯巡りもいいですね。

    タカラ湯を通過。
    千住界隈は銭湯が多いです。
    銭湯巡りもいいですね。

  • タカラ湯の煙突から煙が出ています。<br />下町の風景。

    タカラ湯の煙突から煙が出ています。
    下町の風景。

  • 元宿神社に着きました。<br />

    元宿神社に着きました。

  • 帝京科学大学千住キャンパスの建物の隣にあります。<br />裏には高層のアパートが見えます。、

    帝京科学大学千住キャンパスの建物の隣にあります。
    裏には高層のアパートが見えます。、

  • 寿老人

    寿老人

  • 三峰神社

    三峰神社

  • 桜土手<br /><br /> 千住地内、東・関屋・仲・河原・宮元・緑・龍田・元・桜木の各町の町界を通る都道補助一一九号線は、元和二年(1616)石出掃部亮吉胤が築いた荒川水除堤(掃部堤)と熊谷堤と呼ばれた旧来の荒川堤である。この堤防に明治の中ごろ桜が植えられてより、大正末期まで桜土手の愛称をもって親しまれ、春らんまんの桜並木は多くの花見客を呼んだ。しかし、関東大震災後は衰微の一途を辿り、やがてその景観は見られなくなった。昭和六年(1931)一月一日千住町字名地番の整理に際し、千住本町の堤外西耕地を千住桜木町と名付けて盛時を記念した。<br /> いま、地元区民の熱望により、この地に桜並木を復原し、往時の風情を伝えるものである。<br /> 昭和六十年三月<br />

    桜土手

     千住地内、東・関屋・仲・河原・宮元・緑・龍田・元・桜木の各町の町界を通る都道補助一一九号線は、元和二年(1616)石出掃部亮吉胤が築いた荒川水除堤(掃部堤)と熊谷堤と呼ばれた旧来の荒川堤である。この堤防に明治の中ごろ桜が植えられてより、大正末期まで桜土手の愛称をもって親しまれ、春らんまんの桜並木は多くの花見客を呼んだ。しかし、関東大震災後は衰微の一途を辿り、やがてその景観は見られなくなった。昭和六年(1931)一月一日千住町字名地番の整理に際し、千住本町の堤外西耕地を千住桜木町と名付けて盛時を記念した。
     いま、地元区民の熱望により、この地に桜並木を復原し、往時の風情を伝えるものである。
     昭和六十年三月

  • 墨堤通りに出ると、何とも言えぬ味わいの喫茶店。<br />店の名前も、モカ。いいですねえ。

    墨堤通りに出ると、何とも言えぬ味わいの喫茶店。
    店の名前も、モカ。いいですねえ。

  • 全国のレトルトカレーを売っている店がありました。

    全国のレトルトカレーを売っている店がありました。

  • 千住神社に到着。

    千住神社に到着。

  • 延長4年(926)に創建された千崎稲荷神社と、弘安2年(1279)に創建された氷川神社が明治6年に合祀された西森神社を起源とします。

    延長4年(926)に創建された千崎稲荷神社と、弘安2年(1279)に創建された氷川神社が明治6年に合祀された西森神社を起源とします。

  • 富士塚<br />普段は崩れやすいので登れないようです。

    富士塚
    普段は崩れやすいので登れないようです。

  • 富士塚の山頂を眺めます。梅の花が咲いています。

    富士塚の山頂を眺めます。梅の花が咲いています。

  • 二之宮大神輿

    二之宮大神輿

  • 一之宮大神輿

    一之宮大神輿

  • 恵比寿神社

    恵比寿神社

  • 恵比寿天にお参りしています。

    恵比寿天にお参りしています。

  • 願かけの方法が書いてあります。

    願かけの方法が書いてあります。

  • 何とも和やかなお顔。

    何とも和やかなお顔。

  • 八幡神社<br />源義家が奥州征伐に赴く際、渡裸川の渡し場に白幡を立て戦勝祈願をし、その白幡が名称の起源となり祀られることになったといいます。

    八幡神社
    源義家が奥州征伐に赴く際、渡裸川の渡し場に白幡を立て戦勝祈願をし、その白幡が名称の起源となり祀られることになったといいます。

  • 毘沙門天

    毘沙門天

  • 稲荷神社に来ました。<br />明治維新後は千住町中組堤外西耕地の村社、現在は東京都中央卸売市場足立市場(やっちゃば)の鎮守です。<br />

    稲荷神社に来ました。
    明治維新後は千住町中組堤外西耕地の村社、現在は東京都中央卸売市場足立市場(やっちゃば)の鎮守です。

  • 天水槽<br /><br />水槽は鋳鉄製で高さ85cm直径98cm上部の円周281cm下部の円周262.5cmでやや下へつぼまり上部に幅6cm厚さ6cmの縁取りがある。<br /> 千住の青物問屋街は戦前「千住のヤッチャ」と呼ばれ東京の北門市場としてその名を馳せていた。<br /> 嘉永3年(1850)の水槽は千住で熱心に行われていた成田講千住総講中傘下の一派御乎長講による寄進である。水槽には青物問屋等の講員名が記名されている。右水槽29名左水槽21名(重複除く)総計50名。鋳造工らしき物2名、書は徹齋である。<br /> 御乎長講の遺物として大幟が現存している。<br />いつの日か掲揚する。<br />

    天水槽

    水槽は鋳鉄製で高さ85cm直径98cm上部の円周281cm下部の円周262.5cmでやや下へつぼまり上部に幅6cm厚さ6cmの縁取りがある。
    千住の青物問屋街は戦前「千住のヤッチャ」と呼ばれ東京の北門市場としてその名を馳せていた。
    嘉永3年(1850)の水槽は千住で熱心に行われていた成田講千住総講中傘下の一派御乎長講による寄進である。水槽には青物問屋等の講員名が記名されている。右水槽29名左水槽21名(重複除く)総計50名。鋳造工らしき物2名、書は徹齋である。
    御乎長講の遺物として大幟が現存している。
    いつの日か掲揚する。

  • 狛犬<br /> 狛犬は高麗犬とも書くコマというのは異国を意味しているので高麗の字を宛てたようである。<br />狛犬は石などで造り御殿や神社の前に据え置くもの、鬼魅を避けるためといふ。起源については種々の説があって一定しない。<br />一般に狛犬を唐獅子と言ったりするように、本来は獅子ではないかと思われる節がある。<br />当神社の狛犬は足立区内最大の狛犬で自然石を組み上げた上に鎮座させている阿吽の一対。口を開けている方が阿で雄という口を閉じているのが雌。<br />何でも大きなものが好きな「やっちゃ場」の旦那衆が造りあげたものである。<br />残念ながら石工は疎か献納者の名も刻んでいない。良く似た兄弟狛犬がある。<br />浅草寺隣り三社祭で知られる浅草神社の狛犬。<br />台座の石組みもそっくり同じ手法でダイナミックなノミ捌きも同じ石工の作としか思えない。<br />皆様も是非浅草神社でご覧下さい

    狛犬
     狛犬は高麗犬とも書くコマというのは異国を意味しているので高麗の字を宛てたようである。
    狛犬は石などで造り御殿や神社の前に据え置くもの、鬼魅を避けるためといふ。起源については種々の説があって一定しない。
    一般に狛犬を唐獅子と言ったりするように、本来は獅子ではないかと思われる節がある。
    当神社の狛犬は足立区内最大の狛犬で自然石を組み上げた上に鎮座させている阿吽の一対。口を開けている方が阿で雄という口を閉じているのが雌。
    何でも大きなものが好きな「やっちゃ場」の旦那衆が造りあげたものである。
    残念ながら石工は疎か献納者の名も刻んでいない。良く似た兄弟狛犬がある。
    浅草寺隣り三社祭で知られる浅草神社の狛犬。
    台座の石組みもそっくり同じ手法でダイナミックなノミ捌きも同じ石工の作としか思えない。
    皆様も是非浅草神社でご覧下さい

  • 千住市場創立三百三十年碑

    千住市場創立三百三十年碑

  • 句碑<br /> 誓いての 後のたのみや 夏木立<br /><br />揮毫は元掃部宿対嶋薬局のご隠居さんで、雅号は冨雪。<br />やっちゃ場の問屋四十三軒の人々が檜樹を奉納した記念に建立した。どうして奉納したかは定かでなく、俳句の作者も不明である。<br />どなたかご存知の方は当神社へお知らせ下さい』<br />

    句碑
     誓いての 後のたのみや 夏木立

    揮毫は元掃部宿対嶋薬局のご隠居さんで、雅号は冨雪。
    やっちゃ場の問屋四十三軒の人々が檜樹を奉納した記念に建立した。どうして奉納したかは定かでなく、俳句の作者も不明である。
    どなたかご存知の方は当神社へお知らせ下さい』

  • 福禄寿

    福禄寿

  • 金銅装神輿(千貫神輿)<br /> 足立区登録文化財<br /> 金銅の金具で一面に装飾された木造漆塗の大型神輿である。屋蓋は照り起り露盤上に鳳凰が据えられ、降棟の先端は円形の蕨手となり頂に飛燕がついている。胴部の前と左右面の中央には浮彫りになった登龍立浪の打出金物が飾られている。基部上は玉垣を巡らし四隅に高欄、中央に鳥居がついている。基部の後方右側に「明治未四年五月吉祥日」と制作年代を示す陰刻銘がある。明治初期の作品だが江戸神輿の形式を受けつぎ細工や装飾も見事で美しい総高二三八・五センチ胴部高一二三・○センチと大きく通称千貫神輿と呼ばれているが実際の重量は四百五十貫でありこの大袈裟な通称はむしろその豪壮な装飾から生じたのであろう。<br /> 九月十四・十五日は千住の祭りである。稲荷神社は千住の中心河原町の市場の鎮守なので、神輿は宮を出て市場内に入り町内を渡御するのが大祭の慣わしとなっている。河原稲荷の祭礼では昔はやっちゃ場の各問屋に力自慢の若衆が大勢いたので二天で担いだ神輿である。

    金銅装神輿(千貫神輿)
     足立区登録文化財
     金銅の金具で一面に装飾された木造漆塗の大型神輿である。屋蓋は照り起り露盤上に鳳凰が据えられ、降棟の先端は円形の蕨手となり頂に飛燕がついている。胴部の前と左右面の中央には浮彫りになった登龍立浪の打出金物が飾られている。基部上は玉垣を巡らし四隅に高欄、中央に鳥居がついている。基部の後方右側に「明治未四年五月吉祥日」と制作年代を示す陰刻銘がある。明治初期の作品だが江戸神輿の形式を受けつぎ細工や装飾も見事で美しい総高二三八・五センチ胴部高一二三・○センチと大きく通称千貫神輿と呼ばれているが実際の重量は四百五十貫でありこの大袈裟な通称はむしろその豪壮な装飾から生じたのであろう。
     九月十四・十五日は千住の祭りである。稲荷神社は千住の中心河原町の市場の鎮守なので、神輿は宮を出て市場内に入り町内を渡御するのが大祭の慣わしとなっている。河原稲荷の祭礼では昔はやっちゃ場の各問屋に力自慢の若衆が大勢いたので二天で担いだ神輿である。

  • 6番目の稲荷神社をお参りしたら、お昼前です。<br />昼食にします。

    6番目の稲荷神社をお参りしたら、お昼前です。
    昼食にします。

  • 稲荷神社近くの竹やぶで、蕎麦をいただきます。<br />こちらは久しぶりの訪問です。

    稲荷神社近くの竹やぶで、蕎麦をいただきます。
    こちらは久しぶりの訪問です。

  • おつまみが出てきました。

    おつまみが出てきました。

  • 鴨葱をいただきました。<br /><br />鴨肉をソテーしたもの。<br />厚みのある鴨肉です。

    鴨葱をいただきました。

    鴨肉をソテーしたもの。
    厚みのある鴨肉です。

  • 蕎麦。今日は栃木の蕎麦粉を使っているそうです。

    蕎麦。今日は栃木の蕎麦粉を使っているそうです。

  • 鴨肉の出汁で蕎麦をいただきます。<br />くどくなく、いい味わいです。

    鴨肉の出汁で蕎麦をいただきます。
    くどくなく、いい味わいです。

  • デザートの塩プリン。

    デザートの塩プリン。

  • 蕎麦を味わい、いよいよ七福神巡りの最後に移動します。

    蕎麦を味わい、いよいよ七福神巡りの最後に移動します。

  • 源長寺えを通過。<br />慶長15年(1610)の創建です。

    源長寺えを通過。
    慶長15年(1610)の創建です。

  • 仲町氷川神社に到着。<br />牛田にあった氷川神社を元和2年(1616)当地へ遷座したといい、牛田には延喜年間(901~23年)から鎮座していたと言われています。

    仲町氷川神社に到着。
    牛田にあった氷川神社を元和2年(1616)当地へ遷座したといい、牛田には延喜年間(901~23年)から鎮座していたと言われています。

  • 弁財天

    弁財天

  • こちらで七福神巡り完了です。

    こちらで七福神巡り完了です。

  • 関屋天満宮<br />仲町氷川神社境内にあります。

    関屋天満宮
    仲町氷川神社境内にあります。

  • 各神社で購入した七福神のご神体です。<br />とても可愛らしいお顔つきです。

    各神社で購入した七福神のご神体です。
    とても可愛らしいお顔つきです。

  • 千寿七福神巡りのパンフレット

    千寿七福神巡りのパンフレット

  • 今年の七福神巡りも無事に終了しました。<br />今年が良い年でありますように。

    今年の七福神巡りも無事に終了しました。
    今年が良い年でありますように。

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