2016/11/23 - 2016/11/25
93位(同エリア909件中)
ottoさん
半世紀前に合併した100万都市・北九州市
数年前、下関の「春帆楼」から対岸の門司を眺めて いつか関門海峡を渡って訪ねてみたいと思っていました。
門司港駅へは鉄路を使って下関からすぐかと思っていたところ、新幹線が停まらないので小倉で乗り換えて、小倉からはJRで門司港に行くのだと知って先ずは小倉に立ち寄ってみました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JR特急 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- JTB
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-
9:18 新大阪発の新幹線さくらで 12:04に小倉へ着く予定です。
4時間ほど小倉市内を観光します。ジパングののんびり旅です。 -
途中福山駅を通過して昔、ホームからもチラと見える福山城を思い出しました。
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あの時は鞆の浦へ行った帰りでした。桜が5分咲きでした。
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博多までの通し切符で移動します。
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小倉で途中下車観光しようとおもっています。
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ビルの高さがぐんと低くなってきて青空が見えます。
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楽しみにしていた新大阪で買った柿の葉寿司を開きました。
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大変美味しかったですよ。
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小倉駅に着きました。
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初めて降りるような感じです。
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すっかり新しくなっています。
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あのビルも新しそう。。
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小倉の町を見学するにはどこから始めましょうか?
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小倉の「祇園太鼓」ですね。400年余も民衆の祭りとして続いてきました。
昔小倉夏祭りの夜に宿近くの八坂神社で本物の太鼓演奏を聞きました。
感動はいまも胸に鮮やかです。 -
観光案内所でいろいろと教わりました。
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地図もゲットして いざ!
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橋の向こうに新幹線とJRが走っているでしょう?
長崎街道の道筋 常盤橋(木の橋)も見えます。
外来文化の通路、将軍への献上象もこの街道を通った
のです。 -
小倉城にやってきました。
帰りのバスの時刻表を確認しておきます。 -
1837年の火災発生、再建後も戦場となったり、第2次大戦後は米軍接収されるなど
有為転変の歴史を辿りました。 -
西ノ口の門があった跡
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石垣は切石を使わない野面積みです。
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1602年(慶長7)細川忠興が創建した小倉城は (巌流島決闘の5年前)
全国唯一の唐造りと言われる名城ですが昭和34年に再建されました。
4階と5階の間に破風がなく5階のほうが4階より大きいという造りです。 -
1632年 細川氏が熊本に移封後 親戚筋の小笠原家の居城となりました。
忠興が文芸にも秀で商業振興に力を尽くしたおかげで発展した小倉はその後も
長崎街道や舟運で交易の要衝となりました。 -
近代の師団司令部にもなりました。
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駐屯地跡
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立派な筆塚も残ってています。
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どこから見ても美しい眺めです。
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小倉城、小倉庭園、松本清張記念館のセット券は¥700です。
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何で虎なのかという疑問は解けました。
改築の折に寅年だったと言うのです。
これは雌で雄は何処かに隠れていました。 -
場内の展示はなかなか面白く興味深く見て回りました。
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「珪化木」って知りませんでしたね。
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「小倉城」のレトロな額。
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城内にはいります。
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細川忠興……名君だったかもしれませんが秀吉・光秀の呼び出しに抗して
非業の死を遂げたガラシャ夫人には果たしていい夫と言えたのでしょうか?
後に供養塔を建てたとは聞きますが...。 -
1632年 細川氏が熊本に移封後 親戚筋の小笠原家の居城となりました。
234年間の治世を誇る江戸時代きっての大名と言えます。 -
領地の支配は小笠原に変わりましたが貿易が盛んで外国の事情にも触れて
藩は経済的に潤い文化の華が開きました。
……… -
朱印船貿易も盛んに行われたのですね。
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キリスト教が広まりました。
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小笠原流礼法の祖としても名声を確立しました。
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寛文5年(1665)小笠原初代藩主忠真が創建し後の藩主が寺領を移築拡大しました。
長州戦争で一部焼失したものの知行も増えて一大法屈となり歴代藩主が眠る
黄檗宗の大寺院です。開山は中国の禅僧、本尊は釈迦如来です。この指定史跡の
寺宝には北九州市の指定文化財の宗教画織物があります。(駅から2分) -
いまも小倉繁栄のシンボルであり続ける城のジオラマ
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舟運がもたらす物資の交易で賑わった雰囲気が伝わります。
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帆に鮮やかな十字のマーク
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雄のトラ発見!
リアルな雌雄の虎のポスターが掲示されていました。 -
戦略的にも重要な地域だったのでグループの城がびっしりと配置されています。
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美しいフォルムで力強い小倉太鼓
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鬨の声が聞こえてきそうな造りです。
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大名籠へどうぞ!
と言われて入ってみました。 -
狭いので長距離を移動するのはさぞ疲れるだろうと察せられます。
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シャッチョコダチ!
下からは窺い知れない眼の鋭さ。 -
巌流島の経緯が記されています。
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小次郎の長い太刀
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生涯無敗の武蔵が知略を以って決戦に赴きました。
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天守閣から見た北方向には「リバーウオーク北九州」がモダンな文化拠点を形成していて
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視線を東の方角に転じれば小倉駅は右斜め前方の方角になります。
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西の方角には若松区方面の近代的な建物が林立しています。
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南も同様に区役所などビルラッシュですが正面緑の木立の中に「松本清張記念館」
があります。 -
城外へ出て右手方向に進んで「松本清張記念館」を目指します。
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大手門跡を出るとすぐです。
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外観は清張さんの人柄そのままに落ち着いた建物ですね。
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千余の蔵書がすっきりとレイアウトされていてビックリです。
多方面にわたる社会派作家として社会に様々な問題提起を投げかけた巨人です。 -
在りし日の書斎です。
清張は北九州に生まれ半生を北九州で暮らしたそうです。
芥川賞受賞作「或る『小倉日記』伝」や自伝的小説「半生の記」
に当時の様子が描かれています。 -
再び城の方へ戻りつつ「天守閣」を見上げると
上層階が張り出しているのがよく見えます。 -
城の左手の坂を下って来て次に向かうのは道の手前に建つお屋敷です。
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新旧の建物。右手が北です。
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東へ向きを変えると「小倉城庭園」が目に入ります。
愛称「小笠原会館」と呼ばれています。 -
折しも紅葉が色づいて...
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池を巡ってみました。
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池の面がかなり周囲よりかなり低いので「のぞき池」となっていますb。
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日本の伝統的建築様式「書院造り」の本格的建物です。
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四季折々の草花が風情を醸す池泉回遊式の庭園は見事です。
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赤い実は万両かと...
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池越しにお城が望めます。
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茶事を終えた人達でしょう。
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特別仕様の雨戸をくる様子
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礼に始まり礼に終わる...思いやり、もてなしの心を育むに相応しい環境を
維持管理されています。 -
もてなされた客人は優雅な刻を過ごしたことでしょう。
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座敷の軒先から見晴るかす天守閣。
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隅々にまで清潔さが行き届いています。
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唐風の造り
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茶会や催し物に利用される体験ゾーン
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ガラリ戸は風を通し雨を防ぐのに持って来いの装置。
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広縁の一部が池に張り出す「懸け造り」になっていて縁先から眼下に広がる庭が
よく眺められます。 -
細川時代には家老の屋敷、小笠原時代には藩主の下屋敷でした。
現在は江戸時代の大名の庭園と武家屋敷の書院を再現し日本でも稀な本膳料理が
味わえる伝統的生活文化が体験できる施設です。 -
もう一度天守閣の方を眺めました。
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和室、書院室には水屋、取次の間などが備わっています。
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見学を終えて外に出ますと「八坂神社」があります。
忠興が1617年に祇園社を鋳物師町に祀りました。明治時代に「八坂神社」と改名し
昭和8年に現在地に移築されました。眼病祈願の石造鐙簸や鳥居は県の指定文化財。 -
海岸線を含んで約8kmに亘る外堀の一角に面して建つ施設が「リバーウォーク」。
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一大文化・芸術・情報発信の総合施設が建ち並びます。
茶は大地、黒は日本瓦、白は漆喰、黄は稲穂を表しているそうです。 -
内部のホールでは演奏会が始まっていました。
映画館、劇場あり、グルメやショッピングが楽しめます。 -
「北九州市立美術館分館」や「森鴎外旧居」その他
時間の関係で次回の訪問に取っておきます。 -
夕刻、小倉駅から数分で行ける門司駅に急ぎました。
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