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岡崎城址と松坂城址

岡崎城址と松坂城址

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2016/11/07 - 2016/11/08

366位(同エリア747件中)

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Wind99

Wind99さん

岡崎城址と松坂城址

旅行の満足度
4.0

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  • 愛知県岡崎市に来た。<br /><br />徳川家康の誕生地。<br /><br />愛知環状鉄道線・中岡崎駅から少し歩いて、八丁蔵通りに入る。<br /><br /> 

    愛知県岡崎市に来た。

    徳川家康の誕生地。

    愛知環状鉄道線・中岡崎駅から少し歩いて、八丁蔵通りに入る。

     

  • ここは日本に2つしかない、八丁味噌の製造蔵があるところ。

    ここは日本に2つしかない、八丁味噌の製造蔵があるところ。

  • 家康が天下を取れたのは、その長寿にも起因するが、長寿を支えた1つにこの八丁味噌のあるといのを、先日放映された歴史番組で知った。

    家康が天下を取れたのは、その長寿にも起因するが、長寿を支えた1つにこの八丁味噌のあるといのを、先日放映された歴史番組で知った。

  • ここは東海道と矢作川と岡崎城に挟まれた一角にある。<br /><br />観光見学用の大型バスで見学に訪れた。<br /><br />見学は事前に申し込みすれば無料でできるという。

    ここは東海道と矢作川と岡崎城に挟まれた一角にある。

    観光見学用の大型バスで見学に訪れた。

    見学は事前に申し込みすれば無料でできるという。

  • 堀と思ったら、伊賀川を渡り、岡崎城に入る。

    堀と思ったら、伊賀川を渡り、岡崎城に入る。

  • 長い城壁を廻ると・・

    長い城壁を廻ると・・

  • 展示館の三河武士のやかた・家康館だった。<br /><br />各種武具や武器を手に持って、重さを実感できた。

    展示館の三河武士のやかた・家康館だった。

    各種武具や武器を手に持って、重さを実感できた。

  • 本多平八郎忠勝公銅像<br /><br />徳川四天王のひとりで、豊臣秀吉に「家康に過ぎたるもの」「天下無双の勇士」と賞賛された。<br /><br />

    本多平八郎忠勝公銅像

    徳川四天王のひとりで、豊臣秀吉に「家康に過ぎたるもの」「天下無双の勇士」と賞賛された。

  • 東照公産湯の井戸<br /><br />徳川家康は、天文11年(1542)12月26日がこの岡崎城内で誕生した。

    東照公産湯の井戸

    徳川家康は、天文11年(1542)12月26日がこの岡崎城内で誕生した。

  • 昭和34年(1959)に、 鉄筋コンクリート造で天守が再建された。<br /><br />

    昭和34年(1959)に、 鉄筋コンクリート造で天守が再建された。

  • 天守閣入り口側に廻る。<br /><br />鉄筋コンクリート3層5階で、内部は歴史資料館だった。

    天守閣入り口側に廻る。

    鉄筋コンクリート3層5階で、内部は歴史資料館だった。

  • 本丸跡

    本丸跡

  • 赤い神橋<br /><br />石垣の上の松で天守が隠れて見えない。

    赤い神橋

    石垣の上の松で天守が隠れて見えない。

  • 五万石藤

    五万石藤

  • 駅へ戻る道のマンホールのデザインは、岡崎城と五万石船だ。

    駅へ戻る道のマンホールのデザインは、岡崎城と五万石船だ。

  • 名古屋経由で、三重県松阪市に来た。<br /><br />松阪駅から松阪城まで歩くと、三井家発祥地の看板があった。<br /><br /><br /><br />

    名古屋経由で、三重県松阪市に来た。

    松阪駅から松阪城まで歩くと、三井家発祥地の看板があった。



  • 三井高利は1622年この地で誕生し、金融業で資本を蓄え、52歳で江戸・京に進出し大成功を収めた。

    三井高利は1622年この地で誕生し、金融業で資本を蓄え、52歳で江戸・京に進出し大成功を収めた。

  • そしてその道の先には、松阪商人の館があった。<br />

    そしてその道の先には、松阪商人の館があった。

  • 旧小津清右ヱ門家住宅だ。

    旧小津清右ヱ門家住宅だ。

  • そして道を挟んで、特別史跡 本居宣長宅跡があった。<br /><br />建物は、松坂城跡の現在地に移築され、本居宣長記念館によって管理されている。

    そして道を挟んで、特別史跡 本居宣長宅跡があった。

    建物は、松坂城跡の現在地に移築され、本居宣長記念館によって管理されている。

  • 旧長谷川邸(重文)<br /><br />この邸宅は、江戸時代の木綿問屋「丹波屋」で当時の松阪商人の隆盛ぶりが伺える。<br />

    旧長谷川邸(重文)

    この邸宅は、江戸時代の木綿問屋「丹波屋」で当時の松阪商人の隆盛ぶりが伺える。

  • 松坂城跡・表門跡から入る。<br /><br />1588年、蒲生氏郷により築城された。

    松坂城跡・表門跡から入る。

    1588年、蒲生氏郷により築城された。

  • 松坂城跡の碑には、蒲生氏郷公開府とある。

    松坂城跡の碑には、蒲生氏郷公開府とある。

  • 市立歴史民俗資料館は展示替えのため、休館中だった。

    市立歴史民俗資料館は展示替えのため、休館中だった。

  • 助左衛門御門跡

    助左衛門御門跡

  • 金の間櫓跡

    金の間櫓跡

  • 最も高い場所の天守閣跡<br /><br />天守閣はない。

    最も高い場所の天守閣跡

    天守閣はない。

  • 本丸跡<br /><br />

    本丸跡

  • 桜松閣(おうしょうかく)<br /><br />さらに本居宣長記念館と宣長の旧宅 鈴屋があった。

    桜松閣(おうしょうかく)

    さらに本居宣長記念館と宣長の旧宅 鈴屋があった。

  • 御城番屋敷<br /><br />松坂城跡の高台から見下ろすと、観光ポスターでよく見る景色があった。

    御城番屋敷

    松坂城跡の高台から見下ろすと、観光ポスターでよく見る景色があった。

  • ここは、江戸時代末期の武士の住宅。<br /><br />松坂御城番が居住した現存する組屋敷遺構である。

    ここは、江戸時代末期の武士の住宅。

    松坂御城番が居住した現存する組屋敷遺構である。

  • 建物を取り囲む槙の生垣が美しい。

    建物を取り囲む槙の生垣が美しい。

  • 御城番屋敷の手前の1つは、内部が公開されていた。

    御城番屋敷の手前の1つは、内部が公開されていた。

  • 蔵も整備されていた。

    蔵も整備されていた。

  • 御城番屋敷から城の石垣を見上げる。

    御城番屋敷から城の石垣を見上げる。

  • 石垣を最後に見上げて、松阪駅に向かう。

    石垣を最後に見上げて、松阪駅に向かう。

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