2016/09/28 - 2016/10/01
1047位(同エリア2536件中)
まりも母さん
一番早い紅葉を見に北海道へ 4日目 小樽のレトロ建築を見まくる 前半
http://4travel.jp/travelogue/11186470
の続き、最終日の後半です。
引き続き、下調べしてきた、小樽のレトロ建築を時間の許す限り、見まくります。
小樽には、調べてきた以上にレトロな建物が多く、ひとつひとつをじっくり見る余裕がないほどです。
食べ物や買い物も人気の観光地ですが、ヘリテージングが好きな私は、
そんな「おばちゃんの好きな事」を押さえ込んで、
歴史的建造物を見て、萌える、一日を過ごすのでありました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- JRローカル 徒歩 ジェットスター
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
旧国鉄手宮線跡地
明治13年(1880)に南小樽~手宮間が、北海道で最初の鉄道 幌内鉄道(貨物)の一部として、開通。昭和60年(1985)に廃線となりました。
平成13年(2001)に真ん中あたりの510mの用地を市で取得し、オープンスペースとしてイベントなどに使っています。
中央通~手宮駅間の1160mは平成18年(2006)に市の取得区間となりましたが、こちらは未整備のままです。(残り、南小樽からの分は、JR所有)
軌道がそのまま残され、普段は、散策路として利用されています。(整備区間の線路脇には、遊歩道があります。) -
株式会社新宮商行
“金融資料館”の向かいを小樽駅方面に少し進んだ所で見つけた建物です。
シャッターに会社名が書かれています。
社名看板や建物のエントランスに、レトロ感を感じました。
調べてみると、木材製品の製造販売や木材加工機械、薪ストーブなどを扱っている会社でした。
設立は明治39年(1906)ですから、歴史のある会社ですね。 -
入り口のある建物脇には 煉瓦積みの煙突があり、付属した脇の建物には、小屋のようなものが、入り口(?)にはまっておりますが、これはなんでしょうかね??
低い、煉瓦タイルの張られた塀がまた、いい感じです。
詳細不明の建物ながら、まりも母のレトロ建物アンテナにピピッと来た気になる建物なのでありました。 -
そのまま進み、次の目的の建物へ。
カフェバーカナル(旧向井呉服店支店倉庫) 明治40(1907)
呉服店の倉庫として建てられた 小樽では数少ない、煉瓦造の倉庫です。
防火の為、窓の内側に土塗りの防火扉もあるそうです。
現在はカフェバー店舗として使われています。
食べログでチェックしてみましたが、残念ながら、内部はすっかり改装されていて、古い倉庫感は全く無いようでした。 -
もう少し進むと、左側がアーケードに。“都通り商店街”です。
ここに入り少し進んだ先に、
December3(旧丸ヨ白方支店) 明治末期~昭和6年(1931)(倉庫が明治末期・店舗が昭和6年)
積丹郡余別村(現積丹町)で創業した酒醸造店「丸ヨ白方」の支店
木造タイル張りの店舗兼住宅と木骨石造の倉庫となっています。
アーケードが邪魔で、ちょっと写真が撮り難かったのですが、
小樽では珍しい擬洋風の建物です。 -
なかなか素敵な建物です。
輸入雑貨のお店が営業しています。 -
アーケードを進むと こんな喫茶店が。
“喫茶 光” 昭和8年(1933)創業の小樽の老舗喫茶店とか。
ダンナ ここで、「昔、ここに入った事がある」と。なんでも高校生~大学生時代、なんども北海道に一人旅していた頃(昭和な青春してたんだなぁ~ダンナ)来た事があるのだそう。
その頃とほとんど変わっていないらしいですが、
入り口に 「撮影禁止」そして「見学のみの方ご遠慮下さい」とか書いてあります~。
レトロをネタ(?)に旅行記 書いてる まりも母には、残念なお店・・・。
ダンナに「入る?」と聞いたら、「いいよ」と これは、NOの返事だったので、スルーとなりました。
あとは、食べログの口コミで「ふむふむ」と確認した次第。 -
小樽駅へ到着!
小樽駅 昭和9年(1934) 国指定登録有形文化財
平成24年(2012)リニューアル工事完了 -
駅のホールに入ると、吹き抜けの空間に沢山のランプが下がる美しい窓が!
この装飾は、当時の駅長が「小樽の特色を出したい」と北一硝子に要望したものに昭和62年(1987)北一硝子がランプ108燈を寄贈した事に始まるそうです。
その後、改札上の窓やホームにもランプが贈られ、今は333燈あるそうです。
この窓辺のランプは、高さ40cm 笠の直径30cm。1燈1万円位のものだそう。
今日、北一硝子で販売されているランプを見て、俄然欲しくなったまりも母ですが、
駅のランプを見て、欲しい指数は更にアップ!
が、さっきお店では、色とかシェードの形とかサイズとか、「これだ!」ってのが決められなくて~~~。(なにせ、衝動的に欲しくなったので)
で、この時も、「あとで、ネットショップでじっくり決めよう~♪」・・・撃沈な訳です。 -
駅入口上のランプがね、パープル・ラピス・薄いブルーの3色で、グラデーションみたいでうっとりする位きれいなの!
改札上のランプの笠は円形ですが、こっちのは フリルになってるし。
オイルランプと言うと、ハリケーンランプ型のは 電池式のレプリカとかも見かけますが、
ホヤやシェードもガラスの繊細なものは、今は、あまり見ませんね。
レトロな感じが まりも母のアンティークやレトロデザイン好きなところに はまっちゃたですねぇ~。
私が、「すてき~」とか言って 写真撮りまくってるから、ダンナ・・・嫌な予感がしたかもよ~。(この嫌な予感は後日判明します) -
天井もきれい。
改札上のランプはホヤとか笠は透明で、オイルの入る部分が、青、アンバー、黄色、レッドなどの色ガラスの物です。 -
小樽駅を出ます。駅前通りの“中央通り”は運河の中央橋までまっすぐ。
その先に小樽湾が見えます。
まりも母、日本海をちゃんと見たのは初めてです。 -
駅からすぐそばの“三角市場”へ行きます。
ここで、海鮮丼かいくら丼が食べたいです!
時間も13時過ぎました。が・・・お腹が全然空いていません・・・。 -
三角市場にはたくさんのお店。カニも魚も加工品も!もちろんそんなお魚料理の店も。
しかし・・・中が見たくて、北一ホールででっかいパフェを食べたのが めちゃ効いてます・・・。
ダンナとシェアして食べたのに、甘い物で血糖値があがったのか、全くお腹が空いてない。
こうなると、おいしいそうな丼のメニュー写真は「こんな大盛り食べられない」な状態に・・・。
行こうと思っていたお店は、三角市場の飲食店の中でも人気らしく、列まで出来てました。
並んでいれば少しはお腹も空くかもしれないが、それは時間の無駄だし。
「いくら丼~~」あ~今は食べられそうにありましぇんでした。とほほ。 -
ダンナも全くお腹が空いていないと言うし、とりあえずこのまま町歩きを続ける事にします。
三角市場の裏口から出て、あまり、観光客の来なそうなエリアへ向かいます。
“中央市場”の近くです。
この建物も古そうです。
この形のトタン屋根は 北海道に来て 富良野あたりでも見かけました。
雪が落ちやすい形なのかな?と思います。
うろこのような壁、屋根裏部屋になるのか、一番上の窓も素敵です。 -
宿泊した“ホテルノルド小樽”の通り向かいにある運河プラザへ戻ります。
小樽市総合博物館運河館&運河プラザ(旧小樽倉庫) 明治23(1890)~27( 1894)
昨日、小樽に着いて 一番初めに入り、観光マップを頂いた場所です。
外から見ると、建物の大きさが判ります。
時間的に余裕がなく、“総合博物館運河館”には入りませんでした。
博物館の展示は、小樽市の歴史と自然環境についてだそうです。 -
昨日は、閉館間際でちょっとしか居られませんでしたので、展示は見ませんでした。
観光案内所の前にも、色々な展示物がありました。
特に小樽や北海道の古い地図が面白かったですね。
今の小樽の町並みと比べてみると、変化が判るので興味深いです。
物産プラザの方で、昨日“海猫屋”で飲んだ小樽ワインを買いました。
ナイアガラという生食用の葡萄を使った甘口のフルーティーなワイン。
いつもはこんな甘いワインは飲みませんが、北海道でしか販売されていないそうなので、
お土産です。 -
中庭スペースもあり、倉庫はロの字型になっているようです。
-
昨日食事をした“海猫屋”まで来ました。
昨夜も今も、観光客を乗せた人力車がここに寄って、お客さんにお店の説明をして写真を撮っていましたよ。
夜は薄暗くて良く見えませんでしたが、煉瓦の蔵です。
海猫屋(旧磯野商店)明治39年(1906)
人気のレストランは10月末日で閉店しました。 -
“海猫屋”の前からちょっと離れた“旧日本郵船”の建物を目指して歩きます。
もう、全然 観光客なんて歩いていませんね。
静かな小樽の町歩きになります。
4棟興味深い建物が並んでいます。
一番左側の道路に面した建物は、
vivre sa vie + mi-yyu(ビブレ サ ヴィ プラス ミーユ)
(旧早川支店 )明治38年(1905)
早川支店は 後に川又商店と店名を変更しています。茶・紙・文房具を扱う早川商店の暖簾分けから始まっているそうです。明治37年(1904)の稲穂町の大火で全焼し、再建されたのが現在の建物。
今も、ステーショナリー、雑貨、絵本などのお店と、いう所が 縁を感じさせますね。
奥に続く建物は、住居部分のようです。趣のある木造の建物が2棟。その後ろには石蔵。
いいですねぇ。裏にまで、見ごたえのある建物が続いているとは、ここに来るまで判りませんでした。 -
ビブレ サ ヴィ プラス ミーユ(旧早川支店 )表道路に面した部分。
建物左側には袖壁があります。壁は高く2階まで立ち上がるうだつ、となっています。
道路に面した部分には鶴や亀の鏝絵があり、すばらしい袖うだつです。 -
向かいには、
古道具や(旧前堀商店) 昭和初期
タイル張りの外装。木骨鉄網コンクリート造一部木骨石造。
市の解説には、
>銅鉄商「前堀商店」を営んでいた堀岡長太郎により建てられた店舗兼住宅
一部に鉄骨の使用が推察されます。と書かれています。
上の階にはKUMONの教室が入っているのでしょうかね?看板がちょっとねぇ。 -
“OLDECO”というビンテージ雑貨のお店も近くにありました。
こちらも、さほどは古くはないでしょうが、木造の元住宅の建物らしいものを使った店舗です。
このあたり、観光客の集まる境町本通りとはちがう、小樽の地元の方が行く個性的なお店が集まりつつあるエリアなのかも。 -
あんまり人も歩いていない道を進みます。
運河方面には、石造の倉庫なども見えます。
この やまに七の屋号の石蔵は、旧大家倉庫の裏側。
後で、ちゃんと表から建物を見ます。 -
田中酒造本店 昭和2年(1927)
内部は、昭和初期の様子に復元され、見学や試飲も出来る老舗造り酒屋。 -
脇道を見れば、まだまだ石蔵やレトロな建物が見つかります。
先の方には、後から乗っけたような2階のある建物。
古い港町の潮風が感じられる景色でした。 -
小樽ナトリ(旧日本郵船小樽支店残荷倉庫) 明治39年(1906)設計 佐立七次郎
平成14年(2002) 屋根と正面外壁部分改修 -
右側の入り口脇には「小樽ナトリ」の看板。
こちらの建物は、セメント・建築資材の会社が使っているそうです。 -
小樽ナトリの隣には、
旧日本郵船小樽支店 明治37年(1906)設計 佐立七次郎 国指定重要文化財
>ポーツマス条約に基づく日露の樺太国境画定会議が会議室で行われ、 会議後に貴賓室で祝盃が交わされた歴史的な史跡
今回の小樽 レトロ建築探索で、唯一の国指定重要文化財建築。
そして、建物見学が有料の施設でした。(入館大人300円)
昭和30年(1955)に小樽市の所有となり、小樽博物館として利用。修復工事後公開 -
堂々としたデザインです。
佐立七次郎は、辰野金吾、片山東熊、曽禰達蔵らと同期で、工部大学校を一期生で卒業した人物ですが、設計した建物は、ほとんど現存していません。
大きな建物は、この“旧日本郵船小樽支店”のみです。 -
早速中に入ってみます。
石造りの重厚なエントランス。
老朽化の為、昭和59年(1984)から62年(1987)まで修復工事が行われたそうです。
が、すでに修復工事から約30年。またしても老朽化が進んでしまったのか、
表玄関の小部屋には、補強にしては心もとない、木材が組まれた部分がありました。 -
1階営業室の天井が印象的です。
これまた、格式を感じる格天井。枡の中には柄のある壁紙張りでしょうか。
そして、ペンダントが変わっています。こんなの初めて見ました!
ひとつのシーリング器具から5つ程のランプが分岐されているのです。
たしかに、営業室ですから、たくさんのデスクが置かれていたはずです。
そこにペンダントが1灯では、暗くて仕事になりません。
デスクランプが置かれる場合が多かったでしょうが、
それぞれのデスクの上にランプが下がれば、より、便利だった事でしょう。
後で、解説員の方にうかがいましたが、これは、当時の様子を再現する為にあえて、設置したものだそうです。 -
一部に家具が置かれ、営業時代を思わせる復元になっています。
カウンター上の円柱がすばらしく美しいのです。 -
営業室の端にある金庫室。
分厚い扉が銀行並み。この扉の上にも木製のドア飾りがどーんとついているのです。 -
金庫室の中です。
銀行とは違って、書類が沢山入れられたようですね。
棚には、「庶務係」と墨書きがあります。 -
1階営業室を南端から見た図です。
これが、日本郵船の「小樽支店」ですからね。(本店ではない、と言う事で)
当時の小樽港の賑わい、商業都市としての重要度を見せ付けられるようです。 -
カウンターの上に建てられた円柱の上部。
アカンサスの彫刻のある コリント式オーダーの意匠です。 -
そして、解説員さんが、教えてくれた アメリカ製のシェードローラー。
同じようなチェーン式のロールスクリーンの開閉金物は、先に見た、“旧日銀小樽支店”にもありましたね。
このシェードの設置されている窓は、なんと二重ガラス!
暖房も地下にボイラー室を設けた、スチーム暖房、と寒い北海道に 最新の設備が備えられていたのです。 -
まりも母が常に注目している、大好きな洋館建築のアイテム「メダリオン」
階段室手前のつなぎの小さなスペースにもちゃんとありましたよ。 -
階段の手すりがこれまた美しい~。
擬宝珠のように先端につけられたモチーフは、アーティチョークだと思います。
擬宝珠っぽい形のものが柱のてっぺんについてるのって、どこかに「和」のセンスを感じちゃうのは、私だけかな?
ここで、ふと思いました。
ガーデンオーナメントでも良く見かけるアーティチョークですが、この飾りには何の意味があるのだろう??
アーティチョークは朝鮮アザミです。近所の農産物直売所にも植えてあるので、育つ過程も見たことがあるのですが、葉っぱが超~でかくて、ちょっとアカンサスの葉にも似ているのですよね。
古くから装飾に使われるアカンサスと間違えて、アーティチョークの実をアカンサスの実だと思って、飾り物のモチーフにした・・な~んて事はないでしょうけど、
その意味が知りたい まりも母でした。 -
階段室天井のメダリオン。
これまた ちょ~~細かくて美しい~萌える~。あー首が痛い。
ランプが、妙にこじんまりしている所が、余計メダリオンの美しさを強調しているように思います。 -
2階のお部屋を進みます。廊下にはアーチ壁。
-
そして・・・2階の貴賓室。
わぁ~なんだこの壁は!天井もすごいぞ!(でも汚れちゃってる・・・)
このお部屋は、完全復元だそうです。
床は寄木細工だからね!
お部屋暗くてよく写らなかったけど、天井の漆喰の平らな所は水色です。
汚れは・・・改修してから30年近いから、雨漏りでもしちゃったのかしら?? -
もうちょっと明るく撮ってみると、
マントルピースは、大理石だな。
壁は、「金唐革紙」張りだって。
「金唐革紙」(きんからかわかみ)って何?初めて聞いた・・・。
これは、17世紀のヨーロッパの高級な壁・天井用材の「装飾革」が元だそう。
「装飾革」は、革にデザインを型押しし箔や塗料で彩色したもので、
日本には江戸時代前期に輸入されたそう。鎖国もあり入手困難なことから和紙を代用して作られたのが「金唐革紙」
明治時代には、輸出もされていて、あの鹿鳴館の内装にも使われたと。
昭和になって、衰退し、昭和中期には製造技術も途絶えてしまいました。
昭和60年(1985)この建物の復元事業の際 復元制作が行われたのをきっかけに、その後 選定保存技術が確立できたそうです。でも、現役で製作可能なのは、1人だけらしいです。 -
2階の真ん中は大きな会議室。
これは、その天井。こちらは、漆喰がクリーム色。
楕円形の蛇腹装飾による枠飾りがすばらしい! -
シャンデリアが3基。
こちらも金唐革紙の壁。
大テーブルには椅子が36脚。
ここで、明治39年(1906)11月ポーツマス条約に基づく日露の樺太国境画定会議が行われたのです。 -
廊下に差し込む小樽晩秋の日差し。
北海道の秋は、本当に短いのですね。日が暮れるのも早い。
2階廊下の窓にもロールシェードが設置されていました。 -
壁の一部が剥がされています。
漆喰が剥がしてあるので、この建物が、石造、と言う事が見て取れます。
変な金属棒が出ているのはなんだろう?
それに、この窓の脇あたりもそうだけど、廊下の窓周りは結構漆喰が汚れていました。
これ以上痛まないうちに早く修繕されるといいのですが・・・。 -
2階の会議室の先にはもう一部屋、元食堂。
今は、「国境画定会議資料室」となっています。
国境碑(模型)があります。島国だし、本物が置いている所なんて見たことないからね。 -
食堂向かいの書籍室天井。
建物内を見て歩き、写真も撮りましたが、メダリオンはデザインがみんな異なっていました。
さすが、佐立七次郎、やはりこだわりますな。
工部大学校造家科第一期生は、有名建築家多数で、さすがでございます。 -
応接室天井。
こちらは、漆喰ではなく、落ち着いた雰囲気。
これも 金唐革紙なのでしょうね。 -
応接室の家具。
石造の建物で窓は多くありませんから、ちょっと薄暗いです。
建物内部は見終えましたので、表に出ます。 -
“旧日本郵船小樽支店”の建物の前には、広々とした空間が。
運河公園 -
前に広がる“運河公園”
建物がいくつかと噴水があるのですが、噴水は 冬は水が出ないそうで、10月はもう小樽の冬なのかもね。
公園内の建物にも
旧日本石油倉庫 大正9年(1920)
平成10年(1998)の運河公園オープンに先立ち、新しい石を用いて建て直しされています。 -
内部は石蔵の倉庫内の様子が良く判ります。
今は、休憩所に使われているようです。 -
公園を横切り、更にレトロ建物探索は続きます。
三つの倉庫が並んだ場所へ。
旧増田倉庫 明治36年(1903)
平成9年(1997)に大規模な修復工事。 -
隣に
旧広海倉庫 明治22年(1889)
2段になった屋根は、採光のための窓があるためです。
かつては、この手前まで海岸があったそうです。 -
更に隣には
旧右近倉庫 明治27年(1894)
中央のアーチ型の上に二本の斜めラインがついています。
これは、屋号なのでしょうね。「いちぜんばし」と言う印です。なるほど~1膳のお箸に見えます。
ここは、北前船の船主 10代目右近権左衛門の倉庫であるそうです。
やはり、北の海運と言えば、北前舟。関わりは大きいのでしょうね。 -
小樽運河の端です。
このあたりは、運河の幅も広く、元々の幅になっています。
散策路と道路で半分近くが埋められた、観光客の多い小樽運河と分けて、「北運河」と呼ばれる場所の北の端になります。 -
北運河に沿って、歩きます。
このあたりは幅が広いので、片側には船が係留されていました。
クルーザーもあれば漁船も。 -
あまり、お腹も空かないまま、次々と建物見物を続けてきましたが、時間はもうすぐ15時です。
さすがに、お昼を食べないと、この後は移動もあるし・・・と
小樽 GOLDSTONE (旧澁澤倉庫)明治28(1895)のPRESS CAFÉでお昼を食べる事にしました。
小樽 GOLDSTONEでは、この日「小樽音楽祭」というイベントが開催されていて、若者が沢山集まっていました。 -
PRESS CAFEの内部です。
通りに面した右側の倉庫部分がカフェレストランになっています。
3時までのランチ ギリギリの入店でした。
後で、トイレをお借りしたら、真ん中の建物の奥の方に案内されました。
真ん中の建物の左の方はPRESS CAFE店内に続いていましたが、
レストランスペースには使っていないようで、物置のような場所になっていました。 -
ランチはサラダとドリンク付。平日だとさらにデザート付きのセットらしいです。
カレーやパスタのメニューでした。
建物内部が見たくて、ここに入ったのですが、正直、古い倉庫の見どころは 余りありませんでした。
建物が見たい、という意味からはちょっと失敗だったかも。
でも、観光客の多い場所からは離れていて 店内は静かだし、歩きつかれたので、ゆっくりできました。
いくら丼は・・・食べ損ないましたが・・・。 -
旧澁澤倉庫はいくつもの石蔵倉庫の建物がつながる形になっていました。
PRESS CAFÉが使う、向かって右側の石蔵が一番古く、後に左の棟を並べて建て、最後に2棟の間に大屋根を架けてこの形になったという事です。 -
時刻は15時半を過ぎました。今夜の新千歳からの飛行機で帰宅しますので、そろそろレトロ建物探索はおしまいの時間です。
運河沿いに歩き、荷物を預けたホテルノルド小樽へ戻ります。
イカ釣り漁船が見えました。
大きな電球が沢山並んでいます。
夜、煌々と明かりを灯し、暗い中イカを釣る漁船の映像は見たことがありますが、船を間近で見たのは初めて。こんなに大きな電球を使っていたのですね。 -
運河はここから狭くなっていました。
-
大きな建物が見えます。
北海製罐株式会社小樽工場(旧北海製罐倉庫株式会社)大正10年(1921)~昭和10年(1935)
この建物は、北海製罐倉庫として設立。水産缶詰の缶を製造する工場の第3倉庫。 -
第3倉庫には、興味深いものが見えます。
右側は荷揚げ用のエレベーター。2つ見えるのは、滑り台のような装置。これは、製品を運河へ搬出するためのスパイラルシュートだそうです。
いいですねぇ。機能美と言うべきでしょうか、装飾は一切ありませんが、こういう、建物も好きです。 -
旧日本郵船小樽支店へ向かう時、裏側から見た
旧大家倉庫 明治24(1891)
屋号の「やましち」が建物の前後にデカデカとついています。
石川県出身の海産商 大家七平が建てたもので、屋号がヤマに七な訳なのですね。
入り口扉上の二重アーチが特徴の札幌軟石の倉庫です。 -
中央橋まで戻ってきました。夕暮れに近づいて 残す時間もあと少し。
運河沿いに浅草橋まで歩きます。 -
浅草橋の上から、北運河方面。
昨夕、ここを歩いた時は、もう夕暮れであたりが暗くなりかけた時間でした。
ガス燈が灯り、小樽の運河が一番きれいに見える時間だったと思います。 -
運河前の建物を見ながらホテル方面に戻ります。
共和浜ビル(旧通信電設浜ビル)昭和8年(1933)
モダンな鉄筋コンクリートの北海道初の貸しビル
1階には中華料理店“レストラン 好(ハオ)”がテナントとして入っています。
お手ごろなランチメニューもあるようでした。
このあたりは観光客が多くて、ビルのエントランスあたりにも 立ってる人がわんさか・・・
入り口あたり・・・写真が撮れませんでしたね・・・。 -
すぐ隣には、
ニトリ小樽芸術村・アールヌーボーガラス館(旧荒田商会) 昭和10年(1935)左側
ステンドグラス美術館(旧高橋倉庫)大正12年(1923)奥の石蔵
元は大豆を収める倉庫。平成元年(1989)に改修・店舗として再生。
どちらもすでに営業している美術館です。
現在改修工事中の旧三井銀行小樽支店は 日本近代絵画美術館として2017年夏オープン予定だそう。 -
アールヌーボーガラス館(旧荒田商会)
荒田商会の本店事務所だった建物です。
やはり、この建物前も観光客が多く、おば様グループが入り口前で記念撮影をしていたので、エントランスの写真は撮れませんでした。 -
ホテルに戻り、荷物をピックアップして、小樽駅まで歩きます。
新千歳空港まで、快速エアポート号で約75分 -
ホームの端には、古い駅名表示板と石原裕次郎さんの写真が。
「裕次郎ホーム」と呼ばれる4番線ホーム。
石原裕次郎さんは、子供の頃小樽で暮らしていたのだそうです。と、言う事はあの元都知事さんも??? -
小樽駅の4・5番線ホームからの乗車です。
このホームにはレトロなホーム上屋が残っているのです。
小樽駅本屋(小樽駅舎)は国指定登録有形文化財ですが、
このホームも同じく国指定登録有形文化財になっています。
鉄骨柱にはランプ型の照明。これも北一硝子製品なのですね。 -
電車は、海沿いに進みます。
私は、子供の頃、毎夏 家族と電車で伊豆や千葉の海へ出かけましたが、電車が、こんなに海の脇を通った記憶は、無いですね。記憶にある 一番海近くを通る電車は、江ノ電位。
砂浜は車窓のすぐ脇に見えるほど、海岸スレスレの場所を通る線路には 結構衝撃でした。
風の強い日や台風の日は、電車がすぐに運行中止にならないのかな??と
風ですぐ止まる、常磐線の事を考えてしまいましたよ。(今は防風壁ができましたけど、前は本当に良く止まった常磐線でした) -
新千歳空港はすごく広くて、お土産物売り場も大充実。
わざわざ旅行地で買わなくても、ここで揃っちゃいます。
観光地内の店より、スムーズに買えちゃうかも。
しかし・・・千歳空港でもジェットスターはやっぱし端っこの方でした。
そして、セキュリティーチェックの列がすごく長くて、前の便は、もう離陸時間が迫ってるというのに、大丈夫なのか???と思いましたよ。
8月でしたっけ?セキュリティーチェックをすり抜けた女性が居て、
やり直しだの、すり抜けた人が誰だったのか確認できなかったとかの騒動になったのは、ここ新千歳空港でした。
その影響か?セキュリティーチェックはかなり厳しく時間もかかる・・・。ダンナはベルトのバックルまで、金属探知機に反応して、外してやり直しさせられていましたよ。
お昼が遅くて、夕飯もお腹が空かなくて、ちゃんと食べるほどではなくなってしまいました。
で、搭乗口前のロビーで軽く食べたのは・・・ダンナが買って来てくれた、「いくらおむすび」(ローソンの) 私の北海道夢のイクラ丼は~~~ローソンのイクラおむすびかい! -
成田空港は、やっぱり帰りもタラップで降りてバスに乗ってターミナルまで。
搭乗時間は短いけど、成田は 乗るまで、降りてからが長いな・・・。
早い秋の景色をたっぷり見て、レトロ建築も見まくった。「見る」は大充実の北海道。
でも・・・北一硝子のランプ。イクラ丼。
買い物と食べ物は心残りたっぷりなのでありました。
数日後、やっぱしもう一回小樽に行きたい。買いたい。食べたい気持ちが募り・・・。
人の一念、案外あっさり~、と言う訳で、12月初旬にはもう一回小樽へ行くことになりましたー!
さぁ、今回の旅行記はこれでおしまいです。が。12月 今度はどんな小樽旅になるでしょう。楽しみです。
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