2016/11/01 - 2016/11/01
156位(同エリア248件中)
ジバゴさん
柏崎 木村茶道美術館 2016年後期 風炉・釜展
第二展示室 全21点の風炉・釜展です。
- 旅行の満足度
- 5.0
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1、不白好風炉釜 堀浄親 作
大日本御釜師 10世 堀政五郎 作。 昭和30年秋造とあります。 -
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2、菊桐文風炉釜 原益夫 作 昭和和9年~。
原益夫氏は柏崎市大久保生まれで、地元鋳造師原一族の一人です。 日展を中心に活動を行い、茶道具・梵鐘・モニュメント製作等幅広い活動を行っています。 -
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3、南蛮船風炉釜 原益夫 作
南蛮船の形を模した風炉を唐金で鋳出し船尾には南蛮人を2入配してあり、船底に波があたっている様子にしています。釜は帆を広げた南蛮船の図柄を鋳出した大変めずらしい風炉と釜です。 -
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4.斑紫銅風炉
制作者・年代は不明ですが、斑紫銅の作であることから、柏崎で作られたものと思われます。 -
5、古銅前切風炉
風炉とは、現在は5月から10月の間の夏から秋に釜をかけ湯を沸かす道具であり、真は土風炉、行は唐金風炉、草は鉄風炉・板風炉・陶磁製の風炉があります。 -
6、金葉集切 藤原為教 安貞元年(1227)~弘安2年(1279)
歌人定家の孫、為家の次男で公卿歌人。「住吉社歌合」「亀山殿歌合」などにその名著れ、弘安百首などを帝に献じ、その子為世も歌人にして、官位は権大納言に任ぜられる。 -
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7 、青磁しのぎ香炉 南宋 13世紀 龍泉窯
茶人の呼ぶ砧手の青磁です。青磁袖の中に小さな気泡が多くあり、やわらかい水色となっています。 大気中に水分を多く含む、中国で呼ぶ雨過天青色をした小器で、蓋を付け茶入ともしています。 -
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8、皆口風炉 西村道冶 作 ?~寛文12年(1672)?
西村道治は、京都西村家一番の名手・3代道也(享保年間の人)が、剃髪後道冶と名のりました。 -
9、唐金風炉 制作年代・作者不明
鐶付は鬼面。 -
10、鼎型風炉 原益夫作
鼎とは中国古代の煮炊器で三ツ足の下で火を焚いた道具であり、転じて祭紀・礼賛用具として使われました。 この嵐炉はその型を写した風炉です。 -
11、面取土風炉 了全作 明和8年(1771)~天保12年(1841). 72才歿
京都の土風炉師西村家の10代。 成入になり楽家了入につき作陶を学び、交鞍写や安南写の陶器を制作しました。 -
12、八角釜 大西浄清 作 文禄3年(1594)~天和2年(1682). 89才歿
京釜の大西家初代浄林の弟で、大西家歴代中第一の名手と呼ばれています。 浄清は後年、次男大西定林とともに小堀遠州に従って江戸に下り、江戸で死亡したともいわれています。 -
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13、綱恒文屑衝釜 浄清・五郎左工門 作
大西家2代。肩には糸目が廻り胴こは綱の文様を浮き出した、地肌が美しい肩衝釜です。 -
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14、瓢形霰文釜 大西定林作 ?~享保12年(1727)
江戸大西家棚七初代定林の作です。 定林は京都の釜師2代目大西浄清の息子で、父と共にたびたび江戸を訪ねたが、江戸に留まり、江戸大西家の初代となりました。 -
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15、雲龍釜 大西浄雪 作 安永6年(1777)~嘉永5年(1852)、76才歿
大西家10代浄雪の作。 浄雪の雲龍釜は筒釜に雲龍の地紋のあるものを云い、一文字共蓋を約束としており、形状に大・中・小の三種があります。又、つまみにも特徴があります。 -
16、棗形霰釜 l0代浄雪 作
形は棗形で、霰の地紋が全面に散りばめられた、精緻に作られた釜です。 -
17、百陀富士釜 西村道冶 作
京釜師西村家3代目西村道也が出家して道冶と名乗りました。 道也の作風はその形が力強く、京作の伝統による侘茶・草庵茶に向いた釜が多い。原叟好みで板風炉に取り合わせます。 -
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18、古天命甑口釜
下野国左野天命で作られた釜の古い作のものを云います。古天命の時代区分は、安土挑山以前とも室町以前とも云われています。 天命釜の特長は素朴な荒肌・岩肌・挽き肌などであり、鏡付は遠山・鬼面・獅子などがあり、文様は単純なものが多いようです。 -
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19、立瓜釜 西村道仁 作 永正元年(1504)~弘治元年(1555)、 52才歿
道仁は室町末期に武野紹鵬の釜師として活躍した釜師であり、「天下一上手」と称され、 信長の為にも釜を作りました。後の京釜西村家の家系とは全く関係なく、一代限りの作者とされています。 この釜は桃山時代初期の南蛮文化に乗り、南方よりカボチャや瓜が伝来され、いち早く写し取った南蛮文化の薫る釜です。 -
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20、大面取広口釜 銘 松風 伝 与次郎 作 ?~慶長8年(1603)
辻与次郎は桃山時代の釜師で、近江国栗太郎辻村の出身で西村道仁の弟子と云われています。 在名の釜はありませんが、その乍と極めた釜は少なくありません。 この釜は大変大きく、大きな茶会では大変貴重な釜です。
大変驚豊な釜でた -
21、柏葉釜 初代寒雉 作 寛永10年(1633)?~正徳2年(1712)
宮崎寒雉の祖先は能登島の対岸中居の鋳物師であったと云われており、天正年間に金沢に出たと云われています。
宮崎家はその後加賀藩から銭方も命ぜられ、伝統を受け継ぎ寒雉を名乗り、今日に至っています。
っ-(し、ます。 -
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