2016/11/01 - 2016/11/01
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たびたびさん
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秋田城跡というと秋田佐竹藩の久保田城を連想してしまうのですが、こちらはそれではなくて奈良時代の後期にあった古代の城。
ちなみに、大和朝廷の東北進出は、飛鳥時代の大化の改新(645年)直後の阿倍比羅夫の蝦夷征討辺りから本格化して、陸奥国が置かれたのは654年。もう少し説明を加えると阿倍比羅夫は天智天皇の下で活躍した将軍で、蝦夷征討から白村江の戦いでも軍の最高責任者です。曾我氏に圧迫されて立ち上がったイメージのある天智天皇(中大兄皇子)ですが、その拡張政策はかなり積極的。蝦夷征討成功の余勢をかって白村江の戦いに向かった感もあって、意外に好戦的な姿勢は否定できないように思います。白村江の戦いは、これによって友好国、百済再興の可能性が消えただけでなく、やや神話の世界かもしれませんが、神功皇后の三韓征伐とか、それまで努力して築いた朝鮮半島の足掛かりを失い、東北経営に軸足を移す契機ともなりました。
陸奥国に対し、出羽国が越後国から独立して成立したのが奈良時代初頭の和同5年(712年)。当初、出羽国の政庁である出羽柵は庄内にあったのですが、その後、その役割は天平5年(733年)に秋田城に移されることとなる。奈良時代末期に、再び、庄内に城輪柵が築かれるまではここが出羽国の中心だったというわけです。
年代的なところで考えると、陸奥国の多賀城が造られたのが神亀元年(724年)ですし、桓武天皇に命ぜられた坂上田村麻呂が活躍して、胆沢城や志波城を築いたのは、それぞれ802年、803年なのでもっと後の平安時代初頭。この秋田城が造られたのはけっこう早い時期だったということがわかると思います。
さて、今回の6日間の旅では、秋田城から胆沢城、安倍氏の本拠地だった衣川地区、藤原氏三代の平泉から、最後は多賀城を巡ることになりましたが、紅葉の最も美しい季節。少しのほろ苦さも含めて、奈良時代から始まる古代東北の壮大なスケールを感じる旅となりました。
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秋田城へは秋田駅前からバスで向かいます。ただ、結果としては教えてもらった最寄のバス停からでもけっこう遠い。なんにしても、アクセスは不便です。
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バス停から秋田城に向かう辺りは高清水公園というらしいのですが、秋田城跡の周囲一帯を言うのだと思います。ただ、はっきりとは整備されていないので、範囲はちょっと曖昧です。
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秋田城の遺構が残る発掘現場のようなエリアから周囲の松林。護国神社の辺りまで含めて含めれば、そこそこの規模。上がる途中にため池のようなものも見えて、もしかしたらこれも範囲かもしれません。
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これは護国神社の鳥居ですね。まずはこっちに行ってみましょうか。
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広い参道が続いて、
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あれが本殿ですか。
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中門を通って、
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立派な本殿ですが、いずれにしてもこんな冬の日に、人影はまったくなし。辺りは寒々としていました。
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護国神社の境内を出て、
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向かい側を見ると
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城というか、国庁跡のような感じ。
城は現在も発掘、その後の整備が行われている途上のようで、塀が一部復元されていました -
しかし、たぶん隣りの護国神社もたぶん秋田城の範囲だし、この山全体を秋田城として考えるのが正しいような。
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イチオシ
建物跡として示されているのは限られたものですが、そう考えるとかなりの規模だったものと想像されます。
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冒頭、触れましたが、この秋田城が作られたのは733年。ちなみに、あの聖武天皇が即位したのは724年のことですし、東大寺が完成し、開眼供養が行われたのが752年のことですから、まさに、中央では正倉院の御物にもみられるように、唐の文化の影響を受けた国際色豊かな天平文化が花開いていた時代です。
他方、大規模な土木工事の技術なんか、古墳時代を経験している大和朝廷にとっては何でもないことだったと思いますが、それでも、もうその頃にこうしてしっかり東北北部においても大和朝廷が地盤を築いていたことには改めてちょっと新鮮な思いにもなってしまいます。
遡れば、日本は、天智天皇の時代に友好国百済の滅亡(660年)から白村江の戦い(663年)によって朝鮮半島の足場をまったく失ってしまいます。しかし、そこから、壬申の乱(672年)も経て、国内的には天皇の専制体制を強化し、国力を高めていく。そして、その拡張政策の新たなターゲットとなったのが東北だったわけですね。それがここにきてやっと実を結んできていた時代だったように思います。
ただ、平安期初頭、桓武天皇の命による坂上田村麻呂の阿弖流為の討伐等はこの後のことですし、まだまだ辺境の地という位置づけは変わらない。
そして、東北が完全に日本の一部になったのは、やはり、藤原氏の滅亡後のこと。大和朝廷の拡張政策に始まった東北の歴史はここから、まだまだ波乱万丈の時代が続くことになるのですね。 -
秋田城跡を下って。
高清水霊泉は、秋田城跡のふもとの集落に残る湧水。 -
住宅地の中を入って行った先ですが、屋根つきの囲いに石組みの水汲み場もあって、大事に守られてきたことが分かります。
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イチオシ
秋田の地酒に高清水というのがありますが、そのルーツも実はこれなのかもしれません。
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そこから、すぐちかくの伽羅橋へ。
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ちょっと傷みもなくはない小さな石橋で、何のことはないのですが、しかし、かつては木製の橋で、その木は伽羅という香木だったという伝説もあるよう。それを大阪の商人が買って大儲けしたというのですが、秋田と大阪の関係をちょっとひがんだような話かなと思います。
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伽羅橋の少し先の菅江真澄の墓にも寄ってみます。
少し高台に登ったところに墓地があって、その中です。 -
イチオシ
目立つ説明板もあるので、すぐにそれと分かります。菅江真澄は、東北地方のあちこちを旅してまわり、当時の風俗を書き残している人物。トラベラーの大先輩ということですね。敬意を表したいと思います。
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この集落には旭さし木というのもありまして。
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ただ、通りからも外れているので、地元の人に聞いてやっと見つけました。これは、樹齢1200年のけやき。秋田市内でも一番古い木で、かつては「旭」という長者の家の目印になっていたのだそうです。驚くような大木ではありませんが、まあまあの迫力かなと思います。
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そして、最後は古四王神社へ。秋田城跡から少し離れているようにも感じますが、秋田城のある山の続きなので、秋田城の鎮守社と見ると分かりやすいと思います。
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歴史も秋田城と重なっていて、大和朝廷が蝦夷を平定する際、鎮護のために蝦夷が信仰した地主神を祀ったのが起源だとか。阿倍比羅夫にも関係しているとか。
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社務所のある場所から石段を登った先に、ちょっと傷んだ本殿。
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荒れた感じは否めませんが、秋田城とセットで古代に思いをはせる場所かと思います。
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秋田城跡から歩いて県庁のほうに向かいます。
その途中で見つけた仙台藩殉難碑。こんなところにありましたかっていう感じです。 -
これは奥羽越列藩同盟を離脱しようとした秋田藩の説得のために訪れた仙台藩士11人を秋田藩士らが殺害した事件。これにより、秋田藩は新政府側に立つことが明らかとなり、北東北では孤軍、奥羽戦争に突入していくこととなります。
しかし、使者を殺すまでの必要はなかったような。あまり気持ちのいい事件ではないのですが、勤王派も列藩同盟派もお互いに追い詰められた状況であったことは間違いないように思います。 -
続いての全良寺も奥羽戦争の関連。
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官修墓地というのがその寺の中にあって、奥羽戦争で亡くなった官軍の兵士を埋葬した墓地のこと。
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イチオシ
ジメッとした感じの場所でしたが、
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墓石が並ぶ墓地には、モミジが紅葉していて少し心が和むよう。
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薩摩の碑なども確認することができました。
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秋田市八橋運動公園が見えてきました。やっと帰ってきた感じですね。
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ここは、県庁の近く。整備された野球場や体育館などを備えた広大な公園で、これほどの規模であれば秋田市だけではなく、秋田県の都市計画にも関係して整備されたものだと思います。
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小山があって、そこはちょっと展望所のようになっている。公園らしく、周囲の眺めがちょっと楽しめます。
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ものづくり展示ホールは、秋田県庁第二庁舎入ってすぐ。
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一階ロビーを利用して、秋田県の伝統工芸品を展示・紹介しています。
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曲げわっぱや樺細工などの木製品はお馴染みですが、
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秋田八丈という染物など、ちょっと珍しいものもありました。
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なお、スペースにはテーブル席があって談笑している人もいて、休憩所としての利用もされているようです。
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今夜の宿は、アキタパークホテル。秋田県庁の近くなんですが、秋田駅からはけっこうな距離があるので、多くの観光客にとっては使い辛い場所かと思います。しかし、建物はしっかりしているし、受付のスタッフも十分だし、値段もリーズナブル。一階にはちょっとしたレストランなんかもあるので、ロケーションを除けばむしろいいホテルでしょう。
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さて、ここでちょっと飲み会がありまして。
会場の第一会館は、秋田の郷土料理をリーズナブルに食べられるお店です。 -
東京のことを思うと大広間のような部屋でいただきます。
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イチオシ
例によって、ハタハタにしょっつる鍋に舌鼓を打っていたら、
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地元の民謡と踊りの人たちが来ているということ。有料ですが、部屋で披露をしてもらいました。
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ドンドン パンパン ドンパンパン
ドンドン パンパン ドンパンパン
ドド パパ ドド パパ ドンパンパ
うちの父ちゃん はげ頭
隣の父ちゃん はげ頭
はげとはげとが 喧嘩した
どちらも怪我ねで よかったね
それ、ドンドンパンパン、ドンパンパン~。
昼間の街歩きで少し気が重くなっていたところですが、どんぱん節で賑やかな宴となりました。
さて、明日は二日目。秋深い角館の武家屋敷、抱き返り渓谷で紅葉狩りの予定です。
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この旅行記へのコメント (4)
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- chikiroomさん 2017/10/15 11:53:33
- 故郷です
- この場所をアップしてくださり、細かなガイドもありがとうございます。
ここは私の故郷です。高清水公園、懐かしい。
ものすごく近くに住んでいたのに、まったくこの貴重な史跡があることを知りませんでした。帰郷したら、このブログの通り、辿ってみたいと思います。
飯島北行きのバス、ほっこりと和みました。
- たびたびさん からの返信 2017/10/16 09:54:31
- RE: 故郷です
- 秋田市が故郷ですか。それはそれは。
ところで、つでに、秋田県と岩手県のこと。久保田城と盛岡城だと雰囲気は久保田城の方が圧倒的にいいと思うのですが、知名度という点では、宮沢賢治の関連もあって盛岡城の方が圧倒的。古代の城として秋田城を紹介しましたが、盛岡市だと志波城があります。これも比較すると、雄大さや迫力を感じるという意味では秋田城の方が圧倒的なんですが、志波城の方は復元施設や資料館がとても整っていて、何もない秋田城とは大違いです。久保田城、秋田城ともに、岩手県と比べるとちょっと魅力を発信し切れていないところがあって、残念に思います。
たびたび
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- fuzzさん 2017/06/09 11:12:20
- ケンミンショー
- たびたびさん、こんにちは。
昨夜のケンミンショーで秋田の稲庭うどんを放送されてました。
秋田にはあまり出かけることがないのですが、いぶりがっこと稲庭うどんを
食べに行きたくなりました。
ドンドンパンパン、あれって秋田の歌だったんですね。
小さい頃の盆踊りでは、必ずあの歌が聞こえてきました。
懐かしいです。
fuzz
- たびたびさん からの返信 2017/06/13 14:14:41
- RE: ケンミンショー
- 確かにドンパン節はもう全国区の歌になってますからね。
秋田もなかなか奥が深くていつまで経っても行き尽くした感が出てきませんが、今回の旅は一つの区切りになったような。ちょっとここらで秋田は一旦終了にしようかなと思っています。
たびたび
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