2016/07/17 - 2016/07/23
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ミズ旅撮る人さん
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ラジャスタン編14回目は、マンダワのハヴェーリー巡りです。
マンダワのあるシェカワティ地方は、1549年に藩王シェカが建設しました。シェカワティは「王の庭」という意味です。
シェカワティの村の中で最も美しいとされるマンダワ。前回のファテープル同様、マールワーリーの邸宅ハヴェーリーがたくさんあります。
18世紀初めに、コルカタに移って成功した商人たちが競って建てた美しい邸宅です。
今回は、そのハヴェーリーがなんと日本製のマジョリカタイルを使っていたという話を交えながら、紹介して行きます。
明治末から昭和初期にかけて作られた、ものすごく色鮮やかで、細かくて、比べようもないほど美しいタイルです。
今回で、2週間に及ぶ、ラダック・ラジャスタンの旅を終わります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- 航空会社
- エアインディア
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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マンダワに着きました。菩提樹が木陰を作ってくれています。
日中40度近い猛暑の中をハヴェーリーを見て歩いたので、ヘトヘトです。
その上、ファテープルでたくさんのハヴェーリーを見て来たというのに、まだこれからマンダワのハヴェーリーを見るなんて、もう勘弁。
まさか、こんなにあるなんて思ってもみなかったのです。街中どこでもハヴェーリーじゃないですか。 -
車が停まったすぐ前には、マンションみたいに巨大なハヴェーリー。
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マールワーリーの一族が丸ごと住んでいたのでしょうか。ハヴェーリーは、内側に中庭を持つ構造をしています。
これだけ大きいと私がジャイサルメールで泊まったハヴェーリーのように、中庭はいくつもあるかもしれません。 -
次のハヴェーリーに向かって歩いていると、学生らしい女の子たちが声を掛けて来ました。
若い子たちはパンジャビースーツなんですね。柄も随分と現代風。でも、結婚したらサリーなのかな? -
この辺は特にハヴェーリーが固まっているみたい。この廃墟のようなハヴェーリー、いいなあ。
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VISHWANATH GOENKA HAVELI
マンダワには建物の名前を記した看板が立っています。こちらも大きいです。 -
2階の窓の上に、丸く穴が開いているのは何でしょう?煙突?
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ゴエンカ・ハヴェーリーは、高い塀の中に建っているので、観光客は特ダネ記者のように、背伸びしたりしながら中の様子を伺います。
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あそこで終わり。まるで宮殿のように大きな邸宅です。さすがにファテープルより、規模が大きいです。
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住人がスマホ片手に外出です。中に招じ入れてくれるわけじゃないのね。
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代わりに呼び入れてくれたのは、こちらのハヴェーリー(MURMURIA HAVELI)です。1・2階は珍しく壁画がありません。
でも、ここは他とは違う、大層珍しい壁画の宝庫でした。 -
3階部分です。壁画がヨーロッパのスケッチになっています。
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イチオシ
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張り出しの下部の絵も、ヨーロッパの風景です。しかも、なかなか見事な模写ぶり。見ているとウキウキして来ます。
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門をくぐって前庭に入りました。隣は先ほどの大きなゴエンカ・ハヴェーリーです。
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前庭から見たムルムリア・ハヴェーリーです。なんといきなり2階への階段になっています。
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イギリスの雑誌の写真か何かの模写でしょうか。
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入って来た門の内側の壁画も洋画風です。最高におしゃれ!だったんでしょうね。
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イチオシ
右端の黒い衣装の女性の絵なんか好きです。
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アーチの中の肖像画も、洋画風ですが、ファテープルで見た発展途上の絵とは完成度が違います。
余程、洋画の技法に慣れた絵師が描いたのでしょう。 -
そのくせ、こうした壁はシンプルです。そこが、いっそ洗練されています。
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2階の回廊の柱は、すっかり西洋風になっています。ちょっとだけ、長崎のグラバー邸風?
さて、正面の3枚の木戸の向かって右側に目立ちませんが、緑地に白花のタイルが貼られています。
ハヴェーリー建築の後期になると、タイルを多く用いるようになります。
これは、マジョリカタイルと呼ばれるもので、当時、イギリスのミントン社が開発して世界中で使用されました。
15~16世紀のイタリアやスペインで焼かれた陶器マジョリカ焼のような、多彩な表現が出来るという意味を込めて名付けられました。
(注:このハヴェーリーのタイルは、単調な色合いから、日本製ではないと思われます) -
この絵は言わずと知れたベネツィアですね。
以後、壁画を見ながらタイルの話をいたします。
シェカワティ地方でマールワーリーが建てたハヴェーリーには、最初こそイギリス製のタイルもありましたが、後には日本製が大半を占めていました。
明治40年頃に、イギリスの工法を学んで、日本でも乾式プレス成型法によるタイル作りが確立し、大正時代には多くのメーカーが製作するようになりました。
最盛期の昭和6~7年には、満州・中国・台湾からインド、オーストラリア・アフリカまで輸出されたそうです。
和製マジョリカタイルは、かなりの高級品ですから、相当な富裕層でないと使用できなかったと思われます。 -
剥がれ落ちたタイルや、未使用で残されたタイルの裏に商標が刻印されていました。
名古屋の不二見焼・佐治タイル、淡路島の淡陶といったメーカーのタイルが見つかっています。
「LIXIL」のHPに、「和製マジョリカタイル」について掲載されています。
http://www1.lixil.co.jp/museum/current/030_history/000297.html
大層、美しいタイルだったのがよくわかります。 -
余談ですが、京都に「和製マジョリカタイル」を豪華に張り付けた銭湯があるそうです。
http://besthouse.cc/eclub/Vol66.pdf#search
「船岡温泉」で検索してみると、たくさん出て来ます。
今回、インドにある「和製マジョリカタイル」を紹介できなかったので、雰囲気を味わってください。日本の技術を誇らしく思うこと間違いなしです。 -
第一次世界大戦(1914~1918年)でイギリスが打撃を受けていたこともあり、日本は大きな市場であるインドに大量のタイルを輸出したのです。
日本がインドに進出できた理由がもう一つ。1920年代から1930年代のインドにおいて、イギリスの植民地となって搾取され続けることに反発して、独立への機運が高まっていたことがあります。
イギリス製品の不買運動が起こり、その代わりに日本製品が用いられたのです。
日本の企業も、未知の国インドとの貿易に際して、随分と苦労したことでしょう。 -
19世紀末に結成された「国民会議派」は、ボンベイ・カルカッタを本拠地として、イギリスからの自治を勝ち取ることを目指しました。同じ都市を拠点にしていたマールワーリーも深く関わったことでしょう。
ましてや、第一次、第二次世界大戦にインドは参戦させられています。
1947年にインドは独立するのですが、大戦中の軍需のおかげで、産業が飛躍的に発達し、財閥が形成されるまでになったのが、大きな力となったことでしょう。
その中には、もちろんマールワーリーも含まれているはずです。
シェカワティ地方のハヴェーリーは、多くの藩王国に分裂していた時代から、イギリス植民地時代を経て、インドが統一、独立する歴史の過程の副産物なのです。 -
さて、お向かいのSETH DAYARAM DEDRAJ GOENKA HAVELIです。
名前が長い~。ゴエンカと付くハヴェーリーが多いようですね。 -
地味な部分に看板が建っていたので、随分と印象が違いますが、正面です。
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こちらの壁画は割と伝統的。イタリアの風景や列車などの壁画を見てしまうと、なんだか隔世の感がありますね。
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ハヴェーリーの建てられる初期の頃のものなのかな?
絵柄もインドの伝統に沿っているものばかりだし、下の階にはあまり窓や出入り口がない、要塞の性質を持った建築様式になっています。
ファテープル以来、数多のハヴェーリーを見て来て、段々と年代の見分けがつくようになって来ました。 -
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側面です。ほとんど建物は四角いようですね。当然、真ん中に中庭があることでしょう。
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奥の方に、変な壁画があります。象が象を襲ってる?右は、上半身が人間で獣の胴とラクダの頭の尻尾?
これはキメラなんでしょうか。何故、ここに? -
これらのハヴェーリーが並ぶのは、こんなにも普通の寧ろ時代に取り残された一角。
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突き当りを右に曲がったところに、最初の廃墟風ハヴェーリーはあります。
1930年代以降、これらのハヴェーリーは打ち捨てられたまま、新築も修繕も行われずに放置されています。 -
建物に趣がありますね。
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1階はお堂になっていました。
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シヴァ・リンガムと水牛ナンディです。
ハヴェーリーを建てたマールワーリーはヴィシュヌ神を信仰している人が多いと聞きましたが、シヴァ神も祀られているようです。 -
では、本堂に入ってみましょう。
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外観があれだけ立派だと、内部もなかなかどうしていい感じです。
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あらら?随分状態がいいんですね。
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時々、見掛けるけど、この顔は嫌だなあ。
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裏側に出ました。
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これもお寺かな?
マールワーリーたちは、邸宅だけでなく、数多くの寺院も建設しています。 -
少し移動して、別の地区に来ました。
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なかなか華々しい動物たちの行進です。門の両側に象がいるのは、「ようこそ」という歓迎の意味を表しています。
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ここにも、偽窓があります。
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この角のハヴェーリーをちょっと覗いて見ます。
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なんだか中国寺院のようですが…
R.D.JHUNJHUNUWILA HAVELIです。 -
おもしろそうな構造をしていますが「覗き」なので、これまで。
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別のハヴェーリーに入ってみます。前庭にはブーゲンビリアが咲いています。
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奥の中庭です。随分と明るくて、感じのいい庭です。
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修復されているのかな?随分と綺麗です。
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屋上に出ました。
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隣のハヴェーリーもやはりロの字型の構造です。
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反対側の隣は、既に建物はないですが、左手の壁に夕日の絵が描かれています。
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建物が壊されて無くなっている土地も散見されます。
コルカタに移住したマールワーリーの1世・2世までは年に1~2度、シェカワティに来て、思い出のハヴェーリーを訪れる人もいました。
しかし、地元の人に管理を任せたまま、放置しているのが現状です。なぜなら、相続権を持つ人が増えて、ハヴェーリーをどうするか、意見がまとまらず、手を付けられない場合が多くなっているのです。 -
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MOHAN LAL SARRAF HAVELIです。
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これまでロの字型のものが多かったのですが、ここはコの字型です。
おもしろそうな造りなので、博物館になったら嬉しいなあ。住人のいない状態で、見学したい。 -
こうして見て来ると、シェカワティ地方のハヴェーリーは、その歴史的価値から見ても、やがては世界遺産になると思います。
そうしたら、保存活動が活発になって、修復も進むでしょう。このままでは、もったいなさ過ぎます。 -
現状は、売却されてホテルになったものもあり、また、一族間で紛争が起き、立ち入り禁止のままのものもあります。
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この左右不揃いの窓と、その上の穴。中に入って、見てみたい。
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3階のアーチの上には、小さな鏡が嵌め込まれていて、反射しています。
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ところが、側面はこんなもの。あまりの格差にショックです。正面さえ良ければいいの?
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2階の窓の上の穴は、土くれのようなものでふさがれています。う~ん、もうちょっとなんとかならないかなあ。
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きっと3階の部屋だけが豪華な内装のマールワーリー一族の使う部屋なんでしょうね。
インドはカースト制度で、差別が激しいから。常に使用人たちがたくさんいる住居は、主の空間とそうでない空間が目で見てはっきりわかるようになるんですね。 -
象は歓迎の象徴。
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その象の足元には、汽車が描かれています。
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「CULAB BA ?? HAVELI」看板に落書きがされていて、??の部分が読めません。
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玄関の高さが路面よりかなり高いハヴェーリー。スロープ付きです。
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まさに、どこを見てもハヴェーリーだらけ。こうなると、さすがに飽きて来ます。
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そろそろ18時。日暮れて来ました。しかし、まだまだ暑い。
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マンダワのハヴェーリー巡りはこれで終わりです。ホテルに向かいます。
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マンダワの郊外にあるウダイヴィラパレスUDAIVILAS PALECEホテルです。
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がら~んと広いロビーの片隅にあるフロントデスク。
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広い中庭を挟んだ向こう側が客室棟。この2週間の旅行中、最初で最後の1階客室です。ああ、楽。
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右がフロントのある棟、左が客室棟です。
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客室棟の先には、念願のプールがあります。もちろん、日が暮れる前に入りました。いや~、極楽。
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フロント棟の先にはレストランがあります。
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デリーを除けば、今回最高に快適なホテルです。最終日にここで良かった。
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ちゃんとお風呂に入れるのもデリー以来。
ラジャスタンだけでなく、その前のラダックでは、バケツに溜めたお湯での湯あみでしたから、長かったなあとしみじみ感じます。 -
最終日、デリーに向かう途中のレワリRewariという町のショッピングセンター「BMGモール」に立ち寄りました。
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この1週間、とうとうジョードプルで紅茶を買って以来、何も買うこともなく、ルピーの束を財布にしのばせたまま、最終日を迎えてしまいました。
国内線の預け荷物の重量制限が15kgだったため、真ん中のデリーでも買い物が出来ず、このままではお土産もありません。
ガイドに、ニューデリーで買い物がしたいと言ったのですが、ニューデリーから空港はたいへん渋滞になりやすいので、代わりに、空港手前の町のショッピングセンターに連れて行ってあげると言われ、ここに来ました。
ガイドが知る限り一番大きなショッピングセンターなのだそうです。確かに、ラダックのツアーが最終日に連れて行かれたデリーのショッピングセンターよりは、随分賑わっています。 -
映画館併設の大型ショッピングモールは、インドでは、まだまだ数少ないでしょう。
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2階は衣料品中心の店舗です。
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100円均一のような店もありました。日用品や食品を99Rで販売しています。
他に普通のスーパーもあり、ようやく思いっきり買い物をすることが出来ました。 -
中身ではなくて、パッケージで勝負。3つとも紅茶です。
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お土産ついでにインドのワインを紹介します。スラ・ヴィンヤーズSULA VINEYARDSという銘柄で、
赤と白があります。街中ではとうとう見つけられませんでしたが、デリー空港でいっぱい売っていました。
味は個人の好みなので、辛口系とだけ言っておきます。赤は、オーク樽の香りが染み込んだような独特な味がします。
それが、かなり強いので、好き嫌いがハッキリ別れると思います。値段は1本千円しない程度。 -
さて、ちょうど100枚目でこの旅行記を終了します。
最後を飾るのは、珍しい角の牛の群れです。インドと言えばこぶ牛ですが、こんなに立派な角の牛も飼育されているんですね。
インド最後の写真が赤いターバンのおじいさんと牛なのは、上出来かな。
今回の旅行はラダックが夏しか訪れることが出来ないため、真夏に訪れることになりました。
そのラダックが予想外に暑かったうえに、モンスーンを避けて乾燥した砂漠を目指したのが裏目に出て、暑くて観光がたいへん辛い結果となりました。
これが、観光適期といわれる冬だったらどうだったんだろうかと思うと、悔やまれる部分が大有りです。
しかし、それも言うなれば旅の醍醐味。失敗も思い出。悪いことばかりじゃないはず。この季節でも、現地の人々は暮らしているのだから。
夏じゃないとクジャクの羽根はついてないし(毎年生え変わります)。
でも、やっぱりいい時期にインドを旅したいので、7月に続き11月にもインドに行くことにしました。
今度は南インドのハンピの旅でお会いしましょう。
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