2016/09/19 - 2016/09/26
291位(同エリア625件中)
加野山さん
数年前までは、
「原宿の竹下通り並み観光地(激混み)」だったというエフェソス。
駆け足ではありますが、かなり堪能出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
-
皮製品屋を出発して、セルチュクという街に入ってきました。
突然丘の上に古城発見。なんだありゃ?
ニハットさん
「あれはセルチュク城と言いまス。ビザンチン時代のものデス。
あの丘のふもとには、エルサレムを追われた12使徒の1人、ヨハネの墓が
アリマス。」との事。
・・・・今、サラッと「ヨハネの墓」とか言わなかった|д゚) !? -
そしてなんと、このセルチェクの町には、ヨハネとともに晩年を過ごした聖母マリアの家があるそうだ。
「聖母マリアの家」とは、紀元30年ごろエルサレムで、キリストが磔刑後、
聖ヨハネが聖母マリアを連れて、エフェソスを訪れ、余生を過ごし、マリアもヨハネも
この地で亡くなったのだそう。
聖ヨハネの墓所には聖ヨハネ教会が建てられましたが、一方マリアの住んでいた
場所は歴史から忘れ去られ、マリアの最後の場所は長いこと謎とされていました。
ところがどっこい、神の啓示を受けたというドイツ人修道女のアンナが、
訪れたことのないエフェソス山中の石造りのマリアの家の様子を語りだしたとか。
その後マリアの家探しが始まり、修道女の語った通りこの山中にマリアの家の
基礎部分を探し当てたのでした。
(メダイの奇跡といい、マリアの家といい、お告げってすげーな(´・ω・`))
その後、この地は正式にキリスト教徒の聖地としてキリスト教の総本山バチカンに
認められ、バチカンからの代表者が毎年参拝するほか、歴代のローマ法王
(パウロ6世、ヨハネ・パウロ2世、ベネディクト16世)も巡礼に来ているとのことです。
日本人は素通りですが、欧米人はひっきりなしに巡礼に来ているようですよ。 -
そういえば「聖☆おにいさん」で、聖母マリアとヨハネが立川のサイゼリアに
降臨した際、ヨハネが「なにせ私(←主に愛された弟子の略)だけ殉教していませんので。」
とペトロやアンデレに絡んでいた時、マリア様から
「殉教がなんです。あなたは何よりも大変な仕事をやってのけたりっぱな聖人です。
私の老後の世話をしてくれたのは、ヨハネちゃんだけ!!」の言葉に
イエスやペトロ達が「サーセン・・・」と下を向くシーン、めっちゃ好きでしたww
という事は、ヨハネは磔刑を免れたんですね~。 -
だんだん「ダヴィンチ・コード」が現実っぽく感じるようになってきたぞ( ゚Д゚) !
そういやバチカンのサンピエトロ大聖堂で、祭壇の下にある墓から聖パウロの骨が
見つかったって話もありましたよね。
そんな感じでいつかマリアの遺骸が見つかったりするんだろうか・・。
歴史のロマンを感じながらエフェソス遺跡に到着です。
1時間ほど見学します。 -
エフェソスの入場券。
トロイも同じ柄の入場券だったので、統一されているのかも。 -
おおっ、トルコの土地にローマを見た。
加野山がエフェソスで知っていたのは「エフェソス公会議」くらいかな。
聖母マリアを単に「キリストのお母さん」と呼ぶのか、それとも
「神の母」と呼ぶのかで議論した場所だそう。
この議論自体、突っ込みどころ満載だけど、
まさかそれが「トルコ」だとは知らんかった(´・ω・`) -
エフェソスの最初の住民はギリシア人ではなく、リュディア人て人だったけど、
港湾あるし、ギリシアは海渡ればすぐだし、どんどんこの土地にギリシア人が
入植していったようです。 -
古典期のエフェソスは、女神アルテミスを崇拝。ところが、
「エフェソスのアルテミス神殿に放火すれば、俺の名前、後世残るんじゃね(*‘∀‘)?」
と考えて、本当に実行した馬鹿がいて、このとき神殿は完全に焼尽したそうです。
紀元前からチ○ガイは何処にでもいるんですね・・(´・ω・`) -
屋根付であったとされる1,400人収容の円形の音楽堂オデオン。
なんで屋根付だったか分かるかというと、雨水を受け流す排水溝の跡が無いから
なんだって。へー。 -
この音楽堂に人々はここから出入りしていました。
-
白い石の部分は、
当時の大理石のまんまなんだそうです。 -
説明をするニハットさん。
-
円柱の並ぶバジリカ(ローマ建築の一種)。
当時は取引所・裁判所・式典の場でした。 -
「メミウスの碑」
ローマの重税に反対していたエフェソスの市民は暴動を起こし、ポントス王
(黒海沿いの王国の王)を立てて戦いを起こし、町に住むローマ人を虐殺しました。
しかしスラ帝率いるローマ軍に、市民は鎮圧されてしまいます。
この碑は、戦いを平定したスラ帝が犠牲者の霊をなぐさめるために建てたそうだけど、
墓碑銘に「味方にとってはスラ以上に良きことをした者はなく、敵にとっては
スラ以上に悪しきことをした者なし。」と彫られていたそうです。
うーん、微妙・・(´・ω・`) -
この「ヘビが巻き付いた何か」のレリーフなんですが、
エフェソス遺跡のブログ解説がまちまちだったので「?」と思ってました。
それはこのレリーフを
「アスクレピオスの杖」と見るか、「ヘルメスの杖」と見るかで話が全然違って
くるようなのです。
どちらもギリシャ神話に登場する神様ですが、
アスクレピオスは医神、ヘルメスは伝令神、となっています。 -
「WHO(世界保健機構)」から借りてきた図柄ですが、これが
「アスクレピオスの杖」です。
ギリシア神話に登場する名医アスクレピオスの持っていた蛇の巻きついた杖が
シンボルとなっています。こちら、ヘビは1匹。 -
ヘルメスはメッセンジャーの神様ですがら、現代では商業や交通のシンボルとして
利用されることが多いです。死者の魂の導き手としてのヘルメスは、
生と死の境を自由に行き来できる使者であり、商業と学問と医神の神であったのです。
こちらの「ヘルメスの杖」はヘビが2匹。
ってことは、あの「何か」は、ヘルメスの杖? -
でもこのレリーフ、「杖」じゃなくて「杯」なんじゃね?という意見を読みました。
上で紹介した1匹ヘビの神様、名医アスクレピオスの娘、ヒュギエイアが持っていた、
ヘビの巻きついた杯なんじゃないの、と。
後世で薬学のシンボルとなり、欧州各国では薬局の看板によく使われる図柄です。
ってか、もうすでにローマの時代で「あれ、ヘビって1匹だっけ?」「いや2匹だったかも」と
混同していた可能性がありそうです(;・∀・)。 -
という事はこの人物、「ヘルメス」ではなく「アスクレピオス」ではないかと思います。
この付近に病院があったのかもしれませんね。 -
誰でもここに来れば必ず撮影するエフェソスのマスコット、ニケ。
ナイキのロゴマークは、女神が右手に持っている羽根を図案化したものだそうです。 -
ライオンの衣をまとったヘラクレスが彫られたヘラクレスの門。
当初はアーチ部分にニケのレリーフがあったそうです。
この門は馬車止めのために作られ、ここから始まるクレテス通りには
両側に商店が並んでいたとの事。
なるほど、歩行者天国か。 -
クレテス通り。
このままケルスス図書館まで続いている、大理石で舗装された大通りです。
この通りを教科書や辞典で見るような歴史上の人物が歩いていたのかと思うと
ワクワクしますね。
紀元前1世紀、クレオパトラが共和制ローマの執政官アントニウスと共に
エフェソスを訪れています。
そのクレオパトラの妹で、クレオパトラと王位を争って敗れたアルシノエが、
幽閉され殺されたのもこの土地。 -
キリスト教の布教のために聖パウロがエフェソスを訪れ、この土地で
数年過ごしたと言われています。
そして何といっても聖母マリア。彼女もこの場所を訪れた可能性大です。
当然、聖母マリアを看取ったであろう聖ヨハネも、
晩年をエフェソスで執筆しながら過ごした事でしょう。 -
時の権力者像の台座。
何で頭がないかというと、もげた訳でも壊された訳でもなく、
そのときどきで頭だけとっかえるんだそう。エコだわww -
クレテス通りに平行するモザイク通りです。高貴な人だけが歩けたらしい。
ローマ時代の富裕層が住んだ「丘の上の住宅」は、壁画が美しいらしいのですが
ツアーではそこまで回る見学時間がとられてません。別途15TL必要。 -
確かに見事なモザイクだわ。
-
そんな素晴らしい都市エフェソスも、ペルシャやアラブの侵攻を受け、
ローマ帝国がエフェソスを放棄し、
港が土砂に埋まり、いつしか忘れ去られた廃墟となっていくのでした。 -
「トラヤヌスの泉」
トラヤヌスの泉とは、トラヤヌス帝(在位98~117年)に捧げるために作られた
貯水池です。中央には皇帝の像があったと伝えられています。
ここにあるのは複製品で、本物はエフェソス考古学博物館に保管されてるとの事。 -
あっち向いてにゃんこ。
-
こっち向いてにゃんこ。
-
後ろ向いてもにゃんこ。
エフェソスに来て猫の写真を撮れない人は100%いませんww -
セルシウス(セルジュゥス、セルスス、ケルスス:言語によって発音が異なる)図書館
エフェソスの図書館。執政官だったセルシウス・ポレマニヌスの死後、
息子がここにあった父の墓所の上に、この図書館を立てました。
2世紀に建立されその後火災で焼失しています。
いまの建物は1970年代に修復されたものです。 -
建物は視覚の錯覚効果(錯視)を用いて大きく見えるように作られています。
両端や二階の柱を少し細くして遠近効果を出して広く高く感じさせています。
もうこの時代からデ○ズニー効果があったんですね(*‘∀‘) !
正面にそれぞれ知恵,運命,学問,美徳の4体の彫像がありますが、すべてレプリカ。 -
確かにつぎはぎだらけですねぇ・・・。
-
またこの2階建ての構造物は,崩れたものを修復したもので,紛失されていた部材
は新しいもので補ったそうです。
なるほど、こんな立派な遺跡が中々世界遺産に登録出来なかった理由が分かりました。
(´・ω・`) -
とはいえ、レプリカでもかっこいいわっ!
-
内部は奥行きもなく、びっくりするほど狭いです。
が、これで世界三大図書館の一つだったんだって。 -
そんな立派な図書館の脇に、謎のトンネル。
-
なんと図書館から直通で『癒しの館 (殿方限定) 』に行ける道があったんだと。
日本の吉原みたいに「辛くて悲しくて」という感じじゃなくて、
芸を仕込んでくれるし、美しい女性として磨き上げてくれるし、
「若い娘のなりたい職業ベスト10」とか、そういう雰囲気だったそうですが。。。 -
これが「癒しの館」の広告塔。
この上に足を乗せて、これより小さい人は館へり入館拒否なんだって。
足の左上、いびつなハート型の意味ですが、
愛(ハート)はお金(コイン)で買える=娼館 だそうです(;・∀・) -
図書館のそばに、碑文があります。
古代エジプト最後の女王・クレオパトラの妹、アルシノエ4世の墓です。
なんでトルコにお墓があるかというと、
クレオパトラはエジプトを守るためにローマ皇帝に近づき、
アルシノエはエジプトを守るためにローマと戦います。
戦で負けたアルシノエは、ローマで檻に入れられて引き回されますが、
群衆はまだ若いアルシノエの処刑に反対です。
で、仕方なくエフェソスに流刑されたと。。。 -
復元された、アルシノエの顔。
幽閉されたアルシノエは、このエフェソスで姉の手引きにより毒殺されました。
最近の研究でわかったのは、彼女は16歳くらいで亡くなっていたそうです。
現在、彼女の頭部はドイツの考古学者が持ち出したまま行方不明。
この顔は、頭がい骨の詳細な計測データが残っていたのでそれを基に復元されました。
クレオパトラはギリシア系の白人である、というのが定説ですが、彼女を見る限り
アフリカの血も混じってたんじゃないかなぁ。 -
公衆トイレ。この下は近くのスコラスティカ浴場からの排水が流れるため、
水洗トイレとなります。あったまいい~d(○´∀`)b !
殿方はみんなで並んで用を足したらしい。女性はどうしたんだろうww -
このアルカディアン大通りは、海の港まで続いていたそうです。
現在は土砂が降り積もって海はずっと遠くになりました。 -
ハドリアヌス神殿。
ハドリアヌスといえば、「テルマエ・ロマエ」で
ルシウスに、ローマ市民を驚かせる風呂を作れ、と命じた皇帝ではありませんか。 -
そうそう、この人ww
五賢帝の一人です。
賢くて芸術を愛し、┌(┌^o^)┐ホモォ~ な人だったそうです。 -
神殿のアーチにはメデューサ。
首だけじゃなくて半身がありますね。 -
何が書いてあるんだろう?
-
さらに分からん。
-
エフェソスはまた、「万物は流転する」という言葉で有名なギリシャの哲学者
ヘラクレイトス(紀元前6世紀)の出身地です。
エフェソスの歴史を辿ると、まさにこの「万物は流転する」の思いを深くします。 -
大劇場を見渡します。
さすがにここは殆ど当時のまんまとの事。
考古学者のポッケに入れるにはデカ過ぎたって事かな(笑)。 -
トロイもそうですが、あっちにもこっちにも遺跡がごろんゴロン。
ニハットさん曰く、
「トルコは数km走るともう次の遺跡なので、我々はありがたみもヘッタクレも
ありまセン。」 だそうです。 -
後ろを振り返ったところ。
見学時間ですが、1時間じゃ足りません。せめて2時間欲しいところ。
またいつか訪れたいと思います。 -
商業アゴラという部分。市場の跡地だとか。
さぁ、バスに戻りましょう。 -
あ~、堪能した♪
-
バスは昼食会場へと向かいます。
-
これがエフェソス考古学博物館かな。
-
ランチ会場に到着しました。
今日のメインはチョップ・シンという串刺しにしたお肉料理。 -
このレストランのお勧めは、ざくろのジュース。
しかも、ヨーグルトで割ったミックスがお勧めとの事。 -
これです。
トルコのヨーグルトですが、塩でも入ってるのかな、しょっぱいのです。
それをザクロで割るとちょうどよい塩梅になります。
確か8TLです。 -
向こうでお父さんが一生懸命焼いてます。
-
パンが出ました。
トルコのパンはどこで食べても美味しい。 -
トマトのスープ。
レンズ豆を使ってない、純粋なトマトスープの味がしました。 -
潰したじゃがいもにクリームをかけた何か。
味がついていません。塩、コショウして食べました。 -
串焼きのお肉とサフランライス。
これは美味しい!!
ペロリと食べちゃいました。 -
珍しく、そんなに甘くないデザート。
固めのプリン。これも美味しくいただきました。 -
ランチ会場の向こう側に、セルチュク城が見えます。
よし、次にここを訪れる時は、絶対あそこに行くぞ(*´▽`*)!
3日目その3 https://4travel.jp/travelogue/11182471
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