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長崎の旧グラバー邸は、とかくここグラバー園を廻ると、「蝶々夫人」の話と結び付けられるが、イタリアの作曲家プッチーニのオペラの台本では単に長崎の日本家屋と場所設定があるだけのようだ。実際、ウィーン国立歌劇場で2年前に名演を見たが、架空のアメリカ人のピン・カートンが出る話しで、スコットランド人のトーマス・グラバーとはなんの関係もない話だった。日本風家屋で演じられた。<br /><br />むしろ、グラバー園で見る内容は、日本に多大の貢献をしたトーマス・グラバー一家の貢献度を貶めることになりかねないと思うようになった。なにしろ、ピン・カートンなる人物は蝶々夫人を裏切る人だ。だから、オペラの最後は蝶々夫人が自らの命を絶つ悲劇なのだ。こういう人をトーマス・グラバーのような日本に貢献した人と混同させるようなところがグラバー園全体を歩いていると、あるのではないかと危惧するようになった。きっかけは先日の訪問後に、一冊の本を読んだからだ。<br /><br />オペラ自体は世界的人気作だし、悪いオペラではない。ただ、グラバー園で、どうしてここまで、「蝶々夫人」のオペラに関する展示や説明がしつこいのか、今は理解に苦しむだけだ。。。作曲家プッチーニの像や蝶々夫人を歌った歌手の紹介が二人もある。しかし、イタリアのルッカにあるプッチーニの誕生の家の周囲など、以前、行ったことはあるが、なにも特別なものはない。<br /><br />実在のトーマス・グラバーは、日本に多大な貢献をしたスコットランド人で、外国人として最初の勲2等旭日重光章を与えられた人だ。武器商人という一面はあったが、それでも、各種の貢献を日本に対して行った人だと思う。だから、これだけ、グラバーの名前が知れ渡っているのだ。<br /><br />このトーマス・グラバーの友人のひとりにドイツ人のハインリヒ・シュリーマンがいる。世界史が得意なら「トロイア遺跡発掘のシュリーマン」と言えばご存じだろう。このシュリーマンが遺跡発掘の前に、幕末の日本で1865年に1カ月江戸に滞在した。その時の旅行記は石井和子が翻訳して講談社学術文庫から「シュリーマン旅行記 清国・日本」と題して出版されている。アマゾンなどの書評を読むと、大変に評価の高い本だ。その本の訳注の26(163ページ)と「学術文庫版訳者あとがき」に悲しい出来事が記されている。グラバー邸、グラバー園の訪問者は知るべき話だと思われるので、ここでその本の訳者石井和子の書いた解説部分から、主要な内容をかいつまんで紹介しておきたい。<br /><br />トーマス・グラバーは日本人加賀まきと結婚し、長男の倉場富三郎が1870年に生まれた。富三郎は学習院を卒業した後、イギリスのケンブリッジ大学で学び、さらにアメリカのペンシルバニア大学を卒業し、24歳で長崎に戻った。トロール漁法を日本に導入したのは彼だそうだ。「グラヴァー図譜」という魚類の貴重な資料も残した。「日英友好」を大事にしていた。<br /><br />ところが、彼の思いとは逆に進み始め、日英関係は悪化し、第2次世界大戦に突入してしまう。富三郎は敵国人扱いされ、憲兵につけまわされ、愛妻ワカとも死別し、友人も彼を避けるようになり、さらに長崎原爆投下。終戦から11日目に自宅で縊死した。遺書には巨大な金額だったろう当時の10万円を長崎復興のため、寄付するとあった。<br /><br />以上が石井和子の解説の要点である。オペラや映画にするなら、こちらの実話は、もっと衝撃的だろう。ピン・カートンと蝶々夫人のようないい加減な話(長年待っていたのに、別の女ができて、アメリカ人から捨てられて自殺する蝶々夫人というのは酷い話だ!)より、遥かに深刻な事実を、ほんの数日前に、このシュリーマン旅行記で知って、ショックだった。<br /><br />ウィスキーで有名な「まっさんとリタ」の実話も同じスコットランド人が偏見で苦労した話だが、グラバー家の話は日本への貢献度がもっと大きいだけに、本当に悲しい。。。それでも、自殺したグラバーの息子富三郎の遺書には、長崎への恨みどころか、大金を長崎復興のために寄贈したというのだ。。。こういう、いい話を知るほうが、グラバー園のイメージ・アップにつながるだろうと今は考えている。<br /><br />グラバー園の現状は説明の出し方で改善可能だろうと思う。講談社学術文庫を読んだことで、グラバー園のイメージが私ははるかに向上した!だから、前回書いたグラバー園の旅行記は4つ星だったが、今回は5つ星に上げる!<br /><br />写真の一枚目は三浦環が演ずる蝶々夫人。グラバー園の真ん中にプッチーニの像と並んで、ある。<br /><br />これは既に書いていた口コミを修正拡大したもの。<br /><br />(なお、蝶々夫人の夫を想起させる人物が実際にいたのかどうか知らない。他に思い当たる長崎にいた外国人で有名なのはシーボルトだが、彼は日本人妻と娘イネを残して、日本を追放されるし、故国ドイツで再婚するのだが、しかし、幕末に再び日本に戻り、家族は再会した。ただし、その再訪の時、ドイツで生まれた息子を連れてきており、日本に残していた家族とも仲良くやっている。日本に残した家族を大事にした人だ。ピン・カートンのような悪人ではない!シーボルト関連本は多数読んでいるので、詳しいつもりだ。)<br /><br />

長崎の旧グラバー邸訪問の際、知っておきたい背景。

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2016/09/15 - 2016/09/16

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tad

tadさん

長崎の旧グラバー邸は、とかくここグラバー園を廻ると、「蝶々夫人」の話と結び付けられるが、イタリアの作曲家プッチーニのオペラの台本では単に長崎の日本家屋と場所設定があるだけのようだ。実際、ウィーン国立歌劇場で2年前に名演を見たが、架空のアメリカ人のピン・カートンが出る話しで、スコットランド人のトーマス・グラバーとはなんの関係もない話だった。日本風家屋で演じられた。

むしろ、グラバー園で見る内容は、日本に多大の貢献をしたトーマス・グラバー一家の貢献度を貶めることになりかねないと思うようになった。なにしろ、ピン・カートンなる人物は蝶々夫人を裏切る人だ。だから、オペラの最後は蝶々夫人が自らの命を絶つ悲劇なのだ。こういう人をトーマス・グラバーのような日本に貢献した人と混同させるようなところがグラバー園全体を歩いていると、あるのではないかと危惧するようになった。きっかけは先日の訪問後に、一冊の本を読んだからだ。

オペラ自体は世界的人気作だし、悪いオペラではない。ただ、グラバー園で、どうしてここまで、「蝶々夫人」のオペラに関する展示や説明がしつこいのか、今は理解に苦しむだけだ。。。作曲家プッチーニの像や蝶々夫人を歌った歌手の紹介が二人もある。しかし、イタリアのルッカにあるプッチーニの誕生の家の周囲など、以前、行ったことはあるが、なにも特別なものはない。

実在のトーマス・グラバーは、日本に多大な貢献をしたスコットランド人で、外国人として最初の勲2等旭日重光章を与えられた人だ。武器商人という一面はあったが、それでも、各種の貢献を日本に対して行った人だと思う。だから、これだけ、グラバーの名前が知れ渡っているのだ。

このトーマス・グラバーの友人のひとりにドイツ人のハインリヒ・シュリーマンがいる。世界史が得意なら「トロイア遺跡発掘のシュリーマン」と言えばご存じだろう。このシュリーマンが遺跡発掘の前に、幕末の日本で1865年に1カ月江戸に滞在した。その時の旅行記は石井和子が翻訳して講談社学術文庫から「シュリーマン旅行記 清国・日本」と題して出版されている。アマゾンなどの書評を読むと、大変に評価の高い本だ。その本の訳注の26(163ページ)と「学術文庫版訳者あとがき」に悲しい出来事が記されている。グラバー邸、グラバー園の訪問者は知るべき話だと思われるので、ここでその本の訳者石井和子の書いた解説部分から、主要な内容をかいつまんで紹介しておきたい。

トーマス・グラバーは日本人加賀まきと結婚し、長男の倉場富三郎が1870年に生まれた。富三郎は学習院を卒業した後、イギリスのケンブリッジ大学で学び、さらにアメリカのペンシルバニア大学を卒業し、24歳で長崎に戻った。トロール漁法を日本に導入したのは彼だそうだ。「グラヴァー図譜」という魚類の貴重な資料も残した。「日英友好」を大事にしていた。

ところが、彼の思いとは逆に進み始め、日英関係は悪化し、第2次世界大戦に突入してしまう。富三郎は敵国人扱いされ、憲兵につけまわされ、愛妻ワカとも死別し、友人も彼を避けるようになり、さらに長崎原爆投下。終戦から11日目に自宅で縊死した。遺書には巨大な金額だったろう当時の10万円を長崎復興のため、寄付するとあった。

以上が石井和子の解説の要点である。オペラや映画にするなら、こちらの実話は、もっと衝撃的だろう。ピン・カートンと蝶々夫人のようないい加減な話(長年待っていたのに、別の女ができて、アメリカ人から捨てられて自殺する蝶々夫人というのは酷い話だ!)より、遥かに深刻な事実を、ほんの数日前に、このシュリーマン旅行記で知って、ショックだった。

ウィスキーで有名な「まっさんとリタ」の実話も同じスコットランド人が偏見で苦労した話だが、グラバー家の話は日本への貢献度がもっと大きいだけに、本当に悲しい。。。それでも、自殺したグラバーの息子富三郎の遺書には、長崎への恨みどころか、大金を長崎復興のために寄贈したというのだ。。。こういう、いい話を知るほうが、グラバー園のイメージ・アップにつながるだろうと今は考えている。

グラバー園の現状は説明の出し方で改善可能だろうと思う。講談社学術文庫を読んだことで、グラバー園のイメージが私ははるかに向上した!だから、前回書いたグラバー園の旅行記は4つ星だったが、今回は5つ星に上げる!

写真の一枚目は三浦環が演ずる蝶々夫人。グラバー園の真ん中にプッチーニの像と並んで、ある。

これは既に書いていた口コミを修正拡大したもの。

(なお、蝶々夫人の夫を想起させる人物が実際にいたのかどうか知らない。他に思い当たる長崎にいた外国人で有名なのはシーボルトだが、彼は日本人妻と娘イネを残して、日本を追放されるし、故国ドイツで再婚するのだが、しかし、幕末に再び日本に戻り、家族は再会した。ただし、その再訪の時、ドイツで生まれた息子を連れてきており、日本に残していた家族とも仲良くやっている。日本に残した家族を大事にした人だ。ピン・カートンのような悪人ではない!シーボルト関連本は多数読んでいるので、詳しいつもりだ。)

旅行の満足度
5.0

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