2016/08/21 - 2016/08/22
3位(同エリア1849件中)
noelさん
ついに、ついに辿り着きました。
本当に長年思い焦がれてきたモン・サン・ミシェル。
初めて知ったのは、一枚の写真でした。
海の中に孤高を持し、凛とした姿で佇んでいるその姿・・・。
たまたまその時に流れていたのが、当時流行っていたBoyz Ⅱ Men の「End of the road」 でした。
歌詞の内容は全然違うものの、甘いメロディと、いかにもここが本当の End of the road に思えて、いつかは行きたい、そんな思いは時を重ねる度に募るばかり。
そして念願叶って、ようやくこの地を踏みしめることができました。
ただ、今は簡単に便利に行けますが、遠い昔に想いを馳せると、中世の頃、カトリックの信者の方々は、おそらく私よりも強い気持ちを持ってここを目指しました。
そして残念にも潮の満ち引きの激しいこの地故に、辿り着くことができず、命を落としてしまった方々も多くいます。
だからこそ、人々はこの岩山を、修道院を崇め訪れるのでしょう。
そんな想いを胸に・・・。
★★★今回の旅程は下記のとおりです。★★★
2016年8月19日(金)
JAL415便にて成田からパリ・シャルルドゴール空港へ
↓
8月20日(土)パリの市内観光
↓
8月21日(日)ヴェルサイユ宮殿
モン・サン・ミッシェルへと移動
↓
8月22日(月)モン・サン・ミッシェル観光
↓
パリへ
↓
TGVでジュネーブへ
↓
8月23日(火)
ユングフラウへ
↓
8月24日(水)
↓
ファドーツ(リヒテンシュタイン)
↓
ザンクト・ガレン
↓
8月25日(木)
ノイシュバンシュタインへ
↓
ヴィース教会
↓
ローテンブルク
↓
8月26日(金)
ライン川クルーズ
↓
フランクフルト
↓
JAL408便にてフランクフルトから成田へ
帰国
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
PR
-
Autoroute
オートルート(フランスの高速道路)で、モン・サン・ミシェルへ向かっています。
高速道路からの景色を眺めていると、改めてフランスは農業国だなぁ~と感じます。
都市部を離れると、こんな光景がずっと続きます。
フランスはEUで最大の農業国です。
世界1位はアメリカですので、フランスは2位です。
気候も大きく影響しているのでしょう。
海洋性気候、大陸性気候、地中海性気候の3つの気候のおかげでしょう。
山がないので視界が結構開けていました。
途中、風力発電が左手に見えました。
ちなみに、モン・サン・ミシェルまで22km地点で右手に姿が見えてきました。
写真は撮りそこなったのですが。 -
イチオシ
あ!
遠くに、ポツリと見えます。
近づいてきました。
あともう少しです。 -
モン・サン・ミシェルの対岸にある村(?)にやってきました。
ゲートでは、パスワードが必要になりますので、事前にホテルに確認して、パスワードを教えてもらいましょう。
今はモン・サン・ミシェルへは、車での乗り入れはできません。
まずはホテルへと向かいます。 -
Hotel Vert
こちらが本日のお宿です。
こじんまりとして、可愛いです。
看板がなければ、普通のお家に見えます。
こちらが正面です。 -
実はお部屋もこじんまりとしていました。
スーツケースを2個置くだけで精一杯でした。
ただ、部屋でくつろぐよりも、早くモン・サン・ミシェルに行きたい!!!!
逸る気持ちを抑えられず、まずはモン・サン・ミシェルへ!
部屋の狭さは、さほど気になりませんでした。私は。
海辺のリゾートなどでは、ゆったりとした時間を過ごしたいと思っていますが、遺跡巡り等、観光を重視する時は、ホテルでは眠るだけでいいかも・・・。
ただし、連れはブツブツ言ってました。 -
ホテルの周りは、こんな感じで静かです。
隣にはキャンプ場もあります。 -
可愛い男の子とお父さんです。
モン・サン・ミシェルに来て、テンションが上がっている私は、旅の思い出として、なんでも撮っておきたいので、パチリ。 -
ホテルは小さいですが、すぐ隣にこんな便利なお店があります。
お向かいにはレストランなどもあって便利です。
このカラフルな牛さんたちが、なんとも可愛いような、可笑しいような・・。
このあたりは酪農地域ですので、こんな牛さんたちが!
この牛さんたちは、次の方の作品です。
「ノルマンディの牛」
パリ生まれの彫刻家(画家)のエロディ・シュドラーさん(女性)作。
ちなみに、スイスでもにたような牛さんを見かけました。 -
ホテルの近くにあるバス停です。
モン・サン・ミシェルへのアクセスは
シャトルバス
馬車
自転車
徒歩
という4つの手段があります。
このシャトルバスは無料です。
ただし、ちょっと混みます。 -
夕食を食べてから向かうはずでしたが、思ったよりも早く到着したので、夕食前に出かけることになりました。
曇り空ではありますが、威風堂々とした姿です。 -
かつてここは陸地でした。
約8世紀頃までは、森に覆われていました。
この森をシッシーと言いました。
(8世紀初めのトンブ山は、水深き湾の中に突き出た高さ78mの花崗岩でできた円丘、その姿は現在とは似ても似つかないものだったそうです。)
そして、その中にトンブ(墓)がありました。
このトンブは岩山で、突き出ていました。
そしてモン・トンブ(墓の山)と言われて、ケルト人が信仰する聖地でした。
現在でもこの付近のブルターニュ地方はケルト文化が残っています。 -
イチオシ
大昔から人々は、この山を霊場として、ガリア人の時代にはベレン(光の神)の、そして後のローマ時代には、メルクリウス(旅の使者と商業の守り神)の神殿があったようです。(詳細は下の*をご覧ください)
昔からこのような景観を持つ岩山は、霊場とされてきたことが多いのですが、やはり当時も何かしら神が降臨しそうな、そんな神秘的な場所だったのでしょう。
*ケルト人が信仰していたドルイド教では、森に対して特に信仰がありました。
また山頂は死者の霊魂が来る場所と信じていました。
よっておそらく山頂部では儀式が行われたことでしょう。ドルイド教のベレン神(アポロン神にあたります)に祈りを捧げていたようです。
このようなドルイドの聖地は天と地、陸と海を結ぶ場所としては、このトンブ山はは理想的な場所でした。
また、ブロセリアンドの伝承によると、この島にはドルイド教の巫女たちの養成学校のようなものがあったようです。 -
かつての宗教は時代とともに変遷していきます。
そしてキリスト教時代に入っても、かつての異教の霊場はそのままキリスト教に引き継がれました。
トンブの岩山も・・・。
5世紀にはキリスト教の隠者が庵を構えるまで、変化していきました。 -
伝説によると・・・
708年、アヴランシュのオベール司教の夢に大天使ミカエルが現れました。
そして「かの岩山の上に聖堂を建てよ。」とお告げがありました。
でも、オベール司教はなかなか信じられずに、行動も起こしませんでした。
3度目に現れた時に、大天使ミカエルはオベール司教の額に触れて、さらに強く命じました。
その感触でオベール司教は、大天使の存在を信じました。そして小さな聖堂を建てました。
すると、なんと陸続きだったモン・サン・ミシェルが、一夜にして海に沈んで孤島になってしまったというのです。
さて、こんな事が起きたら本当に吃驚です。
ただ、皆さんもご承知のように、似たような事は昔は結構あります。
例えば、その一つにモーゼの十戒で、海が割れるシーンが出てきます。
本当かどうかは別として、似たようなケースはこんな風にあります。
また、中世では森が海になったとか、聖人にまつわる奇跡譚が語られています。
そのようなわけで、この一夜にして海に沈んだというこの件についてですが、長年これは事実ではない、と思われてきました。
ただ、海底の地質の調査をしたところ、そこが8世紀頃まで本当に森であったという証拠を発見したそうです。
勿論一夜にしてなったとは思えませんが・・・・。
709年3月、奇跡が起こりました。
津波が襲い、洪水が全てを飲み込み、地面が沈み、地震が起きました。
こんな自然災害がたて続けに起きたとは・・・・。
もしこのようなことがなかったとしても、長い間に地盤沈下などでそうなったのだとしたら、納得いきます。
【こちらからは、もっと詳しく書きますので、わざわざ読まなくていいです。】
ここから、東南方向に1600km離れたイタリア半島南東のガルガノ(サンタンジェロ)山があります。これは標高1000m近い山です。
490年5月8日のこと・・・
シポントのロレンツォ司教は、ある噂を耳にしました。
それは町を見下ろす洞窟の前に牡牛がいて、人間の言葉を喋るというのです。
そしてこの言葉を裏付けるかの如く、聖ミカエルがロレンツォ司教のもとに現れました。
「この地元の羊飼いが寄合の場、そして信仰の場としている洞窟の中に礼拝堂を作るように。」と命じました。
史料によると・・・・、牡牛が逃亡したので、それに腹をたてた飼い主が、牛をめがけて矢を放ちました。
ところが矢は途中でUターンして飼い主の手に戻ってきたそうです。
そしてロレンツォの司教と同様に、オーベル司教も大天使の夢をみました。
トンブ山の頂上で、地面から引き抜かれた杭を引きずっている牡牛をみかけます。牡牛が歩くと鋼の先に結ばれた杭で、地面に大きな円が描かれました。
(別の伝承では、朝露によって、その円が示されたそうです。)
このため、ガルガノ山の礼拝堂は洞窟に、トンブ山ではオベール司教によって、円形の建物になりました。
*ところでシポントのロレンツォ司教が聖ミカエルに、加護を求めたのは?
↓
当時は西ゴート族などによって、イタリア全土が荒らされていました。
シポントも例外ではありません。
そこで大天使の保護を求めたわけです。
*ヨーロッパには、ガルガノ山という名の山が、たくさんあります。
「ガルガノ」というのは、ケルトの太陽神、ベレン(ベレニュス)の息子とされてました。 -
この橋を通って行きます。
先日「世界ふしぎ発見」で宮島(厳島神社)と意外な共通点があると放映していました。それが以下の通りです。
1 海上の世界遺産
2 歴史ある聖なる場所
3 名物料理
ちなみに、潮の満ち引きによる大きな影響について考えると、長崎県の諫早湾の堤防は、まだその問題が残っています。
長崎については、どちらにしても、もう誰かに影響を及ぼしますので問題は根深いです。
ただ、モン・サン・ミシェルについては、堤防を撤去することで解決できました。
もし諫早湾についてご興味のある方は、下記の旅行記をどうぞ!
↓
http://4travel.jp/travelogue/11111603 -
今、モン・サン・ミシェルは原点回帰しようとしています。
自然を取り戻すのに30年もかかったそうです。
水を溜めて一気に流す・・1日に2回放流することによって自然環境を取り戻しています。
ここまで訪れるのには、車も乗り入れできません。(以前は行くことができましたが)
そんなわけで馬車か徒歩か、シャトルバスで行くしかありません。 -
ヴィクトル・ユゴーは初めて訪れた時・・・
「彼の背後には巨大な三角形をなし、大聖堂の冠と城塞の鎧を身につけ、一つは丸く、もう一つは四角い東の大きな塔が、岩山と力を合わせて教会と町の重みを支えている風情で、モン・サン・ミシェルは、砂漠のピラミッドのように海原に聳え立っている」と言っています。
(93年) -
もう一つ忘れてはいけないのが、モン・サン・ミッシェルは1975年にラムサール条約の登録地にもなりました。
ラムサール条約とは、湿地の保護に関した国際条約です。
湿地に生息する水鳥などその生態系を支えるものの保護に努めることを目的としています。
つまりは、モン・サン・ミシェルもそうなんですね。
このノルマンディ、ブルターニュのモンサンミッシェル周辺は、プレ・サレ と呼ばれる低湿地帯です。
そして、このモン・サン・ミシェルは周囲が約1km、高さが80mです。
特にこの海はヨーロッパの中でも引き潮と満ち潮の落差がもっとも大きいとされています。
このせいか19世紀には、人を飲み込む砂州として、不吉な言い伝えも。
「潮は物凄い速さで、砂州を進んでくるので、危険から逃れようと旅人が馬を急がせても間に合わない。」などと誇張させてたような面もあったようです。
(ヴィクトル・ユゴーも。) -
ここに注意喚起の看板があります。
本日この付近は潮が満ちると、海になります。(海水が押し寄せてきます。)
乗り物を置いている方は、満潮時までには移動してください。 -
トリコロールが見えます。
Tour de Roi 王の塔です。 -
Toul de la liberte 自由の塔
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左から王の塔
そして右がToul de L'Arcadeアルカード塔です。
堅固な城壁に囲まれてます。
100年戦争が偲ばれます。 -
車が駐車している横は、Fanilsファニの城壁です。
憲兵隊兵舎です。
その奥に見えるのが、Toul Gabrielガブリエル塔です。
1524年築かれた城壁の一部です。
ガブリエル・デュ・ビュイ中尉によって築かれました。
大砲を設置していましたが、19世紀からは灯台となりました。 -
入口の前哨門から東側の眺め
-
まずこの入口から入ります。
Porte de l'Avancee ラヴァンセ門(前哨門)です。
この門は16世紀に付け足されました。
大砲の性能が改良されたためです。 -
ビデオ監視システムが設置されているようです。
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2番目の門は
Porte du Boulevard 要塞の門です。
名前の通り、砲撃から城塞を守るために築かれました。
ただし、19世紀に入って、ホテル「メール・プラール」が建てられ、以前の様子とは変わっています。 -
門をくぐると、大砲がありました。
イギリス軍の白砲です。
100年戦争の1434年に、イギリス軍が放置していったものです。 -
リノヴェーション計画のようです。
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第2の門
La porte du Boulevard 要塞の門 -
すぐにこの有名なお店があります。
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そして次の門が見えています。
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3番目の門
La porte du Roi 王の門です。 -
La Mere Poulard
有名なプラールおばさんのオムレツのお店です。
目にも止まらぬ早業で造ったそうです。
ただし残念ながら、こちらではいただきませんでした。 -
プラールおばさんの看板
プラールおばさんの名前は、アネット・プラールです。修道院を見に訪れた人たちを親切に宿泊させてくれた最初の人でもあります。 -
この門の2階はフランス王軍の駐屯隊の宿営がありました。
そんなことから「王の門」と呼ばれいています。
今では役場があります。 -
La Poste
郵便局があります。 -
今はこの階段は登りません。
また後ほど・・・・。
この階段は陵保の巡警路へ上がれます。
この家はLa maison de l'Arcade アーケードの家です。
古い民家です。
修道院へ向かう階段の方は、ル・モントーと呼ばれているそうです。 -
Grande Rue グランド・リュ
メインの参道です。名前の割には狭いです。
でも、これが昔だったら、そうは思わないでしょう。
道路が整備された現在と昔とは違います。 -
ちょっと物々しいですが。
やはりテロの対象となる施設ですから仕方ありません。 -
Hotel ★★★
Les Terrasses Poulard
とても狭い階段です。 -
ちょっと失礼、こちらはトイレです。
モン・サン・ミシェルらしく、この風景に馴染んでいます。 -
この参道はとても狭く、両脇にお店がびっしり。
-
夕方ですが、人でいっぱいです。
-
なんか間違ったの?
と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、これは江の島の参道です。 -
これは、モン・サン・ミシェルから戻ってから、連休中に江の島を訪れた
写真ですが、毎年1回はこの近隣には足を運んでます。
そして思うのですが、ちょっとだけグランド・リュと似ているような気がしませんか?
参道が細く左右狭い所にびっしりと土産物屋が建っている所はそっくりかと思います。
皆さん、気を悪くしたらすみません。
何しろこの島までも、江島弁天橋を渡って行きますので、ちょっと共通点があるような気がするのですが。
そして江島神社は龍神を抑える要所となっていますが、モン・サン・ミシェルの守護聖人、大天使ミカエルも龍(ドラゴン)退治をしています。 -
お店を見ると、結構日本語を見かけます。
そして、たまたま立ち寄ったお店にも、日本の方がいました。
ここで日本語を喋るとは思ってもみませんでした。 -
商品が綺麗に陳列されています。
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La Mere Pulard
sables
プラールおばさんのサブレ、お土産にたくさん買いました。
ちょっとここで注意!
実は私、お店の人にお土産で配るから、パッケージ包装になっているかと聞きました。そしたら、しているというので安心してたくさん買ったのですが、いざ配る段階になって、種類が違う事、そしそれによって個数が違う事、後になって気づいたのです。そんなこんなで、かなり慌てました。
paiets パレ・・・は厚焼きのクッキーで、4枚1パッケージで2袋
galettes ガレット・・は厚焼きなので4枚1パッケージで2袋
sables サブレ・・・は薄焼きなので8枚1パッケージで2袋
他にもあるかもしれません。
どうぞお土産で配る際には、私のようにお間違えないように!
とりあえずグランド・リュでは店が開いてるうちに色々と買い物できました。 -
一旦モン・サン・ミシェルを後にして、ホテル近くで夕食です。
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フランス国旗とバス=ノルマンディー地方の旗です。
Basse-Normandie
バス=ノルマンディーとは、かつて存在した地域圏です。
2016年からは、オート=ノルマンディー地域圏と統合してノルマンディー地域圏が新設されました。
Les leopards, symboles de la Normandie Blason de la Normandie
ノルマンディ―のシンボルの豹(ノルマンディー公国の紋章) -
2015年、皆既日食の影響で18年ぶりの大潮で、この橋が水没しました。
これが水没すると、本当に孤島になります。 -
橋を渡って簡単に行ける事に、感謝してます。
私などより、よっぽど信心深い方で、巡礼したくても、ここまで来ることが、できなかった方々も多かった事でしょう。昔は。 -
このシャトルバスに乗って、ホテルに戻ります。
実はこのシャトルバス、Uターンする必要がありません。
方向転換もしなくてもいいのです。
それは前、後ろ両方に運転席があるからです。
最終地点まで着いたら、運転手さんがバスから降りて、後部に移動するのです。
安全面から考えてもよくできていると思いました。
モン・サン・ミシェルの手前は、写真を撮っている人でいっぱいです。
方向転換する際に、ちょっとしたことで事故になる可能性もあります。
でも、これなら安心です。
Le Passeur
ル・パサー
このシャトルバスは無料です。 -
戻りました。
ラベンダーが綺麗です。 -
La Rotisserie
ホテルの近くのレストランで夕食です。 -
野菜サラダ
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チキンのグリル
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レモンパイ
これは美味しかったです。 -
牛さんがいっぱい。
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Les Galeries du Mont Saint-Michel
色々なものがあります。
お土産で買いそこなったものは、こちらで購入しました。
日本人のスタッフがいました。
てきぱきとして、とても感じが良かったです。 -
写真を撮り忘れて、帰宅後撮ったものです。
この固めのアップルケーキ?が結構私好みでした。
日持ちもして、しかもリーズナブル!
(上記のお店で買いました。)
お店の左の奥の下の方の棚にありました。
半円型の形状です。(これはカットしたものです。) -
シャトルバスからの眺めです。
西の空が夕陽に染まっていきます。 -
Barrage sur le Couesnon
クエノン河口ダムの展望スポットです。
ここからの眺めは、残念ながら見ないでしまいました。
ちなみに2009年からこのダムの稼働が開始しました。
川の水で湾内の堆積物を押し流す役目をしています。 -
ちょっと幻想的です。
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窓ガラスに反射してますが、夕焼けとモン・サン・ミシェルが・・・。
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ようやくこの夕陽を見ることができました。
幸せです。
天気も良く、聖ミカエルに感謝します。 -
忘れられない夕陽になりそうです。
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今まで様々な場所で夕陽を見てきましたが、この夕陽は格別です。
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なんだか幻想的で不思議な景色です。
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イチオシ
神が舞い降りてきそうな・・。
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思わず合掌したくなるような、そんな夕陽です。
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長い夏の一日が、終わろうろしてます。
皆さん、それぞれの思いで、この夕陽を眺めているでしょう。 -
門を入った所の右手にある細い階段を上ってきました。
反対側には郵便局がある所の階段です。 -
イチオシ
上からの眺め
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サン・マロ湾
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2016年の大潮の潮位予測
9月
17日(土)21:35…高さ13.00m
18日(日) 8:57…高さ12.90m / 21:17…高さ13.20m
19日(月) 9:38…高さ13.00m / 21:58…高さ13.10m
10月
16日(日)20:13…高さ13.15m
17日(月) 8:34…高さ13.15m / 20:56…高さ13.35m
18日(火) 9:16…高さ13.25m / 21:39…高さ13.20m
19日(水) 9:57…高さ12.95m
11月
14日(月)18:50…高さ12.9m
15日(火) 7:11…高さ13.05m / 19:37…高さ13.05m
16日(水) 7:56…高さ13.10m / 20:22…高さ12.95m
17日(木) 8:40…高さ12.90m -
階段を登って、上から眺めてみました。
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レストランのメニューです。
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銃眼があります。
ここが要塞であったことを物語っています。
イギリスから直線距離で200kmと近いです。 -
城壁は遊歩道になっています。
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ここから見上げると・・・。
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モン・サン・ミッシェルが、ライトアップされています。
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下を覗いたらこのようになっていました。
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銃眼がたくさんあります。
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真下の海を見下ろすと、昔の牢獄だった頃、ここを脱出するのが、いかに困難か、改めて感じます。
しかも、牢獄は、ここよりももっと上にありました。 -
明るく見えますが、実際にはかなり暗くなってます。
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ライトアップしています。
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ここからだと修道院というよりも、要塞と言った方がいいような景色です。
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この先は、明日のお楽しみ。
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ちょっとこの暗さでは怖いような・・・。
明日ゆっくり拝見します。 -
暗くてよく見えませんが
Musee Histprique
もう閉まっています。 -
暗くても、潟になっているのがわかります。
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橋が見えます。
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尖塔の上から大天使ミカエルが見下ろしているような・・・。
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ミカエルに捧げられた場所は他にもあります。例えば・・・
ローマのサンタンジェロ城
南イタリアのモンテ・ガルガーノ
イギリス、コーンウォールのセント・マイケルズ・マウントなど。 -
Oh!!!
なんと、先ほど入ってきたラヴァンセ門は水に浸かって通れません。
潮が満ちてきました。
まださほどではありませんが・・・・。
帰りはこの先から出ました。 -
超然と屹立している御姿
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神秘的です。
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イチオシ
you-tube動画にしました。
https://www.youtube.com/watch?v=E-AwFZRLQMQ -
いつまでも見ていたいです。
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イチオシ
もう言葉はいりません。
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夜の帳がおりて、辺りは静寂に包まれてます。
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夜のライトアップしたモン・サン・ミシェルも見る事ができて、幸せです。
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名残惜しくて、何度も振り返ってしまいます。
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イチオシ
この写真が、一番綺麗かもしれません。
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Bonne nuit! おやすみなさい!
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Bonjour. おはようございます。
朝がやってきました。
静かで、のどかな朝です。 -
イチオシ
右側(東側)から朝日が・・・・。
モン・サン・ミシェルの朝は、静かです。 -
ホテルからは直接モン・サン・ミシェルが見える位置ではありませんでした。
でも、朝のモン・サン・ミシェルも見たいと思ってました。
ここは幸いにも周囲に遮るものはありません。
きっとホテルの東側に行けば見えるはず!
ホテルのレセプションで、日の出の時間を確認しましたが、今一つはっきりしないようでした。
7時頃?と聞いたところ、まぁそんな時間でしょう、とのこと。
ここに住んでいるとあまり気にならないのでしょうか。
また、宿泊客も、日の出は気にしないのでしょうか・・・。
ツアーですので、朝食前に行くしかありません。
そこで急いで向かいました。 -
東の地平線が少しずつ色を帯びてきます。
-
ホテルの東側はキャンプ場でした。
-
案内があります。
モン・サン・ミシェルまで、徒歩で2500m 約40分、
シャトルバス乗場「グラン・リュ」まで200m 3分、
自転車置場は600m先です。 -
前方にモンが見えてきます。
いい散歩道です。
ジョギングしている人もいました。 -
イチオシ
これがだいたい午前7時の空です。
-
時間に余裕があったら、歩いて行きたいくらいです。
それだけ、爽やかな朝です。 -
こちらは一面とうもろこし畑です。
なんてのどかな風景なんでしょう。 -
ズームイン!
-
イチオシ
この日はお天気に恵まれて、くっきり青空です。
朝食を慌ただしく済ませて、今日は修道院の中に入ります。 -
潮が満ちてきて、今日はラヴァンセ門ではなく、左横の通路から入ります。
-
朝の人があまりいない時間は、お勧めです。
-
また昨日とは違った表情をしています。
蛇足ながら先日ちょっとだけ似たような寺院を発見しました。
それはガンジス川に突き出た岩塊の上にそびえてました。
その名はジャハンギラ寺院です。
これは勿論大天使ミカエルではなく、ヒンドゥー教のシヴァ神を祀っています。
ガンジス川の中州のような所にあるため手漕ぎボートで寺院に向かわなければなりません。
そんな不便なところが昔のモン・サン・ミシェルのようでした。 -
本当に昨日と違って、人がまばらです。
この王の門は、跳ね橋になっています。
今は柵がありますが、本来は左側が車道で、囲われている右側が歩道です。
ここは分かれてますが、内側では一つになっています。
この門の上には王と修道院長、町の紋章が飾られています。 -
難攻不落の要塞である事を、痛感せずにはいられません。
-
落とし格子で敵から防御します。
ちょっと怖いですね。
これが落ちてきて突き刺さったら・・・・。 -
La maison des Artichauts
アンティチョークの家(奥の家) -
こんな大きなフラいパンで作っていたのでしょうか。
とても大きいので、重労働です。 -
人が一人通り抜けるのがやっとです。
ちょっとわくわくします。
島内は、こんな小道がたくさんあります。 -
可愛らしい看板が楽しいです。
日本語もあります。
「Les Lutins」妖精(小鬼)
リュタン:ノルマンディ地方の民間伝承の妖精 -
Magasin La Sirene 人魚の店 クレープリー
-
Restaurant S. Pierre
レストラン サン・ピエール
(オーベルジュ・サン・ピエール) -
本当に色々な看板があって可愛らしいです。
-
看板が楽しいです。
そもそもこの町の原形が造られたのは、巡礼が最盛期だった12-13世紀のこと。
参道として賑わっていたこの道を、旗をうちたてた修道士の先導で、巡礼者たちが
隊列を組んで聖歌を歌いながら歩きました。
この参道の両側には巡礼象徴である帆立貝の貝殻(平和の意)や杖(希望の意)がありました。
ところでホタテというと聖ヤコブの象徴かと思いますが・・・。
昔こんな風に言われたそうです。
「貧乏人はモン・サン・ミシェルへ、裕福な人はサンチアゴ・デ・コンポステーラへ行く。」と。
ただ競い合うつもりは毛頭なかったようです。
中世初期は、北はエノー、東はバイエルンに至る一帯で聖ミカエル信仰が強くこれらの地方の人々がここを訪れたそうです。
個人的に思いますが、特にこの一帯の人々にとっては、サン=ジャック(サンチアゴ・デ・コンポステーラ)への道は遠いです。
そんなことから言われたのではないのかと・・・ちょっとだけ思いました。 -
アイス
朝食を食べたばかりですので、今はやめておきます。 -
朝早かったので、こんな車も・・・。
-
お茶碗までありました。
ちょっとお土産には重いので・・・見るだけにしました。 -
白十字?
Hotel La Croix Blanche
オテル ラ クロワ ブランシュ -
朝早いので、がラーンとしてます。
-
La fee des Crepes
-
L'Eglise Paroissiale Saint Pierre
サン・ピエール教区教会
小さな教会です。
珍しいことに洞窟内にある教会です。
「慈悲の門」とあります。 -
ジャンヌ・ダルクの像
皆さんご承知のように百年戦争でフランスを救いました。
ジャンヌ・ダルクのお告げも、大天使ミカエルのお告げと言われています。
この頃、モン・サン・ミシェルもイギリスの攻撃を受けていました。 -
ステンドグラスが見えます。
-
聖母子像
-
祭壇にはミカエルが。
-
聖ミカエルの像(銀製)
この像は1870年の普仏戦争で高まったナショナリズムの熱を物語っています。
聖ミカエルは軍人の守護聖人でもあります。 -
ろうそくが綺麗です。私もお金を入れてお祈りしました。
-
石棺がありました。
-
ミサで歌うのでしょうか。
簡単なメロディのようです。 -
お隣には墓地があります。
こちらにはプラールおばさんのお墓もあります。
「貞節なる夫婦にして善良なる旅館主ヴィクトルとアンヌ・プラール、ここに眠る。
彼らが客を暖かく迎えたように、神も彼らを寛大に迎え入れんことを。」・・・と墓碑銘にあります。 -
Musee Historique 歴史博物館
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昔は島の中に小学校もあったそうです。
-
この右側が大階段になります。
-
十字架があります。
-
素晴らしい眺めです。
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見上げると、結構高いです。
ここまでの階段でも、息が切れてしまいました。 -
警備員さん
ニコニコしています。
ちなみセキュリティチェックがあります。 -
Salle des Gards 哨兵の門
こちらから入場します。
まだオープン前ですが、皆さん待っています。 -
Grand Degre 大階段
この階段は90段あり、結構きついです。
昔は、ちょうどこの上の橋から侵入者を狙い撃ちしました。
また石を落とした、ともあります。
砦であった所以です。
そして階段を上がると西のテラスに出ます。 -
水道設備もあります。
昔水は大変貴重なものでした。
雨水も利用したらしいです。 -
昔は、修道院の人が、洗濯や皿洗いに使ってました。
-
海に面した大修道院の入口
-
巨大なハヤブサです。
2016年モン・サン・ミシェルではナイトツアーが行われプロジェクション・マッピングで自然に水が流れる様子や、このハヤブサの目までが描かれました。
原点を取り戻そうとしています。
ちなみにナイトツアーは、夏季限定です。 -
西のテラスから眺めです。
Le Couesnon クエノン川です。 -
クエノン川を境に左がノルマンディ、右がブルターニュです。
このテラスは元々は聖堂の一部でしたが、焼け落ちてしまい、今はテラスになってます。 -
Tombelaine トンブレーヌ島です。
かつてはこの島と陸続きだったと言われています。
森に囲まれていました。 -
2022年2月19日、追記
ところでトンブレーヌと言うのは、「エレーヌの墓」という意味です。
それは、アーサー王の物語にあります。
アーサー王がサウザンプトンで乗船し、フランスのバルフルールに上陸した折、巨人が自分の家臣であるホエル(ブルターニュ公)の娘エレーヌをさらって、モン・サン・ミッシェルの山の頂きへ拉し去ったことを知りました。
アーサーは騎士たちを連れて山に向かいましたが、巨人がエレーヌを殺してしまったことを乳母から聞きます。
顔を血だらけににし、何匹もの豚を食い散らしている巨人に、アーサーは一人立ち向かいます。そして剣をふるって巨人の頭蓋深く刺し通し倒しました。
しかしながら、娘の死を知ったホエルは悲しみ、この地に一堂を建設しました。
すなわち、トンブレーヌ(エレーヌの墓)で、モン・サン・ミシェルの古名です。
かつては繋がっていたものの、今は少し離れた島に、その名前が残されています。
ちなみにアーサー王の軍とローマの大軍は、ブルゴーニュの平野で衝突しました。
双方ともの多くの戦死者を出す苦しい戦いが続きましたが、最後にオータンとランブルの中間付近のシェジアで一大決戦が行われ、ローマ皇帝ルキウス・ヒペリウスはとどめを刺されます。ブリトン側でもケイやベディヴィアが死にました。
ブリトンとローマの対決の地は、奇しくも紀元前53年、若いヴェルサンジェトリクスに引率られたガリアのケルト勢が、ユリウス・カエサルのローマ軍に滅ぼされたアレジアの付近でした。
これを書いたジェフリー・オブ・モンマスは、ケルト人たちの雪辱をアーサー王の物語で果たしました。
(出典:「ケルトの森・ブロセリアンド」田辺保) -
尖塔の先が金色です。
-
大天使ミカエルです。
銅に金箔が施されています。
2016年3月15日
大勢の観光客や修道女たちが見守る中、取り外されヘリコプターで運ばれて地に舞い降りました。
そして2016年5月26日ヘリコプターで再び塔の頂上へと戻されました。
修繕作業で再メッキを施されて光輝いています。
160mの高さ45万ユーロ(約5500万円)かかりました。
今後約50年は風や雷をしのげる見込みのようです。 -
この近隣は雷の多い所です。
実際、1112年落雷によって火事が発生してしまいました。
この修道院の建物が深刻な被害を受けました。
そのようなわけでこの大天使は避雷針の役割も果たしています。
ミカエルさん、お疲れ様です。 -
10世紀のモン・サン・ミシェル
岩山の頂上には「地下のノートルダム」と呼ばれる小さな修道院があります。
まだ小さいです。 -
11世紀には既にロマネスクの修道院が建てられました。
この頃になると巡礼者も増えてきました。 -
18世紀の修道院
1791年にベネディクト会の修道士たちは立ち去って、1793年には監獄に転用されてしまいました。
ちなみに1863年ナポレオン3世の勅命が閉鎖されるまで「海のバスティーユ」とさえ言われて恐れられました。
修道士たちが戻ったのは、その後200年後の1966年になってからです。 -
ネオゴシック様式の尖塔
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ヘリコプターで取り付け
2016年にもこのように行われました。
結果、ピカピカのミカエルを拝めました。 -
実際の尖塔のミカエルは・・こんな感じです。
-
L'e Eglise Abbatiale 大修道院教会
-
西側のテラスです。
実は石工たちのサインが、床に刻まれています。
写真には残念ながら、写ってませんが。 -
修道院聖堂の内陣
ゴシック盛期(15~16世紀)に建設されました。
この内陣には、聖職者だけが入ることができます。
外から光が・・・光は神を表しています。 -
ゴシックの内陣です。
かつてはロマネスク様式の内陣でした。
光と線の効果を綿密に配慮しただけあります。
1523年に完成してます。
ミサには残穢ながら、立ち会えませんでした。
テレビで観たのですが、聖歌の歌声は荘厳で感動的です。 -
建立時当時のノルマンディ地方のロマネスク様式が残るのは、ほぼ半分しかありません。
-
キリスト磔刑像
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ステンドグラス
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この紐(ロープ)はいったい何なのでしょう?
たまたまこの期間だけあったのかもしれません・・・。 -
窓から光が差し込んできています。
-
ミカエルの像
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大天使ミカエルです。
どちらかというと凛々しいミカエルのイメージが強いせいか少し違和感を覚えます。
この祭壇横の大天使聖ミカエル像は、左手には天秤を、魂の重さを計っています。
天使の番人としてのミカエルは臨終の人を助けてその魂を天上に送り届け裁きの座につかせる、いわゆる「最後の審判」では、この天秤によって地獄か天国、どちらに行くか決める計量者として登場します。
そしてもう一つは悪の克服者として、かつて天使であったルシフェルが仲間と共に神にそむいた際には天の軍勢を率いて戦って、地獄に追いやりました。
また黙示録にはミカエルとその使いたちが龍(悪魔)に戦いを挑んで、地上に投げ落としました。 -
祭壇付近の石畳の床です。
中央より右上あたりの緑色になっています。
これは開口部になってます。
つまり階下とメッセージの伝達に使われたのでしょう。
インターホンもありませんし。
勿論携帯・スマホもありません。 -
ステンドグラスの窓に、朝日が差し込んできています。
-
ショップですが、出口にもあります。
-
こちらには寄らずに、出口近くのショップに立ち寄りました。
ツアーでなかったら、立ち寄ったと思います。 -
回廊です。
修道院付属教会を眺めて・・。 -
La Merveille ラ・メルヴェイユ(驚異の空間)
修道士たちが瞑想するための場所でした。
この二重の柱は瞑想するのに、もっともふさわしい明かり演出しているそうです。 -
Le Cloitre 回廊
4人の人が作りました。
建築家の顔が描かれていたようです。
この時は気づかなかったのですが、あとで「不思議発見」で放映していました。
ちょっとこの写真ではわかりにくいのですが、屋根は木製です。
これはここだけではありません。
軽くするために工夫されてます。 -
修道士の西側ファサード
柱廊式中庭
ここから見えるのは食堂です。
煙突もあります。 -
中庭を囲む回廊の柱頭装飾
美しいレリーフです。 -
花のモチーフがたくさんありますが、十字架のようなものもあります。
キリスト磔刑図でしょうか。 -
顔の部分が欠けているので、誰であるかは不明です。
-
何度も修復されています。
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回廊のアーケードと庭園
-
本当にここは瞑想するのにふさわしい場所です。
-
尖塔の影が写ってます。
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Le refectoire des moines
修道士の食堂(メルヴェーユ東棟)
食事は粛々と沈黙を保っていたようです。
声を発するのは聖書の朗読の時だけだったようです。
ベネディクト会の教えによると食事は精神活動の一環です。
精神にも滋養を与えるように噛みしめていたのかと思います。 -
横の窓ですが、ここからも光が差し込んでくるため、明るいです。
-
こちらは明るく、そして音響効果も素晴らしく、朗読は響き渡ったようです。
そこでこんな説が・・・・
(先ほどの話とは全く違うのですが)
11世紀成立の古フランス語叙事詩、ローランの歌があります。
これは11世紀最大の詩であると言われています。
教会はこの詩をある意味で独占していたと言ってもいいようでした。
詩における歌(シャンソン)と建築における岩山の聖堂とは
同じものを表現している・・・らしいのです。
「ローランの歌」なくして11世紀が大天使ミカエルの聖堂に込めた感情に近づくことはできないのだ・・・と。
おそらく何世紀もの間「ローランの歌」の何節かが、ここモン・サン・ミシェルで
歌われたり朗唱されたと思われます。ほとんど毎日。
そしてこのローランの歌が一番しっくりしているのは
旧僧院大食堂であたでしょう・・とヘンリー・アダムスは言ってます。
聖書を朗読するのと、歌を歌うのでは随分と違いますので、これについては明言しないでおきますね。
ただ、時代によって色々なことがあったような気もします。 -
食堂の天井は木製です。
回廊もそうでした。 -
横にも窓があって、光が入ってきます。
-
鳥の羽がいっぱい飾られています。
これが何を意味するのか残念ながら、わかりませんでした。
ただ、夏の間はナイトツアーがあって、それに関係ありそうです。 -
テーブルと椅子がずらりと並んでいます。
修道士の数に合わせて作られたようです。 -
テーブルの表面です。
-
オベール司教に大天使ミカエルがお告げを告げる場面のレリーフです。
このモン・サン・ミシェルが建てられたのは、このお告げがあったから。
(前に書きましたので省略します。)
ミカエルが、オベールの頭に指たててます。
オベールの頭蓋骨には、穴があいてました。 -
La salle des hotes 客間
王や貴族階級の人々を迎える場所でした。
これもメルヴェイユと同じ建築家たちによって作られました。 -
円柱はほっそりとしています。
窓も特徴的です。 -
修道士と修道院長の取り決めで、この部屋には道院の友とその親類を泊めたことがわかっているようです。
修道院の友・・というのは中世では、巨額の寄付をした人を指すことから貴族階級であろうと思われます。 -
客間の暖炉です。
こちらで調理ができました。
客は修道士たちを煩わすこともなく、自分たちで食事の支度ができました。 -
火を使った跡が残っています。
-
暖炉を覗くとこんな感じです・・・。
煙は外に抜けました。 -
貴賓室の食事は、いつも用意されていて、修道士のものより、豪勢でした。
-
この扉はどこに通ずるのでしょうか・・・。
適当にパチパチ写真を撮ったので、どこにあったか記憶がありません。 -
Chapelle Sainte Madeleine
マドレーヌ礼拝堂
(マグダラのマリアの礼拝堂) -
ステンドグラスに十字架が。
そしてよく見るとホタテが描かれています。
そして壺らしきものも描かれています。
つまりこれはマグダラのマリアであれば香油を塗る人ですから香油を入れた壺なのでしょうか・・。 -
La Crypte des Gros Piliers 太い柱の地下礼拝堂
本当に柱は太く、いかにもしっかりと支えられている感じがします。
しかも薄暗く暗鬱な雰囲気です。
ここで判決を待ったのだからしかたありません。 -
太い柱の礼拝堂
-
Chapelle Sainte Martin 聖マルタン礼拝堂
上階を支える建物。
11世紀から姿を変えずにここにあります。
北側にある聖母30蝋燭地下礼拝堂は13世紀に少し改修されてますが、
このサンマルタン(サン・マルティヌス)地下礼拝堂は、装飾絵画が失われは
しましたが、破壊を免れて、無傷のまま残ってます。
建設工事時に組まれた木の足場の跡も残っているそうです。 -
何を写したのか・・・謎です。
-
L'ancien Ossaire 古代の納骨堂
-
Grande Roue 大車輪
これは中世の納骨堂にあります。
牢獄として使われていた頃、食べ物を上に運ぶために作られました。
今ならエレベーターがあるのですが・・。でも当時としては、結構合理的です。 -
19世紀に復元された貨物昇降機
(中世の様式に従って作られました。) -
中世の工事現場で使われた貨物昇降機を復元しました。
車輪の内側に人が入って動かす仕組みです。
軸に巻きつけた網で、修道院南側面の入口階段の斜面に置かれた荷車を引っ張り上げる仕組みでした。
これは中世のにおいて大聖堂の建設などで、よく使われました。
そして古代ローマ時代から存在してました。 -
木製です。
-
梯子もあります。
-
滑車の鎖部分です。
ここからの眺めも素晴らしいです。 -
これが何だったのか、不明です。
-
13世紀のフレスコ画
-
拡大しました。
どうやら3人が描かれているようです。
ただし骸骨のようにやせ細っていて、生を感じられません。
死を間近にした人でしょうか?
修道士でしょうか?
それとも死者を弔っているのでしょうか・・。
それから左側に描かれている大きな花のような物は何を表しているのでしょう。
ただこれ自体が丸い円形になっていたとすれば、その右側4分の1しかありませんので、ひょっとすると他の部分もあるのかもしれません。 -
La Chapelle Saint Etienne 聖エティエンヌ礼拝堂
A Ωについては後ほど・・・。
医務室の脇には礼拝堂が。
ここは修道士の遺体を安置するために使われました。
11世紀に築かれ、壁面は13世紀に改修工事が行われました。 -
A Ω Alpha und Omega
ギリシア語、アルファベットの最初と最後の文字で古来の考えに従えば宇宙の鍵を意味します。
アルファとオメガというこの順序でしばしば配列されるこの大文字は、ヨハネの黙示録22章13にあるキリストの告白を表しています。
「私はAでありΩである。最初の者にして最後の者。初めであり終わりである。」
この文字は既にコンスタンティヌス帝時代よりも前から象徴記号として使われていたようです。
そして4世紀にはギリシア、小アジア、パレスティナ、アラビア、ヌビア、イタリア、ガリア、そして北アフリカで特に普及していたようです。
とりわけ墓碑銘、石棺、典礼の書物などに・・
後にはアンフォラ、他の容器などに、指輪や貨幣、煉瓦やその他多くの日用品によく見られます。
カタコンベのフレスコにはAとΩの文字は5世紀前には現れていないとのこと。
AΩの文字はキリストのモノグラムの左と右にある場合きわめて多いです。
また往々にしてブロンズで作られ、細い鎖によって十字架の梁に掛けてあります。
大文字の代わりに小文字のωであることも・・・。
明らかにキリストを指す両文字が、キリストのモノグラムばかりではなくABPACAZの文字を伴っていることもあります。
これはグノーシス派のあるグループが広く世界でうやまわれるミトラス神(その呪文はAbraxas)を万物の創造者であり保持者であるという、その特性に照らしてキリストの予型であると考えられていたことと関連があります。 -
ピエタ像
-
このピエタは誰が作ったのでしょうか・・。
キリストが痛々しい姿になってしまっています。
なんだか本当に嘆き悲しんでいるような・・・。
遺体安置所でしたので、そんな意味でここに作られたのでしょうか。 -
南北の階段
-
階段の途中だったような気がしますが、定かではありません。
-
La salle des Chevaliers(Ou Scriptorium) 騎士の間(または書写室)
回廊の階下、メルヴェイユの中階
13世紀以降、修道士が写本と細密画を製作した部屋。
部屋をあたためるため、暖房もあります。
これでかじかんだ手を暖めたのでは?
ちなみに本来は騎士団のための部屋でした。 -
ここは板になっています。
はずれそうです。 -
そしてこの隙間から階下がちょっと覗けます。
-
大天使ミカエル
ミカエルは三大天使の一人です。
聖書正典に登場するのは・・・・
ガブリエル:マリアにイエスキリストの懐妊を伝えました。
ラファエル:面倒見がよく、親切な神の癒し手
ミカエル :神の万軍を率いる大将軍、とでもいえばいいのでしょうか・・。 -
雄々しいミカエル
聖ゲオルギウス(カッパドキアでの悪竜の退治という伝説の)は、大きな奇跡を起こすとき、神はいつもミカエルを派遣した・・・と述べてます。
確かにそうです!!
「出エジプト記」で紅海を2つに割ってユダヤ人たちをエジプトから逃れさせ、聖人たちの魂を天国に導くなどの役割はミカエルに与えられました。
そして魔術の書「ソロモンの誓約」によるとソロモンの五芒星が刻印された小さな指輪を授け悪魔を天使としてエルサレム神殿を完成するように告げたのもミカエルである・・・と。 -
全て見終わり、外に出てきました。
-
大砲です。
まさに百年戦争さながら、イギリスを向いています。 -
百年戦争が始まると、モン・サン・ミシェルはイギリスからの防戦のためにフランスの騎士を受け入れました。
119人の騎士たちが立てこもって、決してイギリス軍にここを明け渡すことはありませんでした。
イギリス軍には約30年(休戦もありましたが)続きました。
1425年には陸からも海からも包囲され完全に封鎖されました。
ただ一応この危機は脱しました。
ただ1434年に再びイギリス軍は大砲を使って攻撃してきました。
しかも城壁を突破して侵入してきました。
今はこんな風に呑気に過去に思いを馳せていることができますが、当時いったいどんな思いでここを死守したのでしょう。
結果的にはフランス人騎士たちの奇襲がうまくいき、イギリス軍は撤退しましたが・・・。 -
苔むした感じになっています。
-
こんなに水に浸かっています。
-
でも、今はここで命を落とすなどと誰も思っていないでしょう。
-
子どもの膝まではないものの、脛ぐらいまであります。昔は本当にあっという間に潮が満ちてきて命を落としてしまったのでしょう。
昔の絵の中には「海は物凄い速さで砂州を進んでくるので、危険を逃れようと旅人が馬を急がせてももう間に合わない・・・。」などといささか大袈裟なものまでありました。
でも、潮が満ちるスピードはかなり速かったのでしょう。 -
ボートもあります。
-
しっかりこの目に焼き付けておきたいです。
-
やっぱりここは私にとって、End of the road です。
-
自転車で来ている人もいました。
そういえば先ほどバイク置場の表示も見ましたし。 -
La Maringot ラ・マランゴット(馬車)です!
昔の巡礼者のようです。
シャトルバスの中から撮りました。
この時はようやく席に座ることができました。
夏場でしたので、結構混んでいます。 -
モン・サン・ミッシェルの観光を終えて、ランチはこちらでいただきます。
-
お天気もいいのでテラスでも良さそうです。
-
お店の中の様子。
-
モン・サン・ミシェルの地ビール。
-
野菜サラダ
なんだか昨夜も同じようなサラダだったような・・・。 -
厨房では私たちのランチの支度に格闘中のようです。
「写真撮ってもいい?」と確認したら、「いいよ!」
と言うのでパチリ! -
これがフワフワオムレツ。
プラールおばさんのお店ではありませんが、モン・サン・ミシェルに来たから
にはせっかくですから、いただきます。
ただ量的にちょっと足りませんでした。
後でお腹が空きました。
(ただこの2倍の量だと、飽きてしまうかもしれません。)
私はどちらかというとガレットの方が好きです。
飲み物はシードルにしました。
お土産にはカルバドスを購入しました。 -
このアップルパイは美味しかったです。
カスタードのソースも。 -
これでモン・サン・ミシェルともお別れです。
だんだん遠くなります。 -
牛さんたちです。
そういえば羊も見ましたが、タイミングが悪くて
写真に撮ることができませんでした。
この牧歌的な雰囲気いいですね~。
毎日モン・サン・ミシェルを見ることができて羨ましいです。 -
こんなに遠くなってしまいました。
Au revoir~!!! -
St. Michael's Mount
セント・マイケルズ・マウント
こちらはイギリスのコーンウォールにあります。
モン・サン・ミシェルと本当に似ています。
しかもイギリスの南海岸に位置していますので、フランスの北部のモン・サン・ミシェルとは、同じ線上にあります。
現在イギリスのナショナル・トラストに管理されています。
こちらにはご覧の様に尖塔はありません。
初期のモン・サン・ミシェルのように、干潮の時にしか歩いて渡ることができません。それ以外はボートで渡ります。まさに孤島です。
しかも歴史は古くモン・サン・ミシェルから約300年後に建てられました。
また、モン・サン・ミシェルもケルト文明を色濃く残していますが、こちらもそうです。そしてアーサー王の痕跡も。「トリスタンとイゾルデ」にも登場します。
また、ここはイングランドにある聖ミカエルにちなむ聖地、グラストンベリー・トールやエイヴベリーのキリスト教の聖地、またさらに多くの聖ミカエルに奉献された古い教会に至るまで1本の線で繋がってます。レイラインです。
写真:wikipediaより -
モン・サン・ミシェルは、アイルランドから、セント・マイケルズ・マウントを経由して、ギリシアまでの聖地を1つに繋ぐレイライン上に位置しているというのです。
いずれにしても、ここを去るのは残念ですが・・・。
再度、Au revoir.
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この旅行記へのコメント (4)
-
- くわさん 2021/06/23 09:36:22
- モンサンミッシェル
- noelさん、はじめまして。
モンサンミッシェルの旅行記拝見しました。
すごくお詳しいのですね。まるでガイドさんのようです。
他のフランスの旅行記を見ても造詣が深く勉強になります。
フランスの歴史や宗教など(フランス語も?)を勉強されたのでしょうか?
私はフランス旅行の前にヨーロッパ人の思考過程を理解するには宗教を知らないといけない、と旧約聖書の創世記を読んだのですが、登場人物が多すぎてノアの箱舟辺りで沈没してしまいました。
グランドリュの記述も勉強になりました。江の島との共通点も。
泊ったホテルも同じですね。
↓noelさんが行かれた2年後のモンサンミッシェルの旅行記です。
https://4travel.jp/travelogue/11432151
くわ
- noelさん からの返信 2021/06/23 21:02:59
- Re: モンサンミッシェル
- くわさん、こんばんは。
私の旅行記をご覧いただき、また「いいね」をしていただき、ありがとうございます。
拙い旅行記ですが、お褒めいただきありがとうございます。
ただ、それほど詳しいわけではありません。
好きなだけです。笑笑
くわさんも、いらしたんですね。
とてもわかりやすく、写真も綺麗ですね。見習いたいです。
しかも同じホテルだったんですね、懐かしいです。
旧約聖書読まれたんですね。
確かに分かりにくいかもしれません。
でも、知っていると旅行も楽しくなりますよ。
・・・私自身それほど知ってるわけでもありませんが。汗汗
また、普通に旅行できる日が来るといいですね。
今後ともよろしくお願いいたします。
noel
-
- sanaboさん 2016/11/19 19:39:47
- noelさんの思い入れが伝わってきました。
- noelさん、こんばんは
長年思い焦がれてらしたという思い入れが伝わってくる、大変素晴らしい旅行記でした!
オベール司教が礼拝堂を建てるずっと以前から、神々の宿る霊場としてあがめられた地であったという歴史も興味深く拝読しました。 ガルガノ山の記述も興味深かったです。
宮島と関連付けた「世界ふしぎ発見」は私も見ましたが、確かに言われてみれば共通点がありますね。 それまでそんな風に考えたこともありませんでしたけど(笑)
実は旅行記を拝見して一番驚いたのは、モンサンミッシェルに銃を持った兵士がいたことでした。 全く同じような様相の兵士を昨年ベルサイユでは見ましたけど、モンサンミッシェルでは見かけませんでした(いませんでした)。 やはり、テロの影響なのでしょう。 これだけの一大観光地であり、しかも聖地ですものね。 これ以上の恰好の標的はないかもしれません。
江の島の参道のそっくり具合には笑ってしまいました。
ラ・メール・プラールのサブレは私もたくさん買ってきました。
思った以上に美味しかったですよね^^
モンサンミッシェルの夕日は本当に感動ものですね☆ 私も神々しさに胸を打たれました。 美しい夜景のお写真も撮れて本当に良かったですね。
翌日も晴天に恵まれ何よりでした。
ところで、私はサン・ピエ―ル教会で銀製のミカエル像を見てないのです。 探したのですが見当たらず、夜だったからしまわれてしまったのか、その時あったのかなかったのかもわかりません。 祭壇付近にありましたか? ともかく、noelさんの旅行記で拝見できて良かったです^^
それから「出エジプト記」で海を2つに割ったのもミカエルだったとは知りませんでした。 旅行記を通じ(他の方の旅行記を拝見したり、自分が旅行記を作成する過程において)今まで断片的に知っていたことが(点と点が繋がって1つの線になるように)繋がったりしてとても面白いです。
レイラインのことなども初めて知りました。
興味深い記述に溢れた奥深い旅行記を楽しませていただきました。
続きも楽しみにしています♪
sanabo
- noelさん からの返信 2016/11/20 10:34:59
- ありがとうございます
- sanaboさん
いつも本当にありがとうございます。
sanaboさんの旅行記が、あまりにも素敵でわかちやすいものだったので、本当にお恥ずかしい限りです。
> 宮島と関連付けた「世界ふしぎ発見」は私も見ましたが、確かに言われてみれば共通点がありますね。 それまでそんな風に考えたこともありませんでしたけど(笑)
やはりご覧になられたんですね。
私も面白いと思いました。
ただ以前宮島に言った時に、山の方にまで登らなかったので、機会があったら、また行ってみたいと思っています。
> 実は旅行記を拝見して一番驚いたのは、モンサンミッシェルに銃を持った兵士がいたことでした。 全く同じような様相の兵士を昨年ベルサイユでは見ましたけど、モンサンミッシェルでは見かけませんでした(いませんでした)。 やはり、テロの影響なのでしょう。 これだけの一大観光地であり、しかも聖地ですものね。 これ以上の恰好の標的はないかもしれません。
そうなんですよ〜。
私もショックでした。ベルサイユはパリからも近くので、わかるんですが。
兵士の銃を見て、ハッとしましたし、警戒もしました。
> 江の島の参道のそっくり具合には笑ってしまいました。
すみません。
ずっと前から似てる気がしていたので載せてしまいました。
> ラ・メール・プラールのサブレは私もたくさん買ってきました。
> 思った以上に美味しかったですよね^^
美味しかったですね。
でも、実はお土産に買って、パッケージしてるかどうか、確認したのですが、4個ずつ1パッケージというのに、後で気づいて、配る時に苦労しました。(笑)
> モンサンミッシェルの夕日は本当に感動ものですね☆ 私も神々しさに胸を打たれました。 美しい夜景のお写真も撮れて本当に良かったですね。
sanaboさんの写真が、あまりにも綺麗だったので、思いは募ってました。
今も時々嫌な事があった時など、思い出して気持ちを落ち着かせています。
> ところで、私はサン・ピエ―ル教会で銀製のミカエル像を見てないのです。 探したのですが見当たらず、夜だったからしまわれてしまったのか、その時あったのかなかったのかもわかりません。 祭壇付近にありましたか? ともかく、noelさんの旅行記で拝見できて良かったです^^
お役にたてて、嬉しいです。
ただ私も位置については、明確に記憶してないんです。
例の如く、バタバタと忙しく撮ってましたので。
ただ、祭壇ちかくではなかったと思います。おそらく右か左か、横のあたりだった気がします。
もう一度、確認にいきたいくらいです。
> それから「出エジプト記」で海を2つに割ったのもミカエルだったとは知りませんでした。
あ〜、これだけは訂正しなければ、と思ってました。
海を割ったのはミカエルではないと思います。
ちょうど私の書き方が紛らわしかったので、そう解釈されてもおかしくないです。
すみません。
他の方々も誤解されるといけないので、後で訂正したいと思います。
かえって教えていただいて、助かりました。
それにしても私自身、ここに行くにあたってsanaboさんの旅行記は、本当に参考にさせて頂きました。
それでも残念ながら、クエノンダムには行けませんでした。
またsanaboさんの旅行記は、一つ一つの記述が丁寧でわかりやすくて助かりました。
一方私は、ツアーなので置いていかれないように、迷惑かけないように、ついていくのに必死で、写真撮影もかなりいい加減でした。
後で見たら使えない写真もいっぱいで、ちょっと残念でした。
特に日の出の写真を撮りに行こうという気にさせてくれたのは、sanaboさんの旅行記のおかげです。
今もポルトガルの旅行記、素敵だな〜と思いながら楽しみにしてます。
では、これからもよろしくお願いします。
noel
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