2016/11/05 - 2016/11/05
37位(同エリア52件中)
ぶんちゃさん
小春日和に誘われて三河の吉良へ行ってきました。吉良といえば吉良上野介ですが、他にも清水の次郎長の弟分の吉良の仁吉、人生劇場の著者の尾崎史郎が有名です。でも、今は農・漁業を中心とした第一次産業だけみたいな長閑なところです。中心部はともかくほとんどが水田で多くの民家は柿の木が実を付けています。
吉良という地名は、近くに八つ面山というのがあって雲母の鉱山があったそうです。雲母は別名がきららというそうで、これが吉良の名前のおこりだそうです。鉱山は明治時代に事故があって閉鎖され今では公園になっています。
- 旅行の満足度
- 4.0
PR
-
最初に来たのは吉良家の菩提寺の華蔵寺
駐車場では馬に乗った吉良上野介義央がお出迎えです。
この人は領地に帰ると赤毛の農耕馬に乗って領内を見回り、農民などに気さくに話しかけたりとか、治水や新田開発なんかに尽力して領民には人気があったようです。 -
今日最初のお寺
華蔵寺に向かいます華蔵寺 寺・神社・教会
-
片岡山(へんこうざん)華蔵寺(けぞうじ)
臨済宗妙心寺派のお寺です。
忠臣蔵でおなじみの吉良上野介義央さんの曽祖父義定さんが創建したそうです。 -
三州吉良氏は足利尊氏の五代前の義氏が三河守護になり、その子長氏が吉良荘に住んで吉良氏を名乗ったのが始まりです。因みに駿河の今川氏は長氏の次男が今川荘を分与され今川を名乗ったのが発祥です。なので吉良は兄、今川は弟分になります。
吉良氏始祖の長氏は庶長子であった為、足利本家を継ぐことはできなかったものの一門として足利氏の中でも特別の家柄を誇っていました。なので、守護や幕府の役職に就くこともなく、松平氏の台頭と三河統一の過程で一旦は消滅してしまいます。 -
かなり急な階段で手すりもありません。
一応、注意喚起の看板があり左右に迂回して登る道もあるようです。
通行禁止でもなさそうなので、とりあえず上がってみます。 -
振り返って見るとかなり急です。
-
若干変わった様式の棟門を入って
-
本堂です戸は閉まっていますが勝手に開けて入ってもいいようです。
-
本堂の左側には御影堂があります。この中には吉良義央公の木像(県指定文化財)と義安像、義定像が並んで祀られているみたいですけど普段は非公開なので残念ながら見ることはできませんでした。
-
そしてその左には吉良家代々のお墓
-
主なお墓には説明書きが添えてあります。
これは義央さんのお墓 -
墓地の様子です
向こうに見えるのは本堂の屋根 -
一際大きなあぐり姫のお墓
義央さんの娘で津軽に嫁いで一年後に亡くなったそうです。
たしか、浅野内匠頭の奥さんもあぐり姫ですよね。 -
赤穂浪士が吉良邸に討ち入ったときの吉良方の戦死者
-
御朱印を墨書でいただきました。
なかなかいい感じです。 -
すぐお隣にある花岳寺に向かいます。
-
地蔵堂のようです。
-
格子が細かいので中の様子がよくわかりません。
-
やさしそうなお顔の地蔵さんが並んでいます
-
本堂前では大勢の人
薬師如来の幟を本堂前から参道に並べていました花岳寺 寺・神社・教会
-
薬師堂の内部です
厨子の扉は閉まっていました。
周りの像は十二神将でしょうか -
こちらにも吉良家の方々のお墓がありました。
-
今日は皆さんお忙しそうで御朱印をいただく雰囲気ではなかったので退散します。
-
所変わってこちらは金蓮寺
曹洞宗のお寺です
三河三十三観音27番
東海三十六不動尊20番の各札所です。
創建は不詳ですが中興はなんと足利尊氏だそうです。
金蓮寺 寺・神社・教会
-
本尊は不動明王です。
-
本堂内にはいろんな額があります。
これは豊橋の連隊の出征の様子みたいです。 -
名古屋鎮台第六連隊とあります。
明治21年に師団に改編されているので、それ以前に奉納されたもののようです。 -
阿弥陀堂の説明
-
本日の目的はこれを見に来たようなものです。
国宝の阿弥陀堂です。 -
東面から見たところです。
-
南面は蔀戸になっています。
-
北側から見たところ
-
北側は板戸になっています。
-
墨書でいただきました
国宝阿弥陀堂の御朱印です。
庫裏で御朱印をお願いしたら、方丈さんがシルバーカートというか手押し車を押しながらゴトゴトとやってこられました。足腰の方が大分弱っているようで、大変申し訳ない気持ちでお願いしました。
阿弥陀堂の拝観もお願いしたかったんですけど、方丈さんの様子を見ていたら言い出しかねてしまいました。 -
東海三十六不動尊霊場納経帳にも朱印をいただきました。
-
家に帰る途中に知立神社に立ち寄ります。
三河二宮です。知立神社 寺・神社・教会
-
大鳥居を潜って右手
境内に堂々と多宝塔
神仏習合時代の神宮寺の名残です知立神社 寺・神社・教会
-
堂々としています
-
手水舎
-
神池と石橋
-
橋は渡ることはできません。
角度が急で滑ると危ないからなのか神様専用だからなのか -
拝殿です
七五三参りの家族連れで賑わっています。
こちらのように拝殿、幣殿、本殿などが縦に建て連ねられている神社建築を尾張造りといい、尾張地方独特の建築様式です。ここは三河でも影響をうけているのでしょうか。
主祭神は鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、神武天皇のお父さんになります。 -
神紋は青海波
-
屋根は檜波田葺きです。
-
本殿右には摂社が並んでいます
小山天神社(少彦名命) -
親母神社(鵜葺草葺不合命のお母さん)
-
次は合祀殿(天照大神など)
-
奥にあるのは小山天神社(少彦名命)
-
神馬
-
秋葉社
-
養生館
明治時代の建築で、陸軍大演習の時に明治天皇が休憩したところだそうです。知立神社 寺・神社・教会
-
芭蕉の句碑がありました。
知立を詠んだ句です。知立神社 寺・神社・教会
-
神社の西側には菖蒲園
-
知立神社から徒歩数分
総持寺に来ました。
竜宮門がお出迎えです。総持寺 寺・神社・教会
-
三河新四国八十八ヶ所霊場第1番札所。
三河白寿観音霊場第7番札所。
三河三不動第1番札所。
宗派は天台宗。本尊は流汗不動明王。 -
出世不動
背中の炎が鮮やか(すぎる)です。 -
そう大きなお寺ではないのですが、見どころはいくつもあります。
-
おもかる地蔵さん
割と軽かったです。
願いがかなうかな。 -
開山堂
-
開山堂の中です
-
天狗さんもいます。
-
おびんずる様
体の悪いところを撫ぜると治るそうです。
私は頭を中心に全身をくまなく撫でさすりました。 -
御朱印を書いていただいている間に四国八十八か所お砂踏み。
八十八か所に参拝したと同じご利益があるそうです。
全ての霊場のお砂を踏んで回りましたけど案外疲れます。前半はちゃんとお砂を踏んでお賽銭をあげてお参りしてたんですけど、後半は小銭が無くなって踏んで回るだけ。 -
一千万円でも二十万円でも大きさは同じ
-
墨書でいただきました
-
帰りは裏門から
猛烈な空腹状態なので自宅へ直帰します。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
66