2016/08/26 - 2016/08/26
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ドクターキムルさん
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大磯町大磯に鎮座する日枝神社の「御由緒」が剥がれ落ちて、縁起は不明である。したがって、創建年も不詳である。御祭神は大山祇命である。
ここ日枝神社だけが旧東海道に向いては建てられてはいない。宿場裏通りに向かって建てられている。この街路は片側が拡張されたのであろうか?鳥居と境内参道が旧東海道側に寄っている。また、この街路を塞いで日枝神社が建っているが、本殿裏手にはこの街路が復活している。鳥居前を左折すると旧東海道であるから旅人を本道に戻す役割があったのだろう。なお、国道1号線のバイパスが通っている場所は戦後まではアシが生えていて民家などなかったところだったという。裏手の街路端には「大磯移街碑」(明治23年(1890年)銘)が建ち、明治になって町ができたことが分かる。日枝神社の創建年は不明であるが、境内の御神木の銀杏の木は樹齢が200年余りであろうから、元々、街路はここ日枝神社で途絶えていたのだろう。
大磯宿に残る神社はいずれも境内が狭く、宿内の寺院と比べるべくもない。また、鎌倉界隈であれば多くの神社の屋根には飾り瓦が上がっているのだが、ここ大磯宿内の神社の屋根はトタン屋根が多く、銅葺きや瓦葺きの屋根は少なかった。ここ日枝神社は瓦葺きで、拝殿の屋根には唐獅子の飾り瓦が上がっていて、神社らしさを感じることができた。
境内には庚申塚があり、多くの庚申塔が建てられている。寛永16年(1639年)銘からの庚申塔が並び、それも建立年は判読できるものが多く、大切に祀られてきたことが実感できる。
日枝神社の「御由緒」を早く張ってほしいものだ。
(表紙写真は日枝神社拝殿)
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神社前の街路に井戸。街路と鳥居とでは中心がずれており、街路の一方だけを拡張したのかも知れない。
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街路を遮って日枝神社が鎮座している。
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日枝神社石鳥居。
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ご神木の銀杏の木。樹齢200年程度であろうか?
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手水舎。
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日枝神社の狛犬。
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日枝神社拝殿。
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日枝神社拝殿屋根に上がる唐獅子の飾り瓦。
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日枝神社拝殿屋根に上がる唐獅子の飾り瓦。
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日枝神社拝殿の彫刻。
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日枝神社の縁起が剥がれ落ち。
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「日枝神社」の扁額。。
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二股の木。
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松の木。
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庚申塚。
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庚申塚。
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石仏(○○△年六月吉日銘)。
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庚申供養塔(延享元年(1744年)銘)。
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庚申供養塔(寛延3年(1750年)銘)。
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庚申供養塔(元文5年(1740年)銘)。
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庚申供養塔(享保16年(1731年)銘)。
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庚申供養塔(享保12年(1727年)銘)。
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庚申塔(元禄16年(1703年)銘)。
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庚申塔(元禄元年(1688年)銘)。
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庚申塔(元禄5年(1692年)銘)。
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庚申塔(寛永16年(1639年)銘)。
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庚申塔(寛延(1748〜1751年)銘)。
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庚申塔。
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「第九番 青面金剛」。
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「天皇陛下御在位六十年記念樹」。
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「大磯移街碑」(明治23年(1890年)銘)。本殿裏手の通りにある。
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