2011/02/16 - 2011/02/17
378位(同エリア1913件中)
tadさん
高知市は、講演に呼ばれて2回訪問しているが、この旅行記は家内とバスツアーに参加した時のものだ。既に5年以上も前のものだが、オリンピック観戦も終わり、気が向いたので、入会前の旅の写真を少し見直すことにした。
やはり、坂本龍馬への関心からでもあるが、土佐というところは、南国のイメージ通りの豪放さがある。高知城も3回訪問したことがある。ただし、龍馬は下級武士なので、お城には入れてもらえなかったそうだが!後から幕府が送り込んで来た城主山之内や上級武士から、龍馬や武智半平太のような(地元系の)下級武士は酷く差別されていたようである。これが、草莽崛起(そうもうくっき)精神を松陰先生から受け継いだ高杉晋作などとは違うところだ。下関に龍馬が来ると、町人の白石正一郎のような奇兵隊支持者だけでなく、長府藩の毛利の殿からも龍馬は歓迎されていたのだが、土佐では、龍馬は、山之内からは長い間、相手にしてもらえなかったようだ。しかし龍馬が長崎で海援隊を組織するころから、土佐人の活躍は始まる。幕末維新史のファンなら、中岡慎太郎や岩崎弥太郎等の活躍も忘れないであろう。
そういう歴史的話題の多い土佐の地を訪問する時には、どうも、現在の高知市のことよりも、つい思いは過去に行ってしまう。
現在の高知市で、その土佐人の豪放さを感じたいなら、朝の「ひろめ市場」で、朝酒を飲んでいる地元の方々に混じって一杯やるといい!このひろめ市場も私は顔を出したくなるところだ。普段は朝酒はやらないが、ここでは、そうしないと交われない感じになってしまう。高知城の気取った古式豊かな雰囲気を見るだけでは、土佐の雰囲気は伝わらない。
龍馬の本は一時期あれこれ読んだが、彼には情報のない謎の数カ月があるようだ。。。
- 旅行の満足度
- 5.0
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ウィキペディアによると「高知城は本丸の建造物が完全に残る唯一の城として知られている。明治6年(1873年)に発布された廃城令や、第二次大戦による空襲を逃れ、天守・御殿・追手門など15棟の建造物が現存し、国の重要文化財に指定されている。」
高知城 (高知公園) 名所・史跡
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以下は城内にて。
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