2016/07/03 - 2016/07/03
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kojikojiさん
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ホイアンの旅も終盤を迎えました。しかし本当に暑い2週間でした。ここ何回かのベトナム旅行のタイトルは「灼熱!」にしていますがその通りです。その暑さも残り少なくなると寂しく感じます。シン・ツーリスト最後のツアーは「ミーソン遺跡・バス&ボート」です。このツアーには2種類あって、バスで帰ってくるものもありますが、絶対にボートで帰ってきた方が楽しいのです。14年前にも同じツアーに参加しましたが、その当時はエアコン無しのバスで窓全開で道路は土埃りだらけといったツアーでした。帰路の途中でボートに乗るお客を恨めしそうにバスから見送るお客の視線が忘れられません。なので予約時には迷うことなく復路はボートにしました。14年も経つとエアコン付きのバンで道路も整備され、遺跡でさえ快適に見学できるように変わっていました。ただ暑さだけは14年経っても変わりませんでしたが。今回ダナンのチャム彫刻博物館で予習もしてきましたし、アンコール遺跡1週間の修行など乗り越えてきているので準備万端です。それでも現地のガイドさんの話は貴重でとても勉強になりました。残念なのは遺跡内の移動バスの乗場にノン・ラーを忘れてきてしまったことです。2週間一緒に旅してきたのでショックが大きかったです。帰路はやはりボートにして正解で、一緒に乗りたいと変更を願った韓国人の4人家族はガイドさんに断られていました。また恨めしそうな視線を感じました。このボートでホイアンに戻ればここからチャム島までの皮と海の道が繋がったことになります。これはちょっとうれしいことでした。ボートで約1時間のクルーズとホイアンの対岸のキムボン村観光が20分ほどありました。ここは造船や木彫で有名な島で、ここで造られたものがホイアンの町で売られています。うまく交渉すれば町中より安く買い物ができます。最後に市場近くのレストランで麺料理を食べてツアー終了です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 観光バス 船 レンタカー 自転車 タクシー ヒッチハイク 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ベトナム航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ホテルを周って12人を乗せたバンは一路ミーソン遺跡に向かいます。田んぼの先に見える右側の三角形の山がミーソン聖域を守るマハーパルヴァタです。ホイアンから約40キロのドライブです。
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途中からトゥボン川に沿って走ります。帰りはこの川をボートでホイアンまで戻る訳です。ミーソンへは14年前にも同じシン・カフェのツアーに参加しました。その時はエアコンの無い中古の韓国製のバスで40人くらいで移動しました。道路は下水道管の埋設工事中で、暑いわ埃は入って来るわの地獄のツアーでした。それに比べれば中古のメルセデスのバンは快適です。
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遺跡の入口も綺麗に整備されています。昔はバスを途中で降りて、ベトナム戦争で使っていたようなジープの背に立ち乗りで川を渡ったり、土手を登り遺跡に向かいました。
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ツアー代金は往復バスで99,000VND(500円)、復路ボートとランチ付きで159,000VND(800円)ってどれだけ安いのでしょう。
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地元のおばさんが手を振っています。
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ツアーでは博物館に立ち寄る時間はありません。彫刻に着いて知りたい場合はダナンのチャム彫刻博物館の展示物が充実しています。
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チャンパの建物を模したゲートを通って行きます。
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その先にカート乗り場があります。これに乗る人がいたら最後尾がおすすめです。後ろ向きなので結構スリルがありますよ。
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人が集まるとどんどん出発していきます。14年前には無かったサービスです。
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結構スピードが出るので楽しいです。しかし綺麗に整備されたものです。
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遺跡ガイドのティン君はとても丁寧に詳しく説明してくれます。
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シアターではチャムの踊りのショーをやっていましたが、そのまま通過します。
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遺跡群が見えてきました。回遊する歩道もきれいに整備されていてテーマパークのような印象を受けました。
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遺跡Hは通過して一番大きく遺跡が集まっているBとCとDのエリアから見学を始めます。ミーソン遺跡群はフランス統治下の1898年にフランス人が発見されます。発見当時から発掘調査と修復と補強がなされましたが、盗掘を受けて美術品の多くが失われてしまいます。またベトナム戦争ではアメリカ軍の空爆を受け、大半の遺跡が破壊されてしまったそうです。
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寺院群は2
つの山並みに囲まれて谷幅およそ2キロメートルに設けられ、周囲の山々はマハーパルヴァータ(Mahaparvata)を中心とした聖山に囲まれた聖域となっています。山々と共に聖域を流れる川も重要な役割を果たしたそうです。 -
ミーソン聖域は4世紀後半にバドラヴァルマン1世という王がヒンズー教のシヴァ神を祀る木造の祠堂を建てたことから始まるとされます。この木造の祠堂は後に焼失してしまい7世紀になってレンガ造で再建されます。以降は歴代の王たちがいくつもの宗教施設を建てて現在は7世紀から13世紀に建てられた約70余りのレンガ造りの建造物が残っています。
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レンガ造りの祠堂は接着剤を一切使わずに建てた建築で、アーチを用いず屋根を架ける構造など当時の技術力の高さ感じさせます。上の方の濃い部分は数百年を経たレンガで、下の方のレンガは80年ほど前に修復されたものでもうボロボロです。昔のレンガを焼く技術の方が高くて現在では再現できないそうです。もちろん擦り合わせと植物油を使った接着方法も再現できないそうです。
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本来は建物の中に安置されるヨニ(女陰)が置かれています。男根を表わすリンガは途中が抜けているようです。
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遺跡を残したチャンパ王国はベトナムの中部から中南部にかけての海岸沿いで、栄えたチャム族の貿易国家です。海のシルクロードの拠点として、アラブ諸国やインドや中国との中継貿易を行っていました。東南アジアでも早い時期にインドの影響を受けてヒンズー教を崇拝し始めています。後に仏教が国家の宗教として崇拝され、土着信仰を取り入れながら独特の文化を形成していきます。
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祠堂の屋根もレンガを積み上げただけで接着もされていないというのは驚きです。また切妻部分迫り出し構造の屋根はレンガを組み合わせていないのも分かります。
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レンガを擦り合わせて間に挟んだ植物性の油の化学変化で接着されていると聞きました。通常考えられるコンクリートや漆喰などは使われていないそうです。
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祠堂に納められたヨニです。リンガは残されていませんが方形だったことが分かります。
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修復を待つ装飾の施された柱が並べられています。
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正八角形に砂岩を削り出す高い技術を感じます。木造建築の柱のようにホゾも彫られています。
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基壇だけ残された祠堂です。
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BとCとDの遺跡の中でも祭祀に関する用具や宝物を保存する「宝物庫」は、長方形の平面に舟形の屋根がかけられており、現在でも美しい姿を保っています。
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なかでも美しかったのがこの女神像です。これらの彫刻は一度フラットに積み上げられたレンガの表面を後から削ったものだそうです。インドの西海岸からインドシナ半島までを1つに考えれば、岩を掘り出したエローラやアジャンタの遺跡を考えれば当たり前のことかもしれません。アンコールの遺跡も切り岩をある程度の形に積み上げてから彫刻しています。
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この辺りはアンコール遺跡群のバンテアイ・スレイを思い出させます。
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チャム文字の石碑が物悲しい雰囲気を感じさせます。
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祠堂の建物は壁の一部だけしか残っていませんが、ヨニとリンガは残っています。周囲の壁に穿たれた穴には線香を供えた後があります。
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一見レンガを置いただけのような祠堂のエントランスです。
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ガイドさんによるとこの10世紀に造られた石柱はリンガでは無くて、パゴダの塔頂部だということです。
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アンコールワットの遺跡群を1週間以上かけて回った酔狂な旅を思い出します。あの時も暑かったけど今回も暑い旅です。
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傾いた遺跡が良く似合います。
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アンコール・ワットで見掛ける連子状窓がチャンパの遺跡でもありました。
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我々もツアーですが2時間ほどの滞在時間がありました。日本のツアーもいくつか見掛けましたが、予定がいっぱいなのかあっという間に移動されていきます。我が家も良く利用する会社だったので他人ごとではありません。
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日本語のガイドさんの説明はかなり簡単でした。いつもならちょっと横に行って盗み聞きすることもあるのですが参考になりませんでした。
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この「宝物庫」が一番美しい姿を残しています。ベトナム戦争時の爆撃を免れたのでしょうか。
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14年前に来たときは屋根まで草ぼうぼうで「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」という感じでしたが、何も変わらないようで整備がされています。
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顔の部分は後年の補修のようですが、彫刻が良い状態で残っています。
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レンガが劣化していますが足元は象のレリーフが彫られてあります。
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ヨニの上に置かれた首をはねられた石像です。頭部がどこかの博物館に納められていることを祈ります。
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まるで屋外ミュージアムのようです。
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この彫刻の素晴らしさに魅了されます。
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元々はギリシャ神殿を飾っていた唐草模様がここまで伝わっていたのですね。
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現在は残念な姿ですが往時の姿を想像できます。
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「夏草や兵どもが夢の跡」という俳句が頭に浮かんできます。
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「国破れて山河あり、城春にして草青みたりと、笠打敷て、時のうつるまで泪を落し侍りぬ」笠は敷いていませんが。
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博物館の中には足元の2頭のマカラの間で瞑想する姿の八臂の姿のシヴァ神のレリーフがありました。
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姿はヒンズーの神の姿ですが、仏教における大自在天や大黒天を感じさせます。
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マカラは門や装身具の装飾に用いられ、象のような鼻ととぐろ巻く尾を持つが、イルカやサメ、ワニの類とも言われます。水を操る力を持つためマカラの棲むとされる川や湖や海といった場所が崇拝の対象となります。横で祈りをささげる人と共に蓮の花を捧げているようです。
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インドではシヴァ神や、シヴァ神の持つエネルギーの象徴として、男性器をかたどったリンガは崇拝されています。
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パゴダの塔頂部の蓮の花もきれいに残されています。
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ガネーシャのレリーフがヴェネツィアのサンマルコ像のように見えました。
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「アメリカン・リンガでしょ。」と言ったらガイドのティン君は笑っていました。
ベトナム戦争後はこの砲弾の破片を利用していろいろな物を造ったそうです。不発弾で造られたいろいろなものはメコンデルタの旅でも見ることが出来ました。
カンザーの旅 https://4travel.jp/travelogue/10344719 -
ガイドの彼はベトナム戦争のことを「アメリカ戦争(抗米戦争)」と呼んでいました。ああ外国から見たらベトナムで行われたベトナム戦争だけど、ベトナムの中から見たら対アメリカとの戦争なのだと改めて実感しました。
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模様にように見えるチャム文字は全く読むことが出来ません。
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蓮座に穿たれた四角いホゾ。上に何が置かれていたのでしょう。
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破壊と摩耗のため何の像が彫られているのか分かりませんが、屈んだ力士像のように見えました。
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ミーソン聖域の空間は730メートルの高さの猫の歯の山(マハーパルヴァータ)と呼ばれる聖山を中心に囲まれた山々の中に位置しています。この山々は巨大な自然のヨニと見なされ、その中を流れる川も聖なる川とされました。寺院はリンガという訳です。この川の流れが衰退したことが遺跡が放置された原因になったとと説明がありました。
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グループAの遺跡群に移動します。
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グループAの全景です。
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遺跡の後に天然のヨニが望めます。
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門柱のホゾの雄雌もリンガとヨニに見えてしまいます。
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祠堂は一部の壁を残して破壊されています。ベトナム戦争前の姿を見てみたい気がします。
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基壇に残された彫刻はダナンのチャム彫刻博物館を思い出させます。
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特徴的な聖山を猫の歯の山(マハーパルヴァータ)と呼んでいます。頂上が歯のように尖った形で、数十キロ離れていてもどの方角から見てもすぐにそれとわかります。かつてミーソンの地を聖地として崇めていた人々は、このマハーパルヴァータを目印にして祈りを捧げていたと考えられています。ホイアンからでもその姿を簡単に見つけられます。
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ヒンズー教のシヴァの寺院では神体としてシヴァリンガがシンボルとして安置されており、それが礼拝の対象になっています。シヴァリンガは、リンガとヨニの2つの部分からなり、内側が受け皿状の円形または方形のテーブルの横に油が流れ出る腕が付いているヨニの中心部に、リンガと呼ばれる先の丸い円柱が立っています。ヨニは女性器の象徴で、リンガは男性器の象徴であり、性交した状態を示している訳です。参拝者は性交しているシヴァを女性器の内側から見ている形で、シヴァ神が女性と性交をして現われたのがこの世界です。
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将来の修復のために保管されているレンガは夜中になったら逃げだすのでしょうか。上の写真のリンガも・・・。
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かなり修復の進んだ祠堂が残されています。これは修復されたものだと思います。
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この祠堂の四隅には獅子が守っていますが、とても獅子の姿には見えません。
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修復の仕方がちょっと雑なような気がします。まだ修復の途中でこれから削るところでしょうか?
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獅子というよりもエクソシストやオーメンに出てきたパズズを思い出させます。そういえばルーブル美術館に収蔵されているパズズ像を探したのに見つからなかったことを思い出しました。
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これも獅子だということですが鬼に近い顔をしています。
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やっぱりパズズにしか見えません。
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隣のグループGに移ります。
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チャム語が書かれた碑文が立っています。
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ベトナム戦争時の銃弾の後です。現在もアメリカ軍で使われているM-16の弾痕でしょうか。傷の痕が小さいので5.56ミリ弾のように思えました。
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主服が終わった祠堂は在りし日の姿なのでしょう。後は月日が新しいものと古いものを馴染ませていくのでしょね。
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女性の神像のようですが詳しいことは分かりません。
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当時の衣装などの風俗がよく分かります。
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日陰に立っている姿のちょっとホッとします。
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シヴァ神の乗り物とされる乳白色の牡牛ナンディンは炎天下の下に佇んでいます。
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多分古いレンガが残る新しいレンガが先に風化していくのでしょう。
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最後にグループFの見学に移ります。
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ここもB52ストラトフォートレス(成層圏の要塞)による爆撃で破壊されています。現在でもアメリカ軍で使われているB52のBはボーイング社のBです。成田からハノイへ飛んだベトナム航空の機体がボーイング787と考えると複雑な思いがあります。
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破壊が進まないように屋根と支柱で保護されています。これでは修復する前に一度ばらさないとだめでしょうね。
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爆撃の際に出来たボムホールから出た土で覆われた寺院の跡です。ここには一番高い塔があったそうです。
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ここにも戦争の傷跡が残されています。
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草の少ない部分がボムホール(爆撃による穴)です。40年以上経っても残っているのに驚きました。ベトナムにはその穴を溜池にして使っている所もあるそうです。
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修復を待つ入り口の石柱の精巧な造りに驚きます。
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遺跡全体図です。聖山を含めた全体の姿が分かる地図が見たかったです。
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遺跡の間はこんな整備された歩道が設けられています。
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グループKは擁壁の一部の祠堂だけが残っています。11世紀に造られたブラフマー神を祀る祠堂だそうです。
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見学が終わってカートに乗る前にトイレに寄って、椅子に座っていて2週間一緒に旅をしてきたノン・ラーを忘れて来てしまいました。
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これは結構ショックでした。カートに乗っていて気が付いたのですが、戻っていたらツアーの方の迷惑になるので諦めるしかありません。
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バンに乗って30分くらい走ってトゥボン川の橋の袂で車が停まります。ボートでホイアンに戻る人はここで下車です。14年前も同じく途中下車したのですが、エアコンの効いていない暑いバスに比べたら天国のようなボートです。ボートを予約しなかった乗客の恨めしそうな視線を覚えています。
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現在はエアコンの効いたバンですが、川面を渡る自然の風の方が気持ち良いですね。今回もお金持ち風の韓国人の家族連れ4人だけが恨めしそうな視線を残してバンで去っていきました。
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ボートはほぼ満席でした。バスからボートに乗換えたいと言っていた韓国の家族連れが乗るのは無理でした。
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船頭さん、安全運転でお願いします。
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川砂を吸い上げている船を追い抜いていきます。
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14年前のツアーではホイアンへ戻る途中川で泳ぐことが出来ました。ボートから飛び込んだら意外に浅くて、川底の砂に手首までが刺さってしまい、焦った覚えがあります。
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ハロン湾でボートの屋根から飛び込んだら、海底の岩の尖ったところに指が当たったこともありました。海面上には奇岩が数千とありますが、海底も平らでは無く同じように岩があるのだと体で感じました。
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ここからもミーソン遺跡の聖山が拝めます。そういえばミーソンは漢字表記にすると「美山」だったと思い出します。
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鉄橋の上をノン・ラーを被ったおばさんが自転車で通らないかなと思いましたがダメでした。
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高さが7メートルある船は船底を川底に擦って航行できないと思います。
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川面を通る風が気持ち良いです。提灯のように見えますが、よく見ると網の浮きでした。
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空が広いです。
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ホイアン市場が見えてきたところでボートは右岸へ向かいます。
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数日前に「ヴィンフン・リバーサイド」のサンセット・クルーズで近くを通ったキムボン村に向かいます。
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川舟の漁師さんが流れていきます。
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川底に足が着くのが分かりました。
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船着き場に到着しました。
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他にも観光客が来ているようです。
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簡単な造りですが中国に由来する牌坊の形をしています。
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船着き場の祠には「神」の文字が見えたので思わず手を合わせます。
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横には放し飼いの鶏がたくさんいます。
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キムボン村は木彫や木造の造船で有名なところです。
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各家では得意な木工技術で製品を造っています。
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店によって造られている製品は違いますが、仕入れてきているものも多いようです。
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螺鈿細工は人気があるそうです。
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細かく見ると日本の螺鈿のような精巧さはありませんが雰囲気は良いです。
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こんな感じでパーツがたくさん置いてあります。
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龍に鳳凰に吉祥の模様ばかりです。
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この暑さの中で細かい作業をする根気は無いですね。
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これが出来上がるまでにどれだけの時間がかかるのでしょう。ここで竹製のボウルセットを2つ買いました。店によって吹っ掛けてきたり、良心的だったりいろいろです。どちらかというと川沿い側の店の方が良心的で、上手くするとホイアンの町中より安いです。
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これはアナンタラの部屋のバスルームですが、使われているゴミ箱やバスタオル入れやペーパーホルダーが割竹を巻いて成型して漆で仕上げた物でした。これはミャンマーの漆器も同じです。タオルが入ったものはホテル備品ですが、3個が入り子になったセットで言い値8ドルを6ドルで買いました。時間があれば5ドルくらいになったかもしれません。直径40センチから30センチの3個で6ドルって…。1個200円!ホイアン市内ではいくらなのか・・・。これ2組は持って帰るのにガサばりましたけど。ベトナム航空はエコノミークラス40キロと荷物の心配はありません。
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造船所も少し見学してボートに戻ります。
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最後にホイアンまで戻ります。
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一日炎天下で働いて幾らになるのでしょうか。しんどい仕事だと思います。
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対岸までは5分くらいです。楽しかったツアーも終わりです。
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川面を反射する光でボートの顔がくすぐったそうです。
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船着き場近くのレストランに案内され、遅いお昼をいただいて自由解散になります。以前は簡単な食事をボートの中で食べた記憶がありましたが、経費削減しているのでしょう。バンの移動と遺跡の案内と帰りのボートとこの食事全部で800円なのでいくら儲かるのか心配になります。ホテルまで歩いて戻って最後の夜を楽しむつもりが…。
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