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再び歩き始めた五街道<br />今回は東海道よりも更にに40キロほど長い中山道。<br />6月半ばから歩き始めたので毎月最低1回のペースで2年で京都三条大橋にゴール。<br />そんなイメージを持って2回目のウォークは大宮から熊谷までの35.9キロを設定<br />でも、ゴールが日本一暑い街『熊谷』<br />この日も日中35度くらいまで気温の上がる真夏日<br />炎天下の中20キロほど歩いたところで異変が  足が攣った<br /><br />熱中症の軽い症状が出たため、この日のウォークは鴻巣で切り上げ。<br />これから夏が終わるまではなかなか距離が伸びないかも・・・<br /><br />この後、実家の母が昨日緊急入院した連絡があったため、急遽高崎線、秩父線、東武伊勢崎線、東武佐野線と電車を乗り継いでお見舞いに。<br />電車で田舎に帰ったのは20数年ぶりのこと。<br />途中の乗換駅の変貌にビックリ。<br />たまには電車で帰らないと浦島太郎になっちゃいますね。<br /><br /><br /><br />

目指せ京都三条大橋!  中山道ウォーク 2回目 大宮宿~上尾宿~桶川宿~鴻巣宿  20キロ

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2016/07/03 - 2016/07/03

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旅行記グループ 中山道ウォーク

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ぬいぬい

ぬいぬいさん

再び歩き始めた五街道
今回は東海道よりも更にに40キロほど長い中山道。
6月半ばから歩き始めたので毎月最低1回のペースで2年で京都三条大橋にゴール。
そんなイメージを持って2回目のウォークは大宮から熊谷までの35.9キロを設定
でも、ゴールが日本一暑い街『熊谷』
この日も日中35度くらいまで気温の上がる真夏日
炎天下の中20キロほど歩いたところで異変が  足が攣った

熱中症の軽い症状が出たため、この日のウォークは鴻巣で切り上げ。
これから夏が終わるまではなかなか距離が伸びないかも・・・

この後、実家の母が昨日緊急入院した連絡があったため、急遽高崎線、秩父線、東武伊勢崎線、東武佐野線と電車を乗り継いでお見舞いに。
電車で田舎に帰ったのは20数年ぶりのこと。
途中の乗換駅の変貌にビックリ。
たまには電車で帰らないと浦島太郎になっちゃいますね。



旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
同行者
一人旅
交通手段
JRローカル 徒歩

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  • 2回目の中山道ウォークは前回のゴール大宮がスタート地点<br />朝食をとって8時にウォーキング開始

    2回目の中山道ウォークは前回のゴール大宮がスタート地点
    朝食をとって8時にウォーキング開始

  • 高崎線の線路に平行してしばらく旧中山道はまっすぐ進んでいきます。

    高崎線の線路に平行してしばらく旧中山道はまっすぐ進んでいきます。

  • 前回のゴールの氷川神社の西の参道を通過

    前回のゴールの氷川神社の西の参道を通過

  • 盆栽美術館なんていうのがあるんですね。

    盆栽美術館なんていうのがあるんですね。

  • 17号線に広い通りに出てニューシャトルの加茂宮駅のところで旧道は左に入ります。

    17号線に広い通りに出てニューシャトルの加茂宮駅のところで旧道は左に入ります。

  • JR高崎線の『宮原』駅前を通過<br /><br />ようやくひと駅分歩きました。

    JR高崎線の『宮原』駅前を通過

    ようやくひと駅分歩きました。

  • こっから次の町、上尾に入ります

    こっから次の町、上尾に入ります

  • 大宮を出てからここまで中山道の名残を感じさせるものが何にもなく退屈な道が続いています。<br />ようやく中山道の表示の道標がありました

    大宮を出てからここまで中山道の名残を感じさせるものが何にもなく退屈な道が続いています。
    ようやく中山道の表示の道標がありました

  • 享保年間創建の愛宕神社  小さな社です

    享保年間創建の愛宕神社  小さな社です

  • こちらは上尾駅手前にあった氷川鍬神社<br />寛永年間創建のこの神社は上尾の総鎮守。<br />小さな鍬2丁を神体とし、五穀を司る農業神を祭神としている神社です。

    こちらは上尾駅手前にあった氷川鍬神社
    寛永年間創建のこの神社は上尾の総鎮守。
    小さな鍬2丁を神体とし、五穀を司る農業神を祭神としている神社です。

  • 上尾駅の横を通過

    上尾駅の横を通過

  • 平成の道標 この先で日本橋から数えて6つ目の宿場町桶川に入ります。

    平成の道標 この先で日本橋から数えて6つ目の宿場町桶川に入ります。

  • ここから桶川です。

    ここから桶川です。

  • 何となく街道の名残を感じる建物を見かけるようになりました。

    何となく街道の名残を感じる建物を見かけるようになりました。

  • こちらの石碑は宿場町の入口に設けられた木戸址

    こちらの石碑は宿場町の入口に設けられた木戸址

  • こちらは今から160年前の天保年間に建てられた旅籠<br />武村旅館<br />

    イチオシ

    こちらは今から160年前の天保年間に建てられた旅籠
    武村旅館

  • 江戸時代末期の桶川宿には

    江戸時代末期の桶川宿には

  • こちらは通りから中に入ったところに建つ島村家住宅土蔵<br />天保7年180年前に建てられたもの<br /> 島村家は、桶川宿場内の穀物問屋で、屋根の両端にある鬼板には、屋号の木嶋屋の「木」の字が 刻まれています。<br /><br />天保の飢餓に際しては、飢餓に苦しむ人々に仕事を与えるため建てられたことから 「お助け蔵」と言い伝えられている。

    イチオシ

    こちらは通りから中に入ったところに建つ島村家住宅土蔵
    天保7年180年前に建てられたもの
    島村家は、桶川宿場内の穀物問屋で、屋根の両端にある鬼板には、屋号の木嶋屋の「木」の字が 刻まれています。

    天保の飢餓に際しては、飢餓に苦しむ人々に仕事を与えるため建てられたことから 「お助け蔵」と言い伝えられている。

  • 表通りのお茶屋さんの建物も古そうです。

    表通りのお茶屋さんの建物も古そうです。

  • こちらの土蔵造りの商家は矢部家

    こちらの土蔵造りの商家は矢部家

  • 木半の屋号で知られた穀物問屋で、 かつて江戸時代に紅花商人としても活躍していました。<br />川越の街並みに建っていそうな建物ですね。<br /> 矢部家は、中山道に面した土蔵造りの「店蔵」

    木半の屋号で知られた穀物問屋で、 かつて江戸時代に紅花商人としても活躍していました。
    川越の街並みに建っていそうな建物ですね。
    矢部家は、中山道に面した土蔵造りの「店蔵」

  • その奥へ続く「住居部」と「文庫蔵」で構成されています

    その奥へ続く「住居部」と「文庫蔵」で構成されています

  • こちらの白い壁の建物が文庫蔵

    こちらの白い壁の建物が文庫蔵

  • 向かいに建つ小林家<br />江戸の終わりから明治の初めにかけて建てられたこの建物は元旅籠<br />

    向かいに建つ小林家
    江戸の終わりから明治の初めにかけて建てられたこの建物は元旅籠

  • こちらは桶川本陣跡<br />奥の住宅は民家で人が住んでいるので公開されていません。<br />記録によると加賀百万石の前田家の宿所とされたほか、水戸藩主徳川斉昭 や皇女和宮も宿泊したとか。

    こちらは桶川本陣跡
    奥の住宅は民家で人が住んでいるので公開されていません。
    記録によると加賀百万石の前田家の宿所とされたほか、水戸藩主徳川斉昭 や皇女和宮も宿泊したとか。

  • こちらは日本橋から10里目の桶川一里塚<br />歩道橋の円柱に説明プレートだけ貼られていました。<br />40キロ地点通過です。

    こちらは日本橋から10里目の桶川一里塚
    歩道橋の円柱に説明プレートだけ貼られていました。
    40キロ地点通過です。

  • その歩道橋の反対側の奥にある煉瓦造りの倉庫

    その歩道橋の反対側の奥にある煉瓦造りの倉庫

  • 東海道を歩いた時は食事をするお店を探すのが大変でしたが、中山道はまだ市街地ということもあり、お店はいたるところにあって便利<br />暑いこの日のランチはカレー<br />暑いときには辛い物を食べてさらにたっぷり汗をかかねば<br />そしてちょっとだけえれるぎー補給のビールを<br />あまり飲みすぎると熱中症にはよくないので

    イチオシ

    東海道を歩いた時は食事をするお店を探すのが大変でしたが、中山道はまだ市街地ということもあり、お店はいたるところにあって便利
    暑いこの日のランチはカレー
    暑いときには辛い物を食べてさらにたっぷり汗をかかねば
    そしてちょっとだけえれるぎー補給のビールを
    あまり飲みすぎると熱中症にはよくないので

  • 参道の奥から急な階段を上る東間浅間神社。これで「あずませんげんじんじゃ」と読みます。<br /><br />御祀神は木花開耶姫命

    参道の奥から急な階段を上る東間浅間神社。これで「あずませんげんじんじゃ」と読みます。

    御祀神は木花開耶姫命

  • 鴻巣に入りました。

    鴻巣に入りました。

  • 鴻巣は岩槻と並ぶ雛人形の産地 <br />江戸時代初期、京都の人形師が鴻巣に移り住み、影土人形を造ったことが始まりといわれています。

    鴻巣は岩槻と並ぶ雛人形の産地
    江戸時代初期、京都の人形師が鴻巣に移り住み、影土人形を造ったことが始まりといわれています。

  • ひな人形店の集まるこの辺りは人形町という地名が残っています。

    ひな人形店の集まるこの辺りは人形町という地名が残っています。

  • 明治35年の記録によると岩槻が3軒に対して鴻巣には31軒もの人形の製造店があったそうで、今でも日本有数のひな人形の産地なのだとか。<br />

    明治35年の記録によると岩槻が3軒に対して鴻巣には31軒もの人形の製造店があったそうで、今でも日本有数のひな人形の産地なのだとか。

  • 鴻巣は日本橋から数えて7つ目の宿場町ですが隣の桶川宿に近いことから、先の熊谷宿との中間の間の宿だったようです。

    鴻巣は日本橋から数えて7つ目の宿場町ですが隣の桶川宿に近いことから、先の熊谷宿との中間の間の宿だったようです。

  • 旧道沿いの商店街には街道の名残を感じさせる建物がちらほら

    旧道沿いの商店街には街道の名残を感じさせる建物がちらほら

  • 結局鴻巣駅の手前で足が攣ってしまい、熱中症の軽い症状が出たため熊谷まで歩く予定が鴻巣で断念。<br /><br />わずか20キロのウォークで終わってしまいました。<br />2日間で延べ50キロ<br />次はもう少し頑張らねば。

    結局鴻巣駅の手前で足が攣ってしまい、熱中症の軽い症状が出たため熊谷まで歩く予定が鴻巣で断念。

    わずか20キロのウォークで終わってしまいました。
    2日間で延べ50キロ
    次はもう少し頑張らねば。

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