2014/05/23 - 2014/05/26
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Dwind_999さん
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2年前の中国東北部の旅行記です。
今から71年前、日本の敗戦と同時に消滅してしまった、わずか13年間存在した国「満州」。
「五族協和」「王道楽土」を標榜し、1932年(昭和7)年3月1日に建国した日本の傀儡国家「満州国」。
旅順や奉天などの南満州は日露戦争の舞台となった地でもあり、その後満鉄(南満州鉄道)主導によってインフラの整備が進められ、急速に近代的な都市が形成されていきました。
「満蒙は日本の生命線」という名のもとに、日本からの満蒙開拓移民が30万人近く移住し、1945年の日本敗戦時には軍人を含め150万人の邦人がいたという満州。(1945年当時の満州の総人口は約4,500万人)
中国東北部を旅するということは、日本統治による旧満州時代の光と影に触れ、その功罪と負の遺産を確認することでもあります。
ノスタルジックな満州などと浮かれてはいられないのでしょうが、まあそこは一介のお気楽な物見遊山の旅人、昭和の歴史を刻んだ彼の地に接してそれなりに見聞を広めつつ街歩きを楽しみたいと思います。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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中国の東北三省と呼ばれる、遼寧省・吉林省・黒龍江省の各都市を巡ります。
<旅程>(22日間)
■大連:4泊
■旅順:2泊
■大連:1泊
■丹東:3泊
■瀋陽:3泊
■長春:4泊
■哈爾賓:3泊
■瀋陽:1泊
「GYC旅行」にビザ申請代行(15日間までは必要なし)。
30日観光ビザの手配料金\4500(別途送料必要)。
<費用>
・航空券(大韓航空\46975:福岡→大連、瀋陽→福岡)を含め総額約15万円。
※当時のレート
1元=\17 -
5月23日(金)、福岡空港から仁川を経由して13時半、大連空港に到着。
福岡から搭乗した大連ツアーの団体観光客も多いようでした。大連周水子国際空港 (DLC) 空港
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国際線出口から国内線の方へ歩いていき、2階にあるATMからデビットカードを使って中国元を引き出しました。
日本語表示もあってスムーズに2,000元を2回引き出す。(1度の引出額の限度が2,000元だったので)
帰国して確認したところ、2,000元=\33,668でした。1元=\16.83 -
空港から市内へのバス路線ルートを事前に調べていたので、空港から少し歩いたところにある虹港路の机場站バス停から710路のバスに乗り、約40分ほどで友好広場に到着。
バス料金は一律1元(\17)。友好広場 広場・公園
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友好広場から歩いて約15分、ブッキングコムで予約していたホテル「日月潭大酒店(サン・ムーン・レイクホテル)」に到着。
274客室の、ツアーホテルとして利用される古い大型ホテルで、大連駅やバスターミナルにも近く、値段と立地からここを選びました。 -
空港からようやくたどり着いて、フロントの女性にニイハオと挨拶しながら(反応なし)予約確認書を差出しチェックインをお願いしたところ、しばらくしてメイヨー(没有:ない)、予約がない、と言います。
このホテルのレビューにも何人かの人が同じ体験を記していたのでもしかしたらという懸念もありましたが、大当たり。
受付の女性がちょっと待ってくれと言うので、ロビーでしばらく待機。
結局40分ほど待たされて21階の部屋を割り当てられ一応は一安心ですが、初っ端から出鼻をくじかれた感じのチェックインでした。
中国東北部はロシアとの縁も深いので、大連にも多くのロシア人観光客らしき人たちが訪れていました。
この一団は修学旅行なのかもしれない。 -
21階の部屋。
スタンダードダブルルームで1泊158元(\2,686)の部屋に4泊。
老朽化の感は否めないが、1人には十分すぎる広さ。
朝食は1食に付き38元(\646)別途必要になるのでなしにしました。
ミニバー(冷蔵庫)があったので、コンビニなどで買ったビールやコーラなどを冷やしておけるのは嬉しい。
単体のエアコンはなく、壁に埋め込まれた空調の送風口からは、スイッチをクールにして温度調節してもただの風しか流れず、27度前後ある部屋の中は暑がりの私には蒸し暑く、分厚い掛布団でなおさら寝苦しかったです。 -
21階の部屋の窓からは眼下に201路の路面電車が走る長江路が見えます。
そして林立するビル群。
「ノスタルジック大連」といった言葉を耳にしたりどこかで目にしたりして、郷愁を誘うレトロでモダンな昭和のイメージを勝手に連想していましたが、なんのなんの、人口600万を要する中国第3の港湾都市という大都会でした。 -
ホテルを出て、長江路から左に折れて勝利橋(旧日本橋)を渡り団結街へ入っていきます。
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日露戦争以前は帝政ロシアが大連を支配していて、この辺りがその中心地でロシア風建築物が多く残っており(復元されたものも多い)、全長約500mの団結街はロシア風情街(旧ロシア人街)と呼ばれる観光スポットになっています。
ロシア風情街 旧市街・古い町並み
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ロシア風情街の両脇にはロシア民芸品を商う店が連なり、ロシア名物のマトリョーシカ人形(入れ子構造になっている)があちこちの店先に並びます。
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ロシア風情街の西側突き当りにある広場の少し手前、右手の方から何やら食欲を刺激する匂いと共に白い煙が立ちのぼるのが見えます。
それらの光景に誘われてこの鉄柵をくぐっていきました。 -
夕方頃から賑わいだす、羊肉の串焼きなどを食べさせる店が数軒並んでいます。
<大連 羊の串焼き>
https://www.youtube.com/watch?v=ZTCDlvLBAec -
店の看板であるかのようにアピールする、吊り下げられた羊肉。
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扇風機を回して煙を飛ばしながら焼いています。
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ピリ辛の香辛料を振りかけた羊肉の串焼き(1本3元=\51)と中国東北部でよくお目にかかる雪花銘柄のビール(580mlで4元=\68)。
羊肉は少しクセのある匂いと味ですが、これがなかなか美味しい。
よく冷えたビールがあったのは良かった。
※大きなレストランなどは別として、中国では冷えたビールを置いている店が少ない。 -
ロシア風情街の突き当りにはちょっとした広場があり、その一角には、帝政ロシア時代の1898年(明治31年)に東清鉄道事務所として建てられ、のちにダーリニー市役所(ロシア統治時代にはダーリニーと呼ばれていたが、1905年の日露戦争時にこの地を占領した日本軍によって正式に大連と呼称されるようになった)となった建物が残っています。
夕暮れ時になると広場には踊りの輪ができていました。 -
広場からロシア風情街を見たところ。
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金曜日の18時過ぎ、意外に人通りの少ないロシア風情街を戻っていきます。
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大連駅の南口前に来ました。
1937年(昭和12年)に上野駅を模して建てられた大連駅南口の駅舎。 -
大連駅南口の入口前から長江路の方を見る。
駅前の広場は駐車場になっています。 -
大連駅構内の切符売り場付近。
大連駅 駅
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大連駅南口にある、今回の旅でもよくみかけたファストフード・チェーン店の真功夫(ツンコンフー)。
ブルース・リー似の看板が特徴。 -
大連駅の西側にある、北口と南口の連絡通路「宏孚橋」付近は、1日中露店や屋台が出て賑わいをみせています。
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大連駅北側の站北広場向こうにある「大菜市」近くにある食堂街。
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誰かのブログに載っていた、「麻辣湯(マーラータン)」の店に入ってみました。
スープ春雨という麻辣湯、何だかよくわからない辛さだけが際立つ味で汗が噴き出します。
7元(\120)。 -
食堂街の先には、また何軒かの食堂があって、地元の人たちで賑わっていました。
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「大菜市」付近に人気店らしい羊肉の串焼き専門店があり、後日いただきました。
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午前9時頃、ホテル21階の通路窓から見た北東方向。
正面向こうに大連港、線路をまたぐ勝利橋の左手に旧ロシア人街があります。
交差点の右手にあるのは「旧日本橋郵便局」。
かつて、満州の海の玄関口として栄えた大連は中国第3の港湾都市として発展を続けています。 -
長江路を走る201路の路面電車。
かわいらしい3輪車もよく見かけます。 -
「アカシアの大連」と形容されることもあるこの街。
路線バスに乗って通称アカシア通りと呼ばれる正仁街へ向かったところ、間違えて反対方向を走るバスに乗ってしまいました。
バスの車内で立ったまま、用意していたバス路線図を見ながら何だかおかしいなと思っていると、私が日本人とわかったのか「どちらへ行かれるのですか?」と声をかけてきた中国人の中年女性がいて、その日本語の流暢さに驚きました。 -
間違ったバスを途中で降りて反対側のバス停から乗りなおし、やっとこさアカシア通り近くに来ましたがなかなか探し当てられず、いよいよ方向音痴を確信しながらも何人かの人に道を尋ね、ようやくにしてたどり着いた「正仁街」。
毎年5月下旬にアカシア祭り(今年は5月24日から31日まで)が開催されるそうですが、今年は開花が早かったようで、5月24日(土)のこの日にはもうだいぶ花が散っていました。
苦労して路線バスに乗ってやってきたアカシア通り、アカシアの甘い香りをかぐには遅すぎた。 -
がっかりなアカシア通りのあと、ついでに近くを散歩。
街中を2両連結のトロリーバスが走っていました。 -
正仁商店街に人だかりのしている店があったので、1つ2元の葉っぱにくるんだチマキのような餅を買って食べました。
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正仁街から中山路に出て、16路の2階建てバスに乗って中山広場へ戻ります。
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16路バスは中山路を東へ走り、奥林匹克広場(オリンピック広場)の前を通っていきます。
オリンピック広場 広場・公園
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さらにバスは、大連の行政の中心地である人民広場前を走っていきます。
人民広場 広場・公園
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16路のダブルデッカー(2階建てバス)に乗って20分弱、中山広場にやってきました。
直径213メートルの大連の中心をなす広場で、周りには日本統治時代の10棟のコロニアル建築が建ち並び、広場を中心に10本の道路が放射状に延びています。中山広場 広場・公園
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1919年(大正8年)に竣工した旧大連市役所(現在は中国工商銀行)。
建物の前でモデルの撮影が行われていました。 -
中山広場にある建物で最も有名なのが、1914年(大正3年)に竣工した満鉄直営の「大連賓館」(旧大連ヤマトホテル)。
数々の歴史の舞台となったルネサンス様式の満州時代の豪華ホテル。
泊まってみたかったけど、古びたホテルになったとはいえ貧乏性のオジサンには敷居が高い。 -
大連賓館の北側向かいにあるのが、1909年(明治42年)に竣工したバロック様式のドームをもつ「旧横浜正金銀行大連支店」。
旧横浜正金銀行大連支店 (中国銀行遼寧省分行) 建造物
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中山広場から北へ3、400mほど歩くと、大連随一の繁華街「天津街」があります。
小雨がぱらついてきました。天津街 散歩・街歩き
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こちらでは超市と呼ばれるコンビニのような店で買った瓶ビール。
500mlと600mlでいずれも3元(\51)と、ビールはあんがい安い。
アルコール度数は2.5%から4%くらいのライトなものが多いようでした。 -
ロシア風情街そばにかかる勝利橋(旧日本橋)。
帝政ロシア時代には小規模な木造の橋だったが、日露戦争時にロシアが退却するときに爆破してしまい、その後日本統治時代の1907年(明治40年)に施設線路数を増やす必要もあって大規模に造り直され、日本橋と名付けられた。 -
友好広場にある肯徳基(ケンタッキーフライドチキン:KFC)。
1907年に建てられた「大連基督教会堂」が改装されてKFCとして利用されている何とも妙な店舗。 -
長江路を走る201路のレトロな路面電車。
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1929年(昭和4年)竣工の旧日本橋郵便局。
現在も「勝利橋郵政局」として使われている。 -
こちらは新型の路面電車。
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勝利橋近くから、201路の昔懐かしの路面電車といった感じの古い車両に乗って、二七広場まで行きました。
運賃箱に1元札(\17)を入れて乗車。
ドアの開け閉めも、運転手がいちいち運転席から離れてドアの上に取り付けられたスイッチを操作していていました。
<大連の路面電車>
https://www.youtube.com/watch?v=z_kgqfof3M4 -
二七広場付近を走る201路の路面電車。
大連路面電車 (二七広場) 鉄道系(地下鉄・モノレールなど)
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二七広場にあるショッピングセンター「温州城商品交易市場」の角を下っていくと、いろいろな露店や屋台がひしめいている一角がありました。
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ひからびたアズキあんが入った焼きパンを1つ(2元=\34)買って小腹を満たしました。
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大連駅北側の「大菜市」にある羊肉の串焼き店と同じような店がここにもありました。
そして店先には、看板代わりの解体した羊肉がぶら下がっています。 -
港湾広場の方へ歩いて行きます。
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港湾広場の一角には1923年(大正12年)に建てられた「旧大連物産取引所」があります。
現在は「大連銀行」。 -
'13年〜'14年版の「地球の歩き方・大連/瀋陽/ハルビン」には旧満州時代から使われている大連港フェリーターミナルの写真が載っていましたが、この時はもうなくなっていて辺りはすっかり様変わりしていました。
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せっかくここまで歩いてきたのに、1926年(昭和1年)竣工の「旧満鉄大連埠頭事務所」を外から見るだけで引き上げました。
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長江路と上海路が交わり、ロシア風情街へと向かう交差点の一角にロシア文字のあるちょっと変わった古い建物が目を引きます。
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日本が建設した勝利橋(旧日本橋)をロシア風情街の方へ歩くと、突き当りに帝政ロシアが設立した「東清鉄道汽船」の事務所だった建物があります。
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小雨の降る昼過ぎのロシア風情街。
日曜日なのに意外と人が少ない。ロシア風情街 旧市街・古い町並み
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ホテル近くの長江路沿いの食堂に入って、あらかじめ中国語で「焼き飯をください」と書いておいた紙を見せて注文。
次に同じように「冷たいビールをください」と書いた紙を見せましたが、どうも冷やしたビールはないようで、若い男の店員が身振り手振りで、料理を作っている間に冷やすからみたいなことを一生懸命に示すので、お任せしてテーブルにつきました。
瓶が濡れていたので氷水につけて冷やしたようで、ほんの少しだけ冷えていました。
常温ビールを飲む習慣がある中国、店員の努力には感謝。
しかし、中華料理の基本である焼き飯、ご飯はやたらと多かったが、油でべちゃついたガッカリな味。焼き飯12元(\204)、ビール4元(\68)。 -
労働公園にやってきました。
樹木も多い公園は市民の憩いの場として親しまれ、東屋の休憩所で楽器を奏でる一団がいたり、踊りの練習や散歩をする人たちなど、それぞれに行楽のひと時を楽しんでいました。労働公園 広場・公園
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広大な労働公園には色鮮やかな満開のバラが咲き誇るバラ園がありました。
向こうに見えるのは大連観光タワー(大連テレビ塔)。 -
勝利広場から見る大連駅。
勝利広場 ショッピングセンター
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18時過ぎ、ロシア風情街そばにある例の羊の串焼きの店の所に来て、そのすぐ横にある市場をのぞいてみました。
<大連 連海街の市場>
https://www.youtube.com/watch?v=bLdd1UD1zVU -
市場の中にあったケーキの店。
上に乗っかった桃の形がなかなか面白い。 -
市場を一回りしたあと、やっぱり羊肉の串焼き。
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3回ほどこの店で食べましたが、私の顔を覚えていて、焼き手のお兄さんもハローと声をかけてくれたり、帰り際にはバイバイと言ってくれたりとなかなか好意的な対応をしてくれたのは嬉しかった。
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ロシア風情街を出て友好路を南へ進んでいきました。
夜になるとこの辺りの歩道脇は野外海鮮レストランとなって賑わっていました。 -
友好路から、いろいろな露店や飲食店が連なる天津街に来ました。
天津街 散歩・街歩き
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天津街から友好広場に来ました。
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友好広場の真ん中にある球体モニュメント。
友好広場 広場・公園
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中原市場をちょっと歩いてみました。
<大連 中原街>
https://www.youtube.com/watch?v=AB40j47EMT8 -
中原街から今度は勝利広場に来ました。
地下にフードコートやショッピング街があり、ここで雨宿りしたりトイレを利用させてもらったりしました。勝利広場 ショッピングセンター
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21時頃の大連駅北口の站北広場。
広場はダンスを楽しむ人たちで賑わっていました。
このあとホテルへ戻りましたが、今日もよく歩いた。
連日約20kmの街歩き。 -
5月26日(月)、大連4日目の朝。
食パンとジャム、コーヒーなどで軽く朝食。 -
人民広場へ行くつもりで友好広場から乗った16路の2階建てバス、また反対の東へ走るバスに乗ってしまい中山広場に来てしまいました。
ほんと、方向音痴だな。 -
あわてて中山広場先の人民路でバスを降りました。
人民路と中山路を走る2階建ての16路バス。 -
女性運転手の16路バスに乗りなおして人民広場を目指します。
運賃は一律1元(\17)。 -
9時過ぎ、人民広場でバスを降りました。
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広大な緑の芝生が広がる、大連の行政の中心地・人民広場。
1937年(昭和12年)竣工の旧関東州庁舎が一部増改築され、現在は大連市人民政府として使われています。人民広場 広場・公園
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人民広場前の道路で交通整理をする婦警さん。
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人民広場からさらに16路のバスに乗って化物所で降り、星海広場にやってきました。
星海広場 広場・公園
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香港返還を記念して1997年に造られた星海広場。
香港返還の年数にこだわった高さ19.97mのシンボル塔「漢白玉華表」。 -
アジア最大の面積を誇る広場とのことですが、昼間に一人で来ても特に見どころがあるわけでもなくお金を使わない私はあまり楽しめず、ただその広さを実感するだけで終わりました。
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星海広場は星海湾に面していて近くには海水浴場もあるようです。
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星海広場からの帰りは202路の路面電車と201路の路面電車を乗り継いで大連駅まで戻ります。
路面電車乗り換えの「興工街」乗り場の近くに「兄弟拉面」があったので入ってみました。 -
ちょうどお昼時だったので店内はけっこうなお客さんの入り。
小排面(10元=\170)というのを注文。
煮込んだ骨付き牛肉が二切れ入った中国風ラーメン。
あっさりとしたスープに冷麦のようなやわらかい麺で、日本で食べ慣れているとんこつラーメンからすると、まったくラーメンらしさのない拉面で物足りなかったです。 -
興工街から201路の路面電車に乗る。
運賃は1元(\17)。 -
201路の路面電車に乗って大連駅前の「大連火車站」まで行きます。
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昼過ぎ、中原街にある食堂に入りました。
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指さし注文で、おかず2品とご飯、それにビール。
全部で12元(\204)という安さ。
味はまあそれなりで、ビールはやっぱり冷えてなかった。 -
大連駅近く、勝利広場の西側辺りに旧日本人街(旧連鎖街)があると地球の歩き方に載っていたのでちょっと歩いてみました。
かつて駅前商店街として賑わいを見せていたという連鎖街、今は崩れかけたような2階建ての古い建物が続き、工具関連の品物を商う小売店が軒を連ねていました。 -
ホテルの通路窓から見た夕暮れ時の北東方向。
正面向こうに大連港、線路をまたぐ2本の勝利橋の左手に旧ロシア人街があります。 -
今夜も友好路の歩道脇の海鮮レストランは賑わいを見せています。
私もたまには思いっきり食べてみたいけど・・・。 -
旧満州時代の建築物が多く残る中山広場では、日暮れ頃になると踊る人たちの輪ができます。
おそろいの服なので、何かの同好会なのかもしれません。中山広場 広場・公園
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ライトアップされたバロック様式の「旧横浜正金銀行大連支店」と背後の高層ビルのイルミネーションが踊りの輪に彩りを添えます。
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これも一つの健康法なのだろうか、あちこちにある広場ではだいたいどこでも集団で踊る人々の姿を見ることができます。
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<大連 夜の中山広場>
https://www.youtube.com/watch?v=uyWbVs9HcGo -
1950年代に中国とソビエト連邦の友好の記念として名付けられた友好広場の中心にある球体モニュメントには約3000枚のガラスが貼られているそうです。
夜にはカラーのライトアップが施され、いろいろな模様に変化して目を楽しませてくれます。
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