2016/06/18 - 2016/06/19
300位(同エリア502件中)
ひま人さん
百名城を訪ねて、百名城スタンプ帳にスタンプを押印するのを楽しみにしています。今回は東北の3城(多賀城、山形城、仙台城)を訪ねました。多賀城は奈良天平時代に律令国家の行政と軍事の拠点となった城です。山形城は延文元年(1356年)羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城しました。仙台城は、初代藩主伊達政宗により造営され、慶長7年(1602年)に完成しました。
表紙写真は山形市郷土館(旧済生館本館・国重文)。明治11年2月着工同9月落成した山形県立病院です。明治11年12月太政大臣三条実美により「済生館」と命名されました。後に山形市立病院として使用されました。病院を新築するため、昭和44年(1966年)山形城跡地に移築、「山形郷土館」として開館。建物は明治初期の擬洋風建築の傑作と言われています。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス ANAグループ 自家用車 徒歩
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史蹟 多賀城跡石碑。多賀城は天平9年(737年)に「続日本記」に登場します。宝亀11年(780年)には「多賀城」と記されています。廃絶後の江戸時代には遺跡として残り、早くから古城として知られていました。役割としては、福島、宮城、岩手県地域を治める陸奥国府。出羽国まで監督する広域の地方府。蝦夷(えみし)対策とされています。
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多賀城跡地形模型。多賀城は一辺約900mの不正な方形をなし、周囲は土をつき固めながら積み上げて、上に屋根をかけた「築地(ついじ)」で区画されています。築地は厚さ3m、高さは4mを超すと想定されています。ほぼ中央に政庁が置かれていました。
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多賀城碑覆屋。
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覆屋の中に収められている「多賀城碑」。外郭南門北東に位置し、江戸時代に土中から発見されたと伝えられています。碑面には「多賀城の位置」・「大野東人による724年の創建」・「藤原朝獦による762年の改修」が刻まれており、藤原朝獦の多賀城改修の記念碑と考えられています。平成10年国重要文化財指定。日本三古碑(那須国造碑、多胡碑、多賀城碑)の一つです。
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政庁復元模型。政庁は約100m四方を築地で囲み、中央に正殿、その手前両側に東・西脇殿が配置され、建物に囲まれた空間は広場を形成されていました。
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南門跡。南・東・西の外郭辺で門が確認されています。南門は格式の高い二重門で、東・西門は八脚門であり、奈良時代中頃に礎石式に建て替えられました。
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政庁跡。
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正殿跡。
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多賀城跡あやめ園。約300万本のあやめが咲き、当日は「あやめ祭り」が盛大に行われ、多賀城市市民で賑わっていました。
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東北歴史博物館。多賀城跡南のJR「国府多賀城駅」の南側に位置する県立の施設です。東北の歴史を時代別に展示披露しています。
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山形城東大手門櫓。
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東大手門櫓。
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東大手門堀。堀の手前側がJR東北本線の線路敷きになっている。
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二ノ丸東大手門。山形城は延文元年(1356年)羽州探題として山形に入部した斯波兼頼(最上家初代)が築城したと伝えられ、現在の城郭は11代城主最上義光(最盛期57万石)が築いたものが原型とされています。本丸、二ノ丸、三ノ丸の三重の堀と土塁を持つ輪郭式の全国有数規模の平城です。平成3年木造建てで復元したものです。
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東大手門。出羽の関ヶ原合戦「長谷堂合戦」で城郭が霞で隠れたことから「霞ケ城」とも呼ばれていました。現在の二ノ丸や堀や石垣は、最上家改易後、鳥居忠正により大改修されたと伝えられています。昭和61年(1986年)に国史跡に指定され、現在は「霞城(かじょう)公園」として、桜と観光の名所になっています。
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最上義光騎馬像。上杉景勝の重臣直江兼続が攻めてきたとき、義光自ら陣頭となって決戦の場へ向かっていく勇姿を再現したものです。
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土塁跡。
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土塁跡。
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本丸石垣。天守閣は造営されていません。
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本丸一文字門石垣・大手橋・高麗門。平成15年から26年にかけて復元したものです。
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本丸・一文字門石垣・大手橋・高麗門。
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最上義光歴史館。現在の山形の基礎を築いた11代藩主最上義光の記念館。歴史と功績を伝える遺品や山形城にまつわる資料などを展示しています。最上義光が織田信長から拝領した「兜(撮影禁止)」を展示しています。
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伊達政宗騎馬像。仙台城は初代仙台藩主伊達政宗によって造営され、慶長7年(1602年)には一応の完成をみたとされています。城は、東と南が広瀬川と滝の口渓谷の断崖、西が険しい山に囲まれて天然の要害で、石垣は主に本丸の周りに築かれました。築城当初は、本丸と現在では三の丸と呼ばれている地区が整備されました。その後、二代藩主忠宗が二の丸造営すると、二の丸が藩政の中心となりました。
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伊達政宗騎馬像の台座。
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かつての仙台城復元図。現在は建物の遺構は何も残っていません。
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本丸跡礎石。ここには本丸大広間が建てられ、14の部屋があり、周囲に廻る縁側を合わせると約430畳もの広さがある桃山建築の粋を集めた豪壮佳麗な建物でした。大広の北には「能舞台」、東には「懸造」がありました。
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本丸跡礎石。
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本丸跡礎石。
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懸造(かけづくり)跡。清水の舞台のような数寄屋風書院造り。伊達氏を象徴する建物です。
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巽櫓跡。
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本丸詰門跡。
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本丸石垣。
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本丸北壁石垣。
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本丸石垣。
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本丸北壁石垣説明版。
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