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ルソン島北部のラワグから南部のレガスビまで2週間、世界遺産のある街を乗り合いバスを乗り継いで縦断した。      訪れた場所、ラワグのパオアイ教会・ビガンの旧市街、バナウエの棚田・天国への階段〜バダット村・マニライントラムロス・ナガ教会・レガスビカグサワ教会跡、ダガラ教会・マヨン火山

ルソン島縦断一人旅

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2015/12/04 - 2015/12/16

226位(同エリア444件中)

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6

bigmoon530さん

ルソン島北部のラワグから南部のレガスビまで2週間、世界遺産のある街を乗り合いバスを乗り継いで縦断した。      訪れた場所、ラワグのパオアイ教会・ビガンの旧市街、バナウエの棚田・天国への階段〜バダット村・マニライントラムロス・ナガ教会・レガスビカグサワ教会跡、ダガラ教会・マヨン火山

旅行の満足度
4.0
観光
5.0
ホテル
2.0
グルメ
2.0
交通
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
5万円 - 10万円
交通手段
高速・路線バス 飛行機
航空会社
セブパシフィック JAL
旅行の手配内容
個別手配

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  •                       <br /> 台湾の南に位置するルソン島は、南北740?・東西225?あり面積は世界17位。(本州は14位) その島にある世界遺産を訪ね、北から南に約2週間かけ乗合バスで縦断した。<br />フィリピンは、スペインとアメリカの植民地支配の後、第二次大戦中の日本占領後に独立。7千もの島国で人口は約1億、カソリック教徒が多くタガログ語が公用語だが英語が普通に使われている。年中暖かな熱帯性気候で、Tシャツと短パンで1年を過ごせ、寒い冬の日本を脱出するには最適の地だ<br /> JALマイレージを利用し伊丹から成田乗継で初めてマニラに到着、国内線に乗換え約1時間遅れでルソン島北部のラワグ空港に到着。しかし時刻はすでに夜の7時、まわりは真っ暗で事前に調べておいたシャトルバスも運行終了。どうしたものか空港職員に相談するとトライシクル(サイドカー付オートバイ)を紹介され、街中の予約していたホテルに30分程で着いた。    <br />宇治を出てここまでくるのに1日半かかったが、自力で何とかたどり着いたことにひと安心。到着日と帰国前日のホテルはネット予約で安心だが、翌日からは自力で探した。私が訪れた町の安ホテルは、2〜3千円程で探すことが出来た。<br /> <br />旅したコースは、ラワグ近郊の世界遺産パオアイ教会、スペイン風建築の町並みに馬車(カレッサ)が似合うビガン旧市街、早朝3時発のバスで移動した高原都市バギオ、そこで乗り換えたミニバスでルソン島中央部の高い山脈をオーバーヒートやパンクしながら6時間かけて横断し、山奥のイフガオ族の中心地バナウェへ。そこでガイドとトライシクルを雇い、今回の旅で一番行きたかった「天国への階段」とも称されるバダット村で感動の棚田を見学。<br />そしてガンガンに冷やすエアコンの寒さに震えながら夜行バスでマニラに戻るまでが一週間、首都マニラでは6千円程のプール付きホテルに2泊すると元気回復した。<br />後半はマニラから南下の旅。朝7時頃、市内の激しい渋滞の中を長距離バスで出発し、南部ビコール地方の豊かな自然や風景を車窓から眺めながら500?走り、夕方7時に中心都市ナガに到着。どの町にも立派な石造りの鐘楼(ベルタワー)とカソリック教会があり、スペインの遺産だろうかとても立派で、世界遺産に登録されているものも多い。<br />富士山より美しいと言われるマヨン火山(標高2500m)のあるレガスビが最終目的地。しかし残念ながら曇天と雨で、滞在中は五合目から上は雲の中。でもその雄大な稜線は十分に山の美しさを想像させてくれた。そして最終日前日、ここまで無事に旅を続けてきたのに大事件に遭遇。<br /><br />マニラへ戻るため朝10時にレガスビ空港に行くと空港内が閑散としており、カウンターで中国人青年が係員と言いあっていた。天気が悪いとは思っていたが、なんと季節外れの台風で当日のフライトは全便欠航の張り紙。私もショックで頭が真っ白になり、その青年と一緒に何とかしてくれと頼むしかない。係員は「レガスビからバスで戻れ」というが12時間以上かかり、しかも出発は夜でとても翌朝9時半発の成田便に間に合わない。<br />その時何処からか一人の男が現れ「カーレンタルならある、1万ペソ(p)だ。7時間で行く」という。ここでその青年が交渉力を発揮し、8千pに負けさせ一人4千pで決着。何とか翌朝の飛行機に乗れるのでひと安心だが、この運転手すごいスピードの暴走運転で、道は間違えるし、疲れたといって仮眠をとるし、結局10時間もかかってマニラに戻った。ところが予約のホテルまで当然案内するとの考えは甘く「マニラの道は分からない、タクシーでホテルへ行ってくれ」というが仕方ない。中国杭州出身の金君とはそこで別れたがすごく世話になり、感謝している。<br />しかし、そこで乗ったタクシーがまた最悪のぼったくりで支払いにひと揉めあり、この日は最悪で本当に疲れた一日となった。それでも何とかホテルに入りサンミゲルビールで一人乾杯し、翌朝6時に目覚ましをセットして倒れるように眠った。翌日のJALは定刻通り成田から伊丹へ飛び、夜9時ごろ2週間ぶりに自宅に戻った。<br /><br />感動とハラハラドキドキの二週間だったが、その間に考えたことはたくさんあった。<br />この国は何処へ行っても子供の数が多く、戸外でメンコやゴムとび、綾取りで遊んでいた。その様子はまるで我々の子供時代を思い出させた。人口は1億を突破し、平均年齢は23歳と若く、しかも英語は子供も話せるので今後の発展は期待できそうだ。<br /> しかし現状は貧富の差は大きく、圧倒的に貧しい様子は何処を見てもすぐ分かる。戦後の日本も同様だったと思うが、同じ所からスタートしたのに七十年後のこの違いは何なのか?〈教育と勤勉〉という言葉があてはまるのだろうか。<br /> 亜熱帯のこの国では三毛作も可能だが、台風被害や技術的な点から難しそうだ。しかし私の旅した12月、田起こしに田植え、稲刈りと地域によって農作業が違っていたがほとんど農業機械でなく手作業が中心だった。棚田のあったバダット村では一坪ほどの小さな田んぼで働く村人を見かけたが、苦しい農作業から若者が村から去っていくのも時間の問題のように感じた。作られる米は長粒種(インディカ米)でパサパサして食べにくい。こんな国も「米の輸入国」だそうだ。<br /> <br />今回の旅行中、マニラのホテル以外で日本人旅行者に会うことは無かったが、同じように見えたのは中国人と韓国人ばかりであった。ホテルのテレビで中国語やハングルによる番組は見たがNHK国際放送はなく日本の存在感は気になったが、トヨタや三菱の高級車は良く見かけた。<br />田舎のローカルバス車内で、ふと上を見上げると「(株)千曲バス・運転手・非常口」の漢字があり、日本の中古車と分かるプレートが貼り付けたままであった。聞けば日本の中古車であることが安全な車であることの証明だそうだ。<br /> 首都マニラには新しい高架鉄道はあるが、それ以外にマニラ〜レガスビ間に鉄道レールはあったが、その様子は草ぼうぼうでゴミ捨て場のような惨憺たるものであった。現在は直通列車は無く、南端のレガスビとナガでは一日一往復だけあるそうだ。ナガ駅で見かけた「昭和38年新潟鉄工」のネーム付き客車(窓に投石避けの金網)とデイーゼル機関車の整備をしていた。子供が列車に向かって投石をするそうだ。長距離バスで線路に沿って走ると、鉄道レールの上を住民が勝手にトロッコを走らせている。列車の運行がなく簡単にレールからはずせるので、住民の足として有料で勝手に運行しているそうで驚いた。<br /> <br />旅の移動手段は、街中だとトライシクル(10〜50p)近隣の町へは派手な装飾のジープニー(ジープを改造した荷台に対面で20人ほど座る20〜30p)長距離バスは夜間から早朝に出発(300〜700p)国内線旅客機(2千p)観光地の馬車(150p)を使った。交通費は安いがそこに住む人には大金だろう(約3倍が日本円)マニラのタクシーのように外国人と見ればぼったくろうとするのもお金の価値の違いからである。<br /> 困ったのは食事で、アメリカの影響かマクドナルドのようなファストフード店が多く「チキンのから揚げ、ハンバーガー(長粒種米のおにぎりもあった)ポテトとコーラ」ばかりで野菜不足に困った。露店でバナナを買ってよく食べたがこれは美味しかった。お金さえ出せば高級ホテルのレストランで食べることもできたが、旅のスタイルからそんな気にならず、如何に安くあげるかを考えた旅だった。<br /> 最後に役立つのはやはりお金である。それも円よりドルの小額紙幣があるといざというとき便利で、いつも100$ほどは別のところに隠し持っていた。今回も最後に白タク運転手に払ったのは、帰国前で手持ちペソがなく4千pの代わりに85$を払ったが、改めてドルの強さを実感した。    <br />また海外旅行保険は重要だ。今回の帰国前日のフライトキャンセルも「航空機遅延補償」を掛けており「白タク代」は全額弁済された。今までもケガやカメラの紛失で保険の世話になったが、特に海外旅行では必要不可欠だとおもう。<br /> そして無事帰国して思うのは、日本という国がこんなに清潔で美しい国であること、食べ物がおいいしいこと、そして安心・安全でだれもが親切だということである。<br />

                          
     台湾の南に位置するルソン島は、南北740?・東西225?あり面積は世界17位。(本州は14位) その島にある世界遺産を訪ね、北から南に約2週間かけ乗合バスで縦断した。
    フィリピンは、スペインとアメリカの植民地支配の後、第二次大戦中の日本占領後に独立。7千もの島国で人口は約1億、カソリック教徒が多くタガログ語が公用語だが英語が普通に使われている。年中暖かな熱帯性気候で、Tシャツと短パンで1年を過ごせ、寒い冬の日本を脱出するには最適の地だ
     JALマイレージを利用し伊丹から成田乗継で初めてマニラに到着、国内線に乗換え約1時間遅れでルソン島北部のラワグ空港に到着。しかし時刻はすでに夜の7時、まわりは真っ暗で事前に調べておいたシャトルバスも運行終了。どうしたものか空港職員に相談するとトライシクル(サイドカー付オートバイ)を紹介され、街中の予約していたホテルに30分程で着いた。    
    宇治を出てここまでくるのに1日半かかったが、自力で何とかたどり着いたことにひと安心。到着日と帰国前日のホテルはネット予約で安心だが、翌日からは自力で探した。私が訪れた町の安ホテルは、2〜3千円程で探すことが出来た。
     
    旅したコースは、ラワグ近郊の世界遺産パオアイ教会、スペイン風建築の町並みに馬車(カレッサ)が似合うビガン旧市街、早朝3時発のバスで移動した高原都市バギオ、そこで乗り換えたミニバスでルソン島中央部の高い山脈をオーバーヒートやパンクしながら6時間かけて横断し、山奥のイフガオ族の中心地バナウェへ。そこでガイドとトライシクルを雇い、今回の旅で一番行きたかった「天国への階段」とも称されるバダット村で感動の棚田を見学。
    そしてガンガンに冷やすエアコンの寒さに震えながら夜行バスでマニラに戻るまでが一週間、首都マニラでは6千円程のプール付きホテルに2泊すると元気回復した。
    後半はマニラから南下の旅。朝7時頃、市内の激しい渋滞の中を長距離バスで出発し、南部ビコール地方の豊かな自然や風景を車窓から眺めながら500?走り、夕方7時に中心都市ナガに到着。どの町にも立派な石造りの鐘楼(ベルタワー)とカソリック教会があり、スペインの遺産だろうかとても立派で、世界遺産に登録されているものも多い。
    富士山より美しいと言われるマヨン火山(標高2500m)のあるレガスビが最終目的地。しかし残念ながら曇天と雨で、滞在中は五合目から上は雲の中。でもその雄大な稜線は十分に山の美しさを想像させてくれた。そして最終日前日、ここまで無事に旅を続けてきたのに大事件に遭遇。

    マニラへ戻るため朝10時にレガスビ空港に行くと空港内が閑散としており、カウンターで中国人青年が係員と言いあっていた。天気が悪いとは思っていたが、なんと季節外れの台風で当日のフライトは全便欠航の張り紙。私もショックで頭が真っ白になり、その青年と一緒に何とかしてくれと頼むしかない。係員は「レガスビからバスで戻れ」というが12時間以上かかり、しかも出発は夜でとても翌朝9時半発の成田便に間に合わない。
    その時何処からか一人の男が現れ「カーレンタルならある、1万ペソ(p)だ。7時間で行く」という。ここでその青年が交渉力を発揮し、8千pに負けさせ一人4千pで決着。何とか翌朝の飛行機に乗れるのでひと安心だが、この運転手すごいスピードの暴走運転で、道は間違えるし、疲れたといって仮眠をとるし、結局10時間もかかってマニラに戻った。ところが予約のホテルまで当然案内するとの考えは甘く「マニラの道は分からない、タクシーでホテルへ行ってくれ」というが仕方ない。中国杭州出身の金君とはそこで別れたがすごく世話になり、感謝している。
    しかし、そこで乗ったタクシーがまた最悪のぼったくりで支払いにひと揉めあり、この日は最悪で本当に疲れた一日となった。それでも何とかホテルに入りサンミゲルビールで一人乾杯し、翌朝6時に目覚ましをセットして倒れるように眠った。翌日のJALは定刻通り成田から伊丹へ飛び、夜9時ごろ2週間ぶりに自宅に戻った。

    感動とハラハラドキドキの二週間だったが、その間に考えたことはたくさんあった。
    この国は何処へ行っても子供の数が多く、戸外でメンコやゴムとび、綾取りで遊んでいた。その様子はまるで我々の子供時代を思い出させた。人口は1億を突破し、平均年齢は23歳と若く、しかも英語は子供も話せるので今後の発展は期待できそうだ。
     しかし現状は貧富の差は大きく、圧倒的に貧しい様子は何処を見てもすぐ分かる。戦後の日本も同様だったと思うが、同じ所からスタートしたのに七十年後のこの違いは何なのか?〈教育と勤勉〉という言葉があてはまるのだろうか。
     亜熱帯のこの国では三毛作も可能だが、台風被害や技術的な点から難しそうだ。しかし私の旅した12月、田起こしに田植え、稲刈りと地域によって農作業が違っていたがほとんど農業機械でなく手作業が中心だった。棚田のあったバダット村では一坪ほどの小さな田んぼで働く村人を見かけたが、苦しい農作業から若者が村から去っていくのも時間の問題のように感じた。作られる米は長粒種(インディカ米)でパサパサして食べにくい。こんな国も「米の輸入国」だそうだ。
     
    今回の旅行中、マニラのホテル以外で日本人旅行者に会うことは無かったが、同じように見えたのは中国人と韓国人ばかりであった。ホテルのテレビで中国語やハングルによる番組は見たがNHK国際放送はなく日本の存在感は気になったが、トヨタや三菱の高級車は良く見かけた。
    田舎のローカルバス車内で、ふと上を見上げると「(株)千曲バス・運転手・非常口」の漢字があり、日本の中古車と分かるプレートが貼り付けたままであった。聞けば日本の中古車であることが安全な車であることの証明だそうだ。
     首都マニラには新しい高架鉄道はあるが、それ以外にマニラ〜レガスビ間に鉄道レールはあったが、その様子は草ぼうぼうでゴミ捨て場のような惨憺たるものであった。現在は直通列車は無く、南端のレガスビとナガでは一日一往復だけあるそうだ。ナガ駅で見かけた「昭和38年新潟鉄工」のネーム付き客車(窓に投石避けの金網)とデイーゼル機関車の整備をしていた。子供が列車に向かって投石をするそうだ。長距離バスで線路に沿って走ると、鉄道レールの上を住民が勝手にトロッコを走らせている。列車の運行がなく簡単にレールからはずせるので、住民の足として有料で勝手に運行しているそうで驚いた。
     
    旅の移動手段は、街中だとトライシクル(10〜50p)近隣の町へは派手な装飾のジープニー(ジープを改造した荷台に対面で20人ほど座る20〜30p)長距離バスは夜間から早朝に出発(300〜700p)国内線旅客機(2千p)観光地の馬車(150p)を使った。交通費は安いがそこに住む人には大金だろう(約3倍が日本円)マニラのタクシーのように外国人と見ればぼったくろうとするのもお金の価値の違いからである。
     困ったのは食事で、アメリカの影響かマクドナルドのようなファストフード店が多く「チキンのから揚げ、ハンバーガー(長粒種米のおにぎりもあった)ポテトとコーラ」ばかりで野菜不足に困った。露店でバナナを買ってよく食べたがこれは美味しかった。お金さえ出せば高級ホテルのレストランで食べることもできたが、旅のスタイルからそんな気にならず、如何に安くあげるかを考えた旅だった。
     最後に役立つのはやはりお金である。それも円よりドルの小額紙幣があるといざというとき便利で、いつも100$ほどは別のところに隠し持っていた。今回も最後に白タク運転手に払ったのは、帰国前で手持ちペソがなく4千pの代わりに85$を払ったが、改めてドルの強さを実感した。    
    また海外旅行保険は重要だ。今回の帰国前日のフライトキャンセルも「航空機遅延補償」を掛けており「白タク代」は全額弁済された。今までもケガやカメラの紛失で保険の世話になったが、特に海外旅行では必要不可欠だとおもう。
     そして無事帰国して思うのは、日本という国がこんなに清潔で美しい国であること、食べ物がおいいしいこと、そして安心・安全でだれもが親切だということである。

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