2016/04/20 - 2016/04/27
1116位(同エリア4374件中)
けいじさん
憎むべきテロが昨年から今年にかけて、首都のアンカラと観光地イスタンブールで立て続けに発生し、外国人観光客などに多数の犠牲者が出てしまいました。そのため、あんなにたくさんあったトルコツァーの募集を最近はほとんど見かけなくなりました。これは例え募集したとしても参加される方がほとんど集まらないのも要因の一つなのだと思います。
そんな中、今年になり某旅行会社が破格の特別価格でトルコツァーを募集しているのを見つけました。5年前にトルコには行っていますが、機会があればまた行きたいと思っていましたので迷うことなく、早速夫婦で申し込み致しました。ただし、行くに当たっては危険を甘受し、何があっても全て自己責任で処理しようとかみさんとも話し、参加を決めました。今こうして旅行を終えての結果は、全く問題なく、それどころか極めて平和なトルコを満喫することが出来ました。こうして二度目のトルコ旅行は、前回の旅行以上に楽しめ、しかも前回と比べ天候にも恵まれた素晴らしい旅行になりました。
また今回のツァーは、やはり諸々の事情のせいなのか、わずか12名のみの参加でした。お陰で、6日間お世話になった40人乗りの大型バスの車内では、全員がゆったり過ごすことが出来、長時間の移動も疲れることなく、仲良く8日間の旅行を楽しむことが出来ました。旅を終えて、無理をしてでも行って良かったなと、大いに納得致しました。
いつもなら観光客で大変混雑する名だたる観光地に行っても、テロの影響が大きいらしく、どこも閑散としていました。我々にとっては大変都合の良いことでしたが、トルコの方々に対しては本当に気の毒な限りでした。特に観光客に頼るお土産物屋さんなどは本当に大変そうでした。そこで、いつもの海外旅行ではお土産などわずかしか買わないのに、今回のツァー代金が破格だったためと、少しでもトルコのためにと思って、絨毯などたくさんのお土産を買ってしまいました。旅行前から、出来るだけのお金を使おうと決めていましたし、トルコには安くて良いお土産物がたくさんあるのですから良かったと思います。では、旅行記をご覧ください。
追記
この旅行記を書いていた6月7日に衝撃的なニュ―スが飛び込んできました。またしてもイスタンブールで爆弾テロが発生し、11人もの尊い命が失われてしまいました。今年1月12日に発生したスルタンアフメト(ブルーモスク)前の広場での自爆テロの後はトルコ政府が厳しく取り締まった結果、私たちが行った時はあんなに平和で安全でした。しかし今回また、ブルーモスクの前の大通りでの爆弾テロが発生してしまいました。憎むべきテロを恨み、二度と繰り返さないことを祈っております。あわせて一日も早く平和が訪れることを祈って、今回、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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カタール航空で昨晩日本時間の22時40分に成田からドーハに飛び、2日目の今日、ドーハでアンカラ行きに乗り換えました。アンカラ行きのエアバス320です。
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エアバス320の機内です。珍しくモニターがありました。さすがカタール航空です。
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トルコの首都、アンカラのエセンボーア国際空港にもうすぐ着陸です。
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アンカラ空港で待っていた大型バスです。イスタンブールまでの6日間お世話になりました。トルコの工場で生産された、ドイツのMAN社製バスです。
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この大きなバスに12名のみです。4座席を一人で使えました。何とも贅沢です。
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アンカラからカッパドキアに向かう途中にある塩湖のトゥズ湖で、白いのはすべて塩です。
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とにかく大きな塩湖です。
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5年前の12月に来た時は天気が悪かったのですが、今回は天気に恵まれそうです。
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快適なバスドライブが続きます。
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夕方、カッパドキアの洞窟ホテル、ウチヒサール・カヤホテルに到着しました。このホテルに2泊します。
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ここがホテルの受付です。ガイドさんがチェックインの手続きを全てやってくれます。
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ウチヒサール・カヤホテルはリゾートホテルのようで、スパやエステにプールの設備が整っています。
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岩をくり抜いた部屋です。この洞窟ホテルは他の洞窟ホテルと違って、岩壁の中腹に造られているため、眺めが非常に良く、ベランダから鳩の峡谷が良く見えます。
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ホテルの目の前に広がる景観です。
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ウチヒサールの街並みです。
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ウチヒサールの岩山が望めます。
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夜、満月の月が上がりました。
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3日目早朝、気球ツァーです。ホテルに5時45分に迎えにきてもらい、途中気球会社の事務所で軽食を頂き、気球の離陸場に着きました。
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準備完了!いざ離陸です。
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バーナーの炎の熱気で気球が膨らみました。
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浮き上がりました。全くショックもなくスムーズです。人生初の気球です。
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最高の気球日和です。少しでも風があったり、見通しが悪いと安全上中止にになります。でも今日は最高の天気です。
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普段より少ない気球の数ですが圧巻です。
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最高の気分です。カッパドキアに来たら絶対気球に乗るべきです。価格は一人2万円位です。
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太陽が上がってきました。素晴らしい景観です。
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日の出です。
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眼下にカッパドキアの景観がひろがります。離陸場より800メートル近くまで高度をあげます。
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着陸地点に向かい、田園地帯上空を飛びます。
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パイロットです。技量は抜群でした。全く不安なく初気球を楽しめました。
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雲ひとつない快晴です。
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我々の気球の機影がくっきり!いよいよ着陸です。1時間半の快適フライトの終了です。
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無事、着陸です。
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この籠に20人が乗りました。
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気球はすぐたたみます。
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気球搭乗記念パーティの準備です。左側のパイロットに感謝。操縦は確かなものでした。
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シャンパンで乾杯!心憎い演出です。
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着陸地点はこんな畑のど真ん中です。これからいったんホテルに戻って朝食を摂り、今日はカッパドキア観光です。
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朝食を食べた後、8時45分に出発しました。これから夕方までカッパドキア観光です。まずはカイマクルの地下都市です。
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地下都市は、キリスト教徒がイスラム軍からの弾圧を避けるために作ったシェルター施設で、ここに住んでいたということはないそうです。イスラム軍が攻めてくると皆ここに避難して、イスラム軍が去るまで立て籠っていたそうで、その期間は長くて一週間ほどです。そして平和な時はワイン製造工場の役割を担っていたそうで、これは地下の温度、湿度がワイン製造にピッタリだったためでしょう。写真の丸い石は、敵がここに入り込んできた時に転がして通路の入り口を塞いでしまうものです。これで敵の侵入を防いだのです。
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地下都市は狭くてどこまでも続いています。
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ここがワイン製造工場です。
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とにかく見応え満点です。こんな地下都市を作ったキリスト教徒たちに脱帽です。しかも地下都市は他にもいくつかあって、最近巨大な地下都市が発見されたというニュースが飛び込んできました。ちなみにここカイマクル地下都市で2000人ほどの人々が避難したそうで、今回発見された地下都市は数万人規模だそうです。
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地下から一転、快晴の地上に出て、カッパドキア名物の絨毯工場に向かいます。しかし良い天気です。
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絨毯工場に到着。絨毯を編んでいます。
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まあ、観光客向けの絨毯工場なんで、恰好だけの美人の工女さんがいるのだと思ったら、なんと彼女の編み方の凄いこと!目にも止まらぬ速さでここトルコだけの手縫いの技術、ダブルノットで絨毯を編んでいました。これには敬服いたしました。
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ここからが本番で、絨毯売りの始まりです。しかし、説明してくれる右の男の人、日本語ペラペラです。彼に限らず、みんな日本語ペラペラです。なぜだろうと思い、5か国語を流ちょうに話し、日本語も全く訛りがない、語学の天才のガイドのベルガンさんに聞いたら、トルコ語と日本語の文法が全く同じなので単語さえ覚えればすぐ話せるとのこと。また英語のような巻き舌発音もないので、変な訛りもないのです。ところが英語に関しては難しいらしく、ほとんど話せません。一部の若い人が英語を習い始めましたが、トルコでは英語より日本語の方がはるかに通じます。おまけにドル以上に円がどこでも使えるのにはビックリです。観光地のお土産物屋さんで円で買い物したら、お釣りは円の硬貨でくれました。
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素晴らしい柄の手縫い絨毯です。お値段もそれなりですが、日本で買うよりはるかに安いです。しかもここのところ観光客が来ないので、テロ事件前より2〜3割安くなっているそうです。しかも日本までの送料は無料だそうです。
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最高級の絨毯を見せてくれました。もちろん見るだけ。それにしても素晴らしい絨毯です。私、店の回し者ではありませんが、やはりトルコ絨毯、その中でもカッパドキア地方の絨毯は最高です。本当は大きな絨毯が欲しかったのですが、狭い我が家ではそれをひくスペースがありません。適当な大きさの絨毯に決めました。
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絨毯屋さんを後に、昼食です。昼食は洞窟レストランで、カッパドキア名物の鱒料理です。レストラン入り口が何とも趣きがあって、素敵でした。
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尾頭付きの鱒料理です。美味しく頂きました。トルコビールと一緒に食べるのが良かったです。カッパドキアは標高1000メートルほどの高地なのでアルコールの回りが早く、すぐ気持ち良く酔えます。
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洞窟レストランは趣きがあって、素敵です。ビールが美味いこと!
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食事を終えて、ほろ酔い状態でバスに揺られると睡魔に襲われます。でも30分ほどでラクダ岩に到着です。
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まさにラクダの形です。それにしても良い天気!青空がすごいです。
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カッパドキアの奇岩は独特の形をしています。
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ラクダ岩です。
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これはナポレオンの帽子です。
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いろんな形の奇岩が楽しめます。
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場所が変わり、キノコ岩パシャバー(妖精の煙突)です。ここは見応え満点です。火山の噴火によって形成された柔らかい凝灰岩層が侵食されて、上の固い岩が残ってこんな不思議な形になりました。この岩の周りをハイキングします。
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こんな岩が連なっていて、見る者を圧倒します。
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すっかり岩に囲まれてしまいました。
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岩壁の向こうに広がる景色もすごいですね。
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30分ほどで一周出来ます。
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またまた場所が変わり、今度はスリーシスターズの奇岩です。これこそ奇跡の岩塔で、下の柔らかい凝灰岩層が侵食されてこんな形になるなんて、信じられません。これこそ奇跡の賜物です。岩塔の向こうに白きたおやかな峰が見えます。ここカッパドキアの奇岩を作った火山エルジェス山3916メートルです。富士山より高い独立峰です。
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見る角度を変えると、形が変わります。
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岩塔の下から見上げます。
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スリーシスターズ、三つの岩塔です。
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全景です。5年前に来た時は小雪が舞い散る寒い日でしたが、今日は半袖でも大丈夫です。何度来ても感動する景色です。
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ウチヒサールの岩山です。昔、この岩山をくり抜いて人々が暮らしていたそうです。
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ラクダに乗れます。ウチヒサールをバックに。
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このラクダを操るおじさんは、5年前もここで仕事をしていて、私のかみさんがこのラクダに乗りました。おじさんは5年経って、ちょっと老けたみたい。もちろん、私も歳取ってしまいました。
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奇岩が連なります。
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あの岩山の頂上まで登れるそうで、ホテルに着いたら登りに行くことにしました。
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ホテルからここまで15分ほど。かみさんは疲れてホテルで休んでます。なんで一人です。
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この岩山の頂上まで登ります。
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立派な階段が頂上まで続いています。岩登りかと思ったのですが、そんなことはありませんでした。
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頂上です。
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頂上からの絶景です。
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エルジェス山3916メートルです。素晴らしい山容です。
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どこまでも続く大平原。アナトリア高原です。
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ウチヒサールの街並み。
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こんな岩山をくり抜いて人々が住んでいたとは驚きです。家まで毎日岩登りをしたのでしょうか。
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4日目も快晴です。こんなに天気に恵まれる旅行も珍しいです。どうやら同行したT氏のお陰です。話を聞きますとこの方、凄い晴れ男です。ちなみに私は強烈な雨男ですが、今回T氏には負け続けです。
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アクサライの隊商宿です。トルコ国内には隊商宿が数多くありますが、ここまで完璧に保存されている隊商宿は珍しいそうです。
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立派な造りです。
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立派な造りです。
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室内です。ここでキャラバン隊が荷を解いてゆっくりしたのでしょう。ここなら金銀財宝を運んでいても襲われる心配もなく、枕を高くして眠ることが出来たに違いありません。
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隊商宿全景です。
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トルコにはやたら猫がいます。猫好きにはたまりません。
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こういうドライブインが各所にあり、バスは大体2時間に一回休憩のためドライブインに寄ってくれます。バスにはトイレがありますが鍵が掛かっていて走行中は安全のため使えません。つまり本当の緊急時のみということです。2時間に一回必ずドライブインに寄りますので、トイレで困ったことはありませんでした。ドライブインのトイレは1トルコリラ(40円)が必要です。トルコではトイレは必ずお金が掛かります。しかも係員がいてしっかりお金を取ります。そのかわりトイレは清掃が行き届いていて、清潔ですので気持ち良く使えます。
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コンヤの街中に入りました。
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メブラーナ博物館を見学しました。メヴレヴィ―教団(旋舞教団)の中心地コンヤにあるメブラナ派(メブラーナ教)のモスクで、教団創始者のジェラルディン・ルーミーの霊廟です。この教団はスカートをはいた信者が音楽に合わせて、くるくる回転しながら踊る宗教行為セマーで有名です。
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大きく立派なモスクです。
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親日的です。地方から観光に来たトルコ人女性たちに「どこから来たの?」などと聞かれてすっかり打ち解けて、一緒に記念写真を撮りました。アジア人、特に日本人が珍しいようです。明治23年に発生したトルコ軍艦エルトゥール号の和歌山沖における海難遭難の際、日本人が多くのトルコ兵を救助した恩をみんな知っているのにはびっくりでした。
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トルコ警察のパトカーです。幹線道路ではパトカーや白バイのスピード取り締まりが厳しく行われていて、何度か捕まった車を目撃しました。ちなみに高速道路には恐怖のオービス(自動速度違反取締装置)が至る所にあります。日本同様交通取り締まりが厳しい国です。
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霊廟入り口です。
ここは一大観光地です。いつもなら日本人観光客がたくさんいるはずなのでが・・・
全く日本人を見かけませんでした。日本人は我々12人だけでした。それにしても、トルコ人観光客というか、熱心な信者さんなのか、非常に混んでいましたが、トルコ人ばっかりなので全く気になりませんでした。トルコ人は皆さま、おとなしくて礼儀正しく、笑顔を絶やさない素晴らしい人たちです。 -
混んでます。女性はスカーフを頭に巻きます。カラフルでおしゃれです。
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霊廟内部ですが、この混み方です。しかも今日は土曜日です。
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秘宝です。
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シャンデリアがすごいです。
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セマーです。人形がありました。
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とにかく人、人、人。でもゆっくり、しっかり見学しました。混んでいるところでトルコの方たちは私たちに道を譲ってくれます。彼らは本当に時間をかけて見学しますが、私たち異邦人の観光時間の短さを知っていますので思いやりを持って道を譲ってくれるのです。トルコ人の優しさですね。
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チューリップ満開です。チューリップはトルコ原産の花だそうです。
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トルコの高校生。英語を学んでいるそうで、英語でインタビューされましたが、たくさんの質問の英語の発音がよく分からず、彼が手に持っていた原稿を見て答えました。本当に良い子たちでした。
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女子高生にもインタビューされましたが、彼女の発音は素晴らしかったです。トルコでも英語の必要性が高まり、こうして高校生たちが一生懸命英語を学んでいます。
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霊廟を後に昼食に向かいます。もう腹ペコです。
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セマーの人形がありました。
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昼食のトルコ風ピザです。美味です。食べ過ぎました。
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途中のドライブイン休憩では必ずチャイ(紅茶)を頼みます。これが長旅にはピッタリで、本当にリラックスします。一杯2トルコリラ(80円)ですが、5年前は1トルコリラでした。
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これが絶品の粘り気満点のゴマかけヨーグルト。皿をひっくり返しても落ちません。しかもフォークで食べます。トルコではヨーグルトがよく食べられています。
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大平原をひたすらパムッカレ目指して爆走です。とは言っても、運転手さん、素晴らしいドライブテクニックで、90キロ平均で一般道を安全運転してくれました。
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コンヤから400キロ、ようやくパムッカレに到着しました。バスの中から石灰棚が見えます。
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雪のようですがこれすべて石灰が成せる業です。パムッカレ石灰華段丘です。
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長かった一日が終わり、ホテルに到着しました。五つ星のリッチモンド・パムッカレホテルです。明日はいよいよパムッカレ石灰棚です。
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5日目の朝は天気がパッとしません。昨夜は雨が振りました。ホテルから10分ほどでヒエラポリスーパムッカレに到着です。朝がまだ早いので閑散としています。ヒエラポリスは2世紀頃に栄えたローマ帝国の温泉保養地です。そしてパムッカレは石灰華段丘からなる丘陵地の名前で、複合遺産の世界遺産に登録されています。パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味です。
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今は快晴という訳にはいきませんが、雨の心配はなく、10時過ぎには快晴にになる予報です。ここ石灰棚は丘の上にあり眺めが抜群です。
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入り口を入るとまずはヒエラポリスの遺跡です。ここはローマ帝国の温泉保養地として栄えました。ここパムッカレは豊富な温泉が古代より湧き出していたのです。
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ここヒエラポリスはパムッカレの石灰華段丘の一番上に位置します。
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昔は大変賑わっていたのでしょう。
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相次ぐ地震により破壊され、廃墟と化しました。今はローマ劇場とローマ浴場がわずかに残っています。
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水路跡です。
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浴場の遺跡です。
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おそらくローマ帝国時代は大変な賑わいを見せていたのでしょう。そして、あのクレオパトラも訪れたそうです。
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石灰華段です。溜まっているのはここの石灰(炭酸カルシュウム)が溶け出した地下水が地熱で温められて地表に湧き出した温泉です。この温水から石灰が沈殿してこのような景観を生み出しました。まさに奇跡と偶然の産物で、自然界とは計り知れないものがあります。
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一面石灰の白です。
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パムッカレの街が見下ろせます。
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この溝を温泉水が流れています。
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石灰華段丘の見事さです。
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白い段丘が素晴らしい景観を生み出しています。
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温水が溜まっているところが見事です。
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不思議な模様が見られます。自然の不思議さが結集したパムカッレでした。
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ここはすでに白い石灰が変色して、草も生えてきて、石灰華の終わりを示しています。このままいわゆる石灰岩になるのでしょうか。
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クレオパトラが入浴したと伝えられる、古代遺跡が沈んでいる温泉です。今回は入りませんでしたが、水着着用で入れるそうです。
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クレオパトラの温泉です。
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パムカッレ見物を終了して出口を出ると、すっかり晴れ渡っておりました。それにしても、朝一番とはいえ、観光客の少なさに唖然としました。
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バスはドイツのMAN社製ですが工場はトルコ国内にあってトルコ製です。ベンツ、ワーゲン、アウディと言ったドイツ車のシェアが高いです。ちなみに日本のいすゞ自動車はトルコのアナドール社と提携、出資して生産工場があり、国内シェア10パーセントを超えています。トルコは産油国ではないので、ガソリンは高く、レギュラーが140円位します。LPGは安く、ガソリンスタンドでは必ずLPGも補給出来て80円位です。高速道路網の整備はまだまだですが、イスタンブール、アンカラ間、イズミール周辺など徐々に整備されつつあります。高速道路は110キロの制限速度で、料金所はETCで通過できます。
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バスの運転席です。アンカラからイスタンブールまで、5日間で2000キロを超える距離を走ります。運転手さんは一人ですが、必ず2時間弱で休憩して、無理な運転は絶対しません。安全運転に徹しています。
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パムッカレを後に、イズミール県にあるエフェソスの古代遺跡に向かいます。天気は上々、一般道と言ってもこのように良く整備されたキレイな道路です。
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洒落た一軒家が続きます。
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昼食のトルコ風焼き鳥、チョプ・シシです。焼き鳥と言っても羊肉の串焼きです。これが美味しくて、ビールのつまみにピッタリでした。ビールはトルコビールが美味いです。
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トルコはバラのふるさと。至る所にバラが咲き誇っています。バラの香水やばらの石鹸など、バラ製品が豊富です。それと忘れてはいけないのがオリーブです。高地のカッパドキアやパムッカレにはありませんが、イズミールまで来ると一面のオリーブ畑が続いています。
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エフェソス(トルコ名ではエフェスです。)に着き、まず訪れたのは世界の七不思議の一つ、アルテミス神殿の跡です。残念ながら神殿の柱が一本だけ残っています。元は、直径1.2m 高さ19mの円柱が127本もあった壮大な大神殿だったそうですが、今は一本のみ残されています。
紀元前365年にこの神殿に放火して名を残そうとしたものがおり、焼失したのです。エフェソスの市民はこの放火魔の記録を抹消しましたが、かなわずへロストラトスという名が伝わってしまいました。アルテミス神殿は再建され世界の七不思議の一つに数えられています。七不思議とは古代ギリシャ・ローマ時代における7つの注目すべき建造物のことで、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台、そしてここエフェソスのアルテミス神殿です。 -
何度聞いても何故ここが世界七不思議の一つなのか、よく分かりません。
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エフェソソスの遺跡に到着です。パムッカレもでしたが、入口には改札口があります。今日は快晴で気温も高くなってきました。相変わらず観光客は少ないです。
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エフェソスは紀元前から栄えた港湾都市でしたが、土砂の堆積により海が遠くなってしまいさびれてしまいました。ヘレニズム〜ローマ時代まで何度も築かれ、現在の遺跡は7世紀頃のものです。2015年に世界遺産登録されています。
中央の柱は市公会堂で真ん中奥がオデオン音楽堂、右端がヴァリウスの浴場です。 -
市公会堂の柱が残っています。
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市公会堂跡です。
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当初は崩れた状態で発掘されましたが、何年もかけて散らばっていた石を積み上げてこのように復元しています。日本の古い建物は木造ですので復元することは難しいのですが、石造りだと復元が可能なのです。
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オデオン音楽堂です。1400人収容です。ここにはこの円形劇場と驚きの24000人収容の大円形劇場があります。当時から娯楽のために劇場が造られていたのには驚きです。またここの円形劇場ではありませんが、ベルガマという遺跡にある円形劇場で、以前同行した方の中に声楽家の方がおられて歌われました。劇場中に声が良く響き、素晴らしい反響でした。紀元前の設計者が音響効果をここまで考えて設計したのには驚きです。それにしても運良く円形劇場での実際の歌声を聴く事が出来て、古代の音響を体感出来たことは大変幸運なことでした。
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見事な石門です。
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市公会堂かな?
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クレテス通りの始まりです。
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馬車を留めた鉄金具です。トルコは鉄の発祥の地で、紀元前18世紀からの古代の人々ヒッタイト人が鉄を実用化し、鉄器文化を築いたとされています。
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高貴な方の彫像でしょう。
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中心を通るクレテス通り。柱列が続きます。
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勝利の女神、ニケ(NIKE)です。あのスポーツシューズで有名なナイキの原点ですが、NIKEの本当の呼び方はニケです。これではおこがましいのでナイキと呼ぶことにしたそうです。ニケと言えば、ルーブル美術館のニケの像があまりにも有名です。 ヘラクレスの門のアーチだったそうです。
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彫刻がいたるところにあり、一つ一つを見るのも楽しいですね。
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メインの大通りクレテス通りです。石畳の素晴らしい道路です。当時はこの先が港でした。きっと賑わっていたのだと思います。突き当りにケルスス図書館が見えます。
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商店街跡(邸宅跡?)には見事にタイルでモザイク装飾が成されています。
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見事な門がありました。2世紀に造られたハドリアヌス神殿です。
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クレテスの大通りを見返しました。一直線に続いています。見事としか言いようがありません。
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水洗式の公衆トイレです。この下には常に水が流れていたそうです。
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ケルスス図書館です。ここには12000冊の書物があったそうです。
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図書館全景です。
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娼婦の館の跡地です。なんと図書館前にありました。しかし当時の娼婦の身分は高く、高給だったこともあり、女性にとってあこがれの職業だったそうです。
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ケルスス図書館とマーブル通りに続く門です。
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マーブル通りに続く立派な門です。
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図書館横の門をくぐると、マーブル通りに続いています。
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マーブル通りです。とにかく人がいません。
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娼婦の館に向かう、目印というか足印です。この足の方向に娼婦の館があります。
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24000人収容の大円形劇場です。本当の舞台は人が立っている白い所の後ろの柱がたくさん建っているところです。柱の上に舞台が設置されていました。
今でもこの劇場は音楽祭などコンサートで使われています。あのマイケル・ジャクソンもコンサートを行ったそうです。 -
観客席です。
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港に続くアルカディアン通りです。クレオパトラもエジプトから船に乗って、下の港に着き、ここを歩いたのかもしれません。空想が広がります。
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アゴラ跡から大円形劇場を望みます。アゴラとは、集会、商売、行事などが行われた広場です。
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エフェソスを後にイズミールを経由して、エーゲ海に面したリゾート地のアイワルクを目指します。ガソリンスタンドで休憩です。ドライブインはトイレが有料ですが、さすがガソリンスタンド、無料です。
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日本と一緒で、ガソリンスタンドにコンビニが併設されています。
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夕方、アイワルクのホテルに到着しました。
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部屋からエーゲ海が見えます。ほっとする瞬間です。今日で5日目、そろそろ疲れが出てくる頃です。今夜は食事をして早寝しました。
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6日目の朝も快晴です。エーゲ海の日の出です。
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リゾート地だけあって、洒落た家並みが素敵です。
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今日はまず、伝説が現実になった、あのシュリーマンによって発掘されたトロイの遺跡を目指します。トロイの木馬(ウィルスではありません。)で有名な遺跡です。
今日も快適なドライブが続きます。バスの運転手さん、本当に安心して乗っていられます。 -
トロイに到着。まず出迎えてくれるのは木馬です。もちろん復元ですが中に入れます。窓から顔を出しての記念写真がお薦めです。
伝説では、贈り物だと思ったこの木馬を城内に入れたのですが、実は木馬の中に兵士が隠れていて、夜になって攻撃されてあっけなく城は落ちました。 -
この遺跡の背景を聞きますと、一日でも足りません。トロイは古代ギリシャではイリオスと言い、ギリシャ神話に登場する古代都市です。神話ではかなりの規模の都市国家ですが、現在は発掘されているのは城塞以上のものはありません。
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小さな円形劇場オデオンがありました。この反対側にローマ風呂があったそうです。テルマエ・ロマエの世界です。
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城の中心の宮殿に続く傾斜路です。見事な造りです。シュリーマンはこの近辺で財宝を発掘したそうです。
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天気は最高です。
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案内板がありました。
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海の方角を望みます。
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日干しレンガで再現されてます。
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城壁が復元されています。
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再現されたトロイの木馬です。
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トロイを後に、エーゲ海を左に見ながらのドライブが続きます。
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ダーダネルス海峡をアジアからヨーロッパにフェリーで渡ります。
チャナッカレから渡るのが多いのですが、我々はラープセキからヨーロッパ側のゲリボルに渡りました。フェリーはバスも乗せて、快適なクルーズが楽しめます。そして今夜はいよいよイスタンブールです。 -
上のデッキです。船は快適です。
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アジア側を後に、ヨーロッパ側に渡ります。
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ヨーロッパ側はガリポリ半島で、軍事上の要塞であるゲリボル(ガリポリ)の街並みが近づいてきます。
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ゲリボルの街が近づいてきました。
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ゲリボルに上陸しました。相変わらず良い天気です。ここから一路イスタンブールを目指します。
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右にマルマラ海を見ながら快適なドライブが続きます。
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途中のドライブインで定番のチャイで一服。
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ついにイスタンブールの街に入りました。ヨーロッパ側の郊外の高層マンション群です。高速道路は渋滞もなく快調です。こんなに快調なのは珍しいことだそうです。普段は大渋滞で、かなりの時間がかかるとのこと。何故か今日はすいすいです。おかげでかなり早く市内に入れました。
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今回お世話になったドライバーさんです。申し訳けございません、名前を忘れてしまいました。一人で2000キロを超える距離を本当に安全に、快適に運転してくれました。途中のドライブインでご家族と待ち合わせしていて、可愛い息子さんと久しぶりの再会です。本当にお世話になりました。
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スーパーマーケットです。反対車線はかなり渋滞してました。
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イスタンブールに着くと、旧市街のガラタ橋下にあるシーフードレストランで夕食です。この時期トルコは夜8時過ぎまで明るいので、明るいうちのディナーです。
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ガラタ橋から夕食の魚をゲットするために、たくさんの釣り人が糸を垂れています。
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今夜泊るのは左側のグランド・ヤヴズ・ホテルです。旧市街の中心地にあり、オールドマーケットやスルタンアフメトまで徒歩圏内です。すぐ近くにコンビニもあり、便利な場所です。夜の街に行く予定だったのですが、ビールを飲んだら今までの疲れからなのか、アッという間に夢の中。残念ながらトルコ最後の夜なのに、出掛けることもなく寝てしまいました。
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7日目の朝、今日がトルコ最後の日です。長かったような短かったような、楽しかったトルコ旅行が終わります。今日は天気が心配ですが予報では昼過ぎから晴れるとのことです。ここはコンスタンティノ―プル(現在のイスタンブール)にあった競馬場跡地(キルクス)です。現在はスルタンアフメト・メイダス広場(馬の広場)になっていて、トトメス3世のオベリスクやコンスタンティノス7世のオベリスクがあります。ここを単にヒッポドローム(競馬場)とも呼んでいます。
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コンスタンティノス7世のオベリスクです。
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蛇の柱です。
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この広場の前にはイスタンブール最大のモスク、スルタン・アフメト・ジャーミーがあります。通常ブルーモスクと呼ばれています。オスマン帝国のスルタン・アフメト1世によって7年の歳月をかけて1616年に完成しました。日本は関ヶ原の合戦の16年後です。それにしても人がいません。今年の1月と6月の2回、このモスクの目と鼻の先でテロがあり、20人以上の犠牲が出ました。
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中庭です。
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礼拝するイスラム教徒は正面から入れますが、我々異教徒は横から入ります。ここが我々の入り口です。5年前、女性はスカーフや腰布が必要ありませんでしたが、現在は頭にスカーフ、Gパンやパンツの場合は布を腰に巻かなくてはなりません。これは入り口で無料でレンタルしてくれます。ただしスカーフだけは自前を用意した方がよいですね。トルコでもイスラムの戒律が年々厳しくなっています。
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ブルーモスクの名称の元になった、ブルーの装飾タイルにより彩られています。
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絨毯が敷き詰められている礼拝所です。
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礼拝しています。
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見事な装飾です。「世界で最も美しいモスク」と評される所以です。
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装飾タイルとステンドグラスで彩られて、白地に青の色調の美しさからブルーモスクと呼ばれています。
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天井の美しさは全く見飽きません。それにしても巨大な建物です。ドームの直径は27メートル以上あります。
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大理石の装飾もありました。
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装飾タイルを巧みに組み合わせて見事な模様を生み出しています。
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モスクの建物周りに建っている塔、ミナレットは、通常のモスクですと4本ですが、このモスクには6本建ってます。
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ブルーモスク遠景です。確か、1月にこのあたりでテロが発生しました。
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ブルーモスクを後に、アヤソフィアに向かいます。正面にアヤソフィアが望めます。普段の時でしたら、イスタンブールで一番混むアヤソフィアですが、本日はどうでしょうか。
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普段ならチケットを買うのに、2時間待ちもザラのアヤソフィアですが、本日は閑散としています。一人も並んでいません。
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中に入ってもこの有様です。観光客はどこに行ってしまったのでしょうか。
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アヤソフィア入場口です。混雑の代名詞、アヤソフィアに全く並ばずに入場出来ました。5年前の冬にアヤソフィアに来ましたが、余りの混雑と寒さにめげて観なかったのですが、それが旅行後に大変悔やまれました。そこで今回の旅行はアヤソフィアをじっくり観るのが第一の目的だったのです。
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入り口から入ると、見事な天井画があります。
アヤソフィアは東ローマ帝国時代に正統派キリスト教の大聖堂として建設され、ラテン帝国時代にはローマ・カトリックの教徒大聖堂として使われました。その後は長きにわたってモスクとして改築を繰り返して現在の特徴的な姿になりました。1935年からは博物館として使われています。 -
側廊の見事なシャンデリアです。
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オスマン帝国時代に漆喰で塗りつぶされていたおかげで、キリスト教の宗教画が、色彩鮮やかなまま残っています。
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大聖堂内部です。アラビアの文字の巨大な円盤が、教会建築とイスラム建築のミックス状態を良く表しています。
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オスマン帝国時代、天井のセラフィム(天使)などの宗教画は破壊することなく、すべて漆喰で塗りつぶされていたようです。漆喰を剥がすと見事な絵が出現しました。
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大理石の床のモザイクです。
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天井ドームです。
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内部北面のアーケードとティンパヌムです。不思議な空間を醸し出しています。キリスト教とイスラム教ミックスの成せる技です。
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皇帝専用の入口です。
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2階から見下ろします。ここは絶景です。
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工事中なのが少し残念ですが、文化財保護と維持のためには仕方ないことです。
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キリストと皇帝コンスタンティノス9世・ゾエ夫妻のモザイク画です。
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聖母子と12世紀の皇帝ヨハネ2世コムネムス夫妻のモザイク画です。当時の皇帝はキリストや聖母子と一緒の絵を書かせていました。
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デイシスのモザイク・イコン(キリスト・聖人・天使などの逸話を描いた画像)です。
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2階のアーチ構造です。
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柱とアーチの絶妙のハーモニーです。
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これが有名な聖母マリアの手形です。この穴に親指を入れて360度回せれば夢が叶うそうです。
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こうやってぐるりと回します。ちなみに私もかみさんも360度回せました。もっとも自己判定ですが・・・ここは普段なら長蛇の行列が出来て時間待ちになるのですが、今日は待ち人0でした。しかも2階に上がる前と1階に降りてきた時の2回も指回しをしてしまいました。
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外に出ると喫茶コーナーがありますが、お客は0です。
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アヤソフィアを出るところですが、11時を過ぎているのにやっぱり誰もいません。これはやっぱり大変なことです。テロの目的の一つ、政府に対する経済的打撃は確実に浸透しているように思われます。
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いつもなら観光客でごった返しているスルタンアフメト広場ですが閑散としています。イスタンブールは、冬の間は天気が悪く、夏は大変暑くなります。4月になると天気が安定し、暑からず、寒からずで4〜6月は本来観光シーズンのはずなのですが、この有様です。
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アヤソフィアをじっくり見たのですが、入場0分、内部ガラガラ、聖母マリアの手形0分ということで時間が余りました。通常は混雑を考慮して時間を決めるのですが今日は不要でした。ボスポラス海峡クルーズの時間まで時間があるため自己負担で、地下宮殿見物に行くことにしました。地下宮殿入り口です。
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地下宮殿の名称で知られるパシリカ・シスタンは東ローマ帝国時代に造られた大貯水槽のことです。もともとこの上に柱廊によって囲まれた空間があったのですが、ユスティニアヌス帝がこれを解体させ掘り下げてこの貯水槽を造りました。
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なので柱などはすべて廃材活用ということになります。5世紀に流行した柱がその後流行遅れとなり、おそらくその在庫処分品といったところです。
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メデューサの頭も利用され、ひっくり返した方が都合が良かったようです。
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メデューサとここは見物する人で一杯でした。それにしても地下宮殿とは言い得て妙です。現在、世界遺産に登録されています。
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きれいな地下水が今でも溜まっていますが、貯水槽として使われている時は天井まで水が満たされていました。
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地下宮殿を後に、グランドバザールに行きます。カパルチャルシュが正式名称で、屋根付き市場意味します。グランドバザールは英語です。南門から入ります。
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バザール内部です。もともとは地元用市場だったのでしょうが、今では観光客用市場になっています。なので一番打撃を受けているのがここなのかもしれません。
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お昼時間だというのに閑散としてます。お店の従業員にも覇気がなく、まったくしつこくもなく、ある意味あきらめ顔です。
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定番のチャイで休憩です。ここは5リラ(200円)です。さすがにイスタンブール、高いです。
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バザールにいる時、雷雨があり凄い雨でした。1時間半経って外に出たら雨が上がっていました。運が良かったです。
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グランドバザールの門の前にいた毛並みの良い猫です。それにしてもトルコには猫が多いです。
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トルコ旅行最後の食事です。昼食はボスポラス海峡に面した眺めの良いレストランです。メニューはトルコの焼き肉ケバブでした。食事の後は最後のツァー、ボスポラス海峡のクルーズです。
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この大きな船にガイドさん含めて13人だけです。しかも通常のツァーですと、ボスポラス海峡クルーズはオプションなのですが、今回は含まれていました。それにしても良心的でした。出港時は天気がイマイチでしたが途中から好天にに恵まれました。
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ガラタ橋横の桟橋から出港です。
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新市街、アジア側の景観です。
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船の中です。ドリンクや軽食が有料で頂けます。
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しばらく行きますと、初代トルコ共和国大統領アタテュルクの終焉の地、ドルマバフチェ宮殿です。オスマン帝国時代に建てられた大変豪華な西洋風宮殿です。旧市街からちょっと離れていますので不便なところですが、5年前はしっかり観覧しました。
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ヨーロッパとアジアを結ぶ吊り橋です。1973年最初にかけられた第一ボスポラス大橋です。
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ボスポラス海峡はトルコのヨーロッパ側とアジア側を隔てる海峡です。南北に長く、北は黒海から南のマルマラ海を繋ぎ、海上交通の要衝を成しています。
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ルメリ・ヒサルです。オスマン帝国のメフメト2世が郊外に造営した城塞です。
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天気は良くなって、快適なクルーズが続きます。2時間のクルーズがあっという間です。
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1988年に日本政府開発援助によって、日本企業が建設した第二ボスポラス橋(ファーティフ・スルタン・メフメト橋)です。2013年には鉄道用海底トンネルが通ってます。これも日本企業が建設しました。
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ボスポラス海峡をUターンして戻ってきました。モスクのミナレットが見えてきました。
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帰ってきました。これにて無事にすべてのスケジュールを終了しました。後は帰るだけです。
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新市街のガラタ塔が見えます。
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あっという間の6日間でした。アタチュルク国際空港に到着です。ドーハ経由で成田に明日到着致します。
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今回大変お世話になったガイドのベルガンさんです。日本語、英語、ドイツ語がペラペラで、歴史、経済、政治、商業等何でも造詣が深く、大変為になりました。日本での生活も長く、日本人の気持ちが良く分かっているので、何でも話が早かったのが良かったです。
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ドーハまではエアバス330です。
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エアバス330は2-4-2の座席配列なので良いですね。ドーハまで4時間ほどです。
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ドーハから成田まではボーイング777です。運良く、非常口座席に座れましたので足を投げ出すことが出来ました。おかげで成田までの10時間があっという間でした。
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