2016/04/30 - 2022/05/04
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+mo2さん
大塚国際美術館へ行って来ました。ここは大塚製薬グループの創業75周年事業として1998年(平成10年)に開設された日本最大級の美術館で、そこに世界25ヶ国、190余の美術館が所蔵する現代絵画まで至宝の西洋名画1,000余点を展示と超弩級の美術館です。ただし名画は本物ではなく大塚オーミ陶業株式会社の特殊技術によってオリジナル作品と同じ大きさに複製したものです。
たくさん写真を撮ってしまったので自分の整理用に年代・作者別に纏めておきます。
新印象派・ポスト印象派(ゴーギャン、ゴッホ他)の作品です。
【追加】
2022年5月、妹と甥っ子(ともちゃん・小1)を連れて再訪しました。新たに写真を追加、すべての写真を入れ替えたので、タイトルも含め、全く新しい旅行記となってしまいました
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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大塚国際美術館の作品紹介、ゴッホ、ゴーギャンなど新印象派・ポスト印象派の作品を見ていきます
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まずは、前回来たときにはなかった7つのヒマワリのコーナー
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2018年3月に開館20周年を迎えた大塚国際美術館が、記念行事として陶板で原寸大に再現したゴッホの7枚の花瓶入り『ヒマワリ』を一つの部屋で展示するという世界初の試みを開始したもの。この部屋はかなり混雑していました
大塚国際美術館 美術館・博物館
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フィンセント・ファン・ゴッホ「ヒマワリ」個人蔵(アメリカ)1888年
ゴッホがヒマワリを描き始めるのはアルルに移る前のパリ時代で、いずれもテーブルの上に乗せた切り花です。アルルに来て初めて花瓶に入ったヒマワリを描いた背景はミュンヘンとフィラデルフィアのヒマワリを予告するが緑の花瓶は他のヒマが、これはおそらく最初のもので花の数が少ない分シンプルな構図です。これら3輪のヒマワリは殆どその位置関係を変えずに、かつて芦屋にあった「幻のヒマワリ」の上半分に引き継がれている点に注意したい。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ「ヒマワリ」焼失 1888年
1920年に日本の実業家山本顧彌太がスイスから購入した「ヒマワリ」。第二次世界大戦の芦屋市空襲により焼失していますが、こういった作品が見れるのも大塚国際美術館の特徴です。 -
「ヒマワリ」焼失(部分拡大)
「幻のヒマワリ」の写真が芦屋の実業家山本氏と懇意にしていた作家・武者小路実篤氏の記念館にあったことより、写真をもとに復元されたものです。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ「ヒマワリ」ノイエピナコテーク・ミュンヘン(ドイツ)1888年
ゴッホは間もなくアルルで合流するはずのゴーギャンへの期待感もあり、アルルのアトリエを一連のヒマワリの絵で飾る事を考えました。花瓶に入った大型のヒマワリが何点もあるのはそのためです。この作品は7点のヒマワリの内3番目に描かれたもので青系統の背景が花の黄色を引き立たせます。何点も描いていくに従って花の数が次第に増えるのは、よりゴージャスで装飾的な効果を狙ってでしょうか -
フィンセント・ファン・ゴッホ「ヒマワリ」ナショナルギャラリー・ロンドン(イギリス)1888年
向日葵とも書くヒマワリは英語でサンフラワー(太陽の花)で「向日性」の画家として太陽に、その光に憧れたゴッホには最もふさわしい花でした。どの花も一様に満開ではなく様々な段階が描かれています。いずれにしても「花の命は短くて」で制作はまた時間との競争でもありました。太陽の光を黄色と見たゴッホにとって黄色は一種の「聖なる色」であり、ここでは背景の色まで黄色系で統一されています。2020年ナショナルギャラリー展の目玉として出展されていました -
フィンセント・ファン・ゴッホ「ヒマワリ」SONPO美術館・新宿(日本)1888年
東京新宿にあるこのヒマワリには署名がありませんが、花の位置関係、構図、それに花瓶を乗せたテーブルの色は、1888年の夏に描かれたロンドンのヒマワリに近い。ヒマワリの季節が終わり、生花からは描けなくなったのでロンドンのものを年が明けてから模写した可能性があります。これからおよそ20年後の1910年頃、この絵を持っていたのはドイツの大作曲家フェリックス・メンデルスゾーンの末裔でした -
フィンセント・ファン・ゴッホ「ヒマワリ」フィラデルフィア美術館・フィラデルフィア(アメリカ)1889年
「ヒマワリ」の内、ミュンヘンのものは1888年の盛夏に描かれ、一方この作品は1889年の1月の制作とされます。つまり、これはミュンヘンのものの模写とされています。黄色一色の他の3点に対し、これら2点の背景は明るい緑で花瓶の色は部分的に異なるが署名の位置まで同じです。花の数が少ない分、サイズが若干小さい。他の4点は描かれた後、パリの画商に勤務していた弟のテオに送られましたが、これだけは、その形跡がなく、アルルに残されました -
ゴッホにとっての向日葵は明るい南フランスの太陽、ひいてはユートピアの象徴であったと言われています。7点の「ヒマワリ」が並ぶ展示は圧巻です
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フィンセント・ファン・ゴッホ「ヒマワリ」ゴッホ美術館、アムステルダム 1889年
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フィンセント・ファン・ゴッホ「ヒマワリ」ゴッホ美術館、アムステルダム 1889年
構図的にも色彩にも、これも夏に制作されたロンドンのものに酷似しており、その模写とされます。つまり、東京のヒマワリにも近いと言えます。ゴッホはこの頃(1889年1月)立て続けにやはり5点の似たような子守唄(ルーラン夫人)を描いており、これらとヒマワリとの競演、つまり並べて部屋を飾る事を考えていたようです。 -
ポール・ゴーギャン「ヒマワリを描く画家」ゴッホ美術館・アムステルダム(オランダ)1888年
ゴッホが、彼の代名詞ともいえるひまわりを描く姿を捉えた作品です。しかし、ひまわりを描くゴッホの焦点は定まらず、その筆先には力がありません。この絵を見たゴッホは激高し、こう言ったといいます。「これは確かに私だ、しかし気が狂った私だ」と -
フィンセント・ファン・ゴッホ「タラスコンへの道を行く画家」 1945年消失、マグデブルク(ドイツ)1888年
この作品は、旧東ドイツの都市マグデブルクのカイザー・フリードリッヒ美術館(現マグデブルク文化歴史博物館)が所蔵しており、第2次世界大戦末期の1943年、空爆を逃れるために地下460mほどの深さにある巨大な岩塩坑に避難させました。その後、アメリカ軍によってこの地は解放されいくつかの作品は発見されましたが、この作品は見つかることなく、こつ然と姿を消してしまいました。1990年の東西ドイツ統一まで東ドイツ領域であったことから、行方を探すことすら許されず、現在は岩塩坑に入るのも危険なため、これ以上の地下探索をすることは不可能とされています -
イサーク・イスラエルス 「ヴァン・ゴッホ「ヒマワリ」の前に立つ女」 ゴッホ美術館、アムステルダム 1920年頃
ゴッホの弟テオの妻ヨーは、特別な友人であったイスラエルスに3年間、ヒマワリ」を無償で貸し出しました。「ヒマワリ」は当時イスラエルスが住んでいたオランダ・ハーグの自宅居間に飾られ、タバコを吸いながら作品に見入る女性が描かれています。多大な影響を受けたゴッホへのオマージュと言っても良い作品です。
イスラエルスの絵に登場するのは4番目の「ヒマワリ」と言われ、ロンドンのナショナル・ギャラリーが1924年に妻ヨーから購入しています。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ「ジャガイモを食べる人々」 ゴッホ美術館、アムステルダム 1885年
ゴッホの農民を主題とした絵画シリーズの傑作。この絵の油絵の原画はクレラー・ミュラー美術館にあり、どちらもオランダ訪問時に見てきました。 -
ゴッホは40点もの自画像を残していますが、こちらには2点が展示されています
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フィンセント・ファン・ゴッホ「麦藁帽子の自画像」 デトロイト美術研究所、デトロイト(アメリカ)1887年
2016年上野の森美術館で開催された「デトロイト美術館展」に出展されたときは、その価値100億円と報道されていました -
フィンセント・ファン・ゴッホ「自画像」オルセー美術館、パリ1889年
本作品は自画像の作品としては最も著名な作品の一つであり、かの有名な耳切り事件の後、サン・レミのカトリック精神病院「サン・ポール」入院していた時代の9月頃に描かれました -
フィンセント・ファン・ゴッホ「アルルのゴッホの部屋」オルセー美術館、パリ 1888年
こちらも同名の作品が3点あることが認められています。これは、松方幸次郎が購入しコレクション(松方コレクション)に加えられていたが、第二次世界大戦当時はフランスに残され、サンフランシスコ講和条約による戦後賠償の一環として1959年にフランスの国有となり、現在はオルセー美術館にあるバージョンです。
オルセー美術館展2010「ポスト印象派」や2019年の「国立西洋美術館開館60周年記念 松方コレクション展」などで見ています。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ「ローヌ川の星月夜」オルセー美術館(寄託)、パリ1888年
セーヌ川に映るアルルの町の明かりと星空が美しい作品。
1999年国立西洋美術館で開催された「19世紀の夢と現実 オルセー美術館展1999」や「オルセー美術館展2010‐ポスト印象派」で見た印象的な作品。もちろんオルセーでも見ています。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ「種まく人」 クレラー=ミュラー美術館、オッテルロー(オランダ) 1888年
『ゴッホ展-響きあう魂 ヘレーネとフィンセント』などで何度か日本でも見ています -
ゴッホの代表作が並ぶ贅沢な展示
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フィンセント・ファン・ゴッホ「ガシェ博士の肖像」オルセー美術館、パリ 1890年
フィンセント・ファン・ゴッホの作品の中でも有名な「医師ガシェの肖像」。作品は2点制作され一点はオルセー美術館に所蔵されています。もう1点は、1990年日本の大昭和製紙の会長が落札(当時のレートで124億5千万円)して日本にあったのですが、1997年に売却され海外の個人が落札しました。その後、2007年にオークションに出品され個人が落札した後の行方は不明となっています。 -
フィンセント・ファン・ゴッホ「オーヴェールの教会」オルセー美術館、パリ 1890年
ゴッホは1890年5月16日、サン=レミ=ド=プロヴァンスの精神病院を出た後、南フランスを去りオーヴェル=シュル=オワーズへと移動しています。彼はここで人生最後の10週間を過ごし、その短い期間に本作を含む作品100点以上を制作しています。 -
ポール・ゴーギャンの作品
彼は、それまでの印象派とははっきりと異なる実験的な色使いで制作していた後期印象派の代表的な作家で、ピカソやマティスといったのちの前衛美術家や近代美術に大きな影響を与えました -
ポール・ゴーギャン「光輪のある自画像」 ナショナル・ギャラリー、ワシントン 1889年
一時期滞在していたル・プールデュでの作品。滞在地のマリ・アンヌ食堂の食器棚の装飾パネルとして制作されました。ゴーギャンの頭の上に黄色の輪が描かれていますが、自分の姿を聖なるものとして表現しています。後ろに見える二つの林檎や手に持つ蛇は、同時期に制作していたキリスト関連の作品の影響であると考えられます。 -
ポール・ゴーギャン「自画像(レ・ミゼラブル)」 ゴッホ美術館、アムステルダム(オランダ)1888年
1888年ゴッホとの共同生活をするためアルルを旅立つ前に、ゴッホと交換した自画像。
貧しさのあまり盗みをはたらくユーゴーの小説「レ・ミゼレブル」の主人公に自らを重ね、ゴーガンは「ならず者の顔」と自身を自嘲的に語っています。と同時に「僕らの仲間すべての肖像でもある、悲しい社会の犠牲者たちの肖像だ」ともつけ加えています -
(左)ポール・ゴーギャン「黄色いキリスト」オールブライト・ノックス美術館、バッファロー 1889年
(右上)ポール・ゴーギャン「説教の後の幻影」スコットランド国立美術館、エディンバラ(イギリス)1888年
(右下)ポール・ゴーギャン「美しきアンジェール」 オルセー美術館、パリ(フランス)1889年 -
「黄色いキリスト」(部分拡大)
フランスブルターニュのポン=タヴァンにて作成した油絵作品。
この作品には、黄色い木造のキリストはりつけ像の周りに集まっているブルターニュの女性達がお祈りをしている様子が描かれています。『黄色いキリスト』にて描かれているキリストはりつけ像のモデルはポン=タヴァンの近くにあるトレモロ教会に飾られている7世紀製の木造キリスト像がモデルであると言い伝えられています -
ポール・ゴーギャン「イア・オラナ・マリア(マリアを拝む)」 メトロポリタン美術館、ニューヨーク 1891年
一目でゴーギャンとわかる朱色に近い赤の衣装をまとったマリアは、タヒチのマリア。たくましく幅広い肩を持ち、かなり成長した御子イエスを、軽々とその肩にかついでいます。 -
ポール・ゴーギャン「ヴァイルマティ」オルセー美術館、パリ 1897年
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ポール・ゴーギャン「われわれは何処から来たのか?われわれは何者であるのか?われわれは何処へ行かんとしているのか?」
ボストン美術館、ボストン(アメリカ) 1897-98年
ゴーギャンは、故郷のフランスよりも素朴で単純な生活を求めて、1891年にタヒチ島に渡りました。タヒチ滞在時代の1897年から1898年に描き上げたこの作品は、高度に独自の様式化された神話の世界を描いた他の作品と同様に、ゴーギャンの代表作とされており、ゴーギャンの精神世界を最も描き出している作品と言われています -
ポール・ゴーギャン「食事(バナナ)」 オルセー美術館、パリ 1891年
テーブルを前に座る3人の子供たち。食べ物を前にその表情は硬い。本作は1891年、初のタヒチ滞在の折にゴーギャンが描いた絵です -
ポールポール・セザンヌ「松の木のあるサント=ヴィクトワール山」コートールド美術研究所 1887年
本作はセザンヌの故郷であるエクス=アン=プロヴァンスの東に位置するサント=ヴィクトワール山を、画家の生家ジャ・ド・ブーファン近郊からの視点で描いた風景画作品。サント=ヴィクトワール山はセザンヌが繰り返し描いた題材で30点以上の油彩画のほか、素描や水彩画も残っています。2019年に東京都美術館で開催された「コートールド美術館展」で見ています。 -
ポール・セザンヌ「三人の浴女たち」プティ・パレ美術館、パリ 1876-77年
こちらは2012年国立新美術館で開催された「セザンヌ~パリとプロヴァンス」展で見ました。三角形の構図はセザンヌの女性水浴画の原点で、多くの女性水浴画に採用されています。 -
ポール・セザンヌ「リンゴとオレンジ」オルセー美術館、パリ 1895-1900年
後期印象派最大の巨匠のひとりポール・セザンヌを代表する静物画の傑作。
こちらも「セザンヌ~パリとプロヴァンス」展やオルセー美術館で見た作品。 -
ポール・セザンヌ「トランプ遊びをする人々」オルセー美術館、パリ 1890‐95年頃
1890年代、セザンヌはカード遊びを題材とする絵画を5点描いています。「コートールド美術館展」にも同じ構図の作品が展示されていました。 -
(上)アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 「メイ・ベルフォール嬢」 クリーヴランド美術館、クリーヴランド(アメリカ)
(下)アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック 「赤毛の女(化粧する女)」 オルセー美術館、パリ(フランス) -
「赤毛の女(化粧する女)」 (部分拡大)
こちらの作品(本物)もオルセー美術館展2010「ポスト印象派」で見ました。一度見た絵は結構覚えているものですね -
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック「ムーラン・ルージュにて」シカゴ美術研究所、シカゴ 1892年
ロートレックは19世紀末のフランスを代表する画家。サーカスやムーラン・ルージュなどのダンスホール、カフェ、ダンサーなどの芸人、娼婦らを描いた風俗画作品が有名です -
(左上)アンリ ・ル・シダネル「日の当たるテーブル」 ナント美術館、ナント(フランス)
(左下)シャルル・アングラン「夜明けのセーヌ」 プティ・パレ美術館、ジュネーヴ(スイス)
(右上)ジョルジュ・レメン「アイストの浜辺」 オルセー美術館、パリ(フランス)
(右下)」アンリ=エドモン・クロス「金色の島々」 オルセー美術館、パリ(フランス) -
マックス・リーバーマン「ミュンヘンのビアガーデン」ノイエ・ピナコテーク、ミュンヘン 1883年頃
ドイツ印象派の代表的作家の作品 -
ジョルジュ・スーラ「アニエールの水浴」ナショナル・ギャラリー、ロンドン 1883-84年
スーラが新印象主義的な技法で制作した最初の代表作かつ記念碑的な傑作。本作に描かれるのは、本作はパリ北西、セーヌ河沿いにあるアニエールの風景と、そこで水浴や日光浴などをおこない余暇を楽しむ人々で、統一感のある豊かで柔らかな色彩、遠近法を用いた風景表現、明確な輪郭による堅牢で記念碑的な人物描写でありながらも、全体としては単純化された、静寂感漂う情景表現は、不思議な存在感を感じさせます -
ジョルジュ・スーラ「グランド・ジャット島の日曜日の午後」シカゴ美術研究所、シカゴ 1884-86年
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ジョルジュ・スーラ「サーカス」 オルセー美術館、パリ(フランス)1890-1891年
スーラの遺作となった作品 -
ポール・シニャック「マルセイユ港の入ロ」オルセー美術館、パリ
ポール・シニャックは、ジョルジュ・スーラと並ぶ新印象派の代表的画家
また、こちらの作品は、オルセー美術館展2010「ポスト印象派」などで見ています -
ジェイムズ・アボット・マクニール・ホイッスラー「青と金のノクターン:オールド・バタシー・ブリッジ」テート・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1872年
テムズ川の黄昏時の風景を表現した作品。川にかかるバターシー・ブリッジは、近代的なデザインに作り替えられる前の姿で描かれています。画面左側にはチェルシー・オールド・チャーチ、右側には当時完成したばかりのアルバート・ブリッジが見え、遠くの空には花火が打ち上げられています。視覚効果を生むためにバターシー・ブリッジは実際よりも橋脚が高く描かれていますが、これは彼が好んだ葛飾北斎や歌川広重などの浮世絵の影響と考えられます。連作《ノクターン》の5作目 -
ジェイムズ・アボット・マクニール・ホイッスラー「白のシンフォニー」 テート・ギャラリー、ロンドン(イギリス)1864-65年
ホイッスラーの恋人ジョアンナ・ヒファーナンをモデルに描いた作品。彼女はタイトル通り白のドレスを着て、物憂げに暖炉にもたれかかっています。暖炉の上の壺と手に持ったうちわに当時流行したジャポニスムの影響がみられます -
ジェイムズ・アボット・マクニール・ホイッスラー「灰色と黒のアレンジメントNo.1:
画家の母の肖像」オルセー美術館、パリ(フランス)
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