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倉敷人気旅行記ランキング2位(889件中)

青嵐薫風 吉備路逍遥⑧倉敷 近代建築

旅行時期 2016/05/02 - 2016/05/02 (2016/05/14投稿

せっかくの倉敷市内宿泊ですので、恒例の早朝散策で倉敷市を代表する近代建築を訪ねてみました。<br />倉敷美観地区周辺には、教育者であり文化学院の創立者としても知られる、大正~昭和時代を代表する近代住宅建築の先駆者  西村伊作氏の作品があります。現存する伊作氏の作品は8棟と希少なのですが、そのうち2棟が徒歩圏内に遺されています。住宅の理想を「心の安定と心の開放の場」と論じ、快適性を重んじながらも精神的な表現をデザインに取り入れた異色の建築家です。教育と住居のユートピアを果てしなく追求した珠玉の作品を中心にレポしたいと思います。<br />また、倉敷と言えば大原孫三郎氏なくしては語れません。高貴なる者の義務をしっかり果たされた結果、今の倉敷があります。経済・文化的な貢献だけでなく、氏が情熱を傾けて創立した倉敷中央病院の前身 倉紡中央病院時代の建物をレポします。平等の精神と患者の治療を最優先する医療を目指した孫三郎氏の生き様を目の当たりにし、清々しい気持ちになれました。

せっかくの倉敷市内宿泊ですので、恒例の早朝散策で倉敷市を代表する近代建築を訪ねてみました。
倉敷美観地区周辺には、教育者であり文化学院の創立者としても知られる、大正~昭和時代を代表する近代住宅建築の先駆者 西村伊作氏の作品があります。現存する伊作氏の作品は8棟と希少なのですが、そのうち2棟が徒歩圏内に遺されています。住宅の理想を「心の安定と心の開放の場」と論じ、快適性を重んじながらも精神的な表現をデザインに取り入れた異色の建築家です。教育と住居のユートピアを果てしなく追求した珠玉の作品を中心にレポしたいと思います。
また、倉敷と言えば大原孫三郎氏なくしては語れません。高貴なる者の義務をしっかり果たされた結果、今の倉敷があります。経済・文化的な貢献だけでなく、氏が情熱を傾けて創立した倉敷中央病院の前身 倉紡中央病院時代の建物をレポします。平等の精神と患者の治療を最優先する医療を目指した孫三郎氏の生き様を目の当たりにし、清々しい気持ちになれました。

写真 30枚

テーマ:
街歩き
交通手段 : 
  • 現地移動 :  新幹線
エリア:
岡山 | 倉敷
エリアの満足度:
5.0
  • 500_43584571

    倉敷市立美術館
    まずはアイビースクエアに最も近い倉敷市立美術館へ向かいます。
    この美術館は、日本を代表する建築家 丹下健三氏が1960年に倉敷市庁舎として設計したものが前身です。その後、倉敷出身の建築家 浦辺鎮太郎氏の手によって1983(昭和58)年に美術館として改築されました。
    丹下氏は、1950年代に倉吉市庁舎や東京都庁舎など桂離宮に着想を得た繊細な和風美を織り込んだデザインを駆使し、世界的な注目を集めました。また、そのデザインは、全国の庁舎建築のロールモデルになるほどの勢いでした。
    しかしそんな中、周囲の度肝を抜くが如く、満を持して斬新な重量感の漲ったこの作品を世に送り出したのです。

  • 500_43584572

    倉敷市立美術館
    鉄筋コンクリート造、3階建ながら5階建分の高さを持ち、水平ラインを強調したダイナミックな構造は美しく斬新です。
    主構造は、梁を縦横に組み合わせ、その接点に柱を配する現場打ちのコンクリートによるラーメン構造です。副構造として、工場組立によりあらかじめ造られた部材を積木のように組立てるプレキャスト・コンクリート構法を用いています。
    特に注目されるのは、横に架け渡された大きな梁が20m程のロングスパンを持つ点です。それを支える柱は太く、壁はぶ厚く、またそれらが打放しのコンクリートによって剥き出しで造られているため、無骨で迫力に満ちています。しかも、遠目には直線美として映ります。

  • 500_43584573

    倉敷市立美術館
    近代建築の構成3要素の鉄、コンクリート、ガラスのうち、特にコンクリートが強調され、それが圧倒的な力で迫ってくる建物です。
    そして注目すべきは、エントランスのこの庇です。重量感だけでなく、縦横の直線を基調とする中、ペロ〜ンとめくれ上がった曲面は意外性を放ち、ダイナミックです。モダニズム建築では明確な玄関や庇を持たせないのが不文律な中、この庇は極めて大胆な珍しいデザインと言えます。
    現在の外観は吹付けになっていますが、当時は打放しコンクリート仕上げで、どこか木造を彷彿とさせる構造デザインだったそうです。

  • 500_43584574

    倉敷市立美術館
    「RELATION "二人の関係?"」という作品です。
    この像は、1990年に行なわれた町おこし企画のパブリック・アート「倉敷まちかどの彫刻展(第二回展)」で入選した作品です。元々は児島味野商店街のポケットパークに展示されていました。しかし、男女像のユニークな表情が市民に受け入れられず、子供が石を投げたり、気味悪がったりしたことから、地元自治会が市長宛に陳情書を提出して市に移転を切望し、この地に安住することになったいわくつきの彫像です。
    少し風変わりな彫像で、どう見ても人間の男女ですが、2人とも無愛想な表情です。顔と体の色が違うのは鉄とブロンズの違いですが、手首の先はないし、あちらこちらに穴が開けられています。夫婦喧嘩でもして、相手の体を壊してしまったという設定なのかと勘ぐってしまうほどの出来栄えです。
    ところで「二人の関係は?」ですが、彫刻家 セツ・スズキ氏が夫婦で制作された作品ということしか判りません。セツ氏のHPを調べてみると鈴木政恵さんのHPへのリンクがありますので、この方がパートナーと思われます。方向性は異なりますが共に芸術家のようで、お互いを尊重し合っているようにも思えます。
    あまり知られていませんが、この作品は、パブリック・アートの課題をクローズアップし、アートにおける個性と普遍(公共)性というテーマを世に問う端緒となった記念すべきものです。後に作者は市民との対話の場の設定を要望したのですが、それが受け入れられることなく移転が強行されています。
    受け入れに応じた倉敷市美術館には頭が下がります。しかも堂々と玄関先に展示するとは…。しかし室内に入れないと、鉄の部分が錆びて朽ちてしまうような気がします。あるいは、それを待っているのか???

    セツ・スズキ氏のHPです。
    http://www.setsusuzuki.com/top1.html

  • 500_43584575

    若竹の園保育園舎
    20世紀初頭、倉敷にも繊維産業の急速な発展が起こり、女性労働者の急増と共に育児環境や子供の発育が悪化し始めます。時代は繰り返すと言いますが、どこか現在と共通する気がしないでも…。
    『女工哀史』に代表されるような社会問題を解決するため、大原孫三郎氏の妻 壽恵子さんの発起により設立された「倉敷さつき会」が先頭に立ち、大原家や倉敷紡績からの援助も受けながら理想社会の実現のために託児所の開設を目指しました。
    「清富の実業家」と呼ばれた孫三郎氏は敷地を寄付し、倉敷紡績からも施設無償貸与という形で、1925(大正14)年に「若竹の園」保育園がスタートしました。まさにノブレス・オブリージュ「高貴な人物は、その地位に応じた社会的責任の義務を負う」にピッタリの逸話です。
    一方、哀しいことに、昨今の日本の成功者たちは掲げる志を失ってしまったかのようです。世界中の富裕層によるタックスヘイブン(租税回避地)を利用した節税の実態を暴いた通称『パナマ文書』が世界を騒がせています。税金を納めるのは、貧富の差に拘わらず国民の義務です。しかしこの話題に関しては、日本は蚊帳の外です。何故なら何処かの国と同じく、報道が隠蔽されているからです。その理由は、メディアのスポンサーがその中に含まれていたからです。つまり、利害関係により、公表に消極的という旧態依然としたスタンツなのです。リストアップされた企業は、日本人なら誰もが知る大企業ばかりです。大企業が率先してコンプライアンス違反をしていたとは世も末です。政府もそれを知りながら、税収悪化の付けを消費税アップで繕おうとしているのですから…。
    翻って、熊本地震への災害救助寄付金に関するブログでの発言が炎上する芸能人が後を絶ちません。軽率な発言は論外ですが、中には難癖とも思えるケースも少なくありません。しかし、精神論だけでは何の役にもたたないのは明白です。例え「売名行為」と蔑まれようが、被災地を支えるのは行動以外にありません。一般人が家計を火の車にしながら寄付金を捻出している中、世に恥じない額の寄付をした成功者たちはどれくらいいるのでしょうか?少なくとも、タックスヘイブンで今まで儲けた全額を寄付するのが道理ではないでしょうか?

  • 500_43584630

    若竹の園保育園舎 事務室棟(国有形文化財)
    写真の左側に続く独特の形状をした寄棟造の保育室から切妻造の事務室を張り出し、さらに園門に向けてとんがり屋根の切妻造の玄関を設けています。屋根は天然スレート葺で、軒先近くを少し折り曲げて緩い勾配にしているのがよいアクセントになっています。
    ポーチの入口は、石積のアーチになっており、穏やかな表情を見せています。
    西村伊作氏の独創性とセンスの良さを感じさせる、お洒落で美しい建物です。こんな所に通える園児が羨ましくなります。
    場所は大原美術館を正面にしてその左側の小路を入った所になります。

  • 500_43584632

    若竹の園保育園舎 幼児保育南棟(国有形文化財)
    園舎の外観は、伊作氏の作風がよく表れた英国田園住宅風の素朴な温かみのあるデザインです。
    南北棟の北側でL字状に曲がり、切妻を正面に見せています。屋根は天然スレート葺で、軒先近くを折り曲げて緩い勾配にしているのは事務所棟と同じ設計コンセプトです。壁は小砂利を混ぜた白漆喰塗です。
    2室の保育室を南北に配し、南室東側に煉瓦敷のテラスを設け、園庭との一体感を持たせています。装飾は最小限に留め、簡明で優美な園舎です。
    事務室棟と幼児保育南棟の2棟が国の有形文化財に登録されています。
    また、岡山県の近代化遺産にも認定されています。

  • 500_43584631

    若竹の園保育園舎 事務室棟
    園舎と事務所棟の設計は、教育者・建築家・芸術家として著名な西村伊作氏が手掛けました。伊作氏が保育園の理想として求めたのは、子供たちが楽しい夢を育む、温かい家庭のような空間をつくることでした。それを実現するためにバンガロー様式を採用し、小さな棟を複数配置する図面を描き、その結果、森の中に立ち、庭に小川が流れる「おとぎの国」のお城を彷彿とさせる園舎ができあがりました。
    開園時には3棟の園舎で構成されていましたが、これらの園舎に教室、遊戯室、午睡室、食堂、事務室、医務室など機能別にそれぞれの部屋が設けられ、往時としては非常に先進的な保育所だったそうです。
    現在は、数回の増改築がなされ、庭の小川などは存在しませんが、外観は建築当初の姿を今に留めています。

  • 500_43584633

    中国銀行倉敷本町出張所(旧第一合同銀行倉敷支店:国登録有形文化財)
    前身となる第一合同銀行の倉敷支店として1922(大正11)年に建造され、現在も現役バリバリの銀行です。
    大原美術館と同じく、薬師寺主計氏の設計になり、外壁は煉瓦石造に御影石洗い出しで仕上げられ、腰壁は御影石貼りです。
    正面に6本、側面に3本の大きなドリス式円柱とアーチ状のステンドグラス、緑色の瓦葺きの寄棟屋根には3連の半円ドーマー窓を配したルネッサンス風の威風堂々とした銀行建築様式です。

  • 500_43584634

    中国銀行倉敷本町出張所(旧第一合同銀行倉敷支店)
    3連アーチのドーマウィンドウやステンドグラスが銀行臭を和らげているのかもしれません。
    国登録有形文化財の鉄筋コンクリート造、2階建、壁は煉瓦石造、2階建です。

  • 500_43584717

    中国銀行倉敷本町出張所(旧第一合同銀行倉敷支店)
    入口の庇にも趣があります。
    内側から見たステンドグラスは、どのような輝きを放っているのでしょうか?

  • 500_43584718

    日本基督教団倉敷教会教会堂(国登録有形文化財)
    倉敷教会は、大原孫三郎氏らが役員となって1906(明治39)年に設立されました。その後、現在地に1923(大正12)年に新築して移転しています。
    教会堂は、切妻造、スレート葺、東南隅に塔屋を付設し、複雑に組合う屋根や石材と木材の組合せ等々、往時の教会建築の流れとは一線を画した斬新な意匠です。
    1階部分と塔屋の外壁を木骨コンクリート造の重厚な石貼りにし、2・3階は木造というユニークな構造です。また、敢えて2階に設けた礼拝堂へ導く石貼りのスロープの外観が印象的です。石貼りと白い木造部分の外壁に、軽快な印象のある尖塔アーチ窓の組合わせが独特の調和をもたらしています。また、3階建てのファサードを通りに向け、背後に2階建ての礼拝堂を配し、塔屋や4つリズミカルに並んだ礼拝堂の窓の張出部には鋭角の切妻屋根を載せる拘りようです。

  • 500_43584719

    日本基督教団倉敷教会教会堂
    伊作氏は多彩な芸術家であり教育家でもあったため、異色の建築家と称され、建築作品はそれほど多くはありません。倉敷市と故郷の和歌山県新宮市に各3棟、兵庫と東京に各1棟の住宅建築があるだけです。
    伊作氏の建築思想や幅広い活躍を知るにつけ、氏は大正時代の自由闊達な空気の中で真のユートピアを築こうとした理想主義者だったのではないかと思います。
    現在、倉敷教会堂に隣接して教会付属の竹中幼稚園舎があります。スロープの下に張り出した部屋は幼稚園の職員室、教会堂の1階は幼稚園のホールとして使用され、子供たちの元気な声が響き渡るそうです。伊作氏の夢見ていたユートピアは、こうした世界だったのかもしれません。
    伊作氏が活躍した時代と現在とでは情勢が変わっているのは言うまでもありませんが、氏の主張や姿勢は現代社会でも通じる普遍性が含まれているように思えます。
    右側にある十字架を立てた白い建物は、1971年(昭和46年)築の倉敷キリスト会館です。

  • 500_43584720

    日本基督教団倉敷教会教会堂
    三角形の妻面を意匠表現に用いる手法や石貼りの外壁は、伊作氏の手掛けた多くの住宅に見られるオリジナリティーです。この教会は、倉敷市第一回建築文化賞を受賞し、国の登録有形文化財に指定されています。
    24歳で渡米した折、現地の人から尋ねられて自らを「無宗教人」だと答えた伊作氏が、これほど立派な教会堂を設計されていたのには吃驚ポンでした。
    実は、伊作氏の父親は新宮教会設立の中心人物であり、「伊作」の名は聖書にあるアブラハムの子イサクに因んだものです。しかし、成人してからの伊作氏は、一般にいうキリスト教徒とはいい難かったとの記録が残されています。それは何故かと言えば、7歳の時、名古屋の英和女学校の礼拝堂にて家族で礼拝中、濃尾大地震によって暖炉の煙突が崩れ、両親を亡くしたからです。この時、「この世に神はいない」と悟られたのかもしれません。しかし、この事故がキリスト教へのトラウマにならなかったのは不幸中の幸いでした。ひょっとしたら、この教会が存在しなかったかもしれませんから…。

  • 500_43584721

    日本基督教団倉敷教会教会堂
    伊作氏は、和歌山県新宮市に生まれ、近代住宅建築の先駆者として活躍された人物です。また、文化学院の創立者でもあり、教育者としても知られています。明治維新以降、日本は欧米から科学技術を導入して急速に近代化しましたが、人々の生活は旧態依然としたものでした。伊作氏はこのような状況を憂い、生活の近代化、衣食住や教育の改革に真剣に取り組んだ人物です。
    そのひとつが建築の分野であり、その代表作のひとつがこの倉敷教会教会堂です。
    倉敷教会教会堂は、当初ヴォーリズ設計事務所が担い、設計図面まで準備されていました。しかし、それをキャンセルして西村建築事務所に設計を任せ、完成させました。何故このようなことができたかと言うと、この教会の設立者のひとりである林源十郎氏や大原孫三郎氏が、伊作氏の主張に強く共鳴していたからです。やがて倉敷文化協会に招かれて「文化生活の実行」と題する講演を行ったことが契機になり、教会堂をはじめ若竹の園保育所や倉敷北部に開発した近郊住宅を手掛け、優れた建築遺産を倉敷に残しています。
    熱心なキリスト教信者の両親と早くに死別した伊作氏の生き方は、既成の価値観や権力に屈せず、自由や文化を大切にするものでした。独学で建築を学び、自らを「素人建築家」と称しながら、1921(大正10)年に文化学院を開校し、同年に神戸市御影に西村建築事務所を設立しました。
    建築ポリシーは、「教会堂、学校、ホテル、商店、事務所、劇場などの実用と美との両方を兼ね備ふ可きもの、人間の社会的容器を美化する仕事を望みます」(雑誌『明星』に出した広告文の一部)に如実に表れています。伊作氏は、翌年、倉敷教会の設計を3万2千円の破格値で請け負いました。赤字になった経費は、自己負担したそうです。信徒たちが祈りを託した伊作氏の教会堂は、現代においても往時と変わらぬ輝きを放ち、倉敷の人々に安らぎを与え続けています。

  • 500_43584747

    日本基督教団倉敷教会教会堂
    伊作氏は東京 神田の文化学園の創設者として知られますが、大正デモクラシー期の多岐に亘る活動の中の建築においては、従来の常識に捉われない実用的な建築様式を是とし、自らも模範を示す設計をしています。厳格な様式に縛られていた教会建築の枠を遥かに超えたユニークなこの教会の意匠も、こうした思想に基づいたものと思われます。
    因みに、文化学院は、文部省令に縛られない自由な教育を実践しました。与謝野鉄幹・晶子(俳人)や山田耕作(音楽家)、石井柏亭(洋画家)などの錚々たるスタッフが顔を揃え、竹久夢二(画家)や谷崎潤一郎(小説家)、萩原朔太郎(詩人)など、大正時代を代表する文人墨客やその子女が通っていたそうです。

  • 500_43584748

    日本基督教団倉敷教会教会堂
    子供の頃、もしも近所にこのような教会があったなら、今頃はバリバリのクリスチャンだったかもしれませんね!?
    動機が不純???

  • 500_43584749

    倉敷中央病院
    大原孫三郎氏が工場内の診療所を一般市民に開放する総合病院にすることを決めたのは、1918(大正7)年11月のことでした。
    倉敷中央病院の前身となる倉紡中央病院を建てるに当たり孫三郎氏は、荒木京都帝国大学総長らに相談し、東洋一の病院にする事を決め、自ら設計の総指揮に当たったそうです。そのため、滋賀県近江八幡の結核診療所や米国のロックフェラー病院、ドイツのハンブルグ熱帯病院など、往時の優れた病院の長所を全て取り入れた設計になっています。
    ブーゲンビリアやフェニックス、バナナなどを植えた熱帯植物園を2ヶ所に設け、トイレは水洗、スチーム暖房、2階建ての場所にはエレベータを設置しました。窓枠や天井、壁などは全て丸みを持たせ、角がなく冷たい感じをなくしました。また壁などの色彩にも配慮し、不安と心細さを抱えている患者の心の癒しにまで気を配った設計を行ないました。
    因みに、孫三郎氏の病院設計の根本方針は、次の3つでした。
    1.設計はすべて治療本意とすること
    2.病院くさくない明朗な病院を作ること
    3.東洋一の立派な病院を作ること 
    現在、1161床を有する先進的な医療を行う急性期基幹病院として、地域から厚い信頼を集めています。「患者の権利」を掲げ、患者と共に医療を行うという姿勢に「最高の医術と家庭の温もり」という創立の精神が今日まで頑なに守り続けられているのが窺われます。

  • 500_43584750

    倉敷中央病院 三和保育園三和分園
    1923(大正12)年に建造された旧倉紡中央病院外来棟で、大正期の美しい病院建築です。設計者は、薬師寺主計氏(建築顧問)と隅田京太郎氏、武内潔真氏になります。
    現存する倉紡中央病院時代の建物は全部で3棟あり、南側の道路沿いに西から旧外来棟、旧事務所棟、旧付属看護婦養成所と並んでいます。この旧外来棟は、今は保育園として一部が使われ、倉敷中央病院で働く職員さんたちの子供を預かっています。

  • 500_43584751

    倉敷中央病院 三和保育園三和分園
    江戸時代に天領だった倉敷は、白い壁に黒い瓦の落ち着いた町並です。それを敢えて、この病院ではオレンジ色の瓦を載せた建物にしています。
    その理由は、どうしても心が沈みがちな患者さんたちに、「せめて明るい気持ちを!」という思いやりの精神からでした。もっとも、オレンジ色と言ってもご覧のように落ち着いた穏やかな色合いですので違和感は全くありません。
    因みに、この瓦は、大阪府の南部にある会社にお願いして特注で焼いてもらったものだそうです。

  • 500_43584842

    倉敷中央病院 三和保育園三和分園
    大きな車寄せのある玄関ポーチを中心に、鋭角の切妻面を中央、左右に配置したお洒落な建物です。木造平屋建で、スパニッシュ風の鮮やかなオレンジ色の屋根瓦と薄いグレーを帯びたドイツ壁の組合せがしっくりと調和しています。壁面には縦長窓が整然と並び、中央と両側の妻面には半円アーチ窓を設け、正面左右に設けた切妻面の縦長窓は少し張り出させて外観に変化を持たせた欧州風の凝った意匠です。病院建築を意識し、明るく清潔なデザインを目指した作品であることが窺えます。

  • 500_43584843

    倉敷中央病院 三和保育園三和分園
    北向の屋根にはドーマ窓が設けられています。
    光彩を取り込むためのものでしょうか?

  • 500_43584844

    倉敷中央病院 リハビリ病棟
    旧外来棟と同時期に、同じ設計者によって建造された旧倉紡中央病院事務所棟です。
    旧事務棟と旧外来棟の意匠は、ゼセッションやアール・ヌーボの様式を取り入れた薬師寺主計氏が得意とするスタイルです。当時の病院建築にはこの様式が数多く使われていたそうです。

  • 500_43584845

    倉敷中央病院 リハビリ病棟
    切妻面を見せる玄関部分を中央に配し、左右対称の両端に8角形を半分にした、サンルームのような張り出しが設けられています。
    これも病院とは思えないような大変美しい建物です。

  • 500_43585032

    倉敷中央病院 リハビリ病棟
    倉紡中央病院の竣工時は、この建物の入口が病院の主玄関になっており、当時の病院としては画期的ともいえるエレベータが設置されていたそうです。
    かつての病院の顔でもあり、落ち着きのある、威厳溢れたポーチです。

  • 500_43584846

    倉敷中央病院 リハビリ病棟
    旧外来棟との大きな相違点は、木造2階建であることです。
    岡山県の近代化産業遺産にはリストアップされているようですが、こうした建物が文化財に登録されていないのは少し寂しいような気がします。文化財になれば、色々な制約が生じるからでしょうか?

  • 500_43584889

    倉敷中央病院
    リハビリ病棟と倉敷中央看護専門学校の間のスペースから病院側を仰ぎ見ると、あちらこちらに配されたスペイン瓦が波のように連なり、日本ではないような錯覚に陥ります。
    病室から見下ろす風景もきっと素敵なのでしょうね!

  • 500_43584886

    倉敷中央看護専門学校
    薄いピンク色がかった鉄筋コンクリート製3階建の建物です。
    旧事務所棟と同じコンビの設計により、病院の開業と同時に1923(大正12)年に付属看護婦養成所として開設され、現在も倉敷中央看護専門学校として使われています。
    旧外来棟や事務所棟とはコンセプトが異なり、古典様式とモダニズム様式を両立させたような直線と平面を基調とした外観です。同時期に建造されたものとは思えません。

  • 500_43584887

    倉敷中央看護専門学校
    1階部分の腰壁回りには煉瓦タイルを貼り、玄関ポーチにアーチを設けた古典的な要素を織り込んでいますが、装飾意匠は最小限に留め、均等に並ぶ縦長窓の配置で垂直・水平方向のラインを強調しています。また、3階部分は後世に増築されたもののようで、よく観ると壁面に継ぎ目が見られます。
    大原孫三郎氏の医療理念を受け継いだ看護師さんたちが、ここから大勢、胸を張って颯爽と巣立って行ったことでしょう。

  • 500_43584888

    倉敷中央看護専門学校
    玄関ポーチに金色で記された「K.C.H College of Nursing」の「K.C.H.」 は、Kurashiki Central Hospitalの略です。

    この続きは、青嵐薫風 吉備路逍遥⑨倉敷 阿智神社でお届けいたします。

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