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本渡バスセンターから富岡港までは路線バスで45分。<br /><br />港に横たわるのは”くまモン”が描かれ、その横に「熊本県立苓北高等学校」と記された練習船。<br /><br />そのまま岸壁に沿って視線を延ばすと丘陵の上に立つ富岡城が見下ろす。<br /><br />しかし港の前の券売所のある事務所にはタクシーもない。<br /><br />迷っているのを見た親切なおじさんが、自分でタクシー会社に電話してくれた。<br /><br />やってきたタクシーの運転手も親切で、ガイドを兼ねて限られた時間を効率的に案内してくれた。<br /><br />先ず向かったのは港から見上げた富岡城。<br /><br />勝海舟や頼山陽の像が建つ富岡丘陵の頂上からは、巴湾に綺麗に曲線を描く砂嘴が、右手奥に島原半島も望める。<br /><br />昔、島原の一揆と呼応してここ天草でも一揆が発生。<br /><br />一揆軍はこの富岡城を猛攻、あわや陥落まで追い込んだものの、江戸幕府が派遣した大軍が迫るとの情報で、城の囲みを解き、島原城(原城)に退避。<br /><br />16歳の天草四郎時貞を総大将とする天草・島原合同軍は、再度派遣された老中松平信綱率いる幕府の一揆討伐軍に殲滅される。<br /><br />島原城(原城)跡には今から20年前、少年時代の仲間と古稀記念旅行で桜が満開の時期に訪れた。<br /><br /><br />1549年、フランシスコ・ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝え、日本の大名の中にも急速に多くのキリシタン大名が生まれる。<br /><br />唐津城の城主で、富岡にも出城を持っていた小西行長もその一人であった。<br /><br />小西行長は早くからキリシタンとなった父親の影響もあり、12歳で洗礼を受けたと云う根っからのキリシタン大名。<br /><br />ザビエル来日から遅れること40年、天草・苓北地区に一人のポルトガル人宣教師が到来、キリシタン大名の土地柄もあり、たちまちにして多くの住民がキリシタン信者となる。<br /><br />しかし関ケ原の戦いで西軍に味方し、領地は没収され、処刑された小西行長に代わり、東軍に味方し功を挙げ唐津藩主になった寺沢広高がこの地を収めることになった。<br /><br />広高が課した過大な重税と、これに加えて幕府の猛烈なキリシタン弾圧に耐え切れず、住民は一揆を起こす。<br /><br />その中で小西行長の家来だった元武士たちが、地元のキリシタン武士と相まって農民たちをリードした。<br /><br />その結果当初一揆軍は寺沢広高と幕府派遣の連合軍をも圧倒していたが、所詮多勢に無勢、神へのご加護の祈りも虚しく、破滅の道を突き進むことになる。<br /><br />しかしこの天草・島原の乱は老中松平信指導のもと、幕府の農民政策への一大変革を自覚させ、以後日本での大きな農民一揆は生じなくなったといわれる。<br /><br />後に天領となった富岡では、初代代官となった鈴木重成が、石高を半減すべく幕府に再三嘆願、聞き入れられないと知るや、自ら切腹し幕府に猛省を迫った。<br />(因みにキリシタン大名の行長は神の教えの従い、自ら切腹を拒否、斬首されたと云われる)<br /><br />後にこの重成の嘆願を幕府も認めることとなり、これを感謝し農民は重成の像を立て、現在でも感謝の意を忘れない。<br /><br />勝海舟が2度逗留したと云う鎮道寺や頼山陽公園を巡り、港に戻る。<br /><br />腹が減ったが券売所の事務所にも周辺にも食事できそうなところは見当たらない。<br /><br />そこへまたもや観光を手配してくれた親切なおじさんが、港から少し離れた天草ラーメンの店に自ら連れて行ってくれた。<br /><br />出港時間となり、長崎・茂木港へ出向した船から振り返り、訪れた富岡城と最後の別れをする。<br /><br />前方の写真を撮ろうと船首に行って驚いたことには、何度も親切に動いてくれたおじさんが船を操縦している。<br /><br />この親切で気さくなおじさんはなんと苓北観光汽船の船長さん。<br /><br />長崎での予定を聞かれ、稲佐山の展望台へ行く予定で、そのため茂木港から稲佐山展望台行くバスに乗る予定と伝えると、自分の時計を暫く眺めていたが、「港からバス停まで少し距離がある。港に車で迎えに来させよう.」と、またもや船長さんの親切心に火が付き、さらに船のスピードを上げて、少し早めに船が茂木港に着くようにと腐心してくれた。<br /><br />重ねがさね感謝!!<br /><br />傘寿旅行・「海の細道」周遊旅情9,3つの海に囲まれ120の島からなる天草(目次))へ戻る<br />http://4travel.jp/travelogue/11125702<br /><br />

傘寿旅行・「海の細道」周遊旅情9,-3天草と長崎を繋ぐ富岡港

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2016/01/27 - 2016/01/27

551位(同エリア832件中)

WT信

WT信さん

本渡バスセンターから富岡港までは路線バスで45分。

港に横たわるのは”くまモン”が描かれ、その横に「熊本県立苓北高等学校」と記された練習船。

そのまま岸壁に沿って視線を延ばすと丘陵の上に立つ富岡城が見下ろす。

しかし港の前の券売所のある事務所にはタクシーもない。

迷っているのを見た親切なおじさんが、自分でタクシー会社に電話してくれた。

やってきたタクシーの運転手も親切で、ガイドを兼ねて限られた時間を効率的に案内してくれた。

先ず向かったのは港から見上げた富岡城。

勝海舟や頼山陽の像が建つ富岡丘陵の頂上からは、巴湾に綺麗に曲線を描く砂嘴が、右手奥に島原半島も望める。

昔、島原の一揆と呼応してここ天草でも一揆が発生。

一揆軍はこの富岡城を猛攻、あわや陥落まで追い込んだものの、江戸幕府が派遣した大軍が迫るとの情報で、城の囲みを解き、島原城(原城)に退避。

16歳の天草四郎時貞を総大将とする天草・島原合同軍は、再度派遣された老中松平信綱率いる幕府の一揆討伐軍に殲滅される。

島原城(原城)跡には今から20年前、少年時代の仲間と古稀記念旅行で桜が満開の時期に訪れた。


1549年、フランシスコ・ザビエルが日本に初めてキリスト教を伝え、日本の大名の中にも急速に多くのキリシタン大名が生まれる。

唐津城の城主で、富岡にも出城を持っていた小西行長もその一人であった。

小西行長は早くからキリシタンとなった父親の影響もあり、12歳で洗礼を受けたと云う根っからのキリシタン大名。

ザビエル来日から遅れること40年、天草・苓北地区に一人のポルトガル人宣教師が到来、キリシタン大名の土地柄もあり、たちまちにして多くの住民がキリシタン信者となる。

しかし関ケ原の戦いで西軍に味方し、領地は没収され、処刑された小西行長に代わり、東軍に味方し功を挙げ唐津藩主になった寺沢広高がこの地を収めることになった。

広高が課した過大な重税と、これに加えて幕府の猛烈なキリシタン弾圧に耐え切れず、住民は一揆を起こす。

その中で小西行長の家来だった元武士たちが、地元のキリシタン武士と相まって農民たちをリードした。

その結果当初一揆軍は寺沢広高と幕府派遣の連合軍をも圧倒していたが、所詮多勢に無勢、神へのご加護の祈りも虚しく、破滅の道を突き進むことになる。

しかしこの天草・島原の乱は老中松平信指導のもと、幕府の農民政策への一大変革を自覚させ、以後日本での大きな農民一揆は生じなくなったといわれる。

後に天領となった富岡では、初代代官となった鈴木重成が、石高を半減すべく幕府に再三嘆願、聞き入れられないと知るや、自ら切腹し幕府に猛省を迫った。
(因みにキリシタン大名の行長は神の教えの従い、自ら切腹を拒否、斬首されたと云われる)

後にこの重成の嘆願を幕府も認めることとなり、これを感謝し農民は重成の像を立て、現在でも感謝の意を忘れない。

勝海舟が2度逗留したと云う鎮道寺や頼山陽公園を巡り、港に戻る。

腹が減ったが券売所の事務所にも周辺にも食事できそうなところは見当たらない。

そこへまたもや観光を手配してくれた親切なおじさんが、港から少し離れた天草ラーメンの店に自ら連れて行ってくれた。

出港時間となり、長崎・茂木港へ出向した船から振り返り、訪れた富岡城と最後の別れをする。

前方の写真を撮ろうと船首に行って驚いたことには、何度も親切に動いてくれたおじさんが船を操縦している。

この親切で気さくなおじさんはなんと苓北観光汽船の船長さん。

長崎での予定を聞かれ、稲佐山の展望台へ行く予定で、そのため茂木港から稲佐山展望台行くバスに乗る予定と伝えると、自分の時計を暫く眺めていたが、「港からバス停まで少し距離がある。港に車で迎えに来させよう.」と、またもや船長さんの親切心に火が付き、さらに船のスピードを上げて、少し早めに船が茂木港に着くようにと腐心してくれた。

重ねがさね感謝!!

傘寿旅行・「海の細道」周遊旅情9,3つの海に囲まれ120の島からなる天草(目次))へ戻る
http://4travel.jp/travelogue/11125702

同行者
一人旅
交通手段
高速・路線バス タクシー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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