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『松島や ああ松島や 松島や』<br /><br />の松島である。

東北へ 2014年 松島

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2014/04/19 - 2014/04/22

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norfuzzy

norfuzzyさん

『松島や ああ松島や 松島や』

の松島である。

旅行の満足度
3.0
観光
2.5
グルメ
3.0
交通
2.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
15万円 - 20万円
交通手段
レンタカー 新幹線 JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • ちょうど、コブシと、

    ちょうど、コブシと、

    県立自然公園松島 公園・植物園

  • サクラの時期でした。

    サクラの時期でした。

    県立自然公園松島 公園・植物園

  • 海には、カモメも舞ってる

    海には、カモメも舞ってる

    県立自然公園松島 公園・植物園

  • 観瀾亭(かんらんてい)<br /><br />文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、<br /><br />江戸品川の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗が、<br /><br />一木一石変えずこの地に移したもの、と伝えられるそうです。<br /><br /><br />藩主の納涼、観月の亭として「月見御殿」とも呼ばれていましたが、<br /><br />公式な記録によると藩主・姫君・側室等の松島遊覧、幕府巡見使等の諸国巡回の際の宿泊及び接待用の施設となる「御仮屋」として利用されていたそうです。

    観瀾亭(かんらんてい)

    文禄年中に豊臣秀吉から伊達政宗が拝領した伏見桃山城の一棟で、

    江戸品川の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗が、

    一木一石変えずこの地に移したもの、と伝えられるそうです。


    藩主の納涼、観月の亭として「月見御殿」とも呼ばれていましたが、

    公式な記録によると藩主・姫君・側室等の松島遊覧、幕府巡見使等の諸国巡回の際の宿泊及び接待用の施設となる「御仮屋」として利用されていたそうです。

    松島博物館 名所・史跡

  • 五大堂<br /><br />松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征のおり、毘沙門堂を建立したのが最初。<br /><br />後に、慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、<br /><br />大聖不動明王を中心に、左右降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五大明王像を安置したことから、<br /><br />五大堂と呼ばれているそうです。

    五大堂

    松島のシンボル・五大堂は、大同2年(807年)、坂上田村麻呂が東征のおり、毘沙門堂を建立したのが最初。

    後に、慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、

    大聖不動明王を中心に、左右降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五大明王像を安置したことから、

    五大堂と呼ばれているそうです。

    五大堂 名所・史跡

  • 現在の建物は、伊達政宗が再建したもので桃山式建築手法の粋をつくして完工したもの。

    現在の建物は、伊達政宗が再建したもので桃山式建築手法の粋をつくして完工したもの。

    五大堂 名所・史跡

  • 五大堂から望む、松島の多島美!<br /><br /><br />さて、困った事に瀬戸内育ちのわたし。<br /><br />穏やかな海に島がパラパラあるのは、見なれ過ぎてて感動がさほど無い。<br /><br />せっかくここまで来たのに、残念なことである。<br /><br /><br />でもこれで、宮島、天橋立、松島と日本三景は制覇したので良しとしよう。<br /><br />ただし、宮島の大鳥居をくぐった事は無いし、<br /><br />     天橋立を渡った事も無いし、<br /><br />     当然のことながら、松島で遊覧船に乗る事も有りませんでした。<br /><br /><br />ところで、『松島や』の句は芭蕉作じゃ無くて、江戸後期の狂歌師・田原坊が詠んだ「松嶋や さてまつしまや 松嶋や」が「ああ松島や」に変わり、如何にも俳聖芭蕉ならではと誤り広まったそうです。知らんかったぁ。

    五大堂から望む、松島の多島美!


    さて、困った事に瀬戸内育ちのわたし。

    穏やかな海に島がパラパラあるのは、見なれ過ぎてて感動がさほど無い。

    せっかくここまで来たのに、残念なことである。


    でもこれで、宮島、天橋立、松島と日本三景は制覇したので良しとしよう。

    ただし、宮島の大鳥居をくぐった事は無いし、

         天橋立を渡った事も無いし、

         当然のことながら、松島で遊覧船に乗る事も有りませんでした。


    ところで、『松島や』の句は芭蕉作じゃ無くて、江戸後期の狂歌師・田原坊が詠んだ「松嶋や さてまつしまや 松嶋や」が「ああ松島や」に変わり、如何にも俳聖芭蕉ならではと誤り広まったそうです。知らんかったぁ。

    松島湾 自然・景勝地

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