2016/04/06 - 2016/04/06
952位(同エリア4165件中)
玄白さん
深川で和船に乗って花見を楽しんだ後、夕方の会社同期入社の仲間たちとの飲み会まで時間はたっぷりある。今朝はあわただしく家を出てきたので、日課のウォーキングもしていない。そこで、ウォーキングを兼ねて、隅田川の畔を清洲橋から吾妻橋まで歩き、スカイツリーの撮影ポイントを探しながら、隅田公園まで行ってみることにした。吾妻橋界隈での撮影の狙いは隅田公園でスカイツリーと桜の撮影だ。
この旅行記を準備中に熊本地震発生。昨年5月に、ちょうど今回の地震で被害が出た地域を回ってきました。素晴らしい温泉を楽しみ、印象深い旅行の思い出ができた地域なので、とても胸が痛みます。特に南阿蘇村河陽の地獄温泉はとても気に入ったところでした。
(http://4travel.jp/travelogue/11016377)
地震災害で犠牲になられた方々のご冥福を祈り、被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げます。一日も早く復興されることを願っています。
- 旅行の満足度
- 4.5
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小名木川の運河沿いの桜並木を見たあと、清洲橋を渡って隅田川右岸の遊歩道を上流に向かって歩き出す。
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隅田川沿いの遊歩道は、とてもきれいに整備されていて、散歩には好適なところだ。ジョギングを楽しむ人もよく見かける。さすが、財政豊かな東京都だけのことはある。宇都宮の田川沿いの遊歩道とはレベルが違うな〜。
このあたりからは、まだスカイツリーまでの距離は遠く感じる。 -
隅田川を行き来する観光船、定期船もひっきりなしに往来している。
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新大橋まで来た。
今でこそ、立派な鉄橋だが、最初に架けられたのは、元禄6年のこと。隅田川に架かる橋が少なく江戸町民は不便を強いられていたため、徳川綱吉の生母、桂昌院が将軍に嘆願して架けられたという。度重なる破損、流出が続き、財政難に陥っていた享保年間の幕府は橋を廃止する決定をしたが、町方が費用をすべて負担することで存続することになったという。
現代でいえば、日本国財政が破綻寸前のところ、財界が民間資金でインフラを補修・整備したということだ。将来、本当にこんなことにならないように願うばかりだ。 -
川沿いには、こんな小奇麗な公園のような休めるところが随所にある。
こんなところで、コンビニで買ったおにぎりを食べてランチを済ます。 -
さらに上流へ。
桜ではなく、カイドウとスカイツリー。 -
桜とスカイツリー
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所々、災害対策と思われる工事が行われているので、川沿いから離れたり、対岸に渡ったりしなければならず、思いのほか時間がかかり、歩く距離が延びてしまった。
両国橋の袂にも桜が咲いていたので、ここでも一枚パチリ。 -
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両国橋の袂にて。
両国橋は、江戸時代、千住大橋に次いで2番目に架けられた橋である。当時の江戸幕府は江戸城防衛のため、できる限り川に橋を架けない方針だったが、明暦の大火(1657年)で逃げ場を失った江戸町民10万人が犠牲になったため、老中酒井忠勝の提言で従来の幕府方針を転換して架橋を促進するに至った。
武蔵の国と下総の国をつなぐ橋という意味で両国橋という名前になった。 -
イチオシ
さらに歩みを進め、総武線隅田川橋梁、蔵前専用橋という2つの橋を過ぎ、蔵前橋の下まで来た。
江戸時代には、ここには橋はなく、「富士見の渡し」という渡し船の発着所があった。このあたりには、江戸幕府の米蔵が立ち並んでいたので、蔵前という地名になったそうだ。橋は、米蔵にちなんで稲穂をイメージする鮮やかな黄金色に塗られている。
橋の上部は、アーチがあるわけでもなく面白味がないが、橋の下はきれいなアーチ構造になっている。 -
ずいぶん、スカイツリーが近づいてきた。
被写体としてのスカイツリーはイルミネーションが灯る夜の方がカッコいいのだが、今日は、夜のスカイツリー撮影はできない。またの機会に楽しみを取っておこう。 -
遊歩道沿いの壁には、浮世絵など江戸情緒たっぷりの壁絵やモニュメントがあちこちにある。これはその一つ。
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厩橋まで来た。
この橋も蔵前橋同様江戸時代にはなく、「御厩の渡し」という渡し船発着所があったところ。蔵前にあった御用米を運搬する馬小屋があったので、そんな名前になった。
明治初期まで、満員の花見客を乗せて渡し船が転覆して犠牲者が多く出て「三途の渡し」という蔑称があった。そんな転覆事故多発を受けて、民間資金で木橋が架けられたのが最初である。
今の鉄橋は関東大震災の復興計画の一環として建設されたものだそうだ。 -
こもあたりでも、桜とスカイツリーを一枚パチリ。
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駒形橋まで来た。
この橋も江戸時代にはなく、「駒形の渡し」という渡し船発着所だった。この橋も厩橋と同じく関東大震災の復興計画の一環で作られた橋である。
厩橋から吾妻橋の間は右岸は工事中のため、厩橋を渡って左岸の遊歩道を歩いている。
永代橋と同様、橋は水色に塗装されている。しかし、ライトアップはされていないので、夜景としての橋の魅力は永代橋に軍配が上がる。
(参考 http://4travel.jp/travelogue/11071955) -
ようやく、吾妻橋に到着。結構歩いたな〜。小名木川の桜並木を見終えて歩き出したのが13:20、吾妻橋の左岸袂に着いたのが、15:10だった。
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対岸の隅田公園の桜。大勢の花見客でにぎわっている。
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アサヒビール本社ビルなどがある墨田リバーサイド地区も桜の見頃で、大勢の人が集まっている。深川とは随分ちがう。
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イチオシ
飽きもせず、また同じような構図で一枚。
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アサヒビール本社ビルと桜
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イチオシ
似たようなアングルだが、西に傾いた太陽がアサヒビールタワーで反射する位置で撮影。
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イチオシ
アサヒビールタワーに映り込んだスカイツリーと桜と。
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和服を着たカップルが記念写真。一緒に撮影させてもらった。ネット公開OKを確認しなかったので、モザイク処理。
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アサヒビール本社ビルの前の広場のモニュメントとスカイツリー
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一陣の風に吹かれて花吹雪舞う。しかし、あまりはっきり写せなかった。
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幕末の超有名人の一人、勝海舟の銅像。幕臣でありながら、渡米してアメリカの近代化を目の当たりにし、幕府の海軍力増強に尽くしたり、倒幕派の坂本龍馬に多大な燻陶を与えたり、江戸城無血開城を実現するなど、勝海舟が歴史に登場しなかったら、幕末以後の日本の進路は大きく違っていたかもしれない。
その勝海舟が生まれ育ったのが、この界隈だった由縁で銅像が建てられたのだろう。 -
浅草駅を出発した東武日光線特急スペーシア
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対岸の隅田公園へ移動。吾妻橋右岸の袂にて。
左より、墨田区役所、スカイツリー、アサヒビールタワー、アサヒビール吾妻橋ホール。この情景は夜景の方がずっと魅力的だろうな。 -
隅田公園は、予想通りの混雑ぶり。
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イチオシ
ここからスカイツリーを見ると、墨田区役所ビルと重なって、違う塔のように見えて面白い。
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隅田公園の中にも何人かの着物姿のお嬢さんを発見。後ろ姿を撮らせてもらった。なんと中国人観光客だった。
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またまた和装の中国人女性観光客。
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東武電車と桜
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花見客でごった返している。あと二時間もすれば、
シートを敷いて宴会を楽しむ人たちで足の踏み場もないほどの混雑になることは目に見えている。 -
もう桜はかなり散りはじめている。今日が桜の見納めかもしれない。
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ここでもしつこく代わり映えしない構図でスカイツリーと富士山。
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そろそろ、飲み会の時間が近づいた。会場の品川駅に向かうことにしよう。
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以下はオマケ。
品川駅ちかくのとある居酒屋で同期会。2年ぶりに会った昔の仲間たちと3時間ほど楽しい時を過ごした後、しつこく夜桜撮影に出かける。目黒川のライトアップは、日曜日で終わっているし、今日まで延長になった千鳥ヶ淵も9時でライトアップは終了。そこで、11時までやっている六本木ヒルズ毛利庭園に行ってみた。 -
狭い庭園なので、三脚使用は控え手持ち撮影、しかもアルコールが入っているので、ぶれたお粗末な写真ばかり。
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SF的な雰囲気の不夜城、六本木ヒルズ。
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イチオシ
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東京タワーも見える。
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カップルの記念撮影用のハートのオブジェ。つぎからつぎへと若いカップルが撮影を楽しんでいる。特に中国人カップルは、色々なポーズで自撮りや彼女を撮影している。もう少し、待っている他のカップルに配慮できないものだろうか、
ようやく待ち行列が途切れたところで、おじさんひとり、恥ずかしかったが、無人のハートを一枚パチリ。 -
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これから宇都宮まで帰らなければならないので長居はできない。
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しかし、最終の新幹線には間に合わず、在来線最終電車で帰宅。帰宅したのは深夜2時。ちょうど鹿沼の古墳の桜撮影に出掛けた時刻。
想定どおり、長い長い一日になった。
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