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[小野小町墓〜駒岩〜後醍醐天皇碑〜大正池〜龍王の滝]<br />‘90年、昭和末頃に国鉄が発行した行楽のミニ・リーフレットの中に「南山城ハイキングコース」(現、「山吹ハイキングコース」全長12?)というのを見つけた。それには起点と終点の駅名や史跡、神社名しか記載されておらず、地図等の記載もなかったが、素朴でのどかな南山城地方は京都府下で最も好きな地域の一つであり、コース図がなくても現地に道標が建っているだろうということで出かけた。<br /><br />田園風景が広がる井手町のJR奈良線の玉水駅で下車し、平安時代から古典文学等に描かれ、「平成の名水百選」に選ばれている玉川沿いの道を遡る。思っていた通り、次々と道標が現れる。<br />最初に現れた史跡は「小野小町塚(墓)」。「六歌仙」の一人で美女の小町の史跡は以前、倉敷市の源平史跡の旅行記でも触れたが、この地は終焉の地とされる。小町は晩年、井堤寺に居住し、よく玉川沿いを散歩していたという。<br /><br />そこから北方に進み、長い石段を登って玉津岡神社に参る。540年に下照比売命(しもてるひめのみこと)がこの地に降臨し、それを祀ったのが起源とされ、本殿は貞享4年(1687)の造営で京都府登録文化財に指定されている。<br /><br />再び玉川沿いの道になり、左岸(南岸)に移ってほどなくすると、玉川の右岸(北岸)寄りに高さ5m、重量数百トンの巨石「駒岩(左馬)」が見える。この石には作者や製作年不詳の半肉彫りの馬があり、中世より女芸上達の神として崇められ、かつては大阪からの参拝客もあったという。<br />残念ながら当時はその馬がよく分からなかったが、現在は周辺が公園化されているので、馬も整備されていることだろう。<br /><br />井手小学校有王分校の近くには、後醍醐天皇松ノ下露跡碑がある。後醍醐天皇が1331年の元弘の変時、笠置山から金剛山千早城へと逃れる途中、この地にあった松の大木下で休憩されたという。<br />標高約300mの山地に大正池はある。貯水量23万トンを誇る府下最大の農業用溜池で、カワセミやカモが飛来し、春には池畔に桜やツツジ、初夏には水辺にスイレンや菖蒲が咲き、秋には紅葉が見られる。<br /><br />当時は池沿いの遊歩道とベンチ位しか整備されていなかったが、平野部の池よりも山上の池は、池面の太陽光の「煌き」が美しい。<br />因みに現在、池畔には「大正池グリーンパーク」や「大正池渓流魚センター」等の施設ができており、キャビンやキャンプ場での宿泊、渓流釣り等が楽しめる。<br /><br />池から未舗装林道を進むと、六体石仏(地蔵)と代官屋敷跡がある。この周辺に昭和初期まで生活の営みがあったという。<br />記録も記憶もないが、大焼山の北麓から西麓に回りこむ辺りは、古道が残っていたかも知れない。<br />北峰の北東の南谷川には、落差13mの龍王の滝が飛沫を上げている。<br />明治中期まで、滝の側には高神社の本社・祈雨神社があり、雨乞い神事を執り行い、龍王に祈願していた。<br /><br />その高神社は格式の高い延喜式内社で、多賀保育園南東の丘に建つ。現在の本殿は慶長9年(1604)建設の三間社流造で、桃山時代の建築様式を色濃く残している。<br />奉納絵馬も藩政期のものが見られるが、天保15年奉納のものは、鮮やかな色彩が残っている。<br />そこから山城多賀駅は指呼の距離。<br /><br />尚、このコースは車道歩きが多い。コース図(当時のコースとは若干異なる部分があるかも知れない)はhttp://idenet.jp/map_access.html

数百トンの神威巨石から京都府最大の山上の溜池へ

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1990/02/17 - 1990/02/17

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マローズ

マローズさん

[小野小町墓〜駒岩〜後醍醐天皇碑〜大正池〜龍王の滝]
‘90年、昭和末頃に国鉄が発行した行楽のミニ・リーフレットの中に「南山城ハイキングコース」(現、「山吹ハイキングコース」全長12?)というのを見つけた。それには起点と終点の駅名や史跡、神社名しか記載されておらず、地図等の記載もなかったが、素朴でのどかな南山城地方は京都府下で最も好きな地域の一つであり、コース図がなくても現地に道標が建っているだろうということで出かけた。

田園風景が広がる井手町のJR奈良線の玉水駅で下車し、平安時代から古典文学等に描かれ、「平成の名水百選」に選ばれている玉川沿いの道を遡る。思っていた通り、次々と道標が現れる。
最初に現れた史跡は「小野小町塚(墓)」。「六歌仙」の一人で美女の小町の史跡は以前、倉敷市の源平史跡の旅行記でも触れたが、この地は終焉の地とされる。小町は晩年、井堤寺に居住し、よく玉川沿いを散歩していたという。

そこから北方に進み、長い石段を登って玉津岡神社に参る。540年に下照比売命(しもてるひめのみこと)がこの地に降臨し、それを祀ったのが起源とされ、本殿は貞享4年(1687)の造営で京都府登録文化財に指定されている。

再び玉川沿いの道になり、左岸(南岸)に移ってほどなくすると、玉川の右岸(北岸)寄りに高さ5m、重量数百トンの巨石「駒岩(左馬)」が見える。この石には作者や製作年不詳の半肉彫りの馬があり、中世より女芸上達の神として崇められ、かつては大阪からの参拝客もあったという。
残念ながら当時はその馬がよく分からなかったが、現在は周辺が公園化されているので、馬も整備されていることだろう。

井手小学校有王分校の近くには、後醍醐天皇松ノ下露跡碑がある。後醍醐天皇が1331年の元弘の変時、笠置山から金剛山千早城へと逃れる途中、この地にあった松の大木下で休憩されたという。
標高約300mの山地に大正池はある。貯水量23万トンを誇る府下最大の農業用溜池で、カワセミやカモが飛来し、春には池畔に桜やツツジ、初夏には水辺にスイレンや菖蒲が咲き、秋には紅葉が見られる。

当時は池沿いの遊歩道とベンチ位しか整備されていなかったが、平野部の池よりも山上の池は、池面の太陽光の「煌き」が美しい。
因みに現在、池畔には「大正池グリーンパーク」や「大正池渓流魚センター」等の施設ができており、キャビンやキャンプ場での宿泊、渓流釣り等が楽しめる。

池から未舗装林道を進むと、六体石仏(地蔵)と代官屋敷跡がある。この周辺に昭和初期まで生活の営みがあったという。
記録も記憶もないが、大焼山の北麓から西麓に回りこむ辺りは、古道が残っていたかも知れない。
北峰の北東の南谷川には、落差13mの龍王の滝が飛沫を上げている。
明治中期まで、滝の側には高神社の本社・祈雨神社があり、雨乞い神事を執り行い、龍王に祈願していた。

その高神社は格式の高い延喜式内社で、多賀保育園南東の丘に建つ。現在の本殿は慶長9年(1604)建設の三間社流造で、桃山時代の建築様式を色濃く残している。
奉納絵馬も藩政期のものが見られるが、天保15年奉納のものは、鮮やかな色彩が残っている。
そこから山城多賀駅は指呼の距離。

尚、このコースは車道歩きが多い。コース図(当時のコースとは若干異なる部分があるかも知れない)はhttp://idenet.jp/map_access.html

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
交通
4.0
交通手段
JRローカル 私鉄

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