2016/03/26 - 2016/03/26
437位(同エリア885件中)
三峯霧美さん
狭山観音霊場は1788年に開創され、江戸時代は観音信仰が隆盛だったそうです。
巡礼の道は38㎞ほど、昭和9年に完成した狭山湖(山口貯水池)の周りを「の」の字を書くように並んでおり、隣の札所までは1㎞ほどなので、歩いて巡るのにはちょうど良い距離です。
穏やか春の日を浴びてウォーキングがてら、歩いてみることにしました。
【1】となっていますが、現在【2】は決まっていません。
PR
-
巡礼の最初は、西武ドーム前から、西武ライオンズ開幕二戦目、満員のライオンズファンと一緒に西武球場前駅に到着。
13:26
この日の動員数は3万2千人だったそうで、試合開始30分前、すごい熱気を背に、歩道橋を旧ユネスコ村方面に渡ります。 -
13:30 天台宗別格本山 狭山山不動寺 (狭山不動尊)
1948年に西武グループにより弁天堂がこの地に移築されたのをかわきりに、1951年にユネスコ村が作られた後も、各地から文化財が移築されました。
特に1960年には空襲で焼失した芝の徳川霊廟跡を開発し(現ザ・プリンスパークタワー東京)焼け残った重要文化財の三つの門を移築。
1975年に西武の堤氏と親しかった寛永寺の助力により、天台宗の別格本山として建立されました。
ユネスコ村はユネスコに加盟したことを記念して、世界国々の建物を狭山丘陵の遊歩道の中に造った遊園地でした。狭山不動尊 寺・神社・教会
-
徳川秀忠の霊廟の門、御成門。戦災で焼失した霊廟は、日光東照宮のように豪華な装飾のある建物で国宝だったそうです。
この門も朱塗りの豪華なもので、当時の栄華が偲ばれます。 -
入り口からの参道、境内は緩やかなジグザグな参道で文化財を見学できるようにつながっていて、昔のユネスコ村の名残りではないかと思います。
昭和40年代にユネスコ村に来ているのですが、遊園地なのに雰囲気の違う場所があったことを覚えています、このあたりの文化財を移築した場所だったのかもしれません。 -
本堂は東本願寺から移築したものでしたが、2001年に不審火により焼失し、現本堂はその後再建されたものです。
ライオンズ選手が必勝祈願することで有名になりました。
春の穏やかなそよ風にのって、ドームから選手を紹介するアナウンスと観客の歓声が聞こえきます。そろそろ試合開始ですね。 -
お参りして、御朱印を頂きました。
本堂にはライオンズの選手の絵馬が奉納されていました。ドームからの歓声が聞こえてきます、絵馬のお願いが叶うといいですね。
お寺の境内は、春の温かい陽射しにあふれてのどかです。 -
試合が始まったので、参拝者は少なくなりました。何人かのグループの方が講師?らしい方に、燈篭などの説明を受けていました。
境内だけ時間の流れが違うような気がします。 -
桜井門 狭山湖側の入り口で、脇に駐車場があります。右側の坂を降りていくと山口観音に出ます。
-
狭山湖に続く道は15年ほど前まで両側に桜並木があり、桜のトンネルになる名所でしたが、枝を伸ばした見事な桜は若木に代わっていました。
狭山湖が1934年に完成して80年、その時に植樹されていたら、寿命を迎えたのでしょう。
桜がトンネルになるほど育つには何年かかるのでしょうか、おそらく見ることはかなわないと思います。 -
金乗院前の茶店の桜が満開でした。濃いピンク色なので河津桜でしょうか。カメラを構えていると、隣でも参拝の方がスマホで撮影していました。
綺麗なので引かれちゃいますよね。 -
14:00 金乗院 吾庵山金乗院放光寺 狭山観音霊場 第一番
拝観料は無料ですが、見どころのたくさんあるお寺です。
本堂では法要が行われているようで、スピーカーからお経が流れてきています。山口観音 (金乗院) 寺・神社・教会
-
本尊は千手観音 新田義貞の鎌倉攻めの古戦場も近く、戦勝祈願をしたと伝えられて、本堂前の義貞誓いの桜は咲き始めていました。
-
七福神の布袋様が祀られています、奥はぽっくりさんというお地蔵さま。
数十年前、長患いなどせず、ある日突然ぽっくりあの世に行きたいと、各地にあるぽっくり寺参拝が流行りました。
お参りしておきました。 -
本堂の外側にぐるりとあるマニ車 百八あるそうです。
少しだけ、回してきました。 -
平成に入って建立された観音堂、建物の中は拝観できませんが、土台部分は四国と西国巡礼の札所になっています。
-
左側が四国八十八ヶ所、右側が西国三十三札所。
昨年西国札所一番青岸渡寺で納経して、それっきりになってます、生きているうちに結願したいですが、結構ハードルが高いです。 -
新しくてきれいな門に狭山観音霊場の看板が出ています、小坊主さんが案内するのは武蔵野観音霊場で、あちこちにポスターを張ったり、西武鉄道とタイアップ企画をしたりと、頑張っています。昭和に入ってから作られた巡礼の道です。
狭山霊場の方が歴史は古いんですけどね。 -
納経帳を頂きました。狭山観音霊場は書置きの御朱印で、紐でとじ込みます。
十句観音経と般若心経と白紙が一枚とじ込んであります。
住職さんがパンフレットを開いて説明してくださいました。「こんな地図しかない」と、おっしゃいますが、今はグーグルマップとストビューがあれは、ほぼ迷うことはありません。
パンフの札所一覧で、電話番号が乗っていないところは無人で、御朱印は個人宅になっているところがあり、そこは町内会などがお世話をしてるとおっしゃっていました。 -
巡礼の道ができて数百年たって、山口貯水池(狭山湖)が作られたのですが、巡礼の道は貯水池をぐるりと一周するように進みます。
西所沢方面へ、これから歩いて行くというと、住職さんは驚かれて、野球が終わると渋滞するので気を付けてと、気遣っていただきました。 -
14:48 なんかとっても昭和な雰囲気の看板です。
駅の横を通り過ぎ、山口線の線路と並行している県道を歩いて行きます。
次は3番札所です、古い2番札所は狭山湖ができて湖底に沈んだ場所にあり、今は5番と6番の間に移動しています。 -
15:00 第三番 六斎堂 一番より 1.2km
すぐ近くのY字交差点名が「六斎堂前」で、何度も通っているのに気づきませんでした。
お堂はお墓の中に道路を向いて立っています。
創立は不明で1805年ごろの記録では六観音が祀られてたそうです。 -
六斎という宗教行事の守り本尊として六観音が祀られていたと推測されていると、石碑にありました。
ずっと無住で、このお堂は昭和50年代に檀信徒によって再建されたそうです、 -
正観世音 御朱印は第一番の金乗寺で、先に頂いてきました。
-
四番に向かって歩いて行くと柳瀬川を渡ります。狭山湖は柳瀬川の谷に堰を作り、多摩川の水や湧き水と貯めた貯水池です。
15年くらい前、この橋のたもとにあるイタリアンレストランによく来ました。美味しかったのですが、その後転居されたようで、現在のレストランとは違う店です。 -
県道55号をずっと歩いて高橋の交差点を過ぎ、クリーニング屋さんの脇の道の奥に、第四番札所があります・・・。
噂には聞いてましたが、あれです、あれ。 -
15:08 第四番 正智庵 三番より 500m
あの田舎のバス停のような木造建築の中の石像がご本尊。
建物は比較的新しく、平成二十一年に川辺町内会によって改修工事が行われたようです。
後ろは山(椿峰という住宅街)になっていて、周囲は広場で、端っこに古い三連の鉄棒がありました。
子供の遊び場になっているようです。 -
建物の左手前に石碑があるのですが、ほとんど読み取れませんでした。
1757年創建ということです。
もちろん無人で、御朱印は 第五番 勝光寺で頂います。
明治12年の十一面観音 -
1686年の聖観音 すっかり面がとれてしまってお顔がよくわかりません。
お参りして、帰り際、近くのお宅のワンコに、盛大に吠えられました。 -
勝光寺の方が ここは寺の跡地だとおっしゃっていました。
作りし罪も露ときゆらん・・・朝な夕なによき事をいたしましょう。 -
15:16 中氷川神社 式内社・中氷川社の論社
祭神 素戔嗚命 稲田姫命 大己貴命
大宮の氷川神社と奥多摩の奥氷川神社の中間にあるので、中氷川神社なのだとか、諸説ありだそうです。
旧入間郡と多摩郡92村の総鎮守 -
手水舎の脇には沈丁花が植えられ、美しい香りとともにお清めしました。この香り好きなんです。
-
拝殿 創建は祟神天皇の時代
参拝者は誰もいません、社務所の鈴を鳴らすと奥から私服の神職さんが出てきたので、御朱印帳を預けてお参りします。(預けても大丈夫でしょう) -
本殿 大社造 昭和二年造営
古社殿は元禄二年の春日造鱗葺だったそうです。 -
実は、こんなに広い境内とは思いませんでした、県道からは奥まっている場所なのでよく見えないのです。
-
御朱印を頂きました。ようこそお参りくださいましたと、送り出され、5番札所に向かいます。
-
15:41 第5番 勝光寺 瑞幡山勝光寺 4番より 1.1km
白衣観世音
1278年 北条時宗創建
突然、県道からまっすぐな参道が現れ、奥には周囲に全く溶け込まない立派な山門。 -
その山門は1696年の建築の楼門で、かつては仁王が安置されていたそうです。
裏側に二階に上がる急な階段がありました、ちょっと登ってみたい衝動にかられました。 -
本堂、京都竜安寺の塔頭の方丈を1677年に移築、行田の宮大工が建築したという伝承を持っています。昭和34年以前は寄棟造りの茅葺だったそうです。
柱間は京間の寸法とは異なり、制作時期の違うヒノキとケヤキが混在していることから、京都で解体され運び込まれた部材を使い、行田の宮大工が関東間として建築されたと考えられるそうです。 -
寺務所の引き戸は閉まっており、インターフォンのボタンを押すと、しばらくの沈黙の後、女性の声で返事がありました。
狭山霊場の納経をお願いすると、息を切らしてやってきて、「家が遠くてお待たせしてすみません」とおっしゃられましたが、そんなに待ってないんですよ。
4番の御朱印も一緒に頂きました。ありがとうございました。 -
神社の参道から県道に戻り歩いて行くと、20年前はおしゃれなイタリアンレストランだったところに会社が入っていました。
最後に行ったときの料理は、味がないという前代未聞のひどさで、閉店は当然の結果でしょう。
更に進んでいくと、昨年末に風呂の水道栓の出張工事に来てくれて、しっかりぼったくって帰った業者の事務所がありました。
いずれのお店も、人生の勉強をさせていただいた、ありがたいご縁と、心を静めて前を通過。
2番 佛蔵院はマップを見ると道路からかなり奥まったところにあるのですが・・・あれだ! -
15:58 第2番 佛蔵院 辰爾山佛蔵院勝楽寺 5番より700m
十一面観音
創建は奈良時代 百済より帰化した儒生王仁の五代孫、王辰爾の子が、父の菩提のために開闢せし伽藍と言われ、一時は十二坊もある大伽藍でしたが、文永のころの災害で被災して衰退したそうです。
その地は山口貯水池に沈んでいて、現在でも貯水池の住所はこのお寺の名前と同じ勝楽寺といいます。
貯水池の造成に伴い、現在の場所に解体移転したため、巡礼の順番が飛んで、5番と6番の間にあります。 -
雲が広がってきてました。
1番の金乗院以外は、どこも参拝者は無く、こちらのお寺も同様。
お参りをして、寺務所の玄関が閉まっているので、チャイムを押すけど反応なし。
あ〜、こりゃ、お仕事でお出かけだろうかと思っていると、中から声が聞こえてきた!
御朱印を頂きました。 -
時刻は間もなく4時、ご住職に1番から歩いて来たのだけど、下山口の駅までどのくらいで着くかと聞くと、6番の瑞岩寺へ行った方がいいとおっしゃる。
でも、時間が(おそいから)・・・と躊躇していると、「え?まだ大丈夫でしょ、10分で着くから」と、力いっぱい勧められました。
「ご苦労様でした」という声に背に、瑞岩寺に行くことにしました。 -
道路が混み始めました。野球が終わったのかもしれません。交通量が多く、いまいち空気が良くない中を歩いて、山口線の下をくぐると、広い駐車場の奥にお寺が見えてきた。
16:15 第6番 瑞岩寺 祥雲山瑞岩寺 2番より800m
十一面観世音 -
創建は不明ですが 平安時代末期から武蔵国入間郡山口を領した山口氏の菩提寺です。
1368年山口城主の山口高清は武蔵平一揆で河越・高坂側につき、その際手薄になった山口城は上杉に攻められ落城し、夫人は稚子を抱いて池に入水、隆清は河越から取って返したのですが城内には入れず、この瑞岩寺で自刃したそうです。悲しいお話しです。
お寺には高清の鞍が保存されているそうです。 -
寺務所のインターフォンを押す、やっぱり反応がなく、とうとう御朱印をもらえないかとあきらめかけたころ、屋内から声が聞こえました。
引き戸を開けるとご住職、いらっしゃったんですね (ほぼハートマーク)
遅い時間にすみませんと、御朱印を頂きました。
ここから一番近い駅は西所沢駅で、7番の近くを通るので、ダメ元で7番に行ってみよう! -
バイパスを歩き始めると急な上り坂。なんで上り坂なんだ?とヒーヒー言いながら歩いていると、西武線の跨線橋になってるんだと気が付きました。
あ〜やっちまった、地図だと高低差がわからない。
瑞岩寺の裏に小さな橋があったのに・・・。
跨線橋を降りて、オートバックスの裏の道を入ると、お墓がありました。お墓の小道を進むと、普門院の山門前に出ます。 -
16:35 第7番 普門院 上洗山普門院無量寺 6番より 900m
千手観世音
所沢は水利が悪く近隣の村では、所沢に娘を嫁にやるなと言われほどでした。
夏のある日、一人の僧が民家に立ち寄り一杯の水を所望しました。娘が水を汲みに行き、なかなか戻らないので、帰ってきた娘に尋ねると、この辺りは水に不便で井戸まで遠くて苦労をしていると語りました。
それを聞いた僧は娘に三つの場所を杖で指し示し、そこに井戸を掘るように言い残して立ち去りました。
村人は半信半疑ながらそこの場所を掘ると、深く掘ることもなく、清らかな水が湧き出し、夏でも枯れることがない井戸を「三ツ井戸」と呼び、誰ともなく、あの僧は弘法大師だったという話が、広まりました。
その井戸は、東川の下流(金山町の西友の裏)に現存しています。 -
話は続いて、その井戸の近くに草庵を立て、不動明王を安置しました。清水は諸病を除き、寿命無量の益があることから、無量寺と呼ばれました。そのお寺がこの場所に移り普門院となったそうです。
-
まだ時間は5時前なので、お参りしようとしたら、財布に御朱印の頂くときに納める小銭が無くなってました。
表通りの自販機があり、お水を一本買って、千円札を崩しました。
こちらが千手観音です。なんと慈悲深いお顔でしょうか。
「もういいんじゃないの?今日は」と言われているような・・・。
もう疲れたので、今日はこちらで打ち止めとします。 -
昭和チックなガラスの入った木製引き戸がある寺務所で、チャイムを押すと、出ていらしたのは80歳を超えたおばあちゃま。
狭山霊場の納経したいというと、「あら、どちらから?」なんて聞かれて、よいしょ、よいしょを連呼しながら、脇のお部屋に消えていきました。
脇のお部屋からも、よいしょ、よいしょという声が聞こえてきました。
こちらでは、書置きの御朱印に日付を入れてくださいました。よいしょ、よいしょと書いていただいてたんですね。
お礼を述べて、引き戸を閉めようとすると、「これはね、コツがあるのよ」と言ってネジ式の金属の鍵を回して鍵をかけていました。。
振り返ると、寺務所入り口には電動シャッターがゆっくりと降りていきました。う〜ん、新旧が混然一体となってますね。 -
普段は車で素通りする道をゆっくり歩いて行くと、神社の参道がありました。
この神社は西武線の線路わきにあり、春になると桜が咲く、車窓から眺めながら、いつか桜の季節に行きたいと思っていた神社でした。
桜にはちょっと早いか・・・。でも、せっかくなのでお参りしていきましょう。 -
六所神社
祭神 大己貴命 素戔嗚尊 瓊瓊杵尊 布田大神、伊弉冉尊 大宮能神
創建は不明 大国魂神社を勧請したので、六所神社と呼ばれています。
明治10年に遷宮しているので、本殿は明治10年頃のものとされています。 -
神社の参道にお地蔵さまが祭られています。
やけに新しい感じですが・・・。 -
あら可愛い 完全に最近のお地蔵さま、同じようなお地蔵様を長谷寺で見かけました。
-
木瓜?が咲いていました。とても綺麗。
すっかり曇り空になって、冷たい風が吹いてきました。
駅まで東川沿いを歩いて行くことにしました。 -
ちらほらと、ほころび始めた桜と電車。
線路の下をくぐって川沿いに進みます。 -
途中の児童公園のミモザが満開でした。春爛漫です。
-
西所沢駅入り口。
10年ほど前は営業していた商店が、いくつもシャッターを下ろしていました。
なんだか寂しくなりました。 -
西所沢駅到着。7番より900m
徒歩での移動距離 7.5?
日が傾き、風が冷たくなりました。
普段車で通り過ぎる場所を歩いてみると、いろいろな発見があり、ぷち旅行の気分を味わいました。
9番から狭山湖の対岸の都内巡礼になりますが、ちょっと楽しみになってきました。
できたら近いうちに、【2】を実行し、暑くなる前に結願したいです。西所沢駅 駅
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2016年 狭山三十三観音霊場 巡礼
-
狭山観音霊場巡り【1】歩いて巡る第1番~第7番と狭山不動尊、中氷川神社
2016/03/26~
所沢
-
狭山観音霊場巡り【2】思い付きの第8番札所とその界隈
2016/05/01~
所沢
-
狭山観音霊場巡り【3】車で回って国宝拝観 第9番から第16番
2016/05/15~
福生・武蔵村山
-
狭山観音霊場巡り【4】多摩湖(村山貯水池)南側の第17番から第22番
2016/05/15~
福生・武蔵村山
-
狭山観音霊場巡り【5】狭山丘陵西側を巡る第23番から第27番・式内社「阿豆佐味天神社」
2016/05/22~
福生・武蔵村山
-
狭山観音霊場巡り【6】狭山丘陵北側を巡る第28番から第33番と出雲祝神社
2016/05/22~
所沢
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったスポット
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2016年 狭山三十三観音霊場 巡礼
0
60