1998/07/01 - 1999/01/01
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JIC旅行センターさん
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ウズベキスタンに来てから、半年以上が経った。留学先はタシケント国立東洋学大学。私が日本で通う大学は1995年からタシケント国立東洋大学と交流を始め、1998年秋、私ともう一人の学生が、初の派遣学生としてここにやってきた。
私は今、ふたり暮らしをしている。ウズベク人学生のムザファールとアパートで共同生活だ。
ある日彼が、実家から貴重なトルコ・コーヒー豆を1kg持って戻ってきた。この豆を細かく挽くための機械がないので、ムザファールの友人グリーシャの家に行って挽いてもらうことにした。グリーシャの家では、銀色の髪を上品にまとめ、奥深い瞳をした彼の母親リーリャさんが出迎えてくれた。この一家は、アルメニア人だ。
この家のお父さんが、コーヒー豆をフライパンで炒ってくれ、やがてその香ばしい匂いが家中を満たすと、グリーシャが自分で作ったという筒状の手動豆挽き機を取り出してきた。重い金属製の筒に豆を入れ、頑丈な取っ手をゴリゴリ回すと、豆が粉になって筒の下に積もっていく。彼らの家には、電動の豆挽き機もあったが、手動のものと比べ、出てくる粉の「きめ」が荒かった。ただ、手動の豆挽き機では、一握りの豆でさえ、粉にするのにかなりの時間と労力が必要になる。我々は時間をかけて、皆で順番に挽いていった。
そのうちに、日本人と見まがうほど、日本人的な顔立ちをした女性が、客としてやってきた。彼女はグリーシャの弟のガールフレンドで、カザフ人だという。彼女にも豆挽きの仲間に入ってもらった。
帰り際リーリャさんは、「いろんな国の人がお客に来たけれど、日本人は初めてだったわ。ムザファールはウズベク人、この娘はカザフ人、私たちはアルメニア人で、あなたは日本人。共通のロシア語があったおかげで話ができたのね。ソ連に感謝しなくちゃ」と言った。先ほどまでの彼女の数々の話から、これが彼女の独特のユーモアなのだと想像できた。
中央アジアは昔から民族と文化の交差点。街に出ればそれを肌で実感できる。地下鉄に乗れば、そこはまるで民族の博物館のようだ。ここでは民族の違いを対立の原因にするよりも、それを各々の個性のように捉えているのではないかと感じる。しかし、他の民族に対する偏見を伴った悪口も時おり耳にする。また、独立によってウズベク語の公用語化が強化され、他の民族はストレスを感じているようだ。ウズベク人にとって、ウズベク化はあたりまえのこと。街では様々な標記がロシア語からウズベク語に変えられていく。ロシア語を手段にこの国に接している私には、少々抵抗を感じてしまうところでもあるが。
ひとつの支配言語が消えていく過程の目撃者。こう書くと、少々大袈裟かもしれないが、そんな気分によくなる。70年間のソ連時代が終わり、ウズベク人は必死で独自性を取り戻そうとしているようだ。この中で、ロシア人や、ロシア語を生活語にしている他の民族は何を考え、これからどうしようとしているのか。また様々な民族間の混血も多いこの地で、彼らは何にアイデンティティーを求めるのか。私にはとても興味がある。
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