尾道旅行記(ブログ) 一覧に戻る
西国放浪記のフィナーレを飾るのは、尾道です。<br />尾道は、「ぬばたまの 夜は明きぬらし 玉の浦に あさりする鶴鳴(たず)き 渡るなり」と万葉集に詠われ、古くから栄えた港町です。美しい町並みと情緒ある坂道の風景は多くの文学作品に描かれ、「日本遺産の町」にも指定されています。また、北前船の寄港地であったことから、海運に携わる豪商たちの寄進により多くの寺院が建ち並らんでいることも見逃せません。山の斜面に家屋や寺院がへばりつくように密集し、入り組んだ狭い路地が張り巡らされた独特な景観を呈しています。迷路のような小路、狭く長い坂から見下ろす密集家屋と尾道水道、まったりと憩う猫たちの姿など、印象的な風景から多くの映画の舞台にもなった「映画の町」でもあります。<br />その尾道のランドマークとも言えるのが千光寺公園です。春は桜が公園を彩り「さくらの名所百選」に選ばれ、秋には「尾道菊花展」が開催されるなど、四季折々の表情が愉しめます。公園内には「文学のこみち」が設けられ、山道に点在する自然石には尾道にゆかりのある作家の詩などが刻まれています。 <br />また、展望台からは尾道の町並み、瀬戸内海に浮かぶ向島をはじめとする数多の島々を一望することができ、「夜景百選」にも選定されています。こうした景色を目の当たりにすれば、「何故、文人墨客が尾道を愛したのか?」の答えが自然と返ってきます。<br /><br />千光寺公園のガイドマップです。<br />http://i.wook.jp/000225/225081/225081.pdf<br /><1日目><br />新大阪駅(新幹線)===福山駅---錦帯橋(昼食+散策)<br />---津和野(案内人と一緒に散策)---萩グランドホテル天空<br /><2日目><br />萩グランドホテル天空---松陰神社(ボランティアの方と一緒に散策)<br />---旧萩藩校明倫館(同じ)---萩城下町(同じ)<br />---蒲鉾店(ショッピング)---海鮮村北長門(昼食)<br />---青海島(クルーズコース・島上陸コース・金子みすゞ記念館コースから選択)<br />---秋吉台---瑠璃光寺---湯本観光ホテル西京(オプション:大谷山荘宿泊)<br /><3日目><br />湯本観光ホテル西京---宮島口===宮島(昼食+散策:3時間)===宮島口<br />---尾道===千光寺公園(ロープウェイ)---千光寺公園(山頂)<br />---福山駅(新幹線)===新大阪駅

早春賦 西国放浪記⑫尾道(千光寺公園)エピローグ

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2016/03/03 - 2016/03/05

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

西国放浪記のフィナーレを飾るのは、尾道です。
尾道は、「ぬばたまの 夜は明きぬらし 玉の浦に あさりする鶴鳴(たず)き 渡るなり」と万葉集に詠われ、古くから栄えた港町です。美しい町並みと情緒ある坂道の風景は多くの文学作品に描かれ、「日本遺産の町」にも指定されています。また、北前船の寄港地であったことから、海運に携わる豪商たちの寄進により多くの寺院が建ち並らんでいることも見逃せません。山の斜面に家屋や寺院がへばりつくように密集し、入り組んだ狭い路地が張り巡らされた独特な景観を呈しています。迷路のような小路、狭く長い坂から見下ろす密集家屋と尾道水道、まったりと憩う猫たちの姿など、印象的な風景から多くの映画の舞台にもなった「映画の町」でもあります。
その尾道のランドマークとも言えるのが千光寺公園です。春は桜が公園を彩り「さくらの名所百選」に選ばれ、秋には「尾道菊花展」が開催されるなど、四季折々の表情が愉しめます。公園内には「文学のこみち」が設けられ、山道に点在する自然石には尾道にゆかりのある作家の詩などが刻まれています。
また、展望台からは尾道の町並み、瀬戸内海に浮かぶ向島をはじめとする数多の島々を一望することができ、「夜景百選」にも選定されています。こうした景色を目の当たりにすれば、「何故、文人墨客が尾道を愛したのか?」の答えが自然と返ってきます。

千光寺公園のガイドマップです。
http://i.wook.jp/000225/225081/225081.pdf
<1日目>
新大阪駅(新幹線)===福山駅---錦帯橋(昼食+散策)
---津和野(案内人と一緒に散策)---萩グランドホテル天空
<2日目>
萩グランドホテル天空---松陰神社(ボランティアの方と一緒に散策)
---旧萩藩校明倫館(同じ)---萩城下町(同じ)
---蒲鉾店(ショッピング)---海鮮村北長門(昼食)
---青海島(クルーズコース・島上陸コース・金子みすゞ記念館コースから選択)
---秋吉台---瑠璃光寺---湯本観光ホテル西京(オプション:大谷山荘宿泊)
<3日目>
湯本観光ホテル西京---宮島口===宮島(昼食+散策:3時間)===宮島口
---尾道===千光寺公園(ロープウェイ)---千光寺公園(山頂)
---福山駅(新幹線)===新大阪駅

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
観光バス 新幹線
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • 千光寺山ロープウェイ <br />午後の遅い時間帯ではこのように逆光になってしまうので、ロープウェイから写真を撮るのなら午前中に訪れるのが望ましいです。<br /><br />尾道のランドマーク「千光寺公園」は、標高144mの千光寺山の山頂から中腹にかけて広がる公園です。1894(明治27)年に千光寺の多田實圓和尚が尾道市内に遊園地が少ないことを憂慮し、併せて寺院への参詣誘致のために檀家や有志と公園の整備に着手し、1903(明治36)年に市に寄贈されました。<br />山頂の展望台からは尾道の街や瀬戸内海に浮かぶ島々が一望でき、さらに天気の良い日には四国連山も遠望することができるビュースポットです。ここから見る夕日は特にロマンチックだそうです。

    千光寺山ロープウェイ
    午後の遅い時間帯ではこのように逆光になってしまうので、ロープウェイから写真を撮るのなら午前中に訪れるのが望ましいです。

    尾道のランドマーク「千光寺公園」は、標高144mの千光寺山の山頂から中腹にかけて広がる公園です。1894(明治27)年に千光寺の多田實圓和尚が尾道市内に遊園地が少ないことを憂慮し、併せて寺院への参詣誘致のために檀家や有志と公園の整備に着手し、1903(明治36)年に市に寄贈されました。
    山頂の展望台からは尾道の街や瀬戸内海に浮かぶ島々が一望でき、さらに天気の良い日には四国連山も遠望することができるビュースポットです。ここから見る夕日は特にロマンチックだそうです。

  • 千光寺山ロープウェイ<br />山麓の長江口と千光寺公園頂上とを結ぶ市営「千光寺山ロープウェイ」から見下ろす風景も素敵です。千光寺山自体が「日本百景」に選ばれた著名な絶景スポットであり、映画や絵葉書など尾道の風景映像にもこのロープウェイがアクセントを添えています。<br />現在のゴンドラは3代目になり、愛称は初代・2代目と同じ「かもめ」と「さくら」です。全長361m、標高差115mを3分間程で結び、尾道の箱庭のような甍の町並みを眺める千光寺公園上空の空中散歩は開放感に浸れます。<br />運行は15分間隔です。

    千光寺山ロープウェイ
    山麓の長江口と千光寺公園頂上とを結ぶ市営「千光寺山ロープウェイ」から見下ろす風景も素敵です。千光寺山自体が「日本百景」に選ばれた著名な絶景スポットであり、映画や絵葉書など尾道の風景映像にもこのロープウェイがアクセントを添えています。
    現在のゴンドラは3代目になり、愛称は初代・2代目と同じ「かもめ」と「さくら」です。全長361m、標高差115mを3分間程で結び、尾道の箱庭のような甍の町並みを眺める千光寺公園上空の空中散歩は開放感に浸れます。
    運行は15分間隔です。

  • 千光寺山ロープウェイ<br />千光寺山公園は戦国時代には城郭のあった場所です。この地形は確かに天然の要害にもってこいです。<br />1584(天正12)年、千光寺城(別名:権現山城)を築いたのは鷲尾山城を本拠とした木梨杉原氏でした。杉原氏は宮氏と並ぶ備後の大豪族で、始祖は鎌倉幕府に仕え備後国杉原保地頭職を拝領した平光平です。16世紀に入り山名氏の勢力が衰え、代わって木梨氏が尾道を治めました。入港する船に「帆別銭」や「駄別銭」を課税し、富裕な商人には臨時税「有徳銭」を課すなどして莫大な富を手に入れ、その拠点として築かれたのが千光寺城でした。時代は城郭が総石垣、白壁瓦葺にあり、この城も相応の立派な城になるはずでしたが、秀吉の山城禁止令によって鷲尾山城の麓に舘を築いて移ったため短命でした。こうして千光寺城は完成を見ずに1591年に廃城となりました。<br />その後、この城と同じように木梨氏の運命も流転し始めました。尾道の支配を狙っていたのは木梨氏が属した毛利氏も同じでした。毛利氏は強権を発動して木梨氏を取潰し、尾道を直轄地としたのです。<br />山頂の北にある八畳岩と呼ばれる大きな岩がある場所に天守が建っていたとも伝えられています。

    千光寺山ロープウェイ
    千光寺山公園は戦国時代には城郭のあった場所です。この地形は確かに天然の要害にもってこいです。
    1584(天正12)年、千光寺城(別名:権現山城)を築いたのは鷲尾山城を本拠とした木梨杉原氏でした。杉原氏は宮氏と並ぶ備後の大豪族で、始祖は鎌倉幕府に仕え備後国杉原保地頭職を拝領した平光平です。16世紀に入り山名氏の勢力が衰え、代わって木梨氏が尾道を治めました。入港する船に「帆別銭」や「駄別銭」を課税し、富裕な商人には臨時税「有徳銭」を課すなどして莫大な富を手に入れ、その拠点として築かれたのが千光寺城でした。時代は城郭が総石垣、白壁瓦葺にあり、この城も相応の立派な城になるはずでしたが、秀吉の山城禁止令によって鷲尾山城の麓に舘を築いて移ったため短命でした。こうして千光寺城は完成を見ずに1591年に廃城となりました。
    その後、この城と同じように木梨氏の運命も流転し始めました。尾道の支配を狙っていたのは木梨氏が属した毛利氏も同じでした。毛利氏は強権を発動して木梨氏を取潰し、尾道を直轄地としたのです。
    山頂の北にある八畳岩と呼ばれる大きな岩がある場所に天守が建っていたとも伝えられています。

  • 千光寺山ロープウェイ<br />大宝山権現院千光寺は、標高140m、尾道港を一望する千光山の中腹に佇んでいます。寺伝によると、平安時代の806(大同元)年に空海によって創建された真言宗の名刹です。源満仲(多田満仲)によって再興され、戦国時代には備後国木梨城主の杉原元恒がこの地に千光寺城を築きました。

    千光寺山ロープウェイ
    大宝山権現院千光寺は、標高140m、尾道港を一望する千光山の中腹に佇んでいます。寺伝によると、平安時代の806(大同元)年に空海によって創建された真言宗の名刹です。源満仲(多田満仲)によって再興され、戦国時代には備後国木梨城主の杉原元恒がこの地に千光寺城を築きました。

  • 千光寺山ロープウェイ<br />尾道は、足利氏にも深い係りを持つ街です。中世の頃より尾道は、交通、経済、軍事の要衝として栄えていました。1336(建武3)年、足利尊氏は、後醍醐天皇の軍に破れた西走の途中、備後鞆の浦で光厳院より院宣を賜わりこの尾道に入り、浄土寺に参籠し、戦勝挽回を祈願しました。また、瀬戸内海の地理に明るく、強力な海上輸送力を持つ尾道の豪商達を味方に付けました。彼等の水先案内によって九州に渡り、九州多々良浜の決戦に大勝し、東上する途中、尾道で浄土寺に再び参籠し、戦勝の御礼と今後の加護を祈願しています。尊氏は、その後、湊川の戦いで劇的な勝利をおさめ、幕府を開いた後、尾道の豪商等への報奨として自由な交易を認めるなどの便宜を図っています。

    千光寺山ロープウェイ
    尾道は、足利氏にも深い係りを持つ街です。中世の頃より尾道は、交通、経済、軍事の要衝として栄えていました。1336(建武3)年、足利尊氏は、後醍醐天皇の軍に破れた西走の途中、備後鞆の浦で光厳院より院宣を賜わりこの尾道に入り、浄土寺に参籠し、戦勝挽回を祈願しました。また、瀬戸内海の地理に明るく、強力な海上輸送力を持つ尾道の豪商達を味方に付けました。彼等の水先案内によって九州に渡り、九州多々良浜の決戦に大勝し、東上する途中、尾道で浄土寺に再び参籠し、戦勝の御礼と今後の加護を祈願しています。尊氏は、その後、湊川の戦いで劇的な勝利をおさめ、幕府を開いた後、尾道の豪商等への報奨として自由な交易を認めるなどの便宜を図っています。

  • 千光寺山ロープウェイ<br />断崖絶壁に張り付くように建てられた舞台造の朱塗りの本堂は、別名「赤堂」とも呼ばれ、林芙美子も『放浪記』の中で「赤い千光寺の塔が見える」と情景を綴っています。本尊は聖徳太子作と伝わる千手観世音菩薩像で、33年に一度御開帳される秘仏です。元禄17年に栗原村に起こった大火から尾道町を守ったことから「火伏せの観音」と称せられ、火難除けに霊験あらたかで、現在は諸願成就の観音様として篤く信仰されています。<br />千光寺には多くの文人墨客が訪れていますが、頼山陽は「六年重ねて来たる千光寺」と漢詩に詠んだほどです。

    千光寺山ロープウェイ
    断崖絶壁に張り付くように建てられた舞台造の朱塗りの本堂は、別名「赤堂」とも呼ばれ、林芙美子も『放浪記』の中で「赤い千光寺の塔が見える」と情景を綴っています。本尊は聖徳太子作と伝わる千手観世音菩薩像で、33年に一度御開帳される秘仏です。元禄17年に栗原村に起こった大火から尾道町を守ったことから「火伏せの観音」と称せられ、火難除けに霊験あらたかで、現在は諸願成就の観音様として篤く信仰されています。
    千光寺には多くの文人墨客が訪れていますが、頼山陽は「六年重ねて来たる千光寺」と漢詩に詠んだほどです。

  • 千光寺山ロープウェイ<br />丁度この鉄塔の下の道が「文学のこみち」になります。<br />尾道の風光明媚な土地柄や素晴らしい風景に魅せられた文人墨客は、ここを訪れたり、実際に住んだりしながら尾道を舞台にした作品を書き上げました。そうした意味合いでは「文学の街」とも称せます。また、千光寺山頂には点々と続く天然石に刻まれた、風情ある25基の文学碑があります。山頂から続く1km程の小路に尾道ゆかりの作家や詩人の名作が綴られ、静かな文学の散策路となっています。彼らが愛した尾道の風景とここに住まう人々の心象風景を、刻まれた詩歌がそっと語りかけてきます。かつて読んだ物語を思い浮かべながら、青春時代を思い出して胸ときめかせてみませんか?

    千光寺山ロープウェイ
    丁度この鉄塔の下の道が「文学のこみち」になります。
    尾道の風光明媚な土地柄や素晴らしい風景に魅せられた文人墨客は、ここを訪れたり、実際に住んだりしながら尾道を舞台にした作品を書き上げました。そうした意味合いでは「文学の街」とも称せます。また、千光寺山頂には点々と続く天然石に刻まれた、風情ある25基の文学碑があります。山頂から続く1km程の小路に尾道ゆかりの作家や詩人の名作が綴られ、静かな文学の散策路となっています。彼らが愛した尾道の風景とここに住まう人々の心象風景を、刻まれた詩歌がそっと語りかけてきます。かつて読んだ物語を思い浮かべながら、青春時代を思い出して胸ときめかせてみませんか?

  • 千光寺山ロープウェイ<br />尾道と向島を結ぶ、しまなみ海道の起点となる新尾道大橋がよく見えます。<br />一般道の尾道大橋と並走して架かる全長546mの斜張橋で、この2本の橋は兄弟橋とも呼ばれています。しまなみ海道にある6つの島には7本の橋が架けられ、このうち3つ目の「生口島(いくちじま)」までが尾道市になります。<br />尾道と向島とを隔てる海は「尾道水道」と呼ばれ、この水道には尾道駅前渡船、福本渡船、尾道渡船が運航しています。古くから市民や観光客の足として活躍し、尾道の風景に無くてはならないものになっています。片道5分弱、尾道らしいのんびりした雰囲気が堪能できる一番お手軽なクルージングです。

    千光寺山ロープウェイ
    尾道と向島を結ぶ、しまなみ海道の起点となる新尾道大橋がよく見えます。
    一般道の尾道大橋と並走して架かる全長546mの斜張橋で、この2本の橋は兄弟橋とも呼ばれています。しまなみ海道にある6つの島には7本の橋が架けられ、このうち3つ目の「生口島(いくちじま)」までが尾道市になります。
    尾道と向島とを隔てる海は「尾道水道」と呼ばれ、この水道には尾道駅前渡船、福本渡船、尾道渡船が運航しています。古くから市民や観光客の足として活躍し、尾道の風景に無くてはならないものになっています。片道5分弱、尾道らしいのんびりした雰囲気が堪能できる一番お手軽なクルージングです。

  • 千光寺山ロープウェイ 山頂駅<br />山頂駅では駅長猫「こいえもん」がお出迎えです。漢字で「恋会門」と書きます。千光寺公園が恋人の聖地であることやお客様に来ていただきたいという想いを込めて命名されたそうです。「猫の街」として知られる尾道市に寄贈された彫刻家 西岡良和氏の作品で、2012年3月に駅長に就任しました。帽子と座布団は、尾道の伝統工芸品「帆布」製です。<br />「こいえもん」の彼女もこちらに引っ越してくる予定でしたが、都合によりそれが延期となり、それ以来ここで彼女を待ち続けていたそうです。しかし、観光客が恋が成就するように祈った甲斐があり、尾道市役所に勤務していた彼女が傍に来てくれたようです。幸せ一杯の表情がたまりません!

    千光寺山ロープウェイ 山頂駅
    山頂駅では駅長猫「こいえもん」がお出迎えです。漢字で「恋会門」と書きます。千光寺公園が恋人の聖地であることやお客様に来ていただきたいという想いを込めて命名されたそうです。「猫の街」として知られる尾道市に寄贈された彫刻家 西岡良和氏の作品で、2012年3月に駅長に就任しました。帽子と座布団は、尾道の伝統工芸品「帆布」製です。
    「こいえもん」の彼女もこちらに引っ越してくる予定でしたが、都合によりそれが延期となり、それ以来ここで彼女を待ち続けていたそうです。しかし、観光客が恋が成就するように祈った甲斐があり、尾道市役所に勤務していた彼女が傍に来てくれたようです。幸せ一杯の表情がたまりません!

  • 千光寺公園 文学のこみち 正岡子規の句碑<br />「のどかさや 小山つゝきに 塔二つ」<br />対岸にある松山に生まれ、俳誌『ホトトギス』を発刊、俳句革新の大先達となりました。日清戦争の際に日本新聞の従軍記者として尾道を通過した時に詠んだ句で、西国寺の三重塔と天寧寺の海重塔を眺めたものとされています。

    千光寺公園 文学のこみち 正岡子規の句碑
    「のどかさや 小山つゝきに 塔二つ」
    対岸にある松山に生まれ、俳誌『ホトトギス』を発刊、俳句革新の大先達となりました。日清戦争の際に日本新聞の従軍記者として尾道を通過した時に詠んだ句で、西国寺の三重塔と天寧寺の海重塔を眺めたものとされています。

  • 千光寺公園 文学のこみち 十返舎一九の碑<br />尾道への来遊時に詠んだ作品が刻まれています。<br />「日のかげは 青海原を照らしつゝ 光る孔雀の尾の道の沖」。<br />孔雀の尾と尾道をかけているのがGood!<br />でも、『東海道中膝栗毛』なら知っていますが、『山陽道漫遊』なんていうのは初耳です。日本全国を旅したのでしょうか?

    千光寺公園 文学のこみち 十返舎一九の碑
    尾道への来遊時に詠んだ作品が刻まれています。
    「日のかげは 青海原を照らしつゝ 光る孔雀の尾の道の沖」。
    孔雀の尾と尾道をかけているのがGood!
    でも、『東海道中膝栗毛』なら知っていますが、『山陽道漫遊』なんていうのは初耳です。日本全国を旅したのでしょうか?

  • 千光寺公園 文学のこみち 志賀直哉の碑<br />『暗夜行路』から抜粋され、「6時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ゴーンとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つそれが遠くから帰ってくる…」と刻まれています。

    千光寺公園 文学のこみち 志賀直哉の碑
    『暗夜行路』から抜粋され、「6時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ゴーンとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つそれが遠くから帰ってくる…」と刻まれています。

  • 千光寺公園 文学のこみち 林芙美子の碑<br />「海が見えた 海が見える 5年ぶりに見る尾道の海はなつかしい…」『放浪記』より。<br />「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」の名句で知られる林芙美子は、1916(大正5)年に尾道に移り住み、この地の小学校・高等女学校で学んだ後に上京しました。苦を偲んで精進し、1929(昭和4)年に出世作『放浪記』を執筆しました。尾道を生涯愛し、作品の中でも尾道の風景を鮮やかに描写しています。そうした意味から、林芙美子は尾道を代表する文人と言えます。<br />碑には、「緑色の海、向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突き刺してゐる」とありますが、ここからの尾道水道の眺めも素敵です。

    千光寺公園 文学のこみち 林芙美子の碑
    「海が見えた 海が見える 5年ぶりに見る尾道の海はなつかしい…」『放浪記』より。
    「花の命は短くて 苦しきことのみ多かりき」の名句で知られる林芙美子は、1916(大正5)年に尾道に移り住み、この地の小学校・高等女学校で学んだ後に上京しました。苦を偲んで精進し、1929(昭和4)年に出世作『放浪記』を執筆しました。尾道を生涯愛し、作品の中でも尾道の風景を鮮やかに描写しています。そうした意味から、林芙美子は尾道を代表する文人と言えます。
    碑には、「緑色の海、向こうにドックの赤い船が、帆柱を空に突き刺してゐる」とありますが、ここからの尾道水道の眺めも素敵です。

  • 千光寺公園 千光寺 鏡岩<br />客殿西側にあり真東を向いています。鏡には神が宿ると言われ、太陽や月の光を玉の岩の宝珠やタンク岩に向けて鏡のように反射させていたと伝えられています。<br />こちらは現代に入ってから復活した千光寺の見所です。ロープウェイから千光寺全体を見ると、この鏡岩は山に突き出した巨大な鏡そのものに見えます。<br />この鏡岩は、1999年の台風で枯れた松を伐採する際に偶然発見されました。境内から見上げる高い位置にある7mの岩に直径2mの円がつくられています。誰がこんな箇所に彫ったのか、ミステリアスです。元々鏡岩伝説なるものが伝わっていたそうですが、樹木がブラインドの役目を果たしていたために今まで所在が分らなかったそうです。発見後に鏡の表面が磨かれ、このように白く光っています。

    千光寺公園 千光寺 鏡岩
    客殿西側にあり真東を向いています。鏡には神が宿ると言われ、太陽や月の光を玉の岩の宝珠やタンク岩に向けて鏡のように反射させていたと伝えられています。
    こちらは現代に入ってから復活した千光寺の見所です。ロープウェイから千光寺全体を見ると、この鏡岩は山に突き出した巨大な鏡そのものに見えます。
    この鏡岩は、1999年の台風で枯れた松を伐採する際に偶然発見されました。境内から見上げる高い位置にある7mの岩に直径2mの円がつくられています。誰がこんな箇所に彫ったのか、ミステリアスです。元々鏡岩伝説なるものが伝わっていたそうですが、樹木がブラインドの役目を果たしていたために今まで所在が分らなかったそうです。発見後に鏡の表面が磨かれ、このように白く光っています。

  • 千光寺公園 千光寺 玉の岩<br />玉の岩(烏帽子岩)と呼ばれる大岩は、周囲50m、高さ15mあり、1000トンを超える千光山寺第3の巨岩です。この岩には伝説があり、千光寺の山号である大宝山の由来にもなっています。

    千光寺公園 千光寺 玉の岩
    玉の岩(烏帽子岩)と呼ばれる大岩は、周囲50m、高さ15mあり、1000トンを超える千光山寺第3の巨岩です。この岩には伝説があり、千光寺の山号である大宝山の由来にもなっています。

  • 千光寺公園 千光寺 驚音楼(きょうおんろう)<br />朱塗りの竜宮造、高さ6mある鐘楼が断崖絶壁に建てられています。<br />NHK「行く年来る年」の除夜の鐘でお馴染みの驚音楼は、「音に名高い千光寺の鐘は一里聞こえて二里響く」と詠まれ、遠くは瀬戸の島々にも聞こえたそうです。「時の鐘」として名高く、元禄元年から時刻を近郷近海に報じ、今でも毎夕6時に鐘が鳴り響き、環境庁「日本の音百選」にも選ばれています。広島県からは「平和の鐘」とこの鐘の2つが選ばれています。<br />梵鐘の特徴は、表面に108個の乳がなく、梵字百字の真言と五智如来の種子を浮彫りにした珍しい曼荼羅様式です。<br />この附近の情景は、文豪 志賀直哉著『暗夜行路』に「6時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ゴーンとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つそれが遠くから帰ってくる…」と描写されています。

    千光寺公園 千光寺 驚音楼(きょうおんろう)
    朱塗りの竜宮造、高さ6mある鐘楼が断崖絶壁に建てられています。
    NHK「行く年来る年」の除夜の鐘でお馴染みの驚音楼は、「音に名高い千光寺の鐘は一里聞こえて二里響く」と詠まれ、遠くは瀬戸の島々にも聞こえたそうです。「時の鐘」として名高く、元禄元年から時刻を近郷近海に報じ、今でも毎夕6時に鐘が鳴り響き、環境庁「日本の音百選」にも選ばれています。広島県からは「平和の鐘」とこの鐘の2つが選ばれています。
    梵鐘の特徴は、表面に108個の乳がなく、梵字百字の真言と五智如来の種子を浮彫りにした珍しい曼荼羅様式です。
    この附近の情景は、文豪 志賀直哉著『暗夜行路』に「6時になると上の千光寺で刻の鐘をつく。ゴーンとなると直ぐゴーンと反響が一つ、又一つ、又一つそれが遠くから帰ってくる…」と描写されています。

  • 千光寺公園 千光寺 <br />尾道水道を見下ろす景色にロープウェイがアクセントになります。<br />このゴンドラは赤いので「さくら」です。

    千光寺公園 千光寺
    尾道水道を見下ろす景色にロープウェイがアクセントになります。
    このゴンドラは赤いので「さくら」です。

  • 千光寺公園 千光寺 梵字岩 <br />玉の岩の西側には、円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれた光明真言曼荼羅があります。この岩の前で光明真言または大日如来の真言を唱えると、罪障消滅、先祖供養になると言われています。<br />この曼荼羅図絵は、徳川綱吉の帰依僧で東京の霊雲寺開基の浄厳大和尚が当地へ留錫した際、書き遺したものと伝えられています。<br />一見、日時計かと思ってしまいますが、中心の5文字は大日如来(胎蔵界)真言が彫られています。真ん中が「ア」、その下が「ビ」、時計回りに「ラ」「ウン」「ケン」と彫られています。中心の「ア」は大日如来そのものを表すそうです。周囲の梵字は、光明真言が彫られたものです。<br />大日如来に対する祈願であり、意訳は「帰命・効験空しからざる遍照の大印、すなわち、大日如来の大光明の印よ、宝珠と蓮華と光明の大徳を有する智能よ、われ等をして菩提心に転化せしめよ」。<br />凡人にはただの模様にしか見えなかった梵字ですが、このような深い意味があったとは・・・。

    千光寺公園 千光寺 梵字岩
    玉の岩の西側には、円形の中に光明真言、大日如来真言の梵字が刻まれた光明真言曼荼羅があります。この岩の前で光明真言または大日如来の真言を唱えると、罪障消滅、先祖供養になると言われています。
    この曼荼羅図絵は、徳川綱吉の帰依僧で東京の霊雲寺開基の浄厳大和尚が当地へ留錫した際、書き遺したものと伝えられています。
    一見、日時計かと思ってしまいますが、中心の5文字は大日如来(胎蔵界)真言が彫られています。真ん中が「ア」、その下が「ビ」、時計回りに「ラ」「ウン」「ケン」と彫られています。中心の「ア」は大日如来そのものを表すそうです。周囲の梵字は、光明真言が彫られたものです。
    大日如来に対する祈願であり、意訳は「帰命・効験空しからざる遍照の大印、すなわち、大日如来の大光明の印よ、宝珠と蓮華と光明の大徳を有する智能よ、われ等をして菩提心に転化せしめよ」。
    凡人にはただの模様にしか見えなかった梵字ですが、このような深い意味があったとは・・・。

  • 千光寺公園 千光寺 玉の岩<br />「その昔、岩上に夜毎光る如意宝珠があり、尾道の町や海を照らしていた。また、岩の中にあった宝を異国人に奪われた」との伝説があります。<br />一説には中国の皇帝が噂を聞きつけて使者に盗むように命じ、盗むことには成功したものの、誤って玉の石を尾道湾に落としてしまったことから、その湾を「玉の浦」と呼ぶようになったそうです。<br />今でもこの大岩の頂に直径14cm、深さ17cmの穴があり、この穴が光を放つ宝玉があった跡だと伝えられています。この山を大宝山、寺を千光寺、港を玉の浦と言い古されたのも、その由来はこの伝説だそうです。海を照らして島を行き交う船の安全を見守ったそうですので、古代の灯台だったとも言えます。現在は岩の頂に宝玉の代わりに玉が置かれ、夜になると3色に輝くそうです。

    千光寺公園 千光寺 玉の岩
    「その昔、岩上に夜毎光る如意宝珠があり、尾道の町や海を照らしていた。また、岩の中にあった宝を異国人に奪われた」との伝説があります。
    一説には中国の皇帝が噂を聞きつけて使者に盗むように命じ、盗むことには成功したものの、誤って玉の石を尾道湾に落としてしまったことから、その湾を「玉の浦」と呼ぶようになったそうです。
    今でもこの大岩の頂に直径14cm、深さ17cmの穴があり、この穴が光を放つ宝玉があった跡だと伝えられています。この山を大宝山、寺を千光寺、港を玉の浦と言い古されたのも、その由来はこの伝説だそうです。海を照らして島を行き交う船の安全を見守ったそうですので、古代の灯台だったとも言えます。現在は岩の頂に宝玉の代わりに玉が置かれ、夜になると3色に輝くそうです。

  • 千光寺公園 千光寺 <br />目と鼻の先に隣の向島が迫る狭い海路を、荷を積んだいくつもの船が縫うように行き交っています。何時間見ていても飽きない風景です。<br />数々の文学作品や映画の舞台に登場した尾道市は、こうして坂の上から見下ろすとここで暮らす人たちの生活の匂いや瀬戸内の穏やかな潮風が漂ってくるようです。

    千光寺公園 千光寺
    目と鼻の先に隣の向島が迫る狭い海路を、荷を積んだいくつもの船が縫うように行き交っています。何時間見ていても飽きない風景です。
    数々の文学作品や映画の舞台に登場した尾道市は、こうして坂の上から見下ろすとここで暮らす人たちの生活の匂いや瀬戸内の穏やかな潮風が漂ってくるようです。

  • 千光寺公園 千光寺 本堂<br />断崖絶壁に建造された舞台造の本堂と尾道水道のツーショットです。

    千光寺公園 千光寺 本堂
    断崖絶壁に建造された舞台造の本堂と尾道水道のツーショットです。

  • 千光寺公園 千光寺 夫婦岩 <br />石鎚熊野権現社境内にあり、巨岩が仲良く寄り添っています。<br />好き合った2人がこの岩の前で愛を誓うと結ばれると伝えられています。手前が陽石、奥が陰石のようです。

    千光寺公園 千光寺 夫婦岩
    石鎚熊野権現社境内にあり、巨岩が仲良く寄り添っています。
    好き合った2人がこの岩の前で愛を誓うと結ばれると伝えられています。手前が陽石、奥が陰石のようです。

  • 千光寺公園 千光寺 夫婦岩<br />陽石には熊野権現の神使とされる烏天狗が刻まれ、岩の上には石鎚山と石の祠があります。<br />烏天狗とは、服を着て、武器を持ち、鳥の羽を持って人を襲う妖怪です。神通力も持ち、源義経の幼少時に鞍馬山で彼を襲ったという伝説があります。  <br />

    千光寺公園 千光寺 夫婦岩
    陽石には熊野権現の神使とされる烏天狗が刻まれ、岩の上には石鎚山と石の祠があります。
    烏天狗とは、服を着て、武器を持ち、鳥の羽を持って人を襲う妖怪です。神通力も持ち、源義経の幼少時に鞍馬山で彼を襲ったという伝説があります。 

  • 千光寺公園 千光寺 夫婦岩<br />千光寺の最大の見所は、千光寺山という天然の地形を活かして造られた独特の世界観です。磐座を彷彿とさせる巨岩が剥き出しになった山腹に佇み、古来の修験道などの山岳信仰を重んじる様式と相俟って独特の雰囲気が漂っています。<br />実は巨石と伝説の宝庫でもあります。鎖を使って岩の上に登る「くさり岩」が本堂の背後に控え、まさに天狗が登るような威容を魅せています。右側の立札は「女鎖」と書かれていますので、ここからは女性も登れるようです。<br />千光寺の鎮守は熊野権現と石鎚蔵王権現でもあり、大正時代から祀られてきました。しかし、ここの石鎚権現は四国ではなく、浄土寺山の鎖山にある石鎚権現の方角を向いています。千光寺を特徴付ける奇岩群でもあり、2003年から一般参拝者もお参りできるようになったそうです。

    千光寺公園 千光寺 夫婦岩
    千光寺の最大の見所は、千光寺山という天然の地形を活かして造られた独特の世界観です。磐座を彷彿とさせる巨岩が剥き出しになった山腹に佇み、古来の修験道などの山岳信仰を重んじる様式と相俟って独特の雰囲気が漂っています。
    実は巨石と伝説の宝庫でもあります。鎖を使って岩の上に登る「くさり岩」が本堂の背後に控え、まさに天狗が登るような威容を魅せています。右側の立札は「女鎖」と書かれていますので、ここからは女性も登れるようです。
    千光寺の鎮守は熊野権現と石鎚蔵王権現でもあり、大正時代から祀られてきました。しかし、ここの石鎚権現は四国ではなく、浄土寺山の鎖山にある石鎚権現の方角を向いています。千光寺を特徴付ける奇岩群でもあり、2003年から一般参拝者もお参りできるようになったそうです。

  • 千光寺公園 千光寺 三重岩(みかさねいわ)<br />こうして下から見上げると今にもころげ落ちて来そうな感覚に襲われます。<br />本堂は三重岩や鏡岩のある巨大な岩に向かって建てられていますので、磐座がご神体なのかもしれません。

    千光寺公園 千光寺 三重岩(みかさねいわ)
    こうして下から見上げると今にもころげ落ちて来そうな感覚に襲われます。
    本堂は三重岩や鏡岩のある巨大な岩に向かって建てられていますので、磐座がご神体なのかもしれません。

  • 千光寺公園 天寧寺 三重塔(重文)<br />千光寺からさらに下ると天寧寺に至ります。この辺りから、沢山の猫たちと遭遇するようになります。 <br />天寧寺は、1367年、尾道の僧 道円の発願により、足利尊氏の遺命によりその子 義詮が工事を寄進し、京都五山の普明国師を請して開山された曹洞宗の禅寺です。創建当時は東西3町の寺域を持つ大寺院でしたが、室町幕府という後ろ盾を失ったことや江戸時代の火災で塔以外の全てを焼失したことにより衰退し、現在は本堂などがある境内とそこから少し山を登ったところにある三重塔は同じ敷地内にはありません。

    千光寺公園 天寧寺 三重塔(重文)
    千光寺からさらに下ると天寧寺に至ります。この辺りから、沢山の猫たちと遭遇するようになります。
    天寧寺は、1367年、尾道の僧 道円の発願により、足利尊氏の遺命によりその子 義詮が工事を寄進し、京都五山の普明国師を請して開山された曹洞宗の禅寺です。創建当時は東西3町の寺域を持つ大寺院でしたが、室町幕府という後ろ盾を失ったことや江戸時代の火災で塔以外の全てを焼失したことにより衰退し、現在は本堂などがある境内とそこから少し山を登ったところにある三重塔は同じ敷地内にはありません。

  • 千光寺公園 天寧寺 三重塔<br />別名「海雲塔(塔婆)」と呼ばれ、その名に恥じず三重塔のバックに見える海と空は格別なものがあり、尾道を代表する景色のひとつと言えます。この塔は、尾道三古塔のひとつに数えられています。因みに、残りは浄土寺多宝塔(国宝)と西国寺三重塔です。<br />この三重塔は元々は室町時代の1388(嘉慶2)年に建立された瓦葺の五重塔でしたが、1692(元禄5)年に羅災による修復のため、壊れた上の二層を取り除いて三重塔に改修しています。そのため、どっしりした安定感のある外観になっています。もしも桧皮葺であったら、壊れることはなかったのかもしれません。惜しまれます。

    千光寺公園 天寧寺 三重塔
    別名「海雲塔(塔婆)」と呼ばれ、その名に恥じず三重塔のバックに見える海と空は格別なものがあり、尾道を代表する景色のひとつと言えます。この塔は、尾道三古塔のひとつに数えられています。因みに、残りは浄土寺多宝塔(国宝)と西国寺三重塔です。
    この三重塔は元々は室町時代の1388(嘉慶2)年に建立された瓦葺の五重塔でしたが、1692(元禄5)年に羅災による修復のため、壊れた上の二層を取り除いて三重塔に改修しています。そのため、どっしりした安定感のある外観になっています。もしも桧皮葺であったら、壊れることはなかったのかもしれません。惜しまれます。

  • 千光寺公園 天寧寺 三重塔<br />塔としては日本でも数少ない「禅宗様」で建てられた故、地元の方は「五重のままだったら間違いなく国宝」と残念がられています。禅宗では塔を重視しなかったため、禅宗様による塔の実例は江戸時代以前では希少なためです。<br />例えば、柱の下に礎石を置き、角部は丸く整形されています。この形の物は礎盤と呼ばれる禅宗様の典型です。また、柱の底は丸く面を取った「粽(ちまき)」と呼ばれる禅宗様です。層の組物は疎組で、この部分だけは禅宗様とは異なりますが、尾垂木は先細りで断面が5角形に整形されており、禅宗様の特徴が顕著です。また、屋根の垂木は全てが扇垂木(禅宗様の特徴)となっています。禅宗様では、斜めに組み入れられた尾垂木は細く削られて少し反っています。これを鎬(しのぎ)と言います。尚、初層内部には、四天柱と来迎壁があるそうです。

    千光寺公園 天寧寺 三重塔
    塔としては日本でも数少ない「禅宗様」で建てられた故、地元の方は「五重のままだったら間違いなく国宝」と残念がられています。禅宗では塔を重視しなかったため、禅宗様による塔の実例は江戸時代以前では希少なためです。
    例えば、柱の下に礎石を置き、角部は丸く整形されています。この形の物は礎盤と呼ばれる禅宗様の典型です。また、柱の底は丸く面を取った「粽(ちまき)」と呼ばれる禅宗様です。層の組物は疎組で、この部分だけは禅宗様とは異なりますが、尾垂木は先細りで断面が5角形に整形されており、禅宗様の特徴が顕著です。また、屋根の垂木は全てが扇垂木(禅宗様の特徴)となっています。禅宗様では、斜めに組み入れられた尾垂木は細く削られて少し反っています。これを鎬(しのぎ)と言います。尚、初層内部には、四天柱と来迎壁があるそうです。

  • 千光寺公園 天寧寺 三重塔<br />構造上「木造雑塔」に分類され、同じ分類の奈良にある不退寺や安楽寺の塔は初層だけを残して仏堂風に仕立てていますが、五重塔を三重塔(25m)に造り変えたのは唯一この塔だけです。初層の一辺は、5.27mもあることから、五重塔だった時には、総高35m前後あったのではないかと推定されています。

    千光寺公園 天寧寺 三重塔
    構造上「木造雑塔」に分類され、同じ分類の奈良にある不退寺や安楽寺の塔は初層だけを残して仏堂風に仕立てていますが、五重塔を三重塔(25m)に造り変えたのは唯一この塔だけです。初層の一辺は、5.27mもあることから、五重塔だった時には、総高35m前後あったのではないかと推定されています。

  • 千光寺公園 天寧寺 三重塔<br />三重塔でこの存在感ですから、五重塔だった頃の雄姿を想像すると錚々たる建造物だったことが窺えます。

    千光寺公園 天寧寺 三重塔
    三重塔でこの存在感ですから、五重塔だった頃の雄姿を想像すると錚々たる建造物だったことが窺えます。

  • 千光寺公園 千光寺<br />天寧寺から千光寺に戻ってきました。<br />ロープウェイのゴンドラは青いので「かもめ」です。

    千光寺公園 千光寺
    天寧寺から千光寺に戻ってきました。
    ロープウェイのゴンドラは青いので「かもめ」です。

  • 千光寺公園 千光寺 大山智明大権現<br />左にある小さな祠が、大山智明大権現です。<br />鳥取県にある大山寺のご本尊 地蔵菩薩の御分体がここに祀られています。<br />昔は人が亡くなるとその魂は大山に留まるという信仰があり、大山へお参りできない人はこの大仙堂に参拝したそうです。<br />ここの大山智明大権現の地蔵尊の表情はとても穏やかで、「ニコニコ地蔵」と呼ばれて親しまれているそうです。

    千光寺公園 千光寺 大山智明大権現
    左にある小さな祠が、大山智明大権現です。
    鳥取県にある大山寺のご本尊 地蔵菩薩の御分体がここに祀られています。
    昔は人が亡くなるとその魂は大山に留まるという信仰があり、大山へお参りできない人はこの大仙堂に参拝したそうです。
    ここの大山智明大権現の地蔵尊の表情はとても穏やかで、「ニコニコ地蔵」と呼ばれて親しまれているそうです。

  • 千光寺公園 千光寺  大山智明大権現<br />お願い事が書かれた小さなお地蔵さんが整然と並んでいる姿は、ほのぼのとした気分にさせてくれます。

    千光寺公園 千光寺 大山智明大権現
    お願い事が書かれた小さなお地蔵さんが整然と並んでいる姿は、ほのぼのとした気分にさせてくれます。

  • 千光寺公園 千光寺<br />こうして見ると、まさに神の磐座といった威容です。<br />信仰が集まるのも納得です。

    千光寺公園 千光寺
    こうして見ると、まさに神の磐座といった威容です。
    信仰が集まるのも納得です。

  • 千光寺公園 鼓岩(ポンポン岩)<br />大林監督の映画やNHK連続テレビ小説『てっぱん』のオープニングで登場していましたのでお馴染みかもしれません。<br />遊歩道脇にある巨大な一枚岩で、この岩を石でたたくと小気味よい鼓のような音がすることが名の由来です。地元では愛称「ポンポン岩」と呼ばれています。右側に見られる矢穴は、豊臣秀吉が岩の評判を聞きつけ、大坂城の石垣として割りかけた跡だそうです。<br />また、この岩には管茶山(かんちゃざん)が寛政5年、46歳の時に鼓岩に登った際の長詩の一節が刻まれています。広島県神辺出身の人物で、私塾「黄葉夕陽村舎(廉塾)」を開き、福山侯の知遇を得て廉塾の名は世に知られ、頼山陽自身もここで学んだそうです。<br />鳴榔 漸く遠く夕陽沈む<br />水波始めて恬にして山影深し<br />山は皆珍松奇石を雑う<br />人は龍鱗を撫で虎額を躡む<br />此の石鼕々と踏めば声有り

    千光寺公園 鼓岩(ポンポン岩)
    大林監督の映画やNHK連続テレビ小説『てっぱん』のオープニングで登場していましたのでお馴染みかもしれません。
    遊歩道脇にある巨大な一枚岩で、この岩を石でたたくと小気味よい鼓のような音がすることが名の由来です。地元では愛称「ポンポン岩」と呼ばれています。右側に見られる矢穴は、豊臣秀吉が岩の評判を聞きつけ、大坂城の石垣として割りかけた跡だそうです。
    また、この岩には管茶山(かんちゃざん)が寛政5年、46歳の時に鼓岩に登った際の長詩の一節が刻まれています。広島県神辺出身の人物で、私塾「黄葉夕陽村舎(廉塾)」を開き、福山侯の知遇を得て廉塾の名は世に知られ、頼山陽自身もここで学んだそうです。
    鳴榔 漸く遠く夕陽沈む
    水波始めて恬にして山影深し
    山は皆珍松奇石を雑う
    人は龍鱗を撫で虎額を躡む
    此の石鼕々と踏めば声有り

  • 千光寺公園 鼓岩<br />この岩にまつわる伝説があります。<br />この大岩は権現山城の姫の遊び場でした。大岩は、城から聞こえてくる姫が奏でる琴や鼓の音にうっとりと聞き惚れながら毎日を送っていました。ある日、大岩が鼓の音に合せて「ポン、ポンポン」と口ずさんでみたところ、これが姫に見つかり、「鼓岩」と名付けられました。それからは姫だけでなく殿様や家来までもがやってきて、鼓岩を打ち鳴らすようになりました。しかし、このような平和な日々は長くは続きませんでした。敵に奇襲をかけられ、殿様は奥方や姫たちを逃がすと自害して果てました。城から脱出した姫たちは、暗闇の中をどうにか鼓岩に辿り着き、そこから振り返ると城から赤い炎が空高く燃え上がっていました。追手から逃れるため、姫たちは泣く泣く足を引きずりながら麓まで下りて行きました。鼓岩は、可愛がってくれた姫たちが落ち延びる姿を見て、胸がはちきれそうになりました。そして今でも姫のことを思い出すと心が痛み、石で打てば「ポン、ポンポン」と優しい音を返してくれるそうです。それは、姫たちの冥福を祈る響に違いない、というお話です。

    千光寺公園 鼓岩
    この岩にまつわる伝説があります。
    この大岩は権現山城の姫の遊び場でした。大岩は、城から聞こえてくる姫が奏でる琴や鼓の音にうっとりと聞き惚れながら毎日を送っていました。ある日、大岩が鼓の音に合せて「ポン、ポンポン」と口ずさんでみたところ、これが姫に見つかり、「鼓岩」と名付けられました。それからは姫だけでなく殿様や家来までもがやってきて、鼓岩を打ち鳴らすようになりました。しかし、このような平和な日々は長くは続きませんでした。敵に奇襲をかけられ、殿様は奥方や姫たちを逃がすと自害して果てました。城から脱出した姫たちは、暗闇の中をどうにか鼓岩に辿り着き、そこから振り返ると城から赤い炎が空高く燃え上がっていました。追手から逃れるため、姫たちは泣く泣く足を引きずりながら麓まで下りて行きました。鼓岩は、可愛がってくれた姫たちが落ち延びる姿を見て、胸がはちきれそうになりました。そして今でも姫のことを思い出すと心が痛み、石で打てば「ポン、ポンポン」と優しい音を返してくれるそうです。それは、姫たちの冥福を祈る響に違いない、というお話です。

  • 千光寺公園 鼓岩<br />ポンポン岩から眺める尾道水道です。<br />斜陽に滲む風景が、まだ来ぬ春を待ちこがれているようです。<br />瀬戸内海は、幕末に来日した多くの地理学者たちが「世界一美しい」と絶賛したそうです。無数の島々が織りなすこの美しい景観は、「東洋のエーゲ海」と称されていました。

    千光寺公園 鼓岩
    ポンポン岩から眺める尾道水道です。
    斜陽に滲む風景が、まだ来ぬ春を待ちこがれているようです。
    瀬戸内海は、幕末に来日した多くの地理学者たちが「世界一美しい」と絶賛したそうです。無数の島々が織りなすこの美しい景観は、「東洋のエーゲ海」と称されていました。

  • 千光寺公園 鼓岩<br />水墨画のように山々が幾重にも重なり、やがてフェードアウトしていきます。<br />遠い四国連山の山々もこの中にあるのでしょうか…。

    千光寺公園 鼓岩
    水墨画のように山々が幾重にも重なり、やがてフェードアウトしていきます。
    遠い四国連山の山々もこの中にあるのでしょうか…。

  • 千光寺公園 岩割の松<br />樹齢数百年と推される巨大な松が、その根で数トンもあるような岩を割り砕き、寿命を全うして朽ち果てています。朽ちてはいますが、今でもその姿には力強い生命力が漲っているように感じられます。<br /><br />下村胡人著『次郎物語』に、この岩割の松を引用した件があります。「何百年か昔、高さ3mの岩があって、その小さな割れ目に1粒の種が落ちて芽を出した。やがてその芽は成長し、1m、2mの高さとなり、根はじわじわと岩を割り、大地にその根を張る亭々たる松の木になった」。<br />岩の割れ目に落ちた松の種は、不幸だったかもしれません。もがいても根が土に届かないのを哀れと見ることもできます。しかし、この松はついに岩を割り、根を大地に届かせました。そして天空に向かってすくすくと伸びていったのです。松が生長するには最悪な環境にありながら見事に寿命を全うしたこの松の木には、「育つ環境の善し悪しではなく、その中でどのように生きるべきか」を考えさせられます。うまくいかないことや辛いことを他責にし、精一杯努力しないのは悲しいことです。「やればできる。何かできることはないか」と前向きに建設的に考える方が素晴らしいはずです。つまるところ、「自分の人生は自ら切り開く」に帰着します。

    千光寺公園 岩割の松
    樹齢数百年と推される巨大な松が、その根で数トンもあるような岩を割り砕き、寿命を全うして朽ち果てています。朽ちてはいますが、今でもその姿には力強い生命力が漲っているように感じられます。

    下村胡人著『次郎物語』に、この岩割の松を引用した件があります。「何百年か昔、高さ3mの岩があって、その小さな割れ目に1粒の種が落ちて芽を出した。やがてその芽は成長し、1m、2mの高さとなり、根はじわじわと岩を割り、大地にその根を張る亭々たる松の木になった」。
    岩の割れ目に落ちた松の種は、不幸だったかもしれません。もがいても根が土に届かないのを哀れと見ることもできます。しかし、この松はついに岩を割り、根を大地に届かせました。そして天空に向かってすくすくと伸びていったのです。松が生長するには最悪な環境にありながら見事に寿命を全うしたこの松の木には、「育つ環境の善し悪しではなく、その中でどのように生きるべきか」を考えさせられます。うまくいかないことや辛いことを他責にし、精一杯努力しないのは悲しいことです。「やればできる。何かできることはないか」と前向きに建設的に考える方が素晴らしいはずです。つまるところ、「自分の人生は自ら切り開く」に帰着します。

  • 千光寺公園 <br />この一画だけ桜が満開状態です。<br />おそらく、寒緋桜の一種ではないかと思います。<br />添乗員さんによると、桜の季節には車が数珠繋ぎになり、駐車場も限られているので身動きが取れなくなるようです。ロープウェイも混雑を極めるため、結局、歩いて登るのが一番だそうです。<br />体力づくりに励みましょう!

    千光寺公園
    この一画だけ桜が満開状態です。
    おそらく、寒緋桜の一種ではないかと思います。
    添乗員さんによると、桜の季節には車が数珠繋ぎになり、駐車場も限られているので身動きが取れなくなるようです。ロープウェイも混雑を極めるため、結局、歩いて登るのが一番だそうです。
    体力づくりに励みましょう!

  • 千光寺公園 尾道市立美術館<br />尾道ゆかりの小林和作氏や平田玉蘊氏らの作品が展示されています。<br />裏にある本瓦葺の屋根の建物が本館で、その前にあるガラス張りの新館は、2020年の東京五輪のメインスタジアムのデザインコンペで世間に醜態を晒してしまった安藤忠雄氏の設計になります。新館のコンセプトは「本物の芸術と文化を提供し、新たな感動の中で歴史を見据えながら、未来へと羽ばたく豊かな夢と明るい希望を世界へ発信して、地域社会に貢献する本格派の美術館」だそうです。コンセプトに忠実にデザインされたようで、古風で味のある寄棟、瓦葺の本館とは対照的な無機質な打ちっぱなしのコンクリートをガラスで被った直線的なモダンな新館となっています。違和感のないように安藤氏にしては珍しく、屋根を日本的なものにしているのがご愛嬌です。<br /><br />こちらにも彫刻家 西岡良和さんのテラコッタ作品「猫館長」が就任しています。名前は「おのみちこ」。受付で来館者を出迎え、人気者となっています。2歳の雌で、千光寺山ロープウェイ山頂駅の猫駅長の「恋会門」を慕っているという設定だそうです。さてさて三角関係の行方は…。最近のワイドショーを見ているような感じですね!

    千光寺公園 尾道市立美術館
    尾道ゆかりの小林和作氏や平田玉蘊氏らの作品が展示されています。
    裏にある本瓦葺の屋根の建物が本館で、その前にあるガラス張りの新館は、2020年の東京五輪のメインスタジアムのデザインコンペで世間に醜態を晒してしまった安藤忠雄氏の設計になります。新館のコンセプトは「本物の芸術と文化を提供し、新たな感動の中で歴史を見据えながら、未来へと羽ばたく豊かな夢と明るい希望を世界へ発信して、地域社会に貢献する本格派の美術館」だそうです。コンセプトに忠実にデザインされたようで、古風で味のある寄棟、瓦葺の本館とは対照的な無機質な打ちっぱなしのコンクリートをガラスで被った直線的なモダンな新館となっています。違和感のないように安藤氏にしては珍しく、屋根を日本的なものにしているのがご愛嬌です。

    こちらにも彫刻家 西岡良和さんのテラコッタ作品「猫館長」が就任しています。名前は「おのみちこ」。受付で来館者を出迎え、人気者となっています。2歳の雌で、千光寺山ロープウェイ山頂駅の猫駅長の「恋会門」を慕っているという設定だそうです。さてさて三角関係の行方は…。最近のワイドショーを見ているような感じですね!

  • 千光寺公園 <br />瀬戸内海にひとつ、また一つと浮かぶ小島は、「多島美(たとうび)」と称され、古くから愛されてきました。<br />こうした多島美を見渡す景観には日本人の琴線をくすぐるものがあり、どこか惹かれるものがあります。

    千光寺公園
    瀬戸内海にひとつ、また一つと浮かぶ小島は、「多島美(たとうび)」と称され、古くから愛されてきました。
    こうした多島美を見渡す景観には日本人の琴線をくすぐるものがあり、どこか惹かれるものがあります。

  • 福山 ねぎ房&#39;Z<br />千光寺公園にある駐車場からバスに乗車し、JR福山駅に到着しました。(復路はロープウェイを使いません。)<br />福山駅で一旦解散し、40分後に再集合です。<br />事前にチェックしておいた「広島焼き」のお店「ねぎ房’Z」へ向かいます。<br />改札口から3分程の距離です。<br />店内には色紙が飾られ、「流星ワゴン 健太」とあります。健太役の高木星来くんが来店した時のもののようです。でもお店の雰囲気は、BGMでダウンタウンブギウギバンドの「スモーキンブギ」がかかるなど、めちゃくちゃ昭和な世界でした。<br />土曜日でしたが、18時を過ぎると地元のカップルが次々に来店し、瞬く間に満席状態になりました。しかし、客層とBGMとのギャップには吃驚ポンです!<br /><br />ホットペッパーのクーポンです。一品トッピングを追加できます。<br />http://www.hotpepper.jp/strJ000529475/map/

    福山 ねぎ房'Z
    千光寺公園にある駐車場からバスに乗車し、JR福山駅に到着しました。(復路はロープウェイを使いません。)
    福山駅で一旦解散し、40分後に再集合です。
    事前にチェックしておいた「広島焼き」のお店「ねぎ房’Z」へ向かいます。
    改札口から3分程の距離です。
    店内には色紙が飾られ、「流星ワゴン 健太」とあります。健太役の高木星来くんが来店した時のもののようです。でもお店の雰囲気は、BGMでダウンタウンブギウギバンドの「スモーキンブギ」がかかるなど、めちゃくちゃ昭和な世界でした。
    土曜日でしたが、18時を過ぎると地元のカップルが次々に来店し、瞬く間に満席状態になりました。しかし、客層とBGMとのギャップには吃驚ポンです!

    ホットペッパーのクーポンです。一品トッピングを追加できます。
    http://www.hotpepper.jp/strJ000529475/map/

  • 福山 ねぎ房&#39;Z<br />オーダーしたのは、豚肉/イカ天/チーズ/エビ/玉子/半そば入りの「ミニデラックス」です。女性に大人気とありますが、サイズはごく普通で、おもちをトッピングしてもらったのでお腹いっぱいになりました。<br />キャベツの甘さが感じられる、いい火の通り具合です。ソースはおたふくソース。マヨネーズは一声かけると業務用の巨大なものがでてきます。でも口元は細いので心配無用です。<br />何故か箸袋が「くまもん」です!

    福山 ねぎ房'Z
    オーダーしたのは、豚肉/イカ天/チーズ/エビ/玉子/半そば入りの「ミニデラックス」です。女性に大人気とありますが、サイズはごく普通で、おもちをトッピングしてもらったのでお腹いっぱいになりました。
    キャベツの甘さが感じられる、いい火の通り具合です。ソースはおたふくソース。マヨネーズは一声かけると業務用の巨大なものがでてきます。でも口元は細いので心配無用です。
    何故か箸袋が「くまもん」です!

  • 福山 ねぎ房&#39;Z<br />中身が判るように割ってみましたが、結局、よく判りませんね!<br />お腹も膨れ、帰路の「こだま」では爆睡できました。<br />しかし、福山から新大阪まで「こだま」を利用して2時間以上費やすのはどうなのでしょう…。10分以上にも及ぶ通過待ちが数回あるのにはうんざりです。「のぞみ」を優先させるための、ある意味犠牲なのでしょうが、海外からの観光客はどう思われているのか興味のあるところです。<br /><br />最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

    福山 ねぎ房'Z
    中身が判るように割ってみましたが、結局、よく判りませんね!
    お腹も膨れ、帰路の「こだま」では爆睡できました。
    しかし、福山から新大阪まで「こだま」を利用して2時間以上費やすのはどうなのでしょう…。10分以上にも及ぶ通過待ちが数回あるのにはうんざりです。「のぞみ」を優先させるための、ある意味犠牲なのでしょうが、海外からの観光客はどう思われているのか興味のあるところです。

    最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。恥も外聞もなく、備忘録も兼ねて徒然に旅行記を認めてしまいました。当方の経験や情報が皆さんの旅行の参考になれば幸甚です。どこか見知らぬ旅先で、見知らぬ貴方とすれ違えることに心ときめかせております。

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