2016/03/15 - 2016/03/15
492位(同エリア842件中)
山帽子さん
水戸偕楽園は天保13(1842)年に、水戸藩第9代藩主斉昭が造園した。園内には約100品種、3000本の梅が植えられているという。園内にある好文亭は斉昭により休憩所として建てられたもので、3階の楽寿楼からの眺望は素晴らしい。今回はこの好文亭についてまとめた。写真は楽寿楼から眺めである。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
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偕楽園の庭園。前方の木立の中に見えるのが好文亭。
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好文亭。斉昭自らが設計した木造2層3階建て。文人墨客や家臣、領内の人々を集めて、詩歌の会や慰労会を催したといわれる。昭和20年の空襲で焼失したが、昭和30年から3年かけて復元された。
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好文亭に向かう。
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好文亭内の庭に咲く梅と寒緋桜。
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好文亭内の菊の間。厨として、来客などへの食事の準備に使われたという。
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やはり厨として使われた桃の間。
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好文亭。
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松の間。藩主の奥方など高貴な方の座所。
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紅葉の間。松の間の次の間。
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好文亭。
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竹の間。梅の間、清の間とともに、明治2年に増築された奥殿。明治2年から6年にかけて、斉昭夫人が住まいしたといわれる。
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好文亭。
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好文亭。
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好文亭。
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つつじの間。藩主の奥方が訪れた時のお供の女中などの、詰所として使われたという。。
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萩の間。つつじの間と同様、奥方の付き人の詰所。
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桜の間。つつじの間、萩の間と同じく、奥方付き人の詰所。
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好文亭の庭園。
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好文亭。
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好文亭の庭園。
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好文亭の庭園。奥に見えるのは茶室。
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狭く急な階段を3階に上る。3階は特に楽寿楼と呼ばれる。
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楽寿楼の正室。ここからの眺めが特に良いという。
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3階の御座の間の網代戸。御座の間は藩主が用務をとった部屋。網代戸は、竹のアジロ網の中に紗を張って、網代戸を通して左右の間が見えるようにしている。
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楽寿楼からの眺め。
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楽寿楼からの眺め。
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楽寿楼からの眺め。
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待合。
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待合の内部。
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中の門から偕楽園の孟宗竹林へ進む。
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孟宗竹林。
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孟宗竹林。
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一の木戸。
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表門。
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梅が見ごろを迎えた偕楽園。
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