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今年の春はなんだか頭が重い。<br />季節の変わり目だから…と云われてしまえば、そうかも…と思えてくるが、原因はソコではない。<br /><br />頭が重い原因は、アレルギー症状。<br />ここ何年かは軽症化していた花粉アレルギーが、今年はどうしたことか片頭痛の様なチリチリする頭痛として表面化してきている。<br />くしゃみ・鼻水・目のかゆみは我慢できるが、頭が痛いのだけは手の打ちようがない。<br />朝起きた瞬間に始まり、仕事をしている時も家事をしている時も、絶え間なく頭の中に居座る痛み。<br /><br />久しぶりに参った。<br />頭の痛みは私から気力を奪い、何もする気が起きない。<br /><br />でも、こんな時こそ気分転換が必要。<br /><br />花粉の少なそうな湿度のある日に、魔術師の左手が作り上げた世界へと出かけてみた。

左手が紡ぐ 春の両国さんぽ【Da Vinci, 江戸博】

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2016/03/06 - 2016/03/06

26位(同エリア758件中)

旅行記グループ ミステリーを解く

5

35

ウェンディ

ウェンディさん

今年の春はなんだか頭が重い。
季節の変わり目だから…と云われてしまえば、そうかも…と思えてくるが、原因はソコではない。

頭が重い原因は、アレルギー症状。
ここ何年かは軽症化していた花粉アレルギーが、今年はどうしたことか片頭痛の様なチリチリする頭痛として表面化してきている。
くしゃみ・鼻水・目のかゆみは我慢できるが、頭が痛いのだけは手の打ちようがない。
朝起きた瞬間に始まり、仕事をしている時も家事をしている時も、絶え間なく頭の中に居座る痛み。

久しぶりに参った。
頭の痛みは私から気力を奪い、何もする気が起きない。

でも、こんな時こそ気分転換が必要。

花粉の少なそうな湿度のある日に、魔術師の左手が作り上げた世界へと出かけてみた。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
交通
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 春散歩へと足を向けた場所は、初めて向かう場所である両国。<br />両国と言えば相撲で有名な場所だが、電車で駅を通過することはあってもその地に降り立ったことはなかった。<br /><br />両国駅へ降り立つと、そこはもうThe相撲!な香りが漂う場所。<br />すぐ脇を流れる隅田川の橋の欄干もお相撲さんの透かし模様だった。<br />

    春散歩へと足を向けた場所は、初めて向かう場所である両国。
    両国と言えば相撲で有名な場所だが、電車で駅を通過することはあってもその地に降り立ったことはなかった。

    両国駅へ降り立つと、そこはもうThe相撲!な香りが漂う場所。
    すぐ脇を流れる隅田川の橋の欄干もお相撲さんの透かし模様だった。

    蔵前橋 名所・史跡

  • この日のお出かけに両国を選んだ理由。<br /><br />それは、江戸東京博物館へと行きたかったから。<br />江戸博では4/10まで特別展【レオナルド・ダ・ヴィンチ-天才の挑戦】を開催していて、その展覧会を覗いてみたかったのだ。<br /><br />ダ・ヴィンチと言えば有名なのはモナリザや最後の晩餐の絵画で、最後の晩餐は芸術作品そして謎解きの絵(ダン・ブラウンの小説のダ・ヴィンチ・コードで一躍有名に…)としてその名を知られている。<br />

    この日のお出かけに両国を選んだ理由。

    それは、江戸東京博物館へと行きたかったから。
    江戸博では4/10まで特別展【レオナルド・ダ・ヴィンチ-天才の挑戦】を開催していて、その展覧会を覗いてみたかったのだ。

    ダ・ヴィンチと言えば有名なのはモナリザや最後の晩餐の絵画で、最後の晩餐は芸術作品そして謎解きの絵(ダン・ブラウンの小説のダ・ヴィンチ・コードで一躍有名に…)としてその名を知られている。

  • <br />今回の展覧会では、上記の有名な絵画が来ている…訳ではない。<br />それどころか、毎年、日本のどこかで開催されている様々なダ・ヴィンチ展の中では、今回の展覧会はもしかすると芸術的意味での展示物はショボイ(と言ったら主催側に怒られそうだが)ものかもしれない。<br /><br />この特別展の一番の目玉は、ダ・ヴィンチが描いた絵画である【糸巻きの聖母】だ。<br />この絵が、イギリスから国外へ持ち出されるのは77年ぶりで、勿論、日本初公開だと云う。<br /><br />この日も【糸巻きの聖母】の絵は一番人気で、開館30分後には絵を見るための人が長蛇の列を作っていた。<br />私はそんなことも有ろうかと、開館30分前の9時にチケット購入の列に並び、チケットを手にした後は、わき目もふらずに会場の最深部にある【糸巻きの聖母】の元へと向かった。<br /><br />それでも絵を見るために10分程度並ぶ必要はあったが、せかされることなく、ゆっくり・じっくりと絵の鑑賞が出来た。<br /><br />


    今回の展覧会では、上記の有名な絵画が来ている…訳ではない。
    それどころか、毎年、日本のどこかで開催されている様々なダ・ヴィンチ展の中では、今回の展覧会はもしかすると芸術的意味での展示物はショボイ(と言ったら主催側に怒られそうだが)ものかもしれない。

    この特別展の一番の目玉は、ダ・ヴィンチが描いた絵画である【糸巻きの聖母】だ。
    この絵が、イギリスから国外へ持ち出されるのは77年ぶりで、勿論、日本初公開だと云う。

    この日も【糸巻きの聖母】の絵は一番人気で、開館30分後には絵を見るための人が長蛇の列を作っていた。
    私はそんなことも有ろうかと、開館30分前の9時にチケット購入の列に並び、チケットを手にした後は、わき目もふらずに会場の最深部にある【糸巻きの聖母】の元へと向かった。

    それでも絵を見るために10分程度並ぶ必要はあったが、せかされることなく、ゆっくり・じっくりと絵の鑑賞が出来た。

  • 絵画【糸巻きの聖母】が大人気な理由。<br />それは、モナリザで使われている ぼかし技法 という描き方をダ・ヴィンチが最初に試したが、この聖母マリアの絵だから。<br />マリアの首の部分に、ぼかし技法が使われている。<br /><br />そして、幼児として描かれているキリストの持つ糸巻き棒。<br />八端十字架の形をした糸巻き棒が紡ぐものは人間の運命であり、後にキリストが磔刑に掛けられる聖十字架の形をも暗示している。<br />また、糸巻き棒に掛けられたキリストの指先は上を差し、その視線も天を見上げている。<br />それは、天上界には神の世界があることを指しているらしい。<br /><br />さらに、絵の中にはダ・ヴィンチのコダワリ嗜好を表している部分もある。<br />何事にも正確さを愛するダ・ヴィンチが死体解剖を通して人間の筋肉の動きや骨格などをデッサンして勉強していた話は有名だが、彼のコダワリは人間の動きだけではなかった。<br />絵の中の幼子キリストがもたれかかる岩の部分にもダ・ヴィンチならではのコダワリがあり、イタリアの地層を実際に観察し、正確にその様子を描きこんでいるという事だ。<br />自然科学者としてのダ・ヴィンチの几帳面さが良く表れている。<br /><br />絵に関して言及すれば、もう一つ興味深い部分があった。<br />それは、聖母マリアの右肩の位置。<br />正確さを重んじるダ・ヴィンチにしては、奥にある右肩幅が小さすぎ、その右手は右肩に対して大きすぎる様にも見えないだろうか。<br />これに関しては会場でも説明が無く不思議だったのだが、帰宅後に調べてみてその理由が分かった。<br />実は、これもダ・ヴィンチのマジックの一つで、キリストの存在感が大きく見える様に幼子を中心に遠近法をデフォルメしているそうだ。<br />

    絵画【糸巻きの聖母】が大人気な理由。
    それは、モナリザで使われている ぼかし技法 という描き方をダ・ヴィンチが最初に試したが、この聖母マリアの絵だから。
    マリアの首の部分に、ぼかし技法が使われている。

    そして、幼児として描かれているキリストの持つ糸巻き棒。
    八端十字架の形をした糸巻き棒が紡ぐものは人間の運命であり、後にキリストが磔刑に掛けられる聖十字架の形をも暗示している。
    また、糸巻き棒に掛けられたキリストの指先は上を差し、その視線も天を見上げている。
    それは、天上界には神の世界があることを指しているらしい。

    さらに、絵の中にはダ・ヴィンチのコダワリ嗜好を表している部分もある。
    何事にも正確さを愛するダ・ヴィンチが死体解剖を通して人間の筋肉の動きや骨格などをデッサンして勉強していた話は有名だが、彼のコダワリは人間の動きだけではなかった。
    絵の中の幼子キリストがもたれかかる岩の部分にもダ・ヴィンチならではのコダワリがあり、イタリアの地層を実際に観察し、正確にその様子を描きこんでいるという事だ。
    自然科学者としてのダ・ヴィンチの几帳面さが良く表れている。

    絵に関して言及すれば、もう一つ興味深い部分があった。
    それは、聖母マリアの右肩の位置。
    正確さを重んじるダ・ヴィンチにしては、奥にある右肩幅が小さすぎ、その右手は右肩に対して大きすぎる様にも見えないだろうか。
    これに関しては会場でも説明が無く不思議だったのだが、帰宅後に調べてみてその理由が分かった。
    実は、これもダ・ヴィンチのマジックの一つで、キリストの存在感が大きく見える様に幼子を中心に遠近法をデフォルメしているそうだ。

  • この展覧会で日本へと運ばれた物は、絵画だけではない。<br />ダ・ヴィンチが様々な構想を練る時に使っていたメモ帳(ノート)も海を渡ってきている。<br />このノートは、【鳥の飛翔に関する手稿】と呼ばれるもので、その全てがイタリア語で書かれている。<br /><br />【鳥の飛翔に関する手稿】も日本初公開で、ダ・ヴィンチの直筆として非常に価値のあるものだ。<br />その内容は、イタリア語が読めない私には全く理解できない…のだが、多分、イタリア語が出来る方にも、このダ・ヴィンチ・ノートの解読は難しいだろう。<br /><br />ダ・ヴィンチが書いていた文字、この文字はイタリア語の鏡文字になっている。<br />彼が普段使っていたのは鏡文字と呼ばれる、左右が逆転したアルファベット。<br />子供のころ、学校に行かずに独学で様々な学問を学んだと云われるダ・ヴィンチ。<br />本を読み、自然の中で学び、そして鏡文字という不思議なスタイルの文字を確立した。<br />

    この展覧会で日本へと運ばれた物は、絵画だけではない。
    ダ・ヴィンチが様々な構想を練る時に使っていたメモ帳(ノート)も海を渡ってきている。
    このノートは、【鳥の飛翔に関する手稿】と呼ばれるもので、その全てがイタリア語で書かれている。

    【鳥の飛翔に関する手稿】も日本初公開で、ダ・ヴィンチの直筆として非常に価値のあるものだ。
    その内容は、イタリア語が読めない私には全く理解できない…のだが、多分、イタリア語が出来る方にも、このダ・ヴィンチ・ノートの解読は難しいだろう。

    ダ・ヴィンチが書いていた文字、この文字はイタリア語の鏡文字になっている。
    彼が普段使っていたのは鏡文字と呼ばれる、左右が逆転したアルファベット。
    子供のころ、学校に行かずに独学で様々な学問を学んだと云われるダ・ヴィンチ。
    本を読み、自然の中で学び、そして鏡文字という不思議なスタイルの文字を確立した。

  • ダ・ヴィンチが鏡文字を使っていた理由は、研究メモを他人が簡単に読むことが出来ない様にするためのセキュリティ策である…とか、ダ・ヴィンチが左利きであったため鏡文字が書きやすかった…と云うのが建前の理由なのだが、実はダ・ヴィンチは正常な向きのアルファベットを書くことが非常に苦手だった…という説もある。<br /><br />そして、ダ・ヴィンチのノートの中には重要な研究に加えて、あちこちに落書きが描かれている。<br /><br />イタリア語の鏡文字の背後に描かれた落書き、コレは非常に有名な絵の下絵だ。

    ダ・ヴィンチが鏡文字を使っていた理由は、研究メモを他人が簡単に読むことが出来ない様にするためのセキュリティ策である…とか、ダ・ヴィンチが左利きであったため鏡文字が書きやすかった…と云うのが建前の理由なのだが、実はダ・ヴィンチは正常な向きのアルファベットを書くことが非常に苦手だった…という説もある。

    そして、ダ・ヴィンチのノートの中には重要な研究に加えて、あちこちに落書きが描かれている。

    イタリア語の鏡文字の背後に描かれた落書き、コレは非常に有名な絵の下絵だ。

  • ノートに落書きの様に書かれた絵は、後にダ・ヴィンチの自画像として知られる白髪の自画像の練習ではないか…と云われている。

    ノートに落書きの様に書かれた絵は、後にダ・ヴィンチの自画像として知られる白髪の自画像の練習ではないか…と云われている。

  • 『今回の展覧会の中での目玉は【糸巻きの聖母】と手稿だけで、その他はつまらないものが多い…。』<br />行く前に見た展覧会のレビューには、★★的に評されているレビューが何件かあった。<br /><br />確かに芸術作品・絵画作品という点に着目して展覧会を眺めてしまえばそんな風にも感じるのかもしれない。<br /><br />しかし、芸術的には疑問符が付く展示物でも、今回の展示は見方を変えればかなり面白いのではないかと私は考えていた。<br />その理由の一つは、レオナルデスキと呼ばれる画家たちの絵を纏めた展示。<br /><br />レオナルデスキ(日本語風に書くと、レオナルド☆好き♪ みたいな感じ)とはレオナルド派とも呼ばれるダ・ヴィンチの絵画に影響を受けたダ・ヴィンチ大好きオジサン達の集まりで、ダ・ヴィンチの絵を模写したり、構図を真似て描いたりしていた画家さんの事を指す。<br /><br />そんなレオナルデスキの絵が今回の展覧会では何点か来ていて、本物のダ・ヴィンチの絵(もしくは写真)と比較して眺めることができる。<br /><br />上述した【糸巻きの聖母】のレオナルデスキ版の作品も何点か展示があったのだが、見ていて面白かったのが、写真の【洗礼者ヨハネ】シリーズの絵。<br />ダ・ヴィンチが描く洗礼者ヨハネは、中性的な顔立ちで右手には十字架を持ち、その指先は天を指している(糸巻きの聖母のキリストと同じモチーフの十字架(糸巻き)と指の形だ)。

    『今回の展覧会の中での目玉は【糸巻きの聖母】と手稿だけで、その他はつまらないものが多い…。』
    行く前に見た展覧会のレビューには、★★的に評されているレビューが何件かあった。

    確かに芸術作品・絵画作品という点に着目して展覧会を眺めてしまえばそんな風にも感じるのかもしれない。

    しかし、芸術的には疑問符が付く展示物でも、今回の展示は見方を変えればかなり面白いのではないかと私は考えていた。
    その理由の一つは、レオナルデスキと呼ばれる画家たちの絵を纏めた展示。

    レオナルデスキ(日本語風に書くと、レオナルド☆好き♪ みたいな感じ)とはレオナルド派とも呼ばれるダ・ヴィンチの絵画に影響を受けたダ・ヴィンチ大好きオジサン達の集まりで、ダ・ヴィンチの絵を模写したり、構図を真似て描いたりしていた画家さんの事を指す。

    そんなレオナルデスキの絵が今回の展覧会では何点か来ていて、本物のダ・ヴィンチの絵(もしくは写真)と比較して眺めることができる。

    上述した【糸巻きの聖母】のレオナルデスキ版の作品も何点か展示があったのだが、見ていて面白かったのが、写真の【洗礼者ヨハネ】シリーズの絵。
    ダ・ヴィンチが描く洗礼者ヨハネは、中性的な顔立ちで右手には十字架を持ち、その指先は天を指している(糸巻きの聖母のキリストと同じモチーフの十字架(糸巻き)と指の形だ)。

  • レオナルデスキの方々が描く同じモチーフの洗礼者ヨハネは、画家によりその描き方もバラエティ豊かで、ダ・ヴィンチの元絵と比較しながら見て歩くのが楽しかった。<br /><br />ダ・ヴィンチの絵を精巧に真似ている物も有れば、この写真のヨハネさんの様なのもある。<br />この絵のヨハネは、纏っている毛皮が粗末な毛皮から派手な豹柄へと変わり、更に天を指す手の位置が変えられている。<br />その体だって、筋肉が強調され、ダ・ヴィンチの元絵にあった中性的な要素は感じられなくなっている。<br /><br />髪の毛も巻きが強くなり、バブル時代の頃のお姉さんたちの様な感じで、若いお姉さん的な印象のあったダ・ヴィンチのヨハネは、レオナルデスキの絵画では大阪のおばちゃん風ヨハネになってしまっていた。<br /><br />今回の展覧会には来ていないが、背景が黒色から春の景色に変わっている同モチーフのヨハネの絵も有るそうで、レオナルデスキの描く絵は、ダ・ヴィンチの後の世相を反映していたりで、私的にはかなり楽しむことが出来た。<br /><br />ダ・ヴィンチ展自体は、並ぶのは【糸巻きの聖母】の見学だけで、その他はそれなりにゆっくりと見れ、約2時間、タップリとダ・ヴィンチの世界に浸ることが出来た。

    レオナルデスキの方々が描く同じモチーフの洗礼者ヨハネは、画家によりその描き方もバラエティ豊かで、ダ・ヴィンチの元絵と比較しながら見て歩くのが楽しかった。

    ダ・ヴィンチの絵を精巧に真似ている物も有れば、この写真のヨハネさんの様なのもある。
    この絵のヨハネは、纏っている毛皮が粗末な毛皮から派手な豹柄へと変わり、更に天を指す手の位置が変えられている。
    その体だって、筋肉が強調され、ダ・ヴィンチの元絵にあった中性的な要素は感じられなくなっている。

    髪の毛も巻きが強くなり、バブル時代の頃のお姉さんたちの様な感じで、若いお姉さん的な印象のあったダ・ヴィンチのヨハネは、レオナルデスキの絵画では大阪のおばちゃん風ヨハネになってしまっていた。

    今回の展覧会には来ていないが、背景が黒色から春の景色に変わっている同モチーフのヨハネの絵も有るそうで、レオナルデスキの描く絵は、ダ・ヴィンチの後の世相を反映していたりで、私的にはかなり楽しむことが出来た。

    ダ・ヴィンチ展自体は、並ぶのは【糸巻きの聖母】の見学だけで、その他はそれなりにゆっくりと見れ、約2時間、タップリとダ・ヴィンチの世界に浸ることが出来た。

  • ダ・ヴィンチ展を見た後は、そのままエレベーターで江戸博の6階へと向かう。<br />江戸東京博物館は7階建ての建物だが、実際に博物館としての展示があるのは5階と6階の部分だけだ。<br />…と書くと、展示物が少なそうに感じるかもしれないが、実際は、展示スペースも広く、展示内容もかなり充実しているので、展示階が2階分しかなくても、ちょっと熱中したら数時間位はあっという間に時間が経過してしまう場所だ。<br /><br />江戸博物へ来るのは初めてなので、常設展の展示も見学することにする(チケット代:常設展+特別展:1640円)。<br /><br />常設展の見所は江戸(寛永時代)の町をミニチュアで再現したジオラマ。<br /><br />ジオラマは全部で3つに分かれて構成されていて、その人形の数は1500体を超えるとか…。<br /><br />

    ダ・ヴィンチ展を見た後は、そのままエレベーターで江戸博の6階へと向かう。
    江戸東京博物館は7階建ての建物だが、実際に博物館としての展示があるのは5階と6階の部分だけだ。
    …と書くと、展示物が少なそうに感じるかもしれないが、実際は、展示スペースも広く、展示内容もかなり充実しているので、展示階が2階分しかなくても、ちょっと熱中したら数時間位はあっという間に時間が経過してしまう場所だ。

    江戸博物へ来るのは初めてなので、常設展の展示も見学することにする(チケット代:常設展+特別展:1640円)。

    常設展の見所は江戸(寛永時代)の町をミニチュアで再現したジオラマ。

    ジオラマは全部で3つに分かれて構成されていて、その人形の数は1500体を超えるとか…。

  • 自分の目では細かい表情までは分からない小さなお人形さん達。<br />もっとよく見たい〜と思う方向けには、ちゃんと双眼鏡が準備されていて、双眼鏡で覗く江戸の世界がまた、不思議な感覚。<br /><br />ジオラマだと分かっているのに、鳥になって空から江戸の町をながめているというか、ドローンで空撮した昔の江戸を見ている感じになれる。<br /><br />

    イチオシ

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    自分の目では細かい表情までは分からない小さなお人形さん達。
    もっとよく見たい〜と思う方向けには、ちゃんと双眼鏡が準備されていて、双眼鏡で覗く江戸の世界がまた、不思議な感覚。

    ジオラマだと分かっているのに、鳥になって空から江戸の町をながめているというか、ドローンで空撮した昔の江戸を見ている感じになれる。

    江戸東京博物館 美術館・博物館

    じっくり見るならば半日以上を準備して by ウェンディさん
  • 私がちょっと感動したのは、江戸時代の両国の風景を表したジオラマ。<br /><br />実は、私は畠中 恵さんが書く江戸時代ものの小説が結構好きなのだが、その中に良く出てくる江戸の最大の歓楽街・両国の様々な描写。<br />見世物小屋や船宿、水茶屋…等の単語。<br />そのイメージは何となくあるのだが、私の中にあったのはTVの時代劇で出てくるような木造の建物。<br /><br />でも、実際の両国はこんな感じだったんだ。<br /><br />

    イチオシ

    私がちょっと感動したのは、江戸時代の両国の風景を表したジオラマ。

    実は、私は畠中 恵さんが書く江戸時代ものの小説が結構好きなのだが、その中に良く出てくる江戸の最大の歓楽街・両国の様々な描写。
    見世物小屋や船宿、水茶屋…等の単語。
    そのイメージは何となくあるのだが、私の中にあったのはTVの時代劇で出てくるような木造の建物。

    でも、実際の両国はこんな感じだったんだ。

  • 隅田川を渡る両国橋の袂には茶屋が並び、葦簀張りや薦掛けの小屋が立ち並ぶ。<br /><br />時代劇用にセットとして造られたのではないリアルな江戸最大の歓楽街の様子だ。<br /><br />小説の登場人物たちである一太郎、鳴家(やなり)、麻之助がこのジオラマの中にいる…。<br />そんな気がしてきた。

    隅田川を渡る両国橋の袂には茶屋が並び、葦簀張りや薦掛けの小屋が立ち並ぶ。

    時代劇用にセットとして造られたのではないリアルな江戸最大の歓楽街の様子だ。

    小説の登場人物たちである一太郎、鳴家(やなり)、麻之助がこのジオラマの中にいる…。
    そんな気がしてきた。

  • そして、江戸時代の屋形船…。<br /><br />屋形船と言えば今も隅田川の夏の風物詩で、川に浮かぶ屋形船の上から花火を見たり…なんていう風流な遊びも有る。<br /><br />今も昔も変わらぬ屋形船での舟遊び。<br />現代の屋形船ではエンジンをその動力としているが、江戸時代にはエンジンなんて無かった筈。<br />では、どうやって大勢のお客さんが宴会をしている船を動かしたのだろう。<br /><br />そんなことは今まで考えたことも無かったのだが、屋形船の模型を見て、吃驚!<br /><br />漕ぎ手さん達が居たのは屋形船の屋根の上。<br />高い屋根の上から長いオールを突き出して船を漕いでいたんだ〜。<br /><br />これは衝撃の事実だった。

    そして、江戸時代の屋形船…。

    屋形船と言えば今も隅田川の夏の風物詩で、川に浮かぶ屋形船の上から花火を見たり…なんていう風流な遊びも有る。

    今も昔も変わらぬ屋形船での舟遊び。
    現代の屋形船ではエンジンをその動力としているが、江戸時代にはエンジンなんて無かった筈。
    では、どうやって大勢のお客さんが宴会をしている船を動かしたのだろう。

    そんなことは今まで考えたことも無かったのだが、屋形船の模型を見て、吃驚!

    漕ぎ手さん達が居たのは屋形船の屋根の上。
    高い屋根の上から長いオールを突き出して船を漕いでいたんだ〜。

    これは衝撃の事実だった。

  • 展示されているものは小さなミニチュアだけではなく、実寸サイズの町屋模型も有る。<br />写真は寺子屋の様子なのだが、説明書きを読んでへぇ〜と思ったことがあった。<br /><br />それは、子供たちの学習机。<br />現代なら学習机は塾の備品だが、江戸時代の寺子屋の学習机は、子供たちが自分の家から持ってきたMy机だったそうだ。<br />きっと、繁盛している寺子屋のお師匠さんの部屋の片隅には子供たちのMy 机が山の様に積み重なっていたのだろう。<br />

    展示されているものは小さなミニチュアだけではなく、実寸サイズの町屋模型も有る。
    写真は寺子屋の様子なのだが、説明書きを読んでへぇ〜と思ったことがあった。

    それは、子供たちの学習机。
    現代なら学習机は塾の備品だが、江戸時代の寺子屋の学習机は、子供たちが自分の家から持ってきたMy机だったそうだ。
    きっと、繁盛している寺子屋のお師匠さんの部屋の片隅には子供たちのMy 机が山の様に積み重なっていたのだろう。

  • 町人の家のお産の様子を表した部屋もあった。<br />江戸時代のお産は座産という座った形で子供を産む形式だったそうだ。<br />そして、驚いたことに、赤ちゃんを産み終わったお母さんは1週間の間、体を横にして眠ることが許されなかった…のが、江戸時代の頃の出産の習わし。<br /><br />昔は妊産婦の死亡率が今より何倍も高かったとは聞いていたが、医療の質の向上もさることながら、出産後に体を横にできずそのまま体調を崩し、命を落としてしまう女性が多かったのも納得だ。<br /><br />また、町人の長屋の展示で不思議だったことがある。<br />それは、どの家も竈(かまど)が壁に面していた点。<br />竈が壁のすぐ脇にあるのは長屋の構造上仕方がないのかもしれないが、煮炊きに火を燃やす場所である竈。<br />ただでさえ燃えやすい素材で作られている長屋の家々。<br />何で、燃えやすい素材の傍に竈をわざわざ置いていたのだろうか。<br /><br />江戸で火事が起きやすかった原因がなんとなく分かった気がした。

    町人の家のお産の様子を表した部屋もあった。
    江戸時代のお産は座産という座った形で子供を産む形式だったそうだ。
    そして、驚いたことに、赤ちゃんを産み終わったお母さんは1週間の間、体を横にして眠ることが許されなかった…のが、江戸時代の頃の出産の習わし。

    昔は妊産婦の死亡率が今より何倍も高かったとは聞いていたが、医療の質の向上もさることながら、出産後に体を横にできずそのまま体調を崩し、命を落としてしまう女性が多かったのも納得だ。

    また、町人の長屋の展示で不思議だったことがある。
    それは、どの家も竈(かまど)が壁に面していた点。
    竈が壁のすぐ脇にあるのは長屋の構造上仕方がないのかもしれないが、煮炊きに火を燃やす場所である竈。
    ただでさえ燃えやすい素材で作られている長屋の家々。
    何で、燃えやすい素材の傍に竈をわざわざ置いていたのだろうか。

    江戸で火事が起きやすかった原因がなんとなく分かった気がした。

  • 江戸時代、起きていた災害は火事だけではなかった。<br />自然災害である地震も多かった。<br /><br />当時、地震は地面の下のナマズが起こすと考えられていて、ナマズを題材にした【鯰絵】と呼ばれる浮世絵も多く描かれていた。<br /><br />その中でも異色なのが、この写真の鯰絵だ。<br />絵の右側にはナマズが筆を持ち、万歳!と書をしたためている。<br />この絵は、地震により多くの家屋が倒壊し、そのおかげで大工さんや建具屋さんに仕事が大量に舞い込みガッポガッポ荒稼ぎ出来た!事を(金儲けをした側が)ナマズに感謝をしている様子を表しているのだが、お江戸の風刺画は、そこで終わらないのが面白いところ。<br /><br />大工さんや金持ち衆の後ろの障子を見るとなにやら人影が多く描かれている。<br />これらの人影は、地震で犠牲になった町の人達の亡霊で、地震で儲けを得た人たちを呪っている(恨んでいる)と様子だという。<br />絵の一番右端の影が幽霊っぽく描かれている。<br />

    江戸時代、起きていた災害は火事だけではなかった。
    自然災害である地震も多かった。

    当時、地震は地面の下のナマズが起こすと考えられていて、ナマズを題材にした【鯰絵】と呼ばれる浮世絵も多く描かれていた。

    その中でも異色なのが、この写真の鯰絵だ。
    絵の右側にはナマズが筆を持ち、万歳!と書をしたためている。
    この絵は、地震により多くの家屋が倒壊し、そのおかげで大工さんや建具屋さんに仕事が大量に舞い込みガッポガッポ荒稼ぎ出来た!事を(金儲けをした側が)ナマズに感謝をしている様子を表しているのだが、お江戸の風刺画は、そこで終わらないのが面白いところ。

    大工さんや金持ち衆の後ろの障子を見るとなにやら人影が多く描かれている。
    これらの人影は、地震で犠牲になった町の人達の亡霊で、地震で儲けを得た人たちを呪っている(恨んでいる)と様子だという。
    絵の一番右端の影が幽霊っぽく描かれている。

  • 展示室には、江戸時代の娯楽の紹介も有った。<br />その一例として、有名な四谷怪談のお話が紹介されていたのだが、江戸時代にもてはやされた東海道四谷怪談とは、単純な色恋沙汰の幽霊モノではなかった…と云う事を、初めて知った。<br />私の中の四谷怪談のあらすじは単純で、お岩さんが夫である伊右衛門に毒薬で惨殺され、幽霊となって伊右衛門に復讐を果たすという話だった。<br /><br />しかし、江戸時代の歌舞伎狂言であった東海道四谷怪談はかなり複雑な話で、有名な【仮名手本忠臣蔵】の外伝として書かれた物だったらしい。<br /><br />つまり、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と吉良上野介(きらこうずけのすけ)から話が始まる壮大な歴史物語で、禁断の兄妹愛あり、浮気あり、そして政治の陰謀盛りだくさんで、現代の昼ドラ真っ青の設定のお話だったという事だ。

    展示室には、江戸時代の娯楽の紹介も有った。
    その一例として、有名な四谷怪談のお話が紹介されていたのだが、江戸時代にもてはやされた東海道四谷怪談とは、単純な色恋沙汰の幽霊モノではなかった…と云う事を、初めて知った。
    私の中の四谷怪談のあらすじは単純で、お岩さんが夫である伊右衛門に毒薬で惨殺され、幽霊となって伊右衛門に復讐を果たすという話だった。

    しかし、江戸時代の歌舞伎狂言であった東海道四谷怪談はかなり複雑な話で、有名な【仮名手本忠臣蔵】の外伝として書かれた物だったらしい。

    つまり、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と吉良上野介(きらこうずけのすけ)から話が始まる壮大な歴史物語で、禁断の兄妹愛あり、浮気あり、そして政治の陰謀盛りだくさんで、現代の昼ドラ真っ青の設定のお話だったという事だ。

  • そんな東海道四谷怪談の初演は、文政8年(1825年)の江戸中村座で、当時の最新技術の様々なカラクリが舞台には取り入れられていた。<br />壁の中から顔が腫れあがったお岩さんが急に現れたり、人が急に消えたりする演出が数多く盛り込まれ、当時の町人たちを魅了していた。<br /><br />江戸博には、その中村座でのカラクリ演出のミニチュアも展示してあり、実際にどの様に役者さんたちが暗がりから急に出てきたり、消えたりしたのかを見ることができる。<br /><br />写真は、幽霊となったお岩さんが伊右衛門を仏壇の中に引きずりこむところを舞台の表と裏から見た様子だ。<br />カラクリが動き出すと、舞台の表にいる伊右衛門さんは背後にある南無阿弥陀仏と書かれた仏壇の真ん中から舞台裏に引きづりこまれ、そして舞台裏に待機していたお岩さん役の役者さんが入れ替わりに仏壇の前へと現れる仕掛けだ。

    そんな東海道四谷怪談の初演は、文政8年(1825年)の江戸中村座で、当時の最新技術の様々なカラクリが舞台には取り入れられていた。
    壁の中から顔が腫れあがったお岩さんが急に現れたり、人が急に消えたりする演出が数多く盛り込まれ、当時の町人たちを魅了していた。

    江戸博には、その中村座でのカラクリ演出のミニチュアも展示してあり、実際にどの様に役者さんたちが暗がりから急に出てきたり、消えたりしたのかを見ることができる。

    写真は、幽霊となったお岩さんが伊右衛門を仏壇の中に引きずりこむところを舞台の表と裏から見た様子だ。
    カラクリが動き出すと、舞台の表にいる伊右衛門さんは背後にある南無阿弥陀仏と書かれた仏壇の真ん中から舞台裏に引きづりこまれ、そして舞台裏に待機していたお岩さん役の役者さんが入れ替わりに仏壇の前へと現れる仕掛けだ。

  • そして江戸博の展示室の中では、江戸時代にあった本物の舞台小屋の様子を見ることもできる。<br /><br />博物館の5階と6階の2層分のスペースをフルに使って、東海道四谷怪談の演目が行われた本物の中村座が復元(原寸大)されている。<br /><br />中村座の建物の内部には入ることが出来なく、外側の見学だけなのだが、それでも当時の雰囲気を味わうことが出来るのは貴重だ。

    そして江戸博の展示室の中では、江戸時代にあった本物の舞台小屋の様子を見ることもできる。

    博物館の5階と6階の2層分のスペースをフルに使って、東海道四谷怪談の演目が行われた本物の中村座が復元(原寸大)されている。

    中村座の建物の内部には入ることが出来なく、外側の見学だけなのだが、それでも当時の雰囲気を味わうことが出来るのは貴重だ。

  • 江戸博にあるのは江戸時代の紹介ばかりではない。<br />明治から平成の初期までの紹介も有り、その一つが朝野(ちょうや)新聞社の社屋の原寸大模型だ。<br /><br />朝野新聞社があったのは、今の銀座4丁目で現在は和光がある場所だ。<br />明治時代初期に日本の新聞社の中でも草分け的な存在であり日本の新聞界をリードしていた朝野新聞は、銀座煉瓦街の顔とも言われる社屋を建て、銀座を西洋風な街並みにする一端を担っていたそうだ。<br />

    江戸博にあるのは江戸時代の紹介ばかりではない。
    明治から平成の初期までの紹介も有り、その一つが朝野(ちょうや)新聞社の社屋の原寸大模型だ。

    朝野新聞社があったのは、今の銀座4丁目で現在は和光がある場所だ。
    明治時代初期に日本の新聞社の中でも草分け的な存在であり日本の新聞界をリードしていた朝野新聞は、銀座煉瓦街の顔とも言われる社屋を建て、銀座を西洋風な街並みにする一端を担っていたそうだ。

  • 大正時代に走っていたクラシックカーも置いてあった。<br />クラシックカーの脇には信号機。<br />それも、手動信号であるバタン信号機。<br />バタン信号機とは変な名前だが、信号を切り替える度にバタン・バタンと音がしたのでバタン信号機という名前になったらしい。<br /><br />当時は、信号交換手さんが道路脇に立って仕事をしていたのだろうか。<br />

    大正時代に走っていたクラシックカーも置いてあった。
    クラシックカーの脇には信号機。
    それも、手動信号であるバタン信号機。
    バタン信号機とは変な名前だが、信号を切り替える度にバタン・バタンと音がしたのでバタン信号機という名前になったらしい。

    当時は、信号交換手さんが道路脇に立って仕事をしていたのだろうか。

  • 明治・大正時代に浅草にあった建物の凌雲閣の紹介もあった。<br />凌雲閣は関東大震災で倒壊してしまったが、当時としてはモダンな建築物で、今のスカイツリーや東京タワーの様に塔の上から遠くを見渡すことが出来たらしい。<br /><br />凌雲閣という単語は聞いたこと(本で読んだこと)はあったが、空想上の建物だとばかり思っていた。<br />江戸川乱歩の世界…というと納得のできる光景だ。<br /><br />江戸博には、もっともっと色々な展示があるのだが全部はとても紹介しきれないので、興味がある方は是非、足を運んでみて欲しい。<br /><br />海外からのゲストも多い博物館だが、日本人が行っても知らない江戸の小話が盛りだくさんで、大人も子供も楽しめる場所だった。<br />ただし、子供連れの場合はある程度日本の歴史を学習してから(小学校高学年〜)の方が理解度も進むし、面白さがあると思う。<br />

    イチオシ

    明治・大正時代に浅草にあった建物の凌雲閣の紹介もあった。
    凌雲閣は関東大震災で倒壊してしまったが、当時としてはモダンな建築物で、今のスカイツリーや東京タワーの様に塔の上から遠くを見渡すことが出来たらしい。

    凌雲閣という単語は聞いたこと(本で読んだこと)はあったが、空想上の建物だとばかり思っていた。
    江戸川乱歩の世界…というと納得のできる光景だ。

    江戸博には、もっともっと色々な展示があるのだが全部はとても紹介しきれないので、興味がある方は是非、足を運んでみて欲しい。

    海外からのゲストも多い博物館だが、日本人が行っても知らない江戸の小話が盛りだくさんで、大人も子供も楽しめる場所だった。
    ただし、子供連れの場合はある程度日本の歴史を学習してから(小学校高学年〜)の方が理解度も進むし、面白さがあると思う。

  • 江戸東京博物館のある両国。<br />両国駅の傍には、江戸に縁がある場所がいくつかあり、今回は博物館に絡めてその中の2か所を歩いてきた。<br /><br />最初に向かったのは、江戸博から徒歩10分の場所にあるお寺:回向院(えこういん)だ。<br />回向院はお寺なのでお墓があるのだが、そのお墓に特徴的がある。<br /><br />その墓の一つが受験生に絶大な人気を誇るお墓で、鼠小僧こと鼠小僧次郎吉の墓だ。<br />鼠小僧というと昔話の登場人物の様に思えるが、彼は江戸時代に実在した本当のドロボウさん。<br /><br />江戸の町民が語る鼠小僧は、義賊として悪徳代官から盗んだ金を生活に困る貧しい町人に分け与えた…となっていることが多いが、実際の彼がそのような人物であったのかは定かではない。<br /><br />史実としては、お金をばら撒いたという記録は残っていないそうだ。

    江戸東京博物館のある両国。
    両国駅の傍には、江戸に縁がある場所がいくつかあり、今回は博物館に絡めてその中の2か所を歩いてきた。

    最初に向かったのは、江戸博から徒歩10分の場所にあるお寺:回向院(えこういん)だ。
    回向院はお寺なのでお墓があるのだが、そのお墓に特徴的がある。

    その墓の一つが受験生に絶大な人気を誇るお墓で、鼠小僧こと鼠小僧次郎吉の墓だ。
    鼠小僧というと昔話の登場人物の様に思えるが、彼は江戸時代に実在した本当のドロボウさん。

    江戸の町民が語る鼠小僧は、義賊として悪徳代官から盗んだ金を生活に困る貧しい町人に分け与えた…となっていることが多いが、実際の彼がそのような人物であったのかは定かではない。

    史実としては、お金をばら撒いたという記録は残っていないそうだ。

    回向院 寺・神社・教会

    受験生必見♪ 信じるモノは、救われる!?…きっと“滑らない”…お守り by ウェンディさん
  • 鼠小僧のお墓が受験生に人気の理由は、江戸の大名屋敷の屋根を渡り歩き、長年捕まらなかった(屋根から滑り落ちなかった)鼠小僧の運の良さ。<br />受験で滑りませんように…との祈願をする受験生も多い。<br /><br />鼠小僧の墓の前にある白い石。<br />この石はお前立ちといい、この石を削って持って帰ると、運が良くなる…らしい。<br />

    鼠小僧のお墓が受験生に人気の理由は、江戸の大名屋敷の屋根を渡り歩き、長年捕まらなかった(屋根から滑り落ちなかった)鼠小僧の運の良さ。
    受験で滑りませんように…との祈願をする受験生も多い。

    鼠小僧の墓の前にある白い石。
    この石はお前立ちといい、この石を削って持って帰ると、運が良くなる…らしい。

  • 猫の恩返し(猫塚)なんていうお墓もあった。<br /><br />この江戸の猫の恩返しの話は、落語の演目の一つにもなっているのだが、最近では演じ手がいなく、なかなか聞くことは出来ない。<br /><br />

    猫の恩返し(猫塚)なんていうお墓もあった。

    この江戸の猫の恩返しの話は、落語の演目の一つにもなっているのだが、最近では演じ手がいなく、なかなか聞くことは出来ない。

  • 猫塚の中の仏様は殆ど摩耗してその姿は分からなかった。<br /><br />さすがに江戸時代からの屋外の石仏ともなると、その保存も大変なのだろう。<br /><br />

    猫塚の中の仏様は殆ど摩耗してその姿は分からなかった。

    さすがに江戸時代からの屋外の石仏ともなると、その保存も大変なのだろう。

    回向院 寺・神社・教会

    受験生必見♪ 信じるモノは、救われる!?…きっと“滑らない”…お守り by ウェンディさん
  • 回向院の中には江戸時代の大火である振袖火事の鎮魂碑もある。<br /><br />振袖火事とは明暦の大火の事で、護摩行の火にくべられた振袖に炎が燃えうつり、その振袖が空に舞い上がり火の粉を散らしながら江戸中を火事にした…という大火事のお話だ。<br /><br />この江戸を焼き尽くした大火事の原因として庶民の間で伝えられているのが、江戸娘・梅のお話だ。

    回向院の中には江戸時代の大火である振袖火事の鎮魂碑もある。

    振袖火事とは明暦の大火の事で、護摩行の火にくべられた振袖に炎が燃えうつり、その振袖が空に舞い上がり火の粉を散らしながら江戸中を火事にした…という大火事のお話だ。

    この江戸を焼き尽くした大火事の原因として庶民の間で伝えられているのが、江戸娘・梅のお話だ。

    回向院 寺・神社・教会

    受験生必見♪ 信じるモノは、救われる!?…きっと“滑らない”…お守り by ウェンディさん
  • 江戸時代の初期、町人の娘であった梅は、通りすがりの寺の小姓の美少年に一目ぼれをした。しかし、その美少年はどこの寺の人ともしれぬお方。恋い焦がれた娘・梅は二度と会う事はないであろう悲しみに病の床に就いた。そして、梅の最後の望みは小姓と同じ柄の振袖を着る事。振袖を手にした娘・梅は17歳の誕生日に息絶え、悲しんだ両親はその振袖をせめてもの供養にとお棺へと入れた。<br /><br />しかし、お棺を納めた寺の坊主は悪徳坊主。<br />悪徳坊主は、お棺の中のに金目の振袖を見つけるとその着物を古着屋へと売り払ってしまった。<br /><br />ところが、その振袖はまたお寺へと戻ってきた。<br />でも、戻ってきたのは振袖だけではなかった。古着屋から振袖を買った別の娘の亡骸も一緒だった。<br />不思議なことに振袖が再びお寺へと戻ってきたのは、1年前に亡くなった梅の命日だったのだが、悪徳坊主はそんなことは気にも留めずに、またもう一度、その振袖を古着屋へと売り払った。<br /><br />(写真:江戸博の江戸の町のジオラマ)

    江戸時代の初期、町人の娘であった梅は、通りすがりの寺の小姓の美少年に一目ぼれをした。しかし、その美少年はどこの寺の人ともしれぬお方。恋い焦がれた娘・梅は二度と会う事はないであろう悲しみに病の床に就いた。そして、梅の最後の望みは小姓と同じ柄の振袖を着る事。振袖を手にした娘・梅は17歳の誕生日に息絶え、悲しんだ両親はその振袖をせめてもの供養にとお棺へと入れた。

    しかし、お棺を納めた寺の坊主は悪徳坊主。
    悪徳坊主は、お棺の中のに金目の振袖を見つけるとその着物を古着屋へと売り払ってしまった。

    ところが、その振袖はまたお寺へと戻ってきた。
    でも、戻ってきたのは振袖だけではなかった。古着屋から振袖を買った別の娘の亡骸も一緒だった。
    不思議なことに振袖が再びお寺へと戻ってきたのは、1年前に亡くなった梅の命日だったのだが、悪徳坊主はそんなことは気にも留めずに、またもう一度、その振袖を古着屋へと売り払った。

    (写真:江戸博の江戸の町のジオラマ)

  • 想像通り、1年後にその振袖はまた別な娘の亡骸と共に梅の命日に寺へと戻ってきた。<br />さすがに気味が悪くなった悪徳坊主は、その振袖を護摩行の火に投げ入れたのだが、護摩行の火が移った振袖は風で空高く舞い上げられ、江戸中に火の粉を振りまいた…。<br /><br />その振袖火事で亡くなった人々の鎮魂のために建てられたのが両国の回向院の始まりだ。<br /><br />実は、この振袖火事についてはこの恋心説以外にも、幕府の老中の家が出火元説、幕府放火説等も有り、調べだすと結構面白い話だったりもする。<br /><br />(写真:江戸博の江戸の町のジオラマ)

    想像通り、1年後にその振袖はまた別な娘の亡骸と共に梅の命日に寺へと戻ってきた。
    さすがに気味が悪くなった悪徳坊主は、その振袖を護摩行の火に投げ入れたのだが、護摩行の火が移った振袖は風で空高く舞い上げられ、江戸中に火の粉を振りまいた…。

    その振袖火事で亡くなった人々の鎮魂のために建てられたのが両国の回向院の始まりだ。

    実は、この振袖火事についてはこの恋心説以外にも、幕府の老中の家が出火元説、幕府放火説等も有り、調べだすと結構面白い話だったりもする。

    (写真:江戸博の江戸の町のジオラマ)

  • 回向院から歩いて5分の場所、そこにも江戸の香りが残る場所がある。<br />それは、吉良邸跡。<br />殿中でござる〜!の忠臣蔵で有名な吉良上野介の屋敷跡だ。<br /><br />忠臣蔵と言えば赤穂浪士の討ち入りのお話で、その登場人物二人を大雑把に良いヒトと悪いヒトに分けると、江戸城で刀を抜いた浅野内匠頭が良いヒトで、切りかかられた吉良上野介爺さんが悪いヒトに分類されることが多い。

    回向院から歩いて5分の場所、そこにも江戸の香りが残る場所がある。
    それは、吉良邸跡。
    殿中でござる〜!の忠臣蔵で有名な吉良上野介の屋敷跡だ。

    忠臣蔵と言えば赤穂浪士の討ち入りのお話で、その登場人物二人を大雑把に良いヒトと悪いヒトに分けると、江戸城で刀を抜いた浅野内匠頭が良いヒトで、切りかかられた吉良上野介爺さんが悪いヒトに分類されることが多い。

    本所松坂町公園 公園・植物園

    吉良上野介は、本当に意地悪ジジイだったのか by ウェンディさん
  • 吉良上野介はいじわる爺さんで、若い浅野内匠頭の実力に嫉妬し、意地悪をして、浅野内匠頭が将軍の前で恥をかくように仕向けた。<br />それに怒った浅野内匠頭は、刀を抜いてはいけないとされる江戸城の中で刀を抜き、吉良上野介に切りかかり、幕府からその日のうちに切腹を命じられた。<br /><br />一方的に切腹を命じられた浅野内匠頭に同情した赤穂藩の武士達は、その1年半後に吉良邸に討ち入りし、吉良上野介の首をとった…。<br /><br />忠臣蔵のお話はこんな話だが、果たしてそれが本当に史実だったのか。

    吉良上野介はいじわる爺さんで、若い浅野内匠頭の実力に嫉妬し、意地悪をして、浅野内匠頭が将軍の前で恥をかくように仕向けた。
    それに怒った浅野内匠頭は、刀を抜いてはいけないとされる江戸城の中で刀を抜き、吉良上野介に切りかかり、幕府からその日のうちに切腹を命じられた。

    一方的に切腹を命じられた浅野内匠頭に同情した赤穂藩の武士達は、その1年半後に吉良邸に討ち入りし、吉良上野介の首をとった…。

    忠臣蔵のお話はこんな話だが、果たしてそれが本当に史実だったのか。

  • 改めて吉良上野介について調べてみると、いじわる爺さんという記述は、出てこなかった。<br />どちらかというと、頭の回転の速い男性で、民衆の事を第一に考える民からも慕われているお殿様というのがその実像であったようだ。<br /><br />一方の浅野内匠頭だが、こちらの方に関しては良い情報も悪い情報もあまりないようだ。<br />つまり、比較的普通のお殿様だったのではないかと思われる。<br /><br />勝手な推測だが、頭の良い人生経験の豊かな吉良の爺様と、ソコソコ普通の人であった浅野の若殿様。<br />将軍の接待に命じられた二人の力量には、明らかな差があったに違いない。<br /><br />吉良の爺様も、経験量の少ない浅野の若殿様にもう少し適切なアドバイスをしてあげていれば、浅野の若殿様が致命的なミスをすることも無かったのだが、出来る上司ほど、部下には自分と同じ力量を求めるのが世の常。<br /><br />結局浅野の若殿さまは、将軍の接待に於いて痛恨のミスをしてしまい、それを逆恨み的な形で吉良の爺様に向けたのではないかな…と。<br /><br />それが松の廊下での事件につながったのではないかな…なんて思えてきた。<br /><br />(写真:江戸博の江戸城の松の廊下のジオラマ)

    改めて吉良上野介について調べてみると、いじわる爺さんという記述は、出てこなかった。
    どちらかというと、頭の回転の速い男性で、民衆の事を第一に考える民からも慕われているお殿様というのがその実像であったようだ。

    一方の浅野内匠頭だが、こちらの方に関しては良い情報も悪い情報もあまりないようだ。
    つまり、比較的普通のお殿様だったのではないかと思われる。

    勝手な推測だが、頭の良い人生経験の豊かな吉良の爺様と、ソコソコ普通の人であった浅野の若殿様。
    将軍の接待に命じられた二人の力量には、明らかな差があったに違いない。

    吉良の爺様も、経験量の少ない浅野の若殿様にもう少し適切なアドバイスをしてあげていれば、浅野の若殿様が致命的なミスをすることも無かったのだが、出来る上司ほど、部下には自分と同じ力量を求めるのが世の常。

    結局浅野の若殿さまは、将軍の接待に於いて痛恨のミスをしてしまい、それを逆恨み的な形で吉良の爺様に向けたのではないかな…と。

    それが松の廊下での事件につながったのではないかな…なんて思えてきた。

    (写真:江戸博の江戸城の松の廊下のジオラマ)

  • 主君を切腹と云う形で失った赤穂の藩士たち。<br />彼等は主君を失ったばかりではなく、藩のとり潰しで職も家も失った。<br />今でいえば、勤めていた会社が倒産して、ついでに社宅まで出なくてはならなくなった状態だろう。<br /><br />赤穂藩が無くなったからには、次の士官先を見つけなければならないのだろうが、武士の失業率の高い江戸時代。<br />そう簡単には次の就職先は見つからない。<br /><br />そうなると怒りの矛先は、赤穂藩はとり潰されたのに、藩は存続し本人ものうのうと生きている吉良の爺様に向かうのは必然なこと。<br /><br />そんなこんなで吉良の爺様も最終的には、この吉良邸があった場所で殺され、吉良家も世間を騒がせたという理由で、とり潰しとなってしまった。<br /><br />(写真:吉良の首を洗ったと云われる首洗いの井戸)

    主君を切腹と云う形で失った赤穂の藩士たち。
    彼等は主君を失ったばかりではなく、藩のとり潰しで職も家も失った。
    今でいえば、勤めていた会社が倒産して、ついでに社宅まで出なくてはならなくなった状態だろう。

    赤穂藩が無くなったからには、次の士官先を見つけなければならないのだろうが、武士の失業率の高い江戸時代。
    そう簡単には次の就職先は見つからない。

    そうなると怒りの矛先は、赤穂藩はとり潰されたのに、藩は存続し本人ものうのうと生きている吉良の爺様に向かうのは必然なこと。

    そんなこんなで吉良の爺様も最終的には、この吉良邸があった場所で殺され、吉良家も世間を騒がせたという理由で、とり潰しとなってしまった。

    (写真:吉良の首を洗ったと云われる首洗いの井戸)

    本所松坂町公園 公園・植物園

    吉良上野介は、本当に意地悪ジジイだったのか by ウェンディさん
  • 江戸時代の忠臣蔵の話はこれでお終いだが、このお話、別の面から見ると幕府の陰謀説なんていうのも考えられなくもない。<br /><br />赤穂は優良な海塩が採れる、海産物も豊かな場所。<br />吉良上野介は頭が良い爺さんだが、幕府にとっては目の上のタンコブの様な存在。<br />赤穂の地を幕府の直轄地として取り上げ、目の上のタンコブの爺様を取り除く手段がないものか…と幕府の重鎮たちが考えたとしたら…。<br /><br />考え出すと止まらなくなりそうだ。<br /><br />ダ・ヴィンチの左手が紡ぎだす絵を眺めに出かけた両国で、思いがけず江戸の文化にタップリと触れ、様々な思考を巡らすこととなった1日。<br /><br />限られた範囲しか動いていないが、こんな歴史散歩も面白い!

    イチオシ

    江戸時代の忠臣蔵の話はこれでお終いだが、このお話、別の面から見ると幕府の陰謀説なんていうのも考えられなくもない。

    赤穂は優良な海塩が採れる、海産物も豊かな場所。
    吉良上野介は頭が良い爺さんだが、幕府にとっては目の上のタンコブの様な存在。
    赤穂の地を幕府の直轄地として取り上げ、目の上のタンコブの爺様を取り除く手段がないものか…と幕府の重鎮たちが考えたとしたら…。

    考え出すと止まらなくなりそうだ。

    ダ・ヴィンチの左手が紡ぎだす絵を眺めに出かけた両国で、思いがけず江戸の文化にタップリと触れ、様々な思考を巡らすこととなった1日。

    限られた範囲しか動いていないが、こんな歴史散歩も面白い!

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この旅行記へのコメント (5)

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  • fujickeyさん 2016/03/15 12:49:11
    おもしろい。
    ウェンディさん、花粉アレルギーは落ち着いてきましたか?

    日本、海外問わず学生時代から歴史はあまり得意ではありませんでしたが

    ウェンディさんの旅行記を読むと、歴史っておもしろそうだなって興味がわいてきます。

    たとえが上手なのでわかりやすいです。

    ジオラマをじっくり見るのも楽しそうですし、江戸博物館に行ってみたくなりました!

    fujickey

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2016/03/15 22:47:30
    RE: おもしろい。
    fujickeyさん、 こんばんは〜。

    私も学生時代は歴史や社会科ってあんまり得意ではありませんでした。
    特に地理は苦手中の苦手。
    各国の特産物や輸出品目、その順位を覚えていったいなんの役に立つの??と思いながらテスト勉強をしていました。
    歴史だって同様にあんまり好きではなかったのですが、オトナになり旅が趣味となってからは、昔、あんなに嫌いだった世界史が面白い。
    苦手だったカタカナの名前もすんなり頭に入ってくるし、その国の歴史をもっと知りたーい!と旅の度に思っています。
    今でも系統だった歴史の流れはあんまり分かっていない部分も多いですが、気になるところは徹底的に本を読みます。
    ネットだと文責がなく、情報の信頼性もかけるので、やはり頼りになるのは本。
    気になった本を見つけると埼玉県内の図書館を全サーチして取り寄せ貸出してもらっています。

    今回の両国プチ旅でも吉良邸跡へと行きましたが、私は此処へ行くまで忠臣蔵のお話は、お話そのままが史実だと信じていました。
    でも、吉良邸跡に来ていた少年の発した一言で、もしかして…という疑問が頭をかすめ、帰路に地元の駅からそのまま図書館へと向かい、少し調べてみたら、どうやら吉良上野介ってそんなに意地悪爺さんではなかったらしい…と云う事が分かってきました。
    そしてその後5日間は、忠臣蔵の世界にどっぷり浸かっていました。

    吉良邸跡で少年が発した一言。それは、
    「大体さ、浅野の奴が短期すぎるのがいけないんだよ!あいつってバッカじゃないの〜」
    忠臣蔵のファンの方(アンチ・吉良派)の方が耳にしたら怒り出しそうなセリフでしたが、この少年のお蔭で、新しい歴史の一面を知ることができました。

    ウェンディ

    fujickey

    fujickeyさん からの返信 2016/03/16 11:32:36
    ますます、おもしろい。
    ウェンディさん、こんにちは。

    少年が発した言葉がきっかけとは(笑)しかも『少年』なんですよね。

    小さいのになんて、歴史に興味を持つのは大人も子供も関係ないのですが
    忠臣蔵の話を理解した上での少年なりの発言というのに驚きました。

    ふふふ。おもしろいですね〜

    本当。
    学生時代は日本史も世界史も苦手だったし、地理も苦手。
    俗にいう、地図が読めない女でした(苦笑)

    それでも旅行に行くようになると
    地理的な国の位置関係や行った国の歴史に触れてもっと知りたいな、って
    興味は出てきました。
    ヨーロッパ方面だと教会にもよく行くのでキリスト教についても興味は湧きますよね。
    (あくまでも歴史的な背景についてですが)

    興味を持った時が調べ時、と思って勉強していきたいと思います♪

    fujickey


  • 一歩人さん 2016/03/14 07:15:09
    両国散歩大好きです
    ウェンディさんへ
    こんにちわ、一歩人です。
    いつも、旅行記を楽しませていただき、
    ありがとうございます。
    大好きな両国の散歩ということで、
    とても、素敵なルートで、楽しかったです。

    振袖火事の色恋沙汰のファンで、とても、
    興味津々で面白かったです。

    歌舞伎ファンなので、男女の仲とか、
    正義と悪玉とか、白黒の世界が大好きです。

    両国は、錦糸町と浅草を結ぶバス路線がありましたが、
    最近は、錦糸町、押上、浅草路線が中心になり、
    ちょっと寂しいですが、これも、世につれでと
    思っていましたが、どっこい、両国散歩を拝見していて、
    とても、見逃せない散歩コースと思いました。
    失礼しま〜す♪

    ウェンディ

    ウェンディさん からの返信 2016/03/14 20:57:28
    RE: 両国散歩大好きです
    一歩人さん、こんばんは。

    春の両国散歩を楽しんできました。
    今回は江戸博が中心でしたので周辺のお散歩は2か所だけでしたが、両国周辺は江戸・明治・大正時代に縁のある場所がたくさん残っていそうですね。
    江戸時代の妖怪がいた【置いてけ堀】の跡地が、両国のすぐ近くにあることを旅行記を書いているときに知り、行っておけばよかった〜と思っています。
    また、行かなくてはならないですね。

    江戸博では、常設展で両国の様子を知ることが出来たのが一番の収穫で、今まで想像の域を出ていなかった両国の盛り場の実際の様子が分かりました。
    江戸の町並みのジオラマの中にる小さなお人形さんたち。
    そのひとりひとりに動きや表情があり、素敵な展示ですね。

    ウェンディ

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