2016/03/04 - 2016/03/04
90位(同エリア271件中)
naoさん
兵庫県朝来市生野町は、かつて「佐渡の金、生野の銀」と並び称せられた、日本を代表する生野銀山があった所です。
生野銀山の歴史は古く、最初に銀が発見されたのは平安期の大同2年(807年)のことと伝えられ、室町期の天文11年(1542年)に但馬守護職、山名祐豊によって銀石が掘り出されたのが銀山開坑の起源だといわれています。
その後、織田信長、豊臣秀吉の時代を経て、徳川家康の時代には生野を天領として代官所を置いて本格的に鉱山開発を進め、第八代将軍徳川吉宗の頃に最盛期を迎えます。
明治元年(1868年)に、生野、神子畑(朝来市)、明延(養父市)の各鉱山は日本初の官営鉱山となり、明治政府は西洋の進んだ鉱山技術を導入するためフランス人技師を招聘し、日本の近代化を推し進めます。
特に生野銀山には、機械式製錬技術や本格的な火薬による発破法の他、鉱業用送水路及びダムの建設、トロッコ軌道(鉱山鉄道)の敷設、鉱山学校の設立など、近代的な鉱山や製鉱所の確立をめざし、日本初の最新技術が数多く導入されました。
明治22年(1889年)に大蔵省から宮内省御料局の所管となった後、明治29年(1896年)には三菱合資会社に払い下げられ、以後、三菱鉱業(現三菱マテリアル)の経営により国内有数の大鉱山として稼働してきましたが、昭和48年(1973年)に閉山しました。
現在の生野町の中心地、JR播但線生野駅の東側に広がる口銀谷(くちがなや)は、朝来市の街なみ環境整備事業により、伝統的な町家が連なる落ち着いた町並みや近代化産業遺産などが整備保存され、住民の方々により町並み保存に向けた活動が活発に行われています。
そんな口銀谷の町並みでは、3月3日(木)から6日(日)までの間、但馬地方に春を告げる「生野銀谷のひな祭り」が開催されています。
穏やかな晴天に恵まれたこの日、私も青春18きっぷを使って訪れました。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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JR大阪環状線天満駅から2時間半あまり電車に揺られて、JR播但線生野駅に到着しました。
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乗ってきた電車と入れ替わるように、竹田城跡の姿を車体全面にラッピングした「天空の城 竹田城跡号」が走り去っていきます。
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「天空の城 竹田城跡号」は、城崎温泉と寺前間を結んで、3月1日から6月30日まで毎日運行されています。
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では、生野駅の観光案内所でひな祭りマップを戴いてお雛さまめぐりを始めます。
駅舎の前には部分的に雪が残っています。 -
生野駅の目の前には、明治42年(1909年)に建てられた旧日下旅館があります。
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町角には「銀谷のひな祭り」のピンク色の大きなのぼりが立てられ、町中あげてムードを盛り上げています。
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こちらのお宅は玄関に飾っておられますが、この催しに賛同する各家庭では、思い思いに雛人形を飾って、訪れる人々を招き入れておられます。
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備前焼と思しき雛人形。
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こちらのお宅は・・・
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お庭に面した縁側にお雛さまを飾っておられます。
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虫籠窓や格子をしつらえた伝統的な町家です。
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こちらのお宅は、道路に面した縁側を開け放って飾っておられます。
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こちらは小さな虫籠窓しつらえた町家です。
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町角を占める入母屋造りの主屋。
主屋とともに附属家が敷地全体を巡っています。 -
竹筒の中で寄り添うお雛さま。
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かつての茅葺屋根を鉄板で覆った町家が・・・
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町並みに融け込んでいます。
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見ごたえのある見越しの松が存在感を示す町家があります。
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ほぼ全面に名栗加工の駒寄せを巡らせています。
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このお宅では、フランス人鉱山技術の子弟をお世話していたことがあるんだそうです。
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道路沿いに低い生垣を巡らせた町家。
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口銀谷の町並みです。
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伝統的な佇まいのこちらのお宅では・・・
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玄関横の部屋にお雛さまを飾っておられます。
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「Panca」というパン工房を開いておられるこちらのお宅も・・・
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玄関横の部屋にお雛さまを飾っておられます。
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ちなみに、この小さなのぼりがお雛さまを飾っておられるお宅の目印として掲げられています。
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旧生野町の汚水枡の蓋。
旧生野町の木「ドウダンツツジ」や町の花「リンドウ」とともに、「魚ヶ滝」や生野銀山の「金香瀬坑口」の風景がモチーフになっています。 -
吊るし雛も添えられたお雛さま。
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こちらの町家の格子の前には、丸太の腰かけが置かれています。
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ミニチュアのお嫁入り家具を持って、このお雛さまは嫁いで来られたようです。
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お雛さまに添えられた小物達。
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まるで額縁のようです。
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その額縁に中に飾られた手づくりのお雛さま達。
こちらは立ち雛。 -
恥ずかしそうに、扇で顔を隠したお雛さま。
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袖を広げたお雛さま。
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こちらは町の人々に親しまれている老舗の醤油醸造場。
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醤油醸造場の軒先で揺れる、吊り花入れに活けられた藪椿。
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商標が描かれた醤油の醸造蔵。
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桃の花の前でそっと寄り添うお雛さま。
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こちらのお宅のお雛さまは・・・
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桐の雛段ですまし顔です。
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黒塗りの屏風を背にしたお雛さま。
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浅黄色の土壁に、四角い虫籠窓を開けた町家。
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「生野書院」の、二間続きのお部屋を開け放って飾られたお雛さま。
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優しいお顔のお雛さま。
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金糸の鳳凰が舞い踊る見事な打掛。
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「生野書院」には、生野銀山の歴史を伝える古文書や銀山で使われていた道具などの貴重な資料が展示されている「生野史料館」が併設されています。
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江戸時代の代官所で実際に使われていた秤。
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これだけのお屋敷ですから、防火用水も備えられています。
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「生野書院」南側の外観です。
右側の千本格子の付けられたお部屋にお雛さまが飾られています。 -
そろそろ昼ご飯にしようかなと考えながら歩いていると、風情のある町家を使ったレストランがありました。
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よし、ここにしよう!
「食事を」とお願いすると、ケシの花のファブリックで有名なフィンランドブランドの雑貨を置いたコーナーの奥の座席に案内されました。 -
カウンター席の前に広がるお庭には、紅梅が咲いています。
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パスタランチを注文してしばらく待っていると・・・
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前菜が運ばれてきたので、さっそく「戴きま〜す!」。
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食後のコーヒーを戴いた後は、お雛さまめぐりの再開です。
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しばらく町並みを歩いていると、この町家の横にトロッコ道の案内板が立てられていたので、路地へ入ってみると・・・
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町並みと平行して流れる市川に沿って、生野銀山から旧生野駅まで採掘された銀鉱石を運ぶために敷かれたトロッコ軌道の跡地が残っていました。
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トロッコ軌道の敷設を可能とした石積みのアーチ型構造物は、優れた土木構造物として高く評価されているそうです。
では、町並みへ戻ります。 -
こちらの寄棟屋根の町家は、元醤油醸造場だったお宅の建物だそうです。
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こちらも元醤油醸造場だったお宅の建物で、虫籠窓や格子に丸太の駒寄せが巡らされています。
2階の片側には袖卯建も見られます。 -
この町家の玄関先に残された石橋が、かつての側溝が開渠だったことを教えています。
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先ほど見えていたトロッコ軌道のアーチ型構造物の上部にやってきました。
ここには市川を渡る橋が架かっているので、トロッコ軌道を見るのにおあつらえ向きの場所です。 -
風情ある町家が連なる町並みにやってきました。
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こちらは、江戸幕府から銀山の採掘権を与えられた吉川家が代々営んできた郷宿を再生した、「生野まちづくり工房 井筒屋」です。
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平成11年に吉川家から土地建物の寄贈を受けた旧生野町が整備を進め、平成15年にオープンされました。
地域住民だけではなく広く一般にも開放され、観光案内施設としても使われています。 -
「井筒屋」の向かいには、生野を代表する旧家の旧吉川邸と旧浅田邸を活用した、「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」があります。
こちらは旧吉川邸で、井筒屋当主の隠居部屋として明治中期に建てられたものだそうです。 -
旧吉川邸の煙出しの越屋根。
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こちらは昭和7年(1932年)に建てられた旧浅田邸です。
浅田家は、江戸時代より地役人として生野銀山発展に貢献してきた家柄だそうです。 -
入母屋造り2階建の主屋と・・・
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寄棟造り平屋建ての離れ。
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「口銀谷銀山町ミュージアムセンター」の敷地と市川の間のトロッコ道には、実物のレールが敷かれています。
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旧吉川邸に飾られているお雛さま。
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ギャラリーとして使用されている旧吉川邸。
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「銀谷の里」と書かれた暖簾が揺れています。
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町家の窓越しに陽ざしを浴びるお雛さま。
ちょっと眩しそうです。 -
こちらの町家は、珍しい竹の外格子を巡らせています。
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明治19年(1886年)に建てられたこの邸宅は、三菱の全盛期には迎賓館として利用されていたもので、現在は「生野クラブ」の名称で利用されています。
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「生野クラブ」の本卯建。
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国道429号線沿いにあるこの建物群は、生野銀山で働く人々の住宅として建てられた「甲社宅」を復元・再生し、生野銀山の歴史や文化を紹介する施設として生まれ変わった「旧生野鉱山職員宿舎」です。
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銀や銅などを精錬した後に残った鉱滓を成形した「からみ石」の塀の向こう側に入口があります。
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入口から見渡した「旧生野鉱山職員宿舎」の光景。
今回、棟別に明治、大正、昭和を想定して復元された4棟は、それぞれの時代を映したしつらえが成されています。
なお、4棟の内の1棟は、明治38年(1905年)に生野で生まれた名優、志村喬さんの記念館として復元されており、さまざまな資料が展示されています。
志村喬さんの父親は、明治時代から大正時代にかけて生野銀山の冶金技師として勤務しておられたもので、「甲社宅」のうちの1棟が生家にあたるそうです。 -
管理棟に飾られたお雛さまと・・・
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野点傘に吊り下げられた吊るし雛。
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傍らには、生野銀山全盛期の娯楽施設で使用されていた映写機も展示されています。
日本の名優、志村喬さんのそばで余生を送れる幸運に恵まれるなんて、さぞかし「ビックリぽん」でしょうね。 -
管理棟の前の壺に活けられたネコヤナギが、春の訪れを告げています。
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「旧生野鉱山職員宿舎」の前の通りには、こんな町家とともに・・・
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かつての茅葺屋根を鉄板で覆った町家が・・・
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少し離れて並んでいます。
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こちらは、江戸時代に建てられたといわれる町家です。
現在、修復工事が行われているように見受けられます。 -
通りの突き当たりの光景。
私の好きな、路地から眺める感覚で見てしまいました。 -
この洋館は、明治19年(1886年)に建てられた旧生野警察署だった建物で、現在は公民館として使われています。
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旧生野警察署の中に飾られているお雛さま。
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お内裏さまと・・・
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お雛さま。
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旧生野警察署の斜め向かいにあるお屋敷。
こちらのお宅に伺おうとすると、先にご覧になって出てこられた方に、「このお宅は凄いですよ」と教えていただきました。 -
何が凄いかって、この広い玄関もさることながら、隣にある応接間の広さといい、内装や家具調度品の豪華さといい、『こういう世界もあるんだ』と目を見張るばかりでした。
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ふくよかなお顔のお雛さま。
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こちらは、但陽信用金庫が所蔵する美術品を展示する但陽会館です。
生野出身の三人の洋画家の作品を主に展示しているそうです。 -
名栗加工の駒寄せに囲まれた広い前庭が特徴の町家です。
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貝殻の中のかわいいお雛さま。
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窓格子のデザインに変化を持たせている町家。
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茅葺屋根を鉄板で覆った町家の前には井戸も残っています。
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こちらは、「生野まちづくり工房 井筒屋」の裏手になります。
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こちらの町家の2階部分には、漆喰塗籠めの虫籠窓と格子のある窓が並んでいます。
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大きな煙出しの越屋根が大屋根に載っています。
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浅黄色の壁に格子をしつらえた町家です。
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格子の間から顔を覗かせるお雛さま。
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町並みをグルッと廻っているうちに「生野クラブ」まで戻ってきました。
ここから鍛冶屋町通りへ引き返し生野駅の方へ向かいます。 -
鍛冶屋町通りへ戻ってきました。
右側には、先ほど見た2階に袖卯建のある元醤油醸造場だったお宅があります。 -
土塀の中に見越しの松がそびえています。
こちらの町家にも、駒寄せのある広い前庭があります。 -
陶器屋さんのお店もお雛さまを飾っているようです。
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浅黄色の町家がここにもありました。
ある意味で、浅黄色がこの町並みを特徴づけているのかも知れません。 -
黒漆喰と白漆喰のコントラストが、ピリッと一味きいています。
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こちらは灰色の漆喰と白漆喰のコントラストです。
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玄関先には、かつて使っていたんであろう井戸が残されています。
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この町家は、和洋折衷というべきでしょうね・・・。
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2階の外壁は、かつては鶯色だったんでしょうか・・・。
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ここまで来れば生野駅はすぐそこです。
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生野駅前の旧日下旅館が見えてきました。
このイベントの期間中、口銀谷と奥銀谷を結ぶシャトルバスが運行されているので、それに乗せてもらって奥銀谷の町並みへ向かいます。
では、シャトルバス乗場のある「生野マインホール」へ移動します。
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