2016/02/25 - 2016/02/25
98位(同エリア474件中)
愛吉さん
生涯大学39期社会と歴史コースの仲間達と、1学年終了記念の旅行に出ました。
行先は歴史コースらしく、勿来の関跡と岡倉天心の日本美術院設立の地、五浦を巡ります。
総勢は23人、バスをチャーターして7時40分に都内池尻を出発、先ず勿来の関を目指します。
勿来の関は、来る事勿れの関、平安時代から歌枕として多くの歌人に親しまれた処です、現在関所跡は県立勿来の関公園となり、多くの歌碑等が残ります。
又一画には勿来の関文学歴史館や平安時代の建物を模した吹風殿が建ち、昔を偲ぶよすがとなっています。
表紙の写真は、公園の入口にある源義家の銅像と勿来の関跡の碑
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 社員・団体旅行
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- 団体旅行
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勿来県立自然公園に到着。
小さな門を潜り公園に入ると、木柵に囲まれた小さな石碑が在ります。
何か歴史を感じる建て方です。 -
関東の宮
関東と奥州の国境の守り神として祀られたお宮。 -
公園の案内図、歌碑の所在場所を示します。
数えると16在りました。 -
松林の中、小道を辿ると小さな広場に行きつきます。
小道は詩歌の古道と呼ばれ、多くの歌碑が建ち歴史の古さを感じさせます。 -
それでは目に付いた歌碑を順番に見て行きましょう。
最初は、勿来の関を代表する武人で歌人の、源義家の和歌。
吹く風を なこその関と 思へども 道もせに散る 山桜かな
平安時代、奥州討伐に向かう際に詠みました。
入口の銅像もこの歌に由来します。 -
海上比佐子歌碑 明治から昭和初期に掛けての歌人。
桜木の 石にもなりて くちぬなを 関のこなたに とどめけるかも -
飛鳥井 雅宣歌碑 室町時代の貴族、罪を得て奥州に流される時、ここを通り詠んだ歌。
九面や 潮満ちくれば 道もなし ここを勿来の 関といふらん -
和泉式部歌碑
名古曾とは 誰かは云ひし いわねとも 心にすうる 関とこそみれ -
小野 小町歌碑
みるめ刈る 海女の往来の 湊路に 勿来関を わすれえなくに -
源 信明歌碑 平安時代の歌人
名古曾世に なこその関は 行かふと 人もとがめず 名のみなりけり -
芭蕉句碑
風流の はしめやおくの 田植うた -
田中智学の源義家顕彰碑 (勿来植桜記念碑)
吹く風を なこその関と おもへども 道もせに散る やま桜かな
古関常奥の界 荒寥たる勿来の峯 海を憶ふ才姫の詠 花を惜しむ源師の吟
桃桜曾て斧を入れ 松柏曠しく琴を鳴らす 風物時に縁りて変り 美談伝わりて今に至る -
勿来の関付近の絵図
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展望台よりは海が臨めます。
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広場を過ぎると、道は自然に勿来の関文学歴史館に導かれます。
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こちらが入口。
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鎧も展示されています。
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江戸時代、勿来は浜街道の宿場町関田として栄え、その当時の庶民の家が再現されていました。
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寺の門前で休む小僧、それとも旅人でしょうか。
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投稿歌の入選作品
ここは歌枕の名所でした。 -
公園の入口にあるレトロな電話ボックス。
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公園の外れには、平安時代の貴族の館が再現され、吹風館と呼ばれます。
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庭では曲水の宴も開けます。
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屋敷内の飾り。
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中々立派な建物です。
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同上
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屋敷の門
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このバスに乗って来ました。
では次の訪問地五浦に向かいましょう。
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