2016/02/21 - 2016/02/21
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ソウルの旅人さん
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旅行記2作目。習作です。練習用ですから不細工です。
西宮から京都南部までをドライブしました。古代から現代まで、何の統一も目的もなく、眼にとまった場所を脈絡なしに見てきた。ひょっとして、
1〜2箇所は興味のある事物があるかもしれません。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
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-
出発は西宮の南西部の西宮浜です。
現在の芦屋と西宮
浜から見た六甲山。遠方に見えるが、実際は
もっと近くに見え、かなりの景観です。
右端の丸いお椀形の山は甲山。 -
芦屋市域の拡大写真。
左側の白い大きな建物群は芦屋大学。
その右側一帯はあの「六麓荘」です。 -
西宮市域の拡大写真。
右、甲山。
地名では甲陽園・苦楽園辺りです。山の手の≪山≫とは六甲山と甲山のこと。 -
西宮砲台。(近世)
夙川の浜にある大きなコンクリート製の土管に見える。ペリー
来航より海防の為、江戸では砲台作りの為にお台場が出来るが、
幕府は大阪湾にも同じような防御用の砲台を作った。
1866年に完成したのがこの西宮砲台です。21世紀まで立派
に残っているが、周辺環境との違和感が面白い。 -
あしはら橋。
砲台から夙川にむかい、その河口から少し上がったところにある橋です。
「川が1本流れている。それほど深くない水の綺麗な川で、そこに趣のある橋がかかっている。」
村上春樹『ランゲルハウス島の午後』にこのように書かれた橋がこの橋です。
どうです、趣がありますか。 -
夙川
あしはら橋中央から見た「水の綺麗な川」と書かれている夙川です。
正面奥は甲山。
その山を借景として桜の咲く時期は見事です。 -
西宮市中央図書館
あしはら橋を北に向かってすぐ。変哲のない図書館など興味ない
と言うなかれ。あの橋を渡って小学生の春樹が通ったのがこの
図書館です。春樹ファンは一度は訪れたい場所。 -
道
図書館の前の道です。
またまた平凡な通りで、何を写したか意味不明ですが、
あとの話に繋がる。 -
酒蔵通り
図書館前の道を酒蔵通りと呼びます。西宮の語源は
「二升飲めや(ニショノメヤ)」と言われています。
嘘ですよ。嘘ですよ。 -
酒蔵通りの石柱
灘五郷の内、西宮には「西宮郷」「今津郷」があり、酒造
で成立した街でした。 -
宮水井戸
冒頭写真の六甲山に降った雨が伏流水となり、西宮に流れ落ち、
その水が酒の原料に最適であったので、酒造が発展した。
その地下水を汲みだすのが宮水井戸。 -
宮水井戸
井戸は各酒造メーカー別にこのように名前を付けて沢山ある。
形状もマチマチです。 -
白鹿
全国区の大手酒造メーカーだけ紹介。
白鹿は西宮で作られている酒です。 -
日本盛
2月末から3月にかけて新酒の蔵出しが行われる。
昨秋に仕込んだお酒の利き酒です。ものすごく美味しい
酒が飲める。これは本当です。 -
大関
ワンカップ大関はこの工場で作られているはず。11月ごろ
この近辺を通ると、なんとも言えない甘い香りが漂ってくる。
大手以外にも松竹梅など多くの酒造会社があったが、稼働
を止めているようだ。 -
名神西宮インターチェンジ
大関の工場をほんの少し北へ歩くとここ。
東京から東名・名神を経由して到着する終着駅です。
鉄道でいえばターミナルになるが、何の旅情も
湧かない。通過するだけ。
どうして車旅行には旅情がないのか。 -
今津灯台(近世)
大関の工場を南に400m歩けばここ。
19世紀初めに建てられた江戸時代の灯台です。酒の大消費地
であった江戸へ酒を輸送したのは船でした。その為の灯台です。
大阪湾に向かって写真を撮っているが、埋め立てがすすんで、
海側に建物や高速道路が作られて、もはや海の先端ではなくなり、
当然灯台の役割も果たせない。
時の経過を感じさせる遺物。 -
????
これは何の建物かわかりますか?
酒蔵通りを西か東に来て、最終到達点にある大きな建造物
です。 -
これで判ったでしょうか?
内部を写せば誰でも知っていますが、外観写真は案外知られていないかも。 -
甲子園球場
酒蔵通りは春樹の中央図書館から始まって、各酒造メーカーを巡り、
最後は甲子園に到着する通りなのです。
ユニークな通りでしょ。 -
旧甲子園ホテル
甲子園球場を左折し、北に向かい、国道2号線を右折すると
すぐです。
1930年に完成した甲子園ホテル。
東京の帝国ホテルを設計したライトの弟子である遠藤新の設計
です。ライトは途中でリタイアしているから、帝国ホテルは実質的に遠藤が作ったと言ってよく、甲子園ホテルが相似なのも頷ける。
現在は女子大の会館として使用されている。 -
旧甲子園ホテル
不幸な歴史を背負っているが、見ての通り建物の意匠は素晴らしい。
醜悪な建造物の甲子園球場に比べて、このホテルはまさに芸術品。
『日本の最も美しい名建築』に掲載されているのも頷ずかれる。
事前予約にて内部見学可
見学申込専用電話番号
0798−67−0290 -
JR武庫川橋梁
甲子園ホテルから武庫川右岸に上がり、北行する。
電車が橋を渡っているが、この景色だけで、なんとなく
『旅』を感じるのは私だけでしょうか。高速道路の
インターチェンジと比べてどう!!!! -
171号線甲武橋
右岸を右折して国道171号です。
西宮京都間の171号は旧西国街道とほぼ並行です。
これからは西国街道を走ると言ってよい。 -
陸上自衛隊第3師団
171号に入るとすぐ伊丹市です。
伊丹には自衛隊の中部方面隊と第3師団の本部がある。
中部方面隊本部は171号線に面していないが、第3師団
はこの通り車から写真が撮れます。
【陸上自衛隊の研究】
伊丹にどうして中部の本部があるのか。
中部方面隊の中部とは中部地方(愛知県他)の意味ではなく、
自衛隊では本州の 西半分を中部と称する。
次に組織表を書いておきます。 -
中部方面隊担当地区 東海・北陸・近畿・中国・四国
担当師団・旅団
第10師団 富山・石川・福井・愛知・三重
第 3師団 滋賀・京都・大阪・奈良・和歌山・兵庫
第13旅団 鳥取・島根・岡山・広島・山口
第14旅団 香川・徳島・愛媛・高知
伊丹に中部方面隊本部があることを納得。
あなたの住んでいる所の担当師団を知っていますか?
勉強になりましたでしょう。
※念のため書いておきますが、これは自衛隊のホームページからの転載です。 -
ダイハツ町
伊丹を過ぎて猪名川をわたると少しだけ池田市に入ります。
ダイハツ町が171号に面し、この陸橋の横がダイハツ本社と工場
です。今ではトヨタの子会社。
どうしてダイハツというダサイ名前を付けたのか。
旧社名「発動機製造株式会社」
大阪で発動機を作る会社なので大・発に縮めた由。大阪的
軽薄さの極致。
ああ、ミゼットは何処ェ行ったのか! -
箕面市
小さな滝があって、モミジのてんぷらが名物と言われても
途中下車せず。 -
箕面市
交通表示板
阪大病院の表示あり。
171号から南に5分も走ればあるが、中之島に在ったころ
の傲然たる雰囲気はない。
白い巨塔はどうなった。 -
旧西国街道(近世)
茨木市を経て、高槻市に入って171号から少し西に逸れると
旧西国街道の道が残っている。江戸時代に京都羅生門から下関
まで通じていた幹線道路。
今でも羅生門前は国道1号線と171号の引き継ぎ地点である。
分からないって!
名神京都南インターを降り、1号線を北に向かうと、東寺西側に
突き当たるでしょう。そこが平安京の羅生門があった場所です。 -
旧西国街道
車両のすれ違いも出来ない細い道です。これ位の道幅で十分
だったのでしょう。残っている他の西国街道もこれと同じ程度です。
江戸時代の旅は歩くことだった。車・汽車でする旅との隔絶した
感覚の相違は驚くほど大きい。
-
繼體天皇三島藍野陵参道(古代)
西国街道に面してあります。
周辺は住宅街ですが、ここだけは別世界。 -
この陵の名前は太田茶臼山古墳と言い、専門家は5世紀に作られたと推定しており、それはかなり確実な証拠があるようです。継体天皇は6世紀前半に亡くなっております。「継体天皇陵ではない」が古代史家の定説とのこと。ではなぜここが継体天皇陵とされているのか?
特に理由はないのです。明治に宮内庁がそう決めたから。専門家が何を言おうと頑として変更しない。
歴代天皇陵はそのように決められています。 -
宮内庁が設置している表示板。
天皇陵にはすべてこの形の表示板がありますネ。
表示板ではなく正式な名称があるでしょうが、知りません。 -
今城塚古墳(古代)
太田茶臼山古墳から北東に10分も走るとこの古墳があります。専門家が
継体天皇陵と判断している古墳です。
宮内庁が関与しないので地方公共団体が専門家の意見を聞いて復元を行い、
なんと古墳の周りには新造の埴輪をびっしり並べている。
宮内庁が管理すると絶対に触ることが出来ないのに比べ、なんと
自由なのか。 -
右手に建設工事の仮説小屋があった。現在も整備事業が継続
されているようです。
宮内庁の指定を受けて一切触らずに管理されるのがよいか、
この今城塚のように公園整備して市民に全面開放するほうがよいのか。
この今城が本物の継体天皇陵であることを考えると、果たして
継体天皇は地下でどう思っているでしょうか?
-
高槻市内
車旅行で困ること。
1.事故
2.渋滞
3.トイレ
この高槻市内は渋滞の名所。渋滞に嵌ってウンザリ。 -
サントリー山崎醸造所
高槻市内を抜け、水無瀬から京都府道67号に入る。
67号は基本的には旧西国に準じており、車両すれ違い
も難しい細い道で、道の両側民家から軒がせり出し、
車には難渋な道路。
その67号沿いに現れるのが、サントリ−山崎醸造所。 -
67号はほんの一部JR東海道線と並行するが、その踏切を渡った
所が正門である。
40年前頃、サントリーのテレビコマーシャルでこの山崎醸造所
が使われており、霧に浮かぶ幻想的な映像より、山奥にあると
思っていたが、こんな所にあることを知って、がっかりした。 -
サントリーは天王山の麓、梅が満開です。
見つけた早春の景色はこれだけ。
天気は絶好、気温も高くなった。
しかし、春を見つけたとは言い難い絵面か。 -
サントリ−正門前の踏切からJR山崎駅。
この右下が67号線だが、線路幅は道路の7〜8倍になるか。 -
天王山
67号より171号線に戻り、少し離れたところからの天王山。
東京の知り合いが「天王山ってほんとにあるの」と聞くから
これに似た写真を見せると「なに、これ。山じゃない」と
ぬかしたことがあった。
関東の人間は山といえば富士山しか頭に浮かばないらしい。
これが天王山じゃ。 -
天王山橋
橋もある。天王山橋。
171号に面する名神大山崎インターを過ぎてすぐ右折して
国道478号線に入る。その最初に渡る橋がこれ天王山橋である。
下の川は桂川。
この地点の桂川は加茂川と合流しており、文字通り京都方面から
流れ下っている。 -
宇治川
桂川を渡って、最初の信号を右折。京都府道13号に入る。
即、宇治川を渡る。
琵琶湖から流れ出た瀬田川は天ケ瀬ダムを越えると宇治川
と名前を変え、この地点に流れ下ってくる。 -
宇治川
橋の上、その近辺は駐車禁止なので車から走りながら写真
を撮っている。 -
木津川
宇治川を渡ってすぐ木津川が現れる。
横に写っているのは京阪電車。 -
木津川
地道を走って車が止められる南に下って、北側を写した写真。
上の写真はこの赤い橋の上から撮っている。
正面の山は天王山。 -
同じく少し南側から
左側の赤い橋は木津川
右側の赤い橋は宇治川
書くまでもなく正面の山は天王山
桂川・宇治川・木津川が合流するのがここです。
地名は『淀』。 合流した川が淀川です。
明智光秀と豊臣秀吉との戦いはこの三川合流点で行われたが、
高地である天王山を制することがいかに重要かがよくわかる。
-
京都競馬場
淀にあります。桂川と宇治川の間です。 -
石清水八幡宮 男山
競馬場から再び府道13号に戻って岩清水八幡宮へ向かう。
-
京阪電車八幡市駅前と男山
山へ登っていくケーブルカーがあった。 -
石清水八幡宮の石碑(中世)
八幡市駅から歩いて3分程度。
近い便利な場所にあった。 -
八幡宮
沢山の人が男山に登って行ったが、私は八幡神社にお参り
するのが目的でしたので、観光客のように山の上に登ったり
ケーブルに乗ったりしませんでした。
先達はあらまほしきことなり -
行き止まり
ここから中書島(淀の船着き場で伏見屋あり。龍馬の跡を
訪ねる)から西国街道の始発である羅生門跡まで行く予定であった。
見事にまとめるはずであったが、八幡宮でカメラの電池が切れた。
最後に写っていたのは何やら意味不明の矢印だった。
終了、終了、終了。
中途半端に終わるのが我人生。我運命。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- 熟年ドラゴンさん 2016/03/13 23:21:47
- 臨場感あふれる紹介旅行記ですね。
- 自分も車で回っているような気になれます。
前半は我々のご近所紹介ですね。職場から撮ったような絵面がありました。
西宮浜から見える芦屋の建物は大学だったのですね。
羅生門と言えば、芥川とか黒沢とか三船とかをイメージしますがどこにあったかは知りませんでした。勉強になります。
タイトル見た時、「西宮から京都南までのドライブ? 名神で30分、何も見るとこないやん」と思ってしまいましたが、知らない所っていっぱいあるんですね。
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