2016/03/02 - 2016/03/02
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ぶんちゃさん
白川公園の北っかわにある商工会議所ビルでの所用が午前中で終わったので、ぶらぶら街歩きに出発。若干南に下がって大須観音参拝。次は北上して延命院・福生院・那古野神社・名古屋東照宮そして名古屋城郭内に入って護国神社を参拝。
夫々の寺社では御朱印を頂きました。最近は街歩きの他に御朱印集めの趣味も重なって荷物が増えて大変になってきました。御朱印代もばかにならないので各霊場の専用納経帳を購入して、そこに印だけを押していただくというスタイルなんですけど。手を広げすぎて尾張三十三観音・東海三十六不動尊・名古屋二十一大師・名古屋七福神の各霊場札所の専用納経帳そして神社用・寺院用とあわせて6冊。これだけで頭陀袋は一杯です。その他にカメラもあるので家に帰ると肩がパンパンです。
- 旅行の満足度
- 4.5
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本日持参した御朱印帳全6冊
上段左から尾張三十三観音、名古屋二十一大師、名古屋七福神
下段左から東海三十六不動、寺院用(自作)、そして神社用 -
本日の最初の訪問先、大須観音です
正式には北野山真福寺寶生院
日本三大観音
東海三十六不動尊10番札所
尾張三十三観音1番札所
なごや七福神布袋霊場
名古屋二十一大師1番札所を兼ねる真言宗智山派別格本山です。
岐阜県羽島市大須に創建され、徳川家康によって現在地に移されました。大須観音(寶生院) 寺・神社・教会
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明治時代と第二次大戦の2度、本堂ほかを消失しています。
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納経所は本堂へ入ってすぐ右にあります。
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屋根の上で鳩が並んで日向ぼっこ
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鐘楼です。昭和41年鋳造といいます。
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大正琴発祥の地
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ご本尊様
墨書でいただきました。
大悲殿
大悲とは観音菩薩の別名で菩薩の慈悲の心を現しているそうです。 -
名古屋二十一大師法納経にいただきました
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東海三十六不動霊場納経帳にいただきました
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大須観音のすぐ南にある七寺でいただきました。
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大光院
徳川義直尾張襲封まえの清洲城主松平忠吉の戒名から名づけられたそうです。赤門通りの名はこのお寺の朱色が起源です。 -
本堂・明王殿
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とりあえず歩いていたら神社があったので参拝します。場所は矢場町交差点南の三洋堂書店を西へ入ったところ。
三輪神社です。鳥居が変わっています。三つ鳥居とか三輪鳥居とかいう種類だと思います。三輪神社 寺・神社・教会
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社殿はシンプル。
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御朱印頂きました。
ウサギが弓を射ている図柄は、境内に福うさぎがあり、かつて尾張藩の矢場があったことからです。この辺りの町名も矢場町といいます。 -
次に来たのは若宮八幡社
この神社前の通り若宮大通りの名はこの神社の名前から取られました。若宮八幡社 寺・神社・教会
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若宮八幡とは八幡神の若宮(御子)のことで、八幡神は応神天皇、若宮は仁徳天皇のことです。立札にある今市場は名古屋城の三の丸内にあたります。
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本殿と若宮恵美須神社
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神紋は橘
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こちらは連理稲荷
連理木からきてるのかしら。だとすると縁結びの神様? -
御朱印いただきました
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白川公園にやってきました。
白川公園 公園・植物園
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名古屋市科学館
また今度来ます。 -
名古屋市美術館
ここもパス -
朝日神社にやってきました。
朝日神社 寺・神社・教会
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清洲越により名古屋に引っ越してきたそうですが、それ以前のことはわかりません。
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神紋は五三の桐
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境内の朝日稲荷
結局神職が不在の為、御朱印はいただけませんでした。 -
ここにもありました。蕃屏です。
昔、はす向かいに牢屋敷があったため不浄のものを神様に見せないためにつくられたともいわれています。これは創建当時のままです。他の社殿は戦災で焼失再建されたものです。 -
福生院です。
ご本尊は大聖歓喜天
なごや七福神 毘沙門天霊場
名古屋二十一大師 第5番札所
東海三十六不動尊 12番札所福生院 寺・神社・教会
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大聖歓喜天を祀る本堂
ご本尊のせいかなんか華やかなお寺です。
ご利益有りそうです。 -
屋根の上の鬼瓦でいいんでしょうか
変わっています。 -
六角堂
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七福神
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家運隆昌・商売繁盛・除災招福・所願成就祈祷
交通安全・事故防止諸車加持
地鎮祭・家祈祷・出張厳修
お子様命名(名付)
日本百観音霊場お砂踏み
本四国八十八ヶ所霊場お砂踏み
ぼけ封じ観世音
幸せ求めて十一面観世音石像
智恵技能仏手石
縁結び金のわらじ
福袋願かけ石
盛りだくさんです。 -
七福神
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名古屋二十一大師納経帳にいただきました
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東海三十六不動霊場納経帳にいただきました
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周囲はこんなところ
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ビルの谷間にある桜天神社
谷間というより谷底桜天神社 寺・神社・教会
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正面あるのは本殿ではありません。
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こちらが本殿
受験シーズンは受験生やその家族の参拝が多いようです -
御朱印いただきました
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名古屋二十一大師
四番霊場延命院です。お寺臭さがあまりない。 -
正面階段を上がっていくと猫がひなたぼっこ。迷惑そうに睨まれました。
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専用納経帳にいただきました
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河村瑞賢は江戸時代の人で三重県出身です。江戸へ出て財を成し、土木・建築・河川開削・新規航路の開拓などに活躍した人ですが、尾張藩にも縁があったようです。
河村瑞賢宅跡 名所・史跡
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那古野神社
敷地の関係か鳥居は東向き
鳥居をくぐったら右に回ると本殿があります。那古野神社 寺・神社・教会
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名古屋城築城時、三の丸建設予定地にあったのですが、そのまま三の丸郭内に取り込まれ、明治になって現在地に移転したようです。
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手水舎
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手水舎の龍
迫力あります -
本殿
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天王社なので津島神社と同じ木瓜紋です。
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御朱印をいただこうと社務所に行ったんですが、照明は点いているけど誰もいない。小窓を開けて呼びかけても応答なし。
あきらめてお隣の東照宮へ向かいます。 -
葵の紋が目を引きます
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本殿は春姫さんの御霊屋を移築したものだそうです。
名古屋東照宮 寺・神社・教会
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御朱印は見開きでいただきました。
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本町御門前付近には江戸時代は評定所とか藩校とか重要な建物があったようです。
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本町交差点
三の丸の正門跡です。 -
本町御門の枡形跡
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三の丸の堀です。
嘗て名鉄瀬戸線がこの堀の底を走っていました。 -
三の丸の堀を渡ると左手すぐ
愛知県護国神社があります。愛知県護国神社 寺・神社・教会
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本殿は戦後の再建です
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神紋は菊花の真ん中に愛知県の県章が組み合わされています。
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戦艦大和記念碑
主砲弾でしょうか -
御朱印いただきました
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二の丸南側の堀です。
名古屋台地の上になるので空堀です。 -
二の丸大手二の門
名古屋城 名所・史跡
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二の丸大手一ノ門跡
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左手の石垣は大手馬出し
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馬出しの堀を埋めた後
中央部が白っぽい
明治になると名古屋城は宮内省に献上され、馬車の出入りに邪魔だってんで一部を埋め立てたそうです。 -
正門前に着きました。
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宮内省に献上されていたので離宮でした。
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この門は江戸城の蓮池御門を移築したものです。戦後の再建です。
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本丸西南と東南の隅櫓
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西南隅櫓と大天守
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西南隅櫓のアップ
二層三階です。 -
本丸大手二の門
ここから本丸に入ります。 -
本丸表二の門内側
本丸御殿建設用の車両が通行する為養生されています。 -
本丸表一の門跡と舛形
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本丸御殿の玄関
ここからは入れません -
玄関上の破風
三つ葉葵が光っています。 -
玄関から見た大手門石垣
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御殿の内部はフラッシュ禁止です。
障壁画の模写が痛むからでしょうか。 -
全てがきんきらじゃあないんですね。
キンキンばかりじゃあ目が休まりません。 -
広い廊下
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ん〜
華やかです -
こちらの廊下はチョイ狭め
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御殿見学を終えて出てきたところ
東南隅櫓です -
本丸東一ノ門跡
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本丸東二の門
二の丸東二の門をいちくしたものです。
この先搦め手馬出しがあるのですが、修復工事中で立ち入り禁止です。
名古屋城を造るときはほぼ一年で石垣工事が完成したそうですが、現代では何年もかかっています。名古屋城全体が特別史跡で日本文化の象徴でもありますので、元通りにする必要があるからでしょうね。 -
本丸東枡形にある清正石
名前は清正ですがこの辺りの工事担当は黒田長政でした。 -
再建中の御殿と覆屋
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大天守がドーン
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こちらは小天守
ここから入ります -
大天守の入り口は厳重です
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最上階からの眺め 東南方向
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名古屋駅前のビル群
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再建途中の本丸御殿
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最上階から見た階段ホール
ゾーッとします -
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名古屋の城下の様子が再現してありました
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戦災前の写真が展示してありました。
天守閣から東南方向を写してあります。
瓦葺きの本丸御殿・東一ノ門、二の丸には陸軍の兵舎が並んでいます。 -
本丸御殿の模型
玄関の屋根のみ銅板葺き、他はすべて瓦葺き
当初はすべて杮葺きだったのですが後に葺き替えられたようです。 -
三の丸の武家屋敷まで模型で展示してありました
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大天守と小天守を結ぶ橋台の軒先には槍の穂先様のものがびっしり並んで侵入者を防いでいます。
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本丸から深井丸へ抜ける不明門。
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本丸北側の堀
搦め手馬出しの石垣工事中なので,堀のそこに解体した石が保管中 -
深井丸側から見た不明門
開かずの門でした -
天守の礎石
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大天守西面
計画ではここにもう1基小天守を設ける予定だったそうです。 -
本丸の堀には鹿が放されてます。だんだん数が減って今は2頭のみです。
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深井丸北西隅櫓
通称清洲櫓です。
清洲城の天守を移築したものといわれています。 -
乃木倉庫
乃木希典が名古屋鎮台の司令官の時代に造られたのでこの名前が付けられています。第二次大戦中は本丸御殿の障壁画がここに収められていたので無事だったそうです。名古屋城 名所・史跡
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鵜の首
西側からの堀が本丸側に入り込んでこの通路幅に狭まっています。奥が深い丸で手前が西の丸になります。 -
本丸の南側を通って二の丸に向かいます。
右が大手馬出し、左が二の丸になります。 -
加藤清正の石引き像がありました。
重機もトレーラーも無い時代ですから人海戦術でこうやって景気を付けないと運べなかったんでしょう。 -
東南隅櫓
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二の丸東二の門遠景
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二の丸埋御門跡
城を敵に囲まれた時の脱出口です。
垂直に近い階段を鎖に掴まりながら濠の底まで降りて船で脱出します。 -
かなり急角度です。常時船がつながれていたそうです。
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二の丸北にある南蛮たたき(練り塀)。
石灰・赤土・菜種油を混ぜて叩き上げて作ったそうです。穴が開いているのはここから鉄砲を撃つため。コンクリートより固いとか。 -
二の丸庭園の碑
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二の丸庭園
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名古屋城築城前、二の丸辺りには那古野城又は柳の丸城という今川氏の城がありました。
織田信秀は計略で那古野城を奪い取って居城とし、織田信長はここで生まれたともいわれています。 -
梅が満開でした
いい香りがしています -
愛知県体育館です。
大相撲名古屋場所はここで開かれます。 -
二の丸東一ノ門跡
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二の門跡です
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地下鉄市役所駅入り口です。後方は名古屋市役所です。
ずーと歩きだったのでかなり足が疲れました。今日はこれにて退散です。名古屋城駅 駅
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