2016/01/05 - 2016/01/05
246位(同エリア495件中)
滝山氏照さん
金峯山・宝樹院(ほうじゅいん、埼玉県蕨市中央)は蕨(わらび)城主渋川氏開基の菩提寺で、渋川氏は足利将軍家の一門という家格を有し、その一族は九州・中国・関東に点在しており、一族の中には九州の南朝勢平定を目的とした九州探題の要職に就任しています。
長禄元年(1459)八代将軍義政は古河公方足利成氏(あしかが・しげうじ)の幕府に対する横暴を制圧するため異母兄弟の天龍寺香厳院主清久を還俗させ足利政和(あしかが・まさとも)として新たな鎌倉公方として下向させる一方、渋川義鏡(しぶかわ・よしかね、生誕死没不詳)を関東探題職に任命し関東における足利将軍家の影響力強化を狙います。
義鏡・義尭(よしたか)親子二代に亘り蕨城を拠点として古河公方に対抗しますが、義政の使命を果たすことできずむしろ蕨城を死守に終始、やがて義堯の頃武蔵国を席巻する小田原北条氏の勢力に組み込まれ遂に軍門に下ります。
臣従した渋川氏は小田原北条氏の一武将として軍命に従い関東各地を転戦するなか、永禄10年(1567)下総・国府台(こうのだい)における安房・里見氏との戦いにおいて北条氏方として参戦した渋川義基(よしもと)は上総国三舟山で討死、これにより渋川氏は急速に凋落し一族郎党は四散、蕨城を拠点とする関東渋川氏は滅亡に至ります。
「渋川公墓
金峰山宝樹院は、臨済宗建長寺派に属し、川口市芝の長徳寺の末寺で、創建の年代ははっきりしませんが、観応三年(1352)以前の創建と考えられています。
本尊は、地蔵菩薩。蕨城主であった渋川氏の菩提寺として知られています。
永禄十年(1567)、渋川公(宝樹院殿)は上総国三舟山(千葉県富津市・君津市の境界付近)の合戦で里見氏に敗れて戦死し、その死を悲しんだ夫人(竜体院殿)も榛名湖に入水したといわれています。
入水した夫人は竜神となり、榛名湖に雨乞いに行くと雨が降るという伝説が生まれ、榛名湖まで水をもらいに行く雨乞いの行事が昭和初期まで行われていました。
宝樹院殿・竜体院殿の石碑は、江戸時代初期の文化十三年(1816)に渋川公夫妻の250年忌に渋川氏の家来の子孫によって造立されたもので、それぞれに戒名と夫人の石碑には、渋川公の戦死を悲しみ榛名湖に入水したなどの口碑が刻まれています。
平成9年3月 蕨市教育委員会」
- 旅行の満足度
- 4.5
- 交通手段
- JRローカル
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宝樹院・入口
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渋川公墓所・石標
「蕨城主 渋川公墓所」と刻された石標が入り口に建っています。 -
宝樹院・参道
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宝樹院・山門
珍しく山門左右には仁王像が配されています。 -
扁額
山門上部に山号「金峯山」が掲載されています。 -
渋川氏墓所標柱と説明板
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渋川氏説明(近景)
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宝樹院・本堂
正式には「金峯山宝樹院」と称する臨済宗・建長寺派の寺院となっています。 -
宝樹院・本堂内部
「寶樹禅院」と揮毫された文字が垣間見えます。 -
宝樹院・境内
例によって本堂から山門に向けて境内景色を捉えます。 -
宝樹院・境内
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渋川氏夫妻供養塔
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渋川氏夫妻供養塔(全景)
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宝樹院殿供養塔(近景)
説明板では「渋川公」としか紹介されてませんが「義基」氏と思われます。 -
竜体院殿(近景)
右側には義基氏夫人の供養塔が並んでいます。 -
渋川氏夫妻供養塔
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渋川氏夫妻供養塔(正面)
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