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15時半をまわったけど、あと2つお寺を周らなければ・・・!ちょっと急ぎめで、頭塔から福智院へと向かった。<br /><br />

仏像に萌え~!の古都奈良ひとり旅 12 ★福智院、十輪院、夕暮れのならまち★

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2015/10/29 - 2015/11/03

143位(同エリア5392件中)

旅行記グループ 奈良

6

66

こあひる

こあひるさん

15時半をまわったけど、あと2つお寺を周らなければ・・・!ちょっと急ぎめで、頭塔から福智院へと向かった。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
旅行の手配内容
個別手配

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  • 15時半をまわりました。頭塔から、次の目的地である福智院までは500mほど・・・すぐです。

    15時半をまわりました。頭塔から、次の目的地である福智院までは500mほど・・・すぐです。

  • 通りがかりに、自家製酵母と国内産小麦のパン屋さん「ノモケマナ」で、明日の朝食のパンを買っていきます。そろそろホテルの無料朝食にも飽きてきちゃたので・・・。<br /><br />こんな時間なので、2〜3種類しか残っていませんでしたが〜。<br /><br />ノモケマナ<br />http://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29004272/

    通りがかりに、自家製酵母と国内産小麦のパン屋さん「ノモケマナ」で、明日の朝食のパンを買っていきます。そろそろホテルの無料朝食にも飽きてきちゃたので・・・。

    こんな時間なので、2〜3種類しか残っていませんでしたが〜。

    ノモケマナ
    http://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29004272/

    ノモケマナ グルメ・レストラン

  • 表通りから一本裏手にある福智院に到着です!

    表通りから一本裏手にある福智院に到着です!

  • ちょうど、秘仏の宝冠十一面観音菩薩立像(室町時代)が御開帳されています〜!

    ちょうど、秘仏の宝冠十一面観音菩薩立像(室町時代)が御開帳されています〜!

  • では入りま〜す。<br /><br />福智院は、聖武天皇の命を受け、僧・玄ぼうが創建した清水寺(しみずでら)を前身とするお寺・・・と伝えられています。<br /><br />清水寺は中世に廃壊し、現存せず遺跡も発見されていません。現在の奈良ホテルや頭塔周辺も、昔は清水寺の境内だったほど大きな伽藍だったようです。<br /><br />建長6年(1254)、興福寺大乗院・実信僧正と叡尊上人が、清水寺のあった地で、福智院地蔵堂の造立供養をしました。これを清水寺の再興というとらえ方もできるわけです。

    では入りま〜す。

    福智院は、聖武天皇の命を受け、僧・玄ぼうが創建した清水寺(しみずでら)を前身とするお寺・・・と伝えられています。

    清水寺は中世に廃壊し、現存せず遺跡も発見されていません。現在の奈良ホテルや頭塔周辺も、昔は清水寺の境内だったほど大きな伽藍だったようです。

    建長6年(1254)、興福寺大乗院・実信僧正と叡尊上人が、清水寺のあった地で、福智院地蔵堂の造立供養をしました。これを清水寺の再興というとらえ方もできるわけです。

    福智院 寺・神社・教会

  • 建長6年(1254)に建てられた本堂。<br /><br />2階建てのように見えますが、一重の裳階つきの単層の建物です。本瓦葺きの寄棟造りの屋根、正面には一間の向拝がついています。<br /><br />

    建長6年(1254)に建てられた本堂。

    2階建てのように見えますが、一重の裳階つきの単層の建物です。本瓦葺きの寄棟造りの屋根、正面には一間の向拝がついています。

  • シンプルながらも美しい本堂です。<br /><br />本堂へ入って、御本尊と御開帳されている宝冠十一面観音菩薩立像を参拝させていただきます。

    シンプルながらも美しい本堂です。

    本堂へ入って、御本尊と御開帳されている宝冠十一面観音菩薩立像を参拝させていただきます。

  • 御本尊は地蔵菩薩坐像。写真は絵ハガキを写しました。<br /><br />この仏像は、1203年に福智庄(現・奈良市狭川町)で造られましたが、その後まもなく叡尊上人によって現在地に移され、建長6年(1254)、これを本尊として、福智院が創建されたものと考えられています。<br /><br />右手に錫杖、左手に宝珠を捧げ、右足を安座にした丈六(2.73m)の坐像で、台座を合わせた総高は6.7mもあります。<br /><br />蓮華座に乗っているのではなく、飛鳥や白鳳時代の仏像に見られるように、裳懸(もかけ)・・・衣の裾が、台座に広がって垂れる、古式なスタイルです。<br /><br />桧の寄せ木造りの上に漆を塗り重ね、その上に彩色が施されていたようです。<br /><br />そして・・・よく見てギョッとするのが、舟形光背いっぱいに並んだちっちゃな化仏。び〜っしりと並んでいるのでかなり驚きました。また、光背の二重円相部には、頂上に不空成就如来、そして左右に3体ずつ計6体の地蔵菩薩像、最下部の左右には、閻魔王と太山王がついています。<br /><br />光背の化仏は560体・・・6地蔵と本尊も入れると全部で567体であり、釈迦滅後、56億7千万年後に下生するという弥勒の信仰に符合してます。<br /><br />本尊と円相部についた仏は、仏師が彫ったと思われるのですが、ちいさな化仏はひとつひとつ異なり、上手なものからいかにも素人っぽいものまで見られるのが面白いです。

    御本尊は地蔵菩薩坐像。写真は絵ハガキを写しました。

    この仏像は、1203年に福智庄(現・奈良市狭川町)で造られましたが、その後まもなく叡尊上人によって現在地に移され、建長6年(1254)、これを本尊として、福智院が創建されたものと考えられています。

    右手に錫杖、左手に宝珠を捧げ、右足を安座にした丈六(2.73m)の坐像で、台座を合わせた総高は6.7mもあります。

    蓮華座に乗っているのではなく、飛鳥や白鳳時代の仏像に見られるように、裳懸(もかけ)・・・衣の裾が、台座に広がって垂れる、古式なスタイルです。

    桧の寄せ木造りの上に漆を塗り重ね、その上に彩色が施されていたようです。

    そして・・・よく見てギョッとするのが、舟形光背いっぱいに並んだちっちゃな化仏。び〜っしりと並んでいるのでかなり驚きました。また、光背の二重円相部には、頂上に不空成就如来、そして左右に3体ずつ計6体の地蔵菩薩像、最下部の左右には、閻魔王と太山王がついています。

    光背の化仏は560体・・・6地蔵と本尊も入れると全部で567体であり、釈迦滅後、56億7千万年後に下生するという弥勒の信仰に符合してます。

    本尊と円相部についた仏は、仏師が彫ったと思われるのですが、ちいさな化仏はひとつひとつ異なり、上手なものからいかにも素人っぽいものまで見られるのが面白いです。

  • こちらは、秘仏の宝冠十一面観音菩薩立像。絵はがきを写したものです。室町時代に造られた像です。<br /><br />元は伊勢の浄水寺に安置されていた仏像で、明治の廃仏毀釈で個人の手に渡った後、縁あって福智院が迎えることになった客仏だそうです。十一面観音で宝冠を被っているのを初めて見ました(もともとあっても、失われてしまっているものもあるだろうし)。ややふくよかで優しいお顔の観音さまです。

    こちらは、秘仏の宝冠十一面観音菩薩立像。絵はがきを写したものです。室町時代に造られた像です。

    元は伊勢の浄水寺に安置されていた仏像で、明治の廃仏毀釈で個人の手に渡った後、縁あって福智院が迎えることになった客仏だそうです。十一面観音で宝冠を被っているのを初めて見ました(もともとあっても、失われてしまっているものもあるだろうし)。ややふくよかで優しいお顔の観音さまです。

  • 明治の廃仏毀釈の際に、領地や什物を失い、一時は荒廃しました。<br /><br />現在では、さほど広い境内ではありませんが、古そうな石碑や石仏が置かれています。

    明治の廃仏毀釈の際に、領地や什物を失い、一時は荒廃しました。

    現在では、さほど広い境内ではありませんが、古そうな石碑や石仏が置かれています。

  • 御本尊が地蔵菩薩のためか、石仏にもお地蔵さまが多いよう。

    御本尊が地蔵菩薩のためか、石仏にもお地蔵さまが多いよう。

  • お墓はないはずですので・・・墓石ではないと思いますが・・・。五輪塔のようなものが彫られているものが多いようです。

    お墓はないはずですので・・・墓石ではないと思いますが・・・。五輪塔のようなものが彫られているものが多いようです。

  • 境内にはいくつか小さな建物がありました。こちらは勝軍地蔵尊と呼ばれるお地蔵さまの祠。

    境内にはいくつか小さな建物がありました。こちらは勝軍地蔵尊と呼ばれるお地蔵さまの祠。

  • うわ!馬に乗ったお地蔵さまって初めて見た〜〜(&#39;;&#39;)!!お地蔵さんにしてはやけにカッコいいじゃん〜(こらこらっ!!)!ちょっと神さまっぽいお姿でもありますね。<br /><br />甲冑を身にまとい、武器を手にした姿で馬にまたがっています。そのお供に、毘沙門天尊と不動尊が付き従っています。鎌倉時代以降、武家に信仰の厚かった珍しいお地蔵様なのだそうです。

    うわ!馬に乗ったお地蔵さまって初めて見た〜〜(';')!!お地蔵さんにしてはやけにカッコいいじゃん〜(こらこらっ!!)!ちょっと神さまっぽいお姿でもありますね。

    甲冑を身にまとい、武器を手にした姿で馬にまたがっています。そのお供に、毘沙門天尊と不動尊が付き従っています。鎌倉時代以降、武家に信仰の厚かった珍しいお地蔵様なのだそうです。

  • 御朱印です。ほかの仏さまの御朱印もあるようです。<br /><br />福智院<br />http://www.fukuchiin-nanto.com/

    御朱印です。ほかの仏さまの御朱印もあるようです。

    福智院
    http://www.fukuchiin-nanto.com/

  • さて・・・16時過ぎちゃった・・・。<br /><br />道順的に最後になっちゃったけど、昨年末にお休みで参拝できなかった十輪院へのリベンジがまだ残っています。十輪院は16時半までとなっているので・・・急がないと〜〜!!<br /><br />通りの向こうに、おしゃれなスイーツ屋さんがあるけど、寄っている暇はない〜(/_;)〜〜!お店を覗いていませんが、幸福スイーツ アルカイックという名前のお店でした。<br /><br />幸福スイーツ アルカイック<br />http://happiness7.exblog.jp/<br />http://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29002887/

    さて・・・16時過ぎちゃった・・・。

    道順的に最後になっちゃったけど、昨年末にお休みで参拝できなかった十輪院へのリベンジがまだ残っています。十輪院は16時半までとなっているので・・・急がないと〜〜!!

    通りの向こうに、おしゃれなスイーツ屋さんがあるけど、寄っている暇はない〜(/_;)〜〜!お店を覗いていませんが、幸福スイーツ アルカイックという名前のお店でした。

    幸福スイーツ アルカイック
    http://happiness7.exblog.jp/
    http://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29002887/

  • ならまちの家並みへ入ります!急げ〜〜!

    ならまちの家並みへ入ります!急げ〜〜!

  • 超方向音痴の私でも、迷わずに行ける距離です。<br /><br />十輪院は、南門、本堂、石仏龕(せきぶつがん)が国宝になっています。どれも鎌倉時代のものです。

    超方向音痴の私でも、迷わずに行ける距離です。

    十輪院は、南門、本堂、石仏龕(せきぶつがん)が国宝になっています。どれも鎌倉時代のものです。

    十輪院本堂 寺・神社・教会

  • 16:10になるところなので、なんとかギリギリ・・・石仏龕を見ることくらいはできそう〜〜。なにしろリベンジなので、また見損ねたら悲しすぎる・・・。<br /><br />こちらが本堂。<br /><br />十輪院は、元興寺旧境内の南東に位置しています。<br /><br />寺伝によれば、元正天皇(715〜724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれています。また、奈良時代の右大臣吉備真備の長男・朝野魚養の開基とも伝えられています。<br /><br />室町時代の末期までは、寺領三百石、境内は約1万坪の広さがあったようです。<br /><br />本堂は、軒や床が低く、当時の住宅を偲ばせる建造物です。本堂内には、御本尊である地蔵菩薩を中心にした石仏龕を祀っています。

    16:10になるところなので、なんとかギリギリ・・・石仏龕を見ることくらいはできそう〜〜。なにしろリベンジなので、また見損ねたら悲しすぎる・・・。

    こちらが本堂。

    十輪院は、元興寺旧境内の南東に位置しています。

    寺伝によれば、元正天皇(715〜724)の勅願寺で、元興寺の一子院といわれています。また、奈良時代の右大臣吉備真備の長男・朝野魚養の開基とも伝えられています。

    室町時代の末期までは、寺領三百石、境内は約1万坪の広さがあったようです。

    本堂は、軒や床が低く、当時の住宅を偲ばせる建造物です。本堂内には、御本尊である地蔵菩薩を中心にした石仏龕を祀っています。

  • ひと気ないけど・・・本堂わきの建物に声を掛ければいいのかしら・・・?扉を開けて声を掛けるも・・・反応ないよ〜〜(&#39;;&#39;)!?

    ひと気ないけど・・・本堂わきの建物に声を掛ければいいのかしら・・・?扉を開けて声を掛けるも・・・反応ないよ〜〜(';')!?

  • 拝観の方は、奥の寺務所に申し込みください・・・という看板が本堂正面の広縁のわきに置かれているのですが・・・どうしたもんか・・・とうろうろしていたら・・・お坊さん(かな?)が一人戻ってきました〜〜。<br /><br />正面の広縁には、蔀度(しとみど)があり、吊り上げて、障子を開けると、外部からも石仏が拝めるようになっています。

    拝観の方は、奥の寺務所に申し込みください・・・という看板が本堂正面の広縁のわきに置かれているのですが・・・どうしたもんか・・・とうろうろしていたら・・・お坊さん(かな?)が一人戻ってきました〜〜。

    正面の広縁には、蔀度(しとみど)があり、吊り上げて、障子を開けると、外部からも石仏が拝めるようになっています。

  • 石仏龕(仏像をおさめるための厨子)は、もともとは野ざらしの状態で存在し、平安時代からあったようです。<br /><br />鎌倉時代になり、地蔵信仰が深まって、石仏龕の覆屋と、石仏龕を拝むための礼堂(身分の高い人のためのもの)として、本堂が建立されました。<br /><br />写真はパンフレット冊子を写したものです。本堂の天井は低めです。本堂主室と覆屋の間は板間になって、繋がっています。<br /><br />写真中央に、装飾や供え物がありますが、その向こう側も板の間の続きになっており、そこに座ると、ちょうど石仏龕のある覆屋の真正面で・・・石仏龕を目の前で拝観することができます。<br /><br />入った時には、写真のような位置だったので、ちょっと遠いし、石仏龕全体が全然見えないなぁ・・・とがっかりしていたら、石仏龕の真ん前にどうぞ・・・と案内してくれました。

    石仏龕(仏像をおさめるための厨子)は、もともとは野ざらしの状態で存在し、平安時代からあったようです。

    鎌倉時代になり、地蔵信仰が深まって、石仏龕の覆屋と、石仏龕を拝むための礼堂(身分の高い人のためのもの)として、本堂が建立されました。

    写真はパンフレット冊子を写したものです。本堂の天井は低めです。本堂主室と覆屋の間は板間になって、繋がっています。

    写真中央に、装飾や供え物がありますが、その向こう側も板の間の続きになっており、そこに座ると、ちょうど石仏龕のある覆屋の真正面で・・・石仏龕を目の前で拝観することができます。

    入った時には、写真のような位置だったので、ちょっと遠いし、石仏龕全体が全然見えないなぁ・・・とがっかりしていたら、石仏龕の真ん前にどうぞ・・・と案内してくれました。

  • こちらもパンフレット冊子を写したものです。<br /><br />石仏龕は、花崗岩の切石で造られており、間口2・68m、奥行き2・45m、高さ2.42mあります。<br /><br />寺伝では、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が石造地蔵菩薩を造立されたとあるそうです。<br /><br />石龕中央の奥に、御本尊の地蔵菩薩がいらして、その左右に釈迦如来、弥勒菩薩を浮き彫りで表しています。過去、現在、未来を表しています。<br /><br />左右の手前にある大きな四角い柱のようなものは、扉です(上部の白っぽい部分は、修復されて新しいものだそう)。<br /><br />覆屋の中にまで入りこんで拝観するわけではなく、石仏龕の正面に座って拝観します。かなり至近距離なのですが、そんなに明るくないのと、限られた角度からになるので、角度によって、見えない彫刻部分があったり、細かい細工まではよく見えないのは仕方ないですね。<br /><br />石龕の上部や左右には、北斗七星などの星座を表した梵字が彫られています。南都仏教の教えを中核に、さまざまな民間信仰を加味して造られたものとなっており、非常に珍しい構成となっているそうです。

    こちらもパンフレット冊子を写したものです。

    石仏龕は、花崗岩の切石で造られており、間口2・68m、奥行き2・45m、高さ2.42mあります。

    寺伝では、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が石造地蔵菩薩を造立されたとあるそうです。

    石龕中央の奥に、御本尊の地蔵菩薩がいらして、その左右に釈迦如来、弥勒菩薩を浮き彫りで表しています。過去、現在、未来を表しています。

    左右の手前にある大きな四角い柱のようなものは、扉です(上部の白っぽい部分は、修復されて新しいものだそう)。

    覆屋の中にまで入りこんで拝観するわけではなく、石仏龕の正面に座って拝観します。かなり至近距離なのですが、そんなに明るくないのと、限られた角度からになるので、角度によって、見えない彫刻部分があったり、細かい細工まではよく見えないのは仕方ないですね。

    石龕の上部や左右には、北斗七星などの星座を表した梵字が彫られています。南都仏教の教えを中核に、さまざまな民間信仰を加味して造られたものとなっており、非常に珍しい構成となっているそうです。

  • 石龕の内側壁、柱、扉のあらゆる面に、金剛力士、聖観音、不動明王、十王、四天王、五輪塔などが、浮彫りや線彫りされています。<br /><br />私にはあまり見えませんでしたが、彩色が残っている部分もあるようです。昔は、かなりカラフルだったんですね〜。<br /><br />また、石仏龕の前には、南都仏教に伝統的な、金光明最勝王経と法華経の経塔が建てられ、その前に、死者の身骨や棺を置くための平石が置かれています。はるか昔には、この地蔵石龕の前で、野辺送りが営まれていたのです。

    石龕の内側壁、柱、扉のあらゆる面に、金剛力士、聖観音、不動明王、十王、四天王、五輪塔などが、浮彫りや線彫りされています。

    私にはあまり見えませんでしたが、彩色が残っている部分もあるようです。昔は、かなりカラフルだったんですね〜。

    また、石仏龕の前には、南都仏教に伝統的な、金光明最勝王経と法華経の経塔が建てられ、その前に、死者の身骨や棺を置くための平石が置かれています。はるか昔には、この地蔵石龕の前で、野辺送りが営まれていたのです。

  • 横や後ろまでは見えないのでどうなっているのかな・・・と疑問に思いましたが、パンフレット冊子に写真がありましたので写してみました。<br /><br />切石を組み合わせて石龕が造られています。石龕の四隅には四天王がそれぞれ彫られ、五輪塔が彫られた石もあるようです。

    横や後ろまでは見えないのでどうなっているのかな・・・と疑問に思いましたが、パンフレット冊子に写真がありましたので写してみました。

    切石を組み合わせて石龕が造られています。石龕の四隅には四天王がそれぞれ彫られ、五輪塔が彫られた石もあるようです。

  • かなり丁寧に説明してくださって、参拝が終わったら16時半をまわっていました。終わった途端に蔀度を下ろして、終了体制のようです。ほんとにギリギリだったわ〜(ホッ!)<br /><br />本堂内部にも、鎌倉時代から江戸時代の・・・小さめの仏像など色々な展示がありましたが、お寺を閉める時間なので、早々に外へ出ました。<br /><br />仏像などにおいて、鎌倉時代のものは新しく感じる・・・とおっしゃってました・・・ということは、江戸時代のものなんて新品・・・(笑)!?

    かなり丁寧に説明してくださって、参拝が終わったら16時半をまわっていました。終わった途端に蔀度を下ろして、終了体制のようです。ほんとにギリギリだったわ〜(ホッ!)

    本堂内部にも、鎌倉時代から江戸時代の・・・小さめの仏像など色々な展示がありましたが、お寺を閉める時間なので、早々に外へ出ました。

    仏像などにおいて、鎌倉時代のものは新しく感じる・・・とおっしゃってました・・・ということは、江戸時代のものなんて新品・・・(笑)!?

  • 小さいながらもお庭もあり・・・

    小さいながらもお庭もあり・・・

  • 境内にある鎌倉時代の不動明王。もとは彩色してあったようです。

    境内にある鎌倉時代の不動明王。もとは彩色してあったようです。

  • 御影堂。

    御影堂。

  • 境内には、魚養塚、十三重石塔、興福寺曼荼羅石など、鎌倉時代の多数の石仏が点在している・・・そうなのですが・・・もう終了時間だし・・・念願の石仏龕を見せていただいたので、満足して出ます。<br /><br />リベンジ果たせてよかったです〜〜!石仏龕は見ごたえあってよかったです!

    境内には、魚養塚、十三重石塔、興福寺曼荼羅石など、鎌倉時代の多数の石仏が点在している・・・そうなのですが・・・もう終了時間だし・・・念願の石仏龕を見せていただいたので、満足して出ます。

    リベンジ果たせてよかったです〜〜!石仏龕は見ごたえあってよかったです!

  • 十輪院の御朱印。<br /><br />十輪院<br />http://www.jurin-in.com/<br /><br />十輪院は、毎週月曜、年末年始や1月末ごろ、8月中旬〜下旬などにお休み(本堂以外は入れると思いますが)があるので要注意です。

    十輪院の御朱印。

    十輪院
    http://www.jurin-in.com/

    十輪院は、毎週月曜、年末年始や1月末ごろ、8月中旬〜下旬などにお休み(本堂以外は入れると思いますが)があるので要注意です。

  • ギリギリでしたが、予定通り十輪院まで周ることができて達成感いっぱい!<br /><br />ならまちでのお買い物を30日のうちに済ませておいて、やっぱりよかったわ〜。今日はもうこれで体力を使い果たした感でいっぱい。<br /><br />あとはもう・・・ならまちを通りながらホテルへと戻りつつ・・・夕食をどうしようか考えよう。<br /><br />ならまちあたりは、裏路地にもかわいいお店があって楽しいですね。

    ギリギリでしたが、予定通り十輪院まで周ることができて達成感いっぱい!

    ならまちでのお買い物を30日のうちに済ませておいて、やっぱりよかったわ〜。今日はもうこれで体力を使い果たした感でいっぱい。

    あとはもう・・・ならまちを通りながらホテルへと戻りつつ・・・夕食をどうしようか考えよう。

    ならまちあたりは、裏路地にもかわいいお店があって楽しいですね。

  • この洋食屋さんもチェックしてあったのですが、まだ準備中ですね。

    この洋食屋さんもチェックしてあったのですが、まだ準備中ですね。

  • 雑貨で気になるお店があったので、ならまち工房?に寄ってみます。

    雑貨で気になるお店があったので、ならまち工房?に寄ってみます。

  • ちょこっと雑貨を買いました。

    ちょこっと雑貨を買いました。

  • ならまち工房?を通り抜けると、ならまち工房?がありました。

    ならまち工房?を通り抜けると、ならまち工房?がありました。

  • ならまち工房?に隣接して、素敵なフレンチのお店がありました。<br /><br />今回一人旅行では、食べ物にはあまりお金をかけないつもりで来たので、こちらのお店はまたの機会に・・・。

    ならまち工房?に隣接して、素敵なフレンチのお店がありました。

    今回一人旅行では、食べ物にはあまりお金をかけないつもりで来たので、こちらのお店はまたの機会に・・・。

  • ならまち工房?の前は、住宅街。

    ならまち工房?の前は、住宅街。

  • ならまちを通ってホテルのほうへ・・・。まもなく17時。だんだん夕暮れっぽく暗くなってきました。

    ならまちを通ってホテルのほうへ・・・。まもなく17時。だんだん夕暮れっぽく暗くなってきました。

  • 昨年末に「吉田蚊帳」で買った蚊帳ふきんが、とっても使いやすくて丈夫だったので、また買って帰ります。<br /><br />

    昨年末に「吉田蚊帳」で買った蚊帳ふきんが、とっても使いやすくて丈夫だったので、また買って帰ります。

  • ならまちの中でも、この漢方薬屋さんあたりはフォトジェニック。

    ならまちの中でも、この漢方薬屋さんあたりはフォトジェニック。

  • もう閉まっていますが、奈良町資料館。

    もう閉まっていますが、奈良町資料館。

  • 庚申堂。<br /><br />文武天皇の御代(700年)に疫病が流行り、人々が苦しんでいるとき、元興寺の高僧・護命僧正が、仏さまに加護を祈っていると、1月7日に、青面金剛が現れ、「汝の至誠に感じ悪病を払ってやる」と言って消え去った後、間もなく疫病が収まりました。<br /><br />この感得の日が、庚申の年の庚申の月、そして庚申の日であったといいます。<br /><br />それ以来人々は、この地に青面金剛を祀り、悪病を持ってくるといわれる「三しの虫」を退治して健康に暮らすことを念じて講を作り、仏さまの供養をしたと伝えられています。<br /><br />

    庚申堂。

    文武天皇の御代(700年)に疫病が流行り、人々が苦しんでいるとき、元興寺の高僧・護命僧正が、仏さまに加護を祈っていると、1月7日に、青面金剛が現れ、「汝の至誠に感じ悪病を払ってやる」と言って消え去った後、間もなく疫病が収まりました。

    この感得の日が、庚申の年の庚申の月、そして庚申の日であったといいます。

    それ以来人々は、この地に青面金剛を祀り、悪病を持ってくるといわれる「三しの虫」を退治して健康に暮らすことを念じて講を作り、仏さまの供養をしたと伝えられています。

  • 悪病や災難を持ってくるという「三しの虫」は、コンニャクが嫌いだったので、人々は、庚申の日にコンニャクを食べて退治しました。<br /><br />また、三しの虫は猿が大嫌いだったので、人々は軒先に猿を吊るして、悪病や災難が近寄らないようにおまじないをしました。

    悪病や災難を持ってくるという「三しの虫」は、コンニャクが嫌いだったので、人々は、庚申の日にコンニャクを食べて退治しました。

    また、三しの虫は猿が大嫌いだったので、人々は軒先に猿を吊るして、悪病や災難が近寄らないようにおまじないをしました。

  • このあたりは「西新屋町」という名前で、吉祥堂町とも鍛冶町ともいわれていました。<br /><br />吉祥天を祀る吉祥堂があったためで、鍛冶町の名前も、数件の鍛冶屋があったところから、里人たちはそう呼んでいたといいます。<br /><br />現在では、町の中ほどに、吉祥天、地蔵菩薩、青面金剛などを安置した庚申堂があります(←庚申堂の中に、そういう仏さまがあるんだ〜と今知りました〜)。

    このあたりは「西新屋町」という名前で、吉祥堂町とも鍛冶町ともいわれていました。

    吉祥天を祀る吉祥堂があったためで、鍛冶町の名前も、数件の鍛冶屋があったところから、里人たちはそう呼んでいたといいます。

    現在では、町の中ほどに、吉祥天、地蔵菩薩、青面金剛などを安置した庚申堂があります(←庚申堂の中に、そういう仏さまがあるんだ〜と今知りました〜)。

  • 「史跡・元興寺小塔院跡」という標示を見かけて・・・入って行ってみると・・・<br /><br />この付近は、奈良時代には元興寺の境内だった場所で、金堂の西南に位置し、小塔堂を中心とする小塔院(別名・吉祥堂)がありました。小塔堂には、現在、元興寺にある五重小塔(国宝)が安置されていたと考えられています。<br /><br />宝徳3年(1451)の大火によって、小塔院の伽藍はほとんど消失してしまいました。江戸時代に建てられた虚空蔵堂が残っているのみとなっています。

    「史跡・元興寺小塔院跡」という標示を見かけて・・・入って行ってみると・・・

    この付近は、奈良時代には元興寺の境内だった場所で、金堂の西南に位置し、小塔堂を中心とする小塔院(別名・吉祥堂)がありました。小塔堂には、現在、元興寺にある五重小塔(国宝)が安置されていたと考えられています。

    宝徳3年(1451)の大火によって、小塔院の伽藍はほとんど消失してしまいました。江戸時代に建てられた虚空蔵堂が残っているのみとなっています。

  • もう暗くなってきたし、あまりじっくり確認してみませんでしたが・・・これが虚空蔵堂でしょうか。

    もう暗くなってきたし、あまりじっくり確認してみませんでしたが・・・これが虚空蔵堂でしょうか。

    元興寺小塔院跡 寺・神社・教会

  • 暗くなって、ボケボケ写真になってきました。

    暗くなって、ボケボケ写真になってきました。

  • ならまちでも外れのほうなので、ほとんどひと気がなくちょっと寂しいです。でもお店はけっこうあるんですよ。

    ならまちでも外れのほうなので、ほとんどひと気がなくちょっと寂しいです。でもお店はけっこうあるんですよ。

  • こういう家並みの夕暮れは・・・灯った明かりを温かく感じるとともに、人恋しさみたいな寂しさを感じます。

    こういう家並みの夕暮れは・・・灯った明かりを温かく感じるとともに、人恋しさみたいな寂しさを感じます。

  • カフェです。

    カフェです。

  • 適当にあるいているうちに・・・ホテルへの方向がよくわからなくなりました。<br /><br />結局・・・いつもながらの方向音痴ぶりが存分に発揮され・・・あれ?と思ったら、興福寺の五重塔が見えてきて・・・全く違う方向へと出てしまいました。

    適当にあるいているうちに・・・ホテルへの方向がよくわからなくなりました。

    結局・・・いつもながらの方向音痴ぶりが存分に発揮され・・・あれ?と思ったら、興福寺の五重塔が見えてきて・・・全く違う方向へと出てしまいました。

  • ホテルから近いところで、夕食を食べられるお店をチェックしてあったのですが、ここ「cafe cojica」もそのひとつ。<br /><br />でもディナータイムが18時から・・・で、前に通った時には早すぎてあきらめたのですが・・・今日はあと数分で18時。<br /><br />18時にはオープンしますか?と尋ねてみたら、どうぞお入りくださいと案内してくれました。

    ホテルから近いところで、夕食を食べられるお店をチェックしてあったのですが、ここ「cafe cojica」もそのひとつ。

    でもディナータイムが18時から・・・で、前に通った時には早すぎてあきらめたのですが・・・今日はあと数分で18時。

    18時にはオープンしますか?と尋ねてみたら、どうぞお入りくださいと案内してくれました。

  • 照明がちょっと暗い感じを受けますが・・・古民家を利用した、こじゃれたカフェレストランです。<br /><br />

    照明がちょっと暗い感じを受けますが・・・古民家を利用した、こじゃれたカフェレストランです。

  • cojicaという店名の通り、あちこちに鹿ちゃんグッズが置かれています。

    cojicaという店名の通り、あちこちに鹿ちゃんグッズが置かれています。

  • サーモンサラダと・・・

    サーモンサラダと・・・

  • 和風月見煮込みハンバーグを頼みました。お醤油味の和風ソースですが、ちょっと甘味が強かったのが意外でした。奈良って甘めの味付けが好まれるのかな。<br /><br />奈良のカフェレストランって白飯でなく、古代米のようなご飯が主流なんだよな・・・。こじゃれたカフェレストランにはありがちですが・・・大食いにとっては、ちょっと物足りない量かもしれません。<br /><br />今回旅行では、夜でも1500円〜2000円くらいまで・・・と目安を決めていたので、コスパはまずまずと思います。23時まで営業しているのでそれも嬉しいです(周りは住宅街で暗いですが)。<br /><br />cafe cojika<br />http://www.cojica-nara.com/<br />http://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29004855/<br /><br />奈良旅もあと1日半。丸一日歩けるのは、明日だけになってしまいました。明日は、お寺そのものより、美仏といわれるお方たちだけに絞った寺巡りです(#^^#)!!<br /><br />さ〜〜!もうすぐ19時になるところ・・・。ホテルに帰って、一杯飲みながら、グランプリシリーズ見なくちゃ〜〜!続きます。

    和風月見煮込みハンバーグを頼みました。お醤油味の和風ソースですが、ちょっと甘味が強かったのが意外でした。奈良って甘めの味付けが好まれるのかな。

    奈良のカフェレストランって白飯でなく、古代米のようなご飯が主流なんだよな・・・。こじゃれたカフェレストランにはありがちですが・・・大食いにとっては、ちょっと物足りない量かもしれません。

    今回旅行では、夜でも1500円〜2000円くらいまで・・・と目安を決めていたので、コスパはまずまずと思います。23時まで営業しているのでそれも嬉しいです(周りは住宅街で暗いですが)。

    cafe cojika
    http://www.cojica-nara.com/
    http://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29004855/

    奈良旅もあと1日半。丸一日歩けるのは、明日だけになってしまいました。明日は、お寺そのものより、美仏といわれるお方たちだけに絞った寺巡りです(#^^#)!!

    さ〜〜!もうすぐ19時になるところ・・・。ホテルに帰って、一杯飲みながら、グランプリシリーズ見なくちゃ〜〜!続きます。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • ガブリエラさん 2015/12/20 22:50:10
    リベンジ達成ですね(^O^)
    こあひるさん☆

    こちらにも、お邪魔します♪

    十輪院、リベンジできてよかったですね(*^_^*)
    あの時は、まさか・・・と思いましたもんね(^_^;)
    お寺が、年始年末なんて休むとは、思いませんもんね・・・。

    福智院も、あの大きなお地蔵さま、そして人のよさそうな若住職の説明も丁寧で、お気に入りのお寺です♪

    ガブ(^_^)v

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2015/12/21 19:31:07
    RE: リベンジ達成ですね(^O^)
    ガブちゃん〜!

    遊びに来てくれてありがと〜〜〜!

    十輪院、ついにリベンジしてまいりました〜〜!

    昨年はほんとにびっくりでしたよね(笑)・・・それまであまり寺院仏閣に興味なかったから、年末年始こそやってるものだと思っていました(←これ、神社のイメージだよね)。十輪院側も、いきなりのお休みだったわけではなく、けっこうお休みの日が多いんですね、もともとの予定で・・・。

    石仏龕、なかなか素晴らしかったです〜〜!もともと野外にあったけど、早いうちに覆屋で囲ったおかげで、保存状態もよく、今でもああしてしっかりした彫刻が残っているのがすごいですよね〜。

    福智院の大きなお地蔵さま、あんなに大きな地蔵菩薩坐像も初めてですが、きりりとした立派なお地蔵さまですね。ん??若住職・・・?福智院に若住職がいらっしゃるのかぁ・・・私の時には確か・・・おばちゃんが説明してくれていたような・・・。

    こあひる
  • コクリコさん 2015/12/17 19:02:53
    福智院も十輪院も大好き♪
    こあひるさん、こんばんは!
    お久しぶりです。

    一人で奈良にいらしてたのですね。
    私は奈良は一人で行くのが一番好きかも。

    十輪院も福智院もお気に入りのお寺です。
    どちらもお寺の方が親しみやすくて親切ですよね。

    東大寺の大仏さまは大仏殿が大きいから普通に「大きいよね」ですが、福智院は建物が小さいので地蔵菩薩様がものすごく巨大に感じて圧倒されました。

    こあひるさんの夕暮れのならまちの写真、とても情緒的です!

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2015/12/18 10:56:10
    RE: 福智院も十輪院も大好き♪
    コクリコさん、こんにちは!

    いつも読み逃げですみません〜(>_<)!

    昨年末に初めて奈良を訪れて以降、仏像にすっかりハマり・・・今回は夢殿本尊の御開扉に合わせて、マイレージを使って一人で奈良を楽しんできました。

    十輪院も福智院も、街なかにありながら、ひっそりと静かな雰囲気漂ういいお寺ですね。十輪院は境内に入るとお墓があるので、それまで見てきた奈良のお寺の中ではちょっと違和感も感じましたが。

    福智院の大きなお地蔵さまは、コクリコさんが旅行記でおっしゃる通り、一度見る価値は大いにありますよね!お地蔵さまであんなに堂々と立派で神々しいお姿をしているのは他ではあまり見たことがありません。東大寺の大仏はおなじみすぎるせいか、あまり感動はありませんでしたが、福智院のお地蔵さまはなかなか魅力的でした〜。

    コクリコさん、何度奈良にいらしたことあるんでしょう〜〜!?私もまだまだ色々周ってみたいエリアがあって・・・また訪れることになるかな〜。

    こあひる
  • aoitomoさん 2015/12/16 13:26:05
    光背の化仏にびっくり!
    こあひるさん

    『福智院』
    玄ぼうが創建した清水寺を前身とするお寺ということでここでも玄ぼうが出てきますね。
    相当に賢い僧だったのでしょうね〜

    『地蔵菩薩坐像』
    御本尊『地蔵菩薩坐像』の光背の560体の化仏は気付くとびっくりです。
    この化仏もよく見れたのですね〜
    写真だと、その大きさにも気付きませんでした。
    弥勒信仰の解説も納得です。

    『宝冠十一面観音菩薩立像』
    頭上に宝冠が確かに珍しいです。
    それでいて違和感もなくマッチしてます。

    『幸福スイーツ アルカイック』
    こあひるさんの好きそうなフォトジェニックな焼き菓子の店ですね〜
    HP見ました。欧風アルカイックな感じかな〜
    店員さんがアルカイック・スマイルだったらちょっと・・(笑)

    『十輪院』
    石仏龕これも珍しいですね。
    直接拝見できてラッキーです。
    住職さん(?)、相当の話好きというか親切ですね。

    『ならまちの夕暮れ』
    フォトジェニックですね。
    昔の建物の隙間から漏れる灯ったオレンジ色の明かりがいい雰囲気です。
    『cafe cojica』に入ったらホッとしますね。

    毎日気合いの撮影、
    事前の下調べも凄いな〜って思いました。

    こあひるさん、NHKの趣味どきっ!『開け世界遺産』という番組見てますか?
    法隆寺と仏像の話から、数日前は中尊寺金色堂・毛越寺の話などやってました。
    こあひるさんの旅行記とバッティングするものが多くこれも楽しんでます。

    aoitomo

    こあひる

    こあひるさん からの返信 2015/12/18 10:34:10
    RE: 光背の化仏にびっくり!
    aoitomoさん、おはようございま〜す!

    玄ぼうの時代の政治的関係については、まだまだ勉強が足りず、あ〜!また出てきた〜!なんて程度なんで、阿部仲麻呂や吉備真備など、遣唐使の時代の高僧だったんだな〜ってことくらいの知識しかなくて・・・(笑)。毎年頭塔で玄ぼうの供養法要も行われているようで、宗教的な立場によっていろいろなとらえ方をされている方のようですね。興味深いです。

    地蔵菩薩坐像・・・かなりデカいんです〜。すぐ傍に近づいて拝観できるので(後ろ側には周れませんが)、じっくりながめることができます。でも、化仏のひとつひとつがあんなにも違うってことは、絵はがきを見ていて気付きました"(-""-)"。お地蔵さまであんなに堂々と立派な感じなのは他ではあまり見られないような気がします。

    宝冠十一面観音さまは、室町時代のものでちょっと新しめなのですが、こちらも美しい仏さまで・・・宝冠で頭の仏さまが隠れてしまっているのがなんだか不思議ですね〜。

    幸福スイーツアルカイックは、通りの向こう側にあり、カフェなのかお菓子屋さんなのかよくわからないまま通り過ぎたので、あとから調べてスイーツ店だったんだ・・・とわかりました。アルカイックという名前はいいですね〜。店員さんも、アルカイックスマイルで不気味に(笑)微笑んでほしいです。

    十輪院、ついにリベンジできました!時間がぎりぎりだったので、石仏龕だけを見ただけで、境内まではあまり見ることができませんでしたが、リベンジに値する貴重なものだったと思いました。これもすぐ間近で拝観できて、昔は、野外にあって、その前で野辺送りしたのかぁ〜〜・・・と、不思議な気分になりました。地蔵がメインの信仰・・・ってのは、これが造られた頃が始まりなのかなぁ・・・と思いました。

    ならまちあたりは、こじゃれた町屋カフェやカフェレストランがたくさんあって、食事処には事欠かないのですが、ああいうところって、女性向けなのか、値段の割に量がお上品で、物足りないのがわが家・・・。ランチならいいんですけどね(笑)。

    cafe cojicaは、夜はちょっと照明が暗い感じがしましたが、昼間だと雰囲気が違うんでしょうね。子供連れに手厚いみたいで、若いママたちには人気あるみたい。この日も、最初は私ひとりだったのですが、そのあと、若いママやパパや小さな子供たちが集まって会をやっていました。

    夕暮れのならまちは、フォトジェニックですね〜。電柱がなくて、家並みに合った街灯なんかで統一されているともっといいのかもしれませんが。まぁ、電柱も日本らしい生活感があっていいんですけど。

    趣味どきっ!開け世界遺産って、全然知りませんでした。12月から放映されているようですね。Youtubeで法隆寺と東大寺の第1回だけ見ました。熊野古道なんかも取り上げているようなので、あとで見てみようかな〜。

    こあひる

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