2010/07/01 - 2010/07/06
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TENKOさん
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1969年、40年前22歳の私はヨーロッパ一人旅に出ました。
渡航の自由化から5年目。1ドル360円の時代でした。
当時、好奇心旺盛な若者が辿ったルート。
横浜からロシア(ソビエト連邦)のナホトカへの船旅。ナホトカからハバロフスクまでのシベリア鉄道。
ハバロフスクからモスクワまでの飛行機。モスクワからサンクトペテルブルク経由でフィンランドのヘンシンキまでの列車の旅。当時のソビエトは個人の観光旅行が難しく、ソビエトを出るまでは、JTBの「ルック」の団体旅行でした。
フィンランドのヘルシンキでツアーを解散し、一人旅が始まります。
私は北に向かって旅を続け、第一の目的地ノルウェーのノールカップを目指しました。
そして北欧三国・デンマーク・ドイツを旅し、オーストリアのザルツブルクに辿り着きました。
この頃になると、初めての国の初めての駅に降り立っても、涼しい顔をして、自分の荷物を持ちスタスタと
消え去らねばならない生活にチョッピリ疲れていました。
そして、第二の目的地であるチロルに落ち着こうと考えました。
探し当てたのがインスブルック近郊の町「Matrei Am Brenner」でした。
(本当は他の駅で下車予定が、間違って降りてしまった!)
小さな町が一目で気に入り、スーパーにいたオバチャマが不動産やさんに連れて行って下さり、
そこのご主人がPrivatzimmerで一室お部屋を貸していたお宅に案内して下さいました。
プリヴァートツィマーとは、一般家庭の空室を貸して下さる民宿のようなもの。
そしてここを基点に、再び私のヨーロッパの旅が始まりました。
旅の合間には、ケーキ作りを教えて頂いたり、ソリやスキーを楽しんだり、子供たちとテレビを見たり歌を歌ったり、
買い物に連れて行って頂いたり、粉雪舞い散る中を散歩したり、クリスマスを一緒に祝ったり、、。
本当に楽しい日々を過ごすことが出来ました。(家族は、ドイツ語しか話されません。ドイツ語が全くダメな私とよく意思の疎通が出来たと不思議です)
四ヶ月の旅を終え帰国した私は、実家が火事にあうアクシデントで、彼らのアドレスを無くしてしまいました。
現在と違いインターネットもなく、手紙だけが連絡手段ではどうすることも出来ず、また仕事や子育ての忙しさに取り紛れ、ヨーロッパに行くことが出来ず40年が過ぎていました。
そしてある日、ANAのメルマガが送られて来ました。
2010年7月1日。 成田ーミュンヘン便初就航。
(インスブルックには、いつもミュンヘンから入っていました。ミュンヘンも思い出の地なのです。)
迷うことなく、3分後には予約していました。
ただ、仕事の関係で長く休むことができなくて、4泊6日の慌ただしい旅でしたが、奇跡のような再会を果たす事が出来ました。
@写真を撮るのがとてつもなく下手です。
お見苦しいと思いますが、チロルの小さな町マトライを知って頂きたくて拙い文章をつづります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
2010年7月1日。成田空港
ANAミュンヘン便初就航のセレモニー。 -
記念に頂いた「TOROIKA」のキーホルダー。
-
ミュンヘンで飛行機を降りると、ハート型のお菓子・レープクーヘンを
下さいました。 -
空港からSバーンに乗って、ミュンヘン中央駅へ。
今日はミュンヘンに泊まります。 -
翌7月2日
ミュンヘン発インスブルック行きの列車の車内。
40年ぶりのヨーロッパの列車で、自転車と同乗に驚きました。
ローカル線が好きな私は、ガルミッシュ・パルテンキルフェン経由の列車に乗りました。
車窓からの景色が素敵です。
時間がある方は、このルートもお薦めです。 -
チロル地方の中心都市 インスブルック着。
ミュンヘンからこの列車で来ました。 -
次はイタリア国境の「ブレンナー行き」に乗り換えます。
こちらは新しい車両。
昇降口に段差はありません。 -
インスブルックから、およそ17分で到着です。
ワクワクして、落ち着いて座っていることができません。 -
Matreiの駅が見えてきました。
40年前と同じ駅舎の外観。 感動です! -
時計と駅名等のプレートが変わっているだけです。
なんと素晴らしいことなのでしょう。 -
40年前のMatreiの駅舎です。
-
内部は新しくなっています。 無人駅です。
ベンチと無料トイレがあるだけ。コインロッカーはありません。 -
駅前のカフェでタクシーを呼んで頂きました。
荷物をホテルに置き、知人の家に向かいます。
住所はわかりませんが、道はしっかりと覚えています。 -
家が見えてきました。
2軒目のお宅です。 -
玄関のベルを鳴らしてみました。
どなたもいらっしゃいません。
もうここには住まわれていないのでしょうか? -
家の周りを歩いてみます。
2階手前の角が、私の部屋でした。 -
ベランダの下、1階のテラスが増築されていました。
他は変わっていません。懐かしの「我が家」です。
近所を歩いてみました。
3軒隣にオジイチャマがいらっしゃいました。
ご家族の事を聞いてみます。
今もお元気で、ご夫妻だけで住まわれておられるそうです。
「いるはずだが、、、」と一緒に来て下さいました。
でも、お留守のようです。
私が40年ぶりに訪ねて来たと話すと「日本人か?」と聞かれます。
40年前の私を覚えていると言われました。
人口1000人程の町に紛れ込んだ日本人だったからと。(笑)
「ホテルに2泊するから、又明日来ます」とお別れしました。 -
坂道を下り、Matreiの街を散策することにします。
-
Matrei(マトライ)はイタリアに通じるブレンナー街道の宿場町でした。
ゲーテやモーツアルトも通った道です。
東チロルにもMatreiという町があります。
なので、区別するために「ブレンナーのマットライ」ということで
am Brennerをつけます。Matrei am Brenner。 -
大好きな街並みです。
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この建物の角を曲がって、家(!)に帰っていました。
左の出窓に見えるのは、「3つの卵」の町の紋章です。 -
壁絵も素敵です。
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メインストリートにこんな横断幕が。
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北チロルと南チロル(現在はイタリア領)の人々のパレード。
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町の人たちも沿道に。
第一次世界大戦後、イタリア領になった南チロルに今も深い想いを持たれています。 -
町外れに来ました。
ご夫妻と散歩した懐かしい教会への道です。 -
インスブルックのINN川にそそぐSill川です。
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橋を守って下さる聖ヨハネさんは、同じ場所に佇んでいらっしゃいます。
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40年前の橋と聖ヨハネさん。
石の橋脚は同じでした。 -
ホテルが見えてきました。
-
ホテルで食事をしていると、オーナーがやって来て、電話があったと伝えて下さいました。
「明日4時に、お茶に来て下さい」との伝言です。
ご近所のオジイチャマが、私の事を伝えて下さったようです。
ホテルの名前を話しておいてよかったです。 -
7月3日
約束は4時なので、午前中はタクシーで近くの村を廻ります。
ホテルから向こうに、Pfonsの村が見えます。 -
Pfonsから見たMatreiの街。
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Pfonsから見た、Serles山。
Matreiの街道からは、セルレス山は見ることができません。 -
40年前、電車を眺めながら毎日渡っていた橋を通ってお宅に向かいます。いよいよ再会です。
-
現在90歳と81歳のご夫妻。
お元気でいて下さいました。 -
当時、9歳だった長女と8歳だった二男。
娘さんは隣町に、息子さんは隣の家に住んでいました。
同居はされていません。 -
40年前の一家。
長男はフルプメスの寄宿学校。三男は奥様のお腹の中で写っていません。 -
40年前の写真で、話が弾みました。
このチロルの服はまだ持っています。 入りませんが。。。(笑) -
電気コンロをお借りして、自炊をしていました。
スイスのジュネーブでお醤油を見つけ、私の食生活はぐんと良くなりました。 -
インスブルックのデパートまで、マントを買いに家族でドライブしたこともいい思い出です。
こんな姿でMatreiの町を歩いていました。
9歳の長女が私の世話係り。
皆がジロジロ見るのを、「この珍種は私のものよ」って顔をして
二人で歩き回っていました。 -
感激の再会の後「来年必ず来ます。二人の孫を連れて」と約束してお別れしました。
-
第二の故郷にお別れしました。
以後、毎年Matrei Am Brennerを訪れることになります。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 旅するうさぎさん 2015/12/13 16:26:32
- 素敵な旅行記ですね!
- TENKOさん、こんにちは。
マトライのご家族との奇跡の再会、素敵ですね。
とても優しそうなご家族の様子がよく分かりました。
まずヨーロッパに行く経路が凄いですね。
船旅→シベリア鉄道→飛行機→列車でヨーロッパって、
一体何日かかったのでしょうか。
40数年前、そもそもなぜチロルを第2の目的地に
されたのでしょうか?
マトライに着いたのは、駅を間違えて
たまたまだったとのことですが、
それがこんなに長逗留になるなんて
とても気に入られたのですね。
北チロルと南チロルの人々のパレードは
毎年、マトライで行われるのでしょうか?
見てみたいと思いました。
旅するうさぎ
- TENKOさん からの返信 2015/12/16 11:14:09
- RE: 投票、コメントありがとうございます。
- 旅するうさぎ様
こんにちは。
旅行記やっとUPすることができました。
ただ、パソコン(Mac)からは、どうしても写真がUPできなくて、iPadからやっとです。
これから少しづつ、書き進んでいこうと思います。
> マトライのご家族との奇跡の再会、素敵ですね。
> とても優しそうなご家族の様子がよく分かりました。
はい、毎年行くか来られるかで(ご両親はご高齢なので、日本に来ることができませんが。)
交流が続いています。
孫娘を、小学生留学させようかと思った位。
でも、ばあちゃんの目論見は成功しませんでした。
> まずヨーロッパに行く経路が凄いですね。
> 船旅→シベリア鉄道→飛行機→列車でヨーロッパって、
> 一体何日かかったのでしょうか。
本当ですね(笑)
多分8日目にヘルシンキに到着したと思います。
今、日記を兼ねた手紙を読み返すと(手紙だけは水浸しにならなかったのです。封筒はすべてダメになり、マトライの住所を失ってしまいました。)
最初の1週間の旅でいろいろな物語があったようです。(他人事!!)
> 40数年前、そもそもなぜチロルを第2の目的地に
> されたのでしょうか?
ここは覚えていないのですが、「地球のてっぺんに行きたい」とノールカップを第一の目的地にし(北極や南極は当時まだ考えつかなかった!)
「ぶたのしっぽを追いかけたい」というのが、第二の目的地チロルで。
チロルという名前に憧れていたのですが、どうして憧れたのか思い出せません。
響きがよかったのかな? と、単純な性格のせいにしています!
旅行に関する本もあまりない時代。ただ、旅するうさぎさんと同じで、「兼高かおるさん」の
テレビ番組はワクワクしながらいつも見ていました。
> 北チロルと南チロルの人々のパレードは
> 毎年、マトライで行われるのでしょうか?
> 見てみたいと思いました。
パレードのこと、よく分からないのです。
今年の同時期、Matreiではなかったような。。。
40年ぶりにお会いして、お話しすることがあまりにも多くて聞きそびれていました。
旅するうさぎさんは、着物を本格的に着られたそうですが、素敵だったでしょうね。
私は今年の滞在に、セパレートの着物をもって行き、喜んでいただきました。
(カジュアルに足袋の代わりに5本指ソックスを履き、喝采を浴びました!!)
日本の文化に思いを馳せながら、これからもチロルを訪れようと思います。
TENKO
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