2015/11/14 - 2015/11/15
242位(同エリア551件中)
ひま人さん
今回の100名城訪問は、新潟の上杉謙信ゆかりの春日山城跡と新発田城を訪ねました。北陸線特急「サンダーバード」で金沢駅で3月に開業した北陸新幹線に乗り換えて、上越妙高駅で下車して城巡りをしました。北陸新幹線は初めて乗車しましたが、車両は指定席でも座席は2×3の5列で窮屈でした。山陽新幹線の「さくら」「みずほ」では、指定席は2×2の4列でゆったりしています。
春日山城は、山城で春日山の周辺5〜6km程度の範囲内にある砦として、春日山から西へ伸びる稜線上並んでいました。城跡には毘沙門堂(復元)を除いて建物は残っていません。新発田城は、平城で復元も含めて建物は現存されていました。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 新幹線 JR特急 JRローカル 私鉄 徒歩
PR
-
林泉寺山門。上杉謙信の祖父・長尾能景が父の菩提を弔うため創建した長尾氏の菩提寺です。謙信は7歳から14歳まで、名僧・天室光育のもと文武の修業を積みました。戦国の武将としては教養が高く信仰心が深いのはこの時代に養われたものです。山門は鎌倉時代の様式を取り入れた大正14年(1925年)建立の名作です。
-
上杉謙信公銅像。春日山城登城口に建つ。謙信は亨禄3年(1530年)、越後守護代長尾為景の末子として生まれました。14歳で元服して長尾景虎と名乗り、19歳で兄・晴景に代わって越後守護代になりました。以後、越後統一、信濃・関東・北陸への出兵が生涯続きます。永禄4年(1561年)に鎌倉の鶴岡八幡宮で上杉姓と関東管領職を上杉憲政から譲られ、上杉氏を名乗ることになります。
天文22年(1553年)と永禄2年(1559年)の2度にわたって上洛し、天皇や将軍に拝謁して、深く信頼されました。
武田信玄と5度も川中島で戦いながら、かえって信玄に救援の塩を送ったり、また領土的野心で戦をしたことは一度も無かったといわれるほど「義」に篤い人でした。
天正6年(1578年)、関東出兵を前にして、突然、49歳の生涯を閉じました。 -
史蹟 春日山城阯石碑。
-
二ノ丸阯。春日山城は石垣等は用いてなく、土塁、堀等は現存しています。
-
二ノ丸阯。
-
三ノ丸阯。
-
天守閣阯。
-
米蔵阯。後方は土塁です。
-
本丸阯。
-
本丸阯。
-
直江山城守宅阯。上杉家の重臣で大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続の屋敷跡です。
-
毘沙門堂。謙信が出陣前に戦勝を祈願したところ。謙信は毘沙門天を深く信仰していました。春日山城唯一の建物です。
-
春日山神社。
-
春日山神社鳥居。
-
春日山神社本殿。謙信公を祭神とし、旧高田藩士小川澄晴が浄財を募り、祭主として創建したものです。日本近代童話の父と呼ばれる小川未明は澄晴の長男です。
-
春日山城跡ものがたり館。春日山城の資料を展示、映像で謙信公の生涯と春日山城のなりたちについて学ぶことが出来る施設です。
-
新発田城・三階櫓。初代藩主・溝口秀勝入封400年記念事業として、平成16年7月復元完成。この櫓は、事実上の天守に相当する櫓ですが、幕府や親藩に遠慮して天守という名称は用いず、「三階櫓」と呼びました。最上階の屋根の棟が丁字型で、それぞれの隅に1匹ずつ、合計3匹の鯱(しゃち)が載る全国唯一の櫓です。外部は白漆喰塗で、各層の腰壁は海鼠(なまこ)壁で仕上げています。
-
三階櫓。3匹の鯱が載っています。
-
二の丸隅櫓(国重文指定)。新潟県内で唯一、江戸時代から現存する城郭建造物です。寛文の大火から44年後の正徳2年(1712年)の絵図に描かれており、この頃までに再建されていたと思われます。腰壁は瓦張りで、白と黒が美しい海鼠壁で仕上げられています。
-
本丸表門(国重文指定)。2階建ての櫓門で、2階の正面に敵を攻撃するための「石落し」の仕掛けがあります。
-
辰巳櫓。三階櫓と同じく平成16年7月に復元したものです。
-
初代藩主・溝口秀勝公像。溝口秀勝は、尾張国(現愛知県)中島郡溝口村の出身で、慶長3年(1598年)に豊臣秀吉の命により6万石を与えられ、加賀国大聖寺から新発田に入封しました。溝口家は、越後で起きた上杉遺民一揆を平定し、慶長5年の関ヶ原の戦いでは徳川方に付いた外様大名です。
秀勝は上杉景勝と戦って滅びた新発田氏の館跡に築城を開始しました。縄張り(設計)は家臣の軍学者長井清佐と葛西外記が行い、入府から56年後の承応3年(1654年)3代宣直の時に完成しています。
城の構えは本丸を二の丸が取り囲み、三の丸が南方につき出した変形の輪郭・梯郭式併用型の平城です。 -
溝口家の五菱の家紋であり、現在の新発田市の市章に採用されています。
-
清水園・清水谷御殿。清水園は万治元年(1658年)三代藩主の時、曹洞宗の高徳寺を近郊に移してこの地を御用地となし、下屋敷を造営した。約4600坪の敷地に御殿が建立されたのは、寛文6年(1666年)4月で、その後新発田城の炎上などがあり、やがて4代重雄の時、幕府の茶道方であった懸宗知(あがたそうち)を招いて庭園の築造が行われ、完成を見たのは元禄年間の頃でした。
このあたり一帯が清水谷と呼ばれていたので、下屋敷は「清水谷御殿」と称した。 -
国指定名勝・清水園庭園。近江八景を取り入れた京風の庭、回遊式庭園です。
-
清水園。紅葉の庭園。
-
清水園庭園。
-
清水園庭園。
-
清水園庭園。鎌倉時代と言われる燈籠、台座が土中に埋まっている。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
29