ナポリ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。<br /><br />まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。<br /><br />イタリアには過去3度行ったことがあります。<br />最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。<br />2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。<br />3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。<br /><br />今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。<br /><br />イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。<br /><br />2015/5/6	水	成田→モスクワ→ローマ<br />2015/5/7	木	ローマ<br />2015/5/8	金	ローマ→ティヴォリ→ローマ<br />2015/5/9	土	ローマ<br />2015/5/10	日	ローマ<br />2015/5/11	月	ローマ<br />2015/5/12	火	ローマ<br />2015/5/13	水	ローマ→ナポリ<br />2015/5/14	木	ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ<br />2015/5/15	金	ナポリ<br />2015/5/16	土	ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ<br />2015/5/17	日	ナポリ→バーリ<br />2015/5/18	月	バーリ→マテーラ→バーリ<br />2015/5/19	火	バーリ→レッチェ→バーリ<br />2015/5/20	水	バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ<br />2015/5/21	木	バーリ→アンコーナ→フォリーニョ<br />2015/5/22	金	フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ<br />2015/5/23	土	フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ<br />2015/5/24	日	フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ<br />2015/5/25	月	フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト<br />2015/5/26	火	オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト<br />2015/5/27	水	オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト<br />2015/5/28	木	オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ<br />2015/5/29	金	ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ<br />2015/5/30	土	ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ<br />2015/5/31	日	ボローニャ<br />2015/6/1	月	ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/2	火	ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/3	水	ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ<br />2015/6/4	木	ヴィチェンツァ<br />2015/6/5	金	ヴィチェンツァ→ミラノ<br />2015/6/6	土	ミラノ<br />2015/6/7	日	ミラノ<br />2015/6/8	月	ミラノ→モスクワ→<br />2015/6/9	火	→成田<br /><br />短かったような短かったような(笑)・・・1週間のローマ滞在を終えて、新たな目的地ナポリへと移動します。<br /><br />実はナポリについては、不安が一杯だったのです。2001年、団体旅行でナポリを訪れましたが、ただ「通過」しただけと言っても過言ではありません。唯一のナポリ体験と言えば、レストランで特上のピッツァと「キリストの涙」というワインを飲んだだけ。しかも、そのレストランに向かう途中、添乗員はこう叫んだのです!<br /><br />「皆さ~ん! これからレストランに移動しますが、何があっても途中で立ち止まらないでくださいね。1列になって参りましょう。くれぐれも懐中物にはお気を付けくださいね!」<br /><br />まあ、ありがちな添乗員の脅し文句ではありますが、脳裏にこびりついていました。ナポリは怖いところだと。それでも、意を決してナポリ滞在を決めたのは、4トラベルの皆さんの旅行記を読んだからです。<br /><br />「気をつけていれば、大丈夫ですよ。」っと言ってくださっためておら☆さん、ありがとうございました。お陰様で、とても楽しい日々を過ごすことが出来ましたよ。ある程度緊張感を保って歩きましたが、怖い思いをしたことは、ただの一度もありませんでした。<br />

イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その34 ナポリ ダ・ミケーレ~ドゥオモ

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2015/05/13 - 2015/05/13

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2

70

junemay

junemayさん

2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。

まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。

イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。

今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。

イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。

2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田

短かったような短かったような(笑)・・・1週間のローマ滞在を終えて、新たな目的地ナポリへと移動します。

実はナポリについては、不安が一杯だったのです。2001年、団体旅行でナポリを訪れましたが、ただ「通過」しただけと言っても過言ではありません。唯一のナポリ体験と言えば、レストランで特上のピッツァと「キリストの涙」というワインを飲んだだけ。しかも、そのレストランに向かう途中、添乗員はこう叫んだのです!

「皆さ~ん! これからレストランに移動しますが、何があっても途中で立ち止まらないでくださいね。1列になって参りましょう。くれぐれも懐中物にはお気を付けくださいね!」

まあ、ありがちな添乗員の脅し文句ではありますが、脳裏にこびりついていました。ナポリは怖いところだと。それでも、意を決してナポリ滞在を決めたのは、4トラベルの皆さんの旅行記を読んだからです。

「気をつけていれば、大丈夫ですよ。」っと言ってくださっためておら☆さん、ありがとうございました。お陰様で、とても楽しい日々を過ごすことが出来ましたよ。ある程度緊張感を保って歩きましたが、怖い思いをしたことは、ただの一度もありませんでした。

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 宿泊先のホテルの受付がお昼からなので、朝遅めの列車でナポリに向かいます。9時26分発のインターシティ。この列車の料金はめちゃめちゃ安かったですよ。他のフレッチャ・シリーズの特急が1時間半で着くところ、2時間位かかりますが、お値段わずか9ユーロ! 日本じゃあ考えられません。この値段。

    宿泊先のホテルの受付がお昼からなので、朝遅めの列車でナポリに向かいます。9時26分発のインターシティ。この列車の料金はめちゃめちゃ安かったですよ。他のフレッチャ・シリーズの特急が1時間半で着くところ、2時間位かかりますが、お値段わずか9ユーロ! 日本じゃあ考えられません。この値段。

  • 座席も思っていたより良くて、シンガポールから来たご夫婦とおしゃべりに花を咲かせているうちに、あっという間にナポリ到着です。<br /><br />シンガポール人のご夫婦が話しているのは確かに英語なのですが、これまで聞いた中で一番分かり難い英語でした。彼らの荷物は、航空機に持ち込み可能なサイズの小さなスーツケース2つのみ。聞けば、しょっちゅうランドリーを利用するので、着替えを殆ど持っていないとのこと。な〜るほどぉ。着替え持ち過ぎの私はため息をつきます。<br /><br />彼らはナポリの治安に難ありと、ソレントに宿泊予定。それを聞いて、また不安がこみ上げてきました。大丈夫かなぁ・・・私の滞在予定のホテルは、悪名高きナポリの中でも最悪と言われるナポリ中央駅前なのです。<br /><br />次の日アマルフィで彼らとばったり出くわしました。楽しいご夫婦でしたよ。

    座席も思っていたより良くて、シンガポールから来たご夫婦とおしゃべりに花を咲かせているうちに、あっという間にナポリ到着です。

    シンガポール人のご夫婦が話しているのは確かに英語なのですが、これまで聞いた中で一番分かり難い英語でした。彼らの荷物は、航空機に持ち込み可能なサイズの小さなスーツケース2つのみ。聞けば、しょっちゅうランドリーを利用するので、着替えを殆ど持っていないとのこと。な〜るほどぉ。着替え持ち過ぎの私はため息をつきます。

    彼らはナポリの治安に難ありと、ソレントに宿泊予定。それを聞いて、また不安がこみ上げてきました。大丈夫かなぁ・・・私の滞在予定のホテルは、悪名高きナポリの中でも最悪と言われるナポリ中央駅前なのです。

    次の日アマルフィで彼らとばったり出くわしました。楽しいご夫婦でしたよ。

  • ナポリについて、最初にやったことは、日本でネットで申し込み、クレジットカードで決済済みの二種類のアルテカードを受け取ることです。ナポリ・チェントラーレ駅の構内の、観光案内所で受け取ることが出来ました。<br /><br />アルテカードは大きく分けて2種類。ナポリ市内のみ適用のものと、カンパニア州全体のもの。<br /><br />ナポリカードは、私の購入した3日用で3か所の施設の入場が無料。4か所目からは50%引きとなります。交通機関もフリーパスで、21ユーロ。<br />カンパニアカードは、同じく3日用で2か所の入場が無料。3か所目から50%引きは同様。こちらはカンパニア州全体の交通機関がフリーパスで(船等除外あり)、32ユーロ。<br /><br />到着した今日を入れて、ナポリには4日間しか滞在しないのですが、十分元が取れるかな?という計算で購入しました。 詳細はこちらのサイトで(英語です)。<br /><br />http://www.campaniartecard.it/<br /><br />写真は、ナポリ中央駅内にあるマクドナルドと同じスペースにあるカフェです。思っていたよりずっときれいで安心。滞在中は良くお世話になりました。

    ナポリについて、最初にやったことは、日本でネットで申し込み、クレジットカードで決済済みの二種類のアルテカードを受け取ることです。ナポリ・チェントラーレ駅の構内の、観光案内所で受け取ることが出来ました。

    アルテカードは大きく分けて2種類。ナポリ市内のみ適用のものと、カンパニア州全体のもの。

    ナポリカードは、私の購入した3日用で3か所の施設の入場が無料。4か所目からは50%引きとなります。交通機関もフリーパスで、21ユーロ。
    カンパニアカードは、同じく3日用で2か所の入場が無料。3か所目から50%引きは同様。こちらはカンパニア州全体の交通機関がフリーパスで(船等除外あり)、32ユーロ。

    到着した今日を入れて、ナポリには4日間しか滞在しないのですが、十分元が取れるかな?という計算で購入しました。 詳細はこちらのサイトで(英語です)。

    http://www.campaniartecard.it/

    写真は、ナポリ中央駅内にあるマクドナルドと同じスペースにあるカフェです。思っていたよりずっときれいで安心。滞在中は良くお世話になりました。

  • 怖くてカメラがまだ向けられないので、唐突ですが、ナポリのホテル「ニュー・サヨナラ」にチェックインです。<br /><br />マクドナルドから100m。何よりもそのロケーションが気にいりました。また、その名前に対して妙に親近感を持ちました。スタッフに名前の由来を聞いたのですが、はっきりとした返事はもらえませんでした。雇われスタッフなので、知らないみたいでした。

    怖くてカメラがまだ向けられないので、唐突ですが、ナポリのホテル「ニュー・サヨナラ」にチェックインです。

    マクドナルドから100m。何よりもそのロケーションが気にいりました。また、その名前に対して妙に親近感を持ちました。スタッフに名前の由来を聞いたのですが、はっきりとした返事はもらえませんでした。雇われスタッフなので、知らないみたいでした。

  • ホテル ニュー・サヨナラは、ナポリ・チェントラーレ駅前のガリバルディ広場に面した門から中に入り、中庭を抜けてエレヴェータで3階に上がったところにあります。スタッフは英語を話しますが片言でした。でもとっても良い人で、大変親切。すぐにチェックインさせてくれました。<br /><br />中は清潔だし、リフォームしたてで大変こざっぱりしていました。壁が薄いので、廊下で話す人の声とかが丸聞こえですが、寝るには十分。どうせ朝から晩までほっつき歩いているので、問題ありません。

    ホテル ニュー・サヨナラは、ナポリ・チェントラーレ駅前のガリバルディ広場に面した門から中に入り、中庭を抜けてエレヴェータで3階に上がったところにあります。スタッフは英語を話しますが片言でした。でもとっても良い人で、大変親切。すぐにチェックインさせてくれました。

    中は清潔だし、リフォームしたてで大変こざっぱりしていました。壁が薄いので、廊下で話す人の声とかが丸聞こえですが、寝るには十分。どうせ朝から晩までほっつき歩いているので、問題ありません。

  • バスルームはこちら。どこもかしこもピッカピカに磨き上げられていました。

    バスルームはこちら。どこもかしこもピッカピカに磨き上げられていました。

  • シャワーは最新式? たくさんボタンがついていますが、ひねるとお湯が四方八方からジャグジーのように噴き出します。こんなの初めて見ましたよ。<br /><br />

    シャワーは最新式? たくさんボタンがついていますが、ひねるとお湯が四方八方からジャグジーのように噴き出します。こんなの初めて見ましたよ。

  • そうそう、ホテルの入り口の門は、昼間は開いていますが、日が暮れると閉まってしまうので、脇にある呼び鈴を押して、入れてもらいます。説明がなかったので、最初は戸惑いました。エレヴェータは上るのは無料ですが、下がるにはコインが必要という変わった方式。コインはフロントでもらえます。<br /><br />

    そうそう、ホテルの入り口の門は、昼間は開いていますが、日が暮れると閉まってしまうので、脇にある呼び鈴を押して、入れてもらいます。説明がなかったので、最初は戸惑いました。エレヴェータは上るのは無料ですが、下がるにはコインが必要という変わった方式。コインはフロントでもらえます。

  • ナポリの喧騒にほど近いのに、夜は割合静かでした。窓を開けてベランダに出ると、ご覧のような中庭で、ナポリ気分を味わうこともできますよ(笑)!

    ナポリの喧騒にほど近いのに、夜は割合静かでした。窓を開けてベランダに出ると、ご覧のような中庭で、ナポリ気分を味わうこともできますよ(笑)!

  • さて、早速ですが、腹ごしらえでやってきたのは、東京の恵比寿、福岡にも支店を出した、ピッツァの老舗ダ・ミケーレです。駅から歩いて10分程度。ホテルに場所を尋ねたら、ホテルに提携のピザ屋から出前してもらうのが一番だと勧められたのですが、やはりお店で食べたいと思い、地球の〇き方の地図を頭にいれて出発。一度も迷うことなく、この小さなお店までたどり着くことが出来ました。

    さて、早速ですが、腹ごしらえでやってきたのは、東京の恵比寿、福岡にも支店を出した、ピッツァの老舗ダ・ミケーレです。駅から歩いて10分程度。ホテルに場所を尋ねたら、ホテルに提携のピザ屋から出前してもらうのが一番だと勧められたのですが、やはりお店で食べたいと思い、地球の〇き方の地図を頭にいれて出発。一度も迷うことなく、この小さなお店までたどり着くことが出来ました。

  • その間、私としたことが一枚も写真を撮っていないなんて、画期的です! すぐに慣れてしまうのですが、緊張感の持続は一人旅には必須です。な〜んちゃって。<br /><br />お昼時間はすぎたのに、お店の前はこの賑わい。お店の人に名前を伝えて、番号をもらいます。席が用意できると、番号が呼ばれます。イタリア語オンリーですが、何とか聞き取れました。

    その間、私としたことが一枚も写真を撮っていないなんて、画期的です! すぐに慣れてしまうのですが、緊張感の持続は一人旅には必須です。な〜んちゃって。

    お昼時間はすぎたのに、お店の前はこの賑わい。お店の人に名前を伝えて、番号をもらいます。席が用意できると、番号が呼ばれます。イタリア語オンリーですが、何とか聞き取れました。

  • お店の看板は創業者のミケーレ・コンドゥッロ氏。彼が1870年に始めたお店で、世界中に今のところ3店舗だけだそうですよ。

    お店の看板は創業者のミケーレ・コンドゥッロ氏。彼が1870年に始めたお店で、世界中に今のところ3店舗だけだそうですよ。

  • 一人だったので、そんなに待つことはありませんでした。多分10分かそこらで番号を告げられ店内に。<br /><br />日本では常々行列を作ってまで食べたくないと言い放っていた私なのに、はるばるナポリまで来て行列するとは! まあ、これも人一倍強い好奇心のなせる業ですかねえ・・・

    一人だったので、そんなに待つことはありませんでした。多分10分かそこらで番号を告げられ店内に。

    日本では常々行列を作ってまで食べたくないと言い放っていた私なのに、はるばるナポリまで来て行列するとは! まあ、これも人一倍強い好奇心のなせる業ですかねえ・・・

  • ピッツァは基本マルガリータとマリネーラのみ。チーズがダブルという「ドッピア」の選択も有りましたが、初めてゆえオーソドックスなマルゲリータを注文。2001年に来た時もマルゲリータだったなあと懐古します。<br /><br />私が日本人と見て、スタッフが恵比寿帰りの職人をテーブルまで引っ張ってきてご挨拶。結局チップ欲しさだったようで、うまくのせられてしまいました。

    ピッツァは基本マルガリータとマリネーラのみ。チーズがダブルという「ドッピア」の選択も有りましたが、初めてゆえオーソドックスなマルゲリータを注文。2001年に来た時もマルゲリータだったなあと懐古します。

    私が日本人と見て、スタッフが恵比寿帰りの職人をテーブルまで引っ張ってきてご挨拶。結局チップ欲しさだったようで、うまくのせられてしまいました。

  • じゃ〜ん。来ましたよ。直径18センチの皿から大幅にはみ出したサイズで、これを切れないナイフと格闘しつつ、あっという間に平らげてしまいました。美味し〜い!<br /><br />ナポリのピッツァは端の部分が分厚く、焦げているので、残しても失礼に当たらないという情報を皆さまの旅行記から仕入れていたので、残しましたよ。ヴォリューム十分。飲み物とチップ込みで7ユーロでした。安〜い!

    じゃ〜ん。来ましたよ。直径18センチの皿から大幅にはみ出したサイズで、これを切れないナイフと格闘しつつ、あっという間に平らげてしまいました。美味し〜い!

    ナポリのピッツァは端の部分が分厚く、焦げているので、残しても失礼に当たらないという情報を皆さまの旅行記から仕入れていたので、残しましたよ。ヴォリューム十分。飲み物とチップ込みで7ユーロでした。安〜い!

  • お腹が一杯になって店の外に出ました。これは、お店に背を向けて右側を撮った写真です。奥に赤い建物が見えますが、あの建物の前が、ナポリ・チェントラーレ前のガリバルディ広場から南西に伸びるウンベルト1世通りです。<br /><br />駅から来るときは、赤い建物を目印にウンベルト1世通りを下ってくるとわかりやすいと思います。

    お腹が一杯になって店の外に出ました。これは、お店に背を向けて右側を撮った写真です。奥に赤い建物が見えますが、あの建物の前が、ナポリ・チェントラーレ前のガリバルディ広場から南西に伸びるウンベルト1世通りです。

    駅から来るときは、赤い建物を目印にウンベルト1世通りを下ってくるとわかりやすいと思います。

  • お店に背を向けて今度は左側を1枚。最初一番左の道を行ってみようかなと思ったのですが、細かい地図が頭に入っていなかったので、メインストリートまで戻ることにしました。<br /><br />子羊のように臆病者なんです(笑)! 

    お店に背を向けて今度は左側を1枚。最初一番左の道を行ってみようかなと思ったのですが、細かい地図が頭に入っていなかったので、メインストリートまで戻ることにしました。

    子羊のように臆病者なんです(笑)! 

  • ウンベルト1世通りまで戻って、なおも進んでいくと、サークルのある、ニコーラ・アモーレ広場に出ました。<br /><br />どこもかしこも煤けているナポリですが、この辺りは、ローマのリパブリック広場のように、瀟洒な建物が建ち並んでいます。ドーナッツを4つにわけて、少し離して丸く並べたような、同じ装飾の4つの建物が円形広場を形作っています。この広場からスパッカ・ナポリに入るというのが王道です。

    ウンベルト1世通りまで戻って、なおも進んでいくと、サークルのある、ニコーラ・アモーレ広場に出ました。

    どこもかしこも煤けているナポリですが、この辺りは、ローマのリパブリック広場のように、瀟洒な建物が建ち並んでいます。ドーナッツを4つにわけて、少し離して丸く並べたような、同じ装飾の4つの建物が円形広場を形作っています。この広場からスパッカ・ナポリに入るというのが王道です。

  • それぞれの建物にはゲートがあって、一生懸命それを支えている力持ちさん(テラモン)が4人いますね。残念ながら顔が見えないなあ・・・

    それぞれの建物にはゲートがあって、一生懸命それを支えている力持ちさん(テラモン)が4人いますね。残念ながら顔が見えないなあ・・・

  • スパッカ・ナポリのメインストリート ドゥオモ通りに入ってまいりました。ここは人通りも多く、いくらか安心して歩けそう。<br /><br />右側のビル、傷んではいますが、入り口の装飾はなかなかです。

    スパッカ・ナポリのメインストリート ドゥオモ通りに入ってまいりました。ここは人通りも多く、いくらか安心して歩けそう。

    右側のビル、傷んではいますが、入り口の装飾はなかなかです。

  • 相変わらず、教会を見ると写真を撮りたがります。実はドゥオモに向かっているのですが、ドゥオモがどんな建物かわからないので、手あたり次第と言う方が当たっています。<br /><br />右側に見えて来たのは、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。ヴェネツィアの有名な教会と同じ名前ですね。あまり古そうには見えませんが、伝説では4世紀の創建、10世紀にすでに存在していたことが文書で確認できる、ドームが3つ並んでいる古い教会だそうです。

    相変わらず、教会を見ると写真を撮りたがります。実はドゥオモに向かっているのですが、ドゥオモがどんな建物かわからないので、手あたり次第と言う方が当たっています。

    右側に見えて来たのは、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会。ヴェネツィアの有名な教会と同じ名前ですね。あまり古そうには見えませんが、伝説では4世紀の創建、10世紀にすでに存在していたことが文書で確認できる、ドームが3つ並んでいる古い教会だそうです。

  • こちらがその正面玄関です。現在の建物は18世紀に再建されたものです。残念ながらナポリの教会は、長い長い昼休み中でした。

    こちらがその正面玄関です。現在の建物は18世紀に再建されたものです。残念ながらナポリの教会は、長い長い昼休み中でした。

  • スパッカ・ナポリと言ったら横丁巡りが一番の楽しみなので、ちょっとトリプナーリ通りを歩いてみます。ここでも私の目に付くのはやはり教会です!<br /><br />ローマとはまた違った雰囲気で違う町に来たことを実感しつつあります。<br /><br />トリプナリ通りを左に曲がってすぐの右側にあったのは、ジローラミニ教会。珍しく頭にサンがついていない教会です。聖フィリッポ・ネリに捧げられた教会で、フィレンツェの建築家ジョヴァンニ・アントニオ・ドージオにより1619年に建てられました。フィレンツェ風のルネッサンス様式が特徴。ローマではあまり見かけないスタイルです。<br /><br />中には、回廊が二つ、そのうちの一つはマジョルカ焼タイルの回廊と呼ばれているそうです。入場したかったけれど、教会の開いている時間と相性が悪すぎました。

    スパッカ・ナポリと言ったら横丁巡りが一番の楽しみなので、ちょっとトリプナーリ通りを歩いてみます。ここでも私の目に付くのはやはり教会です!

    ローマとはまた違った雰囲気で違う町に来たことを実感しつつあります。

    トリプナリ通りを左に曲がってすぐの右側にあったのは、ジローラミニ教会。珍しく頭にサンがついていない教会です。聖フィリッポ・ネリに捧げられた教会で、フィレンツェの建築家ジョヴァンニ・アントニオ・ドージオにより1619年に建てられました。フィレンツェ風のルネッサンス様式が特徴。ローマではあまり見かけないスタイルです。

    中には、回廊が二つ、そのうちの一つはマジョルカ焼タイルの回廊と呼ばれているそうです。入場したかったけれど、教会の開いている時間と相性が悪すぎました。

  • ナポリ名物の洗濯物の横にあった、今は閉鎖されている風の教会。三軒長屋の真中といった佇まいです。サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会と似ているので、最初間違えちゃいました。<br /><br />町はゴミだらけという印象はありませんが、落書きの多さ、建物の年季の入りよう(要はボロボロ)には、最初は戸惑いを覚えました。でもじきに慣れましたよ。インドに行った時、3日目には道路の真中に牛が寝そべっているのを見ても、なんとも感じない自分がいましたが、それと同じような感覚です。

    ナポリ名物の洗濯物の横にあった、今は閉鎖されている風の教会。三軒長屋の真中といった佇まいです。サン・ロレンツォ・マッジョーレ教会と似ているので、最初間違えちゃいました。

    町はゴミだらけという印象はありませんが、落書きの多さ、建物の年季の入りよう(要はボロボロ)には、最初は戸惑いを覚えました。でもじきに慣れましたよ。インドに行った時、3日目には道路の真中に牛が寝そべっているのを見ても、なんとも感じない自分がいましたが、それと同じような感覚です。

  • とりあえず、先にドゥオモを見に行きましょう。私の持っている地球の〇き方には、午後の入場は16:30と書いてあったけれど、現在15:00ちょっと過ぎ。万歳! 開いていました!<br /><br />ナポリの守護聖人聖ジェンナーロに捧げられたナポリの大聖堂です。ジェンナーロはディオクレティアヌス帝の時代のナポリの司教だった人で、ディオクレティアヌスの大迫害により、305年頃殉教したと伝えられていますが、詳しい文献は残されていません。<br /><br />彼に関する「奇跡」の話は有名で、聖遺物として保管されている彼の乾いた血液を、最初は年1回、次に2回、そして今では年3回、彼の頭蓋骨に近づけると液化するという話です。彼の記念日の9月19日、12月16日、そして5月の最初の日曜日の前の土曜日に、その奇跡は起きます。何千人もの人々が集まってこの血液の液化を実際にその目で見るというのですから、真に興味深い話と言わねばなりません。

    とりあえず、先にドゥオモを見に行きましょう。私の持っている地球の〇き方には、午後の入場は16:30と書いてあったけれど、現在15:00ちょっと過ぎ。万歳! 開いていました!

    ナポリの守護聖人聖ジェンナーロに捧げられたナポリの大聖堂です。ジェンナーロはディオクレティアヌス帝の時代のナポリの司教だった人で、ディオクレティアヌスの大迫害により、305年頃殉教したと伝えられていますが、詳しい文献は残されていません。

    彼に関する「奇跡」の話は有名で、聖遺物として保管されている彼の乾いた血液を、最初は年1回、次に2回、そして今では年3回、彼の頭蓋骨に近づけると液化するという話です。彼の記念日の9月19日、12月16日、そして5月の最初の日曜日の前の土曜日に、その奇跡は起きます。何千人もの人々が集まってこの血液の液化を実際にその目で見るというのですから、真に興味深い話と言わねばなりません。

  • 大聖堂のファサードは何世紀にもわたって建設されました。現在のファサードは19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、エンリコ・アルヴィーノによりネオゴシック様式で再建されたものです。いまだに2つの鐘楼が未完な状態なのだそうです。<br /><br />ゴシックの特徴である3つの尖った部分を持ち、大理石の彫像、レリーフ等で装飾が施されています。中央トップのバラ窓の中には、キリストが祝福のポーズでお出迎えです。扉の上の半月形部分には、聖母子とともにいる聖ピエトロ、聖ジェンナーロ、枢機卿ミヌトーロ(大聖堂建設を発注した枢機卿)の彫像が置かれています。こちらはティノ・ダ・カマイノの作品。

    大聖堂のファサードは何世紀にもわたって建設されました。現在のファサードは19世紀の終わりから20世紀初頭にかけて、エンリコ・アルヴィーノによりネオゴシック様式で再建されたものです。いまだに2つの鐘楼が未完な状態なのだそうです。

    ゴシックの特徴である3つの尖った部分を持ち、大理石の彫像、レリーフ等で装飾が施されています。中央トップのバラ窓の中には、キリストが祝福のポーズでお出迎えです。扉の上の半月形部分には、聖母子とともにいる聖ピエトロ、聖ジェンナーロ、枢機卿ミヌトーロ(大聖堂建設を発注した枢機卿)の彫像が置かれています。こちらはティノ・ダ・カマイノの作品。

  • 中央扉の両脇にいたライオン像。人々に撫でられ続けて、おでこがすっかりすり減ってしまったようです。<br /><br />大聖堂の建築命令が出たのは13世紀末シシリア王シャルル1世の時代のこと。完成したのはナポリ王ロベルト治世下の14世紀初めだそうですが、このライオン像も同じ頃の作品で、以来800年に渡り、番犬ならぬ「番ライオン」を務めてきたことになります。<br /><br />ライオンが前足で押さえつけているのは子羊かな?

    中央扉の両脇にいたライオン像。人々に撫でられ続けて、おでこがすっかりすり減ってしまったようです。

    大聖堂の建築命令が出たのは13世紀末シシリア王シャルル1世の時代のこと。完成したのはナポリ王ロベルト治世下の14世紀初めだそうですが、このライオン像も同じ頃の作品で、以来800年に渡り、番犬ならぬ「番ライオン」を務めてきたことになります。

    ライオンが前足で押さえつけているのは子羊かな?

  • 内部は三廊式。常に工事中という噂は本当でした。左側廊部分はご覧の通りの有様で、見学不可のようです。<br /><br />身廊と側廊を隔てるアーチは、太い四角い柱によって支えられ、その両側をローマ帝国時代の花崗岩の円柱16本が脇から挟んでいるように見えます。<br /><br />身廊の長さは100mもあるそう。天井の高さは48m。見事な格間天井には羊飼いの礼拝、東方三博士の礼拝等、5つの絵が描かれています。<br /><br />

    内部は三廊式。常に工事中という噂は本当でした。左側廊部分はご覧の通りの有様で、見学不可のようです。

    身廊と側廊を隔てるアーチは、太い四角い柱によって支えられ、その両側をローマ帝国時代の花崗岩の円柱16本が脇から挟んでいるように見えます。

    身廊の長さは100mもあるそう。天井の高さは48m。見事な格間天井には羊飼いの礼拝、東方三博士の礼拝等、5つの絵が描かれています。

  • 主祭壇に向かって右側です。<br />16本の太い柱には、ナポリの最初の16人の司教の胸像が同じようなポーズで並んでいます。これらは、17世紀から18世紀にかけて作られたものだそうです。<br /><br />円柱の色は様々ですねえ。途中から色の変わっているのもありますが、途中で接いである可能性も考えられますね。<br /><br />内部はスッキリとしたデザインで、心落ち着く空間でした。

    主祭壇に向かって右側です。
    16本の太い柱には、ナポリの最初の16人の司教の胸像が同じようなポーズで並んでいます。これらは、17世紀から18世紀にかけて作られたものだそうです。

    円柱の色は様々ですねえ。途中から色の変わっているのもありますが、途中で接いである可能性も考えられますね。

    内部はスッキリとしたデザインで、心落ち着く空間でした。

  • こちらは、工事中の左側部分。<br /><br />左側廊の中央には、大聖堂の前身で、ナポリで一番古いという6世紀に建てられた聖レスティトゥータのバシリカがあるはずなんですが(13世紀に礼拝堂として再建された)、見られないのがとても残念。

    こちらは、工事中の左側部分。

    左側廊の中央には、大聖堂の前身で、ナポリで一番古いという6世紀に建てられた聖レスティトゥータのバシリカがあるはずなんですが(13世紀に礼拝堂として再建された)、見られないのがとても残念。

  • それでは、右側廊を見ていきましょう。

    それでは、右側廊を見ていきましょう。

  • この大聖堂が捧げる聖人ジェンナーロの礼拝堂です。工事中で見られなかった聖レスティトゥータの礼拝堂のほぼ対面に位置しています。<br /><br />礼拝堂が建てられたのは16世紀前半。度重なる諸外国との戦争、ペスト、ヴェスピオス山の噴火等で、人々が極度の不安に脅かされていた時代のことでした。そして聖人に対するナポリの人々の熱い思いは、各国の著名な芸術家の参加を呼び、100年以上かけて、新たな礼拝堂を作り上げたのだそうです。<br /><br />礼拝堂はギリシャ十字型。中央祭壇に向かって左側に金と銀を使ったジェンナーロの胸像(赤いシルクのガウンをつけている)があります。小さいけれど見えるかな?

    この大聖堂が捧げる聖人ジェンナーロの礼拝堂です。工事中で見られなかった聖レスティトゥータの礼拝堂のほぼ対面に位置しています。

    礼拝堂が建てられたのは16世紀前半。度重なる諸外国との戦争、ペスト、ヴェスピオス山の噴火等で、人々が極度の不安に脅かされていた時代のことでした。そして聖人に対するナポリの人々の熱い思いは、各国の著名な芸術家の参加を呼び、100年以上かけて、新たな礼拝堂を作り上げたのだそうです。

    礼拝堂はギリシャ十字型。中央祭壇に向かって左側に金と銀を使ったジェンナーロの胸像(赤いシルクのガウンをつけている)があります。小さいけれど見えるかな?

  • この礼拝堂は、別名「ジェンナーロの宝石」と呼ばれていて、中はまるで美術館のように凝った装飾が施され、19体のブロンズの彫像、54体の銀製の胸像が置かれています。<br /><br />こちらは、礼拝堂の右半分を撮った1枚。柱のブロンズ像を中心に撮ったので、右祭壇の絵画が残念ながら写っていません。

    この礼拝堂は、別名「ジェンナーロの宝石」と呼ばれていて、中はまるで美術館のように凝った装飾が施され、19体のブロンズの彫像、54体の銀製の胸像が置かれています。

    こちらは、礼拝堂の右半分を撮った1枚。柱のブロンズ像を中心に撮ったので、右祭壇の絵画が残念ながら写っていません。

  • 左半分です。光輝く彫像群に気を取られ、祭壇画を見ずじまいでした。何たるちや!<br /><br />ドームを除いた殆どの作品がドメニキーノ作とわかったのはドゥオモを去った後でした。<br /><br />

    左半分です。光輝く彫像群に気を取られ、祭壇画を見ずじまいでした。何たるちや!

    ドームを除いた殆どの作品がドメニキーノ作とわかったのはドゥオモを去った後でした。

  • そのドームがまた素晴らしい! ドームの天上の世界のフレスコを描いたのはジョヴァンニ・ランフランコ。そう、ローマのサン・タンドレア・デッラ・ヴァッレ聖堂のクーポラで彼の絵を見たばかりでしたが、ここで再会。1643年の作品です。<br /><br />ペンデンティヴスのフレスコはドメニキーノの作品。右は「ナポリの町を守るジェンナーロに加勢するキリスト」。左は「栄光の天上で、ジェンナーロを迎えるキリスト」です。

    そのドームがまた素晴らしい! ドームの天上の世界のフレスコを描いたのはジョヴァンニ・ランフランコ。そう、ローマのサン・タンドレア・デッラ・ヴァッレ聖堂のクーポラで彼の絵を見たばかりでしたが、ここで再会。1643年の作品です。

    ペンデンティヴスのフレスコはドメニキーノの作品。右は「ナポリの町を守るジェンナーロに加勢するキリスト」。左は「栄光の天上で、ジェンナーロを迎えるキリスト」です。

  • ドームのアップです。キリストの左側にいる人が多分ジェンナーロでしょう。<br /><br />今日も天国は大賑わい。混雑しています。

    ドームのアップです。キリストの左側にいる人が多分ジェンナーロでしょう。

    今日も天国は大賑わい。混雑しています。

  • 続いては、聖遺物が納められている礼拝堂。このような形式で礼拝堂と言うのは初めての経験です。13世紀以来の聖遺物が所狭しと並んでいます。

    続いては、聖遺物が納められている礼拝堂。このような形式で礼拝堂と言うのは初めての経験です。13世紀以来の聖遺物が所狭しと並んでいます。

  • 教会の宝物部屋がそのまま礼拝堂になっていました。断捨離はしないのかなあ・・・整頓方法にやや難あり。

    教会の宝物部屋がそのまま礼拝堂になっていました。断捨離はしないのかなあ・・・整頓方法にやや難あり。

  • こちらは、やや年代が古そうなモニュメントがある、聖ジェンナーロと同じ頃殉教した聖ティブルチオと聖スサンナに捧げられた礼拝堂です。<br /><br />大層な造りのエディクラの割には華奢で、少しの地震でも倒れそうな造りに思われます。しかし、素朴な手作り感が良い雰囲気を出していました。中央は、アントニオ・バンボッチオ作の1405年にローマで亡くなった枢機卿フランチェスコ・カルボーネの墓です。<br /><br />後ほど紹介するミヌトーロ家礼拝堂のモニュメントと共通点がかなり見られます。天使達がカーテンを翼で押さえている姿も似ています。

    こちらは、やや年代が古そうなモニュメントがある、聖ジェンナーロと同じ頃殉教した聖ティブルチオと聖スサンナに捧げられた礼拝堂です。

    大層な造りのエディクラの割には華奢で、少しの地震でも倒れそうな造りに思われます。しかし、素朴な手作り感が良い雰囲気を出していました。中央は、アントニオ・バンボッチオ作の1405年にローマで亡くなった枢機卿フランチェスコ・カルボーネの墓です。

    後ほど紹介するミヌトーロ家礼拝堂のモニュメントと共通点がかなり見られます。天使達がカーテンを翼で押さえている姿も似ています。

  • 主祭壇です。逆光だったので、分かり難い画像になってしまいました。度重なる地震でダメージを受けた後陣は18世紀に多角形構造に改修されたそうです。<br /><br />主祭壇の白い彫刻は、トレヴィの泉の彫刻(一部)で知られるピエトロ・ブラッチの「聖母被昇天」。祭壇には、初期の聖人アグリッピーノ・アクーツィオとエウティーケの聖遺物が納められています。

    主祭壇です。逆光だったので、分かり難い画像になってしまいました。度重なる地震でダメージを受けた後陣は18世紀に多角形構造に改修されたそうです。

    主祭壇の白い彫刻は、トレヴィの泉の彫刻(一部)で知られるピエトロ・ブラッチの「聖母被昇天」。祭壇には、初期の聖人アグリッピーノ・アクーツィオとエウティーケの聖遺物が納められています。

  • ロンバルトの王子シコにより、ナポリのカポディモンテのカタコンブから盗まれた聖ジェンナーロの聖遺物は1497年に発見され、枢機卿オリヴィエロ・カラファは直ちに聖遺物を保管するために十分な広さのあるクリプト(地下室)を主祭壇の下に作る工事を開始しました。<br /><br />この工事は難航を極めましたが、1506年に完成。クリプトは12m×9mの長方形をしていて、天井の高さは4m。10本の円柱により、3つのパートに分かれています。そして内部は、偉大なる巨匠ドナト・ブラマンテの影響が強く感じられるルネッサンス様式となっています。

    ロンバルトの王子シコにより、ナポリのカポディモンテのカタコンブから盗まれた聖ジェンナーロの聖遺物は1497年に発見され、枢機卿オリヴィエロ・カラファは直ちに聖遺物を保管するために十分な広さのあるクリプト(地下室)を主祭壇の下に作る工事を開始しました。

    この工事は難航を極めましたが、1506年に完成。クリプトは12m×9mの長方形をしていて、天井の高さは4m。10本の円柱により、3つのパートに分かれています。そして内部は、偉大なる巨匠ドナト・ブラマンテの影響が強く感じられるルネッサンス様式となっています。

  • 久しぶりに美しい床のモザイクに目を奪われました。

    久しぶりに美しい床のモザイクに目を奪われました。

  • コズマーティのようなデザインも見ることが出来ました。壁は大理石で覆われ、全面的に美しい装飾が施されています。<br /><br />

    コズマーティのようなデザインも見ることが出来ました。壁は大理石で覆われ、全面的に美しい装飾が施されています。

  • 天井は、トマソ・マルヴィートとその弟子により、聖母子、聖ピエトロと聖パオロ、4人の福音記者達、教会博士やヒッポのアウグスティヌス、グレゴリウス1世、聖アンブローズ、聖ヒエロニムスら聖人達の顔が彫られています。聖人達は周りを4人の天使達に囲まれています。<br /><br />礼拝堂の両側には、小さな後陣のついた祭壇付きのニッチェが5つずつ並んでいました。実際には使われていないようでした。

    天井は、トマソ・マルヴィートとその弟子により、聖母子、聖ピエトロと聖パオロ、4人の福音記者達、教会博士やヒッポのアウグスティヌス、グレゴリウス1世、聖アンブローズ、聖ヒエロニムスら聖人達の顔が彫られています。聖人達は周りを4人の天使達に囲まれています。

    礼拝堂の両側には、小さな後陣のついた祭壇付きのニッチェが5つずつ並んでいました。実際には使われていないようでした。

  • こちらが、聖ジェンナーロの聖遺物が納められた祭壇です。入口のアーチ部分の装飾が見事です。500年以上経っても、この空間はカラファ家が所有しているそうで、彼らの家の紋章(中央の縞々の旗)が目立っていました。

    こちらが、聖ジェンナーロの聖遺物が納められた祭壇です。入口のアーチ部分の装飾が見事です。500年以上経っても、この空間はカラファ家が所有しているそうで、彼らの家の紋章(中央の縞々の旗)が目立っていました。

  • 主祭壇のはるか後方には、天井のパネルを作成したトマソ・マルヴィートによって彫られた枢機卿オリヴィエロ・カラファの「祈る姿」の像がありました。彼はここに埋葬されています。<br /><br />私は、この像よりも太陽の光で一層鮮やかになった床の装飾に見とれていました。

    主祭壇のはるか後方には、天井のパネルを作成したトマソ・マルヴィートによって彫られた枢機卿オリヴィエロ・カラファの「祈る姿」の像がありました。彼はここに埋葬されています。

    私は、この像よりも太陽の光で一層鮮やかになった床の装飾に見とれていました。

  • 美しい床をもう少し堪能してから帰りましょう。

    美しい床をもう少し堪能してから帰りましょう。

  • 礼拝堂の完成度は高く、大理石の壁、天井と床との調和が素晴らしいと、このクリプトは完成時から人々の称賛を受けました。ナポリの人達にとってここは、大変わかりやすい、ナポリ流ルネッサンスのシンボル的存在であるようです。

    礼拝堂の完成度は高く、大理石の壁、天井と床との調和が素晴らしいと、このクリプトは完成時から人々の称賛を受けました。ナポリの人達にとってここは、大変わかりやすい、ナポリ流ルネッサンスのシンボル的存在であるようです。

  • クリプトからの帰り道にあった、思いっきりシンプルで現代風なデザインの墓は、1966年に亡くなったナポリ司教アルフォンソ・カスタルディの墓です(正面)。<br /><br />思わず振り返って見てしまうほどインパクトがありました。

    クリプトからの帰り道にあった、思いっきりシンプルで現代風なデザインの墓は、1966年に亡くなったナポリ司教アルフォンソ・カスタルディの墓です(正面)。

    思わず振り返って見てしまうほどインパクトがありました。

  • 打って変わって、今度はオールドスタイル。<br />ドゥオモの翼廊で見つけた古い礼拝堂からいくつか紹介しましょう。<br /><br />翼廊左端にあって、ドームのヴォールトと中方立てのある窓がゴシック様式だと教えてくれるこちらは、ナポリの名門ガレオッタ家礼拝堂です。

    打って変わって、今度はオールドスタイル。
    ドゥオモの翼廊で見つけた古い礼拝堂からいくつか紹介しましょう。

    翼廊左端にあって、ドームのヴォールトと中方立てのある窓がゴシック様式だと教えてくれるこちらは、ナポリの名門ガレオッタ家礼拝堂です。

  • 壁一面に、聖アタナシウスの生活を描いた15世紀頃のフレスコが描かれています。<br /><br />フレスコ画は、1667年と1842年の二度にわたり、修復されていますが、状態悪いですねえ。

    壁一面に、聖アタナシウスの生活を描いた15世紀頃のフレスコが描かれています。

    フレスコ画は、1667年と1842年の二度にわたり、修復されていますが、状態悪いですねえ。

  • 同じく右側部分です。ナポリについての情報はローマよりかなり少なく、説明書きもなかったので詳細については分かりませんでした。<br />

    同じく右側部分です。ナポリについての情報はローマよりかなり少なく、説明書きもなかったので詳細については分かりませんでした。

  • 聖域のすぐ右側の右翼廊で、今までに見たことのないような、古いゴシック様式のヴォールトが印象的なこちらは、ナポリの最初の司教である聖タスプレーノ礼拝堂またの名をモンテミレットのトッコ家礼拝堂です。<br /><br />トッコ家もナポリの名門だそう。なんでも、聖ピエトロから直接洗礼を受けたという伝説が残っているそうですよ。<br /><br />

    聖域のすぐ右側の右翼廊で、今までに見たことのないような、古いゴシック様式のヴォールトが印象的なこちらは、ナポリの最初の司教である聖タスプレーノ礼拝堂またの名をモンテミレットのトッコ家礼拝堂です。

    トッコ家もナポリの名門だそう。なんでも、聖ピエトロから直接洗礼を受けたという伝説が残っているそうですよ。

  • フレスコは殆ど原型をとどめていませんが、よくぞ残っていてくれたというヴォールトからの線の優美さに目を見張りました。この大聖堂で唯一残っている初期の建築部分ではないかしら?<br /><br />中方立てのある窓もゴシックを感じさせてくれますね。<br /><br /><br />暗くて見えにくいですが、祭壇はローマ帝国時代の石棺が使われています。おそらく3世紀頃のものと推定されています。

    フレスコは殆ど原型をとどめていませんが、よくぞ残っていてくれたというヴォールトからの線の優美さに目を見張りました。この大聖堂で唯一残っている初期の建築部分ではないかしら?

    中方立てのある窓もゴシックを感じさせてくれますね。


    暗くて見えにくいですが、祭壇はローマ帝国時代の石棺が使われています。おそらく3世紀頃のものと推定されています。

  • 壁一面に描かれたフレスコ画は、16世紀のもので、ピエトロ・カヴァッリーニの作品。聖タスプレーノはトラヤヌス帝およびハドリアヌス帝の治世下、1世紀から2世紀にかけての人ですが、詳細はわかっていません。聖ピエトロより少し後の生まれかな。貧しい人を助けることに一生を捧げた方だったようです。<br /><br />フレスコ画には、ピエトロが沢山登場しているそうですが、説明がないため、誰が誰だかわからずじまい・・・

    壁一面に描かれたフレスコ画は、16世紀のもので、ピエトロ・カヴァッリーニの作品。聖タスプレーノはトラヤヌス帝およびハドリアヌス帝の治世下、1世紀から2世紀にかけての人ですが、詳細はわかっていません。聖ピエトロより少し後の生まれかな。貧しい人を助けることに一生を捧げた方だったようです。

    フレスコ画には、ピエトロが沢山登場しているそうですが、説明がないため、誰が誰だかわからずじまい・・・

  • 同じく右側です。トンドの中に聖母子が彫られたレリーフの装飾付きの墓は、17世紀の制作だそう。<br /><br />この礼拝堂のフレスコは、大聖堂の中でも一番だったかもしれません。ドゥオモの礼拝堂の中でもお気に入りの一つになっています。

    同じく右側です。トンドの中に聖母子が彫られたレリーフの装飾付きの墓は、17世紀の制作だそう。

    この礼拝堂のフレスコは、大聖堂の中でも一番だったかもしれません。ドゥオモの礼拝堂の中でもお気に入りの一つになっています。

  • そして最後は翼廊の右隅にあった、ミヌトーロ家の礼拝堂。こちらも息を飲むような素晴らしい空間でした。立ち入ることは出来なかったのが残念。翼廊の端っこで宝物を発見した気分です。<br /><br />床のモザイクは13世紀後半のものだそうで、動物とコズマーティが組み合わさったような図柄でした。<br /><br />中央にある枢機卿エンリコ・ミヌトーロのモニュメントは15世紀初頭に作られたもの。二人の天使の翼で支える小部屋に、枢機卿は横たわっています。先ほど紹介した聖ティブルチオと聖スサンナの礼拝堂の天使に良く似ています。エディクラの4本のねじれた柱のなんて繊細で美しいこと!<br /><br />モニュメントの左右には、これまた手の込んだミヌトーロ家の石棺が二つ置かれていました。ため息!! 右の石棺は、なんとボッカチオの代表作「デカメロン」2日目の第5話に登場するそうですよ。ボッカチオはナポリに長い間滞在したことがあるんですって。

    そして最後は翼廊の右隅にあった、ミヌトーロ家の礼拝堂。こちらも息を飲むような素晴らしい空間でした。立ち入ることは出来なかったのが残念。翼廊の端っこで宝物を発見した気分です。

    床のモザイクは13世紀後半のものだそうで、動物とコズマーティが組み合わさったような図柄でした。

    中央にある枢機卿エンリコ・ミヌトーロのモニュメントは15世紀初頭に作られたもの。二人の天使の翼で支える小部屋に、枢機卿は横たわっています。先ほど紹介した聖ティブルチオと聖スサンナの礼拝堂の天使に良く似ています。エディクラの4本のねじれた柱のなんて繊細で美しいこと!

    モニュメントの左右には、これまた手の込んだミヌトーロ家の石棺が二つ置かれていました。ため息!! 右の石棺は、なんとボッカチオの代表作「デカメロン」2日目の第5話に登場するそうですよ。ボッカチオはナポリに長い間滞在したことがあるんですって。

  • 所々剥げ落ちていますが、壁のフレスコは異なった時代に描かれたもののようです。<br /><br />残っているフレスコのうち、左下に描かれている男たちは、おそらく14世紀前半と思しき「ミヌトーロ家の騎士たち」。画面左上には、モンターノ・ダレッツォによる13世紀後半の「聖ピエトロと聖パオロの物語」です。<br /><br />左下の3枚続きの宗教画は、パオロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイの作品。

    所々剥げ落ちていますが、壁のフレスコは異なった時代に描かれたもののようです。

    残っているフレスコのうち、左下に描かれている男たちは、おそらく14世紀前半と思しき「ミヌトーロ家の騎士たち」。画面左上には、モンターノ・ダレッツォによる13世紀後半の「聖ピエトロと聖パオロの物語」です。

    左下の3枚続きの宗教画は、パオロ・ディ・ジョヴァンニ・フェイの作品。

  • 祭壇の後方には、「キリストの受難」のフレスコ画が、8つの場面に分けて描かれています。作者は不明ですが、15世紀の作品と言われています。左側の壁と比べたら状態はずっと良いですね。

    祭壇の後方には、「キリストの受難」のフレスコ画が、8つの場面に分けて描かれています。作者は不明ですが、15世紀の作品と言われています。左側の壁と比べたら状態はずっと良いですね。

  • ナポリ初めての教会見学はこれにて終了。ローマとは雰囲気が全く異なっていて、見知らぬ土地に来たという実感がこみ上げて参りましたよ。<br /><br />今気が付いたのですが、中央扉の両脇に柱の様に伸びた彫像の置かれたニッチェに、左右1か所ずつ空きが見られますね。壊れたのか、それとも、途中で放棄して未完成なのか、対称が嫌いなのか???

    ナポリ初めての教会見学はこれにて終了。ローマとは雰囲気が全く異なっていて、見知らぬ土地に来たという実感がこみ上げて参りましたよ。

    今気が付いたのですが、中央扉の両脇に柱の様に伸びた彫像の置かれたニッチェに、左右1か所ずつ空きが見られますね。壊れたのか、それとも、途中で放棄して未完成なのか、対称が嫌いなのか???

  • 先ほど途中まで行って引き返したトリプナーリ通りに戻ってまいりました。ナポリの教会っていつ開いているの? もう16時を廻ったというのに、全く開く気配がありません。仕方ない。先に参りましょう。

    先ほど途中まで行って引き返したトリプナーリ通りに戻ってまいりました。ナポリの教会っていつ開いているの? もう16時を廻ったというのに、全く開く気配がありません。仕方ない。先に参りましょう。

  • ナポリのゴミ問題が新聞やテレビのニュースで取りざたされていたので、バッチイ写真ですが1枚。折角の教会の前にゴミ箱置かなくてもいいのではないかと思ってしまいます。

    ナポリのゴミ問題が新聞やテレビのニュースで取りざたされていたので、バッチイ写真ですが1枚。折角の教会の前にゴミ箱置かなくてもいいのではないかと思ってしまいます。

  • またしても、行列発見! と思ったら、今度は、ダ・ミケーレと人気を二分しているピッツァの店ディ・マッテオでした。食事時間でなくても、このくらいの行列は当たり前のようです。<br /><br />よ〜し。ナポリ滞在中に、もう1軒くらいピッツァ食べようっと。段々っていうかもうすでに、大胆になってきましたよ。私。

    またしても、行列発見! と思ったら、今度は、ダ・ミケーレと人気を二分しているピッツァの店ディ・マッテオでした。食事時間でなくても、このくらいの行列は当たり前のようです。

    よ〜し。ナポリ滞在中に、もう1軒くらいピッツァ食べようっと。段々っていうかもうすでに、大胆になってきましたよ。私。

  • あらぁ〜 今度は工事中です。サン・パオロ・マッジョーレ聖堂。これじゃあ何が何だかわかりませんね。今回、ローマでもナポリでも工事に大当たりでした。特にひどかったのがナポリ。突然スポンサーかパトロンが大量についたのでしょうか?<br /><br />巨大な円柱2本だけが工事シートから顔を見せているのはご愛嬌?

    あらぁ〜 今度は工事中です。サン・パオロ・マッジョーレ聖堂。これじゃあ何が何だかわかりませんね。今回、ローマでもナポリでも工事に大当たりでした。特にひどかったのがナポリ。突然スポンサーかパトロンが大量についたのでしょうか?

    巨大な円柱2本だけが工事シートから顔を見せているのはご愛嬌?

  • サン・パオロ・マッジョーレ聖堂前の小さなサン・ガエターノ広場です。聖ガエターノの彫像がある小さな広場ですが、とても重要な広場です。というのも、ここはギリシャ時代にはアゴラ、ローマ帝国時代にはフォーラムがあった場所だからです。サン・パオロ・マッジョーレ聖堂はローマ帝国時代のカストルとポルックス神殿の上に建っているのだそうです。<br /><br /><br />現在の名前は、1656年におけるペストの終焉後、サン・パオロ・マッジョーレ聖堂に修道院を創設したガエターノに感謝の意を表して付けられました。<br /><br />1962年には、カストルとポルックス神殿の一部とガエターノの聖遺物のある地下墓地が偶然発見されたそうです。現在、そこはクリプトとして使われており、第二の教会のような役割を果たしています。

    サン・パオロ・マッジョーレ聖堂前の小さなサン・ガエターノ広場です。聖ガエターノの彫像がある小さな広場ですが、とても重要な広場です。というのも、ここはギリシャ時代にはアゴラ、ローマ帝国時代にはフォーラムがあった場所だからです。サン・パオロ・マッジョーレ聖堂はローマ帝国時代のカストルとポルックス神殿の上に建っているのだそうです。


    現在の名前は、1656年におけるペストの終焉後、サン・パオロ・マッジョーレ聖堂に修道院を創設したガエターノに感謝の意を表して付けられました。

    1962年には、カストルとポルックス神殿の一部とガエターノの聖遺物のある地下墓地が偶然発見されたそうです。現在、そこはクリプトとして使われており、第二の教会のような役割を果たしています。

  • あら〜、お向かいのサン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂も工事中! 私に恨みでもあるんですかねえ。<br /><br />1235年に、教皇グレゴリウス9世の承認により建築が始まったという大変歴史の古い教会です。<br /><br />正面に見える鐘楼は4階建て。15世紀の建造だそうですが、教会本体より歴史がありそうに見えます。バロックのファサード(工事中ですが)とはマッチしそうもないと思うのは私だけでしょうか?

    あら〜、お向かいのサン・ロレンツォ・マッジョーレ聖堂も工事中! 私に恨みでもあるんですかねえ。

    1235年に、教皇グレゴリウス9世の承認により建築が始まったという大変歴史の古い教会です。

    正面に見える鐘楼は4階建て。15世紀の建造だそうですが、教会本体より歴史がありそうに見えます。バロックのファサード(工事中ですが)とはマッチしそうもないと思うのは私だけでしょうか?

  • ナポリの主要な教会に二つも振られて、そのまま、トリプナーリ通りを進みます。また前方に、鐘楼が見えてきました。先ほどのサン・ロレンツォと似ていますね。ナポリタン・スタイルなのかしら?

    ナポリの主要な教会に二つも振られて、そのまま、トリプナーリ通りを進みます。また前方に、鐘楼が見えてきました。先ほどのサン・ロレンツォと似ていますね。ナポリタン・スタイルなのかしら?

  • こちらは、サン・ピエトロ・ア・マイエッラ教会。聖ユーフエミアと聖アガサに捧げられた教会で13世紀後半の創建。<br /><br />鐘楼は14世紀の初頭に建てられたと言われています。灰色の凝灰岩とこの地方でよく見られるピペルノという黄色い凝灰岩を使った建物で、42mの高さを誇ります。5層構造で、てっぺんが尖塔になっているところが、先ほどのサン・ロレンツォの鐘楼とは異なりますね。

    こちらは、サン・ピエトロ・ア・マイエッラ教会。聖ユーフエミアと聖アガサに捧げられた教会で13世紀後半の創建。

    鐘楼は14世紀の初頭に建てられたと言われています。灰色の凝灰岩とこの地方でよく見られるピペルノという黄色い凝灰岩を使った建物で、42mの高さを誇ります。5層構造で、てっぺんが尖塔になっているところが、先ほどのサン・ロレンツォの鐘楼とは異なりますね。

  • トリブナーリ通りの終点はサンタ・マリア・ディ・コスタンティノポリ通りでした。そのそばにあったヴィチェンツォ・ベッリーニ広場にやってきました。<br /><br />ベッリーニはシチリア出身の作曲家で、1801年生まれ。ナポリの王立音楽院を出た後、処女作のオペラ「アデルソンとサルヴィーニ」で一世を風靡しましたが、惜しくも病気のため、34歳の若さで生涯を終えました。<br /><br />先ほど通ったサン・ピエトロ・ア・マイエッラ教会は実は単なる教会ではなくて、ナポリ音楽院の建物も入っているのです。ナポリ音楽院の正式名称は、コンセルヴァトーリオ・ディ・サン・ピエトロ・ア・マイエッラ。それで、ここに、彼の記念碑があるんですね。<br />

    トリブナーリ通りの終点はサンタ・マリア・ディ・コスタンティノポリ通りでした。そのそばにあったヴィチェンツォ・ベッリーニ広場にやってきました。

    ベッリーニはシチリア出身の作曲家で、1801年生まれ。ナポリの王立音楽院を出た後、処女作のオペラ「アデルソンとサルヴィーニ」で一世を風靡しましたが、惜しくも病気のため、34歳の若さで生涯を終えました。

    先ほど通ったサン・ピエトロ・ア・マイエッラ教会は実は単なる教会ではなくて、ナポリ音楽院の建物も入っているのです。ナポリ音楽院の正式名称は、コンセルヴァトーリオ・ディ・サン・ピエトロ・ア・マイエッラ。それで、ここに、彼の記念碑があるんですね。

  • 上の写真にある遺跡は、1954年と1984年の発掘で見つかった古代ギリシャ時代のネアポリスの西側城壁の一部だそうです。ローマ同様、ナポリも掘れば必ず遺跡にぶち当たるという状況であることがよくわかりました。<br /><br />これから、このサンタ・マリア・ディ・コンスタンティノポリ通りを北上し、アルテカードの最初の訪問地国立考古学博物館に向かいます。<br /><br />長くなりましたので、この続きは、「イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その35 ナポリ 国立考古学博物館ファルネーゼ・コレクション」 で。

    上の写真にある遺跡は、1954年と1984年の発掘で見つかった古代ギリシャ時代のネアポリスの西側城壁の一部だそうです。ローマ同様、ナポリも掘れば必ず遺跡にぶち当たるという状況であることがよくわかりました。

    これから、このサンタ・マリア・ディ・コンスタンティノポリ通りを北上し、アルテカードの最初の訪問地国立考古学博物館に向かいます。

    長くなりましたので、この続きは、「イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その35 ナポリ 国立考古学博物館ファルネーゼ・コレクション」 で。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • とし坊さん 2015/11/04 12:34:45
    初めて、コメントさせていただきます
    いつも楽しく読ませていただいております、

    それにしても長期間の旅行を組み立てる 技はどのように身につけられたのでしょうか

      憧れ深くいつも読んでおります

      トスカーナにはいつか行ってみたいと思っております

       楽しみに次の日記待ってます(^O^)

    junemay

    junemayさん からの返信 2015/11/04 20:32:33
    RE: 初めて、コメントさせていただきます
    とし坊さま

    自分勝手な旅行記をいつも見ていただいてありがとうございます。
    技なんてものはございません。
    今回、ローマに関しては、過去に読んだ皆さまの旅行記を参考に、行きたいところをマークして、グーグルマップを見ながらシミュレーションいたしましたが、他の場所については、結構いい加減で、行き当たりばったりの部分が多いです。正反対の方向に歩いていったり、迷ったり、列車に乗り遅れたり・・・それはそれで、楽しんでおります。

    豪華なホテルも食事も出て来ない貧乏旅ですが、それが一番自分に合っているような気がしております。

    亀の歩みにも似て遅々として進まない旅行記ですが、これからも時々覗いていただければありがたいです。

    とし坊様のサイトも楽しませて頂いております。私は私で皆さまの旅行記に感心しきりです。

    ありがとうございました。

    junemay

    > いつも楽しく読ませていただいております、
    >
    > それにしても長期間の旅行を組み立てる 技はどのように身につけられたのでしょうか
    >
    >   憧れ深くいつも読んでおります
    >
    >   トスカーナにはいつか行ってみたいと思っております
    >
    >    楽しみに次の日記待ってます(^O^)

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