2015/10/11 - 2015/10/12
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MechaGodzillaⅢ&703さん
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■雨天でもGOGO! ≪秋の山陰車旅≫ 鳥取県江府町〜島根県江津市
入母屋破風の屋根、国宝・松江城 の巻
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
松江城は城下町松江のシンボルで、松江開府の祖堀尾吉晴(ほりおよしはる)公が慶長12年(1607)から足掛け5年の歳月をかけて、慶長16年(1611)に築城しました。
千鳥が羽根を広げたように見える入母屋破風の屋根が見事なことから、別名「千鳥城」とも呼ばれます。
山陰地方で唯一現存する天守閣は黒塗りの下見板で覆われており、その荘重かつ優美な姿は訪れる人々を魅了します。さらに、最上階の望楼から360度にわたって見降ろす街並みの眺めは圧巻です。2015年5月15日、国宝に指定されました。
〜松江城ストーリー〜
・実戦向きの構造に戦国の世を思う
・松平7代藩主・不昧公により城下の文化の拠点に
堀尾吉晴は、慶長5年(1600)の関ケ原の合戦の功績により、遠州浜松から出雲・隠岐24万石の大名として広瀬の月山富田城に入城。
しかし、月山富田城は周囲を山々に囲まれた中世以来の山城で、大砲などを使う近代戦に不利であったこと、また家臣を住まわせる広大な城下町を形成するには土地も狭く、交通も不便でした。
そのため宍道湖のほとりの標高28mの亀田山に築城を計画。慶長12年(1607)に着工。5年間にわたる難工事の末、慶長16年(1611)に完成しました。
城郭の広さは東西360m、南北560mもあり、周囲に幅20〜30mの内堀をめぐらしていました。
その堀尾氏に替わって寛永11年(1634)若狭小浜から京極忠高が松江城主となり、斐伊川などの治水に努めましたが、寛永15年(1638)病死したため京極氏は1代で終わりました。
同年、徳川家康の孫にあたる松平直政が信濃松本より18万6千石で入城。
以後、松江城は松平氏10代の居城として明治維新を迎えます。
松平氏の中でも七代藩主治郷(はるさと)は政治手腕だけでなく、茶の道にも通じ、不昧(ふまい)と号して茶道石州流不昧派の元祖となり、現在でもなお松江の人々に不昧公の名で親しまれています。
松江城は明治になって城内の建物は天守を除きすべて取り壊され、天守も米100俵(180円)で売却されるところでしたが、有志の保存運動で救われ、山陰地方で唯一の天守が今に残ることとなりました。
≪1日目≫
▼広島市の自宅出発
▼県道37号線⇒国道183号線⇒国道181号線
▼御机の茅葺小屋/鳥取県日野郡江府町御机
▼大山環状道路(視界不良)
▼奥大山スキー場/鳥取県日野郡江府町御机
▼鍵掛峠/鳥取県日野郡江府町大河原
▼山の駅大山望/鳥取県西伯郡伯耆町
▼とっとり花回廊/鳥取県西伯郡南部町
▼天の真名井(美水の郷)/鳥取県米子市淀江町
▼伯耆古代の丘公園/鳥取県米子市淀江町
▼妻木晩田遺跡/鳥取県西伯郡大山町
▼退休寺/鳥取県西伯郡大山町
▼道の駅大山恵みの里/鳥取県西伯郡大山町
▼隠岐の神塚/鳥取県西伯郡大山町
▼米子駅前H泊
≪2日目≫
▼米子駅前H出発
▼山陰道(米子西〜東出雲)⇒国道9号線
▼小泉八雲旧居/島根県松江市北堀町
▼松江武家屋敷/島根県松江市北堀町
▼松江城/島根県松江市殿町
▼道の駅キララ多伎/島根県出雲市多伎町
▼温泉津やきもの館・登り窯/島根県大田市温泉津町
▼江津本町古い町並み/島根県江津市江津町
▼山陰道(江津〜浜田)⇒浜田自動車道
▼帰宅
【手記】
実はこの車旅を決めたのはその日の朝方午前4時ころ。(いつも早起きなもんですから^^)突然旅虫が騒ぎ出して5時半にはもう家を出発していました。
昨年の同時期に行った山陰車旅は、運悪くスーパー台風19号が中国地方に最接近するということで、仕方なく日帰りドライブに変更した経緯があります。大した内容の旅行にもならず、残念な思いをした記憶があります。
なので、今年こそは「大山周辺の里山景色を楽しみながらウロチョロと走り回って日本海まで走り抜けて行き、訪問したいところ(妻木晩田遺跡・天の真名井・宍道湖に沈む夕日)もあったので1泊2日の旅行ができればいいな…」と考えていました。
…なのですが、残念なことにまたまた天気が〜!生憎の雨模様。
と言うことで、今回も毎度お馴染みの行くアテのない車旅と相成りました。また、宿泊先は米子駅前のHになりました。部屋が偶然にも一つ空いていたので車中泊をせずにすみました。
久しぶりに松江で宍道湖に沈む夕日を見てみたかったのですが、天候が悪かったので撮影を諦めて米子泊と相成りました。以下、雨天進行!雨の中のGOGO〜山陰車旅日記です。
トップの写真は松江城二の丸上の段広場にあった行灯です。
【追記】
今が旬の旅日記を優先してアップしていたため、秋の山陰車旅記が後まわしになってしまっています。時期外れの内容ですが、ご容赦のほど。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
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■雨天でもGOGO! ≪秋の山陰車旅≫ 鳥取県江府町〜島根県江津市
実はこの車旅を決めたのはその日の朝方午前4時ころ。(いつも早起きなもんですから^^)突然旅虫が騒ぎ出して5時半にはもう家を出発していました。
∇旅行2日目 30年ぶりに登城します。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
武家屋敷通り‘塩見縄手’&松江歴史館編( http://4travel.jp/travelogue/11066899 )のつづきです。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
松江城マップ -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
松江城は城下町松江のシンボルで、松江開府の祖堀尾吉晴(ほりおよしはる)公が慶長12年(1607)から足掛け5年の歳月をかけて、慶長16年(1611)に築城しました。
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∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
千鳥が羽根を広げたように見える入母屋破風の屋根が見事なことから、別名「千鳥城」とも呼ばれます。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
2015年5月15日、国宝に指定されました。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・三の門跡
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∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・二の丸上の段
屏風のような絵画がありました。突然の訪問で何がなんやらわかりません。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・二の丸上の段 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・太鼓櫓 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・中櫓〜南櫓
これはなんでしょうか? 水灯籠? -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
行灯のような? きれいです。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
雨が強くなってきました。うしろで雨宿りしている人が大勢います。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
〜松江城ストーリー〜
・実戦向きの構造に戦国の世を思う
・松平7代藩主・不昧公により城下の文化の拠点に -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・松江神社
堀尾吉晴は、慶長5年(1600)の関ケ原の合戦の功績により、遠州浜松から出雲・隠岐24万石の大名として広瀬の月山富田城に入城。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・松江神社
しかし、月山富田城は周囲を山々に囲まれた中世以来の山城で、大砲などを使う近代戦に不利であったこと、また家臣を住まわせる広大な城下町を形成するには土地も狭く、交通も不便でした。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・一の門へ
そのため宍道湖のほとりの標高28mの亀田山に築城を計画。慶長12年(1607)に着工。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・一の門へ
5年間にわたる難工事の末、慶長16年(1611)に完成しました。
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∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・一の門
城郭の広さは東西360m、南北560mもあり、周囲に幅20〜30mの内堀をめぐらしていました。 -
∇国宝・松江城天守閣/島根県松江市殿町
その堀尾氏に替わって寛永11年(1634)若狭小浜から京極忠高が松江城主となり、斐伊川などの治水に努めましたが、寛永15年(1638)病死したため京極氏は1代で終わりました。 -
∇国宝・松江城本丸/島根県松江市殿町
・南多門櫓 忍者がいました。
同年、徳川家康の孫にあたる松平直政が信濃松本より18万6千石で入城。
以後、松江城は松平氏10代の居城として明治維新を迎えます。 -
∇国宝・松江城本丸/島根県松江市殿町
松平氏の中でも七代藩主治郷(はるさと)は政治手腕だけでなく、茶の道にも通じ、不昧(ふまい)と号して茶道石州流不昧派の元祖となり、現在でもなお松江の人々に不昧公の名で親しまれています。
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∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・南多門櫓
松江城は明治になって城内の建物は天守を除きすべて取り壊され、天守も米100俵(180円)で売却されるところでしたが、有志の保存運動で救われ、山陰地方で唯一の天守が今に残ることとなりました。 -
∇国宝・松江城天守閣/島根県松江市殿町
山陰地方で唯一現存する天守閣は、黒塗りの下見板で覆われており、その荘重かつ優美な姿は訪れる人々を魅了します。 -
∇国宝・松江城天守閣/島根県松江市殿町
さらに、最上階の望楼から360度にわたって見降ろす街並みの眺めは圧巻です。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・祈?偃櫓跡
本丸にあった六つの櫓(やぐら)のひとつ。築城前には、この櫓の立つところに塚があり、また榎木を神木とする荒神が祀ってあったところであり、築城時にはしばしば石垣が崩壊する怪異(かいい)が生じました。
「祈祷櫓」の名称は、それを祀りなおし以来毎月この櫓で松江城の安全祈願を続けたことに由来しています。 -
∇国宝・松江城天守閣/島根県松江市殿町
城東側から -
∇国宝・松江城天守閣/島根県松江市殿町
城東側から -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
ハート形の石があると書いてあったが、どこかわからず・・・。この石の形もちょっとハートっぽい気もする^^; -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
外層5層、内部6階。桃山時代の建築様式を取り入れた三角屋根。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
別名「千鳥城」の由来である三角屋根を持ち、「怪談」などで有名な小泉八雲ことラフカディオ・ハーンは、「まさに城そのものが、怪奇なものを寄せ集めてできた竜のようである」と記しました。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・北ノ門跡 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・乾櫓跡 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
天守閣の最上部の屋根にあるシャチホコは、木彫りで銅張り、高さは約2mもあり、これは現存しているモノでは最も大きいものです。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・大手門跡方向
この景色はよく覚えていました。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・大手門跡
お久しぶりで懐かしかったです。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・松江開府の祖 堀尾吉晴(ほりおよしはる)公像 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・松江開府の祖 堀尾吉晴(ほりおよしはる)公像 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・松江護国神社
戊辰戦争から第二次世界大戦に至る戦争において祖国のために命をささげた、旧出雲国・隠岐国出身の2万3000柱を祀っている神社です。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・城山稲荷神社
松江城山公園内の北ノ丸付近に城山稲荷神社があります。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・城山稲荷神社
木々に囲まれた遊歩道を歩いていき、林を過ぎた辺りに赤の鳥居があらわれます。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・城山稲荷神社
たくさんの狐がこちらを見ています。境内は狐だらけです。小泉八雲が参拝に来ていた頃は数千もの石狐があったらしいです。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・城山稲荷神社
八雲は、石狐を大変珍しがっていたそうです。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
・へるんの小径
“ぶぶだんご” “ぼてぼてちゃ”とある。 -
∇国宝・松江城/島根県松江市殿町
稲荷橋へ これで松江城を退散しました。雨の中の観光は疲れます。 -
∇山陰自動車道斐川本線料金所/島根県出雲市斐川町
-
∇山陰自動車道終点/島根県出雲市東神西町
県道337号線から国道9号線へ -
∇道の駅キララ多伎/島根県出雲市多伎町
休憩〜♪ -
∇道の駅キララ多伎/島根県出雲市多伎町
しまねっこ -
∇道の駅キララ多伎/島根県出雲市多伎町
夕陽100選のまち‘多岐町’ -
∇道の駅キララ多伎/島根県出雲市多伎町
2基の大きな風車はキララトゥーリマキ風力発電所 -
∇道の駅キララ多伎/島根県出雲市多伎町
広い砂浜をもつキララビーチ -
∇道の駅キララ多伎/島根県出雲市多伎町
大根島で買っていた人参ドリンクを飲んでGO!
このあと尻にムチ打って島根県大田市温泉津町へ向かいました。「雨天でもGOGO!秋の山陰車旅、温泉津やきもの館・登り窯編」へつづきます。
THE END. つづく・・・
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