2015/10/03 - 2015/10/03
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たびたびさん
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石見銀山が世界遺産となった時は、地元ではむしろ意外という感想を持った人が多かったと思います。島根県人の誇りは、神話の故郷の象徴である出雲大社や風雅を愛し島根文化の土壌を育んだ松平不昧を藩主と仰いだ松江城。これに比べれば、石見銀山は名前は知っていても、思いというようなことにはなりにくいのが実態です。
ただ、今回、初めて訪問して、その認識は少し変わったかも。鉱山の規模や大森の街並みから銀の積出港があった温泉津温泉まで含めた広がりなど、エリア全体としての魅力は意外に大きいことがよく分かりました。特に、大久保間歩ツアー(時間は3時間。料金は3800円)に参加したお蔭で、よりリアルな体験ができましたが、それは地元の熱心なボランティアの力に支えられたもの。素晴らしいことだと思います。反面、時間はかなりタイトになってしまいました。現地では十分に時間を取るように計画することをお勧めします。
ちなみに、大久保間歩ツアーの受付は、石見銀山世界遺産センター。そこからバスで出発して、旧鉱山へ。鉱山に入る前にはヘルメットと長靴を着用して、手に持った懐中電灯を頼りに真っ暗な坑道へと入って行きます。いろんな鉱山に行きましたが、こんな本格的な見学は初めてですねえ。スタッフの方の大変な努力で成り立っているツアーだと思いますので、参加される方は安全第一。ガイドさんの指示をよく聞いて行動してくださ~い。
もう一つのお楽しみは、大森の町並み。こちらは国指定の重要伝統的建造物群であり、世界遺産にも含まれます。
銀山は、戦国時代は、大内氏、尼子氏から毛利氏の支配下に置かれていましたが、江戸期に入ると天領となり、大森が石見銀山領の行政の中心地となりました。数々の古社・古寺,大森代官所跡などが残されていまして、銀山の後背地に作られた街なので宿場町ではないのですが、細い通り沿いに連なる家々の景色はちょっと宿場町風でもある。ただ、公開されているものも含めてポツンポツンとけっこうな数の武家屋敷が残っていて、やっぱり銀山を管理する役人のための街だったのかなあとも思います。
役人の街だった大森を天領として考えて比べるとしたら、日田とか高山となるのでしょうが、それともやっぱり違いますね。日田とか高山は周辺の物資が集まってきたのですがそういう場所ではありません。近いのは佐渡金山とかかわりの深かった出雲崎でしょうか。ただ、出雲崎は北国街道の宿場町でもあったので、もう少しオープンな人の流れがあったような感じがありますよね。ここは、あくまで銀山の街だし、役人が多かったので、派手さもない。一般人がうろうろできない実際に閉鎖されたような世界があったのかもしれません。
ほかに、ここの警備はいざとなれば福山藩が請け負う決まりがあったようなことも聞きましたが、つまり、銀山は世間の関心を引かないよう隣接地域との交流は故意に限定されていたのでしょう。そのことから、銀山が島根の文化に影響を与えることがなかったと考えると、島根県人の意識ともつじつまが合うような気がします。
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出雲空港に到着して、そこから車で石見銀山に向かいます。ただ、せっかくなので、その前にはいくつか気になっていたスポットもチェックしましょう。
まずは、荒神谷遺跡。 -
史跡公園があって、ここは荒神谷遺跡や博物館を含む27.5haの広大な広さがあるようです。大きな溜池もあって、その周囲は遊歩道になっていて、見晴らしのいい景色もあるんですね。
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ちょっと意外でしたが、丘陵の地形に芝生の公園も整備されているし、家族連れでゆっくり楽しめる場所だと思います。
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さて、これが荒神谷博物館。展示されている銅剣や銅鐸はレプリカですが、その迫力や美しさはこれでも十分に感じることができると思います。
館内では、道路の開発工事が発端となったという発掘の経緯やその学術的な価値などを分かりやすく説明しています。 -
気分が出てきたところで、実際の現場へ。
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イチオシ
この荒神谷遺跡は、銅剣が一挙に358本も発見されるという関係者にとっては衝撃的な発見がありました。銅鐸を多数出土した加茂岩倉遺跡と合わせて、神話の国出雲に現実性が加わったという島根の誇る偉大な遺跡です。
発掘現場は、緩やかな崖。全景を見下ろせる展望台があって、ここならゆっくりと古代のロマンに浸れると思います。 -
さて続いては、出西窯。
この窯は、素朴な手作り感が楽しめるとして最近人気が高まった窯元ですが、出雲空港から石見銀山に向かう途中なので、観光ルートにあるということも利点の一つでしょう。 -
展示場はログハウス風。
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明るい光が差し込んで、気持ちの良い空間。
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イチオシ
買い物を終わると、無料の珈琲サービスまであって、喫茶店のようにしばし寛いでしまいました。
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また、隣りには登り窯があってこれも見学可能です。
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さらに進んで、また立ち寄ったのはたきがわ製菓。
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はまなすというお饅頭があって、出雲でなんで?と聞いたら、この辺りははまなすの南限なんだそうです。黒砂糖の香りがするしっとり感がとってもいいと思います。
しかし、こんなことをやっていたら時間がかかって仕方ないんですけどね。。 -
とはいえ、これはきれいな場所に出てきました。
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これは、道の駅 キララ多伎です。
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イチオシ
裏に広がる日本海をダイナミックに眺める景色が素晴らしいですね。
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島根の海岸は、どうしても島根半島の浦浦の海のイメージがあるんですが、こんな見晴らしのいい海岸なんて、島根の海岸のイメージではありませんよ〜
こんな海岸線が島根にもあるんだなあというような驚きがありました。 -
そして、道の駅の建物自体が赤いレンガの大きな建物なのですが、それを飲み込むような大海原の風景でした。
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道の駅 キララ多伎で、けっこう有名なのが海鮮たこ焼きだそうで。
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タコだけじゃなくて、イカや海老が入った変わり種。
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まあ、実際のところは結局はソースの味が勝ってしまうので微かに味わえる程度なんですが、気持ち的にはリッチになれるような気がしました。
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西浜いもというのも名産。これはお土産にしました。
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キララベーカリーは、道の駅キララ多伎の敷地内にある独立店舗のパン屋さん。
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地元でも評判のパン屋さんです。この辺りはサツマイモやイチジクの産地ということで、イチジクのパンを購入。
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果実を練り込んだパンはどこでもあるのですが、素材の味を活かした正統派のパンだと思います。
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続いて寄ってみたのは、道の駅 ロード銀山。
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ただ、銀山と名前はありますが、ここから石見銀山へはまだちょっと距離があります。産直コーナでは海産物が充実。島根のお土産としては野焼きとかがお勧めです。
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さて、石見銀山に到着というか。そもそもどこから見ていいのか分からない。どうしましょうか。
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大森の街から見るのか、世界遺産センターから見るのか迷いましたが、世界遺産センターの方が手前にあるので、取りあえずこちらから回りました。
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すると、大久保間歩ツアーというのがあるそうです。
3時間かかるというのですが、せっかくなので参加してみますか。
なお、世界遺産センターは、石見銀山の歴史を概観する展示(有料)があって、手っ取り早く石見銀山を理解するには最適。ちょこっとそれも拝見して、出発の時間を待ちました。 -
これがガイドさんですね。まずは、銀山の場所などの解説です。
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イチオシ
銀山から、銀を積みだしていた温泉津港までの模型。想像した以上に、なかなか広大なエリアです。
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バスに乗り込んで出発です。
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イチオシ
あの山のてっぺんには銀山で働く人の街があったのだとか。この山全体が銀山の街だったんですね。
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こんなふうに街があったという絵を見ながら、当時のことを想像してみます。
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バスを降りて、ここから登って行きます。
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ちょっとした山登りですね。
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これは、金生坑。銀山から湧き出る地下水などをここから排出しました。
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そして、我々の目指す入口はさらに上の方です。
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この小屋で、長靴にヘルメットを借りて装着。ライトも持って、これは本格的ですよ。これまであちこちの鉱山に行っていますが、私もこんなの初めてです。
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傍らに生えているこの草。ただの草ではなくて、これは自生していると銀があるということなんだそうです。
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ここが入口です。いよいよですね。
洞窟内での注意事項を改めて確認して、 -
ガイドさんがライトを向けた先に、みんなでライトを向けて、説明を聞きます。
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ほー。それにしても、本当に真っ暗じゃないですか。
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わくわくと、ちょっとした不安もないことはない。
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ガイドさんがベテランで落ち着いた語り口だったので、それがなんといっても頼りです。
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イチオシ
ところで、石見銀山は、大永6年(1526年)、博多商人神屋寿禎によって発見された銀山。ちなみに、神屋寿禎は秀吉に気に入られて博多商人の第一人者として栄華を極めた神屋宗湛の曽祖父にあたります。
その後、銀山の支配は、大内氏、尼子氏、毛利氏から江戸幕府と変遷を辿りますが、その歴史はなかなか古いものがあります。
最盛期の日本は世界の銀の約3分の1を産出したとも推定され、その主力がこの銀山だったということが世界遺産の理由なのですが、そこまで莫大な富を生み続けたというのはちょっと不思議な感じもします。日本は黄金の国であって、銀の国というのは言われてきませんでしたからね。 -
で、坑道の方は江戸時代までと明治に入ってからでは様相が全く違っていて。
ゴツゴツとダイナミックに見えるのは、明治以降。手掘りだった江戸時代の坑道はきめが細かくてより滑らかです。この辺りは明治以降ですね。 -
下には少し水がたまっていて、ぴちゃぴちゃと浅い水を踏んで進むのですが、実はこの水の中には白い海老が棲んでいて、それを踏まないようにしてくださいということ。水をできるだけ避けて、歩きます。
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岩の割れ目のような奥に
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銀を含んだ層があって、それを目指して掘り進む。その層に達すると、そこから層に沿って銀鉱石を掘り出すわけです。
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できるだけ効率的に、無駄な穴は掘らないようにするので、こんなに狭い空間ができるんです。
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先ほどの海老のことですが、
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探してみると確かにいました。かなり小さい海老でごみみたいな感じでしたが、なるほどねえという感じです。ところで、こうもりもさっきから飛んでいるんですが、それはだんだん慣れてきたような。
いずれにしいても、こんな本物の坑道を観光客に見せるってすごいこと。もし石がパラパラ落ちてきたり、危険を感じる兆候があればすぐに引き返しますからと言っていましたが、ここはテーマパークではない。変に安易な気持ちで来るところではないかもしれません。 -
坑道を出て、もう一つのポイント釜屋間歩へ向かいます。
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釜屋間歩に着いて、ちょっと銀の精錬技術について説明を受けます。
銀鉱石の選り分け作業から始まって、大変な重労働。銀を掘る人も大変ですが、それを精錬する作業も大変。掘り出したそばから、作業を行っているので、大集落が生まれるんですね。 -
レプリカですが、製錬した銀の塊りに
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貨幣なども確認です。
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イチオシ
さて、釜屋間歩は、これです。ここは、安原伝兵衛という人物が夢のお告げで発見したと伝えられます。石見銀山でも優秀な坑道の一つで、伝兵衛は3600貫(約13.5t)の銀を徳川家康に献上したということ。ダイナミックな岩肌はかなりの見応えでしょう。
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階段遺構は、釜屋間歩と一体ではあるんですが、隣接した斜面に掘られた巨大な遺構。
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ここが発見されることによって、逆に釜屋間歩が発見されるという順番だったようです。釜屋間歩と階段遺構を眺めるのに好都合の空き地があって、山の上にあってもゆっくりと眺められるのがいいところでしょう。
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なお、ここまでかなり登ってきたようにも思いましたが、当時は労働者たちはまだまだ上の山の方に住んでいたのだとか。ここも人の往来がかなりあって大変な賑わいがあった場所なのだと想像しました。
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以上で、ツアーは終了。元来た道を帰ります。やれやれ、お疲れ様でした。
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ツアーを終えて、大森の街並みの方へやってきました。
まずは、街並みの入口にある羅漢寺へ。 -
本堂では、大元師明王、隆三世明王の特別公開が行われていて、極彩色で生き生きとした動きの表現が印象に残りました。面白いものを見せてもらいまして、ちょっとテンションが上がります。
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羅漢寺は、川を挟んだ向かい側の岩場に、
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それをくりぬいた石窟があって、そこに五百羅漢の石仏が並んでいます。
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江戸時代中期に、石見銀山付役人中山庄兵衛賀光と中場五郎左衛門定政の発願。
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イチオシ
25年の歳月をかけたのだそうですが、ただ、正直言えば、そこまでの規模ではないような気もします。
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では、街並みの方に入って行きましょう。
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宿場町と似ているようで、また違うような感じもありますね。
賑わった街ではあるんですが、街道の宿場町のように誰でもが往来したわけではなくて、やはり銀山に関係した人が中心だったはずで、そういう意味では閉じた世界の街でしょう。怪しい人は排除しないといけないし、警備は厳重だったはずですよね。 -
少しづつ、観光スポットを確認します。
金森家住宅は、石見銀山に設けられた6軒の郷宿の1つ。 -
ちなみに、郷宿というのは、公用で石見銀山や代官所などに訪れた村役人が宿泊や休息で利用した施設のことです。漆喰塗のがっちりした構えの建物ですが、内部は非公開。外観を確認することしかできません。
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イチオシ
地味ですけど、ちょっとしたお土産物屋さんも。しかし、景観の中に埋もれてしまっていて、それがまた何とも言えぬ味わいです。
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裏庭に続く入口に、阿部家についての説明板がありました。阿部家は初代清兵衛が甲斐の国出身。初代奉行に銀山附地役人として召し抱えられ、以降、銀山経営に携わったということです。家屋の説明もありましたが全く個人住宅のような雰囲気なので、この入口を通って奥に行くのはちょっと気が引けました。
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栄泉寺は、大森の街並みを見下ろす高台にある寺。
石段を見上げると水天門または竜宮門と呼ばれる朱塗りの山門が目を引くと思います。地方の寺にしては格が高いのではないかと取り壊しの命が下ったこともあるといういわくもあるようです。 -
大森の街並みでまともなお菓子屋さんって、この有馬光栄堂くらいじゃないかと思います。
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「げたのは」という小麦のお菓子をいただきました。
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サクサクと軽く食べる風のお菓子なんですが、
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歯にくっついてちょっと食べにくいのが難点と言えば難点でしょう。
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柳原家は、「石見銀山代官所の同心遺宅柳原家」と書いた説明板が生垣の前にありました。生垣の向こうは公園のようなスペースになっていて、遺宅はその奥にちょこっとある建物なんでしょうか。大森の武家屋敷は表から二階が見えない造りだとか説明もありましたが、生垣から奥には行けそうにないので、よく分からないままにそこから辺りを眺めただけでした。
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河島家は、切米30俵3人扶持で勤めていた銀山附役人宅。
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通りから門を入ると、式台付玄関を備える主屋と
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背後には土蔵、離れ、物置などが付属して、
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当時の暮らしぶりを偲ぶことができます。
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入場料は200円。床の間の付いた客間も勿体があるし、
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当時使われていたであろう食器類などもよく残っています。
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大森町並み交流センターは、明治23年に開設された旧大森区の裁判所を利用した施設。
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木造の小学校のような玄関を入って
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奥に進むと、
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コテ絵の展示や
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旧法廷が一部復元された部屋もあって、ちょっとレトロな雰囲気を楽しめます。
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観世音寺は、大森の街並みを見下ろす岩の上。
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その岩を直接削って寺に上がる階段が作られています。下から見ると朱塗りの山門が岩に乗っかっていて、規模はさほどでもないのですが、それなりの景観となっています。
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一応、仁王さまもいるんですが、
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本堂はまったく普通です。
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上からは、大森の街並みがよく見えました。
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大森郵便局は、大森の街並みのなかほど。明治5年に、大森郵便取扱所として開設されてという古い歴史を持つようですが、今の木造の建物はそんなに古いものではありませんし、街並みとか周囲の景観によく溶け込んでいるというくらいの印象。観光スポットとしての要素はよく分かりません。
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HIDAKAは、大森の街並みの中ほどに新名所としてオープンしたドイツパンのお店。地元のマスコミでもけっこう取り上げられて、注目度がとっても高まっています。
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まだオープンほやほやな中訪ねましたが、ドイツパンは塩分が少し多い目なんでしょうか、なんだか食べやすいように感じました。
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大森の街並みにたたずむ理容館アラタは、大正末期の理容文化を残す重要な理容遺産といして、全国理容連合会「理容遺産認定」の第1号店だそう。店の前に大きな石碑が建っていました。
この日は土曜日。閉まっていて外観を確認するだけでしたが、すりガラスの窓とか雰囲気は十分に感じられたと思います。 -
大森の街並みには、武家の屋敷もいくつか残っているのですが、
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熊谷家住宅は年貢を計量する掛屋や
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大森代官所の御用商人も務めたという裕福な商家。
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贅沢な室内の造りなどもあるので、見る楽しさとしてはここが一番でしょう。
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イチオシ
保存状態も良くて、当時使われていた食器など生活用品の展示も豊富です。
ここは、上の間。重要なお客はここでもてなしました。 -
続きの畳の廊下。
奥の杉戸の孔雀絵が豪華さを演出しています。 -
坪庭のつくばいに
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向かいは土蔵。
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これは地下室のようですが、かつての屋敷の遺構のようにも思います。
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ふとんや着物もそれなりに残っています。
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渡り廊下を行った先にも土蔵があって、
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酒の道具類や
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宴会にでも使ったようなたくさんの食器。
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当時の料理の様子の再現や
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これも宿泊者に提供したものでしょう。
つまり、商家と言っても、公の役目も負っていて、大事なお客様をもてなしたりするのは役目の一つでもあったのでしょう。 -
こちらは、石見銀山領の行政を司った代官所跡。
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現在の建物は、明治35年に建てられた旧邇摩郡役所で、この建物自体が見どころの一つでしょう。
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この日は「石見銀山遺跡とその文化的景観」と銘打った展示をしていましたが、鉱山関係の学術的な展示はここだけのような。内部は撮影禁止です。
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大森代官所跡からさらに少し奥。ここがまさに大森の街並みの端っこだと思います。石段の上に建つ鳥居をくぐると、すぐに社殿が見えましたが、
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あまりに立派。二層の屋根に、正面は千鳥破風と唐破風を組み合せた意匠。見とれてしまい、そのまま帰ってしまったのですが、じつはここに「鳴き龍」があって、これが見どころだったよう。残念なことをしてしまいました。
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勝源寺は、石見銀山検分役だった大久保石見守長安と、二代目銀山奉行竹村丹後守道清が1601年に建てた寺。以降、奉行・代官の菩提寺となります。
石段の上に立派な楼門の構えがあって、ちょっと格が違う。威厳を感じる寺だと思います。 -
岡家は、銀山奉行の菩提寺、勝源寺から坂を下ってくる途中。気が付きにくい場所ですが、石見銀山代官所地役人遺宅と説明された案内板が門前にありました。内部の見学はできないようで、外からうかがうだけですが、ここは代官所跡もすぐですし、勤めはしやすかった便利な場所でしょう。
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さて、日もくれてきて、腹も減っています。来るとき、チェックしていたあの店に行ってみましょうか。
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それがこの群言堂。
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通りからもよく見える古民家を開け放したモダンアート風のディスプレイは誰でもあれっと思って、目を止めるのではないでしょうか。
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奥のカフェで
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遅い昼飯をいただきましたが、
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豆乳仕立ての味噌汁で体がすっかり温まりました。
さて、実はここから今日はもう一つ、温泉津に出てのお楽しみを用意しています。かなりバテてはいるのですが、これで終わるようなたびたびの旅ではありません。
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