2015/09/28 - 2015/09/29
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Huumaさん
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今回は滋賀県の観音霊場に参ります。1日目に3ヶ寺を巡拝させてもらい、2日目に近江八幡の街並みを散策、そして守山の佐川美術館へ参ります。泊まりは、休暇村近江八幡さんにお世話になります。
表紙は、第30番札所 竹生島 宝厳寺三重塔
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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琵琶湖汽船 長浜港9時発の竹生島往復クルーズ、片道約30分,
竹生島では約80分の参拝時間です。 -
長浜びわこ大仏
青銅28mの阿弥陀如来さまです。 -
長浜城
木下藤吉郎(秀吉)最初の城、天正3年(1575)頃築城、現在の城は昭和58年(1983)に建設されました。 -
琵琶湖エリ漁の杭
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竹生島が見えてきました。
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竹生島にクルーズ船から今日初めての上陸です。
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竹生島 宝厳寺本堂(弁才天堂)
本尊 大弁才天
江の島・宮島と並ぶ「日本三弁才天」の一つ、最も古い弁才天なので大弁才天と称する・・・開山時(724年)聖武天皇の勅命を受け、行基聖人が開眼、本堂は昭和17年に再建・・・と紹介されています。
観音堂(重文)が、唐門(国宝)、舟廊下(重文)と共に修復工事中のため、こちらで納経させていただきます。 -
不動明王像
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竹生島宝厳寺本堂内
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宝厳寺内の辨財天像
二体おられます。 -
竹生島宝厳寺 三重塔
文明19年(1487)建立、江戸時代初期に落雷で焼失しましたが、図面を発見し、平成12年に古来の工法に基づき再建。 -
三重塔の近くに咲く彼岸花
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竹生島宝厳寺 西国三十三霊場第30番札所 観世音堂(重文)
今年の7月から国宝唐門及び当観世音堂の保存修理工事が平成28年3月31まで行われております。 -
竹生島宝厳寺 西国三十三霊場第30番札所 観世音堂(重文)
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竹生島宝厳寺 西国三十三霊場第30番札所 観世音堂 御朱印
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竹生島宝厳寺 舟廊下(重文)
観音堂移築と同時に架けられ、秀吉の御座船「日本丸」の骨組みが利用されています。 -
舟廊下の足元は、急斜面に架けられたため、高い舞台構造(懸造)となっています。
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竜神拝所
竹生島の最も絶景の場所、かわらけ投げの所 -
竜神拝所
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久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)本殿(国宝)
桃山文化の代表的な国宝建築物 -
船乗り場に向かいます。
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船乗り場
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船乗り場からの竹生島
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奥さんが鳶を捉えました。
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あらためて竹生島を観てみます。
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長浜までの船が入ってきました、10時50分発です。
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竹生島を離れます。
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奥さんが言っていました、“ひょっこり、ひょうたん島!”
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長浜に近づくにつれ、伊吹山(標高1377m)が見えてきました。
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西国三十三霊場 第32番札所 観音正寺
車で登り、参道途中のこちらから入山します。 -
繖山 観音正寺参道
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ねずみ岩
縦、横 4〜5mくらいか、大きな岩、ねずみに見えますか?
観音正寺への参道に、たくさんの教えが掲げられています。
ここには、
“人生には真の失敗はない前進する一過程である” -
登りきったところに仁王像がご本尊を護っております。
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阿形仁王像
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吽形仁王像
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開基された聖徳太子像
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萱葺屋根の祠
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本堂が見えてきました。
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西国三十三霊場 第32番札所 繖山(きぬがさざん)観音正寺本堂
創建 推古天皇13年(605)
開基 聖徳太子
本尊 千手千眼観世音菩薩
標高433mの繖山山中に佇む霊場、平成5年に焼失し、平成16年に落慶されました。観音正寺 寺・神社・教会
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観音正寺 本尊 千手千眼観世音菩薩(案内書撮影)
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西国三十三霊場第32番札所 繖山観音正寺 御朱印
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観音正寺境内から西北方に安土城址のある安土山を臨みます。
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西国三十三霊場 第31番札所 姨綺耶山(いきやさん)長命寺
車で登り、石碑のある参道の途中から入山します。
“健康長寿の観音さん”の石碑があります、当寺の呼び名です。 -
本来歩いて808段の石段を登らなければなりませんが、ここからは約100殿です。
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第31番札所 姨綺耶山 長命寺山門
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西国三十三霊場 第31番札所 姨綺耶山 長命寺本堂(重文)
開創 推古天皇27年(619)
開基 聖徳太子
建立 大永4年(1524)
本尊 千手十一面聖観世音菩薩三尊一体(重文)長命寺 寺・神社・教会
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長命寺本堂内
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西国三十三霊場 第31番札所 姨綺耶山長命寺 御朱印
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姨綺耶山 長命寺 三重塔
慶長2年(1597)建立 -
姨綺耶山 長命寺 伽藍
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修多羅岩(すたらいわ)
“修多羅とは、仏教用語で天地開闢、天下太平、子孫繁栄をいう・・・”と説明されています。 -
今回予定の3札所の巡拝を済ませて、琵琶湖畔を通り、宿泊予定の「休暇村 近江八幡」に向います。
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2日目 9月29日(火)今日も快晴、早朝休暇村の琵琶湖畔を歩きます。対岸には比良山系が臨めます。
今日は、近江八幡の街を散策、そして守山の佐川美術館を廻ります。 -
休暇村 近江八幡さん、ディナーの近江牛は最高でした。大変お世話になりました。
これから街に向かいます。 -
かわらミュージアム
“八幡瓦の起源についてみると、城郭建築に瓦の生産が大きく関与しているとするならば、豊臣秀吉の命によって豊臣秀次が天正13年(1585)に築城した「八幡山城」にその淵源を求めることができる。八幡山城の築城において、当然瓦を葺いた瓦工の存在を指摘することができるが、現在のところ瓦銘が残るなど資料的には確認できていない。”「近江八幡市史」より -
かわらミュージアム
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八幡堀沿いのかわらミュージアム
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日牟禮(ひむれ)八幡宮山門
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日牟禮八幡宮
祭神 誉田別尊 (ほむだわけのみこと)
息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)
比賣神 (ひめがみ)
由緒書に、“伝記によれば、第13代成務天皇高穴穂の宮に即位(131)の折、武内宿禰に命じて、この地に大嶋大神を祀られたのが比牟礼社の鎮座の始めと記されています”とあります。日牟禮八幡宮 寺・神社・教会
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八幡山ロープウェーで瑞龍寺へ参ります。
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瑞龍寺山門
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山頂の村雲御所瑞龍寺に参拝します。
“高野山で自害させられた豊臣秀次の菩提を弔うため、生母の瑞龍院日秀尼が、文禄5年(1596)京都の村雲に創建、昭和36年ここに移築された・・・”と説明されています。 -
ロープウエーで八幡山をおり、再び八幡堀から新町方面の古い街並みを巡ります。
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八幡堀での某局のロケ風景
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白雲館
明治10年、近江商人たちにより、子供たちの教育充実を図るために建てられた八幡東中学校、現在は観光案内所が併設された市民ギャラリーとして利用されています。 -
近江商人の街並み
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新町通りの古い街並み
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“米国カンザス州生まれの近江八幡市名誉市民ウィリアム・メレル・ヴォーリズは、明治24年(1905)24歳のとき、国際YMCAから近江八幡に遣わされた。以来、83歳で亡くなるまでこの地でキリスト教伝道しつつ医療・教育事業・建築設計など企業家として多彩な社会貢献活動を展開した。西洋風建築は、大丸心斎橋店、関西学院大学など国内外に1600にも及び、またメンソレータムで有名な製薬会社を興した・・”と紹介されています。
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近江兄弟社発祥の場所『創の家』
1905年(明治38)来日したW・M・ヴォーリス(24歳)は滋賀県立商業学校(現八幡商業高等学校)の英語教師に就きこの場所で日本の生活を始めました・・・とあります。 -
八幡堀沿いにある、赤の他人丼の“浜ぐら”さん
以前、テレビで紹介されていたのでランチを予定してきました。 -
近江牛 赤の他人丼(他人丼・吸い物・赤麩・漬物)1296円
再び、近江牛にありつけました、ボリュームあり、美味かったです。 -
たねや日牟禮ヴィレッジ
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クラブハリエ 日牟禮館
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たねやグループからのみやげ
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佐川美術館
1998年(平成10年)、佐川急便創立40周年を記念して開館、収蔵作品は、日本画家・平山郁夫氏と彫刻家・佐藤忠良氏の作品が中心となっている。
設計・施工 竹中工務店佐川美術館 美術館・博物館
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佐川美術館
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佐川美術館
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楼蘭の月 1991 平山郁夫(絵葉書撮影)絵画
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帽子・夏 1972 佐藤忠義(絵葉書撮影)彫刻
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佐川美術館ティールーム
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佐川美術館
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佐川美術館
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佐川美術館
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琵琶湖大橋を渡り帰路に着きました。
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