2015/06/02 - 2015/06/02
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captainfutureさん
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2015年6月2日(火)
ポイエニレ・イゼイ村5日目。 宿のおばさんの勧めで、村の丘の上でのクルーチェ(十字架)の祭礼へ。 夕方は木造教会の墓地での葬式とその食事会へ。 1L ≒ \30
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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今回の宿泊ルート:
2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田
上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。 -
朝はいつものに、たっぷりチーズが入ったクレープ。
今日のクルーチェ(十字架)の祭礼の事は昨晩マリアおばさんが教えてくれた。 -
聖霊降臨祭の休日は、この村では3日間続き今日まで。 しかしシゲットでは昨日で終了、宿の嫁の地理教師アニーさんと夫の数学教師コンスタンチンさんは、今朝早く発ち、シゲットの学校へ泊りがけに。
教会へ行く途中、宿題を相談中(?)の女の子が、歴史の教科書を見せてくれた。 -
(上)私を追い越し、やや乱暴に教会前に駐車したのはユワンヌ神父。 今日はこの10:00からのミサ後、特別な儀式があると手振りして教えてくれた。
(下)肩から掛けているのは、昨日訪れたお宅でも機織りしていた同じ柄の生地。
ここで神父から、実はこの教会の歴史HPを作成していて、儀式中もどんどん撮っていいから、後日送ってくれるようにと手振り。 -
入口では私もロウソク2本(1L、\30)購入。
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聖人二人を祭った献灯台へ。
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再び教会へ入ると、もう始まっていた。 年配者が牧師の祭服の下で跪いている。 宿の76歳ユアナお婆さんも、祭服の下から出て来た。
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一段落したところで、私も村人と同じく寄進してイコンに接吻。
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神父横では、男性が楽譜が四方に置かれた回転台を時折回しながら延々とアカペラで讃美歌。 マイクを通して教会に静かに響く。
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神父が、チェーンの付いた振り香炉を回しながら、いったん玄関外へ、その後戻って来た。 女性は通路に出て、目の前の神父に触れたり十字を切ったり。
(教会HP作成に提供するよう神父より事前に依頼され、かなり近づいて撮る。 3分3秒)https://youtu.be/HReG98vQ0J4 -
2階へ
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今日の聖歌隊の指揮者は、 みやこうせいさん1988年著「羊とモミの木の歌」に写真入りで良く登場する獣医ジュージュさんだった。
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本の登場人物はほとんどが亡くなっている中、出会えて嬉しい。
時折、十字を切りながら、聖歌隊の歌声。(57秒)https://youtu.be/7YckH2j0TGM -
前列が男性席、後列が女性席。
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(上)再び振り香炉を持って同じ道へ。
(下)神父が戻ってくると、補佐係が傍らで預かった。 -
イコンで覆われた壁(イコノスタシス)の向こう側から、次々と儀式道具を手に説教。
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(上)参拝者は全員 跪き目の高さで両手を握っている。
(下)その後、神父はイコノスタシスの向こうに入り、十字架前で跪き深々と礼拝。
2階からはタイミングを見計らって讃美歌が聞こえてくる。 -
(上)再び2階へ。 鐘を鳴らすは、先程のロウソクを売ってくれた女性。 この後、ファインダーを覗きに来て、苦笑い。
(下)みやさんの30年くらい前に撮った写真しか見た事がないが、確かに面影ある指揮者ジュージュさん、まだまだ現役。 -
そろそろ終盤
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今度は母に連れられた小さな子供が前へ。 神父の話を聞いた後、ロウソクを灯し、
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聖水を口に入れてもらい、祭られたパンの欠片を貰って行った。
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(上)その後は年配の女性が再び前に出て来て、子供達と同じ儀式。
(下)男性席との境目ギリギリまで出て来て、神父の話に聞き入る。 写真下の右端は、宿のユアナお婆さん。 -
イコノスタシスを背に、最後のお説教。
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11:50に終了。
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後で会うムンティーン君のお父さんらが、旗を持って外へ。
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皆で正門前へ
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正門前に集合
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さっきの儀式で祝福を受けた子供に、皆が接吻をしていたイコンを持たせ、神父と共に丘の上の十字架へ出発。
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後で道案内をしてくれるムンティーン君らが旗を持って先頭に立つ。
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女性群。
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12:00 丘の上の十字架前に到着。 予め準備されていた祭壇を前に儀式開始。
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ここでも振り香炉。 祭壇横には、人々が持ち寄った祝福を受ける水入りの容器。 終了後、各自大切に持ち帰っていた。
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経典を読み上げる。 (1分29秒)https://youtu.be/BNKvMs0wrsc
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遠くで雷鳴が聞こえ出した。
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少雨も直ぐに止む。
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経典が読み上がった後、神父による説教が始まった。
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段々と熱を帯びる。
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角度を変えて。(37秒)https://youtu.be/cqOrGAG6fmA
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13:00、無事に終了。 麦の束で皆に聖水を振り掛け、受ける方は十字を切る。
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神父も会心の笑顔。 行きと同じく、さっきの子供にイコンを持たせ神父と先頭に立ち、丘下へ。
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皆も家路へ。
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いつの間にか晴れ渡っていた。
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すぐ側には、木造教会の入口があり、ここを通って帰る人も。
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私も木造教会を通り、新教会へ。
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新教会では神父が祭服から着替えて帰るところだった。
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13:30、遅い昼食。 今回も食べきれない程出たが、美味しく完食。
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(上)その後、神父宅へ。 こちらが新居。
(下)入って右が旧宅。 大きな「はね釣瓶(つるべ)」の井戸。 22年前に泊まった家は撤去されたようだが、あの当時はまだ蛇口も無く、逐一井戸から水を汲んでいた。 -
旧宅前では見覚えのあるお顔のカリーナさんが鶏の世話をしていた。 22年前泊めてくれた今のユワンヌ神父のお母さん。 言葉は通じないが、当時の写真を見せると察してくれたよう。
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その後、新居の神父宅へ。 さっきの十字架の儀式でイコンを持った子供達が招かれていて、入れ違い入る。
奥さんと義理父とで迎えてくれた。 1993年当時は3年前に父のイリエシュ神父が事故で無くなり、息子のユワンヌさんが神父を継いで間もない頃だった。 -
当時まだ25歳だった頃のユワンヌ神父。 教会の仕事を終えれば、村人と同じように畑を耕したり、薪作りをしていた。
「羊とモミの木の歌」によると、ルーマニア人の人生はモミの木から始まってモミの木で終わる。揺りかごから始まって家、そして棺桶。 樹脂もリンゴや梨の接ぎ木や、火傷の特効薬、教会でのお香にも使うとの事。 -
神父と奥さんと義理父と。
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まだ昼食を済ませていなかったよう。 食べていくよう声を掛けてくれ、お言葉に甘えて、スープに肉料理、サルマーレ(ルーマニアのロールキャベツ)。
さすが神父宅、食事前に目を閉じて十字を切り、お祈りがあった。 -
ここでもプラムの蒸留酒ツイカ(別名ホリンカ、「村の誇り」の意味)を振舞って頂いた。
神父は瓶ごと激しく揺すり、素早く消えていく泡を見せ、上等のツイカだと示してくれた。
『いいツイカは瓶ごと激しく揺すって、ものの数十秒で出来た泡が消えて行く。 この透明な泡をペルラ(真珠)とモロシェニ(マラムレシュ地方の人)は自慢げな顔をする。』(みやこうせい著「ルーマニアの小さな村から」)
『良く出来たツイカはヴェルデ(縁の意味)やアクル(火が着きやすいの意味)という。 またツイカをフォク(火)やモリナ(ガソリン)とも言ったりする。』 -
直ぐ近くに、40年以上この村で鐘撞きをしている このバラン爺さん宅があるという。 神父に礼を言い、後にする。
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当時、足元には時間を計るためのロウソクがあった。
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バラン爺さん宅。 やはりもう亡くなっていた。
(上)このお宅にも、みやこうせい さん以外に日本人のマツモト ススムさんという方が撮った写真。 なんと先週、私がハンガリー人村シク村で泊めてもらったノイジ家にも泊まった人だ。 すごい偶然。 -
右から3番目がマツモトさん。 この村ではあちこちで、オレもワタシも撮ってもらったよとこの方の名前を聞く。 一度お会いしてみたい。
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(上)昨日通った家の前。 ベンチには同じおばさんが井戸端会議。
(下)この後は、別の写真を手に。 丘の上に家があるらしい。 -
(上)22年前、こんなところまで歩いて来たんだと自分でも驚きながら歩く。
(下)午前中、先頭で旗を掲げていたムンティーン君に再会。 持参の写真の人を知っているという。 -
16:30、このお宅らしい。 すっかり忘れていた。
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(定点観測)門を開けると、確かに写真と同じお宅。 この村でもどんどん姿を消しているモミ製の伝統家屋も取り壊されず残っていて良かった。
(下)イリアーナ・ラクレイさん(当時62歳)が、樽の修理中。 -
(上)後ろは家畜小屋だったよう。 (下)住居棟
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(左)当時の住居棟。 息子のヴァシーレさん(当時19歳)も母の手伝い。 後ろの小さい子供の二人の男の子はシゲット、女の子はロンドンにいるという。
みやさんの本によると、当時の村人はこの地方から出たことが無い人が大半だったらしいが、すごい変わり様だ。
(右)当時のお宅にあった写真立て。 -
この扉を開け、ノックしてみるが留守。
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(上)窓の外から見えるように飾ってあった写真。
(下)案内のムンティーン君が、近くのお宅にいたイリアーナおばさんを探し出してくれて、やっと再会。 あの時の息子ヴァシーレさんはバイア・マーレ在住。 おばさんは84歳になったが一人暮らしと。 いつまでもお元気で。 -
ムンティーン君にツイカ醸造所へ案内してもらう途中、彼のお宅の前へ来た。
家の前には祖父母、少し上がっていきなさいと声を掛けられ、お言葉に甘えることに。 -
ここでもお婆さんが自家製54度あるというツイカを。 さっきの鐘撞のバラン爺さん宅でも頂いたばかりなので、ジュースにして頂いた。
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(上)17:50、お宅を出ると眼下には新教会。 とても見晴らしがいい。
(下)目の前をアヒルが横切った。 -
木造教会の入口を覗くと、お墓に人が集まっている。 旗を持った男性陣が、こっちに来い来いと手振り。 なんとムンティーン君の先々月に85歳で亡くなった ひいお婆さんのお墓だった。 どうやら葬式のようだ。
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祭壇が用意され、パンと白ワイン。 聖書の上には、説教中に読み上げる村人数名の名前が書かれたメモ用紙。
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18:00、再びユワンヌ神父登場。 ムンティーン君も私の案内どころでは無くなり、図らずも先に来ていた父母と葬式の手伝いをする事に。 本当は今日は留守番だったらしい。
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下で見ていると、しきりに手招きしてくれて、上へ上がってみることに(上)。 ムンティーン君が振り香炉を持っている(下)。
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墓碑を見ると、4月24日に亡くなって今日で38日目。
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式の終盤には、昨日シエウ村の教会で見た同じ儀式。 神父がワインやロウソクを円形パンの穴に入れ、何かを唱えながら上下に振り、それを葬列者全員が手を伸ばして支えている。
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(上)18:10、わずか10分であっという間に葬式終了。
(下)後ろには木造教会。 -
(上)22年前には無かった、この あずまや で葬式の食事会。 一緒にどうぞと家族が声を掛けてくれた。 こういう造りは、みや氏著作ではチュペルカ(通称きのこ)と呼ぶらしい。
(下)手には山盛りのサルマーレ(ルーマニアのロールキャベツ)。 -
(上)いつの間にか神父と同じ並びの特等席に座ることになり、緊張気味のムンティーン君。
(下)彼のお父さん。 -
この村の みや著写真集によると、ここが出来る前は寒空の下、素朴な長テーブルを並べ村人が身を寄せ合い葬式の食事会をやっていたらしい。
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ツイカで乾杯
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大量に用意されたサルマーレやお菓子。
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たくさんの自家製ケーキも。
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さっきの儀式で使われた円形パン。 小さなロウソクと共に皆へ。
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(上)右の手前はムンティーン君のお母さん。 (下)胸に手を置いてくれた。
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皆に行き渡ったところで、神父の締めの挨拶。
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(上)18:40、食事会も30分で、あっという間に終了。
(下)フランスからのニコラさんもご相伴に。 二人はキャンプとヒッチでルーマニアを一か月旅行。 昨日、ボグダン・ボーダ村の動物市を逃した事を話すと、明後日にオクナ・シュガタク村で別の動物市がある事を教えてくれた。 当日、再会する事に。
村人にはフランス語を話せる人が何人かいるらしく、またニコラもルーマニア語を勉強してきたとの事で、互いに会話。 フランス語とルーマニア語は別に近い言語でも無いという。 -
(上)ムンティーン君始め親族らが机や椅子を新教会に返す後片付け。 チュペルカ(あずまや)は空っぽに。
(下)前を通り過ぎてしまい、皆が爆笑。 -
リクエストに応えて一家で。
もう19:20。 醸造所は遠いところにあるらしく、行くのは諦める。 ムンティーン君一家に感謝し、ここでお別れ。 -
私にも祭礼用パンを持って帰るよう手渡してくれた。 宿のユアナお婆さんも故人と友人だったらしく、この葬式に参列。 荷物になるからと預かってくれて、宿で渡してくれた。
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葬式中、墓の上部に上がって来いと手振りしてくれた旗を持っていたおじさん。
すっかりできあがった様子。 この後、村のバーに入って行った。 -
(上)まだ明るいので、少し歩いてみることに。
(下)さっきまで居た木造教会とチュペルカ。 もうすっかり人が居なくなっていた。 -
(上)屋根の先端には1977年築の文字。
(下)そのお宅の庭。 中央は井戸だろうか。 出窓には十字架と生命力のシンボルの彫透かしの花。 -
長椅子に座って通りを眺めていた男性。 挨拶して中庭を少し見させてもらった。
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そろそろ宿へ。 一枚皮のオピンチを履いた女性。
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20:10、宿に到着。 グリゴーレおじさんが搾乳中だった。
夕飯は、野菜スープ(チョルバ・シャラーテ)、ポテト(カルト・ナトゥール)、肉料理(カルネ・デ・ポルク)、みじん切りキャベツの酢漬け、デザートにいつものケーキ。 今回も結構ボリュームがあり、美味しく完食。
明日からシゲットで学校が始まるので、アニー夫妻は不在。 言葉は通じずもマリアおばさんが料理名を。
明日はシゲットに戻る予定が1日1往復のバスに乗り損ね、もう一日この村に滞在。 のんびり村を散策して過ごす。
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