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写真はパンプローナからの難所、アルト・デ・ペルドンの<br />峠に設置されている中世の巡礼者を模したオブジェだ。<br />これを見るのは2013早春の巡礼以来3年振りだ。<br />2013年は残雪がまだ残る早春の頃であったが、<br />2015年の再訪は灼熱の夏の巡礼路を歩くことになった。<br /><br />(追記)<br />2023年10月8日に歌手の谷村新司さんが逝去した。<br />最近、早朝に起きだして彼が山口百恵さんへ送った<br />「いい日旅立ち」の歌をしみじみと聴いている。<br />その歌詞の中に「日本のどこかで誰かが私を待っている…」<br />がある。<br />この日の巡礼路では「世界のどこかで誰かが私を待っている。」<br />とも言えるようなしみじみと感じ入る出逢いがあった。<br />「tomoと一緒に小学校へ行きたい!」と言って私の頬に優しくキス<br />をしてくれた2歳のエストレージャ(”星”と言う意味)ちゃんも<br />今は美しい少女に成長していることであろう。<br />「世界のどこかで誰かが私を待っている…」<br />また旅先のどこかで良い出逢いに会えるような予感がしている。<br />”いい日旅立ち”、私の旅立ちはいつ始まるのだろう。<br />(2023年11月7日、早朝4時に追記)<br /><br />(追記)<br />今日(2018年3月22日夕刻)に孫娘のピアノ教室の付き添いで<br />ピアの教室を訪れた時、若い女性教師の書棚に面白い本を見つけた。<br />『翻訳できない世界のことば』(世界は多様で素晴らしい!)<br />という20代の女性がイラストと一緒に著わした本だ。<br />(原書のタイトルは「Lost In Translation」)<br />その中に心を引きつけられる言葉があったのでこのブログの中に<br />追記しておきたい。<br />それは「Vacilando(ヴァシランド)」(西語)という言葉だ。<br />旅に関する言葉で私の旅に対する心情を一言で表現してくれていた。<br />スペイン語の「Vacilando(ヴァシランド)」は、<br />「どこへ行くかよりも、どんな経験をするかということを重視した<br />旅をする」ことを意味している。<br />※vacilar:スペイン語でもともとは「…の間で迷う」、「揺れ動く」、<br />「ふらつく」という意味。<br />vacilandoは現在分詞、したがって日本語の「逍遙する」に近い意味<br />と思います。<br />私の言葉の「落穂ひろい」としてここに追記しておきたい。<br />私はこれから旅の中で「どんな経験」をして行くのだろう?<br /><br />(2020年3月20日(金)早朝4:00に追記)<br />3月2日(金)からコロナウィルス感染対策のため自宅に<br />「巣ごもり」状態で日々を過ごしている。<br />このような時に旅の追憶として過去のブログを読み返すことは<br />意義があると思う。<br />あの時の旅の心象イメージが鮮やかに心のスクリーンに<br />浮かび上がってくるようだ。<br />あとどれだけ旅ができるか予測はできないが今の年齢(69歳)を<br />考慮すると残り時間が少なくなってきているのは明白である。<br />(「砂時計」の残り少ない砂がサラサラと下に落ち続けている)<br />芭蕉ではないが<br />「コロナ菌で夢は世界を駆け巡る」という気持ちがしている。<br /><br />(話はスペイン巡礼路に戻ります)<br />昨日の夕方、Zubiri村の通りで<br />フランス巡礼路を一緒に歩いた<br />アンドレイさん、マリアさんのご夫妻に<br />バッタリ再会した。<br /><br />夕食後、私が近くのミニマーケットでアイスクリームを買って<br />食べながら歩いていると後ろから女性が「Tomo!」と呼ぶ。<br /><br />振り返るとアンドレイ・マリアさんのご夫妻だ。<br /><br />少し前にこの村に到着して丁度宿泊先から出たところだった<br />ので「偶然だね!」と言っている。<br /><br />3人で手を取り合って再会を喜んだ。<br /><br />本当に「世の中は狭い(El mundo es como un panuelo.<br /> ”世間はハンカチのようだ”)」である。<br /><br /><br />今日は朝食を昨日の食堂で6:00に取り<br />6:30に出発した。<br /><br />ZubiriからPamplonaまでは22.5Km歩き、<br />そこで気力と体力と時間が残っていれば<br />更に歩いてアルト・デ・ペルドンの難所を越え<br />Utergaまで足を伸ばそうと考えていた(合計約40キロ)。<br /><br />朝起きると体調が良い。<br /><br />今回の巡礼で体重は5キロ以上減量していた。<br />今日現在の体重は約64キロで20歳代前半の体重だ。<br /><br />20日以上歩き続けたので脂肪が落ちて体中の贅肉が薄くなった。<br />特に足腰がスリムになり触ってみると筋肉に変化している。<br /><br />今朝バックパックの中身も1キロ程整理した。<br />(「体」も「荷物」も「心」も減量だ)<br /><br />これからの旅に本当に必要なもの以外はすべて<br />捨てた。<br />暑さのため動かくなった電子辞書、会話集、小説、<br />少々の食料、旅で手に入れたパンフレット、<br />シベリア鉄道では必要だった防寒具等々。<br /><br />旅では「捨てる」という行為の大切さを理解した。<br /><br />「少欲知足」という考え方だ。<br /><br />最小限の持ち物でも旅を続けることはできる。<br /><br />巡礼の完全装備をして歩き始めると体が軽い。<br /><br />体の動きもなんだか猫のようなしなやかさを感じる。<br /><br />杖を小脇に抱え気力を込めて街を進んで行った。<br /><br />アルベルゲの前を通るとき横から人の視線を感じた。<br /><br />見ると建物の出口階段に若い女性巡礼が腰かけて<br />熱い視線(?)を私に投げかけている。<br /><br />帽子を脱いで胸にあて「ブエンカミーノ」と挨拶しながら<br />カッコよく前を通り抜けた。<br /><br />まだ暗闇だったので「おじいさん」ということが<br />バレなくてよかった。<br /><br />町の出口でヘッドライトを装着しまだ暗い橋を渡って行った。<br /><br />以下で旅の出逢いと別れ、<br />そして新たな出逢いについて説明する。<br /><br /><br />次回から3日間連続して町ごとにそれぞれの祭りがあったので<br />その様子を報告したい。<br /><br />私の巡礼も「序破急」で最終段階で盛り上がりを見せてきた。<br /><br />そして最終日はどのような終わり方をするのだろうか。<br /><br /><br /><br />

還暦一人旅(巡礼23日目)今日は灼熱のスペイン巡礼路を40キロ歩いたーアルト・デ・ペルドンの石ころ路下り

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2015/07/23 - 2015/07/27

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2013tomo

2013tomoさん

写真はパンプローナからの難所、アルト・デ・ペルドンの
峠に設置されている中世の巡礼者を模したオブジェだ。
これを見るのは2013早春の巡礼以来3年振りだ。
2013年は残雪がまだ残る早春の頃であったが、
2015年の再訪は灼熱の夏の巡礼路を歩くことになった。

(追記)
2023年10月8日に歌手の谷村新司さんが逝去した。
最近、早朝に起きだして彼が山口百恵さんへ送った
「いい日旅立ち」の歌をしみじみと聴いている。
その歌詞の中に「日本のどこかで誰かが私を待っている…」
がある。
この日の巡礼路では「世界のどこかで誰かが私を待っている。」
とも言えるようなしみじみと感じ入る出逢いがあった。
「tomoと一緒に小学校へ行きたい!」と言って私の頬に優しくキス
をしてくれた2歳のエストレージャ(”星”と言う意味)ちゃんも
今は美しい少女に成長していることであろう。
「世界のどこかで誰かが私を待っている…」
また旅先のどこかで良い出逢いに会えるような予感がしている。
”いい日旅立ち”、私の旅立ちはいつ始まるのだろう。
(2023年11月7日、早朝4時に追記)

(追記)
今日(2018年3月22日夕刻)に孫娘のピアノ教室の付き添いで
ピアの教室を訪れた時、若い女性教師の書棚に面白い本を見つけた。
『翻訳できない世界のことば』(世界は多様で素晴らしい!)
という20代の女性がイラストと一緒に著わした本だ。
(原書のタイトルは「Lost In Translation」)
その中に心を引きつけられる言葉があったのでこのブログの中に
追記しておきたい。
それは「Vacilando(ヴァシランド)」(西語)という言葉だ。
旅に関する言葉で私の旅に対する心情を一言で表現してくれていた。
スペイン語の「Vacilando(ヴァシランド)」は、
「どこへ行くかよりも、どんな経験をするかということを重視した
旅をする」ことを意味している。
※vacilar:スペイン語でもともとは「…の間で迷う」、「揺れ動く」、
「ふらつく」という意味。
vacilandoは現在分詞、したがって日本語の「逍遙する」に近い意味
と思います。
私の言葉の「落穂ひろい」としてここに追記しておきたい。
私はこれから旅の中で「どんな経験」をして行くのだろう?

(2020年3月20日(金)早朝4:00に追記)
3月2日(金)からコロナウィルス感染対策のため自宅に
「巣ごもり」状態で日々を過ごしている。
このような時に旅の追憶として過去のブログを読み返すことは
意義があると思う。
あの時の旅の心象イメージが鮮やかに心のスクリーンに
浮かび上がってくるようだ。
あとどれだけ旅ができるか予測はできないが今の年齢(69歳)を
考慮すると残り時間が少なくなってきているのは明白である。
(「砂時計」の残り少ない砂がサラサラと下に落ち続けている)
芭蕉ではないが
「コロナ菌で夢は世界を駆け巡る」という気持ちがしている。

(話はスペイン巡礼路に戻ります)
昨日の夕方、Zubiri村の通りで
フランス巡礼路を一緒に歩いた
アンドレイさん、マリアさんのご夫妻に
バッタリ再会した。

夕食後、私が近くのミニマーケットでアイスクリームを買って
食べながら歩いていると後ろから女性が「Tomo!」と呼ぶ。

振り返るとアンドレイ・マリアさんのご夫妻だ。

少し前にこの村に到着して丁度宿泊先から出たところだった
ので「偶然だね!」と言っている。

3人で手を取り合って再会を喜んだ。

本当に「世の中は狭い(El mundo es como un panuelo.
 ”世間はハンカチのようだ”)」である。


今日は朝食を昨日の食堂で6:00に取り
6:30に出発した。

ZubiriからPamplonaまでは22.5Km歩き、
そこで気力と体力と時間が残っていれば
更に歩いてアルト・デ・ペルドンの難所を越え
Utergaまで足を伸ばそうと考えていた(合計約40キロ)。

朝起きると体調が良い。

今回の巡礼で体重は5キロ以上減量していた。
今日現在の体重は約64キロで20歳代前半の体重だ。

20日以上歩き続けたので脂肪が落ちて体中の贅肉が薄くなった。
特に足腰がスリムになり触ってみると筋肉に変化している。

今朝バックパックの中身も1キロ程整理した。
(「体」も「荷物」も「心」も減量だ)

これからの旅に本当に必要なもの以外はすべて
捨てた。
暑さのため動かくなった電子辞書、会話集、小説、
少々の食料、旅で手に入れたパンフレット、
シベリア鉄道では必要だった防寒具等々。

旅では「捨てる」という行為の大切さを理解した。

「少欲知足」という考え方だ。

最小限の持ち物でも旅を続けることはできる。

巡礼の完全装備をして歩き始めると体が軽い。

体の動きもなんだか猫のようなしなやかさを感じる。

杖を小脇に抱え気力を込めて街を進んで行った。

アルベルゲの前を通るとき横から人の視線を感じた。

見ると建物の出口階段に若い女性巡礼が腰かけて
熱い視線(?)を私に投げかけている。

帽子を脱いで胸にあて「ブエンカミーノ」と挨拶しながら
カッコよく前を通り抜けた。

まだ暗闇だったので「おじいさん」ということが
バレなくてよかった。

町の出口でヘッドライトを装着しまだ暗い橋を渡って行った。

以下で旅の出逢いと別れ、
そして新たな出逢いについて説明する。


次回から3日間連続して町ごとにそれぞれの祭りがあったので
その様子を報告したい。

私の巡礼も「序破急」で最終段階で盛り上がりを見せてきた。

そして最終日はどのような終わり方をするのだろうか。



旅行の満足度
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 7月23日は6:30に出発。<br /><br />町の出口から巡礼路につながる橋の上はまだ夜だ。<br /><br />私はヘッドランプを装着し暗闇の巡礼路に入って行く。<br /><br />前を巡礼達の黒い影が進んで行くのが仄(ほのか)かに見える。

    7月23日は6:30に出発。

    町の出口から巡礼路につながる橋の上はまだ夜だ。

    私はヘッドランプを装着し暗闇の巡礼路に入って行く。

    前を巡礼達の黒い影が進んで行くのが仄(ほのか)かに見える。

  • 7時を過ぎると巡礼路も明るくなる。<br /><br />前を進む巡礼達の後姿が見える。<br /><br />普通に歩いていて彼らに遅れることは<br />なくなってきた。<br />(体が軽い)

    7時を過ぎると巡礼路も明るくなる。

    前を進む巡礼達の後姿が見える。

    普通に歩いていて彼らに遅れることは
    なくなってきた。
    (体が軽い)

  • 巡礼路を進んで行くと牧場に出た。<br /><br />白い牛がこちらを興味深げに眺めている。<br /><br />「ブエンカミーノ!」と挨拶をした。

    巡礼路を進んで行くと牧場に出た。

    白い牛がこちらを興味深げに眺めている。

    「ブエンカミーノ!」と挨拶をした。

  • 途中で巡礼路にそって流れている小川沿いを歩いた。<br /><br />イタリアから来た男前の巡礼者マクシミリアンさんと<br />しばらく一緒に歩く。

    途中で巡礼路にそって流れている小川沿いを歩いた。

    イタリアから来た男前の巡礼者マクシミリアンさんと
    しばらく一緒に歩く。

  • 私も写真をマクシミリアンさんに撮ってもらった。<br /><br />若い人と歩くと気持ちが若返るようだ。<br /><br />既に自分の実年齢を忘れている状態だ。

    私も写真をマクシミリアンさんに撮ってもらった。

    若い人と歩くと気持ちが若返るようだ。

    既に自分の実年齢を忘れている状態だ。

  • 山道を抜け石橋を渡る。<br /><br />ここを渡ればパンプローナまで<br />もうすぐだ。<br /><br />予定時間より早く到着しそうだ。

    山道を抜け石橋を渡る。

    ここを渡ればパンプローナまで
    もうすぐだ。

    予定時間より早く到着しそうだ。

  • パンプローナの町に到着した。<br /><br />周りを囲んでいる城壁の近くで<br />フランス巡礼路でよく出逢った<br />女性巡礼とまた会った。<br /><br />彼女は疲れたので<br />今日はパンプローナに泊まる<br />と言っていた。

    パンプローナの町に到着した。

    周りを囲んでいる城壁の近くで
    フランス巡礼路でよく出逢った
    女性巡礼とまた会った。

    彼女は疲れたので
    今日はパンプローナに泊まる
    と言っていた。

  • 杖を小脇に抱えてパンプローナの街並みを歩いていると<br />前方から<br />「パンプローナにようこそ!」と街中に響き渡るような<br />大声が聞こえてきた。<br /><br />坂道の上を見上げると途中で別れた<br />ドイツ人の大男ルドルフが<br />路の真ん中に仁王立ちに立っている。<br /><br />私も負けずにお腹に気合を込めて<br />「I am here!  やって来たぞ!」と大声で挨拶を返す。<br /><br />「足をマッサージしてもらって丁度店から出てきたところだ。<br /> Tomo、今日はどこに泊まるんだ?」<br />と聞くので<br /><br />「僕の心と足がもっと前へ行けと言っている。<br /> パンプローナは通り過ぎるだけだ。」と答えた。<br /><br />「ここは良い街だぞ。<br /> 2日くらい泊まって行けよ。」とルドルフが言ってくれた。<br /><br />「ありがとうルドルフ。<br />でも僕は自分の心と体の言葉に従いたい。<br />前に進むよ。」と言うと<br /><br />ルドルフは白い歯を見せながら<br />「そうか。」と言って力強い握手を求めてきた。<br /><br />「ルドルフ。スペインの言葉に<br />『El mundo es como un panuelo. ”世間はハンカチのようだ”)』がある。<br />会えるときはまたどこかできっと会えるぞ。」<br /><br />と言いながら私も力強く握手をした。<br /><br />出逢いの最初は<br />あまり良くない印象を持っていたルドルフだったが、<br />いまはカミーノ(巡礼路)の親友となっていた。<br /><br />「ブエンカミーノ!アウフビーダゼン。」とスペイン語と<br />ドイツ語で別れの言葉を交わして<br />彼とはパンプローナで別れた。<br /><br />

    杖を小脇に抱えてパンプローナの街並みを歩いていると
    前方から
    「パンプローナにようこそ!」と街中に響き渡るような
    大声が聞こえてきた。

    坂道の上を見上げると途中で別れた
    ドイツ人の大男ルドルフが
    路の真ん中に仁王立ちに立っている。

    私も負けずにお腹に気合を込めて
    「I am here!  やって来たぞ!」と大声で挨拶を返す。

    「足をマッサージしてもらって丁度店から出てきたところだ。
     Tomo、今日はどこに泊まるんだ?」
    と聞くので

    「僕の心と足がもっと前へ行けと言っている。
     パンプローナは通り過ぎるだけだ。」と答えた。

    「ここは良い街だぞ。
     2日くらい泊まって行けよ。」とルドルフが言ってくれた。

    「ありがとうルドルフ。
    でも僕は自分の心と体の言葉に従いたい。
    前に進むよ。」と言うと

    ルドルフは白い歯を見せながら
    「そうか。」と言って力強い握手を求めてきた。

    「ルドルフ。スペインの言葉に
    『El mundo es como un panuelo. ”世間はハンカチのようだ”)』がある。
    会えるときはまたどこかできっと会えるぞ。」

    と言いながら私も力強く握手をした。

    出逢いの最初は
    あまり良くない印象を持っていたルドルフだったが、
    いまはカミーノ(巡礼路)の親友となっていた。

    「ブエンカミーノ!アウフビーダゼン。」とスペイン語と
    ドイツ語で別れの言葉を交わして
    彼とはパンプローナで別れた。

  • 写真はパンプローナ中心部にある公園の<br />風景である。<br /><br />2013年の早春の巡礼はパンプローナから始めた。<br /><br />2月末に歩き始めたのでこの公園は霜で白く覆われていて<br />寒々として枯れ木だけだった。<br /><br />7月末の公園は緑の葉が豊かに繁り、<br />当時とはまったく違う印象を示していた。<br /><br />同じ巡礼路を歩いても季節や歩く仲間が異なれば<br />巡礼路は違った顔を見せるようだ。

    写真はパンプローナ中心部にある公園の
    風景である。

    2013年の早春の巡礼はパンプローナから始めた。

    2月末に歩き始めたのでこの公園は霜で白く覆われていて
    寒々として枯れ木だけだった。

    7月末の公園は緑の葉が豊かに繁り、
    当時とはまったく違う印象を示していた。

    同じ巡礼路を歩いても季節や歩く仲間が異なれば
    巡礼路は違った顔を見せるようだ。

  • しかし歩道の石畳にはめ込まれた丸い巡礼標識の<br />エストレーヤ(星の意味)は変わらなかった。<br /><br />私はこの標識に従って前に進んだ。

    しかし歩道の石畳にはめ込まれた丸い巡礼標識の
    エストレーヤ(星の意味)は変わらなかった。

    私はこの標識に従って前に進んだ。

  • パンプローナの町を離れると巡礼路は<br />左の舗装された道路と<br />並行して走っていた。<br /><br />午後になると太陽が真上から強い日射しを降り注いでくる。<br /><br />空気が乾燥しているので汗がどんどん蒸発して行く。<br /><br /><br />

    パンプローナの町を離れると巡礼路は
    左の舗装された道路と
    並行して走っていた。

    午後になると太陽が真上から強い日射しを降り注いでくる。

    空気が乾燥しているので汗がどんどん蒸発して行く。


  • 巡礼路は途中から左に曲がりアルト・デ・ペルドンの山に<br />向かっている。<br /><br />アルト・デ・ペルドンは1000m弱と高い山ではないが<br />山頂までつづらおりの山道が続き、木陰も少ないので<br />夏の季節に歩くのは辛い。<br /><br />更に山頂から下り路は石ころだらけの急な坂道が殆ど一直線に<br />麓まで続いている。<br /><br />私は2013の2月末にまだ残雪があるこの道を歩いていたので<br />この巡礼路の難しさと危険性を知っていた。<br /><br />その時は多くの巡礼者が急斜面で石ころに足を取られ転倒し<br />バックパックやズボンを泥だらけにして下って行ったのを<br />記憶していた。

    巡礼路は途中から左に曲がりアルト・デ・ペルドンの山に
    向かっている。

    アルト・デ・ペルドンは1000m弱と高い山ではないが
    山頂までつづらおりの山道が続き、木陰も少ないので
    夏の季節に歩くのは辛い。

    更に山頂から下り路は石ころだらけの急な坂道が殆ど一直線に
    麓まで続いている。

    私は2013の2月末にまだ残雪があるこの道を歩いていたので
    この巡礼路の難しさと危険性を知っていた。

    その時は多くの巡礼者が急斜面で石ころに足を取られ転倒し
    バックパックやズボンを泥だらけにして下って行ったのを
    記憶していた。

  • 登り路の途中で面白いことが二つあった。<br /><br />一つ目の出逢いは前方からフランス国旗を掲げた<br />巡礼者が歩いてきた。<br /><br />反対方向から来たので<br />「どこへ行くのですか?」と尋ねると、<br />「コンポステーラまで行ってきたので、<br />今はパリまでの復路を歩いている。」<br />という回答だった。<br /><br />2013年早春の巡礼路でもスペイン国旗を掲げた<br />スペイン人の老人巡礼者を見たことがある。<br />彼は巡礼路を野宿しながら何度も往復している<br />と言っていた。<br /><br />巡礼することが自体が人生の主目的になる人も<br />いると聞いたことがある。<br /><br />二つ目の出逢いは<br />前方からサングラスをかけた中年の男性が歩いてきた。<br /><br />荷物を持っていないので散歩をしている地元の人だ。<br /><br />私が「ブエノスディアス!」と挨拶すると、<br /><br />相手も「ブエノスディアス!」と挨拶して<br /><br />「どこから来たの?」と尋ねてきた。<br /><br />(「日本からです。」)<br />と応えようとすると、<br /><br />「ちょっと待て。どの国からか当ててみよう。」<br />と考えて<br />「あんたのアクセントからすると…。<br /> メキシコ人だな!」と言う。<br /><br />「いえ、日本人です。」と言うと彼は驚いている。<br /><br />「でも私のスペイン語はコロンビア人のセニョーラに<br /> 習ったのでラテンアクセントがあると思います。<br /> その意味では私のアクセントをメキシコと判断した<br /> あなたの推測は間違っていないと思います。」<br /> とほめてさし上げた。<br /><br />私はかつて「南方系中国人(福建人や広東人)」、<br />「インドネシアのセラワシ島北部のムナド族」、<br />「日系アルゼンチン人」に間違われたことがあるが<br />「メキシコ人」に間違われたのは初めてである。<br /><br />家内に報告しよう。<br />「君の夫はメキシコ人だそうだ。」<br /><br />旅が長くなると人相も変容するのかもしれないと思った。<br />

    登り路の途中で面白いことが二つあった。

    一つ目の出逢いは前方からフランス国旗を掲げた
    巡礼者が歩いてきた。

    反対方向から来たので
    「どこへ行くのですか?」と尋ねると、
    「コンポステーラまで行ってきたので、
    今はパリまでの復路を歩いている。」
    という回答だった。

    2013年早春の巡礼路でもスペイン国旗を掲げた
    スペイン人の老人巡礼者を見たことがある。
    彼は巡礼路を野宿しながら何度も往復している
    と言っていた。

    巡礼することが自体が人生の主目的になる人も
    いると聞いたことがある。

    二つ目の出逢いは
    前方からサングラスをかけた中年の男性が歩いてきた。

    荷物を持っていないので散歩をしている地元の人だ。

    私が「ブエノスディアス!」と挨拶すると、

    相手も「ブエノスディアス!」と挨拶して

    「どこから来たの?」と尋ねてきた。

    (「日本からです。」)
    と応えようとすると、

    「ちょっと待て。どの国からか当ててみよう。」
    と考えて
    「あんたのアクセントからすると…。
     メキシコ人だな!」と言う。

    「いえ、日本人です。」と言うと彼は驚いている。

    「でも私のスペイン語はコロンビア人のセニョーラに
     習ったのでラテンアクセントがあると思います。
     その意味では私のアクセントをメキシコと判断した
     あなたの推測は間違っていないと思います。」
     とほめてさし上げた。

    私はかつて「南方系中国人(福建人や広東人)」、
    「インドネシアのセラワシ島北部のムナド族」、
    「日系アルゼンチン人」に間違われたことがあるが
    「メキシコ人」に間違われたのは初めてである。

    家内に報告しよう。
    「君の夫はメキシコ人だそうだ。」

    旅が長くなると人相も変容するのかもしれないと思った。

  • アルト・デ・ペルドンの山頂までダラダラと<br />九十九おりの登り路が続く。<br /><br />日影が少ない。<br /><br />時折吹いてくる風も暑い熱気を含んでいる。<br /><br />日射しが強いので太陽光線が直接当たる皮膚から煙が出てきそうだ。<br /><br />路の途中からイタリアから来たという男性二人組の巡礼者と前後して<br />歩いた。<br /><br />一人は背が高く髪がブロンドでイタリア北方の人のようである。<br />後で聞くとミラノの大手企業の社長さんである。<br />きれいな英語を話す。<br /><br />もう一人は私くらいの背丈で髪は黒い。<br />イタリア南部の人のようである。<br />英語はあまり話せない。<br />後で聞くとシシリー島出身(マフィアかと思った)で<br />仕事は企業弁護士をしている。<br /><br />しかし弁護士というよりもマフィアギャング<br />に近い印象を受けた。<br /><br />その印象を彼に正直に伝えると<br />「おれはマフィアと戦う弁護士だ。」と言っていた。<br /><br />『毒を以て毒を制する』ということなのかと納得した。<br /><br />途中休憩しているときに<br /><br />「私の巡礼目的は宗教的なものではない。<br /> 次の町まで歩く最大の動機は<br /> 一杯の冷たいビールを飲むことだ。」と言うと、<br /><br />彼らから<br />「俺たちの動機も同じだ。<br /> 山を下りたら冷たいビールを一緒に飲もう!」<br /><br />という言葉があった。<br /><br />この約束は早めに実現することになった。

    アルト・デ・ペルドンの山頂までダラダラと
    九十九おりの登り路が続く。

    日影が少ない。

    時折吹いてくる風も暑い熱気を含んでいる。

    日射しが強いので太陽光線が直接当たる皮膚から煙が出てきそうだ。

    路の途中からイタリアから来たという男性二人組の巡礼者と前後して
    歩いた。

    一人は背が高く髪がブロンドでイタリア北方の人のようである。
    後で聞くとミラノの大手企業の社長さんである。
    きれいな英語を話す。

    もう一人は私くらいの背丈で髪は黒い。
    イタリア南部の人のようである。
    英語はあまり話せない。
    後で聞くとシシリー島出身(マフィアかと思った)で
    仕事は企業弁護士をしている。

    しかし弁護士というよりもマフィアギャング
    に近い印象を受けた。

    その印象を彼に正直に伝えると
    「おれはマフィアと戦う弁護士だ。」と言っていた。

    『毒を以て毒を制する』ということなのかと納得した。

    途中休憩しているときに

    「私の巡礼目的は宗教的なものではない。
     次の町まで歩く最大の動機は
     一杯の冷たいビールを飲むことだ。」と言うと、

    彼らから
    「俺たちの動機も同じだ。
     山を下りたら冷たいビールを一緒に飲もう!」

    という言葉があった。

    この約束は早めに実現することになった。

  • 暑さに苦しみながらようやく<br />アルト・デ・ペルドンの山頂に到着した。<br /><br />私はこの「アルト・デ・ペルドン」を勝手に「アルト(高い)、<br />ペルドン(詫びる)という単語の意味から「高くてごめんね!」<br />と訳していた。<br />(本当は「至高の贖罪」とでも訳すのが良いのかもしれないが)<br /><br />彼らに少し遅れて山頂に着くと、<br /><br />何と彼らは缶ビールをおいしそうに飲んでいるではないか。<br /><br />山頂には飲み物を販売するワゴン車が停車していた。<br /><br />「ああ山頂まで車道があるんだ。」と思いながら、<br /><br />私も直ちに二人の行為に同調した。<br /><br />缶ビールは冷えて美味しかったので<br /><br />「今日の仕事はこれでおしまいだな。」<br />と言うと<br /><br />社長のイタリア人は<br /><br />「ほとんどな(Almost)。」<br />と言う。<br /><br />彼はウテルガまでの下りの道の険しさを<br />知っているに違いないと思った。<br />

    暑さに苦しみながらようやく
    アルト・デ・ペルドンの山頂に到着した。

    私はこの「アルト・デ・ペルドン」を勝手に「アルト(高い)、
    ペルドン(詫びる)という単語の意味から「高くてごめんね!」
    と訳していた。
    (本当は「至高の贖罪」とでも訳すのが良いのかもしれないが)

    彼らに少し遅れて山頂に着くと、

    何と彼らは缶ビールをおいしそうに飲んでいるではないか。

    山頂には飲み物を販売するワゴン車が停車していた。

    「ああ山頂まで車道があるんだ。」と思いながら、

    私も直ちに二人の行為に同調した。

    缶ビールは冷えて美味しかったので

    「今日の仕事はこれでおしまいだな。」
    と言うと

    社長のイタリア人は

    「ほとんどな(Almost)。」
    と言う。

    彼はウテルガまでの下りの道の険しさを
    知っているに違いないと思った。

  • 冷たい缶ビールを飲み干した私は、<br /><br />「それではお先に!」といって<br /><br />Utergaの道路標識がある下り路に飛び込んだ。<br /><br />前方に麓まで続く急勾配の白く乾いた石ころ路が<br />長く続いている。<br /><br />私はこの石ころ路を一気に駆け降りることにした。<br /><br />ゆっくり歩きながら降りると足を痛めたり疲れが増してくると<br />思ったからだ。<br /><br />体重とバックパックの重力を利用して前傾姿勢で走り出す。<br /><br />坂を下るというよりも滑落しているような状態で下って行く。<br /><br />杖は石ころ路に深く刺さず、左に差し出して石ころの表面を<br />小刻みに叩くようにする。<br />(杖を石ころに深く刺すと逆に杖を取られてバランスを崩すからだ)<br /><br />私の両足は常にバランスを崩しているので杖を微妙に操作しながら<br />体勢を元に戻していく。<br /><br />石煙を上げながら駆け降りていく。<br /><br />「オヒョーッ!」とか「オリャアアア・・・!」とか「ドッコイ!」という<br />奇妙な気合をかけながら必死に駆けて行った。<br /><br />すると不思議なことに私が駆けるべき比較的安全な路が白く<br />光って見えてくるではないか。<br /><br />これはそれまでにこの路を下って行った<br />巡礼が歩いた場所の石ころが小さくなり<br />他の部分と比べて白く光っているのだと思った。<br /><br />私はその白く光る路をジグザクに蛇行しながら駆け続ける。<br /><br />大きく路を蛇行するときにチッラと斜め横上を見ると<br /><br />二人のイタリア人が2本のスティックを使ってスキーの<br />直滑降のように駆け下っている。<br /><br />「彼らに負けたくないな。」と思いながら慎重にかつ急ぎながら<br />集中して駆け下り続けた。<br /><br />1時間以上下り続けて膝がわらいだしたので<br />もうこれ以上は走れないなと思い始めた。<br /><br />すると100m程先に普通の巡礼路が見えてきた。<br /><br />ようやく平らな路に足がついても<br />勢いがついているのですぐには止まらない。<br /><br />10m程たたらを踏んでようやく並足にすることが出来た。<br /><br />思わずお腹の底から感動が湧きあがってきたので<br />杖を両手で頭の上に差し上げて(映画の「ロッキー」のシーンを<br />思い出してください)、<br /><br />「ヤタッゾー!」<br />と雄叫びを上げてしまった。<br />

    冷たい缶ビールを飲み干した私は、

    「それではお先に!」といって

    Utergaの道路標識がある下り路に飛び込んだ。

    前方に麓まで続く急勾配の白く乾いた石ころ路が
    長く続いている。

    私はこの石ころ路を一気に駆け降りることにした。

    ゆっくり歩きながら降りると足を痛めたり疲れが増してくると
    思ったからだ。

    体重とバックパックの重力を利用して前傾姿勢で走り出す。

    坂を下るというよりも滑落しているような状態で下って行く。

    杖は石ころ路に深く刺さず、左に差し出して石ころの表面を
    小刻みに叩くようにする。
    (杖を石ころに深く刺すと逆に杖を取られてバランスを崩すからだ)

    私の両足は常にバランスを崩しているので杖を微妙に操作しながら
    体勢を元に戻していく。

    石煙を上げながら駆け降りていく。

    「オヒョーッ!」とか「オリャアアア・・・!」とか「ドッコイ!」という
    奇妙な気合をかけながら必死に駆けて行った。

    すると不思議なことに私が駆けるべき比較的安全な路が白く
    光って見えてくるではないか。

    これはそれまでにこの路を下って行った
    巡礼が歩いた場所の石ころが小さくなり
    他の部分と比べて白く光っているのだと思った。

    私はその白く光る路をジグザクに蛇行しながら駆け続ける。

    大きく路を蛇行するときにチッラと斜め横上を見ると

    二人のイタリア人が2本のスティックを使ってスキーの
    直滑降のように駆け下っている。

    「彼らに負けたくないな。」と思いながら慎重にかつ急ぎながら
    集中して駆け下り続けた。

    1時間以上下り続けて膝がわらいだしたので
    もうこれ以上は走れないなと思い始めた。

    すると100m程先に普通の巡礼路が見えてきた。

    ようやく平らな路に足がついても
    勢いがついているのですぐには止まらない。

    10m程たたらを踏んでようやく並足にすることが出来た。

    思わずお腹の底から感動が湧きあがってきたので
    杖を両手で頭の上に差し上げて(映画の「ロッキー」のシーンを
    思い出してください)、

    「ヤタッゾー!」
    と雄叫びを上げてしまった。

  • アルト・デ・ペルドンの石ころ路を下り終わって巡礼路を<br />暫く歩いていると二人のイタリア人が追いついてきた。<br /><br />社長さんのイタリア人は<br />「大変だったなあ。」と言いながら、私の傍らを通り過ぎて<br />前に歩いて行った。<br /><br />もう一人のシシリーのマフィアは私の横に近づいてきて<br /><br />「やったなあ、アミーゴ。」<br />と言って迫ってくる。<br /><br />(このあたりから私達の言葉は「ゴッドファザー」調になります)<br />(また大人の男の人の会話も入りますのでお許しください)<br /><br />「俺は手も、背中も、足も痛いよ。<br /> 次の町に行ったらマッサージをやってもらうんだ。<br /> 俺の大事な○○○(意味不明)もやってもらうんだ。」と言う。<br /><br />「○○○って何だ?」と聞くと。<br /><br />「これだよ。」といってお腹の下を指さす。<br /><br />「なにを馬鹿な冗談言っているんだ。<br /> ここはカミーノ(巡礼路)だぞ。<br /> そんな言葉を吐いたらマリア様が聴いているぞ!」<br />と注意すると<br /><br />「そうか…。」と言って<br />ションボリした様子である。<br /><br />すると突然右前方に聖母子像が見えてきた。<br /><br />二人の若い女性巡礼が敬虔な祈りをささげている。<br /><br />アフリカ系の人だ。<br />(後で二人とは巡礼仲間となる)<br /><br />シシリーマフィアの彼は立ち止まって聖母子像を静かに<br />見上げている。<br /><br />しばらくして彼は歩きだして<br /><br />「俺のお袋は死んだんだ。」と言う。<br /><br />「お前のお袋も死んだのか?」と聞くので<br /><br />「3年前に死んだんだ。」と答えた。<br /><br />「何歳で死んだんだと」尋ねるので<br /><br />「88歳でだよ。」と言うと<br /><br />「ならいいや。」と言うではないか。<br /><br />「この野郎!」と思ってにらんでやると彼は<br />まっすぐ前を見ながら<br /><br />「俺のお袋は若くして死んだんだよ。<br /> <br /> まだ39歳だった。<br /> <br /> 若くてきれいだったよ。<br /> <br /> それから俺は一人ぼっちだ。」<br />(暫く沈黙があって)<br /><br /> 「俺はなあ。<br />  このカミーノを歩いているとお袋に会えるような<br />  気がするんだ。」<br /> とシンミリと言う。<br /><br />私は<br />「アミーゴ。<br /> このカミーノではな、<br /> 欲しいものはないかもしれないが<br /> 必要なものはあると聞いたことがあるぞ。<br /> マリア様がきっとおまえのお袋さんに会わせてくれるよ。」<br />と言った。<br /><br />慰めにはならないと思ったが<br />そういうよりほかに言い方がなかった程<br />彼は落ち込んでいるようだった。<br /><br />彼の言葉は次の歌を思い出させた。<br /><br />「鉦(かね)鳴らし信濃の国を行き行かば<br /> ありしながらの母みるらむか」<br />            窪田空穂『まひる野』(1905)<br /><br /> (意味)<br /> 巡礼者となって、かねを鳴らしながら、<br />故郷の信濃の国を歩いてゆけば、<br />生きていた頃のあの母に会うことができるのだろうか。<br /><br />人の想いというものはどの国でも同じなのかもしれない。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    アルト・デ・ペルドンの石ころ路を下り終わって巡礼路を
    暫く歩いていると二人のイタリア人が追いついてきた。

    社長さんのイタリア人は
    「大変だったなあ。」と言いながら、私の傍らを通り過ぎて
    前に歩いて行った。

    もう一人のシシリーのマフィアは私の横に近づいてきて

    「やったなあ、アミーゴ。」
    と言って迫ってくる。

    (このあたりから私達の言葉は「ゴッドファザー」調になります)
    (また大人の男の人の会話も入りますのでお許しください)

    「俺は手も、背中も、足も痛いよ。
     次の町に行ったらマッサージをやってもらうんだ。
     俺の大事な○○○(意味不明)もやってもらうんだ。」と言う。

    「○○○って何だ?」と聞くと。

    「これだよ。」といってお腹の下を指さす。

    「なにを馬鹿な冗談言っているんだ。
     ここはカミーノ(巡礼路)だぞ。
     そんな言葉を吐いたらマリア様が聴いているぞ!」
    と注意すると

    「そうか…。」と言って
    ションボリした様子である。

    すると突然右前方に聖母子像が見えてきた。

    二人の若い女性巡礼が敬虔な祈りをささげている。

    アフリカ系の人だ。
    (後で二人とは巡礼仲間となる)

    シシリーマフィアの彼は立ち止まって聖母子像を静かに
    見上げている。

    しばらくして彼は歩きだして

    「俺のお袋は死んだんだ。」と言う。

    「お前のお袋も死んだのか?」と聞くので

    「3年前に死んだんだ。」と答えた。

    「何歳で死んだんだと」尋ねるので

    「88歳でだよ。」と言うと

    「ならいいや。」と言うではないか。

    「この野郎!」と思ってにらんでやると彼は
    まっすぐ前を見ながら

    「俺のお袋は若くして死んだんだよ。
     
     まだ39歳だった。
     
     若くてきれいだったよ。
     
     それから俺は一人ぼっちだ。」
    (暫く沈黙があって)

     「俺はなあ。
      このカミーノを歩いているとお袋に会えるような
      気がするんだ。」
     とシンミリと言う。

    私は
    「アミーゴ。
     このカミーノではな、
     欲しいものはないかもしれないが
     必要なものはあると聞いたことがあるぞ。
     マリア様がきっとおまえのお袋さんに会わせてくれるよ。」
    と言った。

    慰めにはならないと思ったが
    そういうよりほかに言い方がなかった程
    彼は落ち込んでいるようだった。

    彼の言葉は次の歌を思い出させた。

    「鉦(かね)鳴らし信濃の国を行き行かば
     ありしながらの母みるらむか」
                窪田空穂『まひる野』(1905)

     (意味)
     巡礼者となって、かねを鳴らしながら、
    故郷の信濃の国を歩いてゆけば、
    生きていた頃のあの母に会うことができるのだろうか。

    人の想いというものはどの国でも同じなのかもしれない。





  • 3人でしばらく歩いているとUtergaの村が見えてきた。<br /><br />私がここのアルベルゲに泊まると言うと彼らはこの村から<br />3キロ程先にある村のホテルを予約しているとのことだ。<br /><br />もう会えないかもしれないなと言いながら握手して別れた。<br />(その後も何度も会うことになるのだが)<br /><br />村にはアルベルゲが二つあった。<br /><br />私は広い庭があって明るい雰囲気のアルベルゲに<br />泊まることにした。<br /><br />入り口前のテラスでは何人かの人がテーブルを囲んで<br />楽しそうに話している。<br /><br />「予約をしていないのですが泊まれますか?」と尋ねると<br />若いセニョーラが<br /><br />「空いているからどのベッドでも泊まれるわよ。」<br />と言う。<br /><br />感じの良いアルベルゲだ。<br /><br />食堂に入ろうとすると<br />おばあちゃんに抱っこされた2歳くらいの<br />可愛い小さな女の子が私をじっと見つめている。<br /><br />あんまり可愛いので作って持っていた千代紙のやっこさんを<br />プレゼントした。<br /><br />彼女は興味深そうにさわっていた。<br /><br />セニョーラとチェクインの手続きをしていると<br /><br />おばあちゃんが女の子を抱っこして食堂に入ってきた。<br /><br />女の子がおばあちゃんの耳元に何かひそひそと囁いている。<br /><br />おばあちゃんが笑いながらお母さんのセニョーラに何か伝えている。<br /><br />セニョーラが私に笑いながら言うのには<br /><br />この娘が「Tomoと一緒に学校に行くんだと言っているよ。」<br />と言う。<br /><br />「なんとかわいいんだ!」と思って<br /><br />「このセニョリータプリンセスの名前は何というのですか?」<br />とセニョーラに聞くと<br /><br />「Estrella(星)というの。」と言う。<br /><br />「私達巡礼たちを導く”星ちゃん”ですね。」と言うと<br /><br />セニョーラはうれしそうに笑っていた。<br /><br />するとまたEstrellaちゃんがおばあちゃんの耳元で<br />何かひそひそと囁いた。<br /><br />おばあちゃんがまた笑いながらお母さんに伝える。<br /><br />「この子がTomoのほっぺにキスをしたいと言っているけど。」<br />と言う。<br /><br />私は「ありがとうセニョリータプリンセス!」といって頬を向けた。<br /><br />彼女はおずおずと私の頬に近づいて軽くキスをしてくれた。<br /><br />「しまった!髭をそってなかった!」<br /><br />Estrellaちゃんが痛い思いをしなかったかなあと彼女の顔をみると<br />青く澄んだ瞳で私の顔をじっと見つめているので安心した。<br /><br />この女の子を見ていると私の孫娘達を思い出した。<br /><br />日本に帰ったら、また一所懸命可愛がってあげようと思った。

    3人でしばらく歩いているとUtergaの村が見えてきた。

    私がここのアルベルゲに泊まると言うと彼らはこの村から
    3キロ程先にある村のホテルを予約しているとのことだ。

    もう会えないかもしれないなと言いながら握手して別れた。
    (その後も何度も会うことになるのだが)

    村にはアルベルゲが二つあった。

    私は広い庭があって明るい雰囲気のアルベルゲに
    泊まることにした。

    入り口前のテラスでは何人かの人がテーブルを囲んで
    楽しそうに話している。

    「予約をしていないのですが泊まれますか?」と尋ねると
    若いセニョーラが

    「空いているからどのベッドでも泊まれるわよ。」
    と言う。

    感じの良いアルベルゲだ。

    食堂に入ろうとすると
    おばあちゃんに抱っこされた2歳くらいの
    可愛い小さな女の子が私をじっと見つめている。

    あんまり可愛いので作って持っていた千代紙のやっこさんを
    プレゼントした。

    彼女は興味深そうにさわっていた。

    セニョーラとチェクインの手続きをしていると

    おばあちゃんが女の子を抱っこして食堂に入ってきた。

    女の子がおばあちゃんの耳元に何かひそひそと囁いている。

    おばあちゃんが笑いながらお母さんのセニョーラに何か伝えている。

    セニョーラが私に笑いながら言うのには

    この娘が「Tomoと一緒に学校に行くんだと言っているよ。」
    と言う。

    「なんとかわいいんだ!」と思って

    「このセニョリータプリンセスの名前は何というのですか?」
    とセニョーラに聞くと

    「Estrella(星)というの。」と言う。

    「私達巡礼たちを導く”星ちゃん”ですね。」と言うと

    セニョーラはうれしそうに笑っていた。

    するとまたEstrellaちゃんがおばあちゃんの耳元で
    何かひそひそと囁いた。

    おばあちゃんがまた笑いながらお母さんに伝える。

    「この子がTomoのほっぺにキスをしたいと言っているけど。」
    と言う。

    私は「ありがとうセニョリータプリンセス!」といって頬を向けた。

    彼女はおずおずと私の頬に近づいて軽くキスをしてくれた。

    「しまった!髭をそってなかった!」

    Estrellaちゃんが痛い思いをしなかったかなあと彼女の顔をみると
    青く澄んだ瞳で私の顔をじっと見つめているので安心した。

    この女の子を見ていると私の孫娘達を思い出した。

    日本に帰ったら、また一所懸命可愛がってあげようと思った。

  • 夕方に食堂で夕食を頂いた。<br /><br />前菜の具だくさんの野菜スープ<br /><br />メインの肉料理<br /><br />デザートのアイスクリーム<br /><br />で10ユーロである(巡礼者料金)。<br /><br />ビール代は別<br /><br />でもお手頃な値段である。

    夕方に食堂で夕食を頂いた。

    前菜の具だくさんの野菜スープ

    メインの肉料理

    デザートのアイスクリーム

    で10ユーロである(巡礼者料金)。

    ビール代は別

    でもお手頃な値段である。

  • 夕食を食べているとお父さん(日系企業で働いている)が<br />Estrellaちゃんを抱っこして私に<br />「彼女はもうお休みの時間だが寝る前にTomoに<br /> お休みのキスをしたいと言っているけど良いかなあ。」<br />と言う。<br /><br />「もちろんです!」と答えてEstrellaちゃんに可愛いキスをしてもらった。<br /><br />彼女は私に何を感じたのだろう。<br /><br />彼女との出逢いにも深い意味があるように思った。

    夕食を食べているとお父さん(日系企業で働いている)が
    Estrellaちゃんを抱っこして私に
    「彼女はもうお休みの時間だが寝る前にTomoに
     お休みのキスをしたいと言っているけど良いかなあ。」
    と言う。

    「もちろんです!」と答えてEstrellaちゃんに可愛いキスをしてもらった。

    彼女は私に何を感じたのだろう。

    彼女との出逢いにも深い意味があるように思った。

  • 私の好きな言葉があるので紹介したい。<br /><br />ヴィクトール・エミール・フランクル(※)の言葉<br /><br />※オーストリアの精神科医<br /> ユダヤ人である彼の強制収容所の体験をまとめた名著<br /> 「夜と霧」(原題『ある心理学者の強制収容所体験』)<br /> は有名である。<br /><br />「どんな時も、人生には、意味がある。<br /> なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。<br /> この人生のどこかに、あなたを必要とする”何か”があり、<br /> あなたを必要とする”誰か”がいる。<br /> そしてその”何か”や”誰かは”は、<br /> あなたに発見されるのを”待って”いる。」<br /><br />Estrellaちゃんとの出逢いはこの言葉に<br />関係しているかもしれない。<br /><br />すべての出逢いに何かの意味が隠されている<br />ように感じた1日であった。<br /><br /><br />明日は更に新しい出逢いがあった。<br />次回はこの出逢いと祭りについて報告します。

    私の好きな言葉があるので紹介したい。

    ヴィクトール・エミール・フランクル(※)の言葉

    ※オーストリアの精神科医
     ユダヤ人である彼の強制収容所の体験をまとめた名著
     「夜と霧」(原題『ある心理学者の強制収容所体験』)
     は有名である。

    「どんな時も、人生には、意味がある。
     なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
     この人生のどこかに、あなたを必要とする”何か”があり、
     あなたを必要とする”誰か”がいる。
     そしてその”何か”や”誰かは”は、
     あなたに発見されるのを”待って”いる。」

    Estrellaちゃんとの出逢いはこの言葉に
    関係しているかもしれない。

    すべての出逢いに何かの意味が隠されている
    ように感じた1日であった。


    明日は更に新しい出逢いがあった。
    次回はこの出逢いと祭りについて報告します。

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この旅行記へのコメント (4)

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  • kuniさん 2017/03/19 11:24:59
    再度読ませていただきました。
    2013tomoさん、こんにちは。

    コメント投稿にご返信ありがとうございました。
    返信いただいた、

    「どんな時も、人生には、意味がある。
     なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
     この人生のどこかに、あなたを必要とする”何か”があり、
     あなたを必要とする”誰か”がいる。
     そしてその”何か”や”誰かは”は、
     あなたに発見されるのを”待って”いる。」

    を、こちらの旅行記であらためて読ませていただきました。
    とても励まされる言葉であることを感じ、自分には前向きな考えを持つ意味を伝えていただいたように思いました。

    2013tomoさんの旅行記は、小説のように心に響くものがあり、でも小説のように難しくはなく、ライトノベルと言えば良いのでしょうか、そのまま本にして旅の友として持ち歩きたくなるように思いました。
    どちらかと言うと写真中心でみなさんの旅行記を拝見することが多いのですが、2013tomoさんの旅行記は読んでためになる旅行記だと思います。

    引き続き読ませていただきたく、僭越ながらフォローさせていただきました。
    どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。

    kuni

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2017/03/19 17:16:22
    RE: 再度読ませていただきました。
    > 2013tomoさん、こんにちは。
    >
    > コメント投稿にご返信ありがとうございました。
    > 返信いただいた、
    >
    > 「どんな時も、人生には、意味がある。
    >  なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
    >  この人生のどこかに、あなたを必要とする”何か”があり、
    >  あなたを必要とする”誰か”がいる。
    >  そしてその”何か”や”誰かは”は、
    >  あなたに発見されるのを”待って”いる。」
    >
    > を、こちらの旅行記であらためて読ませていただきました。
    > とても励まされる言葉であることを感じ、自分には前向きな考えを持つ意味を伝えていただいたように思いました。
    >
    > 2013tomoさんの旅行記は、小説のように心に響くものがあり、でも小説のように難しくはなく、ライトノベルと言えば良いのでしょうか、そのまま本にして旅の友として持ち歩きたくなるように思いました。
    > どちらかと言うと写真中心でみなさんの旅行記を拝見することが多いのですが、2013tomoさんの旅行記は読んでためになる旅行記だと思います。
    >
    > 引き続き読ませていただきたく、僭越ながらフォローさせていただきました。
    > どうぞ今後ともよろしくお願いいたします。
    >
    > kuni

    kuni様

    2013tomoです。

    励ましのお言葉を頂き大変恐縮しております。

    kuniさんのブログも拝読させて頂き私たちの旅の
    参考にさせて頂きます。

    お互いに充実した楽しい旅を続けましょう。

    ありがとうございました。
  • mistralさん 2015/09/03 10:31:45
    たましいの奏でた音色。
    2013tomoさん

    何度かtomoさんの旅行記にお邪魔させていただいてます。
    この旅行記で、コメントを残したかったのですが、すぐには言葉が思いつかず
    今朝になって浮かんできました。

    フランクルさんの言葉は、私も好きなものです。

    そのことと関連して、柳田邦男さんの本にあった文章が浮かんできました。
    大江さんの短編から、柳田さん流に解釈されたものです。

    たましいは目で見ることができない。
    楽器のようなもので、それ自体は普段は
    胸の奥で眠ったような状態でいるけれど、
    外から訪れたものの刺激で、美しい音を
    奏で、、、、奏でたたましい自身も、そのことを
    記憶する。

    というくだりの文章でした。
    きっと、二人のたましいが響きあって
    美しい音色を奏でたのでしょうね。
    おそらく、出逢う巡礼者の皆さんとも!

    mistral

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2015/09/03 11:40:19
    RE: たましいの奏でた音色。
    > mistral様

     Tomoです。

     いつもお便り頂き深く感謝いたします。

     初めてブログを書いています私にとって
     mistral様のお便りはとても勇気づけになります。

     私のすきな詩人・八木重吉(1898〜1927)の詩で「素朴な琴」が
     あります。

      この明るさのなかへ
      ひとつの素朴な琴をおけば
      秋の美くしさに耐えかねて
      琴はしずかに鳴りいだすだろう

     カミーノを巡礼していますと私の心が一歩一歩
     素朴になるように感じています。

     同じような心の状態の巡礼者と出逢うとお互いに心の琴が
     「共鳴」するのかもしれません。

     帰国して明日で一か月が経過いたしますが
     私の心の「琴」も
    「しずかに鳴りいだす」ことが段々と難しくなってきています。

     時々カミーノ(巡礼路)を思い出して心の琴を調律しなくては
     と思っています。

     明日(9/4)のブログが最終回になる予定です。

     明日は「人生の新しい出逢い」についても書く予定です。

     いつも本当にありがとうございます。
     
     これからも良いご旅行をされることをお祈り致します。
     




    2013tomoさん
    >
    > 何度かtomoさんの旅行記にお邪魔させていただいてます。
    > この旅行記で、コメントを残したかったのですが、すぐには言葉が思いつかず
    > 今朝になって浮かんできました。
    >
    > フランクルさんの言葉は、私も好きなものです。
    >
    > そのことと関連して、柳田邦男さんの本にあった文章が浮かんできました。
    > 大江さんの短編から、柳田さん流に解釈されたものです。
    >
    > たましいは目で見ることができない。
    > 楽器のようなもので、それ自体は普段は
    > 胸の奥で眠ったような状態でいるけれど、
    > 外から訪れたものの刺激で、美しい音を
    > 奏で、、、、奏でたたましい自身も、そのことを
    > 記憶する。
    >
    > というくだりの文章でした。
    > きっと、二人のたましいが響きあって
    > 美しい音色を奏でたのでしょうね。
    > おそらく、出逢う巡礼者の皆さんとも!
    >
    > mistral
    >
    >

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