2015/06/01 - 2015/06/01
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captainfutureさん
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2015年6月1日(月)
ポイエニレ・イゼイ村4日目。 ボグダン・ボーダ村の動物市が、今日は聖霊降臨祭 翌日で開かれず。 代わりに宿のおじさんが隣村の教会行事に行くので、一緒に連れて行ってくれた。
1L ≒ \30
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 徒歩
PR
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今回の宿泊ルート:
2015年 5/20 成田、カタール、ブカレスト → /22 シク村 → /27 シゲット・マルマツィエイ → /29 ポイエニレ・イゼイ村 → 6/4 オクナ・シュガタク→ /8 クルージュ・ナポカ → /14 ブカレスト、カタール → /15 成田
上記を拠点に、周辺の村を訪問。 ピンク色がマラムレシュ地方。 -
(上)壺入りの牛乳、味が濃くて美味しく、毎朝飲み干していた。 朝から果実蒸留酒ホリンカを勧めてくれるが、搾りたての濃い牛乳が最高。
(下)9:20、息子のコンスタンチンさんの運転でグリゴーレおじさんとその友人とで出発。 -
(下)隣村のシエウ村に入った。
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(上)皆教会に行くのか、伝統衣装の人々が段々増えてくる。
(下)この地方独特の羊毛のベスト -
15分後の 9:35、シエウ村の木造教会前に到着。 息子さんが車で迎えに来てくれるので、ここに13:00に集合とのこと。
1760年築のルーマニア正教木造教会。 これから行く新教会が1998年に出来るまでの約240年間、村で大事に使われていたという。 この地方共通のモミの木製。
https://ro.wikipedia.org/wiki/Biserica_de_lemn_din_%C8%98ieu -
村の小中学校前
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おじさん(右)の後ろを付いていく。
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このコウノトリの巣の角を曲がると、
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新教会(1998年築)が見えて来た。
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教会前ではイコンに接吻して寄進する姿やロウソクを買い求める姿。
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(上)広場では十字架をかざしながら説教中の神父。 (下)その隣では昨日会った我がポイエニ村の神学校生ユワンヌ君がアカペラで讃美歌。
今日はハラム(HRAM、守護聖人の一人らしい)という行事とのこと。
近隣の村々からも大勢が集まっているよう。 -
神父のエプロンの下に、人々が跪き始めた。
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同上
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2つ先のストルムトゥラ村からという兄弟。 腕回りも見せてくれた。 後ろのお婆さんに住所を渡され孫の写真を送るよう頼まれる。
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玄関テラスでは神父が集まって儀式、右には聖歌隊。
近隣の村々の神父も参加しているよう。 -
神父たちの朗々とした声が周囲に響く。 世話役の人がもっと近づいて撮るよう促してくれた。
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お言葉に甘えて、無音設定でそっと望遠で。
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(上)ここにもユワンヌ君(右から3人目)ら、ポイエニ村からの加勢の人々。
(下)両手を組んで祈りのポーズ。 パキスタンのモスクで、人々が両手でお椀を持つ祈りのポーズを取ってくれた事を思い出す。 -
側では伝統衣装で決めた聖歌隊がアカペラで歌い上げている。
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ビーズ刺繍のズガルダン姿のユワンヌ君が何かを宣誓。
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足下も「オピンチ(一枚皮の靴)」で決めたお婆さん。
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墓場になっている丘の中腹から見守っている人々。 登ってみることに。
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シエウ村が見渡せて気持ちいい。
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結構日差しが厳しい。
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(下)右の奥さんはまだ健在のよう。
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積み藁の前で。
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お婆さんに連れられて。
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(下)グリゴーレおじさん(中央)見つけた。 帽子を取って聞き入っている。 左は今夕、ポイエニ村でお邪魔したムンティーンさん。
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まだ正面玄関からは神父の朗々とした声が辺りに響き、儀式中。 そっと裏口から教会へ。
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ここも、みやこうせい著本にもあったマラムレシュの人々が最も好む青色が基調。 静けさ、平和、神のまします天空を象徴しているという。 無音設定でそっと撮らせてもらう。
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遠くには正教会独特のイコノスタシス(イコンの壁)。
奥が主祭壇を安置する聖職者専用の「至聖所」、手前が信者が祈祷する「聖所」。 -
荘厳な雰囲気。 お爺さんお婆さんに連れられた孫、が多い感じ。
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(上)人々が接吻するイコンと十字架。
(下)「素晴らしい聖水。 畏敬の念と共に、空腹時に飲んで下さい。」(グーグル翻訳)。 私も一杯頂く。 -
玄関ホールから儀式を見守る。
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11:30、佳境に入ったよう。 ここでもお言葉に甘えて、無音設定でそっと撮らせてもらう。
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次々と運ばれるパンの欠片の盥。 一つ二つ取り出しては戻す儀式。
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玄関ロビー。 神父の言葉に皆一斉に 立ち上がったり、跪いたり。
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玄関ロビー
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同上
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またまた世話役の人が、もっと前に出て撮りなさいと気遣ってくれる。 こんな至近距離でと恐縮しながら、身を屈めてそっと撮らせてもらう。
朗読者と聖歌隊が呼応して美しいハーモニー(2分34秒)https://youtu.be/UKLL1624l9Q -
同上
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唱和しながらテーブルの回りを回り出した。
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同上
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終盤に入ったよう。 様々な聖器物に一つ一つ儀式をして、教会奥へ仕舞いに行くよう。
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仕舞っては戻るを繰り返している。
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壁にも様々な聖人の姿
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正教会独特の四角い被り物
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ビーズ刺繍が施されたカマーシャ(シャツ)とパラリエ(麦わら帽子)、たすき掛けのバックで正装した少年と、その家族。
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聖書の一説だろうか。 どっちを向いてもキラキラ輝いている。
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沢山の聖人と天使に囲まれたルーマニア正教の神様
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棒の先に吊るされた「のぼり」もあちこちに。
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儀式は終わったよう。
広場に下りて来た神父の前に、親に連れられた子供が集まっている。 -
今度は何かを唱えながら、順番にスプーンで何かを口に入れてあげている。
私もしゃがんで大口を開けて横で待っていたが、小さな子供限定とのこと。 -
先程まで儀式が行われていた玄関にて。
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何か相談中。
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儀式も無事終了。
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今度はあちらに人垣が。
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神父の朗々とした声が響き渡る中、ワインを挟んでロウソクを立てたドーナツ状のパンを皆で一緒に持ち、上下に揺らしている。
これは翌日の葬式でも見かけた。 何の意味があるんだろう。 -
これで全ての儀式が終了したよう。
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(下)神父が何かを唱えながら振り回していた、チェーン付き振り香炉。 お香を炭で焚き、いい香りがそこら中に漂う。
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再び玄関ロビーへ。
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聖水と書かれた容器から、一杯すくって差し出してくれた。
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神父の手にはスティック状のバラの香りの聖水。 2L(\60)入れて私も額に付けてもらった。
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門の外では地元の人がお祝いの昼食中。
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サルマーレ(ルーマニア風ロールキャベツ)をご馳走して頂いた。 家庭料理は美味しい。
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路地に並んだイコンの数々
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店番をつとめる修道女。 礼拝者が真剣な表情で、どの聖人の表紙の冊子にするか選んでいる。
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表通りへ。 テーブルでは粋にこの地方伝統のベストを半分にして肩に引っ掛けている。
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良く見かける 1718年創業国産 Timisoara ビール
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礼拝を終えた人で一杯。 いい雰囲気。
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表通りにて
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皆、礼拝からの帰りの様。
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午前中にも通った学校と木造教会
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1998年までの約240年間使われた、1760年築のモミの木で造られた教会。
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ベンチには同じ宿の女性4人組。 いつの間にか来ていたよう。
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13:40、グリゴーレおじさんと無事合流し、コンスタンチンさんの運転で宿へ。
ルーマニア語とはこんな感じ。(1分25秒)
https://youtu.be/gfIN9GYbh8U -
(上)左からグリゴーレおじさん、マリアおばさん、同乗した同じ村の人。 おじさんの手には孫のダーリュース君への土産。
(下)昼食。 ここでもサルマーレ(ルーマニア風ロールキャベツ)。 -
午後は、22年振りにこの村のルーマニア正教木造教会へ。
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定点観測
(上)この教会だけは当時と変わらず。 通りには舗装用砂利。 村もまだ一番大きな通り以外はまだ未舗装。
(下)1993年。 前列、私から左へ3人目に宿のマリアおばさんが写っていた。 -
早速くぐってみる。
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結構な急勾配。 当時は一枚皮靴のオピンチ姿のお年寄りも沢山集まっていた。
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1700年築。 今や1999年に「マラムレシュの木造聖堂群」として登録された世界遺産。
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定点観測。
(上)当時には無かった「あづまや」。 翌日は葬式の食事会会場に。
(下)1993年当時はまだ新教会も建設中。 -
あれから墓が増え、空き地が狭くなっていた。 石畳もまだ無く、あの日は朝もやで道もぬかるみ大変だった。
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(上)入口。 摩擦で剥げ掛けた絵に、ここで村人が跪いて熱心に手や額を当て祈った姿が伺える。
1994年に役割が新教会に移るまでの約300年間、村人の心のよりどころ。
(下)当時はまだ現役だった、小槌でポコポコ鳴らしていた木の板。 -
『 ルーマニア正教、ルーマニアゴシックのポイエニの教会は、全体の形がモミの木を象徴。 土台はナラで、それ以外は全てモミの木製。 教会の東の奥は至聖所で、イコンの壁(イコノスタシス、華やか。)で教会本堂(祈りを捧げる聖堂)と区別している。 教会本堂は更に二つに分かれていて、男は前方(ナオス)、女は後方(プロナオス)で祈りを捧げる。 2階には合唱隊の席。 収容人数は200人。 入りきれない時は、教会のぐるりを壁に沿って取り囲み祈る。 信者は日曜ごとに1レイ(13円)か3レイのコインを喜捨し、説教台に近づいて片膝を落とし、台の上の年代物の木の聖画像(イコン)に口づけをする。 そして傍らの金属の手持ちの十字架にも唇を当てる。』(みやこうせい著「羊とモミの木の歌」より)
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木の温もりを感じる。
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(上)この右の”一等地”には1989年に49歳で急死した先代イリエシュ神父の墓があったが、新教会に移されたという。
(下)ぐるりに掲げられた絵もそのまま。 -
鍵が掛かっているので、窓から。
翌日は鍵が開いていて見学できたが、顔馴染みになった案内係もどうしても写真だけはX。 神父に厳しく叱られると手振り。
https://ro.wikipedia.org/wiki/Biserica_de_lemn_din_Poienile_Izei -
定点観測(2015年)。 当時はどこも未舗装で、雨が降るとあちこちに大きな水溜り。
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定点観測(1993年)
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ここからは、1993年8月29日 聖母被昇天祭の様子
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(上)入口テラス前。
(下)テラスには儀式で使われる、ロウソクを立てた大きなパンが並び、スタンバイ。
間もなく、入口前の木の板を木槌でポコポコ鳴らして、儀式開始。 -
上手く撮れていないが、天井の木壁までにも聖書の場面がびっしりと描かれていた。
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祭壇のある奥の部屋は男性礼拝室
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こちらは女性礼拝室。 この男性も亡くなっていた。
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地獄絵や悪魔に誘惑される人間の絵など。
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10:00開始で12:30頃まで続いた。
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最初の1時間くらいは教会内で、後半は屋外。
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この年はこの教会最後の聖母被昇天祭だった。
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『教会の収容人数は詰めて200人だが、こうなると人いきれ、蝋燭、香の匂いが混じって熱気にむせそうになる。 中に入りきれなかった人々は教会のぐるりを壁に沿って取り囲み、思い思いのスタイルで立って祈りを捧げることになる、 なお人々の聖堂で祈りを捧げる場所は各々先祖代々決まっている。 教会の外でもそれは変わらない。』( みやこうせい著「羊と樅の木の歌」P.114 )
下 : 後ろは聖歌隊。 -
昨日の聖霊降臨祭でのイオアン神父も若い。 当時25歳、先代が亡くなって急きょ跡を継いで3年目の頃。
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今はこの辺りも墓で埋まり、空き地で無くなっていた。
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聖母被昇天祭のクライマックス
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12:30頃、閉会。 新教会はまだ工事中。
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三々五々、帰路へ。
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同じく木葺の入口にて。 以上、当時の写真終わり。
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木造教会ではポーランドからの旅行者(ナンバープレート左端にPL)から、興味深い話を聞く。 この地方には、ハンガリー人村、ウクライナ人村の他に3つのポーランド人村があるという。 あのビエリチカ岩塩坑から技術者が住み着いた村。 現在のウクライナとの国境は以前はポーランドとの国境だった。 戦後、ウクライナ領となったポーランド人村の人はスターリンによりカザフスタンへ強制移住させられたが、ぎりぎりルーマニア領となった所はそれから逃れる事ができ、現在のポーランドよりポーランドらしいフォークロアが良く残った地域になっているという。 次回は是非訪れてみたい。
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18:30。 まだ日が高いので、当時まだ神父宅にも無かった貴重なシャワーを貸してくれたムンティーンさん宅へ行ってみることに。
(上)「神に祈りましょう」「そうしましょう」の挨拶後、少し座っていきなさい、と手振り。
(下)どんどん村外れになっていく。 -
道祖神
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伝統的な板葺きの、いい感じのお宅。
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(上)声を掛けてみると、お宅を見せてくれるという。 このお宅でも「コウセイ ミヤ」の名前を聞く。 「ススム マツモト」さんに続き、私は3人目の日本人とのこと。
(下)ここも青色の壁に神様の絵や飾り皿、刺繍が施された壁掛け。 -
(上)機織り機! この地方伝統の柄。 翌日の神父もこの柄のバッグを肩に。 織っている現場を見ることができ、感激。
(下)お婆さんといつまでもお元気で。 -
(上)更に進むと、昨日バーで会った村人。 近道をしたのか、横の山の中から出て来た。
(下)幸せが舞い込んでくると信じられている、食器が差された賑やかな木。 -
ムンティーンさん宅は村外れでエラク遠かったことは覚えているが、まだまだ先という。
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(上)村の入口の看板がある、ホントに村外れまで出て来た。
(下)聞くと、このお宅という! 寄り道しながら来たのでテクテク歩いて1時間後の19:30。 -
(上)当時既に郵送済みだが、お礼に撮った写真を再度渡す。 誰とも言葉は通じないが、この写真で全てを理解してもらえ、まずは歓迎のホリンカ(52度!)。
(下)左がムンティーンさん夫婦、右端は午前中シエウ村の教会で会ったおじさんで、向かいに住む彼の兄弟だった。 -
(上)当時撮った娘さんが外出先から帰って来た。 今は二人の娘のお母さん。
(下)向かいの兄弟の方の家が、当時撮った場所。
私と村のバーでたまたま同席、快く助けてくれたのはムンティーンさんの兄弟のどちらだったのか分からなくなってきたが、今となってはお二人に感謝。 でもせめて少しでも言葉が通じれば。。。 -
(上)そこに行って再び定点観測。 家族が大笑い。
(下)左がこの娘さん。 右は私の宿のアニーさん姉妹と。 アニーさんの実家はこの近くで、仲良しだったらしい。
当時は8月なのに毎日吐く息も白くなる程寒かった。 おじさんがわざわざ神父宅まで当時は珍しい自家用車(ダチア製)で迎えに来てくれて、井戸からバケツでタンクを満杯にし、薪をくべて湯を沸かしシャワーを用意してくれた。 帰りは四頭立て馬車をヒッチして神父宅へ帰宅。 日記を振り返ると、ずうずうしくも2日後にも使わせてもらっていた。 -
皆さんとお別れし、帰路へ。
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そこへ畑仕事を終えて帰宅準備中のおばさん。 中心地まで同乗させてもらえる事に。
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21:00、宿に到着。 夕食ではグリゴーレおじさんがホリンカを振舞ってくれた。
明日は隣村へ散策予定だったが、マリアおばさんが、丘の上でクローチェ(十字架)の祭礼がある事を教えてくれる。 勧めてくれるのでそちらに行ってみることにした。
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