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2015年 祝 イタリア美術館写真撮影解禁 フィレンツェ・ウフィッツィ美術館 追記 2016年秋の写真も追加しました

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    旅行時期 2015/07/27 - 2015/08/02 (2015/08/15投稿

    長い間、イタリアの美術館は写真撮影が禁止されていました。
    ところが2014年秋、なんと!イタリアの美術館中で写真撮影が解禁されたのです!(いろいろ例外もあるようですが)
    これは行くっきゃない!
    そう思って急遽、マルタ旅行からイタリア旅行に変更することにしました。

    行ってビックリ!ほとんどの美術館、教会で写真撮影が解禁されていました。
    もう涙ちょちょ切れる程の感動でした。

    まずはフィレンツェのウフィッツィ美術館から。
    ウフィッツィでは写真、ビデオ共に大丈夫でした。

    追記
    2016年秋に再びウフィッツィ美術館を訪れたので写真を追加、または変更しました。
    鮮明な写真は2016年のもの、あまりよくないものは2015年に撮ったのものです。

    写真 120枚

    エリア:
    イタリア > トスカーナ州 > フィレンツェ
    エリアの満足度:
    評価なし
    • まずは朝早くのウフィッツィ美術館です。
      コの字型の形の建物です。
      ウフィッツィはオフィスの意味です。

    • ウフィッツィ美術館からのヴェッキオ宮です。
      ウフィッツィ美術館は工事中です。

    • 建物を支える柱の中にフィレンツェを代表する有名人物の彫刻が。

      この方はロレンツォ豪華王です。
      名前をロレンツォ・メディチ。
      フィレンツェが最高に繁栄していた時の僭主です。
      当時フィレンツェは共和制でしたが、この人が裏で総てを取り仕切っていたました。
      決して民衆の敵にならないよう、慎重に、贅沢を避け、支配していることを悟られないように、しかししっかりとフィレンツェの政治を治めいました。
      それがこの当時のメディチ家の家訓と言っていいでしょう。

      そしてこの方がフィレンツェのルネサンスを後押ししたと言っても過言ではありません。
      ヴェロッキオ、ボッティチェリ、ギルランダイオ、フィリピーノ・リッピ、ペルジーノ・・・
      そしてレオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロもこの人のおかげで芸術家になれたと言っても過言ではないでしょう。

      フィレンツェにとって不幸だったのは、この人があまりに偉大で短命だったことですね。
      この人の死後、怪僧サヴォナローラが神聖政治を引き、フィレンツェはあっという間に二流国になり、芸術もすたれてしまいました。

      そして紆余曲折を経て、スペインの後押しで、再びメディチ家が今度は完全に専制君主として、フィレンツェに君臨することになります。
      けれども完全にスペインの傀儡の王で、フィレンツェは二流国に堕ち、かつての輝きを取り戻すことはありませんでした。

    • やはり柱の中の彫刻、マキアヴェリ。

      ロレンツォ豪華王、サヴォナローラの後、フィレンツェが完全共和制になった時、フィレンツェの政庁に書記として務め、一種の大使としての役目も担ってきました。
      その時にチェーザレ・ボルジアを知り、イタリア統一に必要な人間だと思い、「君主論」を書きあげました。

    • 「デカメロン」の著者ボッカチオもフィレンツェの人。
      ロレンツォ豪華王よりおよそ100年前の人です。

    • そのボッカチオよりさらに50年ほど前の人、ダンテ。
      「神曲」で有名です。
      この「神曲」というタイトル、もとはただの「戯曲」だったそうですが、それに「神聖なる」という冠辞をつけた「神曲」の名前を定着させたのがボッカチオだったそうです。

      ダンテはフィレンツェ生まれでしたが、後にフィレンツェを追放されラヴェンナで亡くなったそうです。
      そのため、ダンテのお墓はラヴェンナにあります。

    • フィレンツェ市はラヴェンナに遺骨の返還を要求したそうですが、ラヴェンナはそれに応じていないそうです。

      そのためか、フィレンツェにはダンテの肖像画がいっぱいあります。
      これはウフィッツィ美術館にあったダンテの肖像。

    • これはドゥオーモにあった、ダンテの肖像画。

      教皇派と自治派の対立で(ダンテは自治派)永久追放された(しかも戻ってくれば焚刑)ダンテですから、何を今さらと思っているかもしれません。

    • そして柱に飾られた黒隊のジョヴァンニの彫刻。

      この人はフィレンツェの歴史史上でも非常に大事な人物かもしれません。

      母親はフォルリの女主人カトリーナ・スフォルッツァです。
      イタリアの歴史上最大の女丈夫です。
      子供を人質にして、部下を説得するからと言って自分の城に帰りそのまま出てこなかったというとんでもない女性。
      怒った敵が「裏切ったな!カトリーナ!出てこないと子供を殺すぞ!」と言った所、スカートをめくって
      「ばあか!これがあればこの先子供なんていくらでも作れるわ!」
      と啖呵を切ったという、あっぱれと言うか、母親の風上にも置けないと言うか・・・・(結局、子供は全員助かったそうですが・・・)
      好きな男が殺されると、殺した人間の一族郎党を皆殺しするし、チェーザレ・ボルジアと互角に戦うと言う、とにかくすごい女性です。

      そのカトリーナがメディチ家一の美男と言われた、ジョヴァンニ・メディチ(傍系の人です。レオ10世とは別人)と結婚して生まれたのがこの人です。

    • 黒隊のジョヴァンニとその妻マリア・サルヴィアーティ。
      ウフィッツィ美術館の廊下に展示していました。

      そんなカトリーナの息子ですから、この人もエピソードに事欠きません。
      妻のマリア・サルヴィアーティが独り息子を二階であやしているのを見たジョヴァンニは下から、「おーい!その子を俺のところに投げろよ!」と言ったそうです。
      あまりにも何度も言われて仕方なくマリアが赤ん坊を窓から投げると、ちゃんと受け取って、「男の子はこれくらいじゃなくてはいかん」と言ったとか。

      そんな人間でしたから、メディチ家の厄介者でいつも不良仲間とつるんでいたそうです。
      そんな彼を何故か気に入ったのが、教皇レオ10世。(ロレンツォ豪華王の次男)
      ずっと自分の親衛隊として雇い、可愛がったそうです。
      それをジョヴァンニも恩義として、レオ10世の亡くなった後、ずっと哀悼の意を表して黒帯をつけていたそうです。

    • これはピッティ宮殿のパラティーナ美術館にあった、黒隊のジョヴァンニの肖像です。

      この人のエピソードで一番すごいのが、スペインとの戦争でマントヴァ近郊で負傷し、片足を切ると言う手術の時、手術の間中自ら燭台を掲げていたと言う話です。
      まさしく三国志の関羽もびっくり(腕の手術中、酒を飲みながら囲碁を指していた)のエピソードです。
      しかしさしもの気丈なジョヴァンニも、怪我には勝てず、この傷がもとで敗血症で亡くなってしまいます。
      この人が生きていれば、後のスペイン軍(と言うかスペインに雇われたドイツのプロテスタント傭兵)によるローマ略奪もなかったかもしれないと言われています。

      と、あまり恵まれた人生ではありませんでしたが、運命のいたずらでこの人の一人息子のコジモがスペインの後押しで後のフィレンツェ王(トスカーナ大公という呼び名ですが)コジモ一世となります。

    • 前置きが長くなりましたが、さあ、美術館に入りましょう。

      美術館には8時前から並びましたのでほぼ一番乗りが出来ました。
      ウフィッツィ美術館とアカデミア美術館だけはフィレンツェカードか予約入場が必須と言えるでしょう。(特にアカデミア美術館は小さいだけになかなか列が進みませんし、8時にはかなりの行列が出来ていました)
      今回は2日半の時間がありましたので、フィレンツェカードを購入しました。(結果、しっかり元が取れました)

      まずはルネッサンスの曙、チマブーエの聖母子像です。
      (実は先にボッティチェリ、ダ・ヴィンチ、ミケランジェロの部屋行っているのですが・・・・)

    • まだビザンティン絵画の名残がありますが、背景に人物を入れることによって遠近感と厚みを出しています。
      1280年ころの作品。

    • そして、それからやや過ぎた頃、1285年頃のドゥッチョの聖母子像です。

    • さらに遠近感と厚みが増した様な感じです。

    • そして天才ジョットの聖母子像。
      1340年頃の作品です。

    • イチオシ

      もう平面的な感じが一切しません。
      この人の登場によって一気に絵画界は前進したような気がします。

    • こちらはシエナ派のシモーネ・マルティニの受胎告知。
      1333年の作品。
      ジョットの前述の作品と同じ頃の作品なのに、ジョットに比べて平面的です。
      ジョットの天才ぶりが判ります。

    • 天使の口から光線が出ているようですが、これは文字のようです。
      言わば漫画の吹き出しみたいなものらしいです。
      聖母マリアが思いっきり顔をしかめているのが面白いです。

    • そして1400年代に出てきた天才がマザッチョです。
      遠近法を完璧に完成させました。
      サンタ・マリア・デル・カルミネ教会のブランカッチ礼拝堂のフレスコ画は1430年ころに描かれたとは思えない素晴らしさでした。

      これはマゾリーノと共作の板絵です。
      聖母子と聖アンナ。
      1424年頃の作品。

    • こちらは同じマザッチョの「聖母子」です。

    • 生涯、遠近法に固執したパオロ・ウッチェロの「サン・ロマーノの戦い」。
      1440年頃の作品。

      あまりに遠近法に固執しすぎて、不自然すぎる色使いや、想像力のなさが批判されているみたいです。

    • サンロマーノの戦いとはフィレンツェ軍とシエナ軍の戦いだったようです。
      フィレンツェが勝利したそうです。

      この絵は三部作であと二つはルーブルとロンドンのナショナルギャラリーにあります。

      映画「眺めのいい部屋」でもナショナルギャラリーの「サンロマーノの戦い」の絵の前で、ダニエル・デイ・ルイスとジュリアン・サンズが出会うシーンがありました。

    • そしてフィリッポ・リッピです。
      「幼子キリストの礼拝」
      1455年ころの作品です。

      リッピはボッティチェリの師匠です。

    • 同じくフィリッポ・リッピの「幼子キリストの礼拝」
      1463年頃の作品。

    • そしてフィリッポ・リッピの代表作ともいえる、「聖母子と天使」。
      1465年作品です。
      フィリッポ・リッピは破戒僧で女性問題を何度も起こし、その度にメディチ家に取りなされています。
      最後に修道女に手を出し、子供を産ませてしまい、大スキャンダルになっています。
      この時その時のメディチ家の当主コジモ(老コジモと呼ばれています)の力で還俗し、彼女と結婚しています。
      その修道女ルクレチア画この絵の聖母マリアのモデルだそうです。

      そしてそんな経歴のせいか、フィリッポ・リッピは女性の絵は素晴らしいのですが、肝心の幼子キリストが可愛くないのです。
      が、このキリストを支える天使の可愛さは彼にしては珍しいです。

    • と思ったら、なんとこの天使のモデルは、この時生まれた息子のフィリピーノだそうです。
      50を過ぎて出来た我が子。
      目に入れても痛くないほど可愛かったのでしょうね。

      このフィリピーノも後に画家になります。
      フィリピーノが12の歳にフィリッポが亡くなり、フィリピーノは父親の弟子だったボッティチェリの弟子となります。

    • 同じ部屋に飾られた息子フィリピーノ・リッピの「マギの礼拝」。
      1496年頃の作品。
      ボッティチェリの影響を受けていることがよくわかります。

      そんな中途半端なところがあるからか、あまり高い評価を受けていませんが、自分はかなり好きな画家です。

    • その後、ヴェロッキオが台頭してきますが、そのヴェロッキオ工房とライバル関係にあったポライオーロ工房(兄弟で経営していました)で描かれた「女性の横顔の肖像」。
      1480年頃の作品。

    • フィレンツェそばのアレッツォ生まれのピエロ・デッラ・フランチェスカの描いた、「ウルビーノ公夫妻の肖像画」。1470年頃の作品です。
      ウルビーノ公フェデリコ・モンテフェルトロは右の顔に傷があったため、左側しか描かせなかったようです。
      この絵ではちょっと判りませんが、奥さんのバティスタは二度目の妻で24歳も年下でした。

      このフェデリコ、この絵では気難しい小父さんにしか見えませんが、実際は名君でウルビーノの町は夜でも気軽に歩くことが出来たイタリア唯一の町だったそうです。
      小さな国だったのでフェデリコ自身が傭兵をやって生活を支えたそうです。
      芸術にも関心があり、この絵の他ミラノのブレラ絵画館にもやはりピエロ・デッラ・フランチェスカに描かせた祭壇画があります。

    • ウルビーノ公夫妻の肖像の裏の絵です。

      当時のウルビーノの風景が描かれているそうです。

    • そしてその一人息子がこのグイドヴァルト・モンテフェルトロ。
      ラファエロが1507年に描いています。
      ラファエロはウルビーノ出身ですから、まだそんな高額な金額ではなかったと思います。

      お父さんと違っていかにも貴公子然とした風貌で気が弱そうな感じです。
      見てくれの通り、ボルジアの兄弟に酷い目にあわされています。

      傭兵としてホアン・ボルジアと一緒に戦った時は戦場に置き去りにされ、チェーザレ・ボルジアには騙されて国を乗っ取られています。
      それでも復讐することなく、ただ運命に流されるだけの気が弱く人の良い人です。
      最後はチェーザレの失脚のおかげで弄することなくまたウルビーノの当主として復活します。
      ただし、病弱でその後すぐ亡くなってしまうのが可哀そうです。

    • そのグイドヴァルドの奥さん、エリザベータ・ゴンザーガ。
      マントヴァ公の娘です。
      イザベラ・デステは義理の姉妹になります。
      やはりラファエロによる1505年ころの肖像画。
      何かうーん、って感じです(笑)。
      この貫録。夫婦と言うより親子でもおかしくないって感じです。

      この二人、子供が出来なかったので、ユリウス二世の甥のフランチェスコ・マリア・ローヴェレを養子に迎えています。(グイドヴァルドの姉の子なので、彼ら達からしても甥になるようです)

    • ラファエロの描いた「ユリウス二世」

      晩年でかなり弱っていますが、気難しく、意志の強そうな所は消えていません。
      チェーザレ・ボルジアの最大・最強の敵です。
      ミケランジェロともやりあったし、イタリアを統一しようとして逆に没落させた張本人です。
      回りの人ほとんどから嫌われたほど喧嘩早くて気難しい人だったのに、ずっと御用画家を務めたラファエロは偉大だったと思います。

    • ユリウス2世の伯父さんに当たるのが、このシクトゥス4世。
      ティツィアーノの絵です。
      これも何かの模写だと思います。(多分、アントニアッツォ・ロマーノの「シクトゥス4世と甥」の模写ではないかと・・・・・)

      ロレンツォ豪華王の天敵です。
      ロレンツォを殺そうとしたパッツィの乱を裏で操っていた人物。
      システィーナ礼拝堂を作った人でもあります。

      伯父、甥、両方とも陰謀と戦争に明け暮れた人ですが、ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂とラファエロの間はこの二人がいなかったら無かったかもしれません。

    • これがティツィアーノの絵のもとになったと思われる、シクトゥス四世の肖像画です。
      バチカン美術館に所蔵されています。

    • そしてユリウス2世の甥でグイドヴァルドの後を継いでウルビーノ公になったフランチェスコ・マリア・ローヴェレの若き日の姿です。
      ラファエロの作品です。

      ユリウス2世が猫可愛がりしたようです。
      でも軍事的才能も政治的才能もなかったようです。

      ユリウス2世が亡くなると、メディチ家出身の教皇レオ10世に翻弄させられることになります。
      ウルビーノを取られたり、取りかえしたりの繰り返しになります。

    • でも、画家には恵まれたようで、ティツィアーノにも肖像画を描いてもらっています。
      中年になってからのフランチェスコ・マリア・ローヴェレの肖像画です。

    • そしてこれがフランチェスコ・マリア・ローヴェレの天敵、レオ10世の肖像画です。
      ラファエロが描きました。

      塩野七生さん曰く、「歴代教皇中、最年少で最も醜男」だそうです。
      また、ロレンツォ豪華王曰く「私には3人の息子がいる。長男は気が狂っていて、次男(レオ10世)は賢く、三男は善人だ」

      いい人そうに見えて、かなり腹黒く、金遣いも荒く、ともかく一筋縄ではいかない人です。
      ただ、父親(ロレンツォ豪華王)と同じで芸術に理解があり、ラファエロを大変に可愛がりました。
      あの気難しく反メディチ(と言うか共和制主義者)のミケランジェロに対しても金銭的援助を惜しまなかったようです。

      その左隣にいる人が、従兄弟のメディチ枢機卿(のちのクレメンス7世)です。
      パッツィの乱で殺されたロレンツォ豪華王の弟ジュリアーノの息子です。
      この人もかなりしたたかな人。
      姪をフランス王の王妃にした人です。
      その姪が有名なカトリーナ・ド・メディシスです。

    • 閑話休題です(どうも歴史の話になると熱くなってしまって行けません)

      ボッティチェリの部屋が44室に移動していました。
      朝一で行ったので、まだ係員以外観光客はおりません。

    • ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」
      1484年頃の作品です。

    • イチオシ

      ウフィッツィ美術館の至宝です。

    • ヴィーナスのモデルになったのは、フィレンツェ一の美女シモネッタ・ヴェスブッチと言われています。

    • この淡い色彩がステキです。
      ただ、この絵はテンペラ画という技法で描かれています。
      さらにはボッティチェリは生涯テンペラ画にこだわり続けました。
      テンペラ画はぼかしの技法がしにくいそうです。
      そのため、ボッティチェリはダヴィンチが完成したぼかしの技法を身に付けることは出来ませんでした。
      総て線で縁取られています。

    • 「ヴィーナスの誕生」と対面するように飾られている「春(プリマヴェーラ)」
      これも美しく、もう一つの至宝と言っていいでしょう。

    • イチオシ

      非常に美しい作品です。

    • 一番左にいるのがメルクリウスです。
      一説ではロレンツォ豪華王の弟でパッツィの乱の時に暗殺されたジュリアーノ・メディチがモデルと言われています。
      でも他のジュリアーノの肖像を見ると、これはあまりに美化され過ぎです。

    • そしてその隣で踊る三美神。

    • この三美神の一番右側の女性のモデルが、あのカトリーナ・スフォルッツァだという説があります。

    • これに関しては、酷薄そうな感じと言い、フォルリの美術館にあるカトリーナの肖像画と似ているような感じがします。

    • この女性がヴィーナスだと思っていましたが、これは春の女神フローラです。

    • ヴィーナスは真ん中の女性です。
      ポーズや体のかたむけ方が何か東洋的な感じがします。
      インドの女神や観音様もこんなポーズを取っていたような・・・・

    • その隣にある、「東方三賢王の礼拝」
      当時のフィレンツェの名士が勢ぞろいしている画です。

    • 聖母マリアの左にいて、幼児イエスを礼拝している老人は老コジモ(ロレンツォ豪華王の祖父)
      その右下の赤いマントを着た男がピエロ・メディチ(ロレンツォ豪華王の父親)です。

    • 一番左、馬の隣の人物がパッツィの乱で殺されたジュリアーノ・メディチ。
      その肩にもたれかかっている人物が詩人のポリツィアーノ。
      その右にいるのが哲学者のピコ・デッラ・ミランドラだそうです。
      2人ともロレンツォが主催していたプラトン・アカデミーの主要人物です。

    • そしてロレンツォ豪華王もしっかり描かれています。
      黒い服を着た横顔を見せた人物です。

      地球の歩き方の2015年判ではジュリアーノとロレンツォが逆になっています。
      が、ロレンツォの左下、左横を見ている人物をレオ10世と書いている時点でかなり怪しいです。
      なぜならこの絵の描かれたのが1475年頃。
      レオ10世はロレンツォの息子で、生まれたのが1475年の12月。
      この絵が描かれていた頃はまだロレンツォの奥さんの胎内にいたと思われます。

    • そしてボティッチェリの自画像もしっかり描かれています。

      ところでボティッチェリの本名はサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピと言うそうです。
      ボティッチェリはあだ名で「小さな樽」と言う意味です。
      これは彼のお兄さんが太っていたので「大きな樽」。
      その弟なので「小さな樽」と言う渾名だったみたいです。

      酷い話ですが、
      ヴェロネーゼは「ヴェローナ人」
      ペルジーノは「ペルージャ人」
      ティントレットは「染物屋の息子」
      ギルランダイオは「花飾り」
      レオナルド・ダ・ヴィンチは「ヴィンチ村のレオナルド」

      ティッツィアーノ、ラファエロ、ミケランジェロも全員苗字ではなく名前呼びされています。

      当時まだ画家の地位が低かった証明でしょうか?

    • ボッティチェリ、1482年の作品「パラスとケンタウルス」。

    • ボッティチェリ1480年頃の作品「聖母子と天使たち」。

    • ボッティチェリ、1487年頃の作品「聖母子と天使たち」

      このように美しい絵を描き続け向かうところ敵なしのボッティチェリでしたが、1492年にロレンツォ豪華王が43歳の若さで亡くなると精神的支柱を失い、ロレンツォとはまるで反対のカリスマ・サヴォナローラに傾倒し始めます。

      ロレンツォが精神の自由と美の称賛を推し進めたのに対して、サヴォナローラはキリストへの服従、質素、キリスト教以外の一切を否定したのです。
      当然ルネサンスも否定され、フィレンツェでは芸術の花が摘み取られてしまいました。

      おかげでボッティチェリもギリシア神話的なもの異教的なテーマで描かれた自分の作品に嫌悪を抱くようになりました。

      サヴォナローラが行った虚飾の償却では、自ら自分の描いた絵を焚火の中にくべてしまったとか・・・・

    • そしてその頃(1495年頃)に描かれたのがこの「誹謗」です。

      この絵は反サヴォナローラの人々への批判を込めて描かれたと言われています。
      でも、正直わけが判りません。(笑)
      絵は昔と変わらず優美なのに、描かれているテーマが真面目だけれど変なので、ヒステリックで気持ち悪いとさえ思える絵になってしまいました。
      狂信が人を狂わせるいい例だとも思えます。

      そして、信じていたサヴォナローラの「火の試練」での自滅による失脚。
      二度にわたって精神的支柱を失った(一度目はロレンツォ豪華王、二度目がサヴォナローラ)ボッティチェリの絶望はいかばかりであったか・・・・

      この後、ボッティチェリは昔のような作品を描くことが出来なくなり、1501年頃には完全に筆を折ってしまいました。
      そして貧困のうちに亡くなったと言われています。

    • そのボッティチェリがまだ若き日、一時工房を手伝っていたヴェロッキオの「キリストの洗礼」
      1472年頃の作品。

    • この絵で有名なのがこ左側の天使。
      レオナルド・ダ・ヴィンチの処女作と言われています。

      これを見たヴェロッキオはあまりの素晴らしい出来に、もう自分は絵画は描かないと言って、筆をおり、彫刻に専念したと言われています。

      また、右側の天使はボッティチェリの作とも言われています。

    • そのレオナルド・ダ・ヴィンチが1475年から1480年の間に描いた「受胎告知」

    • イチオシ

      既にぼかしの技法、空気遠近法なども駆使されています。

    • 右側、聖母マリアの部分です。
      本当に美しい。
      今回改めてダ・ヴィンチのファンになってしまいました。

      この人が絵画に専念していたら、どれほどの傑作群を残したかわかりませんが、ともかく天才過ぎて移り気だったため、残された絵画が非常に少ないのが残念です。

    • 左側、天使の部分です。

      チェーザレ・ボルジアの軍事顧問なんかもしていて、本当に多彩な人だなあと思います。

    • レオナルド・ダ・ヴィンチはヴェッキオ宮の五百人広間に「アンギアーリの戦い」のフレスコ画の注文を受けますが、途中で放棄してしまい、未完に終わります。(この時、共和国政府の使いで払った金額を返せとダ・ヴィンチに交渉したのがマキアヴェリ)
      その絵ともう片側のミケランジェロが依頼されたフレスコ画「カスチーナの戦い」の両方が完成していたら・・・・
      多分、ヴェッキオ宮はシスティーナ礼拝堂並みに人であふれていただろうと思うと返す返すも残念です。

    • イチオシ

      ミケランジェロの「トンドの聖家族」がある部屋です。
      奥に飾られているのが「トンドの聖家族」。

    • トンドの「聖家族」
      1507年頃の作品。

      トンドとは丸いと言う意味で、お祝いの時に贈答的意味合いで送られたものです。
      これはアニョーロ・ドーニが自身の結婚の時にミケランジェロに発注したものらしいです。
      ただ、さすがはフィレンツェ商人、完成時に値切ったとか。

    • これがそのアニョーロ・ドーニの肖像。
      ラファエロが同じ頃に描いています。
      パラティーナ美術館に展示されています。

      エピソードを聞いたせいか、なんか吝嗇そうな顔をしています。

    • 「聖家族」のアップです。
      後ろにムキムキの裸の男たちがいるのがミケランジェロらしいです(笑)。

    • ところで、ボッティチェリの部屋にはフランドルの絵も飾られています。
      ヒューホ・ヴァン・デル・フースの「ポルティナーリの三連祭壇画」1477年頃の作品。
      何故フランドルの絵がボッティチェリの部屋に飾られているのか疑問だったのですが、この絵は油絵だったそうです。
      イタリアでは当時まだテンペラ画とフレスコ画が主流で油絵などは誰も知らなかったそうです。
      そんな中、フランドルから輸入された油絵を見て、フィレンツェに一大センセーションを巻き起こした様です。(しかもアルプス以北の人々をバルバリー(野蛮人)と呼んで見下していたので、衝撃は非常に大きかったと思います)
      その後フィレンツェも油絵が主流になって行きます。

    • ヒューホ・ヴァン・デル・フースの「ポルティナーリの三連祭壇画」の中央部分。

    • ウフィッツィ美術館の回廊の窓から見た景色です。

    • ウフィッツィ美術館の天井画です。

    • サヴォナローラのおかげでフィレンツェの芸術が暫く停滞しましたが、その死後再び花開きました。

      この人もサヴォナローラの傾倒者でしたが、自身が同じドメニコ会の僧侶で、主題は最初から宗教的なもののため、あまり影響を受けませんでした。

      フラ・バルトロメオ「聖ベルナルドの幻視」1504年

    • シエナ派のソドマ「聖セヴァスチャン」1525年頃の作品。

      聖セヴァスチャンはペストの守り神としてあちらこちらで描かれていますが、その中でも一番有名な絵だと思います。

      キャサリン・ヘップバーンとエリザベス・テイラーが共演した「去年の夏突然に」の映画の中で、部屋の壁にさりげなくこの絵が飾られていました。

    • ラファエロも一時フィレンツェで活躍していましたが、ユリウス2世に召喚されローマに行ってしまいます。
      その後、フィレンツェ絵画界を支えたのがこのアンドレア・デル・サルトです。

      アンドレア・デル・サルト「アルビエの聖母」1517年頃の作品。

      夏目漱石の「吾輩は猫である」の中でアンドレア・デル・サルトの名前が出てきます。(ただし迷亭が語るアンドレア・デル・サルトのエピソードは嘘)

    • イチオシ

      一方、フィレンツェ時代のラファエロ「ひわの聖母」
      1505年頃の作品

    • ラファエロ「自画像」
      1506年頃の作品

    • ラファエロ作
      「洗礼者ヨハネ」
      1528年頃の作品です。

    • ラファエロ以後、絵画はマニエリスムの時代になります。

      ポントルモ、「祖国の父コジモ」1520年
      1513年にレオ10世が教皇になり、その後押しで、フィレンツェは再びメディチ家の支配に入ります。
      今度はロレンツォ時代よりは公な支配体制をひきます。
      よって「祖国の父」などと言う、ロレンツォ豪華王の時代には考えられない称号をつけています。
      コジモはポントルモの生まれる30年前に死んでいますから完全に想像図ですね。

    • ポントルモ「マリア・サルヴィアーティの肖像」1540年頃の作品。
      御存知、黒隊のジョヴァンニの奥さんです。
      この頃には息子のコジモ一世がトスカーナ大公になって完全にフィレンツェを支配下においています。
      あまり裕福ではない未亡人から一気に支配者の母の地位についた自信が絵の中に垣間見える気がします。

    • ポントルモ「エマオの晩餐」
      1525年頃の作品。

      マニエリスムの雰囲気が出てきている作品です。

      このポントルモ、絵画だけでなく「フィレンツェの画家ポントルモの日記」と言う当時の食事事情を知る貴重な食事日記を残しています。
      ただし美食日記ではなく、粗食日記です。
      美食は体に害を与え、粗食こそ長生きの秘訣と信じていました。

      この日記でも垣間見えますが、ヴァザーリによるとこの人ほどの変人はいなかったようです。
      人嫌いで生涯独身。
      この程度ならよくある話ですが、二階に住んでいて、縄梯子で二階に上がり、自分が上がってしまうと、縄梯子をするすると引き上げ、誰も二階は上がれなかったそうです。

    • そのポントルモが唯一食事を共にしたのが、弟子のブロンツィーノ。
      と言っても、当時メディチ家の御用画家で羽振りの良かったブロンツィーノが食事代を出していたみたいで、ポントルモもこの時ばかりはかなり贅沢なものを食べていたみたいです(笑)。

      ブロンツィーノ「聖家族」1540年頃の作品。
      マニエリスムの色が濃く、赤ん坊の体がかなり長くなっています。

    • ブロンツィーノ「コジモ一世の肖像」1545年頃の作品

      黒隊のジョヴァンニとマリア・サルヴィアーティの息子です。
      完全に傍系で本来ならとてもフィレンツェの君主になれる血筋ではないのですが、ロレンツォ豪華王の本家の血筋が絶え、君主となったクレメンス7世の庶子アレキサンドロが従兄弟のロレンザッチョに暗殺されたため、棚から牡丹餅的に運良く君主になりました。

      ただ、運だけではなく君主としての才能もあったみたいで、スペイン王の力を借りて完全に独裁国を作り上げました。
      この人によりフィレンツェの共和政は名実ともに消えてしまいました。

      ただ、ヴァザーリ、ブロンツィーノを宮廷画家として迎え、再びフィレンツェに芸術の花を開かせました。

    • ブロンツィーノ作「エレオノーラ・トレドの肖像」1544年頃の作品。

      コジモ一世の妃。
      コジモ一世は本当はスペイン王の王女と結婚したかったみたいですが、前フィレンツェの王アレキサンドロの妃がスペイン王の娘で、アレキサンドロが暗殺され早く未亡人になってしまったため、スペイン王は自分の娘をまたコジモの妃にするつもりはなかったみたいです。
      で、自分の部下に当たるナポリ副王の娘をコジモ一世の妃にさせました。

    • その二人の長男「フランチェスコ・ディ・メディチの肖像」
      1555年頃の作品。

      不肖の息子です。
      コジモ一世の後を継ぎフランチェスコ一世となりますが、錬金術に凝り、妃の急死後、評判の悪い愛人ビアンカを妃に据え、市民から大ブーイングを喰らいます。
      後に妃のビアンカともども急死するので、弟で次の大公になったフェルディナンド一世(この人は名君)が毒殺したと言う説が長くありましたが、2010年にマラリアで死んだと言うことが判明し、少なくとも彼は毒殺されていないと言うことが証明されました。

    • この後はフィレンツェ以外の画家が並びます。

      コレッジョ「キリストの幼児礼拝」1518年頃の作品。
      パルマを中心にして活躍しました。
      スフマート(ぼかしの技法)を使い、レオナルド・ダ・ヴィンチの影響が見られます。
      かなり好きな作家です。

    • イチオシ

      パルミジャニーノ「首の長い聖母」1535年頃の作品。
      やはりパルマの人です。
      この作品はマニエリスムの代表的作品です。
      マニエリスムとは実際にはあり得ない誇張を持って描かれた絵画を言います。
      首を思い切って長く描いたので「首の長い聖母」といわれています。
      ただ、聖母の首の長さもすごいですが、幼児キリストの胴の長さも凄すぎます(笑)。

    • ここからヴェネチア派になります。

      ジョルジョーネ「軍人の肖像」

      若くしてペストで亡くなってしまいますが、「眠れるヴィーナス」と「テンペスト(嵐)」と言う2大傑作をものにしています。

    • イチオシ

      その弟子のティッツィアーノ「ウルビーノのヴィーナス」
      1538年頃の作品
      ジョルジョーネの「眠れるヴィーナス」と甲乙つけがたい作品です。

    • ティッツィアーノ作「フローラ」1515年頃の作品
      ティッツィアーノはこのモデルが大好きみたいで、このモチーフはいろいろな美術館にあります。

    • ローマの人、カラヴァッジョの「メデューサの首」1595年頃の作品。

      トンドに描かれた、絵と言うより浮きぼりのような感じがする絵です。
      多分魔除けとして描かれたのだと思います。

    • カラヴァッジョ「バッカス」
      1597年頃の作品

    • カラヴァッジョ「イサクの犠牲」1601年頃の作品。
      自分の子供を神への生贄にしようとするアブラハム。
      この作品もかなりすごいのですが、次の作品には負けます。

    • アルテミジア・ジェンティレスキ「ホロフェルネスの首を切るユディット」1620年の作品。

      とにかく凄いとしか言いようがありません。
      しかも描いたのは女性画家です。
      注文したのはコジモ2世でしたが、あまりに残虐なので、ずっと宮殿の片隅に仕舞われていたそうです。

      この凄まじい絵を見てウフィッツィ美術館を後にしました。

    • 追記
      2016年の旅行ではゴシック期のものも鑑賞してきました。
      それから前回はなかった絵も載せてみます。

      サンタ・セシリアのマエストロ作「荘厳の聖母」
      1320年頃の作品

      ジョットと同時期の作品ですから、いかにジョットの絵がリアルであったか・・・・
      ジョットの先見性と偉大性がよく判ります。

    • オルカーニャ
      「マタイの肖像」
      1367年頃の作品

    • アニョーロ・ガッディ
      「キリストの磔刑」
      1390年頃の作品

    • ロレンツォ・モナコ作「聖母戴冠」です。
      1414年頃の作品です。

    • ジェンティーレ・ファブリアーノ作「マギの礼拝」
      1423年頃の作品。

      絢爛たる作品ですが、マザッチョの「貢ぎの銭」と同時期の作品とは思えません。
      マザッチョの先見性と凄さが判ります。

    • フラ・アンジェリコ作「聖母戴冠」
      1435年頃の作品

    • やはりフラ・アンジェリコ「荘厳の聖母」
      1435年頃の作品

    • フィリッポ・リッピ「聖母戴冠」1440年頃の作品

    • フィッリポ・リッピの息子フィリピーノ・リッピの
      「幼児キリストの礼拝」

    • フィリピーノ・リッピ
      「自画像のデッサン」

    • ルカ・シニョレッリ作「聖家族」
      1490年頃の作品

      ルカ・シニョレッリってほとんど知らなかったのですが、今回オルヴィエートのドゥオーモのフレスコ画を見て、その実力に驚嘆しました。

    • 今回、ティツィアーノやラファエロ、ボッティチェリで貸し出されてる絵もたくさんありましたが、その分ペルジーノやリッピ、ヴェネチア派の絵が飾られていました。

      ペルジーノの傑作
      「フランチェスコ・デッラ・オペレの肖像」
      1491年頃の作品

    • ペルジーノ作「オリーブ山の祈り」
      1492年頃の作品

      素晴らしい出来だと思います。
      弟子のラファエロの初期の絵に似ています。

    • ちなみにこれはラファエロが描いた「ペルジーノの肖像」です。
      1504年ころの作品

    • ペルジーノ作「若者の肖像」
      1495年頃の作品です。

    • 前回はあまり数がなかったヴェネチア派及び北イタリアの絵もかなり展示されていました。

      マンテーニャ「キリストの生涯」
      1463年頃の作品です。

    • マンテーニャ「男の肖像画」

      マンテーニャは非常にリアルな絵を描きます。
      マントヴァ侯爵夫人イザベラ・デステはマンテーニャの才能を愛し、その絵を欲しがりましたが、決して自画像は描かせなかったそうです(笑)。

    • ジョヴァンニ・ベッリーニ作「宗教的寓話」
      1490年頃の作品

      正直、なにを描いたのか意味が分かりません。
      でも非常に美しい絵です。

    • やはりヴェネチア派のロレンツォ・ロットの「スザンナの水浴」
      1517年頃の作品

      主題はどんなに年を取った偉い人でもスケベ親父はいるという意味ですね(笑)。
      で、そういう人ほど卑劣な行為をするということでしょうか?

    • 時代は突然さがって、カナレットです。

      カナレット作「大運河から見たドゥカーレ宮殿とサンマルコ広場」
      1755年頃の作品です。

      カナレットは風景画をたくさん描きました。

    • そしてレンブラントも飾ってありました。

      レンブラント「若者姿の自画像」
      1634年頃の作品です。

      原題は「若者に模して」という感じです。
      このころレンブラントは28歳なので現在ならこれでもちっともおかしくないのですが、同時期の自画像をみるとかなりのおっさんです(笑)。
      なので若いころを思い出してという感じかもしれません。

    • レンブラント「自画像」
      1655年頃の作品です。

      となるとまだ四十九歳です。
      今だったら七十歳近い老人ではないでしょうか?

      絵の出来よりなにより、そのことのほうに衝撃を受けました(笑)。

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