2015/06/18 - 2015/06/20
55位(同エリア238件中)
JOOPさん
東ドイツの思い出ということで、とりあえずライプツィヒとズールにあった日本料理店に行ってみた話など・・・といっても、ただ行っただけですが・・・
鹿島建設が建てたライプツィヒのメルクーア(現Westin)には、ミニ日本庭園や、日本料理店「さくら」がありましたが、インターホテル(ハードカレンシーのみ取扱)という性格上、地元の東ドイツ人が利用することは殆んどありませんでした。
ウエイトレスは着物を着たドイツ美人で、鉄板焼き担当の男性調理員の姿もありました。
このレストランは、DDRライゼビュローでもらえる、インターホテルのパンフレットにも載っていたので、利用した日本人も多かったかと。
ズールの日本料理店について、最初におしえてくれたのは、マイニンゲン出身のイェナ・フィルハーモニーの方でした。(映画「ズールの寿司」に出てきた日本人もイェーナ大の方だったような・・・)
イエナのホテルで夕食をご馳走になり、ちょうどライスが出てきた時、「ズールの日本料理店にはもういったかい?」と突然きかれました。全く初耳だったので、「ホントに日本料理?」ってきき返したら、「有名だよ」とのこと。
そんなわけで、次のエクスカーションの行き先は、ズールに決まりました。
ライプツィヒ駅の案内所で、時刻を調べてもらい列車へ。ズールが近づいてくると、だんだん森が深くなり山の中に入ってきたなという感じに・・・
車掌さんが来たので検札かと思って、チケットを取り出すと、「アウスヴァイス!」っていわれました。(今から考えるとあれは車掌さんじゃなかったかも・・・)
そしてパスポートをみせると特にお咎めもなく・・・なので「閉鎖都市」ってネットに書かれてることについてはちょっと疑問です。
ズール駅に着いて、地図も何も無いので、通行人何人かにききながら向かいました。「日本・レストラン?」って単語並べただけだけど、誰も「知らない」っていう人はいなくて、地元では有名なんだなと・・・
レストランに着いて、呼びかけたら、着物姿の金髪美女二人が出てきて、とりあえず知ってる単語で「開いてませんか?」ってきいたら、相手が何言ってるかはわからなかったけど、入れてくれる雰囲気でもなかったので、諦めて帰ってきました。
そのときは、昼食でも夕食でもない中途半端な時間に行ったからダメだったんだろうと思っていましたが、映画公開時の情報では、何年も先まで予約がいっぱいとか書いてあったので、そっちの理由だったのかもしれません。
普通社会主義国で、ヘンな時間に店やレストランを訪れたら、迷惑そうな顔をして怒られるのに、このときは、遠くから来たのを察してくれたのか、申し訳なさそうな顔をしてくれたのが印象に残ってます。
去り際、入口にあったショーケースを覗くと、漢字のサインが・・・オーボエ奏者の延原武春さんのものでした。最近ウィキで確認したら「1985年にズール・フィルハーモニーを指揮」となっていたので、サインはそのときのものかと・・・
そんなわけで、ズールへの小旅行も何もないまま終わりました。ドイツ語ができないので、いつもこんな感じの結末ですがw
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まずは今は亡き恩師の家へ。弾き手のいなくなったスピネットの上には、お隣の方からいただいたメッセージカードが置かれていました。
ここではまだDDR時代とかわらぬ良好なネイバーシップが残っているようです。
隣人にカントの言葉を贈るなんて、さすがドイツ・・・
Wer im Gedächtnis seiner Lieben lebt, der ist nicht tot, der ist nur fern; tot ist nur, wer vergessen wird. -
そしてお墓に連れて行ってもらいました。お参りの仕方を尋ねると、手で十字を切るのはカトリックで、ルター派はだた偲ぶだけでいいといわれました。多くの東ドイツ人と同様、先生自身は無宗教でしたが・・・
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コネヴィッツ・クロイツ
28番のトラムが廃止されてから、ここで乗換えることが多くなりました。
第三帝国時代、アドルフ・ヒトラー通りとよばれたカール・リープクネヒト通りを北上していきます。 -
初めて来たときは、グロースドイベンという田舎のユースにされたので、毎日ここでバスに乗換えていました。ちなみに当時のバスは、ハンガリー製だったような・・・
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Gaststätte Kollektiv
http://www.gaststaette-kollektiv.de/
通り沿いにある、レトロな雰囲気のレストランです。 -
DDR時代を再現したインテリア。
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DDR Schild をペタペタ貼っている家なんて、もちろん当時はなかったと思いますが・・・
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こういうユーモアも好きですw
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食器や盛り付けも東ドイツを感じさせてくれます。中央駅の食堂にあったマカロニを思い出しました・・・
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Südplatzのコッホ通りとの分岐まで歩いてきました。
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NHKの「世界ふれあい街歩き」でやっていた、Südvorstadt地区です。
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廃墟で何か新しいことをやってそうです。シャウシュピールとか・・・
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番組で、東独時代缶詰工場だったと紹介していた場所。
http://www.feinkostgenossenschaft.de/ -
東ドイツ時代、ここはカール・マルクス広場とよばれ、左側の高層ビルには、メルケルさんも学んだカール・マルクス大学がありました。
右側が現在の大学。なぜ教会のような形をしているかというと・・・アウグストゥス広場 広場・公園
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1968年、この広場にあった大学付属の教会が、東独政府によって撤去されたためでした。
派手な教会風建物のおかげで、隣のゲヴァントハウスがくすんで見えるwパウリヌム 寺院・教会
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中央郵便局も廃墟になっていました。
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模型屋さんのショーウインド。当時この店で客車を買おうとしたら、ミトローパしかないといわれ、仕方なくそれを三両買いました。
機関車が食堂車三両を牽引するという、実際にはあり得ない車両編成に・・・
やはりその頃、独英辞典を買おうと探し回るも、どの店もデンマーク語やチェコ語の辞書しか置いていない・・・
家に帰って、「東ドイツではデンマーク語やチェコ語が人気なの?」ってきいたら、笑いながら「この国では、英語何冊、ロシア語何冊、デンマーク語何冊って計画して作るから、人気のある英語は、すぐ売れちゃうんだ」っていわれました。
計画経済ってそういうことだったのねwww -
Zeitgeschichtliches Forum (現代史博物館)
http://www.hdg.de/leipzig/
入場無料なのには、訳がありそうです・・・w現代史博物館 博物館・美術館・ギャラリー
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DDR関係の博物館かと思ったら、入ってすぐあったのは、ゲッベルス大臣のお言葉。
「... die Presse ist der Mitarbeiter der Regierung.」
いまの日本を思い出して、ちょっと苦笑w -
苦笑するだけなら誰にでもできるといわんばかりに、次はこれ・・・
「Unabhängiger Journalismus kostet Geld! Aber wer zahlt?」
帰国したら、「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」発言が話題になってました・・・ -
やっとDDR時代に入ります。で、この写真は何?
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ベルリン分割統治
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コンラート・シューマン
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ハンス・アイスラー作曲の東ドイツ国歌。
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こちらは、歌詞と伴奏まで付いてるバージョン。
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大使館のプレート。懐かしいな、赤坂にあったヤツはどれかな・・・なんてノリで見ちゃいけないらしい・・・
博物館の解説は・・・
Infolge der deutsch-deutschen Verhandlungen erlangt die DDR zunehmend internationale Anerkennung.
なので真面目にウィキで調べてみた・・・
1972年 東西ドイツ基本条約(東西ドイツ相互承認)
1973年 東ドイツ、英仏蘭日等と国交樹立
1973年 東西ドイツ国連加盟
1981年 ホーネッカー来日
81年のホーネッカー来日は、NHKニュースでちらっと流れたのを覚えてます。でもそれ以前の記憶は全くない・・・ -
HO (Handelsorganisation)
ノスタルジーに浸る間もなく、博物館の解説はまたしても辛辣・・・
In einem Tagesablauf eines "Werktätigen" können die Besucher den Gegensatz von Anspruch und Wirklichkeit in der SED-Diktatur nachvollziehen. -
東ドイツ製品。
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インターショップで買った、ブラウンのドライヤーが3日で壊れた。ムカついたので、翌日東独製のドライヤーを買って帰ったら、先生に怒られた。
「だって、西独製が3日で壊れるなら、東独製でもいいかと思って・・・」って言ってみたけど、彼女の中では、電化製品を買うなら西独製が常識で、もし壊れたら修理して使わなきゃダメってことらしかった。
結局ドライヤーは先生のやつを借りることになったので、東独製は一度も使わず箱に入れたままとってある。 -
なぜヤコプスのコーヒーが?と思ったら・・・
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インターショップでした。
当時、中央駅、メルクーア、ブルク通りなどにあって、ハードカレンシーを持つ旅行者にとっては、とても便利な存在でした。(毎日コーラをまとめ買いしてたし・・・)
でも実態は、旅行者の為のものじゃなかった・・・他の東欧諸国に、こんな大規模展開した外貨ショップは無かったはず・・・そこに東ドイツの特殊性がありました。 -
インターショップでは使えなかったお金。そういう意味では、マルクスさんも無価値でしたw
西ドイツマルクと東ドイツマルクは公式には等価。ただ70年代くらいまでは、ヤミレートでも3倍くらいだったかと・・・
ある日先生に西ベルリンでのレートをきかれたので、「7倍くらい」っていったら、すごい悲しそうな顔してた・・・ -
プラハのBRD大使館の再現。当時7000人くらいに膨れ上がったそう。
この夏、去るか残るかの決断を迫られた人も多かったはず・・・ -
月曜デモ
Volkspolizeiに向かって、Wir sind doch das Volk! と言ってみたら・・・
2月までいたけど、死んだように静かだったライプツィヒ。まさか年内にデモが起きて、西側への国境が開くとは全く想像できなかった・・・ -
「友人の息子がバルト海沿岸に行ったまま帰らない、多分西ドイツに泳いで行こうとして失敗したんだろう」と暗い話も身近にあったこの頃。
「私たちはゴルビーに期待している」とだけ先生は言っていた。彼女自身政治的な人じゃなかったし、これならStaatssicherheit系の方々を全く刺激しないからw -
国境が開いて、このトラビでヨーロッパからアメリカまで行ったそう。
ここまで展示を見てきて、これはBRDからみた歴史なんだなって・・・NaziとDDRは好き勝手に批判してるのに、BRDについてはどうなの?・・・みたいな不公平感は残りました。 -
Umaii Ramenbar
http://www.umaii.de/
コンサートの帰り、ラーメン屋に寄りました。 -
日本人経営の店と比べて「まずい」というのは簡単ですが、ロルフ・アンシュッツと同様、日本食に対する愛と努力は感じられる味でした。
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Mr. Moto
http://mrmoto.de/
カフェ・バウムを挟んで反対側にある寿司屋さん。 -
スシは高いので、日本風カレーを。でも日本のようにスプーンをくれたりはしませんw
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この旅行記へのコメント (2)
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- falanさん 2018/05/20 14:04:51
- 「さくら」行ったことがあります
- なつかしいです。「さくら」で食事をしたあとホテルの中のボーリング場でいっしょに行った同僚たちと遊んだのを思い出します。ボーリングといってもピンの上にヒモがついている簡易式でしたが。
鹿島はドレスデンのベルビュー、ベルリンのグランドと合わせて3つもホテルを建設してますね。どれも今も現役なのは立派です。インターホテルの旗艦店メトロポールは影も形もなくなってしまったのに。
「ズールの寿司屋」に行かれたのですね。うらやましいです。一目でものぞいてみたかったです。当時はその店のことを知りませんでした。もしかしたら誰かに日本料理店があるということを聞いたかもしれませんが、そんなユニークな店だとは気がつかず聞き過ごしてしまったのかも。
すてきな旅行記ありがとうございます。
- JOOPさん からの返信 2018/05/21 12:45:35
- RE: 「さくら」行ったことがあります
- コメント残していただきありがとうございます。観光ビザの取得でさえ簡単ではなかった東ドイツに、何年も駐在されていた方がおられたとはとても驚きました。なかなか経験できないことですよね。今でこそオスタルギストの間で有名なアイゼンヒュッテンシュタットですが、そんな町があること自体当時全く知りませんでした。
イエナで「あの大きな工場がカール・ツァイスだよ」と言われたとき、「なにそれ、おいしいの?」状態の反応をしてしまい、世界的に有名な光学機器メーカーと知ったのは、東独崩壊後何年も経ってからというくらい常識のない人間なので知らなかっただけかもしれませんが・・・
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