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写真は早春の思わぬ雪に覆われてしまった巡礼像です。<br />白い雪がマントのように彼の頭と背中に積もっている。<br />私は一生懸命歩いていたせいかあまり寒さは感じなかった。<br />巡礼路は春の柔らかい日差しがありがたかった。<br /><br />” カミーノは 春風のごと 過ぎにけり”(tomo作)<br /><br />この句はカミーノ俳句として<br />日本カミーノ・デ・サンチャーゴ友の会のニュースレター<br />&quot;Buen Camino!&quot;(2013年6月号)の裏面に搭載されました。<br />俳人の黛まどかさんからの選評として<br />「巡礼の日々は長いようで、あっという間に過ぎていきます。<br /> 巡礼者との出会い、村人との出会い、そして別れ…。<br /> すべての瞬間が美しい風景と共に刻まれてゆき、<br /> まさに”春風”が過ぎるごとくです。」を頂きました。<br /><br />黛まどかさんはカミーノ巡礼路を歩かれ(1999年5月~7月)、<br />その時の様子が<br />「星の旅人(スペイン「奥の細道」)角川文庫に書かれています。<br />最終章の51話「道の果て」は<br />”巡礼を終えて涼しく別れけり”というまどかさんの句から<br />始まっています。<br />その中に書かれている、女性巡礼者がふり絞るように言った<br />「私はこれからどうやって歩いていったらいいの?<br />あの黄色い矢印なしに…」という言葉に共感しています。<br /><br />北スペイン巡礼路を<br /><br />1回目(ウォーミングアップ巡礼)<br />2012年10月にスペイン巡礼路の最短距離100kmをサリアから<br />サンチャゴ・デ・コンポステーラまで歩き、フィニステーラまでは<br />バスで往復した写真も残っていたのでこれを活用しながら記録を<br />補足して行きたい。<br /><br />この時は巡礼路終了後にポルトガルに入りリスボンまで鉄道旅行を<br />したがこの旅行記は別途ブログとして書く予定である。<br /><br />2回目(本格的巡礼前半)<br />パンプローナからアストルガまで<br />(2013年2月25日から3月22日)の約500kmを歩く。<br /><br />3回目は(本格的巡礼後半)<br />アストルガからスペイン西端フィニステーレまで<br />(同年4月29日から5月21日)の約400kmを歩いた。<br /><br />こんなに長い距離を継続して歩いたのは生まれて初めての経験であった。<br /><br /><br />還暦を過ぎてこんなに長い距離を歩けるかどうかとても不安であったが<br />終わってしまうと楽しかった思い出だけが残っている。<br /><br />「ポコ ア ポコ(少しずつ)」、「ア ピエ ア ピエ(一歩ずつ)」<br />と口の中で繰り返し時速3キロで杖を頼りに歩いていた時が懐かしい。<br /><br />もともと忘れやすい性格が幸いして辛い経験は歩きながら消去して行った。<br /><br />今年(2015年)、7月1日から7月27日までフランスの<br />ル・ピュイからサン・ジャン・ピエ・ド・ポー経由で<br />ピレネー山を越えスペインのログローニョまで歩いた記録は<br />8月6日から9月4日までのブログで書いたので今回は<br />2年前の北スペイン巡礼路の記録を思い出しながら書くことにした。<br /><br />思い返してみるとスペイン巡礼を2012、2013、2015年と<br />断続的ではあるが4回も歩いたことになる。<br /><br />しかしその都度新しい体験や出逢いがあり想いを深くしている。<br /><br />スペイン巡礼の道(カミーノ)は魅力的で不思議な体験ができる<br />場所である。<br /><br />※ブログに書く予定をしていなかったのでメモもなく<br /> 写真も撮影場所不明なものが多いので時系列的なブログではなく<br /> 写真それぞれにまつわる思い出を中心に書くこととする。<br /><br /><br />(旅の事始め)学生時代初めての海外旅行<br /><br /> 還暦過ぎの旅と同様、ヨーロッパでもよく路に迷った。<br /><br /> 約半年間の旅行予算合計は100万円。<br /><br /> アルバイトで半分は貯めた。<br /> 鉄骨運搬(あいりん地区の日雇いで鉄骨は人力で運ぶ)<br /> トラックの荷台に乗って現場に行く。<br /> 家庭教師は成果を出すので親に評判が良かった。<br /> 伊丹空港のガードマンが夜勤があるので一番良かった。<br /> <br /><br />1973年(昭和48年)7月<br /> ロンドンの短期語学研修後はイギリス旅行でコンウオール、<br /> スコットランド、ハイランドの最北端まで行った。<br /> またフェリーでオークニー島の寒村ストームネスに渡り暫く滞在した。<br /><br /> 海外渡航の主な目的。<br /> ロンドン南の郊外にあるクリスタルパレスと言う小さな町にある<br /> アングロスクールという英語学校に通った。<br /><br />  <br />1973年10月ごろ<br /> 2回目の語学研修後、フェリーでドーバー海峡を渡り<br />フランスのパリに行った。<br /> 2日くらいパリに滞在してから夜汽車で<br /> ピレネーの麓の村へ行った。<br /> それからバスでピレネー山中にある<br /> アンドラという小さな国に行き<br /> 歩いて国境を超えスペインに入った。<br /> 英語とフランス語は話せたのだが<br /> スペイン語は全くできず困った。<br /> 現地の言葉を話す重要性を痛切に感じた。<br /> 約4週間バックパックを担いでスペイン国内を旅した。<br /> スペインはサラゴサ、タラゴナ、マドリードに行った。<br /> エッフェル塔の上で満月を見ていて<br /> 風邪を引いてしまったので<br /> タラゴナでしばらく静養した(毎日ワインを飲んでいた記憶がある)。<br /> マドリードではイギリスの英語学校の仲間に会いに行った。<br /> 彼の家族は貴族だった。<br /> マドリードからトレド、コルドバなど見て<br /> アリカンテ経由バルセロナはスルーして<br /> 国境を越えフランスに入った。<br /> リヨンなどに滞在してシャモニーに行き、<br /> イタリアのミラノに入った。<br /> その時運悪くイスラエルとエジプトの戦争が勃発し、<br /> 危ないとの情報がありイタリア半島南部、<br /> ギリシャ、トルコなど行きたかったが断念した。<br /> ミラノからスイス、ドイツ、オランダ、フランスに入った。<br /> フランスからドーバー海峡をフェリーで渡りロンドンに戻った。<br /> 再度クリスタルパレスという町の<br /> アングロスクール英語学校に行った。<br /> 日本へはクリスマス直前に帰国した。<br /><br /><br /> 当時(昭和48年)は1ドル260円、1ポンド700円もした。<br /> スペイン通貨はペソで物価は他の国と比べてとても安いと感じた。<br /> 初任給は大卒で7万円位だったが羽田からアンカレッジ経由<br /> ロンドンまでJALで片道12万円もした。<br /> 帰りはクリスマス前にロンドン発、<br /> モスクワ経由アエロフロートで8万円だった。<br /><br />私の海外旅行のルーツは学生時代の旅行体験にあった。

還暦一人旅、早春のスペイン巡礼路(カミーノ)コツコツ歩いて900km、この道はいつか来た道<総集編>

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2013/02/25 - 2013/05/21

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2013tomo

2013tomoさん

写真は早春の思わぬ雪に覆われてしまった巡礼像です。
白い雪がマントのように彼の頭と背中に積もっている。
私は一生懸命歩いていたせいかあまり寒さは感じなかった。
巡礼路は春の柔らかい日差しがありがたかった。

” カミーノは 春風のごと 過ぎにけり”(tomo作)

この句はカミーノ俳句として
日本カミーノ・デ・サンチャーゴ友の会のニュースレター
"Buen Camino!"(2013年6月号)の裏面に搭載されました。
俳人の黛まどかさんからの選評として
「巡礼の日々は長いようで、あっという間に過ぎていきます。
 巡礼者との出会い、村人との出会い、そして別れ…。
 すべての瞬間が美しい風景と共に刻まれてゆき、
 まさに”春風”が過ぎるごとくです。」を頂きました。

黛まどかさんはカミーノ巡礼路を歩かれ(1999年5月~7月)、
その時の様子が
「星の旅人(スペイン「奥の細道」)角川文庫に書かれています。
最終章の51話「道の果て」は
”巡礼を終えて涼しく別れけり”というまどかさんの句から
始まっています。
その中に書かれている、女性巡礼者がふり絞るように言った
「私はこれからどうやって歩いていったらいいの?
あの黄色い矢印なしに…」という言葉に共感しています。

北スペイン巡礼路を

1回目(ウォーミングアップ巡礼)
2012年10月にスペイン巡礼路の最短距離100kmをサリアから
サンチャゴ・デ・コンポステーラまで歩き、フィニステーラまでは
バスで往復した写真も残っていたのでこれを活用しながら記録を
補足して行きたい。

この時は巡礼路終了後にポルトガルに入りリスボンまで鉄道旅行を
したがこの旅行記は別途ブログとして書く予定である。

2回目(本格的巡礼前半)
パンプローナからアストルガまで
(2013年2月25日から3月22日)の約500kmを歩く。

3回目は(本格的巡礼後半)
アストルガからスペイン西端フィニステーレまで
(同年4月29日から5月21日)の約400kmを歩いた。

こんなに長い距離を継続して歩いたのは生まれて初めての経験であった。


還暦を過ぎてこんなに長い距離を歩けるかどうかとても不安であったが
終わってしまうと楽しかった思い出だけが残っている。

「ポコ ア ポコ(少しずつ)」、「ア ピエ ア ピエ(一歩ずつ)」
と口の中で繰り返し時速3キロで杖を頼りに歩いていた時が懐かしい。

もともと忘れやすい性格が幸いして辛い経験は歩きながら消去して行った。

今年(2015年)、7月1日から7月27日までフランスの
ル・ピュイからサン・ジャン・ピエ・ド・ポー経由で
ピレネー山を越えスペインのログローニョまで歩いた記録は
8月6日から9月4日までのブログで書いたので今回は
2年前の北スペイン巡礼路の記録を思い出しながら書くことにした。

思い返してみるとスペイン巡礼を2012、2013、2015年と
断続的ではあるが4回も歩いたことになる。

しかしその都度新しい体験や出逢いがあり想いを深くしている。

スペイン巡礼の道(カミーノ)は魅力的で不思議な体験ができる
場所である。

※ブログに書く予定をしていなかったのでメモもなく
 写真も撮影場所不明なものが多いので時系列的なブログではなく
 写真それぞれにまつわる思い出を中心に書くこととする。


(旅の事始め)学生時代初めての海外旅行

 還暦過ぎの旅と同様、ヨーロッパでもよく路に迷った。

 約半年間の旅行予算合計は100万円。

 アルバイトで半分は貯めた。
 鉄骨運搬(あいりん地区の日雇いで鉄骨は人力で運ぶ)
 トラックの荷台に乗って現場に行く。
 家庭教師は成果を出すので親に評判が良かった。
 伊丹空港のガードマンが夜勤があるので一番良かった。
 

1973年(昭和48年)7月
 ロンドンの短期語学研修後はイギリス旅行でコンウオール、
 スコットランド、ハイランドの最北端まで行った。
 またフェリーでオークニー島の寒村ストームネスに渡り暫く滞在した。

 海外渡航の主な目的。
 ロンドン南の郊外にあるクリスタルパレスと言う小さな町にある
 アングロスクールという英語学校に通った。

  
1973年10月ごろ
 2回目の語学研修後、フェリーでドーバー海峡を渡り
フランスのパリに行った。
 2日くらいパリに滞在してから夜汽車で
 ピレネーの麓の村へ行った。
 それからバスでピレネー山中にある
 アンドラという小さな国に行き
 歩いて国境を超えスペインに入った。
 英語とフランス語は話せたのだが
 スペイン語は全くできず困った。
 現地の言葉を話す重要性を痛切に感じた。
 約4週間バックパックを担いでスペイン国内を旅した。
 スペインはサラゴサ、タラゴナ、マドリードに行った。
 エッフェル塔の上で満月を見ていて
 風邪を引いてしまったので
 タラゴナでしばらく静養した(毎日ワインを飲んでいた記憶がある)。
 マドリードではイギリスの英語学校の仲間に会いに行った。
 彼の家族は貴族だった。
 マドリードからトレド、コルドバなど見て
 アリカンテ経由バルセロナはスルーして
 国境を越えフランスに入った。
 リヨンなどに滞在してシャモニーに行き、
 イタリアのミラノに入った。
 その時運悪くイスラエルとエジプトの戦争が勃発し、
 危ないとの情報がありイタリア半島南部、
 ギリシャ、トルコなど行きたかったが断念した。
 ミラノからスイス、ドイツ、オランダ、フランスに入った。
 フランスからドーバー海峡をフェリーで渡りロンドンに戻った。
 再度クリスタルパレスという町の
 アングロスクール英語学校に行った。
 日本へはクリスマス直前に帰国した。


 当時(昭和48年)は1ドル260円、1ポンド700円もした。
 スペイン通貨はペソで物価は他の国と比べてとても安いと感じた。
 初任給は大卒で7万円位だったが羽田からアンカレッジ経由
 ロンドンまでJALで片道12万円もした。
 帰りはクリスマス前にロンドン発、
 モスクワ経由アエロフロートで8万円だった。

私の海外旅行のルーツは学生時代の旅行体験にあった。

旅行の満足度
5.0
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩
航空会社
KLMオランダ航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • マドリッドからスペイン国有鉄道(レンフェ)で<br />サンチャゴ・デ・コンポステーラまで行く。<br /><br />そこからサリアまでは早朝のバスで行った。<br /><br />何のことはない、これから歩く巡礼路を逆方向に<br />バスで走って行ったのだ。<br /><br />文明の乗り物は便利だが自分の足で歩く方が<br />旅を実感できると思う。

    マドリッドからスペイン国有鉄道(レンフェ)で
    サンチャゴ・デ・コンポステーラまで行く。

    そこからサリアまでは早朝のバスで行った。

    何のことはない、これから歩く巡礼路を逆方向に
    バスで走って行ったのだ。

    文明の乗り物は便利だが自分の足で歩く方が
    旅を実感できると思う。

  • 2012年、<br />夜汽車だったのでサンチャゴ・デ・コンポステーラ駅には<br />早朝に到着した。<br />サリアまでバスで戻ってサンチャゴ・デ・コンポステーラ迄<br />100キロを歩いた。<br /><br />汽車では良く寝れなかったので私のカメラの目もレンズが<br />半開きの状態である。<br /><br />2012年の最初のお試しで良かったので2013年にも<br />2回巡礼に行った。

    2012年、
    夜汽車だったのでサンチャゴ・デ・コンポステーラ駅には
    早朝に到着した。
    サリアまでバスで戻ってサンチャゴ・デ・コンポステーラ迄
    100キロを歩いた。

    汽車では良く寝れなかったので私のカメラの目もレンズが
    半開きの状態である。

    2012年の最初のお試しで良かったので2013年にも
    2回巡礼に行った。

  • 2回目は2013年2月27日にパンプローナを出発して本格的な<br />カミーノ巡礼が始まった。<br /><br />とても寒い朝であったが凛とした冷たい空気に旅の晴れやかさを感じた。<br /><br />写真はパンプローナの中心部にある公園でここを通り抜ければ巡礼路に<br />つながっている。<br /><br />2年後、2015年7月末にパンプローナを再訪した時はこの公園は明るい緑に<br />囲まれた空間となっていた。<br />

    2回目は2013年2月27日にパンプローナを出発して本格的な
    カミーノ巡礼が始まった。

    とても寒い朝であったが凛とした冷たい空気に旅の晴れやかさを感じた。

    写真はパンプローナの中心部にある公園でここを通り抜ければ巡礼路に
    つながっている。

    2年後、2015年7月末にパンプローナを再訪した時はこの公園は明るい緑に
    囲まれた空間となっていた。

  • 早朝のパンプローナ巡礼路<br />緑の芝は霜で薄っすらと白く覆われていた。

    早朝のパンプローナ巡礼路
    緑の芝は霜で薄っすらと白く覆われていた。

  • パンプローナの街を抜けると<br />遠くに巡礼難所のアルト・デ・ペルドン山が見える。<br />早春の山腹にはまだ残雪が白く残っている。<br />日陰の山道は深い雪で覆われて歩くが大変そうだ。<br />2015年7月の夏は再度このアルト・デ・ペルドンの峠を<br />歩いて越えた。<br />その時は日中摂氏40度を超える炎熱の巡礼路を熱風に<br />肌を焼かれながら歩くことになった<br />(その夏は特に酷暑だったらしい)。<br />「ピレネーを越えるとそこはアフリカだった。」という<br />ナポレオンの有名な言葉があるがその通りだと思った。

    パンプローナの街を抜けると
    遠くに巡礼難所のアルト・デ・ペルドン山が見える。
    早春の山腹にはまだ残雪が白く残っている。
    日陰の山道は深い雪で覆われて歩くが大変そうだ。
    2015年7月の夏は再度このアルト・デ・ペルドンの峠を
    歩いて越えた。
    その時は日中摂氏40度を超える炎熱の巡礼路を熱風に
    肌を焼かれながら歩くことになった
    (その夏は特に酷暑だったらしい)。
    「ピレネーを越えるとそこはアフリカだった。」という
    ナポレオンの有名な言葉があるがその通りだと思った。

  • 曲がり角の向こうには何があるのか

    曲がり角の向こうには何があるのか

  • 昔もこの橋を巡礼達が歩いて渡って行ったと思うと<br />不思議な気持ちになる。

    昔もこの橋を巡礼達が歩いて渡って行ったと思うと
    不思議な気持ちになる。

  • 橋を渡るときはなぜか心が浮き浮きする。

    橋を渡るときはなぜか心が浮き浮きする。

  • アルベルゲ 公共の宿で安く(公営は5ユーロ)泊まれる。<br />2段ベッドのことが多い。<br />ただし巡礼資格(クレデンシャル「巡礼手形」保有者)がある<br />人しか泊まれない。

    アルベルゲ 公共の宿で安く(公営は5ユーロ)泊まれる。
    2段ベッドのことが多い。
    ただし巡礼資格(クレデンシャル「巡礼手形」保有者)がある
    人しか泊まれない。

  • 早春の巡礼路では道端で花々が挨拶をしてくれる。<br />私も「ブエンカミーノ!(良い巡礼を!)」と返事をする。

    早春の巡礼路では道端で花々が挨拶をしてくれる。
    私も「ブエンカミーノ!(良い巡礼を!)」と返事をする。

  • 真っすぐに続く巡礼路である。<br />あまりの遥かさに心が吸い込まれるようだ。<br />杜牧の漢詩(清明)に<br />「路上の行人魂を断たんと欲す」という一節があるが<br />私は巡礼路を酩酊状態で歩いていた。<br />それでも一歩一歩歩き続ければ次の村に必ず到着できる。<br />人生と一緒かもしれない。

    真っすぐに続く巡礼路である。
    あまりの遥かさに心が吸い込まれるようだ。
    杜牧の漢詩(清明)に
    「路上の行人魂を断たんと欲す」という一節があるが
    私は巡礼路を酩酊状態で歩いていた。
    それでも一歩一歩歩き続ければ次の村に必ず到着できる。
    人生と一緒かもしれない。

  • 村のアルベルゲ(巡礼宿)の窓から美しい夕焼けが<br />見える。<br />青く透きとおった空に一日を終える夕陽がオレンジ色に映え<br />長い巡礼の1日が終わる。<br />毎日が同じ繰り返しの様だが1日1日の表情は異なる。<br />明日はどのような巡礼路が私を待っているのだろうか。

    村のアルベルゲ(巡礼宿)の窓から美しい夕焼けが
    見える。
    青く透きとおった空に一日を終える夕陽がオレンジ色に映え
    長い巡礼の1日が終わる。
    毎日が同じ繰り返しの様だが1日1日の表情は異なる。
    明日はどのような巡礼路が私を待っているのだろうか。

  • 次の村のアルベルゲ(巡礼宿)の入り口。<br />石畳の通りが多い街だ。<br />歩くと巡礼の杖がコツコツと音を立てる。

    次の村のアルベルゲ(巡礼宿)の入り口。
    石畳の通りが多い街だ。
    歩くと巡礼の杖がコツコツと音を立てる。

  • 巡礼路の脇に道路標識があった。<br />次の村まであと何キロの行程かを示している。<br />示された距離の遠さに負けないでおこう。<br />自分の足を信じて「少しずつ、一歩ずつ<br />(ア・ポコアポコ、ア・ピエアピエ)前に進む<br />だけである。

    巡礼路の脇に道路標識があった。
    次の村まであと何キロの行程かを示している。
    示された距離の遠さに負けないでおこう。
    自分の足を信じて「少しずつ、一歩ずつ
    (ア・ポコアポコ、ア・ピエアピエ)前に進む
    だけである。

  • 樹木が並ぶ巡礼路を早春の冷たい風が吹き抜けていく。<br />歩いているときはいつも風が吹いていた記憶がある。<br />「誰が風を見たでしょう?」(ロセッティ)<br /><br />

    樹木が並ぶ巡礼路を早春の冷たい風が吹き抜けていく。
    歩いているときはいつも風が吹いていた記憶がある。
    「誰が風を見たでしょう?」(ロセッティ)

  • 冬枯れの葡萄畑の路を歩く。<br />遥か遠くに今晩泊まるアルベルゲがある村が見えてきた。<br />高く尖って見える建物のシルエットは村の教会の尖塔だろう。<br />ふと10年前に亡くなった父親が良く使っていたポマードの<br />香りがした。<br />もしかすると父親が一緒に歩いていたのかもしれない。<br />(今年亡くなった母親もきっと一緒だろう)

    冬枯れの葡萄畑の路を歩く。
    遥か遠くに今晩泊まるアルベルゲがある村が見えてきた。
    高く尖って見える建物のシルエットは村の教会の尖塔だろう。
    ふと10年前に亡くなった父親が良く使っていたポマードの
    香りがした。
    もしかすると父親が一緒に歩いていたのかもしれない。
    (今年亡くなった母親もきっと一緒だろう)

  • 真ん中のアーケードをくぐったレストランで食事<br />をした。<br /><br />この村のアルベルゲでアメリカ人巡礼者のマリオに<br />出逢った。<br />かれの父親は亡命キューバ人でありスペイン語は当然<br />ネイティブである。<br />でも村の人にマリオがスペイン語で道を尋ねると<br />「私は英語は分かりません!」という返事が返ってきた。<br />「彼らは僕のスペイン語が分からないのかなあ?」とか<br />ブツブツ言っている。<br />彼の外見は一目でアメリカから来た巡礼さんという雰囲気<br />が漂っているので村人は彼がスペイン語を話していることに<br />気が付かなかったのだろう。<br />(同様の現象は日本でもよくある)<br />白人の旅行客に日本語で道を聞かれても<br />咄嗟に「I can not speak English!」と応える人を見かけることが<br />ある。<br />村人はマリオが英語を話しているだと錯覚したのだろう。<br /><br />マリオとは暫く一緒に巡礼路を歩いた。<br />しかし彼は足の豆が悪化して途中で巡礼を断念してしまった。<br />歩けなくなって道端で休んでいる彼が足元をゆっくり歩いている<br />カタツムリを見て<br />「Tomo、ごらんよ。このカタツムリたちは僕たちと一緒だ。」<br />と語っていた言葉を思い出す。<br />マリオと分かれるときにレストランで食事をしたが、その時に<br />新見南吉さんの「でんでん虫の悲しみ」を話してあげた。<br />私たち巡礼者はみんなそれぞれの悲しみで一杯のリュックサック<br />を背負って歩いているんだという話に共感してくれた。<br />「雪降る会えば別れの雪降る」という山頭火さんの俳句を思い出した。<br /><br />

    真ん中のアーケードをくぐったレストランで食事
    をした。

    この村のアルベルゲでアメリカ人巡礼者のマリオに
    出逢った。
    かれの父親は亡命キューバ人でありスペイン語は当然
    ネイティブである。
    でも村の人にマリオがスペイン語で道を尋ねると
    「私は英語は分かりません!」という返事が返ってきた。
    「彼らは僕のスペイン語が分からないのかなあ?」とか
    ブツブツ言っている。
    彼の外見は一目でアメリカから来た巡礼さんという雰囲気
    が漂っているので村人は彼がスペイン語を話していることに
    気が付かなかったのだろう。
    (同様の現象は日本でもよくある)
    白人の旅行客に日本語で道を聞かれても
    咄嗟に「I can not speak English!」と応える人を見かけることが
    ある。
    村人はマリオが英語を話しているだと錯覚したのだろう。

    マリオとは暫く一緒に巡礼路を歩いた。
    しかし彼は足の豆が悪化して途中で巡礼を断念してしまった。
    歩けなくなって道端で休んでいる彼が足元をゆっくり歩いている
    カタツムリを見て
    「Tomo、ごらんよ。このカタツムリたちは僕たちと一緒だ。」
    と語っていた言葉を思い出す。
    マリオと分かれるときにレストランで食事をしたが、その時に
    新見南吉さんの「でんでん虫の悲しみ」を話してあげた。
    私たち巡礼者はみんなそれぞれの悲しみで一杯のリュックサック
    を背負って歩いているんだという話に共感してくれた。
    「雪降る会えば別れの雪降る」という山頭火さんの俳句を思い出した。

  • 夕食で10ユーロ(巡礼者料金)で必ずワインが1本ついてくるが<br />一人では半分しか飲めない。<br />余ったワインはペットボトルに入れて明日の巡礼路で少しずつ<br />飲むことにした(栄養補給として)。<br />料理はコースで<br />前菜、主菜、デザート(コーヒー付き)<br />一日のエネルギーをここで補給する。

    夕食で10ユーロ(巡礼者料金)で必ずワインが1本ついてくるが
    一人では半分しか飲めない。
    余ったワインはペットボトルに入れて明日の巡礼路で少しずつ
    飲むことにした(栄養補給として)。
    料理はコースで
    前菜、主菜、デザート(コーヒー付き)
    一日のエネルギーをここで補給する。

  • 柔らかなお肉のワインソース見込みだったかな。<br />お洒落でかつ美味しいお料理だった。<br />1日一生懸命歩いたご褒美としていただいた。<br />私の胃袋も巡礼の楽しさを直接味わっている。<br />心と体の健康に良いレストランだ。

    柔らかなお肉のワインソース見込みだったかな。
    お洒落でかつ美味しいお料理だった。
    1日一生懸命歩いたご褒美としていただいた。
    私の胃袋も巡礼の楽しさを直接味わっている。
    心と体の健康に良いレストランだ。

  • ワインを飲んだ後にデザートが出てきた。<br />レストランで地元の初老の男性と仲良しになった。<br />「スペインを巡礼する目的は何だ?」と質問してきたので<br />「スペインの心(sentimientos)に会うためだ。」と応えると<br />「わが友よ!(Mi amigo!)」と言って抱擁してきた。<br />少し気持ちが悪かったが<br />「ありがとう!(Muchas gracias!)」と言って抱き合って別れた。<br />旅の道中で心が通い合うのは楽しい想い出だ。<br /><br />&quot;sentimientos &quot;の意味をグーグル翻訳で調べると<br />”Sentimientos son en tu mente(君の心の中にあるもの)”<br />と説明されていました。<br />咄嗟に口から出てきたスペイン語だったのですが<br />その場の雰囲気に合った言葉だったのかもしれません。<br />(スペイン語を勉強しておいて良かった!)<br /><br />この&quot;sentimiento&quot;という言葉はある語学専門大学で<br />聴講生としてスペイン語を学んでいた時に出逢いました。<br />授業の後で担当教授(スペイン人)から<br />「スペイン人を理解するためには&quot;sentimiento&quot;という言葉<br />がキーワードとなる。」と教えて頂きました。<br />この言葉はスペインの孤高の哲学者、ウナムノが著した<br />「生の悲劇的感情(Del sentimiento tragico de la vida en <br />los hombres y los pueblos)」を読めばその哲学的意味と<br />スペイン人の心が理解できると言われたことがあるのを覚えて<br />いました。<br />ウナムノは私が好きな哲学者でクラスで彼に関するレポートを<br />発表したことがあります。<br />彼がサラマンカ大学で死を賭してフランコ政権へ向かって叫んだ<br />”Vencereis ,pero no convencereis!&quot;<br />(あなた達は我々を打ち負かすであろう。しかし心までは屈服しない!)<br />という哲学としての言葉と姿勢には心を打たれました。<br />不思議な体験ですが2015年のカミーノ巡礼の最後でスペインと<br />フランスの国境にある小さな町、エンダヤでウナムノが一時<br />亡命していたホテルに(偶然に?)宿泊いたしました。<br />ホテルの名前は”HOTEL DE LA GARE(駅ホテル)”です。<br />当時は「ブローカー」と呼ばれていたホテルです。<br />このホテルに宿泊した経緯に不思議な出逢いを感じています。<br />もし機会があればそのブログも読んでください。<br />「還暦一人旅帰還の道程(2~6日目)国境の町エンダヤ、 <br /> 折り紙のご縁で失意の哲学者、ウナムノと出逢う」 <br />(https://4travel.jp/travelogue/11049008)<br />カミーノ巡礼路では時々不思議な出来事を体験することがあります。<br />巡礼仲間に話すと「それはカミーノでよくある奇跡さ。」と即座に<br />言われました(私も同感していますが)。<br />

    ワインを飲んだ後にデザートが出てきた。
    レストランで地元の初老の男性と仲良しになった。
    「スペインを巡礼する目的は何だ?」と質問してきたので
    「スペインの心(sentimientos)に会うためだ。」と応えると
    「わが友よ!(Mi amigo!)」と言って抱擁してきた。
    少し気持ちが悪かったが
    「ありがとう!(Muchas gracias!)」と言って抱き合って別れた。
    旅の道中で心が通い合うのは楽しい想い出だ。

    "sentimientos "の意味をグーグル翻訳で調べると
    ”Sentimientos son en tu mente(君の心の中にあるもの)”
    と説明されていました。
    咄嗟に口から出てきたスペイン語だったのですが
    その場の雰囲気に合った言葉だったのかもしれません。
    (スペイン語を勉強しておいて良かった!)

    この"sentimiento"という言葉はある語学専門大学で
    聴講生としてスペイン語を学んでいた時に出逢いました。
    授業の後で担当教授(スペイン人)から
    「スペイン人を理解するためには"sentimiento"という言葉
    がキーワードとなる。」と教えて頂きました。
    この言葉はスペインの孤高の哲学者、ウナムノが著した
    「生の悲劇的感情(Del sentimiento tragico de la vida en
    los hombres y los pueblos)」を読めばその哲学的意味と
    スペイン人の心が理解できると言われたことがあるのを覚えて
    いました。
    ウナムノは私が好きな哲学者でクラスで彼に関するレポートを
    発表したことがあります。
    彼がサラマンカ大学で死を賭してフランコ政権へ向かって叫んだ
    ”Vencereis ,pero no convencereis!"
    (あなた達は我々を打ち負かすであろう。しかし心までは屈服しない!)
    という哲学としての言葉と姿勢には心を打たれました。
    不思議な体験ですが2015年のカミーノ巡礼の最後でスペインと
    フランスの国境にある小さな町、エンダヤでウナムノが一時
    亡命していたホテルに(偶然に?)宿泊いたしました。
    ホテルの名前は”HOTEL DE LA GARE(駅ホテル)”です。
    当時は「ブローカー」と呼ばれていたホテルです。
    このホテルに宿泊した経緯に不思議な出逢いを感じています。
    もし機会があればそのブログも読んでください。
    「還暦一人旅帰還の道程(2~6日目)国境の町エンダヤ、 
     折り紙のご縁で失意の哲学者、ウナムノと出逢う」 
    https://4travel.jp/travelogue/11049008
    カミーノ巡礼路では時々不思議な出来事を体験することがあります。
    巡礼仲間に話すと「それはカミーノでよくある奇跡さ。」と即座に
    言われました(私も同感していますが)。

  • 翌日からは独りで巡礼路を歩く。<br />私の影が巡礼の同伴者である。<br />影は目的地のサンチャゴ・デ・コンポステーラの<br />方向を指している。<br />西に向かって歩き続ける。

    翌日からは独りで巡礼路を歩く。
    私の影が巡礼の同伴者である。
    影は目的地のサンチャゴ・デ・コンポステーラの
    方向を指している。
    西に向かって歩き続ける。

  • 次のアルベルゲではオランダ人の女性巡礼者と食事をした。<br />彼女から「Tomo,一緒に夕ご飯を食べよう!」と声を<br />掛けてくれたのだ。<br />彼女とは日本の皇室とオランダの王室の関係の深さなどを<br />話した。

    次のアルベルゲではオランダ人の女性巡礼者と食事をした。
    彼女から「Tomo,一緒に夕ご飯を食べよう!」と声を
    掛けてくれたのだ。
    彼女とは日本の皇室とオランダの王室の関係の深さなどを
    話した。

  • ブルゴスの大聖堂。<br />ここでは大聖堂の近くにある巡礼宿に宿泊した。<br />

    ブルゴスの大聖堂。
    ここでは大聖堂の近くにある巡礼宿に宿泊した。

    ブルゴス大聖堂 寺院・教会

  • ここでパンプローナの難所のひとつであるアルト・デ・ペルドン<br />で出会ったブラジルからの女性巡礼者のヘナータさんと再会した。<br />黒髪の小柄な女性である。<br />私が彼女と巡礼路を歩いていると「娘と一緒に歩いているのか?」<br />と聞かれたことがある。<br />彼女はインディオの血も引き継いでいるようなので東洋人系に見えた<br />のかもしれない。<br />彼女とはしばらく一緒に歩いた。<br />(私は巡礼路の安全な御供だ)

    ここでパンプローナの難所のひとつであるアルト・デ・ペルドン
    で出会ったブラジルからの女性巡礼者のヘナータさんと再会した。
    黒髪の小柄な女性である。
    私が彼女と巡礼路を歩いていると「娘と一緒に歩いているのか?」
    と聞かれたことがある。
    彼女はインディオの血も引き継いでいるようなので東洋人系に見えた
    のかもしれない。
    彼女とはしばらく一緒に歩いた。
    (私は巡礼路の安全な御供だ)

  • ブルゴス大聖堂の広場では手風琴(アコーディオン)を<br />演奏している旅芸人がいた。<br />音楽で巡礼者の心を癒しながら同時に巡礼の旅費も稼いでいる<br />のかもしれない。<br />私は手風琴の音色だけを楽しまさせていただいた。<br /><br />手風琴 音ものびやに 春の街(tomo作)<br />

    ブルゴス大聖堂の広場では手風琴(アコーディオン)を
    演奏している旅芸人がいた。
    音楽で巡礼者の心を癒しながら同時に巡礼の旅費も稼いでいる
    のかもしれない。
    私は手風琴の音色だけを楽しまさせていただいた。

    手風琴 音ものびやに 春の街(tomo作)

  • フランス映画「サンジャックへの道」でに出てきた<br />巡礼路沿いにあるバール(食堂)。<br />黒い看板に赤い字でカウボーイ 白い字で<br />カミーノ デ サンティアゴとあり<br />その下にBARカウボーイなどと書いてある

    フランス映画「サンジャックへの道」でに出てきた
    巡礼路沿いにあるバール(食堂)。
    黒い看板に赤い字でカウボーイ 白い字で
    カミーノ デ サンティアゴとあり
    その下にBARカウボーイなどと書いてある

  • 廃墟になった教会の門をくぐる。<br />サンマルコ教会だったかな。<br />小さなアルベルゲ(巡礼宿)が併設されている。<br />

    廃墟になった教会の門をくぐる。
    サンマルコ教会だったかな。
    小さなアルベルゲ(巡礼宿)が併設されている。

  • 私の巡礼スタイル。<br />雨模様の時は防水ジャケットを着て歩く。<br />雨が降っても雪が降っても歩くことを止めない<br />ことが大切だ。<br />「我歩く、故に我あり」”Yo ando,luego yo soy”<br />(I walk,so I am)だと思う。

    私の巡礼スタイル。
    雨模様の時は防水ジャケットを着て歩く。
    雨が降っても雪が降っても歩くことを止めない
    ことが大切だ。
    「我歩く、故に我あり」”Yo ando,luego yo soy”
    (I walk,so I am)だと思う。

  • ここは巡礼路でも有名なプロミスタの水門だ。<br />フランス映画「サンジャックへの道」でも<br />ここを歩いて渡る巡礼者の映像があた。<br />早春の肌寒い季節の為が歩いている巡礼者は<br />少なかった。

    ここは巡礼路でも有名なプロミスタの水門だ。
    フランス映画「サンジャックへの道」でも
    ここを歩いて渡る巡礼者の映像があた。
    早春の肌寒い季節の為が歩いている巡礼者は
    少なかった。

  • レオン近くの巡礼宿(3月初旬)。<br />「寒い!」と思いながら朝起きると<br />巡礼宿の前庭には真っ白な雪が積もっていた。<br />春の雪だ。<br />空からの神聖な贈り物のようだ。

    レオン近くの巡礼宿(3月初旬)。
    「寒い!」と思いながら朝起きると
    巡礼宿の前庭には真っ白な雪が積もっていた。
    春の雪だ。
    空からの神聖な贈り物のようだ。

  • 雪化粧のせいか街の様子が幻想的に見える。<br />雪を頭に頂いた樹々がまるで生きているようだ。

    雪化粧のせいか街の様子が幻想的に見える。
    雪を頭に頂いた樹々がまるで生きているようだ。

  • 朝の陽ざしに光と影とのコントラストが美しい。<br />雪は白い花のように樹木を飾っていた。

    朝の陽ざしに光と影とのコントラストが美しい。
    雪は白い花のように樹木を飾っていた。

  • 雪の朝でも巡礼者は歩いていた。<br />彼女はスペイン南部のマラガから来ている<br />ブルガリア人のルミさんだ。<br />これから暫くはブラジル人のヘナータさんと<br />ブルガリア人のルミさんと私の3人で一緒に巡礼路<br />を歩くことになった。

    雪の朝でも巡礼者は歩いていた。
    彼女はスペイン南部のマラガから来ている
    ブルガリア人のルミさんだ。
    これから暫くはブラジル人のヘナータさんと
    ブルガリア人のルミさんと私の3人で一緒に巡礼路
    を歩くことになった。

  • 巡礼者像にも雪が白く積もっている。<br />「寒そう!」<br />実際にこのような姿で巡礼者は雪道を<br />歩いていたのだろう。

    巡礼者像にも雪が白く積もっている。
    「寒そう!」
    実際にこのような姿で巡礼者は雪道を
    歩いていたのだろう。

  • 森も川も白い雪に覆われている。<br />神聖で厳かな雰囲気の中を歩けるのは<br />うれしい。<br />暖かい春の日差しのせいか見た目ほど寒くなかった。

    森も川も白い雪に覆われている。
    神聖で厳かな雰囲気の中を歩けるのは
    うれしい。
    暖かい春の日差しのせいか見た目ほど寒くなかった。

  • 森も川も凛として美しい。<br />白く尖った梢の向こうに春の軟らかい雲が見えている。

    森も川も凛として美しい。
    白く尖った梢の向こうに春の軟らかい雲が見えている。

  • 黒いアスファルトは春の日差しを吸い込み雪が融けて<br />歩きやすくなった。<br />道路には巡礼路を歩く私たちの影が映っている。

    黒いアスファルトは春の日差しを吸い込み雪が融けて
    歩きやすくなった。
    道路には巡礼路を歩く私たちの影が映っている。

  • 日中には巡礼路の雪はほとんど融けた。<br />でも脇に広がる畑はしばらく白い雪に<br />覆われている。<br />昨夜降った雪のおかげか空気が澄んで<br />地平線の遥か遠くまで風景が広がっていた。

    日中には巡礼路の雪はほとんど融けた。
    でも脇に広がる畑はしばらく白い雪に
    覆われている。
    昨夜降った雪のおかげか空気が澄んで
    地平線の遥か遠くまで風景が広がっていた。

  • ブルガリアからの女性巡礼者ルミさん。<br />ブルガリアでは看護婦さんをしていたと<br />言っていた。<br />今はブルガリアに家族を残してスペインのマラガで<br />一人で働いている。<br />彼女との会話はスペイン語で行っていた。<br />(私はブルガリア語は話せない)

    ブルガリアからの女性巡礼者ルミさん。
    ブルガリアでは看護婦さんをしていたと
    言っていた。
    今はブルガリアに家族を残してスペインのマラガで
    一人で働いている。
    彼女との会話はスペイン語で行っていた。
    (私はブルガリア語は話せない)

  • これはレオンの広場だったかな?<br />親子の銅像があった。<br />親子連れの巡礼者もいたので二人で<br />お参りしてたのだろうか。

    これはレオンの広場だったかな?
    親子の銅像があった。
    親子連れの巡礼者もいたので二人で
    お参りしてたのだろうか。

  • 途中には地下住居もある。<br />ロードオブ・ザ・リングのホビットの家を<br />思い出す。<br />煙突が有って煙が出ていたので実際に生活<br />している人もいるようだ。<br />

    途中には地下住居もある。
    ロードオブ・ザ・リングのホビットの家を
    思い出す。
    煙突が有って煙が出ていたので実際に生活
    している人もいるようだ。

  • 教会の上にコウノトリが巣を作っていた。<br />コウノトリは幸運をもたらす鳥だそうだ。

    教会の上にコウノトリが巣を作っていた。
    コウノトリは幸運をもたらす鳥だそうだ。

  • 十字架と巡礼像が見えてきた。<br />大勢の巡礼がこに石を積んで行く。<br />僕も思い出に石を置いた。

    十字架と巡礼像が見えてきた。
    大勢の巡礼がこに石を積んで行く。
    僕も思い出に石を置いた。

  • 樹々に囲まれた巡礼路を歩く。<br />ここでも私の影が旅のお供だ。

    樹々に囲まれた巡礼路を歩く。
    ここでも私の影が旅のお供だ。

  • これは2012年10月下旬にサリアを歩いた時の写真。<br />フランス人の女性と韓国から来た男性巡礼と一緒に昼食を取る。<br />ワインを飲みすぎて後半は歩くのが大変になった。<br />(大いに反省)<br />以降は昼食を食べずに歩くことが多くなった。<br /><br />男性とはフィニステーラ行きのバスでばったり再会した。<br />ご縁があったのだ。

    これは2012年10月下旬にサリアを歩いた時の写真。
    フランス人の女性と韓国から来た男性巡礼と一緒に昼食を取る。
    ワインを飲みすぎて後半は歩くのが大変になった。
    (大いに反省)
    以降は昼食を食べずに歩くことが多くなった。

    男性とはフィニステーラ行きのバスでばったり再会した。
    ご縁があったのだ。

  • サリアから歩き始めた次の村の写真。<br />途中で体が重くなり這うようにして<br />やっと村にたどり着いた。<br />体力の過信は禁物であることを自覚した<br />一日であった。

    サリアから歩き始めた次の村の写真。
    途中で体が重くなり這うようにして
    やっと村にたどり着いた。
    体力の過信は禁物であることを自覚した
    一日であった。

  • 巡礼路で橋を渡るときは体に触れる<br />空気が変わるように感じた。<br />心も脱皮していくのだろうか。

    巡礼路で橋を渡るときは体に触れる
    空気が変わるように感じた。
    心も脱皮していくのだろうか。

  • アストルガの街にあるガウディ作の建造物。<br />ガウディの作風とは一味違って感じる美しい<br />建築物である。<br />(おとぎのお城の様だ)

    アストルガの街にあるガウディ作の建造物。
    ガウディの作風とは一味違って感じる美しい
    建築物である。
    (おとぎのお城の様だ)

  • 何処の街だったか忘れてしまったが<br />大聖堂の前の広場だ。<br />今は巡礼者が少ない季節のようだ。

    何処の街だったか忘れてしまったが
    大聖堂の前の広場だ。
    今は巡礼者が少ない季節のようだ。

  • サン・ロケ峠(標高1,270m)の表示。<br />峠は風が吹けぬていた。<br />前を歩く巡礼者の姿が見える。

    サン・ロケ峠(標高1,270m)の表示。
    峠は風が吹けぬていた。
    前を歩く巡礼者の姿が見える。

  • 峠にある十字架。<br />ここから遥か遠くに次の目的地の街が見える。<br />足がすくむように感じた。

    峠にある十字架。
    ここから遥か遠くに次の目的地の街が見える。
    足がすくむように感じた。

  • 巡礼路の道沿いでは赤いアマポーラが<br />かわいらしく咲いて私を迎えてくれた。<br /><br />アマポーラ 雪山遠く 見えかくれ(tomo作)<br /><br />公民館のスペイン語クラスでコロンビア人の先生が<br />アマポーラの曲を歌ってくれたのを思い出します。<br />アマポーラという言葉が持つ柔らかな語感と揺ったりとした<br />曲の旋律が調和した歌でとても好きになりました。<br />ご参考にNatalie Coleが歌っている” Amapola”の歌詞を<br />載せておきます。<br />機会があればyou-tube で彼女の歌声も楽しんでください。<br />(歌詞の一部:スペイン語と日本語の訳)<br />Amapola, lindisima amapola ひなげしよ、美しきひなげしよ、<br />Será siempre mi alma tuya sola いつだって僕の心は君だけのもの<br />Yo te quiero, amada niña mia 君が好きだ、僕の愛しい子、<br />Igual que ama la flor la luz del día 花が昼の陽射しを愛するように<br />Amapola, lindisima amapola ひなげしよ、美しきひなげしよ、<br />No seas tan ingrata y ámame 嫌な顔をせずに私を愛しておくれ<br /><br />

    巡礼路の道沿いでは赤いアマポーラが
    かわいらしく咲いて私を迎えてくれた。

    アマポーラ 雪山遠く 見えかくれ(tomo作)

    公民館のスペイン語クラスでコロンビア人の先生が
    アマポーラの曲を歌ってくれたのを思い出します。
    アマポーラという言葉が持つ柔らかな語感と揺ったりとした
    曲の旋律が調和した歌でとても好きになりました。
    ご参考にNatalie Coleが歌っている” Amapola”の歌詞を
    載せておきます。
    機会があればyou-tube で彼女の歌声も楽しんでください。
    (歌詞の一部:スペイン語と日本語の訳)
    Amapola, lindisima amapola ひなげしよ、美しきひなげしよ、
    Será siempre mi alma tuya sola いつだって僕の心は君だけのもの
    Yo te quiero, amada niña mia 君が好きだ、僕の愛しい子、
    Igual que ama la flor la luz del día 花が昼の陽射しを愛するように
    Amapola, lindisima amapola ひなげしよ、美しきひなげしよ、
    No seas tan ingrata y ámame 嫌な顔をせずに私を愛しておくれ

  • 橋の手すりにも遍路のシンボルであるホタテガイが<br />ある。

    橋の手すりにも遍路のシンボルであるホタテガイが
    ある。

  • 早朝の巡礼路。<br />私の長い影が道に映っている。<br />遍路道に伸びる自分の影を写真に撮る。<br />影の伸びる西の方向に歩けばコンポステーラがある。<br />(朝日を背にして歩けば迷わない)

    早朝の巡礼路。
    私の長い影が道に映っている。
    遍路道に伸びる自分の影を写真に撮る。
    影の伸びる西の方向に歩けばコンポステーラがある。
    (朝日を背にして歩けば迷わない)

  • リュックは8キロ位にすると楽だそうだ。<br />(ふつうは体重の5分の1未満にする)<br />中には小さなリュック一つで巡礼する人もいる。<br />旅は道連れで助け合いながら長い巡礼路を歩く。

    リュックは8キロ位にすると楽だそうだ。
    (ふつうは体重の5分の1未満にする)
    中には小さなリュック一つで巡礼する人もいる。
    旅は道連れで助け合いながら長い巡礼路を歩く。

  • 道脇で一休み。<br />道を吹き渡る風が冷たいので手には防寒用の<br />手袋をしている。<br />いつも風の中を歩いていた気持ちがしている。

    道脇で一休み。
    道を吹き渡る風が冷たいので手には防寒用の
    手袋をしている。
    いつも風の中を歩いていた気持ちがしている。

  • 巡礼路にある標識。<br />コンポステーラまであと79キロと書いている。<br />徒歩であと2、3日の行程だ。<br />不思議なもので旅の終わりが近づいてくると<br />反比例するようにもっと歩きたいという気持ちが<br />浮かんできた。<br />他の巡礼者も同様だと言っていた。

    巡礼路にある標識。
    コンポステーラまであと79キロと書いている。
    徒歩であと2、3日の行程だ。
    不思議なもので旅の終わりが近づいてくると
    反比例するようにもっと歩きたいという気持ちが
    浮かんできた。
    他の巡礼者も同様だと言っていた。

  • 足が長い影<br />コンポステーラはもうすぐだ。<br />影も私の気持ちを反映して先行している。

    足が長い影
    コンポステーラはもうすぐだ。
    影も私の気持ちを反映して先行している。

  • コンポステーラのパラドール(公営ホテル)横から<br />スペイン西端にあるフィニステーレへの道が始まる。

    コンポステーラのパラドール(公営ホテル)横から
    スペイン西端にあるフィニステーレへの道が始まる。

  • カミーノの自然は美しい。<br />山道を歩いていると山を駆け降りてきた小鹿に出くわした。<br />私も驚いたが彼(彼女かな?)もビックリしたようで<br />飛び跳ねて逃げて行った。<br />動物との出逢いも楽しい。

    カミーノの自然は美しい。
    山道を歩いていると山を駆け降りてきた小鹿に出くわした。
    私も驚いたが彼(彼女かな?)もビックリしたようで
    飛び跳ねて逃げて行った。
    動物との出逢いも楽しい。

  • この写真を見るとこの地方が<br />”緑のスペイン(エスパーニャ・ベルデ)”<br />と呼ばれている理由が分かるような気持がする。<br />緑が美しい!

    この写真を見るとこの地方が
    ”緑のスペイン(エスパーニャ・ベルデ)”
    と呼ばれている理由が分かるような気持がする。
    緑が美しい!

  • 穏やかな川の流れと緑の樹々。<br />巡礼者の心が益々伸びやかになる風景だ。

    穏やかな川の流れと緑の樹々。
    巡礼者の心が益々伸びやかになる風景だ。

  • それでも橋の上から見た川の流れは激しく<br />波立っていた。

    それでも橋の上から見た川の流れは激しく
    波立っていた。

  • この朝日に輝く門を抜けるとまた巡礼路が始まる。<br />

    この朝日に輝く門を抜けるとまた巡礼路が始まる。

  • 杜牧の漢詩で<br />「路上の行人魂を断たんと欲す」という一節(清明)が<br />あったが、こんなに真っすぐな巡礼路を歩いていると<br />歩きながら瞑想の世界に入ってしまう時がある。<br />歩いているのか眠っているのか定かでないがとにかく<br />一歩一歩足を踏み出しているのは確かだ。

    杜牧の漢詩で
    「路上の行人魂を断たんと欲す」という一節(清明)が
    あったが、こんなに真っすぐな巡礼路を歩いていると
    歩きながら瞑想の世界に入ってしまう時がある。
    歩いているのか眠っているのか定かでないがとにかく
    一歩一歩足を踏み出しているのは確かだ。

  • まだ暗闇が残る早朝の街を出発する。

    まだ暗闇が残る早朝の街を出発する。

  • 標高1500mにある鉄の十字架<br />先に出立した巡礼仲間が祈りをささげていた。<br />私もあそこで手を合わせるつもりだ。

    標高1500mにある鉄の十字架
    先に出立した巡礼仲間が祈りをささげていた。
    私もあそこで手を合わせるつもりだ。

  • 他の巡礼者と同じように<br />私も十字架の下に石を積んでいく

    他の巡礼者と同じように
    私も十字架の下に石を積んでいく

  • これはコンポステーラの街の広場の写真。<br />昨夜雨が降ったのか石畳が濡れている。

    これはコンポステーラの街の広場の写真。
    昨夜雨が降ったのか石畳が濡れている。

  • コンポステーラの旧市街を歩く。<br />近くの書店でジーブランの「預言者」スペイン語版を<br />購入した。<br />いつもそうなのだが本の方から私に<br />「僕を買ってよ!」と語り掛けてくる。<br />お陰様で私の書斎は書籍で大混雑状況である。<br />これを「密接」、「密閉」、「密集」(三密)と<br />言うのかもしれない。<br />それぞれに愛着や思い出があるので簡単に断捨離<br />できずに困っている。<br />(家内には始末しろと叱られているが)

    コンポステーラの旧市街を歩く。
    近くの書店でジーブランの「預言者」スペイン語版を
    購入した。
    いつもそうなのだが本の方から私に
    「僕を買ってよ!」と語り掛けてくる。
    お陰様で私の書斎は書籍で大混雑状況である。
    これを「密接」、「密閉」、「密集」(三密)と
    言うのかもしれない。
    それぞれに愛着や思い出があるので簡単に断捨離
    できずに困っている。
    (家内には始末しろと叱られているが)

  • これはフィニステーラまでの巡礼路(約90キロ)の<br />途中にあるサモスの街への標識。<br />ここまで歩いて来た思い出として撮影した。

    これはフィニステーラまでの巡礼路(約90キロ)の
    途中にあるサモスの街への標識。
    ここまで歩いて来た思い出として撮影した。

  • サモスの街かな?<br />清楚な感じのする街であった。

    サモスの街かな?
    清楚な感じのする街であった。

  • フィニステーラへの巡礼路にある十字架。<br />これはケルト十字である。<br />ここはケルト文化がまだ色濃く残っている<br />地方だ。

    フィニステーラへの巡礼路にある十字架。
    これはケルト十字である。
    ここはケルト文化がまだ色濃く残っている
    地方だ。

  • ベンチで休んでいる巡礼像。<br />私の仲間である。

    ベンチで休んでいる巡礼像。
    私の仲間である。

  • 朝は巡礼路で牛たちと一緒に歩く。<br />私は彼らに「ブエノスディアス(おはよう)!」と<br />声をかけたが無視されてしまった。<br />私のスペイン語の発音が悪かったのかもしれない。

    朝は巡礼路で牛たちと一緒に歩く。
    私は彼らに「ブエノスディアス(おはよう)!」と
    声をかけたが無視されてしまった。
    私のスペイン語の発音が悪かったのかもしれない。

  • 道しるべのあと12.5キロという表示は僕に<br />歩く勇気をくれる。<br />道しるべには遍路のシンボルであるホタテガイ<br />が彫られていた。<br />コンポステーラを示す黄色い矢印が僕の歩く方向を<br />示している。

    道しるべのあと12.5キロという表示は僕に
    歩く勇気をくれる。
    道しるべには遍路のシンボルであるホタテガイ
    が彫られていた。
    コンポステーラを示す黄色い矢印が僕の歩く方向を
    示している。

  • コンポステーラの大聖堂の回廊だったかな?<br />有名な建築物にはあまり関心がないのでそのうち<br />どこも同じように見えてみた。<br />(モッタイナイですよね)

    コンポステーラの大聖堂の回廊だったかな?
    有名な建築物にはあまり関心がないのでそのうち
    どこも同じように見えてみた。
    (モッタイナイですよね)

  • コンポステーラの街角。<br />ガリシアの民族楽器が演奏されていた。<br />左上にはガイタというバグパイプに似た楽器も<br />演奏されている。<br />今日はガリシア地方の祭りだ。<br />ここにはケルト文化が残っていた。

    コンポステーラの街角。
    ガリシアの民族楽器が演奏されていた。
    左上にはガイタというバグパイプに似た楽器も
    演奏されている。
    今日はガリシア地方の祭りだ。
    ここにはケルト文化が残っていた。

  • 早朝にフィニステーラ巡礼路へ出発した時に<br />振り返って撮ったコンポステーラ大聖堂のシルエット。<br />まだ時間が早いので巡礼者は誰も歩いていない。<br />コンポステーラからフィニステーラまではバスで行く<br />巡礼者が多い。<br />残り僅か90キロの道程だが歩いて訪れる人は少ない<br />ようである。

    早朝にフィニステーラ巡礼路へ出発した時に
    振り返って撮ったコンポステーラ大聖堂のシルエット。
    まだ時間が早いので巡礼者は誰も歩いていない。
    コンポステーラからフィニステーラまではバスで行く
    巡礼者が多い。
    残り僅か90キロの道程だが歩いて訪れる人は少ない
    ようである。

  • とうとうフィニステーラへの道しるべが見えた。

    とうとうフィニステーラへの道しるべが見えた。

  • 小さな村のアルベルゲには暖炉があった。<br />しかし寒いのに火を燃やしていなかった。<br />シャワーも冷水で風を引くかと思った。<br />(氷水みたいで体が震えて心臓が止まりそうだった)

    小さな村のアルベルゲには暖炉があった。
    しかし寒いのに火を燃やしていなかった。
    シャワーも冷水で風を引くかと思った。
    (氷水みたいで体が震えて心臓が止まりそうだった)

  • ブラジル人のヘナータさんとブルガリア人のルミさんの<br />女性巡礼者。<br />3人でしばらく一緒に歩いた。<br />私は安全なボディガードなのかもしれない。<br />

    ブラジル人のヘナータさんとブルガリア人のルミさんの
    女性巡礼者。
    3人でしばらく一緒に歩いた。
    私は安全なボディガードなのかもしれない。

  • ブラジル人のヘナータさんは私の娘とよく<br />間違われた。<br />最初は「お前の娘は今どのあたりを歩いているのか?」<br />と質問されて何を質問されているのか分からなかった<br />ことがある<br />小柄で髪が黒いので後ろから見ると日本人の<br />親子巡礼が歩いていると思ったそうだ。

    ブラジル人のヘナータさんは私の娘とよく
    間違われた。
    最初は「お前の娘は今どのあたりを歩いているのか?」
    と質問されて何を質問されているのか分からなかった
    ことがある
    小柄で髪が黒いので後ろから見ると日本人の
    親子巡礼が歩いていると思ったそうだ。

  • ヘナータさんとツーショット。<br />彼女はブラジルに帰って幸せに暮らして<br />いるだろうか。

    ヘナータさんとツーショット。
    彼女はブラジルに帰って幸せに暮らして
    いるだろうか。

  • 黄色の花に覆われた丘を越えると大西洋が見えた。<br />久しぶりの海景色だ。<br />とうとうフィニステーラ(”地の終わり”の意味)に<br />到着したのだ。

    黄色の花に覆われた丘を越えると大西洋が見えた。
    久しぶりの海景色だ。
    とうとうフィニステーラ(”地の終わり”の意味)に
    到着したのだ。

  • フィニステーラで出逢い一緒に歩いた巡礼カップル。<br />コンポステーラで再会し一緒に食事をした。<br />サンチャゴ・コンポステーラの巡礼事務所でボランティアをしている。<br />アメリカ人ご夫妻で奥さまはオランダ系、ご主人はサンディエーゴで消防夫<br />として働いているとのこと。<br />

    フィニステーラで出逢い一緒に歩いた巡礼カップル。
    コンポステーラで再会し一緒に食事をした。
    サンチャゴ・コンポステーラの巡礼事務所でボランティアをしている。
    アメリカ人ご夫妻で奥さまはオランダ系、ご主人はサンディエーゴで消防夫
    として働いているとのこと。

  • これはサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で<br />2013年5月に発行して頂いた私の「巡礼証明書」です。<br />巡礼の通過地点の村々や巡礼宿で押して頂いた様々な<br />スタンプが並んでいるクレデンシャル(巡礼通行手形)<br />と共に巡礼を歩いた思い出の資料です。<br />クレデンシャルは日本カミーノ・デ・サンチャゴ友の会で<br />発行して頂きました。<br />表紙の裏に東京大司教の故岡田大司教の言葉が記載されています。<br />印象に残るお言葉ですので一部を記載させていただきます。<br />岡田大司教の言葉<br />「人生は巡礼です。歩きながら祈り、祈りながら歩く、<br /> 話しながら歩き、歩きながら話す。<br /> 永遠の命を思い考えながら歩き、歩きながら思い考える…<br /> 神の創造の働きを賛美しながら。」<br />巡礼路の美しい自然や人々との出逢いを通してこのお言葉の通りだと<br />思いました。<br />最後に山本周五郎氏氏の「青べか物語」の最終ページに書かれていた<br />「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」<br />というストリンドベリイの「青巻」の章句も添えさせていただきます。<br /><br />人生も巡礼路も”歩き続ける”という行為が大切なのかもしれません。<br />

    これはサンチャゴ・デ・コンポステーラの巡礼事務所で
    2013年5月に発行して頂いた私の「巡礼証明書」です。
    巡礼の通過地点の村々や巡礼宿で押して頂いた様々な
    スタンプが並んでいるクレデンシャル(巡礼通行手形)
    と共に巡礼を歩いた思い出の資料です。
    クレデンシャルは日本カミーノ・デ・サンチャゴ友の会で
    発行して頂きました。
    表紙の裏に東京大司教の故岡田大司教の言葉が記載されています。
    印象に残るお言葉ですので一部を記載させていただきます。
    岡田大司教の言葉
    「人生は巡礼です。歩きながら祈り、祈りながら歩く、
     話しながら歩き、歩きながら話す。
     永遠の命を思い考えながら歩き、歩きながら思い考える…
     神の創造の働きを賛美しながら。」
    巡礼路の美しい自然や人々との出逢いを通してこのお言葉の通りだと
    思いました。
    最後に山本周五郎氏氏の「青べか物語」の最終ページに書かれていた
    「苦しみつつ、なおはたらけ、安住を求めるな、この世は巡礼である」
    というストリンドベリイの「青巻」の章句も添えさせていただきます。

    人生も巡礼路も”歩き続ける”という行為が大切なのかもしれません。

  • 海岸線を左手に見ながら歩き続けると<br />眼下にフィニステーレの町が見えてきた。

    海岸線を左手に見ながら歩き続けると
    眼下にフィニステーレの町が見えてきた。

  • 巡礼路は砂浜に変わる。<br />靴底から伝わってくる地面の感触<br />が柔らかい砂の路肌に変わった。<br />靴底が地面に吸い込まれるようだ。

    巡礼路は砂浜に変わる。
    靴底から伝わってくる地面の感触
    が柔らかい砂の路肌に変わった。
    靴底が地面に吸い込まれるようだ。

  • スペインの最西端フィニステーラの湊に到着<br />でも私の心の巡礼はまだ終わらないだろう。

    スペインの最西端フィニステーラの湊に到着
    でも私の心の巡礼はまだ終わらないだろう。

  • フィステーラの道しるべ(残りあと0キロの標識)<br />スペイン巡礼路(カミーノ・デ・サンチャーゴ)<br />の西の果て。<br />「ここで地終わり、海始まる」という想いが沸き<br />起こってくる。<br />64歳(当時)の私がこんなに遠くまでよく歩けたものだ.<br />コツコツ歩き続ければ900キロの巡礼路も歩くことができた。<br />家内を含めて途中で出会ったすべての出来事に感謝したい。<br /><br />それではブエンカミーノ!<br />みなさんも良い巡礼を楽しんでください。<br />

    フィステーラの道しるべ(残りあと0キロの標識)
    スペイン巡礼路(カミーノ・デ・サンチャーゴ)
    の西の果て。
    「ここで地終わり、海始まる」という想いが沸き
    起こってくる。
    64歳(当時)の私がこんなに遠くまでよく歩けたものだ.
    コツコツ歩き続ければ900キロの巡礼路も歩くことができた。
    家内を含めて途中で出会ったすべての出来事に感謝したい。

    それではブエンカミーノ!
    みなさんも良い巡礼を楽しんでください。

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この旅行記へのコメント (7)

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  • milkさん 2017/07/16 22:33:21
    歩かれたのですね。
    2013tomo様

    私の旅行記にご訪問と投票をありがとうございます。

    スペインの巡礼路、歩かれたのですね!
    素晴らしいです。

    スペインやフランスの巡礼に興味があるものの、日本のお寺の事すら良く知りもしないので、こんな私が行っても良いものかと考えてしまいます。
    行くとしてもきっと交通機関を使ってしまうでしょう...。

    でも、歩くからこそ見られる素敵な景色があるのでしょうね。
    巡礼者とのふれあいも、同じ道を歩いているからこそひときわ楽しいものなのでしょうね。

    milk

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2017/07/17 06:41:13
    RE: 歩かれたのですね。
    milk様

    milkさんのブログを拝見させていただきました。

    湖水地方を訪ねたいと考えていますのでとても参考になります。

    またスペインのカミーノ巡礼のブログを読んで頂きありがとうございます。

    俳人の黛まどかさんが今年の7月月初から東京新聞の夕刊に「同行二人」という
    四国遍路の紀行文を書いていますが彼女は「歩き遍路」を大切にしているそうです。
    (まどかさんもカミーノ巡礼路を歩いています)

    巡礼路を歩いていますと美しい自然だけでなく人々との出逢い、また自分自身との
    新たな出逢いがあり興味が尽きません。

    milkさんもエスパーニャ・ベルデ(北スペインは美しい木々があり『緑のスペイン』
    と呼ばれています)に行ける機会があれば良いですね。

    お互いに旅を楽しみましょう。


    2013tomo様
    >
    > 私の旅行記にご訪問と投票をありがとうございます。
    >
    > スペインの巡礼路、歩かれたのですね!
    > 素晴らしいです。
    >
    > スペインやフランスの巡礼に興味があるものの、日本のお寺の事すら良く知りもしないので、こんな私が行っても良いものかと考えてしまいます。
    > 行くとしてもきっと交通機関を使ってしまうでしょう...。
    >
    > でも、歩くからこそ見られる素敵な景色があるのでしょうね。
    > 巡礼者とのふれあいも、同じ道を歩いているからこそひときわ楽しいものなのでしょうね。
    >
    > milk

    milk

    milkさん からの返信 2017/07/18 22:36:37
    RE: RE: 歩かれたのですね。
    2013tomo様

    お返事ありがとうございます。
    湖水地方に行かれる予定なのですね!

    イギリスの中でも特に好きな場所なのです。
    ナショナルトラストのお陰で手つかずの大自然が残されている素敵な場所ですので、是非のんびり楽しんで来て下さい。

    milk
  • Masakatsu Yoshidaさん 2017/04/19 10:35:12
    私も同じほぼ行程2010年春に歩きました
    私は、数回に分けて、フランスのル・ピュイからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラまでの巡礼路を歩きました。
    2010年4-5月にかけて、ブルゴスからサンティアゴ・デ・コンポステラの行程、約500kmを歩いた経験と重なるので、2013トモさんの紀行文を懐かしく拝見しました。当時、私は66歳でしたが、道中で仲良くなったスイス人に励まされて、無事に目的とする聖地に辿りつくことができました。
    参考までに、私は、”Plaisir de Voyager"と題する旅行ブログの中で、「スペイン巡礼」のカテゴリーを設けて、巡礼の体験記を記しています。ブルゴスに関する記事を次のサイトに載せていますので、お暇な時に眺めて頂ければ幸いです。
    http://blog.goo.ne.jp/plaisir-de-voyager/e/a2900825acd04dd99675fc4cb77b7039

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2017/04/19 13:25:20
    RE: 私も同じほぼ行程2010年春に歩きました
    > Masakatsu Yoshida様

    初めまして。

    2013tomoです。

    お便りをいただきありがとうございます。

    夫婦で還暦二人旅を書いていますが私が一人で旅をするときは還暦一人旅として
    ブログを書いています。
    私の一人旅は殆どがサンチャゴ巡礼の路での旅行記です。
    振り返りますと私は巡礼の道を4回歩いています。

    1回目(ウォーミングアップ巡礼)
    2012年10月にスペイン巡礼路の最短距離100kmをサリアから
    サンチャゴ・デ・コンポステーラまで歩き、フィニステーラまでは
    バスで往復(その後はポルトガル鉄道旅行)。

    2回目(本格的巡礼前半)
    パンプローナからアストルガまで(2013年2月25日から3月22日)
    の約500kmを歩く。

    3回目は(本格的巡礼後半)
    アストルガからスペイン西端フィニステーレまで(同年4月29日から5月21日)
    の約400kmを歩いた。


    4回目(フランス巡礼路からピレネー越えでスペイン巡礼路へ)
    2015年の7月1日から7月27日までフランスのル・ピュイからサン・ジャン・ピエ・ド・ポー
    経由でピレネー山を越えスペインのログローニョまで歩いた(約700Km)。

    4回目は若いころの夢であったユーラシア大陸横断を目指してロシアのウラジオストック
    からシベリア鉄道(3等車)で7泊8日でモスクワまで行き、飛行機でパリ経由、鉄道で
    ル・ピュまで行き、そこから巡礼の旅を開始いたしました。
    これで時間はかかりましたがロシアのウラジオストックからスペインのフィニステーレまでユーラシア大陸を横断することが出来ました(もちろんバス、鉄道、飛行機も利用していますが)。

    今思いますとこんなに長い距離を一人で良く歩けたものだと我ながら驚いています。

    夢ではなかったのかと思う時もあります。

    時々私の巡礼路のブログに「いいね」を頂いて読み返すと本当に歩いたのだと気が付く
    ような次第です。

    今年で私は66歳になり気力、体力、認知力にやや不安を感じてきましたので
    「もう巡礼路は歩けないかもしれない。」と思い始めたところでした。

    しかしMasakatsu Yoshidaさんが66歳の時にサンチャゴ巡礼路を歩かれたとお聞きし
    少し勇気を取り戻しました。

    でもわたくしは企業現役時代は普通のサラリーマンでしたのでMasakatsu Yoshidaさん
    のように本格的な山歩きの経験がありませんので体力面での心配は残っています。

    ブログは還暦夫婦二人旅では家内が中心になって書き、還暦一人旅は私が家内の校閲
    を受けながら書いています。

    二人で旅の思い出を写真と一緒に共有化できるので楽しく書いています。

    今年は中欧の旅、ケルト文化を訪問の旅、南アジアの旅を計画しています。

    尊敬する4トラベルのブロガーの方が「旅は行こうと思った時が行きべき時だ。」という
    言葉に共感し、万難(4人の孫のお世話)を排して家内と二人で旅の計画を立てています。

    Masakatsu Yoshidaさんの”Plaisir de Voyager"ブログの中の「スペイン巡礼」も拝読させて頂く予定です。

    機会がありましたらまた楽しい旅の情報交換をいたしましょう。

    それではBuen Camino!



    私は、数回に分けて、フランスのル・ピュイからスペインのサンティアゴ・デ・コンポステラまでの巡礼路を歩きました。
    > 2010年4-5月にかけて、ブルゴスからサンティアゴ・デ・コンポステラの行程、約500kmを歩いた経験と重なるので、2013トモさんの紀行文を懐かしく拝見しました。当時、私は66歳でしたが、道中で仲良くなったスイス人に励まされて、無事に目的とする聖地に辿りつくことができました。
    > 参考までに、私は、”Plaisir de Voyager"と題する旅行ブログの中で、「スペイン巡礼」のカテゴリーを設けて、巡礼の体験記を記しています。ブルゴスに関する記事を次のサイトに載せていますので、お暇な時に眺めて頂ければ幸いです。
    > http://blog.goo.ne.jp/plaisir-de-voyager/e/a2900825acd04dd99675fc4cb77b7039

  • churros さん 2015/10/09 13:12:25
    はじめまして
    !Hola! 2013tomoさん、はじめて書き込みさせて頂きます。

    2012年私もPEREGRINでした、10月だったので少し時期は違いますが、素晴らしい体験をした旅でした、来年もPEREGRINとしてパンプローナに立つつもりなのですが、60も後半に入りサンティアゴまで辿り着けるか不安なのですが、2013tomoさんの旅行記に勇気を得ました。

    ポルトマリンの街に入るため川を渡り、目の前のピラミッドの様な階段を登り右へ、とても印象的な旅の思い出でした、イラゴ峠のクルス・デ・フェロ(鉄の十字架)に大阪から持参した私の小石が今も有るでしょう。

    この道はいつか行く道

    churros

    2013tomo

    2013tomoさん からの返信 2015/10/09 14:17:32
    RE: はじめまして
    > !Hola! 2013tomoさん、はじめて書き込みさせて頂きます。
    >
    > 2012年私もPEREGRINでした、10月だったので少し時期は違いますが、素晴らしい体験をした旅でした、来年もPEREGRINとしてパンプローナに立つつもりなのですが、60も後半に入りサンティアゴまで辿り着けるか不安なのですが、2013tomoさんの旅行記に勇気を得ました。
    >
    > ポルトマリンの街に入るため川を渡り、目の前のピラミッドの様な階段を登り右へ、とても印象的な旅の思い出でした、イラゴ峠のクルス・デ・フェロ(鉄の十字架)に大阪から持参した私の小石が今も有るでしょう。
    >
    > この道はいつか行く道
    >
    > churros

    churros様

    こんにちわ、2013tomoです。

    お便り頂きありがとうございます。

    私も2012年10月にサリアからコンポステーラまでウォーミングアップとして
    約100キロを歩きました。
    初めての歩き巡礼でしたので結構大変でした。
    その時はフィニステーラまではバスで往復しています。
    その後はコンポステーラからバスでポルトガルのポルトに入り鉄道で
    旅をしながらリスボンまで降りてゆきました。

    2013年は2回に分けてパンプローナからフィニステーラまで歩きました。
    巡礼は楽しかったのですが歩く速度は益々遅くなりました(時速3キロ)。

    2015年はフランスのル・ピュからサン・ジャン・ド・ピエ経由で
    スペインのログ・ローニョまで入りました(8月のブログに書いています)。
    今年の夏はとても暑くて歩くことが大変でしたがコツコツ歩く大切さを改めて認識しました。

    カミーノは歩くたびに新しい姿を見るような気持がいたします。

    私も歩ける限りまた巡礼に行きたいと思っています。

    churros様の来年のカミーノが素晴らしいものになりますよう
    お祈りいたします。

                        Buen camino! Tomo   

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